第7話

 夏の盛りの頃。

 カーライル侯爵家が属するアークライト王国のとある夜会会場で、静かな動揺とざわめきが巻き起こっていた。


 子どもというだけでも異質なのに、その上で神聖帝国の皇弟などという扱いに困る大物がさらりとそこに紛れていたから。

 ではない。

 更にその護衛として、珍しい黒髪黒目の、なんだか奇妙な服装と武器を備えた大和の国の青年がいたから。

 ではない。


 異国の服装年齢民族的特徴の違いくらいは大した違和感ではないと思える程、盛装で飾った男女が集う会場では浮く風体の人物が、そこに紛れていたから。

 身動きのしやすそうな旅装。黄緑色の髪に、エメラルドグリーンの瞳、人の域を超えた神秘的なまでの美貌、そして、


 すなわち、【知的好奇心のままに旅するエルフ】とルーシーが呼ぶリンランディアが、そこにいた。

 しかし、彼がどれほどこの場に相応しくない服装をしていようと、その足元がさっきまで森を歩いていたと言われればそうだろうなと思わずにはいられない年季の入ったブーツだろうと、それを咎めることなど、誰もできない。


 とある国の伝説に、とある地域の災害記録に、子どもたちが親しむ冒険譚に、吟遊詩人らが歌う叙事詩に、親から子へと語られる若き日の思い出話に。

 偉人として、救世主として、英雄として、勇士として、賢者として、あるいは友として登場する、善きエルフ。

 数多の偉業を成してきた、世界中から畏敬と憧れを持って扱われる絶対強者である彼の存在からすれば、いかに変人だろうと、いかに俗世のことに無頓着だろうと、そんなことは些末なこと。


 故に、彼は誰にも咎められることも止められることもない。


 この頃にはすっかり社交界の華、身分の低い者であれば近づくことすら難しく、遠目から憧憬のまなざしで見ることしかできなくなっていた、ルクレシア・カーライル侯爵令嬢。

 そんな存在に対しても、リンランディアはやはり、誰の妨げも受けずにずいずいと近づいていく。


「噂には聞いていましたが、なるほど、これは面白い。帝国の皇子と王国の王太子が揃って同じ女に侍っているなんて! しかも、変わった毛色の子たち含め、まあまあ各国の上層部が雁首並べてデレデレと! いやー、これでこれを誰も疑問に思っていないなんて、なんという異常事態でしょうねぇ!」


 ルクスとその信奉者達が歓談をしていた現場に、無遠慮に不躾に割り込んで、リンランディアはワクワクとした表情でそう言い放った。

 そして、その異常事態の中心、カーライル侯爵家の紅薔薇と呼ばれる【少女】をよく観察するように、更に一歩、ずい、と迫ろうとする。


「いくらリンランディア卿と言えど、さすがに無遠慮が過ぎるのでは?」


 集団の中から一人、ルクスを庇う様に前に出たのは、【人より花を愛する地味コンプレックス陰キャ神官】ことフローラン。

 モトキヨはハリーファを庇い、他はむしろ有事には素直に庇われてくれることを望まれる立場故に、とっさの動きの結果そうなっていた。


「はははっ! いやあ、練度が高い! すごいですね。この僕の前に、立つ? 死ぬのがこわくないんですか、あなた! いやいや、皆さんもまあ、こわーい顔をして! お嬢さんってば、魅了の魔法でも使っているんですか? あるいは魔眼持ち? こういう子がたまーに出てくるから面白いですねー、人間!」


 リンランディアは少しも意に介さずにそれを笑ってから、ふんふんと頷きながらフローランの顔を覗き込む。


「あちらのお嬢さんの秘密も気になりますが何が行われているかをには、被害者の方がむしろ手がかりが多いですからね! 君でかまいませんとも、人の子! さーていったいなにがどう……」


 キラリと光った、リンランディアの瞳。

 同時に彼から放たれた息をするのも苦しいような濃密な魔力に、こちらの毛の一本一本細胞の一つ一つまで探るような感触に、フローランは硬直した。

 そんな彼を見て、視て、診て、みて……、リンランディアは、首を傾げる。


「君はずいぶん聖属性の素質が高い子ですね。ああ、神官? 道理で。いやあ、優秀ですね、君! しかし、これだけの力のある子が、そうそう悪いモノに侵されるわけがないんですが……。んんん? ……少しも操られているような気配や痕跡が、どころか、ほんの少しの魔法の残滓すら、ない?」


 がらりとリンランディアの表情が、変わった。

 どこか軽薄で愉快そうな笑顔を保っていた彼が、あまりの予想外に戸惑うように、困惑もあらわにうろたえる。


「は? え、なにも、無い? え、嘘ですよね。……こっちの子も! うわ、この子も! え、……全員、正気? なんの魔法や魔眼が使われたわけでもなく、ただただこのお嬢さんに普通に惹かれているなんてそんなわけ……っ!」


 フローランからジェレミー、モトキヨ、ハリーファときて、その場にいた全員まで。

 あれこれと観察し探り確認して、最後にリンランディアは、ルクスを見た。

 そして、いきなりやって来たリンランディアのいきなりの奇行にその大きな深紅の瞳をぱちぱちと瞬かせているルクスの、純真可憐としか思えないその姿に息を飲まずにいられなかった。

 信じられないというように、まるで恐れているかのように、震えながら彼は問う。


「……美しい顔なんて自分や同族で見慣れているつもりでしたが、なに、なんなんです、あなた? 人の子のくせに、エルフにもいないくらい、というか、この僕が今までに見た事がないレベルで美しいじゃないですか……!」


 ルクスはリンランディアがここまで何を言っているのかさっぱりわかっていなかったが、今、ルーシーの美しさを褒めたたえられた事は理解した。


 その通り。我が妹は、他に比類する者なき、唯一絶対の美しさなのである! 似せものである自分からも、それは伝わるだろう!


 そんな思いで誇らしげに笑んだルクスを見て、ガツンと頭を殴られるような衝撃を受け、リンランディアは納得する。


「ああ……。なるほど、なるほど。単純に純粋な、美の暴力。なんのからくりも捻りもない、ただただ圧倒的なだけの美しさ。なるほど。長く生きてるエルフの僕でこれなのだから、そう耐性のない人の子など、誰も彼もがのぼせ上っても仕方ない、というわけですか……」


 そう認めて脱力したリンランディアを、急にルクスたちに失礼な事を言い放った上に濃密な魔力でこちらに圧までかけてきた彼に内心腹を立ていてた周囲の一同は、ふん、と鼻で笑った。ざまあみろとでも言うように。




 しばしの後、互いの自己紹介とリンランディアからの謝罪を経てから。

 ルクスが『なにもやましいところはないとよくわかっていただくために』と提案し、リンランディアとルクスは二人きりで会話をすることになる。

 ルクスの本音としては『こいつルーシーが言ってた残る一人の攻略対象者じゃん。絶対おとそう』だったが、そんなことは、賢者にも誰にも察することはできない。


 少し離れた所から心配そうにルクスを、これ以上なにもやらかすなよと厳しい目でリンランディアを、それぞれ見る信奉者たちにひらひらと笑顔で手を振っているルクスにため息を吐いて、改めてリンランディアは頭を下げる。


「本当に、すみませんでしたね、ルクレシア嬢。いえね、昔実際そういうことがあったんですよ。一人の魅了魔法を使うご令嬢が、国の上層部をぐっちゃぐちゃにしたことが。それでてっきりまた同じかと……、なんて、若い子には知ったこっちゃないですよね。老人というのは、どうも考えが凝り固まりがちでいけません」


 そう言って恥ずかし気に頬をかいたリンランディアだったが、その見た目はとても五〇〇年よりも長く生きているなど信じられない若々しさだ。

 その面白さにもくすりと笑って、ルクスは首を振る。


「いえいえ。きっと、リンランディア卿はよほど大仰で悪意のある噂を聞いてしまわれたのでしょうね。私、自分がどうも目立っている自覚がありますもの。そういうこともあるでしょう。けれど、そのおかげであなた様にお会いできたのですから、むしろ良かったですわ」


「そういうところですよ。いや、こわいな。ルクレシア嬢の笑顔は魔性ですね。なんたる人たらし。この僕が、人間の子に翻弄されそうになってしまいそうだ。……君の美しさの秘訣は?」


 リンランディアは戯れ交じりにキザに尋ねたが、ルクスは美貌のエルフによるそんな言葉にも一切恥じらいも怯みもせず、すぐに笑顔で返す。


「まあ、さすがは智の探究者様ですね。そんな秘密まで暴こうとするなんて。けれどそう問われても、これといって特別なことはしているつもりはないのですが……。まあ、しいて言うならば、愛と自覚と誇り、でしょうか」


(妹への)愛と(自分は世界一美しい妹によく似ているという)自覚と(妹に彼女の代理を頼まれたという)誇り。

 大切な部分を何もかも端折ったルクスの返答を聞いて、リンランディアはため息を吐く。

(周囲への)愛と(己は美しいという)自覚と(皆が愛してくれているという)誇り故に、この人は美しいのだなと納得してしまったから。


「なるほど。しかし、そうもあっさり返されては、自信を失いますね。君、少しも僕にドキドキしてないでしょう。エルフですよ? この顔ですよ? 伝説の賢者ですよ? なのに、この距離でこんな風に会話して頬を赤らめられないなんて、初めての経験です」


「まあ、それは失礼を。けれど、美しい顔は、よくよく見慣れておりますから」


「はははっ。そうでしょうねぇ!」


 美しい顔はルーシーで見慣れている。

 ルクスとしては当然そういう意味だったが、リンランディアは別の意味にとった。

『美しい顔は、自分自身で見飽きている』と。事実エルフでも敵わないと思う程の美貌の侯爵がこう断言したことに、その痛快さに、リンランディアは声を上げて笑った。


 ひとしきり笑って、笑って、はあ、とため息を吐いて、リンランディアは静かに切り出す。

「知ってます? エルフが人の子と生きる時に使う、エルフの秘術。自分の命を削って、人の子の老いと病を防いでやるんですよ。で、この話をすると、自分の美にこだわりのあるお嬢さんほど、食いつくものなんですが……」


「興味ありませんわ。私は、時の流れに無理に逆らわず与えられた天命の限り生き、死ぬことを望みます」


 ノータイムできっぱりと言ったルクスに、更にリンランディアは尋ねる。


「永遠……とまで行かずとも、人よりも長く永くあれる美しさに、興味がないんですか?」


「少しも」


 せっかく同じ日に生まれたルーシーと、そう違う寿命にされてはむしろ困る。

 妹のいない世界を生きるなど、どれほど味気なくつまらないものか。

 妹の美しさを保つ方法ならともかく、自分の顔にしわが刻まれようがシミが定着しようが、この悪役令嬢代行が終わった後ならば、どうだって良い。今はルーシーとあまり差異があっては困るけど。

 妹は、きっと年を重ねてもその時々の美しさであるだろうし、全く、完全に興味がない。


 心底そう思って少しも揺るがず答えたルクスに、リンランディアはすっかり参ってしまう。


「ああ、ああ、すごいですねルクレシア嬢は! いやあ、底が知れない! 実に面白い! ……もっともっと、君の事を、知りたくなりました」


「まあ、ありがとうございます。ええ、ぜひよく知ってくださいな、ルクレシア・カーライルのことを。私にエルフの秘術など不要です。リンランディア卿はリンランディア卿の天寿を全うし、その長い生涯でルクレシアのことを語っていってくださいませ」


 うちのかわいいルーシーの名を歴史に刻め!

 妹がいかに美しいか、いかに素晴らしいか。

 お前がその長い長い生涯で出会うありとあらゆる人間に、ルクレシア・カーライルの素晴らしさを語って聞かせろ!

 わが妹は、千年二千年、永遠に語られるべき人物なのだから。

 そんなシスコンの願いに、リンランディアはうっかり感銘をうけてしまう。 


「命尽きても、その生を語り継ぐ人間がいれば、無になったわけではない。物語の中に、それを伝えられた誰かの心に、それが語られるどこかの場に、その人は生きている、ということですね」


 なんて潔く、なんと美しい考えか。生き様か。

 そう称えながらも、同時に、これまでは知りたいことをすべて知るにはむしろ足らないとまで思っていた己の寿命と運命を、ほんの少しだけ、リンランディアは呪わしく感じずにはいられない。

 これほど美しい【少女】を失った後も、この子のことを語り継ぐためにも、長く永く生きていかなければならないのだから。

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