第4話
「待って。いくらなんでもしょっぱなから飛ばし過ぎじゃない? 落ち着いて。待って」
社交界デビューしてからのほんの二週間くらいで、我が兄が攻略対象者を早くも二人おとしていた件。
あまりの異常事態に、私は兄の話に割って入っていた。
「僕はずっと落ち着いているけど……」
「うん、そうだね。落ち着いてないのは私だね。わかった。待って。私が落ち着くまで待って」
兄の指摘を受け、私は動揺を鎮めるべく、深呼吸を繰り返すことにする。
すってー、はいてー、すってー……。
「……なにそれっ!! 意味分かんない! ぜんっぜん意味がわかんないっ!!」
ダメだった。
深く吸った息をツッコミに変えて、私は腹の底から力いっぱい叫んでしまっていた。
だって、意味がわからないのだもの。どう考えても。
「意味が分からない……。えっと、どの辺りが?」
困惑を露わにして尋ねてきた兄の美しい顔面を、ジトリと睨む。
どの辺りがって、もうなにもかもだよ。
いくらお兄ちゃんが美人だからってそんな簡単に……、いや見れば見る程美人だなこの人。これならイケるのかもしれん。なんという魔性。
気を取り直すためにコホンと一つ咳ばらいをしてから、改めて言う。
「チュートリアルちょろ王子のジェレミーは、まだわかるよ。あいつポイント抑えてちょろっと褒めたらまーじすぐ惚れるから。さすがにちょろ過ぎないか王太子、大丈夫かこの国の将来という気はするけど、まあでもお兄ちゃんだからなと納得できなくもない。うん」
「僕、というより、ルーシーの姿の僕だから、ね」
兄が口を挟んできて、私を軽い頭痛を覚えた。
うーん、悩ましいほどのシスコン。
そうか、兄にとって女装をするというのは、妹に化ける行為なわけか。
よって、その姿に捧げられる好意は、自分に対するものであるという自覚が今一つないと。
違う! 徹頭徹尾お兄ちゃんに対する好意なんだよ……! 私にそんな絶世の美女振る舞いができるわけないだろ、いい加減にしろ!!
と言っても、きっとこの人はわかってくれないのだろうなぁ。
そう思わずにはいられないほど、あまりにまっすぐで純真な兄のまなざしに、そっと私は口をつぐむ。
まあ、まあ良いよ。もうやっちゃったんだし。どうしょうもない。
もう私がルクレシア・カーライル侯爵令嬢として生きるのはだいぶ難しそうだなという感触はあるけど、最悪ルクレシアは死にましたということにして私はどこか遠い地で庶民として生きたって良いし。
妹のためにと条件の良い人をキープしまくってくれているらしい兄と、キープされてぶんぶん振り回されているだろう人々には申し訳ないけど。非常に申し訳ないけど。最悪そうする。
いやだって、私これを引き継ぐ自信ないもん。お兄ちゃんはルーシーならもっと上手くやれるくらいのつもりらしいけど。無理だよ。
兄は、いつかは男に戻って生きていくつもりのようだし。
……どうすんだろ、これ。やっぱりルクレシアは死にましたかな。
そうそう、今は現状を確認していたんだった。
なんだか嫌な予感がする未来から全力で目をそらし、とりあえず話を進めよう。
「えっと、そう、ジェレミーね。あいつに関しては、ダンスしてちょっと褒めただけで勝手に恋におちたっていうお兄ちゃんの言い分を信じるよ。いよいよ意味が分かんないのは、人より花を愛する地味コンプレックス陰キャ神官のフローランだよ。あの人隣国の人間じゃん。本編開始前に会う機会なんて、あるものだったの?」
なかったはずなんだけど。
問われた兄は、ああ、と軽く頷いて、当たり前のような顔でさらりと答える。
「ゲームのヒロインとかいう子は子爵令嬢なんでしょう? それも、親が積極的に社交界に売り込んだりしていない、確か五人姉妹の四女だっけ? カーライル侯爵家の唯一の令嬢とは、行ける場も人脈もなにもかも違って当然じゃない?」
「それは、そう……! 侯爵令嬢なら王妃の茶会だの他国の要人を招いたパーティだのに呼ばれることが普通にあるけど、子爵令嬢の立場でそんなことはめったにない……! いやでも、原作の悪役令嬢とフローラン、特に面識なさそうだったんだけど……?」
「あの場にいた貴族令嬢の反応を見るに、原作の悪役令嬢とやらは、彼のことを歯牙にもかけないどころか視界に入れてすらいなかったのかもね。ジェレミー殿下がルクレシア・カーライル侯爵令嬢のことを気にかけていなければ、あのお茶会に呼ばれなかった可能性もあるけど」
一部納得できずに首を捻った私に、兄は苦笑いとともにそう返した。
なるほど。たぶん前者だな。原作ルクレシア、そんな人いたっけくらいのこと言いそう。
だから面識が無いことになっていたのか。
原作では、フローランの方はルクレシアのことを自分を無視した女と覚えていたってこともありそう。
「そこをお兄ちゃんは、候補者に選ばれていない地味な神官の段階から認めて褒めてあげたんだもんね。そりゃ惚れられるわ。惚れちゃうよ。それで、フローランはこの半年ずっとお兄ちゃんの尻追っかけてうちの国の社交界に入り浸って、【紅薔薇】とかいう二つ名を広めていたんだね……」
「確かにこの半年色んなところでお会いしたし、その呼び名をこの国に広めたのは彼だけど……。神官様は国じゃなくて神殿の所属だから、国境はそこまで関係ないようなことをおっしゃっていたよ……?」
ようやく納得のいった私の言葉に、兄は首を傾げた。
今一つわかっていないらしい兄をフッと鼻で笑って、私は教えてやる。
「ないない。ゲームだと、あの人そんなに俗世と関わってなかったもん。人より花を愛する地味コンプレックス陰キャ神官よ? 迎賓館の薔薇園はそんな時でもなければ立ち入れないから、無理してその茶会に参加していたんでしょ。本来華やかな場なんて慣れてない人なんだって」
だから、ゲームではフローランはヒロインとも悪役令嬢とも今日の壮行会が初対面だったし、私もフローランがそんなに早々におとされてるなんてと驚きに驚いたわけで。
フローラン、侯爵家に馴染めなかった地味な自分にコンプレックスある系男子だもん。
ゲームだと、候補者に選ばれるまでは自分のことを背景かなにかのように扱っていた周囲が、選ばれた途端にガラリと態度を変えたことに不信感を抱いていたし。
それで、急に立場が子爵家四女から国どころか世界的に最上位の身分である聖女になって戸惑うヒロインにシンパシーを感じて惹かれていくわけでさ。
私の説明を聞いても今一つピンと来ていない様子の兄に、ため息が出る。
なんという無自覚魔性か。
フローラン、侯爵家の暮らしを捨てて神殿に入る程貴族社会が苦手なのだろうに、積極的にあちこちのそれも異国の舞踏会だのお茶会だのに参加するなんて。
どれほどうちのお兄ちゃんに惚れこんでいるのやら。
これまで彼の心を癒してきたのだろうどんな花よりも美しい花=我が兄なのだろうなぁ……。
かわいそう。
当の本人、まったく興味ないどころか、妹のためにキープしといてあげようってだけのつもりらしいのに。脈がないどころの話じゃない。とてもかわいそう。
「……なんか、この先を聞くのがこわいんだけどさぁ。あと三人、いるよね。奴らもうちの国の人間じゃないのに、なんかすっかりお兄ちゃんの虜だった、よね……。本当に、どういうことなの……?」
おそるおそる、そーっと兄に訊いてみたら、兄はふわふわと微笑みながら、どうとも思ってなさそうなあっさり加減でさらりと言う。
「ああ、ルーシーが攻略対象者と呼んでいた彼らね。確かにあとの三人とも、交流があるよ。まあ、ルクレシア・カーライル侯爵令嬢だから会えた、ということさ。やっぱり、子爵令嬢とは違うもの」
「それだけであんなメロメロになってるわけないんだよなー。本当に聞くのが怖い。怖いけど聞かないわけにはいかない。わかった。まず、三人と出会ったきっかけを聞かせてくれる?」
我ながら死んだ目で兄に説明を請うと、兄は私のその様にちょっと戸惑いつつもこくりと頷いた。
「わ、わかった。ええと、ジェレミー殿下がルクレシア・カーライル侯爵令嬢に婚約を持ちかけた件は話したよね? それから、彼からいくつかの夜会に誘われたりしたんだ。で、夏に、神聖帝国であちらの皇帝陛下の弟君、ハリーファ・アール・サーイグ殿下の誕生祝いがあって……」
「え、お兄ちゃん、神聖帝国まで行ったの? ジェレミー殿下のパートナーとして?」
なにそれ。絶対そんなの原作ではなかったはずなんだけど。
ハリーファと悪役令嬢だって面識なさそうだったもん。
あまりに聞き捨てならなくて、兄の説明を途中で遮って尋ねた私に、兄はぽやーっとした表情で小首を傾げる。
「うーん、パートナーというか、うちの国の代表団の一人としてかな。若手を中心にデビュタント済みの高位貴族家の人間がけっこうな人数で行ったんだ。確かにあちらでの夜会でジェレミー殿下のエスコートを受けたけど、婚約者として紹介されはしなかったよ」
「そんなのほぼ婚約者扱いじゃん。もうそれは、裏で婚約話が進められていたやつでは……? 正式には結ばれていないし、聖女が誰か判明して白紙に戻っただろうけど。原作のルクレシア、絶対にそんなポジションにいなかったって!」
「そうかもね。でも、ルーシーなら当然だと思う」
なんという曇りなき眼。
私の渾身のツッコミに、兄は当然みたいな顔でそう宣った。
かなりめちゃくちゃなことをやっておきながら、この人は本気で『ルーシーならこのくらいは当然。だからその真似をしている僕もこのくらいまでやっておいただけ』としか思ってないらしい。
こわい。どこか誇らしげな雰囲気すら感じる。とてもこわい。
いや全然当然じゃないよ。
あまりの兄のシスコンぶりに絶句してる私を半ば無視する形で、兄は話を続ける。
「それで、侯爵令嬢だしその場でのジェレミー殿下のパートナーだしということで、ハリーファ殿下と直接お話しする機会があったんだ。そこから彼がこちらを訪ねてくれたりして、ほぼ同時に彼の護衛を勤めているモトキヨさんとも関わるようになったの」
大事件じゃん。
夏から、ハリーファとモトキヨがこの兄と関わっていたなんて。大事件じゃん。
帝国の皇子が、我が国に、おそらくわが兄に会うために、来ていた? 大事件じゃん。
【俺様ブラコン褐色ショタ】と私は個人的に呼んでいる、ハリーファ・アール・サーイグ。
銀髪赤目褐色肌のショタでお兄ちゃん(皇帝)大好きで俺様という、ちょっと属性多めの攻略対象者だ。
問題は、ショタの部分。
御年一一歳。に、なったばかりということ。そう、少年なんですよ彼。
こんな魔性の悪役令嬢(男)と交流させて良かったわけがない。
帝国の皆様、うちの劇薬な兄が申し訳ありません。お宅の大事な皇子様、たぶん性癖(誤用の方)もうぐっちゃぐちゃです。うちの兄が目覚めさせた気がします。
うん、謝って済む問題じゃないな。
少年は、今後普通に恋愛ができるのだろうか……。うちの兄、傾国にも程があるな。
モトキヨは割とどうでも良い。彼は武士である。
私は【ハリーファのためなら死ねる系侍】と呼んでいる。
大和の国という、おそらく日本モチーフの東の方の国出身で、袴姿で刀を使って戦う黒髪黒目の青年、一九歳。成人! 自己責任! やったね!
武者修行の途中で強者と評判だった若き皇帝(ハリーファの兄)に挑みかかって返り討ちにあって死にかけ、ハリーファに助けられハリーファを主と仰ぐようになったという設定だった。
モトキヨはもう全然違う言語の国出身ということで、こちらの言葉が上手くしゃべれなかった時期が長く、慣れた頃には無口キャラで定着していたということで、本来ならば無口キャラ。兄にはペラッペラ話しかけていたけど。
おかしいな。この人のテキスト終盤まではほとんど『……』で埋まってるはずなんだけど。終盤はそうではない理由としては、恋におちてしまったからには喋らずにいられないんだとか。そういうことですね。
とはいえ、まあ兄より年上で成人で自己責任なので、完全におちていることはわかるけど特に問題はない。
問題は彼の主、ハリーファである。どう考えてもダメだよな。お兄ちゃん、あの子どうやって魅了したんだろ。続きを聞くのが怖いよぉ。
あ、その前に、攻略対象者はもう一人いたな。そっちの話を軽く聞いておこう。
「えっと、【知的好奇心のままに旅するエルフ】なリンランディア様とは、どうやって出会ったの? あの人は、世界中を流浪しているはずでしょう?」
そんな質問をされた兄は、むうと不服そうに唇を尖らせて(無駄にかわいいな、兄よ)ぽつぽつと答えてくれる。
「ああ……、あの方ね、最初すっごく失礼だったんだよ。ある日いきなり『魅了の魔法でも使っているんですか? あるいは魔眼持ち?』とかわけのわからないこと言って、僕の所を尋ねてきたんだ」
聞かなきゃ良かった。
そっか。魅了の魔法でも使ってるんじゃないのかってレベルで、ハリーファ含む攻略対象者達が骨抜きのメロメロにされていて、おそらく社交界でも他の被害者が数多いたのね。あからさまにおかしいレベルでね。そっかそっか。
……なにやってくれちゃってるのさ、お兄ちゃん!!
リンランディアは智の探究者を自称し、その知的好奇心の赴くままに世界中を旅しているエルフだ。御年は五〇〇を超えた辺りから数えていないとかなんとか。
見た目は人間にすると二〇歳前後くらいの黄緑の髪、エメラルドグリーンの瞳の美青年。
そんな彼は魔法に精通していて、各国の上層部も一目置いており賢者などと呼ばれることもあるらしい。
それに睨まれるなんて、兄よ、どんなレベルで周囲を魅了してまわったんだ。
「結局、誤解だとはわかってくれたんだけどね。なんでか、そのままうちの国に今日まで居着いちゃったみたい」
ミイラ取りがミイラじゃん。
お兄ちゃんの魅力になにか秘密があるに違いないと探りに来て、普通にお兄ちゃんの実力だったがために普通に自分もおとされてしまって、お兄ちゃんの傍から離れられなくなったんだね、リンランディア。
なにやってんだ賢者。マヌケが過ぎるぞ。
いや、魅了の魔法ではと疑ってかかってきた賢者すらもおとした、わが兄が恐ろしいのか。
果たして、それだけの美貌と魅力を持つ悪役令嬢(男)に(おそらく)初恋を強奪されたハリーファ少年は、今後普通に生きていけるのだろうか。
無理だよ。無理じゃん。
聞きたくない。すごく聞きたくないよ、ハリーファとお兄ちゃんのファーストインプレッション。
でも、聞かなきゃ……!
今後のこともあるし、なんか、私の責任っぽいから……! お兄ちゃん、私のためにそこまでやったらしいから……!
決死の思いで覚悟を固め、私は兄に、ハリーファとの初対面について話してもらうことにした。
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