第3話
続いての被害者は、フローラン・デュボワ。
隣国の青年神官、二二歳。
腰まで伸ばした亜麻色の髪と、銀縁の眼鏡で覆われた涼やかなグレーの瞳。
穏やかで物静かな見た目の印象の彼は、美しい顔立ちこそしているものの、神官という立場もあり、神託により聖守護騎士候補に選ばれるまではそれほど目立つ人物ではなかった。
しかし、ルクスは彼が聖守護騎士候補に選ばれると知っている。
故に、神官としての評判や人柄を調べて『まあ真面目そうだし
先の王太后、現在の国王の祖母は、元は隣国の王女であった。
彼女が晩年を過ごした離宮は現在は迎賓館として活用されており、その先の王太后のために整えられた隣国式の庭園は、格別に美しい薔薇の園である。
その評判は隣国までも届く程で、薔薇を愛する者であれば一度は訪れてみたいと願うとか。
高位貴族の令嬢であり今や王太子の婚約者候補筆頭となったルクレシア・カーライル侯爵令嬢は、ある日この庭園で行われた王妃主催の茶会に招かれていた。
如何な大輪の薔薇も彼女と目を合わせてしまえば俯かずにはいられないだろう圧倒的なまでの美貌と、どんな香り高い薔薇よりも香しい倒錯的なまでの色香。
露出の少ない清楚な昼の装いであっても隠し切れない彼女の風格は、きっとかつての王女も到底敵わないだろうほど絶対的な、正に薔薇の姫君のそれであった。
と、フローランは後に語った。
王妃主催の茶会。
常ならば、それに招かれるのは自国の貴族夫人や令嬢がほとんど。
しかし、今日の趣向は隣国出身の先の王太后が愛した春薔薇を楽しむというものであったため、隣国から招かれた者もいる。
神官は俗世と関わることを控えるものだが、この薔薇園のかつての主であった先の王太后と血縁があり、またこよなく薔薇を愛しているフローランは、デュボワ侯爵夫人である母のエスコート役としてこの場に紛れ込んでいた。
神官は、清貧を良しとする。
フローランはデュボワの名を名乗ってはいるが、家は兄が継ぐと決まっている。
神官は結婚ができないわけではないが、彼と結婚しても得られる物はそう多くない。
よって、女性の多い華やかな場であっても彼に近寄る貴族令嬢はほとんどおらず、たまに信心深い高齢の貴族夫人が話しかけてくるくらいであった。
「まあ、デュボワ神官様の通った後は、花が一段輝きを増しておりますのね」
だから、くすくすと上品に笑みながらルクスが話しかけてきたとき、フローランは最初、自分に話しかけられているとは理解していなかった。
誰と話すでもない暇も手伝っての手慰みに、得意の回復魔法をこっそりかけて元気にさせていたどの薔薇よりも美しい【少女】に、ただただ彼は見惚れることしかできない。
「突然に不躾に失礼いたしました。私、カーライル侯爵家長女、ルクレシアと申します。美しい花を辿って歩いていたら、息をするように奇跡の行使をなさっている神官様がおりましたので、思わず声をかけてしまいましたわ」
見惚れる程に美しいカーテシーとともに、丁寧に告げられた挨拶。
それがようやく頭に入って来た頃、フローランはようやくハッと気を取り直して、慌てて礼を返す。
「ああ、その、本日はデュボワ侯爵家次男として参加させていただいている、フローラン・デュボワ、です。普段は神官をしていて俗世を離れて長く、貴族らしい礼節を失念しておるやもしれず、これ程美しいご令嬢に声をかけていただいたのに気の利いた誉め言葉すらすっかり出なくなっており、今大変焦っております……」
「まあ! そうおっしゃっていただけて光栄ですわ。貴族男性の変に持って回った表現よりも、その率直なお言葉こそ本心が伝わってくるような心地がいたしますもの」
心底嬉しそうに美しく笑ったルクスに、フローランは感激していた。
地味な神官である自分に、この会場の誰よりも美しい侯爵令嬢が、丁寧な礼節を持って声をかけてくれ、楽し気に笑ってまでくれている。
当のルクスの内心は『そうだろうそうだろう美しかろう我が妹は! 枯れた神官すらも美辞麗句を尽くしたくなるほど愛らしい、さすがはルーシー!』くらいのものだったが、ルクスが愉快な気分になっているのは確かであり、それを読み取ったフローランは、うっかり感激してしまっていた。
「薔薇がお好きなんですね」
笑いを治めたルクスが柔らかく声をかけると、フローランは気まずげに背中を丸めながら、ぼそぼそと答える。
「あっ。……ええ、お恥ずかしいですが。男らしくない、女々しい、と兄にはよく笑われました。仮にも侯爵家の人間が庭師の真似事などと父に怒られてもいたのですが、どうしても心惹かれてしまって……」
「あら、恥ずかしいことなど少しもないと思いますわ」
ルクスは当然のようにさらりと言ったが、侯爵家に生まれ、けれどその生活が性に合わず神殿に逃げたフローランは、卑屈な苦笑いを浮かべるばかりだ。
男らしさとは対極の自身のドレス姿をしばし見下ろしながら思案気な表情を見せ、そこで何か閃いた様子で、ルクスはくるりとその場で回りながら言う。
「ねえ、これを見てくださいませ」
「ああ、ご令嬢の本日のドレスは、ガリカローズの雰囲気がありますね。……実に愛らしく、美しいです」
幾重にも重なった薄く軽やかなフリルがふわりと広がり、それに見惚れたフローランはため息交じりにそう述べた。
それを聞いたルクスは、わが意を得たりとばかりに嬉しそうに笑う。
「ほら! 薔薇を愛する感性を持つデュボワ様なら、きっと理解してくれると思ってましたわ」
ルクスが言った意味が分からなかったフローランは首を傾げたが、そんな彼に一歩歩み寄って、ルクスは乙女の秘密を明かすように囁く。
「私どもとしては、あれこれ考えて着飾っておりますのよ。今日の集まりの趣旨に添うのは、自分の身分立場にふさわしいのは、他の人々や場との調和はと、それはもうあれこれと。それなのに、父も兄も、私のドレスなど、赤いの青いの黄色いのくらいしか、違いをわかってくれませんの」
「ああ……。まあ、そうでしょうね。母もよく、『あのドレスとこのドレスは全然違う!』と父に怒っております。昼と夜のドレスで形が全然違っているのに、似たような色の布を使っているからと自分が贈った物と間違えたりして……」
残念そうなルクスにその暗い表情をさせ続けてはいたくなかったのもあり、フローランは早口に同意した。
パッと明るい表情に変わり、ルクスは頷く。
「そう、そうなんですのよ! その点、薔薇を愛する繊細で豊かな感性と、花のために奇跡の行使を行うような優しさを持つデュボワ様は違いますわ。私はそういう殿方の方が、雑で荒っぽい男性よりよほどステキだと思います」
「い、いえ、そんな……。自分は、ドレスの違いがわかっても、どれがどれかわからなくなるほど幾枚ものドレスを贈れるような身ではありませんから……」
かあ、と顔を赤くして、フローランはルクスの称賛を否定した。
今のままでは確かにそうだ。だから彼には、寄ってきている女はルクスの他に誰もいない。
しかし、彼の立場はこれからがらりと変わると決まっている。そう、ルクスは知っている。
聖守護騎士ともなれば、いいや候補の段階で、既に女神より認められた存在。しかも元々優秀な神官で、生まれも良い。
いずれこの男は、間違いなく神殿で最も偉い男となる。トップに立たないわけがない。
そうなれば、勢など求めなくとも勝手に信者や下の者から集められ捧げられるだろう。
そう知っているからこそこうして近づいたのだが、これは妹がルクスにだけ教えてくれた、秘密の話。
けれど、いずれそうなると知っている男を、この場で卑屈なままいさせるわけにはいかない。
だからルクスは微笑んで、柔らかに返す。
「ドレスも良い事ばかりではありませんわ。美しいですけれど、やはりあちこち締めたり固定したりとかなり無理をするものですから」
「……確かに、たまにコルセットの締め過ぎで失神した女性が、神殿に運び込まれることはありますね。長年のそれで、内臓を痛めている方も……」
フローランは納得したようにそう言った。
まだ年若いこともあり元々かなり華奢なルクスはそこまできつくコルセットを締め上げていはいないが、多少の補正は行っており、窮屈な思いをしている。
「そうでしょうね。私もコルセットはどうにも苦手で……。……父さえ許せば、ドレスなんて脱ぎ捨てて神殿に入って穏やかに生きる生活に、実は憧れているのです」
ルクスは儚げな笑みを浮かべ風にかき消されてしまいそうなほど小さな囁き声でそっと告げ、口元に人差し指をたてて「ナイショですよ?」と付け加えた。
それはもう単純に悪魔崇拝者の父とどうにか距離を取り、ドレスというかコルセットというかそもそもの女装をやめたいなあ! そのためなら神殿に入ったって良い! と、そんな本音を漏らしたものだったのだが、フローランは別の意味に捕らえた。
具体的には、『神殿に入ってあなたとともに穏やかに生きたい』と。
逆プロポーズとまで思い込んだフローランの脳内では、この瞬間、祝福の鐘がリンゴンリンゴンと高らかに鳴り響いていたとか。
ルクレシア・カーライル侯爵令嬢は、侯爵家のご令嬢である。
その美貌その血筋が、彼女に地味に静かに暮らすことなど許さない。
いかにも華やかなその人が、実はそれに苦しんでいるのだとしたら?
それを、自分にだけ明かしてくれたのだとしたら?
そして本当は、地味な自分と地味に静かに暮らすことを望んでいるのだとしたら?
いずれ政略結婚の道具にされるかもしれないことに対する恐怖を抱えているのかもしれないと思わずにいられない程、男性との距離を、特に肉体的接触を頑なに警戒している清楚な淑女。
王妃が開いた華やかな茶会で、王妃に媚びを売るでも魅力的な異性に声をかけるでもなく花を愛で、そしてフローランと出会った。
そのまま花を愛でる変わり者の神官なんぞに声をかけ、そして静かな生活への希望を零した彼女の深紅の瞳は、朝露に輝く紅薔薇のように濡れていた。
これらの事実を並べて考えれば考えるほど、フローランはそうとしか思えなくなっていった。
そうして、哀れ、ルーシーに【人より花を愛する地味コンプレックス陰キャ神官】と呼ばれるフローランは、今日この日この時から、カーライル侯爵家の紅薔薇の信奉者となった。ならずにはいられなかった。
紅薔薇に魅せられ、いつか自分が彼女を救うのだという使命感を抱いてしまったから。
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