第2話

「お兄ちゃん、なにやってくれちゃってんのさー!!」


 聖女様による聖なる救世の旅、その壮行会の夜会が終わった後。

 カーライル侯爵家の屋敷、兄の私室で。

 私は兄を問い詰めていた。

 母の実家から連れて来た兄の身の回りの世話を行う侍女、という設定になっている、二体の【人形】のうち一体のボディを借りて。


「ルーシー、どうしてそんなに怒ってるの? 彼らとは敵対しない方が良いと言っていたのはルーシーなのに」


 きょとん、と。

 心底何が悪いのかわかっていない様子で首を傾げた兄に、がくりと毒気と力が抜ける。


「怒っ……てるわけじゃないんだよ。これはそう、魂の叫びというか、熱いツッコミというかで、怒ってるんじゃなくて混乱のあまり叫ばずにいられなかっただけなの」

「そう? よかったぁ」


 私の説明を聞いた兄は、どこまでもおっとりほわほわと、ほっとした様子で微笑んだ。


 くっそかわいいな!

 夜会会場ではあんなに圧倒的絶対的美女オーラを出していたのに、オフではこんなにかわいいなんて、我が兄ながらズル過ぎる。

 いやでも、いくらこの兄でもさ。こんなにかわいい顔は私にしか見せてくれていないはずなわけで。

 どうやって攻略対象者たちを全員骨抜きにしたのか、心底意味がわからない。


「えっと、確かに敵対しない方が良いとは、言ったけどさ。いやでも、全員骨抜きにしろとは言ってないよね? というか、なんでそれができたの? 心底意味がわからなくてさっき叫んじゃったわけよ。なにをどうしたの……?」


「ルクレシア・カーライル侯爵令嬢なら、あのくらいが当然でしょう? 僕なんかじゃルーシーのかわいさを演じきれないかなって不安はあったけど、僕らは双子だものね。あの人たちにも、僕を通してルーシーのすばらしさが伝わったみたい!」


 私の問いかけに、兄は心底嬉しそうに、どこか誇らしげにそう答えよった。


 お兄ちゃんや、原作のルクレシア・カーライル侯爵令嬢にはそんなことはできていなかったし、もちろん私にも無理なんだよ。

 伝わったのは純粋にあなたの魅力だよ。

 っていうか、なあにこのシスコンっぷり。この人、本当に本気でルーシーなら社交界の人全員骨抜きにしたって当然って思ってるっぽいんだけど……。


「え、ええ……。待って待って意味がわかんない。ちょっと、ちょっと最初っから説明して? この半年間、どう思ってなにがあって何をどうしてあの状態なのか、最初から丁寧にこの愚妹に語ってくれませんかね」


 困惑を露わにして懇願した私に、きょとんと小首を傾げつつも、どこまでも妹に甘い兄は、私の要望通りにこの半年のことを語っていく。



 ――――



 社交界において、ルクレシア・カーライル侯爵令嬢を演じている兄、ルクレシアス。

 二人の事情を知る母など極一部の人間は、彼をルクスと、妹をルーシーと呼ぶ。

 そんなルクスには、妹と違い前世の記憶などはない。

 純真無垢な、貴族令嬢として育てられたご令息である。特殊な育ちをしたせいもあり、どこか天然な部分がある。


 そんなルクスが悪役令嬢役を妹の代わりに勤めることとなり、彼は考えた。

 悪役令嬢がどんなものかはさっぱりわからぬが、かわいいかわいいかわいい妹を演じる以上、手抜かりがあってはいけないと。


 そう、ルクスは、大層なシスコンであった。


 かわいいルーシーであれば、全ての男を惚れさせてひれ伏せさせて当然。

 とってもかわいいルーシーを演じている以上、そこらの女に魅力で負けるわけにはいかない。

 とってもとってもかわいいルーシーのかわいさは、美しさは、魅力は、こんなものじゃあない。


 そうどこまでも真剣に考えたルクスは、至って真面目に、ルクレシア・カーライル侯爵令嬢ならば社交界でこのくらいの評価をされていて当然と思うだけの立ち位置を目指しただけなのだ。


 ルーシーは世界で一等美しくて価値があって、誰もかれもがルーシーに心酔して当然。むしろ、本物の彼女ならば、もっと高みにいるはず。

 だって、本物の彼女は、自分よりもっと美しくてかわいらしいのだから。

 本気で、一点の曇りも疑問もなく、そのくらいの心づもりで、彼は妹を演じているのである。

 技術と努力で少しでも本物のルーシーとのギャップを埋めるつもりで、ルクスは絶世の美女としてのふるまいを全力で行っているのである。


 そう、ルクスは、とびきりのシスコンであった。


 そんな謎の自信と誇りを持ち、しかも妹ルーシーから攻略対象者たちの情報を得ていた彼にとって、攻略対象者たちを骨抜きにするなんてのは、当たり前のこと。

 妹の語っていた【推し】なる概念も妹が自称していた【壁になりたいカプ厨】なる用語もさっぱりわかっていなかったが、まあなんかとにかく攻略対象者たちこいつらのことを気に入っているのだろうという雑な理解で彼らに近づいていった。

 その上で、ま、このくらいのスペックであれば妹に侍ることを許してやっても良いかなんて傲慢な兄の気持ちで、彼らを端から堕としていったのである。

 乙女ゲームの攻略対象者なんていう、その世界においてずば抜けてハイスペックな男子たちに対して、これ。


 そう、ルクスは、常識はずれのシスコンであった。


 また、彼のこの謎に上からの冷静さが、攻略対象者たちには非常に新鮮なものであったらしい。

 ハイスペックイケメンなんてものは、生まれたときから誰もかれもに見惚れられあらゆる場面できゃーきゃー言われながら生きてきているのである。それに若干うんざりしている者もいる。

 そこに現れた、圧倒的余裕を持つ、蠱惑的な美女。

 女装こそしているもののルクスは男になんぞ興味はなく、しかしルーシーならばルーシーのためにと、彼らをただ美しく誘惑するわけで。

 美貌と誇りと自信を兼ね備え、こちらのことをよく理解してくれており、けれどそれに惹かれどれほど迫っても他と違い頬を赤らめることも胸をときめかせる様子もなくただ涼し気に美しく微笑み、抱擁すら(女装がバレると困るので)するりと躱す。正に高嶺の花。


 そう、ルクスは、いわゆるおもしれー女(男)であった。


 これまで自分の手が届かないと思わされることなどなかっただろうハイスペックイケメンたちにこそ、これはもう響いた。とんでもなく響いた。

 そうして誰も彼もがルクスに夢中になった、というわけだ。


 まず最初の犠牲者は、ルーシーが【チュートリアルちょろ王子】呼ばわりしてルクスにその詳細を教えた、カーライル侯爵家が属する国の、王太子。

 ジェレミー・アークライト。

 金髪碧眼、いかにも王子らしいその容姿。一六歳になったばかりの彼はどこか幼い部分があるが、旅を通して段々と成長していく。

 チュートリアルちょろ王子の呼び名の通り、ジェレミーは大変ちょろい。特になんの努力もしなければ自動でこの男のルートに入る程度には。


 というのも、デビュタントのファーストダンスでは、王族、それも今の時期は王太子によるリードを受けられる。

 また、ルーシー、ルクス、ついでに聖女ヒロインとジェレミーは、多少誕生日こそ前後しているものの、だいたい同じ年である。

 そのため、ジェレミーに関しては聖女もルクレシア・カーライル侯爵令嬢も、元々最初のイベントよりも前からがある予定であった。


 その縁と、大変素直でひねくれたところのない性格、同じ国に属する者同士ということもあり彼と結ばれるにあたっては特に障害らしい障害もないこと等により、一週目は普通ならまずジェレミーのルートに入る。

 これがチュートリアルちょろ王子と呼ばれる所以である。


 ただでさえちょろい王子、絶世の美貌の侯爵令嬢(おもしれー女)(男)、ルーシーのゲーム知識による入れ知恵。

 これらが合わさるともう、多少の交流で済むわけがなく。


 ある夜の王城の煌びやかなダンスホール、デビュタントのファーストダンス。

 本来ならば憧れの王子様とのダンスに、純粋な少女たちがのぼせあがるはずのその時間。


「……君は、なんて美しいんだろう」


 ジェレミーこそが、(女装だとバレないように)決して過剰に体を密着させることなくどこまでも品よく、指先つま先ふわりと揺れる髪の一本一本にまで神経を通し制御しているのではないかと思わせるほど華麗に凛と美しく踊るルクスにのぼせあがることになっていた。


 ジェレミーが感嘆の言葉と熱い吐息を漏らしても、焦がれに焦がれた熱視線で見つめても。

 ルーシーが美しいなんてのは太陽は輝いている程度の自明の理と本気で思っている無敵のシスコンルクスは、少しも照れることなく『そうでしょう?』とばかりに自慢げに満足げに微笑む。

 その上で、こう言うのだ。


「王太子殿下の手は、剣を握る方の手ですわね。リードの安定感一つとっても、あなた様がどれほどの努力をされてきたかが伝わってきます。殿下は、立場にも容姿にも才能にもおごらず、その上に努力を重ねられる方なのでしょう。尊敬いたしますわ」

「結婚して」

「……は?」


『立場や容姿や才能ではなく、努力を褒めるとジェレミーの好感度は面白いくらいに上がる』

 これは彼をチュートリアルちょろ王子呼ばわりしたルーシーが、『ジェレミーの攻略はね、めっちゃ楽。もうこれだけ覚えとけばベストエンドまでいける』との言葉とともにルクスに教え込んだことであった。


 しかし、妹のためにちょーっとこいつの好感度上げておこうかなくらいの軽い気持ちで放ったたったこれだけの褒め言葉に、真顔でのプロポーズが飛んできて、さすがのルクスも呆けてしまった。


 しかしすぐに『まあでも、ルーシーの魅力ならこのくらい当然だよな。王太子も求婚せずにいられない。さすがルーシー。でも、ここで勝手に婚約を決めてしまうと、ルーシーがこいつじゃ嫌だって言ったら困るよなぁ。攻略対象者とやら、他にもいるし』と思いなおしたルクスは、これを躱すことに決める。


「ルクレシア・カーライル侯爵令嬢、僕と結婚して欲しい」

「まあ、光栄ですわ。けれど、近い内に聖女様が現れるだろう状況で、王太子殿下ともあろう方が、そんなことをおっしゃってはいけません。殿下ほど素晴らしい方であれば、きっと聖守護騎士になれますもの」

 改めてはっきりと告げたジェレミーに、ルクスはどこまでも涼しく微笑んでそう返した。


 ところが。

「聖女って、きっと君の事だと思う。こんなに美しい人は他にいないもの。ねえ、僕は君の聖守護騎士になりたいな。僕を君のパートナーに選んでよ」

 うっとりと、熱のこもった声音と視線で、どこまでも本気の様子でジェレミーはそう言った。


 違う。聖女は身分順のためこの七人ぐらい後に出てくる子爵令嬢アンジェラ・コーリンである。

 ルーシーは天使かというくらいかわいい(とルクスは思っている)けれど、彼女の役割は本来悪役令嬢なんだそうで、ルクスはそれを代行している兄なのである。

 悪役令嬢代行(男)。どうあがいても聖女ではない。


 そんなこと言うわけにはいかない。

 言っても信じてもらえないだろう。


 内心若干焦りつつも、しかし聖女がアンジェラであることは早晩明らかになると知っているルクスは、その焦りを実に綺麗に隠してふわりと微笑む。


「聖女様がどなたになるかは私にはわかりませんが……、個人的には、殿下こそが、聖守護騎士にふさわしい方だと思っております」


『私が聖女になったら、あなたをパートナーに選びますね』

 そうともとれる言葉と、ルクスの実に美しい微笑み。


 それらによりズガンと心のど真ん中を撃ち抜かれたジェレミーは、ルクスとのダンスを夢見心地で終え、放心したままその後の一人二人……、七人後くらいの誰かヒロインも誰も彼も印象には残らないまま、この日の夜会を終えたのであった。



 ――――――――――――――――――――


 連載始めてみました。

 ハーメルン先行で連載していきます。

 あちらでは誤字報告も感想も受け付けているので、なにかあったらあちらでよろしくお願いします。

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