兄に悪役令嬢をやらせたら、とんだ傾国の美女(男)になりまして

恵ノ島すず

兄に悪役令嬢をやらせたら、とんだ傾国の美女(男)になりまして

「カーライル侯爵家の紅薔薇様のお越しだ」

「ふん、聖女様より目立とうとするなんて卑しいこと」

「ああ、相変わらず、なんてお美しい……」

「あの方がいらしただけで、場がぱっと華やぎましたわね」

「幾人に色目を使うのかしら」

「同じ女の身でも見惚れずにいられない。憧れてしまいますわ……」


 羨望、嫉妬、憧憬、感嘆。

 様々な感情と視線が、その黄金の髪と真紅の瞳を持つ【少女】が会場に入った瞬間、一点に殺到した。


 別段、派手な装いをしているわけではない。

 肌の露出は最小限。背中はレースで透けてはいるが、首元まで隠したドレスは、清楚そのものの印象。

 髪型もただのゆるく巻いたハーフアップで、髪飾りも他の装飾品も、貴族令嬢としては控えめなほど。


 それでも、会場中の視線を集めずにはいられない、圧倒的な美。


 神が神経を尖らせて制作した芸術と言われれば信じてしまいたくなる、涼やかな美貌。

 ピンと伸びた背筋、たおやかな手足、胸こそ控えめなものの、その分心配になるほどに細い腰。全体としてすらりとした印象の華奢な肢体は、触れてはならないと強く感じさせる神聖さと、己の腕に閉じ込めてしまいたくなるような可憐さを、危険なバランスで内包していた。

 なによりその優美で洗練されているのにふしぎと匂い立つような色気を感じさせる所作と表情が、どうにも人目を惹きつける。


 その視線だけ、その微笑みだけで、幾人もの男を魅了し翻弄し、あまつさえ翻弄されることに幸福を感じさせる程の傾国の美女。


 それが、カーライル侯爵家の紅薔薇。

 ルクレシア・カーライル侯爵令嬢と呼ばれる【少女】だった。


「いや違うでしょ! ルクレシアは確かに悪役令嬢だけどさぁ! こんな悪女的なやつじゃなくて……。えっ、お兄ちゃんなにやってんの!? なにやっちゃってんのぉ!?」

 その様を、遠く離れた地から見て頭を抱えながらそう叫んだ魔法使い、それが私。


 本名ルクレシア・カーライル。

 現在ルクレシアを演じている【少女】もとい【少女にしか見えない少年】ルクレシアスの、双子の妹その人だった。



 ――――



「あれ。ってことは、私、悪役令嬢ルクレシア・カーライルじゃん」


 その事実に気が付いたのは、3歳の頃。

 ゲームのシナリオではとっくに死んでいるはずの双子の兄に対して、『あれ。ルクレシアス生きてるじゃん』と考えた瞬間だった。


 タイトルは思い出せないが、前世好んでやっていた乙女ゲームがあった。

 舞台は近世ヨーロッパ風の国スタート、魔法が存在する世界。

 星と太陽の巡りによってその世界を護る女神様の力が弱ってしまっている中、女神様の代理人である聖女が各地を巡り、女神様の力が弱ってしまったことにより起きた様々な問題を解決していく。

 主人公は当然、神託により選ばれた聖女の女の子。

 一応は子爵家の令嬢であったが五人姉妹の四番目というあまり注目されないポジションで、さほど堅苦しくなく育てられたという設定だった。

 前述の救世の旅路には各国からこちらも神託で選ばれた選りすぐりの攻略対象者ハイスペックイケメンたちが同行し、彼らと親しくなって、やがてその中から一人、ともに世界の平和を護り支えていく聖女のパートナー、聖守護騎士を選ぶ。

 そして、二人の愛の力と仲間たちの協力で女神様の敵である悪魔と悪魔崇拝者たちを打ち倒し、女神様への人々の信仰を取り戻し、世界を平和にする。そういったストーリーだった。


 問題は、その中で登場する、私がその座に転生してしまった悪役令嬢ルクレシア・カーライルだ。

 いやまあ、悪役令嬢っていうか、正しくは悪魔崇拝に傾倒している悪役一家のご令嬢なんだけど。

 特に王子と婚約はしてないし、彼らの不貞を棚上げにしてのいじめごときで婚約破棄だ! ついでに処刑か国外追放だ! の予定もない。学園ものでもない。


 けれどもまあ、破滅はする。


 というのも、カーライル侯爵家は、悪魔崇拝に傾倒している悪役一家なのである。

 悪魔の力を借りて国をひっくり返して天下をとろうという野心を持った。

 まあたぶん、女神様の力が弱まり、世が荒れ、女神様への信仰が薄れたせいで元気づいた悪魔の誘惑に、負けちゃったとかじゃないのかな。


 それでまあ、そんな家に生まれた私の生育歴も、本来は悪魔に魅入られてしまうくらいに、ひどいものだった。

 なんでも、この世界の大多数が信じる女神教では全然そんなことないのに、悪魔教においては双子というのは忌避される存在らしいのだ。悪魔教の教義によれば、どちらか一人はすぐに死なせ、双子ではなくしなければならないとか。

 なんでだろ。逆に双子には女神様の加護が与えられたりするのかな。

 異世界からの転生者である私ってなんか特別な存在な気がするし、双子には悪魔が厭う特別な力を持った存在が現れやすかったりするのだろうか。双子の神秘。


 悪魔教のことなんてわかりたくもないのでそこは一旦スルーするが、とにかく、悪魔崇拝に傾倒している父としては、我が子が双子なんて許せるものではなく、生まれて早々、双子の兄ルクレシアスは悪魔への生贄にされて死ぬはずだった。

 そして、それほど悪魔崇拝に傾倒していなかった母は、産んだばかりの我が子を取り上げられ殺されたことにより病み、病んだところを悪魔に取りつかれてしまう、はずだったのだけれども。


 最初から前世一九歳女子大生の記憶と精神を持って生まれた私が、もう全然泣かないしとんでもなく大人しい上にきちんと親に協力できる非常に異常に良い子だったがために。

『赤子は一人。兄は死産だった。妹一人だけが無事に生まれたのである』という無茶な偽装工作がまさかの成功。

 兄も母もついでに私もなにごともなく、まあ平和にしあわせに暮らせていた。

 たまに王都から領地に帰って来る父らがいる時には、色々気遣うことはあったけどね。でも、母が実家から連れてきた使用人たちの中には、私たちの事情を知って協力してくれている人が幾人かいたし。なんとかなった。


 ちなみに、悪魔崇拝に傾倒している父には私たちの生みの母の前に結婚していた前妻がいて、前妻との間に既に二人これまた悪魔崇拝に傾倒し切った息子がいる。

 そのため、家督争いの火種になりかねない息子より娘の方が見逃してもらえるだろうということで、生き延びたのは娘ということになったらしい。

 前妻、どうしていなくなったんだろうね。悪魔崇拝に染まりつつあった婚家から逃げたとかならまだ良いけど、悪魔に捧げられたりした? それで、息子二人を壊して悪魔の配下に加えた? なんて。ははっ。全然笑えない。


 とにかく、ゲームの正史では、そんな笑えない家に生まれ、生まれて早々双子の兄を亡くし、それにより病んだ母に育てられ、ルクレシア・カーライルは立派な悪役令嬢に育ちあがるのだ。

 まあ当然、ルクレシアは、というか、カーライル侯爵家は全員、聖女様ご一行により陰謀をあばかれ糾弾され、追い詰められたところを悪魔に縋って縋った相手が悪いので各々それなりに悲惨な目にあって全滅する。

 悲惨な目、具体的には悪魔に体を乗っ取られたりね。あるいは、生身で聖女様ご一行と戦闘して負けて悪魔の力でアンデッドになって二回戦でやっぱり負けたりとかね。生きたまま喰われて悪魔の力を増幅させる役回りなんてのもあったなぁ。


 ルクレシアは、悪魔と姦淫に耽り魔女となり、悪魔の子をその身に宿しているパターンだった。ターン経過で小悪魔が沸く上に強力な魔法をバカスカ使ってくる嫌な中ボス。

 まあ当然倒される。そして死ぬ。『お、にい、さま。むかえにきてくださったの……?』とか言って死ぬ。


 これが、私に予定されている破滅エンド。

 嫌すぎる。あまりにも嫌すぎる。

 まず、悪魔と姦淫に耽り魔女となりの時点で無理。

 そこにルクレシアの意志あった? 父親が屋敷に悪魔を手引きしたんじゃないの? とか思ってしまう。

 それで、キラキラ美しく清らかな聖女への妬みもあって魔女化とか。私はこんな目に遭っているのに、同い年のあの子は、と。

 たぶん、いや絶対に、最後のお兄様のお迎えとか、嘘だし。

 だってどう考えても地獄行きのルクレシアに、そんな希望に満ちたステキな迎えが来るわけない。正義側の聖女様御一行が『こいつは殺してでも止めねばならぬ』と決断せざるを得ない程度には暴虐を尽くしていたんだから。

 ただの幻覚なら良いけど、兄だと信じて手を取った相手が悪魔で、魂を悪魔に取られてしまうとかありそう。

 あまりにも嫌すぎる。


 そこで私は、考えた。

 この国では、領地持ちの貴族家の令嬢は、幼少期は領地で育ち、一五歳前後でデビュタントと同時に王都に住み社交を始めるのがスタンダードなのだが、王都には行かないでおこうと。

 父たちとの同居はあまりにも危険。

 出奔して冒険者にでもなり、転生チートかもしれない高い魔法の素質と乙女ゲームの知識を活かして、父たちの企みを潰すために暗躍してやろうと。


 さいわい、私には背格好なんかがびっくりするほど自分そっくりに育った、双子の兄がいる。

 どのくらいそっくりかというと、後ろ姿なら母も見分けがつかない。正面からでも見慣れていなければ間違える。双子と知らなければ今日は少し雰囲気が違う? くらいにしか思わない。らしい。

 私個人的には全然そうは思わないのだけれど、母と私たち一家の事情を知る協力者たちからの評価としては、一律そんな感じだ。

 そんな双子の兄の協力を得られれば、ルクレシアの出奔を悟られることなく、父たちに警戒されずに奴らの裏をかくことができるだろうと。


 だから私は一五歳の誕生日の夜、全てを兄に打ち明けた。

 私の前世のこと、この世界によく似たゲームのこと、あるかもしれない未来、絶対に防ぎたい事件、ある程度の方針目標。


「そんなわけで、お兄ちゃんに悪役令嬢をやってもらって、私はルクレシアスの名前で男として冒険者をしようと思う。女だと危険もあるかもだし、男のルクレシアスが冒険者として地位と財産を築いておけば、いずれお兄ちゃんがルクレシアスとして生きていきやすいだろうから」


「悪役令嬢と、冒険者? ……それは、どちらの方が危険な役目なの?」

 私に願われた兄は、困ったような表情でそう尋ねてきた。


 私のように前世の記憶などなく、生まれながら貴族の、それも令嬢として育てられてきた兄は、そのちょっとした仕草すら上品で美しく、そして妙な色気がある。

 この家には現在主人一家は一人の娘と母しかいないことになっているので、彼が着ているのは当然のようにドレスなのだが、中身が残念なせいかゲームのルクレシアと比べると健康的ながらどこか間抜けな印象に育った私より、よほど似合っていて美しい。


 この美しい人に。そんなのは抜きにしても生まれた時から秘密を共有し二人で一人として生き延びてきた戦友に。愛する兄に。こんなことをお願いするのは本当に申し訳ないのだけれども。

 その問いには、非常に答えづらいのだけれども。でも答えなくては。


 深く頭を下げて、ぼそぼそと答えていく。

「ごめん。正直、悪役令嬢役の方が危ない。今話した通り、父たちは信用ならないし、もちろんそんなことは絶対に防ぐように動くんだけど、万が一にも悪魔の子を身ごもるかもなんて考えたら……、わ、私は、王都の屋敷に行きたくない……。こわい、こわいよ、お兄ちゃん……」


「そっか。ならよかった」

 そんなところに僕には行けというのか。しかも女装までさせて。そう激高したっていいはずなのに。

 兄はどこまでも穏やかに、それどころかほっとしたような笑顔まで浮かべてそう言った。


 あまりの予想外にぽかんとする私の頭をふわりと撫でて、一五年見ているはずなのにちっとも見飽きないどころかまだ見惚れてしまう美しい微笑みで、彼は歌う様に告げる。

「僕はこれでも、一応男だからね。絶対に孕むことはないから。それに、僕が冒険者として自由に動けるようになったって、ルーシー程適切には動けないだろうから。適材適所というものだ。良いよ。かわいい妹のためならやろうじゃないか、悪役令嬢ってやつを」


「本当にごめん……」


「謝らないで。より危険な方を任せてもらえて、よかったよ。僕は君のお兄ちゃんだから。かわいい妹に危険な役なんて任せたくはないもの」

 そう誇らしげに笑った兄の笑顔は、我が兄ながら心臓をわしづかみにされるような心地を覚えるほど、美しいものだったので。


「うう。お兄ちゃん大好きぃ……! ありがとう……!」

 私は謝罪ではなく感謝の言葉を返しながら、ぎゅっと彼に抱き着いた。


「ただ、僕に、悪役なんてうまくできるのかな? とは、ちょっと思うけどね。都には、勘の鋭い人もいるかもしれないし……」

 私をそっと抱きしめ返しながらそんな不安を吐露する彼の、体格はこうして抱き合うと、まだ少年の華奢さではあるものの、確かに少女のそれではない。


 でもまあ。


「いやもういけるいける全然いける。むしろお兄ちゃんの方が私より圧倒的に美人だもん。なんか私にはない変な色気とかあるし。お兄ちゃん程の美女が男だなんて、そんなの誰も思わないって!」


「う、ううーん。僕はルーシーと似たような顔だよ……? ルーシーの方がかわいいし……。まあでも、君が美人といってくれるなら、せいぜい思い切り高嶺の花のふりでもしようかな? 万が一にも、誰かにこうして触れられたりなどすれば、事が露見してしまうだろうから」


 私の無責任な激励に、兄はそんな風に返したのだった。


 ああ、確かに彼はそう言ったさ。そう言っていたさ。

 私も兄ならできると思ったさ。

 これほどの美人が気高く凛と澄ましていたら、そこらの男なんて声もかけられないだろうなと確信してはいたさ。


 でもさあ。

 本編始まってすらいないうちに、攻略対象者全員骨抜きにするまでやるとは思わないじゃん……。


 私の双子の兄に悪役令嬢をやらせてみたら、とんだ傾国の美女(男)になった件。



 ――――



 聖女様による、聖なる救世の旅。

 その壮行会として行われた夜会は、本来聖女様の聖守護騎士に選ばれたいと願う候補者(=攻略対象者)たちが、聖女様の好感度を少しでも稼ぐべく交流に励むのが通常であった。


 ところが、会場中の視線を集めたのは、聖女ではない一人の【少女】。

 ルクレシア・カーライル侯爵令嬢と呼ばれる人。

 デビュタントから今日までの半年で、社交界の注目と愛を一身に集めるようになった存在であった。


 そんなとんでもない存在にルーシーと呼ばれる今は冒険者ルクレシアスとして活躍している私は、悪役令嬢役を果たしている兄と、五感の共有を行ってその場を眺めている。

 血のつながった双子であり、私たちの能力が高く、兄がそれを受け入れていることで初めて可能となっている、高度な魔法。

 その魔法越しに夜会の会場を、遠く離れた地の宿屋の一室で眺めながら、私は目まいを覚えていた。さっき叫んだせいでちょっと酸欠気味なのかも。


 そこまで叫んでもなお足りない思いを、誰に聞かせるでもない独り言として吐き出す。

「いや、美人だ美人だとは思ってたけどさ! 身内の欲目とかじゃなかったんだね! そうだよねーなんかお兄ちゃん危うげな美しさと色気があるよねー! とは、薄々わかってはいたけどさぁ……。え、なにこれこわい。もう会場中の老若男女問わず九割くらいの人が、兄に恋している目をしてない……?」


 残り一割は嫉妬勢だ。憎々しげにこちらを睨めつけている。

 つまり、会場の中に兄の方を見ていない人が誰もいない。なにこの異常事態。

 この人この会の主役の聖女じゃなくて、悪役令嬢なんですけど。

 あ。今兄の視線が向いた嫉妬勢の一人が、ドキリからのとろーんで兄に恋している勢に寝返ったな。

 すごい。ただでさえ嫉妬勢は少ないのにまだ減らすのかよ。それも視線一つで。どこまでやる気だ兄よ。こわ……。


 今日は最初のイベントの日だから、様子を見ておこう。

 といってもヒロインと攻略対象者たちとの出会いイベントみたいなもので、深刻な事件とかは起きなくて各キャラがちょろっとダンスと会話するだけなんだけど。

 でもまあ、聖女が誰ルートにいきそうかなっていうので、多少対処が変わるし。参考までに見ておこう。

 そんな風に気楽に始めたのぞき見が、あまりにも思ってたんと違くて困惑しきりだ。


「いやおかしい。ルクレシアは、この段階ではまだモブ令嬢の1人のはずでしょ。まあよく見ると美人なんだけど、こんな圧倒的じゃなくて。それで、父と並んで意味深な感じに妖しく微笑んで聖女たちを見ている、ってことに、2週目以降なら気づくかもしれない程度の大きさで、スチルの端っこに描かれているだけのはずでしょ……?」

 そんなことを呟いて、頭を抱えずにはいられない。


 あまりに、あまりに思ってたんと違う。


『悪魔崇拝者たちの件が片付いたら、ルーシーにルクレシア・カーライル侯爵令嬢の座は返す。だから今のうちに、できるだけ良い条件の相手をできるだけたくさんキープしておいた方が良いよね! ルクレシア・カーライルの信奉者、一人でも増やしておかないと!』


 お、おおう……。

 五感共有をしていると偶にぼんやりとあちらの心の声が伝わってくることがあるのだが、兄はよほどこの決意を強く思ってくれているのか、かなりはっきりそんな内心が伝わった。


 そ、そっか。そういうつもりだったんだ。

 兄の美貌で、そんなつもりで全力で周りを誑し込みにかかれば、半年でこれくらいになる、ものなのか……?

 兄が男だからこそ、男心がよくわかるというのも強みだろうか。でも女性も魅了しているんだよな……。

 無敵か?


 いや無理だが!!

 私にその絶世の儚げ美女オーラが出せるわけないだろ……!

 私、このルクレシアになれる気がしないがー!?

 元の名前に戻る時には事件のショックで記憶喪失でーとか言い張るつもりだったけど、それでもルクレシアとして認めてもらえる気がしないがー!?


 私、本当に本物のルクレシアなのに!

 兄に絶望的なまでに女子力で負けてる!! あと色気!!


 はっ。絶望している場合じゃないや。今イベントの真っ只中。

 衝撃のあまり切れてしまっていた五感共有を繋ぎなおして、私は再度夜会会場の兄の様子を……は?


「ルクレシア・カーライル嬢、どうか私と一曲踊っていただけませんか?」

「ああ麗しき紅薔薇の姫君よ、どうかこの哀れな男の手をとってください……!」

「こういったところで身分を持ち出すのは無粋とはわかっているけれど、最初は自国の王太子である僕と踊ってくれたら良いんじゃない?」

「国の格の話をするか? なら俺様が最優先だろ、ルクレシア」

「皆さん、そんなにがっついてはルクレシア嬢が困ってしまいますよ。まったく、これだからお子様は嫌ですねぇ?」


 そこには、競うように兄をダンスに誘う、本来は聖女ヒロインにそうしていなければおかしい面々、乙女ゲームの攻略対象者たちが勢ぞろいしていた。そのちょっと後ろには、ぽつんと放置された聖女の姿も。


 攻略対象者、全員完堕ちやんけぇ……!

 無口キャラのはずのこいつがそれだけ饒舌に喋っていたら、人より花を愛するそいつが薔薇に例えてきたら、もう好感度マックスだよカンスト状態だよぉおお!

 というか、全員終盤でしか見せない自然体かつ積極的な状態じゃんよ。これ全員兄に恋してるよ。


 そういや、カーライル侯爵家の紅薔薇とかいう、乙女ゲームではなかったはずのルクレシアの二つ名が生えていたのって、今紅薔薇の姫君っつった攻略対象者の影響っぽいな。

 まさか、二つ名がすっかり社交界に浸透するほど前からこの状態なのか……?


 もうゲームシナリオ、ぐっちゃぐちゃ! ついでに攻略対象者ハイスペックイケメン達の性癖(誤用の方)もぐっちゃぐちゃ! 誰のルートとかもうなくなってるよこれ!

 なんか、ぐっちゃぐちゃ過ぎて、笑えてきた!


「皆さま、お誘いは嬉しゅうございますわ。けれど、今日の主役は聖女様でございますから、それを差し置いて私と、などというのは……」

 兄がそうやんわりと断ったところで、ようやく攻略対象者どもは今日の夜会と明日からの旅の目的と自分たちの使命を思い出した、ようだったのだが。


 ダメだなこれ。

 攻略対象者全員から『正直聖守護騎士に選ばれたくないなぁ……』みたいな雰囲気でちゃってんじゃん。

 使命を思い出して、ハッと聖女の方を見て、ものすごい憂鬱そうな表情をしている。

 先ほどまでの、(兄への)恋に浮かれ切った様子は一切ない。


 もうこれ男は全員、うちの兄狙いだよ。

 いや違う女もかも。

 聖女ヒロインすら『この中からパートナーを選びたくないなぁ』みたいな雰囲気出しちゃいながら彼らを一瞥してから、兄の方をうるうるの瞳で見上げているじゃん。


「あの、聖守護騎士というのは、女性ではいけないのでしょうか……? わ、私はルクレシアお姉様のことが……!」

 はい確定ー。ヒロインまでうちの兄の色気にやられてるー。

 いつの間にルクレシアお姉様とか呼ぶ仲になったの。

 しかもこれ、兄が人差し指口に当てて「しー」みたいなポーズ取らなかったら、告白していた流れだよね……?


「いけませんわ、聖女様。私は皆様の旅に同行することも叶わない、女神様に選ばれなかった卑賎の身。とても聖守護騎士になど……」

 寂し気に、物憂げに、兄がそう言うと、ヒロインと攻略対象者たちの表情が曇った。


 そうそう。その人悪役令嬢だからね。

 諦めてくれ。みんな諦めたくない感じビシバシに出してるけど、諦めてくれ。

 どちらかというと、女神様の敵だから。敵になんてならないように、私が暗躍している最中だけどさ。

 でも今のところ、身柄があの父親の元にあるからね。敵サイドだよ。


「けれど、そうですね。私がせめて男であったなら、今夜だけでもと聖女様をダンスにお誘いして、かわいいあなたとの思い出を願いましたわ」

 そう言って兄は、声色から推察するにいつものようにふわりと美しく微笑んだようだ。


 瞬間溢れ出たらしい兄の色気に、ゴクリとつばを飲み込んだ音がしたのは誰のものか。


 いや本当に、私の双子の兄に悪役令嬢をやらせてみたら、とんだ傾国の美女(男)になった件。

 お兄ちゃん、なにやってんの……?

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