消える前に

三鹿ショート

消える前に

 本来ならば一人一人に謝罪していくべきなのだろうが、迷惑をかけた相手の数が明確ではないため、私は謝罪の手紙を残し、この生命を消失させることで、詫びとすることにした。

 自らの意志で己の生命を絶つ人間が多いことで有名な森の奥へと向かい、人間がぶらさがったとしても折れるようには見えない太い枝に、頑丈な綱を投げた。

 台の上に立ち、ぶら下げた綱で作った輪の中に首を突っ込めば、生命をかけた謝罪は完了する。

 深呼吸を繰り返した後、輪の中に首を突っ込もうとしたところで、私の耳は女性の叫び声を聞いた。

 気にすることなく行動を続けることも可能だったが、私は台から下りると、声が聞こえてきた方向へと歩き出す。

 多くの人間に迷惑をかけたために、この世から去る前に他者の役に立つことをしようと考えたのだ。

 歩を進めると、やがて一人の男性が女性に馬乗りになっている姿を目にした。

 涙を浮かべる彼女のために、私は男性を突き飛ばすと、落ちていた大きな石で相手の頭部を殴った。

 動かなくなってしまった男性を見下ろしながら、さらに罪を重ねてしまったことを他人事のように考えていた。

 罪を犯したところで、即座にこの世から去る私が罰せられることはないからだ。

 無表情で倒れた男性を眺めていると、乱れた衣服を直しながら、彼女が感謝の言葉を告げてきた。

 その言葉は、私の心をわずかながら温かくした。

 彼女が助かったのならば、これ以上何もすることはない。

 この場を去ろうとしたが、何かに気付いたと思しき彼女は私の手を引くと、少し離れた物陰へと姿を隠した。

 何事かと目で問うと、彼女は口の前で人差し指を立てるばかりで、話にならない。

 彼女につられるようにして倒れた男性に目を向けていると、やがて数人の男性が姿を現した。

 彼らは動かなくなった男性を目にすると、慌てた様子で、周囲に散らばっていく。

 人影が無くなったところで、彼女は大きく息を吐いた後、私に目を向けながら、

「彼らは、私を追っているのです」


***


 彼らは、身代金を目的に彼女を誘拐した人間たちだった。

 彼女の父親が有名企業の重役だったために、それなりの金銭を得られると考えての行動だったのだろう。

 そして、その目論見は上手くいった。

 だが、顔を見られたために彼女を生かしておくわけにはいかず、このような人気の無い場所で彼女を殺めようとしたというわけだった。

 私は、厄介なことに首を突っ込んでしまったと後悔した。

 仲間に手を出したと彼らに知られれば、私までもが標的と化してしまい、落ち着いてこの世を去ることができないではないか。

 こうなってしまうと、別の場所で自らの生命に終わりを告げる必要があるだろう。

 それに加えて、彼女を一人にしておくわけにもいかなかったために、私は彼女を連れて森を脱出することにした。

 身を隠しながら移動をしている最中に、彼女は問うてきた。

「この森に、何か用事でもあったのですか」

 隠すことでもないだろうと考え、私は正直に語った。

 話を聞くと、彼女は信じられないような表情で、

「私を救ってくれた親切なあなたが、一体何をしたというのですか」

 その言葉に、私は首を左右に振った。

「分かることといえば、私が関わった人間は、漏れなく不機嫌になるということだ」

 優れた人間ではなく、気の利いた会話をすることもできないために、人々が私に向ける目は、常に苛立ちや不信に満ちていた。

 だからこそ、私は生きているだけで迷惑をかける人間だと悟り、そうなってしまえばこの世界から去るべきなのだろうと考えたのである。

 そう告げると、彼女は私の右手を両手で包み込みながら、

「そのようなことはありません。あなたは私の生命を救ってくれたのです。今の私が、あなたに敵意のようなものを向けているように見えますか」

 彼女の顔に目を向けると、確かにこれまで私が向けられたことがないような表情を浮かべていた。

 それは心の底から相手を信頼しているようなものであり、私にとっては現実離れしているためか、まるで絵画を眺めているように思ってしまう。

 そのとき、私の頬を何かが滑り落ちていったことに気が付いた。

 触れると、それは涙だった。

 無意識のうちに、私は涙を流していたらしい。

 彼女の言葉や表情は、それほどまでに私の心に響いたということなのだろうか。

 まるで、私が生き続けることを許してくれているかのようである。

 関わる人間全てを不快にさせるような私でも、いずれは誰かの役に立つということならば、生きていても構わないのだろうか。

 私の言葉に、彼女は首肯を返した。

 それならば、今やるべきことがある。

 森の外が見えてきたところで、私は彼女に背中を向けた。

「行かないのですか」

 彼女の問いに、私は頷いた。

「きみが安心するためには、彼らを始末するべきだと考えたからだ」

 私がそう告げると、彼女は動揺したような声色で、

「一人では無理に決まっています。このまま二人で逃げましょう」

「きみは先に戻り、家族に無事を知らせるがいい。また何時か会ったときに、感謝の言葉を伝えてくれれば、私はそれで満足だ」

 彼女が何かを言おうとしたが、それを聞くことなく、私は森の中へと駆け出した。

 徒では済まない可能性が高いだろうが、彼女の役に立つのならば、それは些末な問題だった。


***


「行きましたか」

「見れば分かるでしょう。しばらくあなたたちを捜し、その姿を確認することができないと分かれば、また此処に戻ってくるに違いありません」

「そのときの対応は、如何するのですか」

「誘拐された可哀想な人間を演じ続けるだけです。別れれば、二度と会うことはありませんから」

「しかし、あなたも奇妙なことを考えるものです。自らの意志で生命を絶とうとする人間に、生きる希望を与えるとは」

「あのような若い人間は、働き手として重要な存在なのです。それを失ってしまっては、若者が減る一方のこの国において、痛手以外の何物でもありませんから」

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