第4話 大切なのは選択を間違えたと勘違いしないことだ
ドアを開け、鈴の音が鳴る。店内に入ってすぐのテーブルに、彩極が待ち構えるように座っていた。
「どうしたんだ伊央くん……?もう夜中だぞ、さみしくて泣いちゃったのか?」
「いったん無視しますね」
杏斗は閉まりかけたドアを開け、外にいる男の手を無理やり引き込んだ。彼と手を繋いでいた少女も自ずとついてくる。
杏斗以外の来客があると思っていなかったのか、彩極はわざとらしく顎を掻いた。
「その二人は誰だい?」
そう問われる。
杏斗は彩極の向かいに座って、口を開いた。
「彩極さん、真面目な話で申し訳ないんですが……彼らはサツに追われているそうで、どこか匿う場所が必要なんです。ちなみに俺の家は禁止カードで」
杏斗が男を一瞥すると、彩極は目の奥を光らせた。
「君、名前は?」
「え……
「千牙くん」彩極は指を立てた。「伊央くんが言うなら悪い奴じゃなさそうだ。なぜ追われている」
「あぁぁ……っ」ゼノは目を逸らし口ごもった。
杏斗は仕方なく「元、殺し屋ですってよ」と伝えた。
「へえ」彩極は聞き流したように平然としていた。
「ま、匿うというならこの店を使ってくれ。私はもう眠いんだ」
あくびを残して席を立ち、どこかへ行こうとする。
「待って待って」杏斗は慌てて止めた。「店を使うって、どう使うんすか」
彩極は目を瞑り、面倒そうな顔をして振り返った。
「もう、テーブルで寝て欲しいんだけどなあ。嫌かい?」
「嫌でしょ」
心なしか、ゼノも頷いているように見える。実際には視線が上下に揺れ動いているだけなのだが。
彩極は嫌そうな顔オブザイヤーと呼ぶにふさわしい表情で、
「しょうがないなあ」と呟いた。
「実はうち、地下室があるんだ。そっちで満足してくれよ?」
地下室なんてあるのか。杏斗は店の中を見回した。
と、ものすごい力で彩極に手を掴まれ、地面に倒れたのも構わず厨房のほうへ引きずられていった。
「うら、千牙くんも早くついてきて」
彩極は目をこすりながら厨房を通り、更に奥へと入って行った。
厨房の最奥まで到達すると、何重ものロックがかけられた扉が開きっぱなしになっていた。
そこには、眩い明かりに包まれたエスカレーターが見え、
「なんだこれは」ゼノが小さく驚きの声を上げた。
彩極は「ついてこい、私は早く寝たいよ」と彼らを急かす。
――モーターの音をうるさく鳴らすエスカレーターを降りていくと、地下の様子が段々とあらわになってきた。
そこははたして、ショッピングモールのような建物に片っ端からホテルの部屋を設置したような空間だった。中央には階下を見下ろせる空洞がぽっかりと空いていた。
そんな地下室が、二十階ほどまで続いている。とにもかくにも広すぎる場所だった。
「めちゃくちゃすごい地下室ですね」
「感想が浅すぎるよ、伊央くん」
彩極は杏斗を引きずりながら、青いカーペットの敷かれた廊下を歩きだした。
ゼノは妹と繋いでいた手を離し、ゆっくりと彼の後を追った。
楕円形の地下室を半分ほどまで行くと、ひときわ大きな扉が壁に見えた。
「ここで寝てくれ」
彩極が扉に手をかけると、重い金属音が鳴り響く。ずっしりと開いたその奥には、非常に豪華……でもない、一般的な宿泊部屋が覗いていた。
「いいんですか……?」ゼノは冷や汗まじりに微笑を浮かべた。
彩極があくびを漏らしながら頷くと、彼は肩を丸めながら部屋に入って行った。
妹のほうも部屋に飛び込む。と、鬼のような勢いで扉が閉められた。
「閉じるのはや」杏斗は驚きの目で扉をただ見つめる。
彩極はずっと引きまわしていた杏斗の首を地面にぽいと捨て、
「ずっとはにかんでいるあたり、知り合いではなさそうだね。どうして彼らを助けたいんだい」と訊いた。
「別に、気まぐれです」杏斗は首を押さえて立ち上がる。「強いて言うんなら、あの人は行き場がない。仲間を増やすチャンスとでも思ったのかもしれません」
彩極は目を丸くして、そののち悪戯に笑った。
「くれぐれも無理はさせないように、だぞ。彼が安全なら私はそれでいいからな」
そう言い残し、止まったエスカレーターを自らの足で上っていった。
杏斗が扉を抜けると、少女は気絶したように寝ていて、ゼノは部屋の隅で冷蔵庫を漁っていた。
「よ」
杏斗の声に、ゼノは首を回して振り向いた。
「お前らは……何者なんだ?」
杏斗はなんと言おうかしばし迷ってから「ある会社の社員」といった。
「逆に聞くけど。お前はどっから来たんだ」
そう続けると、ゼノは冷蔵庫から取り出した缶ビールを開けた。
「俺は……十歳の頃から、物好きが殺し屋を育成するための学校に閉じ込められていた。その学校に関係していた奴らはとある政治家の手によって消されたが、俺はもう普通に生きることなんてできなくて……フリーの殺し屋になるほかなかったんだ」
ひどい経歴だな。もはや嘘くさいまである。が、杏斗は黙って聞いていた。
「……だけど」ゼノの顔が曇る。「二年前くらいか、俺も顔が知れ、権力者から懸賞金までかけられて命を狙われ始めた。仕事は増え続ける一方で、そのたび死にかけていた。あのままじゃ咲の命も危なかったから……もう逃げ出すしかなかった」
彼は歯をきしませて杏斗の目をじっと見た。
「お前も、俺と関わり続けるなら命が危ないかもしれないぞ」
「ふうん」杏斗はその場にあぐらをかいた。「じゃあ、ぶっちゃけて聞こう。今の日本は生きづらいと思うか?」
「え?まあ…………そうだな」
「警察が憎いか?」
「そうだな」
「社会を変えたいと思うか?」
「……」
ゼノはその質問にだけ沈黙で返した。杏斗が言葉を付け足そうとすると、それを手で制して低くうなった。
いくらかの沈黙があったのち、ゼノは眼の焦点を咲から杏斗に移し。先程の何倍も大きい声で喋り出した。
「ああ、まぁ、思うとも」
「具体的には?」
「今の日本は――人間の命が鳥の羽より軽い。日本史上最もくそ国家な時代だ。変えなくちゃならない。俺達は今、スキルという殺戮兵器を持たされ、デスゲームの渦中に放り込まれているようなものだ」
随分な言いようだな。杏斗は予想外の食いつきに口角を上げた。
「言うじゃないか。俺達と同じこころを持つお前とは、関わり続けることになるかもな」
そう囁くと、ゼノは赤と黒が混ざった髪を揺らせて、愕然とした顔のまま固まった。
「同じ心……?ほんとに何者だ?お前」
「俺も警察が嫌いなんだ。俺だけじゃない……さっき会った彩極さんも、もうひとりの社員も、きっと同じだ。デスゲームを終わらせたいと思っている。俺達の会社は、そういう正当な社会を目指すためにあるから」
「なるほどな……?」ゼノは目を泳がせてその言葉を飲み込んでいた。
「え、じゃあお前も、反社の――ヤクザみたいなもんなのか?」
みんなヤクザ好きすぎだろ。杏斗はやけくそ気味に何度か頷いた。
と、それが逆に功を奏したのか、ゼノは一気にその目を輝かせた。
「俺には居場所が必要なんだ。あの……よければ、その会社とやらを受けさせてくれないか!」
彼の眼光は、それまでとは比にならない程に鋭く精悍であった。
杏斗はよしきたと言わんばかりに「受ける?そんなもんいらねえよ。志望した時点で俺達は受け入れるからさ」と返した。早口すぎたかもしれない。
ゼノの口元が不規則に動く。これは思いがけない幸運に恵まれた時の顔である。
「どうしてだ……?」そう訊く声にも微かな喜びが浮かんでいた。
杏斗はかつてのリアをなぞるように、平坦な口調を繕った。
「非公式に命と治安を守る、秘密結社なので。歓迎するよ、四人目の社員としてね。ところでそのビールちょっとくれないか」
「どしたん伊央くん」
電話越しのリアの声はやけに高くて、違和感が大きかった。
「いや、彩極さんに報告があったんですが、もう寝ちゃったみたいで。LINEにも既読つかないので、仕方なくあなたにかけました」
「一言余計。で、報告ってなに?いいことあった?」
「いやあ、リアさん、仲間欲しいと言ってたじゃないですか」
「……聞こえてたのか」
「ええ。でも良かったじゃないですか、おかげで同志が増えましたよ」
「んん?」
「本当です……今のところは。ひと悶着あって、千牙という男が自分から入りたいと言ってきて」
「人質でも取ったの?」
「なわけなくておもろい」
「マジなのね。よし、今から会いに行くわ。今どこ?」
「喫茶ブライユの地下室です」
「あンのバカ広いとこ?めんどくさっ。何号室?」
「何号室とかあるんですね!えっと……あ、ドアに書いてあるやつですか?一一三ですって」
「じゃあ最上階か。分かったわ、すぐ行く」
スマホを落とすような音と共に、通話が切られる。杏斗は振り返って、酔いつぶれて寝ているゼノをじっと眺めた。
右目の上から頬の下まで伸びる傷跡。よく見ると幼さの残っている口元。ところどころで擦り切れているパーカー。
「お疲れなのかもな」
少しためらったのち、杏斗は再びスマホを取って、彼女へ「すみません、やっぱ明日にしてください」とLINEしておいた。
「——社会不適合者がよ」
同刻、通知を見たリアは、焦って干そうとしていたバスタオルを置いて、床に畳んだパジャマへ手を伸ばした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます