自己言及作品

哲学サークルDreal

本文

 本作の内容は、本作がどういう作品であるかを解説したものである。

 本作は小説ではないだろう。何しろ、登場人物は登場しないし、何かの舞台設定が為される訳でもない。だから少くとも、物語ではない。

 だが、評論文かと云うとそうでもないであろう。何しろ本作は、本作自身の解説こそが主題であり、何かを評したり論じたりするものではないからだ。

 だから、何かについての解説書、というのが正に正鵠を得ているのだろう。その何かの対象が本作自身だというだけの事だ。

 但し、取扱説明書のようなものではない。何しろ、本作を読み終えた時、本作がどういうものかの解説を理解した事になろうが、その時もう本作の目的は達され、完了するからだ。

 本作が目指したのは偏に自己言及構造である。自己言及文は論理的に意味不明な性質を持っているが、その解説はここでは控える事にしたい。何故ならその内容自体は本作の解説という主軸から離れた余談や注釈になってしまうからだ。本作はそうした余計なものもできるだけ排除し、飽く迄も、本作が何なのか、の解説だけに専念したいのだ。自己言及文の意味不明さは、本作を読めば体感できるだろうと信じるし、本作はそれを目指したものでもある。

 という訳で、とにかく本作は、本作についての解説書である。それ以外の何物でもなく、意味も価値も特に無い。その構造さえ満足しさえすればそれで良く、言外の意味も、比喩も描写もありはしない。あるのはただ、本作の解説である。

 幾らか、具体的に本文を指定しながら解説をしてみよう。

 例えば、本作一段落目は「本作の内容は、本作がどういう作品であるかを解説したものである。」である。

 そこから数えてみると、本段落は十番目の段落だ。だからどうしたという意味はない。ただ事実として、本段落は十段落なのである。

 そして、本段落は十一段落目であり、本段落の次の段落は十二段落目である。本段落を執筆している時点ではまだ十二段落目は存在していないのだが、自然原理に従えばそうなるであろう。

 そして十三段落目が本作の最後の段落である。その内容は、本作が本段落で終了するという旨を説明したものになるであろう。今、まさにこの行、この文字列自体を執筆しているが、その段階ではまだ十三段落目は存在していない。しかし、予定ではそうするつもりである。深い意味はなく、とにかくそうだと決めただけだ。

 そんな訳で、この段落を以て本作を終える事にしよう。本段落で本作を終える事に意味や必然性はありはしないが、直前の段落で十三段落目の内容が、当段落で本作が終わる旨を説明したものだと書いてしまったからそれに合わせてという事もあるが、とにかく本作は本段落を以て終了なのである。

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