裏切った人

 足が止まった。そのまま2人は回れ右して走った。全速力で走った。

 先に逃げたはずの美桜を、凌弥はどんどん追い越した。恐ろしさのせいか、揺れのせいか凌弥の歯はガチガチ鳴っていた。夏のせいなのに、あちこちから腐臭が漂っていると言うのに寒かった。鹿のように本能で走り続けていた。


 *



 美桜は凌弥に追い越されどんどん距離を開けられていた。凌弥がビルの家に転がり込んだのを目視した時、無意識に制御していた本来の力を全て脚に集中させた。

 何も考えず走り続けた。まず風が頬を切る感覚と足元のザクザクした感じが遮断された。うっかり舌を噛んだことにも気づかなかった。周囲の様子が全て残像に見え始め、やがて残像だった景色が真っ白になった。嗅覚がまともに機能しなくなり腐臭が分からなくなった。そのことに対して「ありがたい」だとか「ラッキー」だとも感じる間もなく、誰かにガッシリと力強く抱きとめられた。美桜は気絶した。


 *


 目が覚めると、ビルの家だった。美桜は何があったのか思い出せなかったが、「無事だった」と感じ、ホッと胸をなでおろした。

 寝床の横では凌弥がビルにこんこんと説教されていた。「婦女子を置いて、追い越して1人で逃げたこと」で叱られている。ビルは美桜が意識を取り戻したことに気がついた。

「随分と猛スピードで走っていたけど大丈夫?」

「大丈夫です」


 ビルが美桜に体調についていくつか確認しているため、お説教が中断された凌弥は正座を崩した。ハァとため息をついた瞬間、さっきの事を思い出した。

 男の子が骸骨みたいにガリガリなおっさんに食われていた。生で食ってた。よく確認する間もなく逃走したせいか、詳しくは忘れた。なんか無理だった。嫌な臭いがした…………多分。思い出そうとしたら吐きそうになる。そのうち……帰れないままだったら、俺らも被害者か加害者になんのか? それだけは嫌だ。絶対。人間として何かが終わる。絶対。

 こみ上げるものがあり、凌弥は口を抑えた。その気配でビルは美桜から離れ、凌弥にビニールを差し出した。凌弥は吐いた。早く帰りたい。


 ビルは「許せないな」とぼそりと呟いた。

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