412 観光③

 コードで利用できる乗物――クモの移動速度は馬車の比ではない。三次元の移動は慣れない状態では驚くだろうが、揺れもほとんどなく快適だ。

 クモはまさしく飛ぶように移動すると、ある地点でぴたりと停車した。どうやらノーラさんの管理エリアについたらしい。


 立体地図を確認する。まだコードの地理を把握しきれていないのだが、ノーラさんのエリアはおひいさまのエリアよりも中心部の方にあるようだった。

 帝都でも貴族達の邸宅が立ち並ぶ区間は中心の方に位置している。もしかしたら、力ある者が都市の中心の方に居を構えるのはどこの時代も同じなのかもしれない。


 前回はノーラさんのいるビルに直接行ったので、こうしてじっくりと街並みを見るのは初めてだ。

 ノーラさんのエリアもほとんど他の場所と変わらなかった。立ち並ぶビル、ビル、ビル――強いて違いを言うのならば、建物の間隔がおひいさまの所よりも狭いだろうか。


 道路も、ぎりぎりクモが通れるだけのスペースは確保されているが、すれ違えるほどの幅はない。ビルとビルの間隔も狭めだ。

 そう言えば、ノーラさんのビルに行く道中も、クモは地面を走る時間よりも壁を走る時間の方が長かった気がする。


 少し窮屈にも見える光景だが、おひいさまのビルの近くと違って、あちこちには人影が見えた。クモから降り、恐る恐る一歩目を踏み出し、ノーラさんのエリアに入る。

 誰かが襲ってくる気配はなかった。やはり先程は運が悪かったのだろう。


 観光を始める前にふと思い立ち、結界指の残数を確認する。そして、僕は眉を顰めた。



「マジか…………まいったなあ」



 結界指が一つ残らず消費されてる。一つ残らず、だ。あの女剣士の攻撃は本当にぎりぎりのところで止まっていたらしい。

 運がいいのか悪いのか……命が沢山ある事が取り柄だったのに、取り柄がなくなってしまった。


 今小突かれたら死んでしまう。全部とは言わないので、なるべく早くチャージしたいところだ。

 帝都ならば宝具に魔力をチャージする事を商売している魔導師が何人もいた(僕は出禁食らってたけど)。この街にもどこかにチャージしてくれる魔導師がいればいいのだが――。


 僕は、一緒にクモから降りてきた機装兵を振り返ると、念の為指示を出した。


「君達、一応言っておくけど、誰かが襲ってきても、制圧はなるべく非殺傷で頼むよ。別に僕は戦争をしにきたわけじゃないからね」


 ノーラさんと争うつもりはなかった。いや、他の人達とも争うつもりはない。僕はただ――少し観光したいだけなのだ。

 運が悪くなければこんなに過敏にならなくてもいいんだけどね。


「それと――今度は、何か危険が迫ったらすぐに助けに入るんだ。すぐに、だよ」


 機装兵の顔面の一部がまるで了承でもするかのように数度光を放つ。職務に忠実なのはわかるけど、その仕草はなんだかとても――味気ない。職務に余り忠実でなくても、一緒にいて楽しいルーク達とは正反対である。足して二で割ればちょうどいいかもしれない。


 僕は肩をすくめると、大きく深呼吸をして、ビルの密集するノーラさんのエリアに歩みを進めた。






§ § §






「店? またか……最近、外からやってきた連中がよく聞いてくるんだけど、そんな物ないよ。必要な物は全部システムが出してくれるし」


「料理? そんな単語、久々に聞いたよ。いいかい、ここでは食べたいものはなんだって都市が用意してくれるんだ。どこで作ってるかって? そんなの知る必要あるかい?」


「魔導師? あ、わかった。兄さん、外部からやってきたんだろ? コードじゃ魔法は使えないよ」


「ちょこれーと? それ……何?」


 ノーラさんのエリアをぶらぶらしながら、道行く人々に声をかけていく。大体の反応は似たようなものだった。

 コードの住民も遡れば僕達とほぼ変わらないはずなのだが、どうやら高度物理文明の都市システムの支援を十分に受けた生活はこのコードに独自の生活様式を齎したらしい。


 機装兵を連れて聞き込みをする僕に対して、人々は珍奇な物を見るような眼差しを向けながらも質問に答えてくれた。


 何もしなくても生活する上で何の心配もない。食事も医療も住宅も、全てを都市システムが提供してくれる。何よりも外の世界とは違うのは、ハンターがいない事だ。

 このトレジャーハンターの黄金時代とされる現代でハンターのいない街がいるなんて――どの街でも外から富(とたまにトラブル)を齎すトレジャーハンターは活気の源なのだ。この街に余り活気がないのも納得かもしれない。



 だが、そんな便利な都市に住んでいるにしては、誰も怠けている様子はなかった。

 見かけた人は皆、それなりに身体を鍛えているように見える。僕だったら一瞬で堕落しそうなものなのに、何が違うのだろうか。やる気かな?


 求めるものは何も得られなかったが、なるほど、これはこれで興味深い。世界を旅して変わった風習に触れるのもトレジャーハンターとしての醍醐味の一つなのだ。


 ビルの森の中を、何か面白いものがないものか、きょろきょろ周りを見ながら道路の端を歩いていると、突然右手のビルとビルの隙間からぬっと顔が出てきた。

 顔を出したのは十歳くらいの女の子だった。動きやすそうなショートパンツで、全身よく日に焼けている。手足はまだ細いが、よく身体を動かしているようで、顔立ちや髪の色は違うがどこか昔のリィズを思い出す。胸元には星マークが二つついていた。


 女の子は、端末片手に、溌剌とした笑顔で言った。


「お兄ちゃん、外からやってきたの? 何してるの? 4点って、外の人ってみんなお兄ちゃんみたいに弱いの?」


「…………僕が弱いんじゃない。君達が強いんだよ。なんか面白いものがないかなって探してたんだ」


 いや、僕が弱いは弱いんだけどね。まさか僕はこのコードにいる間ずっと4点と呼ばれるのだろうか?

 もう少し筋トレとかした方がいいのだろうか……でも、多少筋肉を鍛えたところで何の役にも立たないからなあ。


「トレーニングしないの? あたし達は皆、してるよ?」


「何のためにトレーニングしてるの?」


「それはもちろん、ノーラ様のためよ! あたしねえ、身体を鍛えて強化騎士になるの! そうして、活躍したら、クラスも上げてもらえるの! 皆、ノーラ様の騎士団に入りたくて、頑張ってるのよ?」


 きらきらと輝く瞳。僕は何もしていないのに貴族になってしまったんですが……強化騎士ねえ。

 外の世界でも国に仕える騎士は比較的人気の職業だったが……この国では騎士は何をするのだろうか? 外敵とかいないだろうに。


 そんな事を考えていると、空から三つの人影が降ってくる。

 少年だ。それぞれ、動きやすそうな格好をした少年が、三人。器用に道路を転がるようにして衝撃を殺すと、そのままの勢いで立ち上がった。


 上を見るが、飛び降りられるような場所は存在しない。思わず目を丸くする。

 どこからやってきたのかはわからないが、その呼気は荒く、むき出しになった肌からは上気が立ち上がっていた。


 少年達は呼吸を整えると、路地にいる女の子に近づき、話しかけた。


「おい、何やってるんだ? ルル。その人、クラス6だぞ? ……外から来た人みたいだけど――」


「大丈夫よ、ザザ。だってこのクライさん、4点だもん!」


 紐で首から下げた端末をちらちら見ながら言う女の子。それは……褒められてるのだろうか? そして、初対面の人間がこちらの名前を知っているのは何だか不思議な気分だ。今更だけどプライバシーがないなこの国。

 そこで、ルルと呼ばれた女の子がふといいことでも思いついたように高い声をあげた。


「そうだ! お兄ちゃん、面白いもの探してるんでしょ? いいもの見せてあげる! ついてきて!」


「え?」


 ルルが思い切り屈み込み、跳ねる。左右のビルの壁を蹴り、とんとんとんとリズミカルに上に登っていく。


 その俊敏さに思わず目を奪われた。落ちたら大怪我は間違いないだろうに、その動きには一切の迷いがなかった。

 生半可な鍛錬でできるような動きではなかった。まぁリィズなら出来るだろう。ティノやルークも出来そうだ。シトリーやルシアもできるだろうが……まぁ、年齢を考えれば前途有望過ぎるのに間違いはない。


 僕の呆然とした表情に、ザザと呼ばれた男の子が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「なんだそんな変な顔して。これだから外者そとものは…………外じゃあこんな事できる人はいないのかもしれないけど、俺達はノーラ様のために鍛えてるから、これくらい普通の事だよ」


 ……外者なんて単語聞いたことないんだけど?


 小さく呼吸。少年達が一斉に駆け出し、ルル同様、壁をぴょんぴょんと登っていく。すごーい。


 ……ところで僕はどうやってついていけばいいのかな? 試すまでもなくあんな動き僕には無理である。


 目を瞬かせていると、つれていた近衛機装兵の内の一体――グリーンの機体が、後ろから僕を抱えるかのように腕を回した。

 

 何かを考える間もなく、一瞬で地面が遠くなる。


 僕の所持する数少ない飛行用宝具、『夜天の暗翼ナイト・ハイカー』に匹敵する凄まじい速度だった。この街で機装兵が空を飛んでいるところなんて見たことないのだが、おひいさま、機装兵強化し過ぎ。


 僕を抱えた機装兵は空高くまで飛び上がると、ビルの屋上を女の子に向かって急降下した。そのまま、ビルの屋上に激突する直前に角度を変え、水平飛行に移る。


 眼の前を高速で流れる地面。その激しい挙動に目がまわりそうだった。だが、不思議と風は感じない。なんらかの超技術でカットしているのだろう。この時点でこの機装兵は僕の『夜天の暗翼』を超えていた。あれはブレーキが利かない上に夜しか使えないからな。『空飛ぶ絨毯フライング・カーペット』のカーくんと比べたらどっちが凄いか悩むところだ。


 一瞬で追いついてきた僕に、ビルの上を軽快に駆けていた子ども達が目を見開く。


「!? すげー! さすがクラス6、そんな機装兵を動かせるのか!」


「あたしも機装兵ほしーい! 空飛びたーい!」


 これは借り物です。僕もほしーい! 空は別に飛びたくないけど!


 子ども達がビルの上を次々と猿のような俊敏さで飛び移っていく。ビルとビルの間隔が狭いからこそ可能な動きだ。よく見ると、ビルの縁にジャンプ台みたいなものまで設置されていた。


 進行方向に高いビルが現れる。他に飛び移れるような場所はない。

 子ども達は速度を落とす気配はなかった。それどころか、ますます前のめりになって加速する。


 どうするつもりだろうか? このままじゃ衝突しかねない。

 自分の事を棚に上げて心配する僕の眼の前で、子ども達がビルの壁面に飛びついた。


「!?」


 そのまま子ども達がするするとビルを登り始める。


 当然命綱はなし。落ちたら良くて大怪我は間違いないのに、身体能力だけじゃなくて、度胸も凄い。


 頑張って垂直のビルを登っている子ども達の前で、僕を抱えた機装兵がビルの壁面ぎりぎりで急上昇する。よく見るとビルの壁面には掴むための小さな突起がついていた。

 さすがにつるつるの壁を登るのは子どもには無理だよね……いや、突起があっても僕ではとても登れないけど。


 ビルの上は平坦で何もなかった。特に扉などもないので、屋上というわけでもないようだ。外からビルをよじ登らない限りここに立つ事はできないだろう。

 クモはビルとビルの間を飛び移って移動するので、コードのビルは道路を兼ねているのかもしれない。


 空中で停止していると、子ども達がビルを登り切り、上にあがってくる。ビルの屋根の上に立つと、少し乱れていた呼吸を落ち着けて言った。


「もうついたから降りていいよ。こっちに来て!」


「兄ちゃんのそれはずるだよ、ずる」

 

 少年のうちの一人が口を尖らせて言う。機装兵が丁寧に僕を屋根の上に下ろしてくれる。


 高所のせいか、風が強かった。風に煽られ、足元がふらつく。

 結界指がない状態でこの高さから落ちたら間違いなく即死だ。柵もないし、絶対に気をつけないと――。

 

 戦々恐々としている僕とは逆に、ルルは軽快なステップで柵もないビルの縁ぎりぎりまでいくと、手を伸ばしビルの下を示した。


「どう!? この光景、凄いでしょ! 自分で登らないと見れないの!! 普通はね!」


「この近辺では一番高いんだぜ。でも、強化騎士に選ばれるには、一番高いビル――ノーラ様のビルに登れるようにならないといけないんだけど――」


「!! へぇー…………こいつは凄いね」


 恐る恐る、ルルの近くに行って、ビルの下を覗き込む。


 ルルの言う通り、ビルから見下ろす光景は絶景だった。


 霞むほど遠い地上。乱立したビルはまるで階段のように凸凹していて――何人もの市民が走り、跳び、登っている。



「ノーラ様はねえ、私達に強くなって欲しいんだって! だから、こういう街を作ってくださったの!」



 あちこちに見える大きな段差や棒…………そう言えばさっきのビルにはジャンプ台があったね。


 なるほど……つまりこれは、アスレチックのようなものなのだろう。実用的な筋肉。身体の使い方を学ぶために作られた、街全体を作ったアスレチック。

 トレジャーハンター向けの学校などには似たような設備があると聞いたことがあるが、ここまでの規模ではないだろう。リィズが見たら喜んで参加しそう。



「強化騎士になったらどれだけ元のクラスが低くても、クラス4にしてもらえるんだぜ! 騎士団の幹部になってノーラ様に貴族にしてもらった人だっているんだ!」



 興奮したように話してくるザザ達。向上心のある子どもを見ていると何だかいたたまれない気分になってくるのは、それが僕からは随分前に失われたものだからだろうか。


 しかし、こんな便利な都市に住んでいるのに肉体まで鍛えているとは、もしかして無敵かな? 強力な高度物理文明の兵器があるのに加えて、市民達がこんなに動けるとなると、探索者協会がかつて負けたというのも少しは納得できるかもしれない。


「そりゃ凄いね…………コードの人達って皆、そんなに鍛えてるの?」


 運動神経が悪い人はいないのだろうか? それとも僕みたいにダメダメな人でも育成できる土壌がある?

 僕の問いに、子ども達が目を丸くして顔を見合わせる。そして、ザザが呆れたように言った。


「そんなわけないだろ、クライさん、本当に何も知らないんだな。身体を鍛えるのはノーラ様の方針だからな。俺達はノーラ様のエリアからでないから余り良くは知らないけど……」


「アンガス様のところだと、騎士じゃなくて武官と文官の試験があってそれにパスするとクラスが上がるらしいよ。何より、クラスが上がったらアンガス様の作った武器が配られるんだって!」


「トニー様のエリアでは、貴族の人達が協力してエリアを管理しているらしいの。いつも人を募集していて、貴族じゃない人にも色々な仕事があるんだって!」


 なるほど、それぞれ特色があるのか。依頼人からの情報にあった王族を軟禁して言う事を聞かせてるって話は、もしかしたらトニー様? の事だったのかもしれない。

 それぞれ特色が違うのであれば、もしかしたらエリアによっては甘味処があったり宝具ショップがある可能性もあるな。


 王族は全部で六人いるはずだから――後三人か。僕はハードボイルドな笑みを浮かべて頷いた。


「後の三人は?」


「え? アリシャ様の事はお兄ちゃんが良く知ってるでしょ?」


 …………後二人だった。あれだ。一人はあの危険な女剣士が名前を出していた人だろう。


 僕の問いに、子ども達が先程とは違い、酷く言いづらそうに教えてくれる。


「えっと……モリス様のところは、武器の使用が禁止されているの。都市の警備システムの出動ラインがかなり低くて、ちょっとでも怪しまれると捕まっちゃうんだって」


「ザカリー様のところは……ただの噂かもしれないけど、警備システムが止まっているんだって。じゃくにくきょうしょく? 自由にしたい人が行くんだよ。危険だから、兄さんは行かない方がいいと思うよ……」


 そんな物騒なところもあるのか…………きっと貴族の人達が好き勝手やってるのだろう。

 まったく、けしからない。二人の保護はカイザーとサヤに任せよう。ここで情報を得られてよかった。


「なるほどね…………まだ時間はあるな」


 観光できそうなのはここを除けば後二箇所――アンガス様とトニー様の所だけか。

 カイザーやサヤはレベル8だ、仕事は早いはず。もうこの都市にやってきてから時間が経っているので、王族を保護する準備も大詰めになっている事だろう。カイザー達が全て終わらせる前に観光しないとな――。


「…………時間?」


「いや、こっちの話だよ。とりあえず教えて欲しい事があるんだけど…………この辺に、宝具に魔力をチャージしてくれる人とかいない?」


 コードでは魔術は使えないらしいが、魔力チャージくらいはできるだろう。外部から入ってきた傭兵達の中にも宝具を持っている者は何人もいるはずだ。

 優先順位は大切だ。観光もしたいけど、結界指は生命線だからな……。


 ルルが目を丸くして、首を傾げて言う。


「宝具? お兄ちゃん、宝具をチャージしたいの? チャージしてくれる人はいないけど――チャージスタンドでチャージすれば?」


「え!? チャージ……スタンド?」


 聞き慣れない言葉だが――まさか、このコードでは、宝具をチャージしてくれる設備があるというのか?

 宝具は強大な力を持つ物ほど要求される魔力が高い。古今東西、ハンターにとって宝具への魔力のチャージはなかなか頭の痛い問題だった。宝具に魔力を込めてくれる商売まで存在しているほどだ。


 仮に使用しなくても、宝具にチャージされた魔力は時間経過で少しずつ抜けていく。魔力量が少ないハンターは自然と強力な宝具を持ちづらくなっていたが、都市が宝具にチャージしてくれるなら話は変わってくるだろう。


 このコードはもしかしたら、高度物理文明の遺産とか関係なしにハンターにとって天国なのかもしれない。平和な国だったら拠点にしていたんだけどなあ。


「最寄りのチャージスタンドは……あの辺かな」


「どれどれ…………」


 ルルが身を乗り出して、下を指差す。僕もそれに釣られるように、ビルの縁ぎりぎりの所で下を覗き込む。



 ――ビルの上を強烈な風が通り過ぎたのは、その時だった。


「ッ!?」




 背中が風に押され、踏ん張る事すらできずにあっさりと身体がビルの外に出る。だが、飛び出したのは僕だけではなかった。

 成人男性の僕が体勢を崩すような風だ、いくら運動神経が良くても僕より軽い女の子に耐えられるわけがない。


 僕の前方。何が起こったのかわかっていない、ぽかんとしたルルの表情が見えた。背後から少年達の悲鳴が聞こえる。


 世界がスローモーションに見えた。何かを考える暇もなかった。悲鳴すらあげられなかった。あっさり重力に引かれ身体が落下する。


 手を伸ばしルルを捕まえたのはほぼ反射的な行動だった。

 現実感がなかった。僕はルルを抱きしめ、ただ何も出来ず落ちていく中、浮遊感に身を任せながら思った。



 これ、もしや――死ぬのでは? 



 普段は結界指があるので落ちる程度なんでもないが、今の僕は結界指を全て使い切ったただの人である。

 本当にレベル8ハンター並の実力があればこの高さから飛び降りても平気かもしれないが、僕ではどうしようもない。仮に僕が下敷きになったところで、二人まとめて落下死するだけだろう。



 チャージスタンドの場所を確認しようとして落下死とかあんまりだ………………いや、待て、まだ諦めるのはまだ早い。



 これまで《嘆きの亡霊》は幾度となく危機に瀕してきた。だが、冒険の途中で諦める事など一度たりともなかった。


 ならば、仮にもそのパーティのリーダーである僕が諦めるわけにはいかない。




 僕は凄まじい風圧の中、大きく深呼吸をすると強く祈った。







 魔法の才能、今こそ開花しろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!





 空を飛びたい空を飛びたい空を飛びたあああああああああああああああい!!








 急速に近づく地面。落下まで後何秒あるのか――必死に魔法の才能の開花を祈るその時、不意にぐいと身体が重力に反して持ち上がった。


 だが、別に魔法の才能が開花したわけではない。



 おひいさまから借りた機装兵が助けに来てくれたのだ。



 命令してもいないのに助けてくれるなんて、なんてできる機装兵だろうか。


 緑の機装兵はルルを抱える僕を抱えると、そのまま宙を滑るようにして、地面と水平に移動方向を変える。


 先ほどまで僕達を捕らえていた重力も、高度物理文明の力の前に無力だった。


 どうやらビルの上でルルが指さした方に向かっているようだ。返事はしないのに聞いているんだなあ。



 ところで素朴な疑問なのだけど……翼もないのにどうやって飛んでるんだろう、この機装兵……。



 命の危険が去ったことでようやく心臓の鼓動が落ち着いてくる。僕は小さく息を吐くと、まだ硬直しているルルに確認した。


「危なかったなあ……それで、チャージスタンドってどこにあるんだっけ?」


 危険は賊だけじゃない。一刻も早く結界指に魔力をチャージしないと。

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