409 それぞれの思惑

 無知というのは本当に恐ろしいものだ。コード王からの通達を確認して、アンガス・コードは鼻を鳴らした。


 コード王はこの都市で最強の存在だ。都市の全ては王の一部であり、アンガス達はその力を借り受けているに過ぎない。


 アンガスはコード王の実子だが、物心ついた頃から親の姿をほとんど見たことがない。子であるアンガスですら直接顔を合わせて話した事は数える程しかない、絶対不可侵の存在。それがこの国の王だった。


 なまじこの都市で二番目の力を持っているからこそ、コード王の力がよくわかる。


 これまで王族を含めたコードに住む誰もが、その怒りを買わぬよう細心の注意を払ってきた。苛烈で市民達から恐れられていたノーラですら、そこは守っていた。

 それが、まさかこの段階になって、外界からやってきた者によりその禁が破られるとは。



 コード王は平等だ。少なくとも、アンガスが知る限りは、これまではクラス8の勢力図に影響を及ぼさないように注意しているように見えた。

 それが、まさか王位継承に無関係なスペアの近衛とはいえ、その言葉に惑わされないようにわざわざ通達を送ってくるとは…………アンガスにはコード王の動向を見る事はできないが、よほど馬鹿な事をやったのだろう。


 確かに、クライ・アンドリヒの無能具合はアンガスから見ても度が過ぎているように見えた。

 仮にも主であるアリシャ・コードに土下座の練習をさせるとは――そして、どうしてそのような思考にたどり着いたのか、考えたくもない。



 コード王の言う通り、無視するのが一番だろう。アリシャ・コードの陣営は絶対にアンガスの敵にならないのだから、考えるだけ無駄だ。



 それならば、戦力を蓄えるなり、ノーラやトニーの動向、モリスの元に向かった『あの女』の様子に注視していた方がずっと建設的だというもの。



 アンガスの支配するエリアの一角。機装兵を始めとする兵器の試運転も兼ねた実験場で、アンガスは近衛達と共に、その中心に立つ一人の男を見ていた。



 カイ。コードの外からやってきた、都市の評価システムで史上最高に近い得点を叩き出した男。

 鍛え上げられた肉体と精神を併せ持ち、捕縛された状態で尚、アンガスを威嚇して見せた傑物。今は仮面を被せられ精神を縛られているが、機装兵を生身で破壊したその身体能力は健在だ。


 カイとサーヤの性能テストを任せていたジーンが、にやりと笑みを浮かべて説明を始める。


「既に自ら破壊した肉体はほぼ完全に回復しています。分析や訓練についても、滞りなく。仮面の効きについても問題ありません」


「そうか……当然だな。報告しろ」


 カイの能力は高い。コード出身の者はもとより、外部から流入してきた者達と比べても隔絶している。

 だが、能力の高さだけがカイの価値ではなかった。重要なのは、その能力の根幹がどこにあるのか、だ。


 アンガスの言葉を受け、ジーンが続ける。


「分析した結果、カイの強さの秘密はその独自の足運びにあるようです。彼の足運びと身のこなしは強靭な機装兵を寄せ付けず、奇妙な魅力を放ちます」


「魅力?」


「はい、他に形容できないので曖昧な言い方になるんですが――魅力です。肉眼で彼の戦闘を見た者は視線を奪われ呆然と立ち尽くす事しかできません。もっとも機装兵には効きませんが――ノーラ王女の強化騎士には有効でしょう。ノーラ王女の軍勢を相手にするのにこれ以上の能力はありますまい」


「ふむ…………」


 なかなか理解しがたい説明だが、ジーンは優秀な男だ。この男がそう報告せざるを得ないというのはつまり、そういう事なのだろう。


 それ以上の質問をやめ、カイの方を見る。カイはアンガスの視線を受けてもぴくりとも身体を動かさなかった。仮面の力で完全に精神が封印されているのだ。

 仮面など被せない方が強いが、いつこちらに牙を剥くかわからない武器など信用できない。仕方のない処置だった。


「性能テスト255を開始します」


 ジーンの号令で、訓練場内の壁が蠢き、無数のスマートな砲塔を出現させる。質量弾を射出する兵器ではなく、対象をピンポイントで焼き尽くす光学兵器だ。


 銃火器類の召喚は貴族階級ならば誰もが持つ権利である。質量弾か光学兵器かの違いはあるが、王位争奪戦に挑む上で遠距離兵器への対処は必須と言える。

 アンガスの使える兵器はリソースを使い時間をかけて研究した特別製だ。その威力は特別な強化技術により耐久を高めたノーラの兵隊をも枝葉のように薙ぎ払うだろう。


「…………鎧はいらないのか?」


「ご覧になればわかります」


 立ち尽くすカイに向けて、合図もなく兵器が放たれる。四方から放たれた光に対するカイの動きは――身体を回転させ、ステップを踏む事だけだった。

 思わず瞠目する。カイに放たれた熱線の全てが、まるで魔法のようにかき消えていた。


 間違いなく命中はしている。しているように、見える。だが、カイの肉体には焦げ跡の一つも残されていない。


 一見その動きは軽やかに舞っているだけのように見える。確かに、不思議と視線が引き寄せられる。

 だが、ただそれだけで研究を重ね強化したコードの兵器を無効化するとは、これは一体いかなる術理によるものなのか?


 続いて、舞い踊るカイに向かって、五体の機装兵が接近する。頑強な装甲と剛力、高い学習能力を持ち、コードの敵を排除する一騎当千の機装兵達に向かって、カイは特にこれといった反応を見せなかった。

 振り下ろされた拳に対して、カイの腕が交差する。それだけで、重さ数百キロはある機装兵の身体が大きく宙に吹き飛ばされる。


 片時も目を離さなかったはずのアンガスにも、カイが何をしたのかわからなかった。ジーンが説明する。


「どうやら、カイは力の使い方が非常にうまいようです。そして、それを独自の戦闘スタイルに昇華している。学習能力の高い機装兵達でもこれは真似できません。重心の移動によって機装兵達の力を転用し、弾き飛ばしているようです」


「多少相手の力を利用したところで、熱線はかき消せまい。あれはどう説明する?」


「それは……マナ・マテリアルによる力です。彼は恐らく、マナ・マテリアルで肉体の一部を極端に強化しています。手の平や肘などですね。他にもスキャンした結果、何箇所か異様な力が発揮されている箇所が見られました」


 つまり、あの男は単純に、鍛え上げられた素手で熱線をかき消しているという事か。予想外の言葉に、アンガスは眉を顰めた。


 カイの強さを解析すれば機装兵や外部から引き入れた兵達を強化できるかと思っていたが、どうやらそちらはうまくいかないらしい。


 突出した才能とたゆまぬ努力あっての力という事だろう。


 だが、肝心なのはそこではない。カイがどこまで切り札として有効活用できるか、だ。


「カイと《雷帝》が戦った場合どちらが勝つ?」


「状況次第です。ですが、コードの試算ではほぼほぼカイが優勢と出ております。何より、カイには雷への耐性があります」


 ジーンの言葉と同時に、機装兵達が手を伸ばす。

 両腕の先から舞い散る激しい紫電。刹那、放たれた巨大な雷に対して、カイは躊躇いなく飛び込んだ。

 ばりばりという激しい音。機装兵が地面に叩きつけられる。



 そこにあっていたのは、雷を受けて尚、無傷を保ったカイの姿だった。



 《雷帝》の襲撃はアンガスの計画外の出来事だったが、それに匹敵する男を手に入れる事ができたのは僥倖と呼ぶ他ないだろう。



「問題は、ノーラが封印指定を手駒にした場合だ。相手のエースを倒せなければひっくり返される可能性があるからな。他にも幾つか懸念点はあるが――サーヤの方はどうだ?」


「サーヤの方は……いまだに解析が済んでいません。能力が未知数である以上、テストするのも危険かと」


「……ふむ。解析を続けろ。あの能力は絶対に欲しい」


 切り札は一枚では足りない。万全を期すには最低でも守りと攻めで二枚いる。兵隊の数も兵器の数も他の陣営より勝っている自信はあるが、備えはしてしすぎるという事はない。


 アンガスにとってコード王の地位はゴールではないのだ。

 王位を取った後はコードの戦力を以て外界に打って出なくてはならない。そのために、外部の組織とも密に連携している。



「ぎりぎりまで訓練させろ。仮面をつけた状態に慣れさせるのだ。それと、モリスの元に向かったあの女はどうなっている?」


「どうやら殿下の計画通り、モリス王子から近衛に任命されたようです」


「……ふん。モリスは想定通り過ぎてつまらんな。臆病者とはかくも操作し易いものなのか」


 ジーンの報告に、アンガスはつまらなそうに鼻を鳴らした。


 王位継承戦は王の崩御の前から始まっている。外部から引き入れた者達の中には、カイやサーヤ以外にも実力者が何人か含まれているが、そのほぼ全てがアンガスの陣営と関係のある者達だ。

 臆病な性格のモリスには特別な実力者を送りつけてやった。王の器でなくとも、有する権限はアンガスと同じ。捨て置くには危険過ぎる。



 今頃モリスは自分の近衛がアンガスの差し向けた首輪だという事も知らずに安堵している事だろう。



 率先して動かぬ者に幸運が舞い降りるなんて都合のいい話、ありえないというのに。



 アンガスは笑みを浮かべると、ジーンに命令した。


「何かあれば報告しろ。時が来るまでに少しでも味方を増やさねば、な」


「はっ。雑事はお任せください、殿下の計画、必ずや完遂させてみせます」








§ § §







 一体、何をやったのだ……あの男。


 ノーラ・コードは、王から直々に送られてきた通達に、呆れるべきなのか感心するべきなのか、さっぱりわからなかった。


 王から直々に注意が飛ぶなど、初めての事である。そもそもコード王は普段は都市の統治をクラス8に任せており、めったに口出しする事はない。

 通達にはあの男が何をやったのかについては一切記されていなかったが、その文面からはあの男が王に向かって何か馬鹿げた事をしでかした事がよく伝わってきた。


 これであの男はアンガスを、ノーラを、そして王を、呆れさせた事になる。確かにあの男はコード史上最高に無能だが、ただの無能だったらこうはならないだろう。

 よくもまあまだ始末されていないものだ。しかも、あの男……コード王はもちろん、王族にコンタクトする権利すら持っていないはずなのに――。


 ノーラ・コードの私室。

 深く椅子に腰を下ろしたノーラの隣で、王から送られてきた前代未聞のメッセージについて聞いていた近衛が、その整った眉を顰めて確認してくる。


「ノーラ様、いかが致しましょう?」

 

「…………そうだな」


 王からの通達には、王族の者はクライ・アンドリヒのくだらない言動に惑わされないようにと注意喚起がされていた。それにはもちろん、ノーラがクライに《雷帝》を譲ってしまった件についても含まれているのだろう。


 その忠告を素直に受け入れるのならば一番の手段はクライ・アンドリヒをシャットアウトする事である。ノーラの権限ならばクライ・アンドリヒからのコンタクトを完全にブロックし、ノーラの支配するエリアへの立ち入りを物理的に禁止するなど簡単だ。


 その可能性を少しだけ考え、足を組み替えると、ノーラは小さくため息を漏らした。


「無視するわけにもいかない。何しろ、《雷帝》の友人だ」


「……僭越ながら、ノーラ様は《雷帝》は諦めたのでは?」


「手駒にするのは諦めたわ。だが、だからといって、関わりを断つ必要はないだろう? 《雷帝》は間違いなく、このコードにいるのだから」


 近衛にするのは不可能でも、取引次第ではその力を借りる事は可能だろう。

 だが、それには、クライ・アンドリヒと円滑な関係を築く必要があった。



 あの男はコード王の言う通り、間違いなく無能である。だが、同時に――間違いなく、重要人物だ。



 確かにノーラはあの男の言動を受けて《雷帝》に仮面を使う事を諦めたが、後悔はしていない。

 クライ・アンドリヒは《雷帝》の友であり、《雷帝》を助け出すために命をかけてコードに潜入した男であり、そして彼には《雷帝》と同格の仲間が二人もいるのだ。


 クライ・アンドリヒはノーラに対して無礼な態度を取るが、敵ではない。そして、敵でないのならばその力を借りる事もできるだろう。

 また、アンガスが話していたカイやサーヤについても情報を持っているはずだ。能力や弱点も知っているかもしれない。それだけで、関わるだけの価値はあると言える。


「協力関係を結ぶにしても、餌がいりますね」


「餌などなくても頷きそうではあるが…………ふん。あの男はスペアの近衛だ。全てが終わった後のスペアの命を保証してやればいいわ」


 不慮の事態で王族が全滅した際のスペアとして生み出されたアリシャ・コードは役割を終えれば処分される運命にある。



 だが、同時に、彼女には処分されるに足る強い理由が存在しない。



 最初からその手はずだった。生きているよりは死んでもらった方が少しだけ都合がいい。

 彼女が処分されるのはその程度の理由であり、それはノーラならばひっくり返せる運命だった。


 もちろんノーラが王位を得る事ができたらの話、だが。


「しかし……近衛と言っても、あの男は外部の人間で――近衛にもなったばかりです。条件を呑むでしょうか?」


「何を見ていたの? あれは、友人を助けるためにこんなところまでやってきたのよ?」 


 それは、クライ・アンドリヒを敵ではないと断言できる大きな理由の一つだった。


 あの男は――甘い。ノーラがこれまで出会ってきたどの人間よりも甘っちょろく、さしたる信念もなく、そして恐らくは――愚かで、善良なのだ。まるで、戦争というものを、争いというものを、敵意というものを、一切知らないかのように。


 だからこそ、あの男は監獄でノーラに順番を譲ろうとしたし、ちょっと困っただけで敵であるはずのノーラに助けを求めてきた。


 故に、手を組める。アンガスやトニーと手を組むよりも、少しでもいい立ち位置を確保しようと虎視眈々と状況を窺っている貴族達と手を組むよりも、ずっとマシだ。


「アンガスはクライにうんざりしている。恐らくクライと組むのはあの計算高いアンガスにとっても想定外だろう。王からの通達もある」


「…………」


 ノーラの言葉に近衛は何も答えない。だが、その仏頂面から何を考えているのかはしっかりと伝わってきた。


 この忠実な男は、ノーラが監獄の時のようにクライの言動に翻弄されないか心配なのだ。そして、その不安はもっともである。

 クライの無能っぷりは、何か一つでもノーラに有利な事をやれば死んでしまうとでも考えていそうなアンガスが、ノーラに忠告する程なのだから。



「わかっている。平等な協力関係を築くつもりはない。主導権は渡さない。私が上で、あの男が下。スペアの――アリシャ・コードの様子を監視しろ、今すぐに、だ。時間はもう余り、残っていないのだからな」



 アンガスの言葉が真実ならば、何もしないまま王位争奪戦が始まればノーラの勝利はかなり怪しくなってくる。真偽は定かではないが、《雷帝》クラス二人を含んだアンガスの軍勢に対してノーラの騎士団が易易と勝利をもぎ取れると考える程、ノーラはうぬぼれてはいない。

 戦いを有利に進めるにはもう一手必要だった。《雷帝》が味方してくれたとしても、後一手。


「封印指定……ふん。リスクは高いけど……座してただ敗北の時を待つわけにはいかないわね」


 外部組織からの依頼でコード監獄の最奥に封じ込められた特別な収監者。不確定要素に頼るのは避けたかったが、背に腹は代えられない。


 幸い、《雷帝》に使わなかった仮面も残っている。試してみる価値はあるはずだ。






§ § §






 もしかしたら、世界は自分が考えているより自由なのかもしれない。

 

 アリシャ・コードは生まれて始めて、教育システムから与えられていた常識に疑念を抱いていた。


 アリシャは生まれてこの方、この部屋から出た事がない。出る必要性を感じた事もなかった。

 必要なものは全て与えられたし、教育だって受けた。それは、疑念を挟む余地のない偉大なるコードの王の決定だったのだ。



 だから――今回のクライの提案とコード王の対応は、アリシャにとって衝撃的なものだった。



 アリシャの常識では、コード王の決定は絶対だ。慈悲を乞う事はできても、おねだりやわがままを通せるような相手では、通していいような相手ではなかった。

 クライの提案を実行したのは一度目の土下座で半ばヤケになっていたからであり、アリシャがもう少し冷静だったらあんな無礼な真似はしていなかっただろう。



 まさか、そんな、アリシャ自身もどうにかなるとは思っていなかった、あんな下らない『駄々こね』でコード王が意見を翻すとは。



 アリシャの常識では、それは絶対にありえない行為だ。

 だが、結果を見るに、多分それはアリシャが間違えていて、外からやってきたクライが正しかったという事だろう。


 今も、都市システムの教育に大きな問題があると思っているわけではない。王族には王族としての責務が、義務が、学ぶべき事がある。

 だが、同時に、見識を広く持たねばならないとも思うのだ。




 コードの外には、コードでは学べないものがある。



 

 近衛のクライは、外の世界にはちょこれーとよりも美味しいものが沢山あると断言した。ならば、アリシャはそれを知らねばならない。

 この偉大なるコードをよりよいものにするために、優れたものを見つけ、コードに取り入れるのだ。それは、王族の義務の一つと言えるだろう。言えるはずだ。



 アリシャは部屋から出られない。それは、王が決めた大前提である。だが、それでもできる事はあるはずである。

 例えば、クライから情報を集め、報告書を作り王に送る。アリシャの報告書が有益だと判断されれば、王はその情報を元にコードの機能を動かしてくれる事だろう。アリシャの無様な姿を見て(恐らく)哀れみを抱き、ちょこれーと研究を開始してくれたように。


 駄々こねを受けた王の変心と、クライが最後に言い残した驚愕の事実に興奮さめやらぬまま一晩考え、自分なりに今後の行動の方針を決める。


 アリシャには時間があった。アリシャのスケジュールは都市システムにより定められているが、教育カリキュラムもほぼ終わっているし、健康維持のための体操はそこまで時間がかからない。


 思い返すと、クライが近衛としてやってきたのは本当に、この上ない幸運だった。

 ちょこれーとという素晴らしいおやつを食べられたのを始めとして、新しい知識が幾つも増えたし、近衛が機装兵だけだった頃や、バイカー達が入ってきた時とは大違いである。


 何より、最近、クライがやってきてから――アリシャに目が向けられる事が明らかに多くなっていた。


 アリシャの部屋はクラス4程度の権限があれば誰でも覗けるようになっているが、これまでアリシャの部屋を覗く者など皆無に近かった。それが今では――頻繁に見られている。アリシャにはわかるのだ。そして、その部屋を覗いている者の中に、アリシャと同格の権限を持つ者が存在する事も。


 それで何かが変わるというわけではないが、注目されると自然と気も引き締まるというもの。




 朝起きて日々のルーチンをこなす。だが、頭の中は今後の事でいっぱいだ。


 もうとっくに日は昇っているのに、クライは部屋の前のベッドの中で、身じろぎ一つせずに眠っていた。最初の数日はアリシャの起床に合わせて起きていたはずなのに、アリシャを監視している者達が増えるのと反比例するかのように起床時間が遅くなっている。


 やきもきしながら食べる朝食はあまり美味しくなかった。そもそもちょこれーとと比べると美味しくないのだが、ついつい顔を顰めてしまう。

 体操を終え、朝食を終え、朝の勉強を終えても、クライは起きる気配がなかった。



 どれだけ寝るのだろうか。まったく……主人を待たせるなんてとんでもない近衛だ。駄々をこねてやろうか……。



 そんな事を考えていると、アリシャの脳内に一つの通知が入ってきた。

 金属が床を打つ足音。扉が開き、純白のスマートなフォルムの機装兵が規則正しい足音を立てて近づいてくる。


 王族近衛用の特別仕様の機装兵。

 都市システムがアリシャの近衛が規定数に満たず、且つ満たせる見込みがないと判断して機装兵を配備したのだ。



 その数、二十三。久々に見る機装兵に、アリシャは自然と小さくため息をついていた。



 つい先日までアリシャの近衛は機装兵だけだった。それで満足していた……というか、特に不満もなかったのだが、クライやその連れてきた近衛と比べると機装兵は機能的だが、面白みが感じられない。



 機装兵達は無言のまま、アリシャの部屋を守るように通路に並ぶ。

 きっと、アリシャの部屋に侵入者があれば速やかに制圧してくれるのだろう。だが、雑談はしてくれないし、アリシャの方を見てもいない。


 王族近衛用の機装兵は特別品だ。コードを守る他の機装兵とは性能も違えば、指揮系統も違う。しかし、彼らはアリシャの命令通りに動くが、逆に言うのならば命令しない限り動かないのだ。そして、アリシャには特に命令するような事もなかった。


 つまらない。見ていて面白くない。わくわくしない。想定を越えてこない。

 無骨な機装兵を見ていると、とめどのない不満がにじみだしてきそうで、アリシャは大きく深呼吸をした。


 驚くべき事だ。これは、驚くべきことだった。まさか、自分がコードの完璧な都市システムに僅かでも不満を抱くことがあるなんて。

 もしかしたらアリシャはこの短時間でとても贅沢になってしまったのかもしれない。



 その時、ベッドがもぞりと動き、面白い方の近衛がようやく身じろぎをして、ベッドから起き上がった。



 機装兵がこんなに沢山近づいてきたのに眠り続けるのは近衛としてどうなのだろうか?

 寝癖のついた髪。呆れているアリシャの前で、クライは大きく伸びをすると、のんびりとした声で言った。


「おひいさま、おはよう」


「…………もう十一時、だけど……」


「あー、なんかここに来て早起きになっちゃったよ。やっぱりベッドがいいのかな?」


「!?」


 これで早起きなんて、信じられない。なんてねぼすけな近衛だろうか、それとも外の世界ではこれが普通なのか?

 そもそも主よりも遅く起きる近衛というのは、どうなのだろうか?


 呆れ果てるアリシャの前で、クライが左右に立ち並ぶ機装兵を見て目を見開いた。


「!? おひいさま、これは…………」


「……新しい近衛。ついさっき来たの」


 そんなのはどうでもいい話だ。どうせ襲撃などないのだから、近衛機装兵などただの置物みたいなものである。

 さっさと次の話に移りたいアリシャに、クライが言った。


「………………これって僕も使えたりする? 外に行く時の護衛にしたいんだけど……」


 …………アリシャの護衛のはずのクライが更に護衛を求めるとはどういう事なのだろうか?


 いや――待てよ? 





 これはもしや…………アリシャを部屋の外に連れて行ってくれるという事では?




 きっとそうだ。そもそも近衛が自分に護衛をつけようとなどするわけがないではないか。


 これまで外に興味はなかった。部屋から出たいと思った事もなかった。この部屋にロックをかけたのは偉大なるコード王の決定なのだ。

 だが、クライが頑張ってアリシャに外を見せてくれるというのであれば、それを断る理由は何もない。


 都市の外にはコードにないものが沢山ある。だが、コードの中の事だって、アリシャはそこまで知っているわけではないのだ。少なくとも知識は持っているが、体験はしていない。

 問題はロックをかけたコード王の決定は覆らないだろうという事だが、クライの言う通りにしたら一度は駄目だったチョコレートの研究もしてくれる事になったのだ。


 アリシャは王族である。外を出歩いたところで襲う者などいるはずもないのだが、王族の護衛について考えるのは近衛の仕事だ。

 そして、仮にも近衛のリーダーであるクライが、機装兵への命令権が自分にあるのか聞いてくるのは不自然ではない。


 クライに命令権はない。本来、近衛機装兵に命令できるのは王と護衛される本人だけだ。


 大きく深呼吸をすると、アリシャは都市システムにアクセスした。

 脳内に流し込まれてくる膨大な情報を処理し、自分にできる事、できない事を判別していく。


 アリシャの持つ王族の権限のほとんどは凍結されている。必要ないと、王が判断したからだ。だが、その凍結も、前回のアリシャの懇願で緩和されていた。

 外部から物品を送れるようにする。一見簡単に許可できそうだが、それを可能にするには幾つかのアリシャの権限を復活させる必要があったのだ。


 王が必要ないと思ったから凍結された。王が必要だと感じたから、凍結が解除された。コード王は全知全能にして慈悲深く、偉大である。アリシャは自らの権利を使う事に躊躇いはない。


 果たして、王族直属の近衛機装兵の管理権限はアリシャに存在していた。

 配属されたばかりの機装兵達のリストを確認し、アリシャにのみ存在していた機装兵達の命令権をすべてそっくりそのままクライに移譲する。


 これで機装兵達はクライの命令をアリシャの命令と同様に判断するだろう。アリシャはもう一度深呼吸をして自分を落ち着かせると、期待が漏れないよう、王族としての威厳を保ったままクライに言った。




「全近衛機装兵の管理権限をクライに渡した。これでいい?」


 クライが目を瞬かせ、直立する機装兵達を眺めて言う。


「助かるよ。ところで、えっと……この機装兵達って、どのくらい強いの?」


 まさか……ただの近衛機装兵では足りないというのか?


 近衛機装兵は強い。ただの機装兵よりも強化されている。カタログスペックだけならばコードの持つ人型兵器の中では上位になるだろう。


 だが、同時に、この機装兵がノーマルの近衛機装兵である事は間違いなかった。


 アリシャが受けた教育システムによると、近衛機装兵というのは本来、王族が自らのリソースを使い改造してこそ真価を発揮するものなのだ。

 その事を眼の前にいるこの青年が知っていたのかはわからない。だが、やはり近衛に選ばれるような男だ、見る目は確かなのだろう。


「……クライ、貴方の責任感に感謝する。でも、私には、ほとんどリソースがないから……」


「え? リソース……?」


 本来王族にはコードの資源の使用権限が――リソースが与えられる。だが、アリシャにはそれが最低限の生活を送る分しか与えられていない。だから、アリシャは王族でありながらも、自分ではちょこれーとの研究一つできない。

 これは王の決めたことである。コードのリソースは有限だ、王に駄々こねをしても追加のリソースがアリシャに分け与えられたりはしないだろう。


 クライはしばらく眉を顰めていたが、残念そうな表情で頷いた。


「わかった。とりあえず、そんなに強くないって事ね……そもそもこんなに沢山連れ歩けないしなあ」



 これは――まずい。この近衛はアリシャを外に連れていくのを諦めるつもりだ。


 ノーマルの近衛機装兵程度じゃ足りないという事か。こんなに連れ歩けないというのは、護衛計画に支障が出るという事だろう。


 確かに未改造だがそれぞれが一騎当千の個体だから大丈夫! と言いたいところだが、近衛のリーダーがその程度で意見を変えたりしないはず。もしかしたらアリシャにとって最初の外出というのも懸念点になっているのかもしれない。


 アリシャは慌ててもう一度都市システムにアクセスした。


「…………ちょ、ちょっと、待って……」


 自分の権限をもう一度改めて確認し、頭を回転させる。これまで教育システムから与えられた知識を元に、自分にできる事を必死に探す。

 アリシャに与えられたリソースは本当に極少量だが、できる事はあるはずだ。


 外付けの武器を持たせる。機装兵自体を強化する。駄目だ、どちらもリソースが足りていない。そもそも、アリシャには兵器を持つような力は持たされていないのだ。

 二十三体の近衛機装兵が配属されたのも単純に都市のルールに則った救済措置故で、アリシャの力ではない…………いや、待った!



 アリシャは自分の考えに一瞬息を呑み、顔をあげた。考えすぎで熱を持った脳にぞくぞくするような快感が奔る。こんなに考え事をしたのは初めてだった。


 だが、一つ、いいことを思いついた。自分は天才ではなかろうか。



「配属されたばかりの近衛機装兵の大部分をリソースに戻す! そのリソースを使えば武器も作れるし、残りの近衛機装兵を強化できる! それで数が足りなくなった機装兵は都市システムが補充してくれるはず!」


「え?」


 クライが目を丸くする。それっていいの? とでも言いたいのだろうか?


 アリシャは、クライが何か言う前に断言した。


「いいの! ルールがそうなってるんだから!」


 良くはない。都市システムの救済措置をそのように使うなど王族として言語道断だ。だが、できるできないで言えば、恐らくできる。

 だからいいのだ。全てはコードの未来のためなのだから。


 躊躇いのないアリシャの決定により、機装兵達が床に吸い込まれる。改造や武器を持たせるのは全て都市の持つ能力の範疇だ、時間はかからない。


 二十三体のうち、二十体をリソースに戻し、その数値内で武器や改造パーツを取り寄せ、三体を改良していく。具体的な作業は都市システムが行ってくれるので、アリシャのする事は選択だけだ。だが、その選択によって機装兵の性能は大きく変わる。そこにはパズルでも組み立てているかのような喜びがあった。


 二十体分のリソースを使った三体の近衛機装兵の強化はすぐに完了した。機装兵の強化システムなど使った事がなかったが、さすがコードだ。


 床が開き、強化を終えたばかりの機装兵が上がってくる。アリシャは目を輝かせて自分が選択した近衛を確認する。

 新たな機装兵は攻撃ではなく守りに特化した個体である。撹乱用の兵器を積んだ個体、相手の武装を解除する事を目的とする個体、機動力に秀で飛行能力も有する逃げるための個体。特殊な機装兵だと示すためにそれぞれ色も変えている。これならばきっと、クライのお眼鏡にも叶うはずだ。


「これは……凄いなぁ」


「ーーーーっ!!」


 アリシャのデザインした三体の機装兵の姿に、クライが感嘆したような声をあげる。

 どうやら新機装兵は合格のようだ。興奮も最高潮になっているアリシャに、クライがにこにこと言った。


「それじゃ、ありがたく借りるね。ちょっと外の様子を見て回ってくるよ」


「…………え?」


 目を丸くしている間に、クライが近衛機装兵達を連れて出ていってしまう。

 アリシャはしばらく混乱していたが、やがて扉から離れベッドの上に膝を抱えて座った。


 まさか……事前に安全の確認が必要って事? そこまでやるの?


 コードの王族である自分を害する者などいるわけがないのに、心配性過ぎる。肩透かしを食らった気分だ。


 だが、まだがっかりするのは早い。もしかしたら安全性を確認しなければコード王からの許可を取れないのかもしれない。それならば仕方ない。



 アリシャはすぐに気を取り直すと、大きな窓の近くに駆け寄り、窓からビルの下を見下ろした。





§ § §





 おひいさまは懐が広いなあ。こんなに強そうな機装兵を貸してくれるなんて。


 スキップでもしたい気分でおひいさまのビルから出る。陽光が、まるで僕を祝福でもするかのように燦々と降り注いでいた。


 僕の今回の目標は言わずもがな、王族達を保護――もっと細かく言うのならば、王族を保護するカイザーとサヤをサポートする事だ。

 だが、二つ目の努力目標として、コードに存在するはずの高度物理文明の宝具を手に入れるというものがあった。それがようやく叶うのだ。


 既に僕はコードでさんざん働いている。やることは大体やったし、そろそろ宝具を探しにいってもいいだろう。都市の観光――視察もできて一石二鳥である。

 護衛がいない状態で街を見て回るのはさすがに避けたかったが、おひいさまの厚意でそれも解決できた。


 まったく、護衛はクラヒに頼むつもりだったのに、おひいさまのビルに立ち入れなくなってしまったからな。



 そうだ。ついでに、都市内部を練り歩けばカイザーやサヤに見つけてもらえるかもしれない。一石三鳥……これが神算鬼謀か。


 僕はこの街に来て見かけたどの機装兵とも異なる三体の機装兵を振り返り、ばんばんと肩を叩いて言った。


「よろしく頼むよ、君たち」



 さぁ、街を見に行こう。





=====あとがき=====


マイクロマガジンストアにて、『嘆きの亡霊は引退したい』の店舗特典集の一般販売が開始されたようです。




若干ですが多く作っていただけたらしく、


予約し忘れていた方、是非是非この機会にご確認くださいませ!(なくなり次第終了)




今回新規で作られる店舗特典集Vol.4の書き下ろしクリアファイルはルシアちゃんですよ。よろしくお願いします!(最近本編ででてきていない。喫茶店に来てもらうしかないのか……)




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