408 駄々こね
おひいさまは優秀だ。観察した限り学習能力も運動能力も僕よりも高く、性格はノーラさんよりよほど温厚で、僕のような下々の人間の言葉を聞く度量もある。
唯一の弱点は幽閉されていたので少し世間離れしている事だろう。外の世界ではおひいさまはただの人になるわけで、これから保護される彼女にはある程度、無理の通し方を理解してもらわねばならない。
幸い、僕は実力がなくても無理を通す方法を知っていた。まぁ、僕は優秀で協力的な幼馴染や妹がいるので余り使う機会はないのだが――。
扉の向こう。唯一活動を許された部屋で、おひいさまが緊張した表情で言う。
「ほ、ほんとうに、私がやるの?」
「まぁ、やらなくてもいいけどね…………でも外の世界だと欲しいものとか、やりたいことがあったら自分の力でなんとかしないといけないんだよ。外の世界ではみんなやってる事だ」
「…………本物さん、本当に本物さんはぁ、こんな方法でこれまでやってきたんですかあ? なんか、聞いていた話と違うような…………」
眉を顰め半信半疑の表情で僕を見上げているルシャ。いや、さすがに駄々こねだけでやってきたわけではないが、他の人の力を借り続け場当たり的な対応で誤魔化し誤魔化しやってきた事は否定しない。まぁ今回は他に手段もないと思うけど。
正直に言って、僕はコード王がチョコレートを作ってくれてもくれなくてもどちらでもよかった。
僕はチョコレートが大好きだがそこまでこだわりがあるわけではない。外の世界にはチョコレート以外にも甘味は沢山あるのだ。もしも宝具にチョコレート以外のお菓子もいれることができたのならば、ラインナップはさぞ豊富なものになっていただろう。
おひいさまはしばらく深呼吸をしていたが、扉から離れると、一点を見つめた。恐らくそこからコード王が見ているのだろう。
なんとも言えない緊迫感が、この前まで天真爛漫な姿しか見せてこなかったおひいさまから伝わってくる。
そして、おひいさまは手を組み合わせると、甘えるような声で言った。
「ぱぱぁ、アリシャ……チョコレートを作って欲しいの。一生のお願い! ダメ?」
首をかしげすがるように宙を見つめるおひいさま。
…………やるじゃん、ルシャから教えられた時には散々嫌がっていたのに。
プライドを捨てたその所作には王族の貫禄があった(意味不明)。師匠であるルシャも目を丸くしている。それほどその『おねだり』は完璧だった。
あの見事な『土下座』が効かなかったコード王にそれが通じるかわからないが――。
「…………本物さん。ちょっと私、これまでの行動を振り返ろうかと思いましたぁ」
自分でやらせておいて反省するんじゃない! おひいさまが可哀想すぎるだろ!
おひいさまはしばらく首をかしげたまま固まっていたが、すぐに、ただでさえ紅潮していた顔が更に赤みをましてきた。もう首筋まで真っ赤である。
玉の汗が流れ落ちる。このルシャ直伝の『おねだり』が駄目なら、いよいよ覚悟を決めるしかない。
そして、おひいさまはその場に崩れ落ちると、床の上に仰向けに転がり、首をぶんぶん振りながら手足をばたばたさせて叫んだ。
「やーだー! アリシャ、ちょこれーとがほしいのお! ちょーこーれーえーとーッ! ぱーぱー! ちょーこーれーえーとーっ!!!! ほーしーいー!」
……どうやら、『おねだり』は駄目だったらしいな。ルシャが絶対いけるって言うから期待していたのに……。
その『駄々こね』はなかなか無様で立派な駄々こねだった。だが、チョコレートが欲しいという気持ちは余り伝わってこない。
多分もうおひいさまは自暴自棄になっているのだろう。ここまでやってしまった以上、今更退けないという事だ。
さすがに才能に溢れたおひいさまでも駄々こねの才能はなかったらしい。
かつてのリィズちゃんの駄々こねはこんなものではなかった。泥溜まりの中でも平気で駄々をこねたし、ごろごろ転がったし、絡みついてきたし、服を脱ぎ始める事だってあった。無敵である。今のリィズは立派なお姉さんになったのだ(二度目)。
駄々こねのコツは相手が要求を飲むまで繰り返す事だ。僕は今にも折れそうになってる事がその表情から伝わってくるおひいさまを勇気づけるべく叫んだ。
「おひいさま、みっともなさが足りないよ! もっと恥を捨てて、見せつけるんだ! 効いてるよ! 間違いなく効いてる!」
「すごいですねえ……本物さん、一応言っておきますが…………私、こんな事した事ありませんよぉ? 本当ですよぉ? だって、お兄ちゃんにこんな無様なところ見せられるわけがないでしょ? 私これでも、けっこうお嬢様なんですよお?」
『駄々こね』に関しては余り役に立たなかったルシャが言う。まぁ、恥じらいがあったら駄々こねなんてできないからな。
さすがの僕でも駄々をこねるのは無理だ。僕がやっても絶対に要求は通らないだろうし、土下座した方がいい。
だが、今はおひいさまの応援をしよう。今彼女は全てを捨てて戦っているのだ。
目を見開きしっかりおひいさまの勇姿を網膜に焼き付け、応援する。
「頑張れ頑張れおひいさま! あと少しだよ! ほら、物とか投げて!」
『き、きさまかああああああああああああああああああああああああッ! スペアにおかしな事をやらせているのはッ!』
「!?」
「ひぇ!?」
不意にどこからともなく聞こえた声に、僕は思わず目を見開いた。ルシャがびくりと身を震わせ上目遣いであたりを見回し、身体をくねらせてじたばたしていたおひいさまが動きを止める。
?? 何? 今の?
後ろを確認するが、僕達以外に人はいない。人がいないのに声が聞こえるとは……しかも、聞き覚えのない声だった。
………………まぁいいか。気を取り直し、動きを止めているおひいさまを鼓舞する。
「おひいさま、ほら、何動き止めてるの! せっかくうまくいっていたのに!」
「え? !?? ちょ……ちょーこーれーえーとー!」
『やめんかッ!!』
それは、まるで雷が至近距離に落ちたかのような一喝だった。声と同時に強い目眩が僕を襲う。
――そして、それが治まった時、僕は何もない白い空間に一人立っていた。
先ほどまで一緒にいたはずのルシャも、駄々をこねていたはずのおひいさまも、影も形もなかった。
そもそも、部屋や廊下自体がない。かろうじて自分の身体は見えているが、それ以外が本当に何も見えない。真っ白だ。
これはどういう事か。唐突な事態に目を瞬かせる僕に、天から声が降ってくる。
『今すぐにスペアにあれをやめさせろ! 見るに耐えん!』
「…………どちら様?」
『…………我が名はクロス・コード。このコードの王だ』
クロス・コード。このコードの王。
その言葉に、僕は目を見開いた。
コードの王は僕の保護対象の一人である。そして、最も保護が難しいはずの相手だった。
何しろ、コード王とはこのコードの都市システムにおいてもっとも優遇されている者なのだ。当然、王族を幽閉しているらしい僕達の仮想敵である貴族達にとっても重要人物だろうし、最も守りが堅いであろう事は想像できる。
それが、娘であるおひいさまにならばともかく、この僕に連絡を取ってくるとは――そしてそんな事を、王を幽閉している者達が許すとは予想外だ。ついでに、クール達が集めた情報が真実ならば、王はここしばらくは表に姿を見せていないはず――声を聞いた者すらいないはずなのである。
コード王とのコンタクトは依頼をこなす上で最大のハードルになるはずなのであった。いくら僕のような無能でも今のこの状況がおかしい事はわかる。
…………本当にこの声はコード王なのだろうか? 怪しいなあ。
半信半疑の僕に、コード王を名乗る声が言う。
『今すぐにスペアに、あの愚行をやめさせろ! あれが一応、コードの王族である事は知っているだろう? 何をさせようと、私は、絶対に、ちょこれーとを生産したりしないからな!』
「ま、まぁまぁ、落ち着いて、お父さん」
『だ、だだ、誰が、お父さんだッ!! コードの王族を外と一緒に考えるな! 大体、スペアに肩入れすれば他の者達に示しがつかないだろう!』
ところでスペアって、もしかしなくてもおひいさまの事だろうか? 確かにバイカー一味の人もアリシャ王女はスペアだとか言っていたけど、いくらなんでもそんな呼び方するなんて酷すぎる。
この相手が本当におひいさまの父親ならば娘をそんな風に呼ぶだろうか? むしろその余りにも冷たい呼び方は声の主が親ではない証明のようにも思える。
僕はこれまで何人もの王族と会った事があるが、一人として自らの娘にそんな扱いをしている人はいなかったよ。
ちなみに、うちの親なんて実子の僕よりもルシアを可愛がっていた程である。そりゃそうだ、僕が親の立場だったとしてもそうするわ!
さて、となると、この声がコード王じゃないとして、誰なのか。一番ありえるのは、王を軟禁している者達の仲間だろう。
そして、こんな連絡を送ってくるという事は、おひいさまの駄々こねが効いているという事だ。やはり駄々こねは無敵か。
僕は肩を竦めるとハードボイルドに言った。
「スペアじゃないでしょ。アリシャ、だよ、アリシャ王女だ。ダメだよそんな呼び方しちゃ」
『……何だと?』
「別にチョコレートくらい作ってあげればいいじゃん、別に減るもんじゃないし。父親が娘のためにお菓子作ってあげたくらいじゃ誰も文句なんて言わないって」
『ぐ…………こちらの事情も知らず……四点めッ。私は、このコードの、王だぞ? その命に背くという意味、理解しての言葉だろうな?』
コード王が一瞬言い淀み、こちらを脅すような言葉をかけてくる。
やれやれ、そんな脅しで怯えると思ってもらっては困る。残念だったな、僕はこれまで沢山の王族と会ってきたから知っている。
本物の王ってのは――もっと懐が深いものなんだよ。
そもそも、(ノーラさんと会った時も同じ印象を抱いたけど)この人の言葉は、軟禁されて言う事を聞かされている者の言葉にはとても聞こえない。
まぁ、だが、ここで無駄にこの自称王の敵意を買う意味はないだろう。僕の目的――依頼について話すのも当然、なしだ。
今、僕のすべきことはカイザー達がうまいこと依頼をクリアしてくれるまでなんとか耐え凌ぐ事。この相手が敵の可能性が高い以上は警戒させないように行動すべきだろう。
…………それに正直、おひいさまがチョコレートの虜になってしまった件については僕も少し責任を感じていたのだ。
このままでは保護した後に影響が出そうだし、そろそろなんとかするべきだと思っていた。
「わかった、わかったよ。やらないなんて言ってないでしょ? おひいさまもチョコレート食べ過ぎだと思っていたし――」
『!? 変な物をスペアに与えたのはお前だろう』
「あ、あんな風になるなんて、思ってなかったんだよ。後、スペアじゃなくてアリシャだって」
お金持ちのお嬢様が庶民の食べ物に夢中になるという話はたまに聞いたことがあるが、まさかおひいさまがあそこまでチョコレートに執心するとは思っていなかった。
あの素直でにこにこしていたおひいさまが一転して、チョコバーはもうないなんて嘘をつくレベルだからな。このままじゃ依頼が無事うまくいったとしても、ガークさんや探索者協会のお偉いさんに叱られてしまうかもしれない。
「そうだな……クロスさん? はとりあえずこの場を収めてよ。僕がおひいさまの注意を逸らすから。多分しばらくチョコレートを食べなければ元に戻ると思うんだよね。依存性があるわけでもないし」
そもそもチョコレートは確かに美味しいし僕も大好きだが、この世界で一番美味しい物というわけでもない。世界にはもっと美味しい食べ物が色々あるし、なんならコードで作れる物の中にだってあるはずだ。
今のおひいさまは新たな刺激に興奮しているだけだ。ずっと部屋に閉じ込められていたからというのもあるだろう。
『ふむ……だが、この状況を作ったのは貴様だろう。どう収めろと言うのだ?』
「うーん…………」
確かに、今のおひいさまは自暴自棄な状況だ。チョコレートのためにプライドを売っている。
僕も効いてるとか余計な激励を入れてしまったし、なかなか今のおひいさまを落ち着かせるのは難しいかもしれない。
と、そこで僕は、いい方法を思いついた。
「一旦了承すれば落ち着くと思うけど…………作ってあげるのはいいけどチョコレートの研究に時間がかかる、とか、伝えたらいいんじゃない?」
『…………やむを得んか。余計な手間を取らせおって』
「ごめんごめん、なんとか説得するからさ」
見えないぺこぺこ頭を下げながら謝る僕に、自称コード王が小さく鼻を鳴らして言う。
『貴様の言葉は信用ならないが――確かに、貴様はこのコードに、一瞬たりとも、一欠片の敵意も持っていない。コード市民からですら極稀に察知する敵意を、な。貴様は、ただ、能力が、ないだけだ! この私が、これまでに見た、誰よりも、な。まさか、この私が死ぬ前に貴様のような無能に話しかける事になるとは――』
…………いや、そこまで言われる程ではないのでは? 僕だってこれでも頑張って生きているんだよ。
それに、何を見てそんな事を言っているのだろうか…………これでもいつもよりは動いていると思うのだが。
「…………僕は王族を保護しにきたんだよ」
『何も言うな、わかっている。コードに入ってからの貴様の全言動を都市システムに分析させた。貴様は、この都市にきてから、成り行き任せで何も考えずに動いているだけで、何もしていない! バイカーやノーラは――勝手に自滅しただけだ。アンガスの計画は知ってるが、貴様のような男を送り込む程探索者協会も愚かではあるまい。余計な言動に惑わされるなと、アンガス達にはよく伝えておく』
まさか正直に話しても信じてもらえないとは、僕って一体何なのだろうか?
「ん……? 計画……? アンガス?」
『………………貴様が知るべき事ではない。貴様は私が言った事だけをしろ。わかったな?』
「あ、はい…………」
再び強い目眩が襲ってくる。気がつくと、僕は元の場所に戻っていた。
結界指を確認するが、発動している様子はなかった。魔法とも共音石ともメールとも異なるコードの技術、か。別に声を届けるだけでも事足りる気もするが、つくづく恐ろしい都市だ。
目を大きく見開きこちらを見ていたルシャが恐る恐る声をかけてくる。
「?? あのお……本物さん、今消えてませんでした? どこに行ってたんですかぁ?」
……どうやら丸ごといなくなっていたらしい。どうなってるんだ、この都市は。
結界指が発動していないはずである。転移は大魔法のはずなんだけどなぁ……なるべく目をつけられないようにしないと。
まぁいいや。
「いや、なんでもない。軽く王と話してきただけだよ」
「!? ええええええええええええ!? ど、どうやってですかあ?」
そんなの僕が聞きたいよ。
なんとかハードボイルドな笑みを浮かべていると、その時、おひいさまの部屋から困惑交じりの声が聞こえてきた。
先ほどまで地べたを這いずり回って駄々をこねていたおひいさまが起き上がり、扉に張り付いて言う。
「クライ!! お、おっけーだって! ちょこれーと! コード王が!」
「うんうん、そうだね」
「時間がかかるから、すぐにじゃないらしいけど! いいって! 信じられない!! みっともない真似をしたかいがあった!」
「う、うんうん、よかったね……」
うんうん、そうだね。そうなるよね……。
どうやらあの声の主はしっかり僕の提案を本物の王に伝えてくれたらしい。何度も通じる手ではないだろうが、とりあえず時間はできた。
こんなに喜んで、チョコレートを作る話が真実じゃないと彼女が知ったらどれだけ悲しむだろうか。
でも大丈夫、すぐにカイザー達が助けにきてくれるから。後は僕がおひいさまの注意をチョコレートから逸らしてあげれば完璧だ。
興奮したように話しかけていたおひいさまの表情が訝しげなものになる。
上目遣いで僕の目をじっと窺うように見て首を傾げる。
「クライ? 余り嬉しそうじゃない? これから、いくらでもちょこれーとが食べられるのに……」
チョコレート食べ放題に惹かれるものがないわけではないが――さて、どう説得をしたものか。
僕はため息をつくと、すっかりチョコレートに魅了されているおひいさまの注意を逸らすべく、肩を竦めて言った。
「…………まぁ、僕も嬉しいは嬉しいけど、外にはチョコレートよりもっと沢山美味しい物もあるからね」
「え!??」
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