407 土下座

 ノーラさんのところから無事、おひいさまのビルに帰還した僕の目に入ってきたのは、もうなくなったと言っていたはずのチョコバーをおやつの時間でもないのに頬張るおひいさまの姿だった。

 一瞬どういう事だかわからなかった。いつも呆れられる側の僕に呆れられるとは、おひいさまはさすが王族だけあって大物である。隠す素振りしたってもう遅いんだよ……。


 チョコを口元につけながらチョコバーを隠すおひいさまにため息をついて言う。


「おひいさま、君さぁ……いや、まあいいんだけど」


「……こ、これは……私の、もの!」


 扉の前から離れ、おひいさまが小さな声で力強く宣言する。


 チョコバーを隠していた事で叱るつもりはなかった。というか、僕は別にチョコバーがこれ以上手に入らなくても構わないのだ。

 帝都に戻ればその辺で売っているし、僕はチョコ大好きだけどチョコ中毒ではないので一月食べなかったところでどうという事はない。僕がわざわざノーラさんにチョコについて聞きに行ったのは、おひいさまのため――ひいては彼女を保護しやすくするためである。暇だったからというのもあるが、まあそれはどうでもいいだろう。


 そもそも今更おひいさまからチョコバーを回収できたところで、ノーラさんのところに持って行く意味は薄い。僕はもう既に欲しい情報を手に入れている。


 まったく、今回の僕はどうしてしまったのだろうか、探したかったものを自分で見つけてしまうなんて……有能すぎて自分が怖いよ。



「おひいさま、チョコバーを作る方法がわかったよ。ノーラさんが言っていたんだけど…………王様なら作れるかもしれないらしい」


「ふぇ!?」


 おひいさまが目を大きく見開き、僕の顔をじっと見て、ぱちぱちと目を瞬かせる。

 さすがのおひいさまもこの案は思いつかなかったのだろう。満足してうんうん頷いていると、おひいさまがおずおずと尋ねてきた。


「そ、それで……どうしろと?」


「? 王様に頼むんだよ。連絡できるんでしょ?」


 そもそも、最初から王様に頼むべきだった。この都市では王が一番の力を持っているのだ。唯一の問題は依頼人から齎された王が貴族達に幽閉されているという情報だが、ノーラ王女の例もあるし、試してみるくらいはしてもいいだろう。

 おひいさまが一瞬息を呑み、絞り出すような声で言う。


「…………大きな使命と責務を背負う偉大なるコード王に、そんな事、頼めない……」


 チョコバーを送ってもらうために一度王に連絡したくせによくもそんな事言うものである。


「別に僕はチョコバー我慢できるからいいけどね」


「ク……………クライは、私欲のために王の手を煩わせるの?」


 まぁ言っている事はわかるよ。いくら僕でも私欲のために王様にお願いする事なんてできない。ガークさんあたりが相手でもかなり厳しい。


 だが、今回の件に限って言えば事情が少し違ってくる。僕は腕を組むとため息をついて言った。


「言ってる事はわかるけど、王って言ったって、父親じゃん。父親が相手なら、お願いする時はお願いするよ」


 まぁ、父さんになにかをお願いする事なんてないのだが……父さんの前に、僕にはとてもできのいい妹がいるからね!


 困った時には助け合う。家族や友人というのはそういうものだろう。


 おひいさまは困ったように眉をハの字にしていたが、しばらく沈黙した後、ほっとしたように胸を撫で下ろして言った。



「…………頼んだけど、ダメだって言われた。やはり、それは王の仕事ではない」


 なるほど、なるほど……。


「それは頼み方が悪いんだよ」


「え…………」


「なにかをお願いする時はちゃんと土下座しないと、OKを貰えるものも貰えなくなるよ」


 自慢じゃないが僕はこれまで数々の怒れる依頼人の前で土下座をしてきた。その手のスキルは一級を自負している。もしかしたら土下座にマナ・マテリアルを吸われている可能性もある(意味不明)。

 最近は二つ名が売れすぎてしまったのもあって土下座する事も減ってきているが、腕は錆びついていない。その事はおひいさまも、オリビアさんに見せた見本を見ていたので理解しているだろう。

 ノーラさんにも土下座をしたし、今日は本当に土下座と縁のある日だな。


 おひいさまがぷるぷると身体を震わせて聞いてくる。


「!? あ、あの変な格好を、私がやるの?」


「土下座は謝罪の中でも最上級なんだよ。あえて屈辱的な姿勢を見せる事で謝意を示すんだ。土下座で解決できない事なんてこの世にないんだよ。ほら、やってみて!」


「…………」


 おひいさまは覚悟を決めたように深呼吸をすると、そろそろと床に跪いた。そのままゆっくりと両手を伸ばす。さすが、毎日体操をしているだけあって体幹はしっかりしているようだ。

 だが、その所作にはまだ恥じらいがあった。土下座のコツは臆面なくがばっといくことなのだ。一気にいかないとバランス崩す可能性があるからね。



 僕はぱんぱんと手を叩くと、声をあげ、五十五点くらいの土下座を披露しているおひいさまを鼓舞した。


「ほら、ちゃんと背中を丸めず姿勢を良くして! 腕の角度が甘いよ角度が! 僕も昔はよく練習したんだ、とりあえず十回やってみよう!」





§ § §




 跪き、床に頭が触れる程に深々と頭を下げる。一拍置き、おひいさまが悲痛な声を絞り出す。


「お願いします。私のためにちょこれーとを作ってください。この通りです」


「うんうん、なかなか筋がいいよ。オリビアさんよりよほど才能がある。よし、それじゃ本番行ってみよう」


 おひいさまは王女だとは思えないくらいに素直だ。そして、物覚えもいい。一般人でもなかなかできない土下座っぷりに、僕は大いに満足して頷いた。


 床にひれ伏し後頭部をさらけ出すおひいさまの姿には不思議と高貴さが感じられた。これは僕には決して再現できない彼女の強みだ。

 きっとこの土下座ならば数々の土下座を見てきたであろうコード王も納得してくださるだろう。


 僕の言葉に、おひいさまがふらふらと身体を起こす。きらりと輝く宝石のような瞳。白い肌に汗が浮いていた。僕を見て、静かに問いかけてくる。


「これで……本当に、うまくいくの?」


「いくいく。自慢じゃないけど僕は土下座だけでレベル8まで上り詰めたようなものなんだよ」


「レベル、8……?」


 本当に自慢じゃない話だな。だが、あえて言わせて貰えれば、僕が土下座でごまかしたのは自分のミスばかりではない。

 昔はルークやリィズが起こした問題もこっそり土下座でなんとかしていたものだ。懐かしいね。


 おひいさまが掠れた声で言う。


「…………うまく行かなかったら、どうするの?」


「うまくいかなかった時の事はうまくいかなかった時に考えればいいんだよ。とりあえず土下座だ。とり下座だ」


「…………これもちょこれーとのため、ちょこれーとのため……」


 自分自身に言い聞かせるように呟き、おひいさまが大きく深呼吸をする。


 おひいさまは明らかに緊張していた。頬は紅潮し、手足が小さく震えている。彼女はずっとこの部屋に幽閉されているのだ、何かにチャレンジする機会などそうない事だろう。


 温かい目で見守る僕の前で、おひいさまの震えがふと止まった。


 その瞳がじっと一箇所――空中を見つめる。


 どうやら彼女は本番に強いタイプらしい。もうおひいさまは緊張していなかった。

 おひいさまの凛とした声がこちらまで響いてくる。



「お願いします、偉大なるコード王、私のために――チョコレートを作ってください。この通りです」



 その膝が折れ、しなやかな動作でおひいさまが跪く。ピンと伸びた背筋。静かに、綺麗な姿勢を保ったまま深々と下げられる頭。


 芸術的なまでの土下座に思わず言葉を失う。その静かな所作には王への敬意と謝意が確かに含まれていた。

 練習で行った土下座も綺麗だったが、この土下座は格が違う。自身の生死を賭けているかのような、乾坤一擲の土下座、百点満点中百二十点の土下座だ!


 究極の土下座、神がかった土下座である。おひいさまは土下座の天才だ。土下座プリンセスだ。僕はその美しい土下座にいつしか、涙ぐんでいた。



 おひいさま――完全に僕を超えたな。これが弟子の独り立ちを見る師の気持ちか。

 何故だろうか、感謝の気持ちが胸いっぱいに広がる。





 そして、深々と頭を下げたおひいさまが、そのまま頭を上げることなく言った。







「……………………だ、だめ、だって…………」


「……え?」




 人の心はないのか、コード王! こんな素晴らしい土下座を見せられたお願いを断るだなんて――。

 余りに信じられない言葉に聞き返す。



「……ちゃんと見てなかったとかでは?」


 おひいさまが顔をあげ、ふらふらしながら立ち上がる。

 顔が真っ赤で、その双眸には涙が浮かんでいた。勢いよく扉に張り付き、抗議でもするかのように叫ぶ。


「見、て、た! ぜったい、見てた! 私には、わかるの! どうするの!? クライ、絶対大丈夫だって言ったでしょ!? 責任、取って!!」


 おひいさまがここまで感情を全面に出してくるのは初めてだ。その迫力に思わず後退る。


「そ、そんな取り乱さないで……何かの間違いかもしれないし……」


「間違えたのはッ! クライでしょッ!! チョコレート!!」


「う、うんうん、そうだね。でも、おかしいなあ……土下座は最強のはずなのに」


 もしかしたらコード王、土下座苦手だっただろうか? こんな事初めてだよ。

 おひいさまが膝を抱え、恨みがましげにこちらを見上げている。さすがに責任を感じる。代替案を出さねばならないだろう。



 実は僕は既に土下座に代わる策を知っていた。問題は僕がその策について余り詳しくない事だ。


 だが、土下座がダメだった以上、他に手はない。できればやりたくなかったのだが――。


 僕は眉を顰めると、こちらを見上げたまま言葉を待っているおひいさまに言った。



「実は――もう一つあるよ。コード王にお願いを聞いてもらう方法」


「っ!? ま、まだ、諦めてないの? 私は、王に頼むんじゃなくて、他にちょこれーとを手に入れる方法が知りたいんだけど……」



 それはダメだ。今更方針転換などしたら、おひいさまの土下座が無駄になる。


 てか、チョコレートなんてコードの外の世界にいくらでもあるんだし、もう少し待てないの? …………今更か。


 僕はおひいさまの目をまっすぐに見つめ、申し訳無さを込めて言った。







「駄々を、こねるんだ」


「駄々を…………こね……る?」


「とてもみっともなく、ついつい言う事を聞いてしまう感じでね。王女にふさわしいやり方じゃなくてごめんね」







 駄々をこねる。


 それは昔、まだ子供だった頃のリィズが自分の意見を通す時によく使っていた手である。


 彼女が本気で駄々をこねた時、僕もアンセムも、ルークでさえも、白旗を上げるしかなかった。シトリーやルシアの呆然とした視線を受けても平然と続けられる彼女の駄々は当時無敵であり、リィズの両親も手を焼いていた。まあリィズがそういう事をしていた期間はそんなに長くはなかったのだが、現在では本人含め誰もその話をしない一種のタブーとなっている。


 そういう意味では、何かあってもガチギレするだけくらいで済んでいる今のリィズは立派なお姉さんになったと言えるだろう。リィズちゃんいい子いい子。


 問題は僕が駄々の基礎を何も知らない事だけだ。土下座と違ってどういう所作でどういうセリフを吐けばいいのか、僕には言葉でおひいさまに説明する事ができない。

 あれは、理屈より熱量とか感情とかが必要だからな。



 僕の案を聞いたおひいさまは何を言われているかわからないような不思議そうな表情をしていた。

 あれほど優雅な土下座を決めた彼女に果たしてコード王を動かす程の駄々をこねる事ができるのだろうか……せめてリィズがいたら教えてくれたはずなのに――いや、無理かな?


 おひいさまが目を瞬かせて首を傾げる。


「誰が…………誰に、駄々をこねるの?」


 困ったなぁ……実際に手本を見せたいけど、真の駄々こねを知っている僕が猿真似を披露するわけにもいかないし…………何かいい案はないものか。

 きょろきょろ周囲を見回すが何が見つかるわけでもなく――中途半端に駄々をこねるくらいならば土下座で粘るべきだろうか? あるいはおひいさまのポテンシャルに賭けるべき?


 迷っているとその時、扉が開き、先ほどクラヒを追いかけて慌てふためき出ていったルシャが戻ってきた。甘ったるい声を上げてこちらに駆け寄ってくる。


「本物さああん! お兄ちゃん、見つけましたよ。クールさんが言ってたんですけどお、これって作戦通りって本当ですかぁ?」


「……待ってたよ、先生」


「ふぇ?? え? せ……先生?」



 ルシャは目を丸くして、首をこてんと傾けるあざとい仕草をした。

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