381 駅
どうやら探索者協会の本部の地下には世界各地に繋がる転移魔法陣が存在しているらしい。
その中の一つを借り、コードの最も近くに存在する街に転移し、そこから用意されていた馬車を使って探索者協会が突き止めたコード行き乗合馬車の駅に向かう。
ハンターが受ける依頼の準備を探協がここまでやってくれる事は珍しい。
レベル9認定試験というのがただの名目に過ぎないというのが、そのスタンスからも伝わってくる。
探協はできるだけ手を尽くして準備してくれたが、それでもわからない事は多かった。
何より、コード内部についてほとんどわかっていないのが痛い。内部の地図がないのはまあ仕方ないとしても、人口や文化、統治体制が一切わからないというのは、普段のハントではありえない事だ。
もっとも、情報の少なさをどうカバーするのかもトレジャーハンターの腕の見せ所である。一流のハンターたるもの、いかなるアクシデントにも対応できるように態勢を整えねばならない。
馬車に乗ること数時間、緑豊かな草原を抜け、草木も生えていない荒れ果てた地に入る。
目的地の駅は荒れ地に入りしばらく進んだあたりに存在していた。
その規模たるや駅というよりは小さな街に近く、周囲を囲む堅牢な石壁の内部には幾つもの建物が存在し、物々しい雰囲気が漂っている。
探協の集めた情報によると、ここは裏社会に君臨する複数の組織が協力して造った駅であり、どの国にも属していないらしい。
立地的にはコードの攻撃射程圏内ぎりぎりに位置しており、一定以上の規模の集団を無条件で攻撃するコードが攻撃しない唯一の集団だそうだ。
門の中に入るのに身分証明書は要求されなかった。入り口を見張る数人の兵士にパスカードを見せると、あっさりと中に通される。
このチェックの甘さは、この駅の利用者達も全員が仲間ではないが故だろう。ここはコードと円滑な取引をするために一時的に裏社会の住人達が手を組んで生み出した奇跡の緩衝地帯なのだ。
なるほど、これならば僕達のような部外者が交じっていても露呈する心配はない。というより、この都市の部外者への警戒はそこまで強いものではない。
おかしな言い方になるが、ここにはルールが存在しないが故の秩序があった。
門の中に入り、まず真っ先に目に入ってきたのは細い道と密集して建てられた建物。そして、そこかしこに屯する目つきの鋭い連中だった。
老若男女幅広いが、物々しい雰囲気と武装している点が共通している。どう見ても一般人ではない。
日は既に落ちていた。街灯も存在しているが明かりはそこまで強くはなく、建物と建物の間などそこかしこに闇が生じていて、一度踏み入れば二度と戻って来られないような錯覚を受ける。
満ちた暴力的な雰囲気とは裏腹に、周囲は静かだった。それなりに人はいるのに、まるで全員が息を潜めているかのようだ。
雰囲気だけならばゼブルディアの退廃都区に似ているが、恐らくこの駅は退廃都区よりも更に危険なのだろう。
想像していたよりも危険な空気に呑まれかける僕を他所に、カイザーはその辺を歩いている武装した男を捕まえ話しかけていた。
「ははははは、そこの君ぃ! 私はこの駅に来るのが初めてなんだが、この駅は静かなところだな。皆がこちらを見ているのに、誰も話しかけてこない!」
皆がカイザーを見ているのはカイザーが注目に値する格好をしているからだと思うなぁ。
突然カイザーに声を掛けられた男は、その勢いに一瞬ひいていたが、律儀に答えてくれる。
「…………お、おう。あぁ。ここでは喧嘩はご法度だからな。普段は敵対している組織もここでは確執を忘れるのが、ルールだ。ここは既にコードの攻撃射程内、騒ぎを起こせば焼き払われかねない。見ただろう、この辺には草木も生えない」
「そう言えば、魔物も出なかったな」
「本能でこの場所の危険性を察知しているんだろうな。コードに近づくのは、俺達人間だけよ」
男が深い笑みを浮かべ、脅すように言う。
そういえばここに来る時も草原から突然荒れ地になっていたな……もしかしたらそれもコードの攻撃の余波なのだろうか?
「もしや、君もコードに行くのかい? 私達もこれから入る予定なんだが――コードについて何も教えて貰っていなくてね。都市について何か情報があるなら教えて欲しいんだが――」
カイザーがカードをこれ見よがしと見せびらかして言う。男がその金属のカードに目を見開いた。
「いや……俺は入らないし、情報も知らねえよ。コード行きの権利をもらえるなんて、あんたら、優秀なんだな。最近増えているとは言え――」
「ははははは、これでも鍛錬は欠かしていない。高レベルのハンター相当の力はあると自負しているよ。ところで、最近、増えてるとは……?」
「……コードが戦える人間を大量に集めているらしい。そのカードも、これまでは、ほとんど出回っていなかったが――最近かなりの枚数が発行されている」
なるほど……道理で人が多いと思った。依頼者から齎された情報にどれほどの信憑性があるのかは不明だが、コードで何かが起こったのは真実らしい。
しかしカイザー、君、誰が相手でも物怖じしないんだね…………正直、助かる。
そこで、楽しげにどこかの組織の男と会話を交わすカイザーを尻目に、サヤが小声で言う。
「調べてみた。そこそこ強い人はいるけど、この駅内部――壁の内側に、私達に匹敵する実力者はいない。貴方程偽装に長けた者がいたら話は別だけど――」
…………ずっと僕の隣にいたはずなのにどうやって調べたのだろうか?
建物も密集しているし、壁の内側などと言ってもかなり広そうなのに……ろくに歩きもせずに調べるなんて一流の
「…………今は夜だから」
言い訳のように言うサヤ。
何をやったのか見えるどころか、何かをやっている事にすら気づかなかった。僕がやばいのかそれともサヤが凄いのか、判断がつかないが、きっと両方だろう。
そして、サヤやカイザーほどの実力者がいないというのは朗報だ。まぁ、レベル8相当の賊なんて普通いないけどな!
カイザーが手をあげて朗らかに言う。
「リーダー、少し話を聞いてくる。先に休んでいてくれたまえ!」
「私も、この辺りを少し探索してくる。目で見ないとわからない事もあるから」
カイザーが武装した男と肩を組み離れていく。サヤも物怖じする事なく、武装した集団が屯する建物の中に入っていく。
護衛もなく一人残された僕は一体どうしたら――。
右を見ても左を見ても強面ばかり。複数人での行動が基本のようで、どのグループも突然置いてけぼりにされた僕を見ている。カイザーもサヤもソロでの行動に慣れすぎであった。
三人パーティで二人がソロプレイヤーだと、自然ともう一人も単独行動になるんだな(当たり前)。
…………まぁ、ここでは喧嘩は御法度みたいだからまだマシか。
僕は何かと絡まれやすい体質だ。裏社会の人間が大勢たむろする場所に一人ぼっちとか、普段なら秒で絡まれていた。
これからどうするべきか。ため息をついていると、ふと後ろから脅すような低い声がした。
「おい、兄ちゃん」
「…………おいおい、ここは喧嘩は御法度だよ」
後ろを向く。そこに立っていたのは如何にもチンピラのような風体をした五人組だった。
細身だが鍛え上げられ絞られた肉体に、そこかしこに残る古傷。全員が全員、幅の広い大ぶりの刀を腰に帯びている。
先頭に立つ男は僕よりも背は低かったがぎょろりとした眼はこちらを無遠慮に睨めつけていて、余りにも人を威嚇するのに慣れすぎていた。
サヤやカイザーがいなくなった途端これだよ……恐怖の前にうんざりが先にくるよ。
「…………どなた? 人違いでは?」
恐らく一団の中のリーダーだろう、先頭に立つ背の低い凶相の男が威嚇でもするように笑みを浮かべる。
そして、とんでもない事を言った。
「俺は、な。だがなあ、仲間が昔、あんたに世話になったと言っている。うちのファミリーの流儀じゃ、世話になったら礼をしなくちゃならねえ。《千変万化》、こいつの顔を覚えているか?」
「ひっ…………ひ、久しぶりだな、《千変万化》。ま、まさか、こんなところでッ、会うとはな。と、とうとう、レッドハンターに、なったか?」
集団の中から押し出されるように出てきた男が、怯えたような声で言う。
焦げ茶色の髪に眼をした人相の悪い男だ。
だが、こうして声を聞いても顔を見ても全く何も思い出せなかった。
「…………人違いでは?」
「ひ、ひ……き、貴様のせいで、前組んでた仲間は、全員監獄行きよ。なんとか免れたのは、俺だけだッ! ひひっ、《
虚勢でも張るかのように叫ぶ男。ああ…………昔どこかで戦った人ね。道理で思い出せないはずだ。僕、襲撃者の顔とかちゃんと見てないからね。
そして、酷い言われようである。気持ちはわからんでもないが、《嘆きの亡霊》はレッドハンターとは違う。
リーダーが一歩近づく。とっさに一歩後ろに下がる。
「ここで騒げば周囲に迷惑がかかる。場所を変えるぞ」
え…………嫌だけど。てか、ここ喧嘩は御法度じゃないの?
周りを見るが、誰もこちらを止める気配はなかった。
それぞれの建物には守衛がついているが、その全員がこちらに気づいていながら何も言わない。
どうやらこの街のルール的には彼らの行動はありらしい。とんでもない場所だな。
人数は不利。力量でも不利。さすがに殺されはしないだろうと考えるのは見通し甘過ぎだろうか?
僕はどうしようもないのでとりあえず説得を試みた。
「ま、まあまあ、やめておこうよ。こんなところで喧嘩なんて双方のためにならないよ。過去の事は水に流してさ……」
てか、正体バレるのまずくない? どうやらレッドハンターになったと思われているようだが、調べれば僕がまだハンターである事なんてすぐに判明するだろう。
さしあたって今のこの状況を切り抜けるのが先だが――。
「こう見えても僕はレベル8だよ? こちらに戦うつもりはないし…………忙しいんだよ、こっちは」
「り、リーダー、お、俺は、大丈夫です。奴の言う事も一理ある、コードの前で争うのはまずいでしょう!! ここは、やめておきましょう」
僕と因縁のあるらしいメンバーは明らかに及び腰だ。
だが、その言葉に、リーダーは視線一つ向けなかった。
曲刀を抜き、こちらに向けて構えを取る。僕は武術について詳しくはないが、随分様になっていた。
「脅しが、効くと思うな? この、レベル6パーティを倒した事もある、武闘派で知られるドンタンファミリーが、たった一人相手に退いたとなれば、名に傷がつく。さっさと片付けりゃ、コードも反応しねえよ」
「レベル6パーティ…………?」
まじかよ……レベル6パーティとは十分一流である。恐らく奇襲でなのだろうが、それでも普通はこんなチンピラ連中に負けるような格ではない。
怯えた男を除いたメンバー達も静かに武器を抜く。武闘派というのは本当のようだ。
しかし、レベル6を倒したからってレベル8に挑むのは命知らずだな。僕が本当にレベル8の実力を持っていたら君達、命なかったよ。
何かを言う時間もなかった。そもそもろくに話もせずにさっさと武器を抜いている辺り、この男達の目的は僕の命(正確に言うと、ファミリーのメンツ)らしい。何の生産性もない。最低すぎる。
話し合いも通じないとか魔物かな?
「ま、まって――」
結界指はあるけど、まだコードに入ってもいないのに使いたくない。
僕の制止を無視し、リーダーが踏み込んでくる。振り下ろされた曲刀が目の前に迫り――そして、ぎりぎりのところでぴたりと止まった。
リーダーの目が見開かれる。
「…………なんだ、この音は?」
「ッ……近くだ、凄く、近くから、する」
その潜められたような声には強い動揺が混じっていた。その仲間達も曲刀を握ったまま、目を限界まで見開き、怯えたように周囲を見回している。
音……? 音なんて、特にしないけど――。
だが、ドンタンファミリーの反応は普通ではなかった。そもそも攻撃の途中で手を止めるなど普通ありえない。
リーダーの顔に脂汗が浮き出し、まるで幽霊でも見るかのような目つきでこちらを睨みつける。
他のメンバーは挙動不審げに地面を、壁を確認している。特に異常のない、地面や、壁を。
「な、何をした…………ッ、《千変万化》」
そんな事言われても……むしろ、何かが起こっているなら僕の方が逃げたいんだが?
先程まで仮にもレベル8ハンターに対して躊躇いなく敵対していたのに……。
周りを確認してみると、異変が起きているのはドンタンファミリーだけではなかった。
こちらを認識していながらも無視していた他の集団が皆、泡を食ったようにこちらから逃げ出している。その表情は、反応は、眼の前の男達と同じだった。
理解せざるを得なかった。何かが起こっている。僕では全く見えない何かが。
リーダーが縋るような声で言う。
「ま、まさか、聞こえないのか!? 感じないのか、この、気配を! 音をッ! この、砂がこぼれ落ちるような、さらさらという音を――」
「さらさらという音…………あー…………」
さらさら……カイザーが言っていた、サヤの能力だ。
なるほどなるほど、どうやらこれは――いなくなる前にサヤが何かしていったようだな。
変わった名前なのでどんな力なのか気にはなっていたが、反応を見る感じ本当にさらさらと音がするようだ。
僕には何も聞こえないけど、この怯えっぷり――相手の精神に影響する系の力だろうか?
できれば一言教えてほしかったが…………サヤには助けられたな。やっぱりセレンの事も紹介してあげよう。
曲刀を握るリーダーの手から血が滴り落ちる。手に力を込めすぎたのだろう。
僕は明らかに精神の平静を欠いているリーダーに言った。
「降参する?」
「!? こ、降参…………?」
その目の色は目まぐるしく変わっていた。
怒り、恐怖、焦り。今にも泣きわめいたり、突然武器を振り回し始めてもおかしくない。
精神に影響する系の能力はハンター達の間でも恐れられ忌み嫌われている事が多い。
詳細はわからないが、これが『さらさら』の力だとしたら、サヤが皆から恐れられているというのもわかるというものだ。
様子がおかしいのはリーダーだけではない。
何かに恐怖するメンバーの悲鳴が、慟哭が、暗い街に響き渡る。異様な雰囲気だ。
リーダーが判断までかかった時間は数秒だった。その場でひざまずき、リーダーが咽び泣く。
「こ、降参だ! 降参す――」
そう叫びかけた、その時だった。
不意にすぐ目の前にいたはずのリーダーが消える。
前触れはなかった。何も見えなかった。何の反応もできなかった。
空に吹き飛ばされたのだ。そう理解したのは、リーダーがぐしゃりと湿った音を立てて道路に叩きつけられた後だった。
手足があらぬ方向に曲がっていた。何メートル飛んだのだろうか、この程度でマナ・マテリアルを吸収した人間が死ぬ事はないが、重傷だ。
その様子に、メンバーたちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出し――そして、その途中で崩れ落ちた。
一瞬転んだのかと思ったが、立ち上がる様子はない。倒れ伏したその下から血の染みが道路に広がる。
そこまで見て、僕は大きくため息をついた。
建物の窓から、息を潜めるようにして皆がこちらの様子を窺っている。
物音一つしない静かな夜だった。もちろん、さらさらという音もしない。
精神に影響する系の能力などではなかった。極めてシンプルな、物理攻撃。破壊の力だ。
武闘派を名乗った賊がなすすべもなく倒れ伏す、何が起こっているのかもわからない圧倒的な力。レベル8に相応しい。
本当に味方でよかった。リィズ達でも同じ事はできるが、これはなんというか――得体が知れない。
もしかして、今回の任務、かなり楽なのでは?
唯一生き残ったのは、ドンタンファミリーの新参者、《嘆きの亡霊》に仲間を捕まえられたという男だけだった。
どうして生き残ったのかは分からないが、腰を抜かし怯えたような目つきを向けてくる男に目を合わせて確認する。
「まだやる?」
「!? …………」
ぶんぶんと首を横に振る男。まあ、なんというか、最初からこの人は喧嘩売るつもりなさそうだったな。
どうして絡まれる事になったのか理解に苦しむ。
僕はため息をつくと、カイザーやサヤが戻ってくるまでどこか休憩できる場所を探す事にした。
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