312 精霊人の呪い②
高い魔術的資質に知性。人よりも寿命が長く、そのほとんどが人間の観点で見目麗しい容貌をしており、古くは神と認識されていた事すらあったと言う。マナ・マテリアルの吸収量と繁殖力が人よりも低いという弱点がなければ、今頃この世界を支配していたのは彼らだったに違いない。
僕もそこまで詳しいわけではないのだが、精霊人と人間社会との繋がりは複雑で、時代により様々だったらしい。
崇められていた事もあれば忌み嫌われ、争いを繰り広げていた時代もあった。現在は人間との関係はある程度良好であり、どこの街でも精霊人が嫌悪されるという事はないが、まだまだ人の街で遭遇する機会は少ない。大都市である帝都ゼブルディアでも滅多に会わないのだから、生の精霊人を見たこともない人も多いはずだ。
《始まりの足跡》には精霊人のみで構成されたパーティ、《星の聖雷》が所属しているが、それは非常に稀有な例だ。彼女達は誇り高く、人間社会にあって尚、人間に迎合したりしない。誰にでも土下座できる僕とは正反対の存在である。
そして、それら精霊人の故郷は、今でも尚、謎めいた国として知られていた。
全ての精霊人の原点――ユグドラ。
誰もが名を知り、しかし誰も行ったことのない、だけど確実に実在している、そんな国。
都市伝説などをまとめるオカルト雑誌、『月刊迷い宿』の常連だ。僕もこれまで何度か興味を持って調べた事があった。もちろん、行ける日が来るとは思わなかったが――。
ルークの石像の回収をシトリー達に頼み、クランマスター室に戻る。
エヴァは僕の話を聞くと、目を見開き、小さな声で言った。
「ユグドラ、ですか………………それは、それが本当ならば――偉業、ですね」
一見小さな反応に見えるが、もう数年の付き合いのある僕にはエヴァがとても驚いている事がわかった。
それもそのはずだ。ルシアも言っていたが、精霊人の国であるユグドラに人間が入ることはできない。いや、それどころか、同じ精霊人ですら一度国の外に出てしまえば、再入国するのは難しいらしい。
僕の知る限り、ユグドラに到達したという人間のハンターはまだ出てきていない。高レベルハンターというのは大体、入ってはいけないと言われると入りたくてしかたなくなる困った者ばかりなのに、未だかの地が未踏を保っているあたり、その国の敷くセキュリティは尋常なものではないのだろう。
ついでに、言うまでもない話だが、ユグドラは深い森の奥――高レベルハンターでも苦戦するような幻獣や魔獣が多数生息する魔境に存在している。
トレジャーハンターにとって未踏の地に最初の一歩を刻むのは一つの憧れだ。
なんだか驚いているエヴァが面白くて、ハードボイルドを気取って言う。
「まさか、どんな高レベルのハンターでもたどり着けなかった国に挑む日が来るなんてね……」
挑むっていうか、エリザ曰く、招待してくれるはず、という事だけど――招待されなかったら、行くのやめるよ、僕は。
伝説の精霊人の国に興味はあるが、さすがに高レベルハンターもたどり着けていない禁断の地に挑む気にはなれない。精霊人って余り冗談通じないし、めっちゃ強いしね……おまけに、彼女達の得意とする魔術という奴は防衛という分野でこの上ない実力を発揮するものなのだ。
「必要なものがあれば揃えます」
「あぁ、ありがとう。でも多分大丈夫。僕にはこれがあるからね」
「…………はぁ。その点については疑っていませんが……」
調子に乗って頭を指先で叩いてみせる僕に、エヴァがこめかみを押さえながらため息をつく。
冗談は置いておいて、準備はシトリーが進める手はずになっている。僕が考えるべきは持っていくお土産についてくらいだ。
ルークにかけられた強力な呪いを解けるのは精霊人の中でも特別な人物だけらしい。そして、こと僕は偉い人を怒らせる事にかけては右に出る者はいない。
土産も相応のものを用意せねばならないだろう。不要な配慮だったとしても、下手に出るに越した事はないのだ。幸い、うちのクランには精霊人のパーティ、《星の聖雷》がいるからな……土産の選定には自信がある。
そこでエヴァが恐る恐る提言してきた。
「ユグドラの情報はどこも欲しがっています。
「功績……? そんなの興味ないよ。興味ない」
「ですよね……」
どうして僕がそんな危険な事をしなくちゃならないのだ。精霊人の恨みを買って得する事など何もない。せっかくラピス達とも仲良くできているのに……。
たとえ許されたとしても、情報を持ち帰るつもりなんてないよ。功績を挙げるとガークさんが僕をレベル9にしようとしてくるからな……どうやら、探索者協会の支部長として己の支部からレベル9が出るのは名誉な事らしい。
まったく、レベル8にされてからまだ何年も経っていないというのに……もともとハンターとしての栄光になど興味はないが、レベル9になったら燃やす婆さんと確執ができてしまうではないか。
ふと思いつき、顔をあげ、エヴァに確認しておく。
「あ、エヴァも一緒に来る?」
「!? ………………い、行きません」
そっか……残念だな。常識人のエヴァが一緒に来てくれれば僕も少しは気が楽だったのだが……。
エリザの言葉が本当ならば、今回僕達は招待される側だ。いくら魔境に存在するとはいえ、そこまで危険ではないはずだ。一般人でも行けるはず……っていうか、一般人では行けない所になんて行きたくないんだけど……。
「ラピス達もついてきてくれないかな……エリザだけだとマイペースだから少し不安だ」
「《星の聖雷》は、まだ『マリンの慟哭』の件で帝都を出たままですからね……いつ戻って来るのかも聞いていませんし……」
「うーん、残念……」
フランツさん主導の精霊人の呪術師呼び出し作戦は帝都の交通規制も必要な大規模なものだった。
連絡はいっているはずだが、そう簡単に戻っては来られないだろう。いて欲しい時にいないんだよな、皆。
そんな事を考えながら大きなあくびをしたその時、不意に勢いよくクランマスター室の扉が開いた。甲高い声が脳に響く。
「はぁ、はぁ……こ、こらぁ! ヨワニンゲン、おお、お前、いい加減にしろ、です!」
「おお……? ナイスタイミング……」
入ってきたのは、今しがた話題に出ていた《星の聖雷》のメンバーの一人、クリュス・アルゲンだった。
いつもと同じローブ姿だが背に大きなバッグを背負い、走ってきたのか髪が乱れ、息も切れている。
足元は泥だらけでローブにも飛沫が飛んでいるが、そんな有様でも絵になるあたり、精霊人というのは本当に得だ。
クリュスはふらふらと近づいてくると、目を丸くする僕の前のデスクに、ばんと手を叩きつけた。
「な、ナイスタイミングじゃない、です!! はぁ、はぁ……」
「フランツさんの手伝いで街に帰ったんじゃなかったの?」
「の……のうのうとッ――戻る道中だったが、とんでもない連絡を受けて、とんぼ返りしてきたんだ、ですッ! ヨワニンゲン、おお、お前ッ! 呪いの精霊石を、見つけたようだな、ですッ! どういう事だ、ですッ!」
双眸に涙を浮かべ、クリュスが至近距離から怒鳴りつけてくる。だが、色々な人から怒られてきた僕に言わせて貰えれば、余りにも迫力がない。
いや、まあ見つけたというかなんというか、追いかけられたんだが…………そういえば、クリュスも教会で呪いの精霊石が云々とか言っていたっけ? どうやら精霊人の間ではあの宝石は特別な品のようだな。
残念ながら、宝石はエリザに渡しちゃったのでクリュスにはあげられないけど、それよりももっといいものもある。
僕はぽんと手を叩くと、一瞬びくっとしたクリュスに笑顔で言った。
「ああ、その話ね。ふふ……精霊石はもうないけど、もっといいものがあるんだ。見せてあげる」
「は、はぁ……? い、いいもの? どういう事だ、です」
そりゃ、いいものだ。しかも、このいいものはあの呪いの精霊石と違って殺そうとしてきたりしない。
立ち上がると、ちょいちょいと手招きをして目を瞬かせるクリュスを部屋の片隅に置いておいたみみっくんの前まで呼び寄せる。僕のイメージする完璧な宝箱そのままのみみっくんを見て、クリュスは眉を顰めた。
「宝箱って……確かにいいもの? なのかもしれないが、今は関係ないだろ、です!」
「あー、クリュスをしまいたいんだけど、重くてしまえないなー。誰か手伝ってくれないかなー」
「!? ヨワニンゲン、お前突然何言って…………わ、私は重くない、で――」
言いかけるクリュス。みみっくんから腕が生え、一瞬でばくんとクリュスを引きずり込む。その間、僅か数秒だった。
やりとりを静観していたエヴァが凍りつき、慌てたように駆け寄ってくる。
「な、なにやってるんですか!?」
「実はみみっくんは自動収納機能付きみたいなんだ。気が利いていると思わない?」
宝箱の口の大きさ以上のものが入れば完璧だったが、まあ贅沢は言うまい。今の機能だけでも常識を幾つか覆しているからな。
びっくりしただろうなー、クリュス。今のところみみっくんの襲撃成功率は百パーセントだ。
つくづく恐ろしい話だ。後は中から自由に外に出られたら完璧なんだけど……。
「は、早く出してあげないと……」
「あぁ、そうだったね…………………あ!!」
「!? な、なんですか? どうかしましたか?」
何か忘れていると思ったら、ティノにかーくんの使い方教えて貰おうと思っていたの、忘れてた。
まったく、かーくんもポテンシャルだけならばみみっくんと同じくらい凄いのに……いや、さすがにそれは言い過ぎか。
クリュスを取り出そうと、みみっくんの蓋に触れる。そこで、冷ややかな声がかかった。
「フランツから聞いた。《千変万化》、件の精霊石を手に入れ、《放浪》に渡したようだな」
クリュスが開けっ放しにした扉から入ってきたのは、ラピス達、《星の聖雷》のメンバー達だった。各々が卓越した美貌を持ち、そのリーダーであるラピスは普段から冷ややかな印象があったが、今の眼差しの冷たさはその比ではない。
ラピス達もクリュス同様、とんぼ返りしてきたはずだが、服装にも髪にも乱れはなかった。
もしかしたらクリュスは少し……残念な子なのかもしれない。
だが、そんな事を言っている場合ではない。ラピスだけでなく、他のメンバーの眼差しも凍てついている。
《星の聖雷》には色々お世話にもなっている。ただの誤解で機嫌を損なうのはまずい。
揉み手をしながらラピスに近づく。
「い、いやー、偶然ラピス達がいなかったからさ……」
「ふん…………どこで入手したかは聞かん。精霊石をどうするのかも貴様の自由だが――我々をわざわざ帝都から追い出して事をすすめるとは、神算鬼謀――随分面白い事をやってくれる」
「………………自分から出ていったよね?」
そもそも、あの精霊石とやらも僕が手に入れたものではないし……ラピス達がいなかったのは僕にとっても痛手だったのだ。
《星の聖雷》が帝都に残っていれば騒ぎも最初の方で収まってルークも石にならずに済んだかもしれないし……。
僕の正論を受け、ラピスがぎろりとこちらを睨みつけてくる。どうやら、思ったよりも根の深い問題のようだ。
僕はぱんぱんと手を払うと、ハードボイルドな笑みを浮かべラピスを見上げた。
仕方ない、久々に僕の土下座を披露してやるとするか。
§ § §
箱の中に丁寧に収められた宝石を持ち上げ、検分する。
色は透き通るような赤。眺めていると吸い込まれるような心地になるのは、その宝石が魔性の力を持っている証かもしれなかった。
宝石を一通り確認し、リィズが目を瞬かせる。
「ふーん、シェロの呪石、ねえ……ただの宝石に見えるけど」
「今は、呪いが非活性になっているだけ。シェロ陛下の呪力は他の呪いの比じゃない」
「呪いの精霊石と言ったら、有名ですからねえ……行方不明だと聞いていましたが、まさか帝都にあったなんて……」
エリザの言葉に、シトリーが真剣な表情で言う。
先日の一連の呪い騒動は予想外な事ばかりだった。
《剣聖》門下の剣士の心を惑わすような魔剣に、魔法を消し去る黒き世界樹。国を幾つも滅ぼした禁断のポーションに、かつて光霊教会が浄化を諦めた最凶の呪殺兵器。どれか一つピックアップしただけでも帝都中が騒然となるような一級の呪物達だ。
そしてだがしかし、それら呪物も呪いの精霊石の前では霞む。被害の規模も知名度も違い過ぎる。
あまねく人間全てを呪い殺す意思が込められたこの宝石はかつて、災害そのものだった。どんな理由か途中で被害がでなくなったらしいが、あのまま猛威を振るっていたら今頃人は滅んでいただろうと断言する者もいる。
「呪いは活性していた……ずっと帝都にあったというのは考えにくい」
「しかし、よく最大級の呪いを抑え込めましたね…………私達の攻撃もほとんど通じなかったのに」
「うむ……」
ルシアの言葉に、アンセムが頷く。
元々呪いとの戦闘に於いて普通の攻撃は通じづらいものだが、あの呪いの力は輪をかけて強力だった。何しろ、帝都の名だたるハンター達の攻撃を一切意に介さなかったのだ。時間があれば弱点を見つける事もできたかもしれないが、そうなると間違いなく大勢死傷者が出ていた。
エリザがいつもの眠そうな目つきで言う。
「工夫した。全て…………クーのおかげ」
「ふーん。うまくいったならいいんだけど…………問題はルークちゃん、ねぇ」
「ポーションも効かなかったし、エリザさんの言う通り、普通の石化じゃないみたい」
石化には幾つか種類がある。単純に物理的に石化しているだけならばポーションで回復もできるが、今回のはそういうレベルではない。
帝都教会屈指の癒しの力を持つアンセム・スマートの浄化を弾く最凶の呪いだ。被害を受けたのはルークだけだが、恐らくそれがリィズやルシアでも石化は免れなかっただろう。
シトリーの言葉に、エリザは小さく頷き、普段からは想像もできない真剣な表情で言った。
「かなりの念が込められている。この呪いを解けるのは――シェロ陛下と同格の呪術師だけ。恐らく、ユグドラのトップ……精霊人の皇族と会う必要がある。会えなければ、彼は永遠に石のまま」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます