220 逃げ続ける男③

 あれだけ大暴れしていた《破腕》のハンネマンが、たった一撃で完全に意識を失っていた。


 もう興味をなくしたとばかりに、《千天万花》が大仰な動作で外套を翻し、後ろを向く。無数の視線が集中しているにも拘らず威風堂々とした佇まい。只者ではない。

 もうなんというか、一挙手一投足が洗練されていて、とにかく格好いい。


 と、そこで僕は今更気づいた。クラヒ・アンドリッヒって、あのエヴァのリストに載っていた人じゃないか?

 武帝祭に出るなんて、まさしくエリート中のエリートである。僕の本物なんて何人もいないはずなので間違いない。


「《千天万花》……クラヒ・アンドリッヒ。もしかして、あの武帝祭に出場するという噂の……?」


「…………そうですねー」


 伝説を目の当たりにした気分で愕然と呟く僕に、シトリーが何故か棒読みで相槌を打ってくれる。


 その時、ふとクラヒがこちらを振り返った。

 仮面に空いた穴から窺えた虹彩は左右の色が違っていた。金と銀のヘテロクロミアはどこか怪しい輝きを持っている。


 いつの間にかシトリーは仮面を外していた。クラヒはじろりと僕とシトリーを見ると、こちらに近づいてくる。

 そして、緊張に身を固くする僕に、クラヒがよく通る声で言った。


「いい仮面だな、青年」


「あ、ありがとうございます」


 見れば見る程本物だよ。こんなに僕に似ていないのにある意味そっくりな人がいるなんて、世界は本当に広い。

 そういえば世界には自分とそっくりな人が三人いるらしいね。そもそも、僕が彼のそっくりさんな可能性の方が高いかもしれない。あまり似てないけど。


 ハンネマンを一撃で屠るような相手に僕が自然体でいられるのは、クラヒの物腰が穏やかだからだろう。

 クラヒが申し訳無さそうに言う。


「ふっ……すまないね、君たちの会話が聞こえていたよ。それで……もしや君たちは……僕のファンかな?」


「!! そうです、記念にサインを貰っても?」


「えー…………」


「もちろんだとも!」


 別にファンではなかったが、僕そっくりで強い人がいるとなればファンにならざるを得ない。帝都に戻ったら皆に自慢してやろう。シトリーが小さく呆れたような声を出している。


 クラヒは鷹揚に頷いた。僕だったら困ったような笑みを浮かべてしまうが、さすが本物は格が違った。

 懐からペンと色紙を取り出し、さらさらとサインを書いてくれる。僕はその如何にもな所作にもう感心しきりだった。もはや凄すぎて見習おうとさえ思えない。


「どうぞ。この街に来たのは初めてでね、君がこの街のファン第一号だ」


「ありがとうございます! 実は僕、クライって名前なんです」


 シトリーが瞠目する。クライとクラヒ、奇妙な縁だ。

 クラヒ・アンドリッヒは僕の言葉に息を呑み、






「それは――――何という奇遇だッ!」


 めちゃくちゃ嬉しそうだった。

 名字までそっくりだと知ったらクラヒはどんな反応を見せるだろうか。そんな事を考えながら、自分そっくりの英雄を持ち上げておく。


「それで、クラヒさんの事が気になってて――」


「素晴らしい! 奇妙な縁に乾杯だ! ついでに、そっくりなファンの君に《嘆きの悪霊ストレンジ・フリーク》のメンバーを紹介したい所だが――残念ながら彼らは武帝祭のためにもう一足先に現地に入っていてね」


「残念です。ちなみに、どんなパーティなんですか?」


「ああ。確かに仲間たちはあまり名が広まっていないが――隠す必要はないか」


 クラヒは顎に手を当てハードボイルドなポーズを取ると、自信満々に言った。


「まず一人目は――類まれな知性を持って冷静に敵を追い詰める剣士ソードマン、《先見》のクール・サイコー……」


 思わず目を見開く。それは……ルークの上位互換かは別として、クールだし最高だな。

 シトリーがぷるぷる震えている。こんなシトリーを見るのは久しぶりだ。

 実はシトリーはお笑いが大好きである。いつも冷静に見えて、変なところにツボがあるのだ。


「二人目が……頭の回転がすこぶる早く、少し悪賢いところもあるが幾度もパーティを救った盗賊、《絶景》のエリザベス・スミャート! 愛称はズリー!」


 なんか可愛いが……なるほど、ズリーわけだ。

 どうやら僕のそっくりさんの仲間たちもそっくりさんらしい。凄い偶然だ。まあでも、飛行船で空飛んでたら宝物殿にぶつかるような事もあるわけだし……ところで、何が絶景なのだろうか。


 僕は隣でうつむき震えているうちのスミャートを見ながら、クラヒさんに尋ねた。


「ちなみに、錬金術師もいますか?」


「よくわかったね、もちろんいるとも! 《最低山脈》のクトリー・スミャート!」


 目を見開く。何がなんだかわからないが、クラヒさんが自信満々なのだからきっとシトリーと同じくらい、とてもいい子なのだろう。クトリーとシトリー、か。


 ……………九と四、か。

 僕は隣で震えているシトリーの肩をつっついた。


「それは凄い、シトリー、名前の時点で君の倍以上だ」


「ッ…………《最低山脈》…………もっと…………頑張って」


 シトリーちゃんが絞り出すような小さな声を出し、僕にパンチした。




§




 騒動は程なくして鎮静した。どうやら、賊の目的は街の博物館に厳重に保管されていた宝具だったらしい。


 炎を放たれ大混乱だったが、ルーク達の参戦もあり(そして、もちろんクラヒさんの活躍もあり)、死者は出なかったそうだ。宝具も無事守りきれたらしい。

 こんな賊が狙う程の宝具だ、後で見に行きたいがそんな時間はないだろう。


 クラヒさんと手を振って別れ、その後に合流したリィズ達が、僕たちが体験した面白い話を聞き、素っ頓狂な声を上げる。


「ええええ!? あいつ、私達のファンじゃなかったのお!?」


「チッ。あまりにも退屈だったから斬ろうか迷ったんだが、リィズがうちの下部組織かもしれないとか言うからさあ……」


「…………うむ」


 ルークが残念そうに舌打ちをして、うちのでかい方のスミャートが唸るような低い声で同意する。下部組織なんて作らないよ……。


 ルシアが呆れたようにため息をつき、まだ顔の赤いシトリーを見て言った。


「ところで、なんでシトリーはそんなに顔を真っ赤にしてるんですか? リーダー、まさか何かしました?」


「なんかツボに入ったみたいで……」


「だって……《最低山脈》って…………意味不明じゃないですか。もうやっつけじゃないですか。一体何やったらそんな二つ名がつくって、いうんですか!」


「うんうん、そうだね……」


 でもちょっと面白かったからよし! 僕もシトリーの珍しいパンチが見られた事で何故か満足感を感じる。

 クラヒさんは試合に出るはずなので、とても楽しみだ。





§ § §





 黒い外套。中肉中背で、狐の面を被った男が、要注意ハンターと相対している。


 その姿を見た瞬間、『九尾の影狐』七尾、『盗賊王』ガフ・シェンフェルダーは心臓が止まるかと思った。


 計画は全て順調に進んでいた。陽動の部隊と宝具を奪う部隊。事前に内部にも人を送り込んでいる、万に一つも失敗するなどありえない。実際に、宝具の奪取は完遂した。偽物とすり替えられた事を誰も気づいていない。


 ならば、どうしてあそこに狐面がいるのだろうか?


 組織の中でも一部の構成員にしか知らされていないが、狐面は最上位の幹部の証だ。巨大組織の頂点に立つ存在である。ガフも一度だけだが、実際に目で見たことがあった。


 ありえん……本来闇の中に潜んでいるはずの彼らが、白昼堂々と表に出てくるなど、ありえない。

 だが、あの仮面は間違いなく本物だ。本物の狐面には一目でわかる迫力がある。


 作戦決行中にも感じなかった寒気が、背筋を奔る。


 身に覚えはまったくない。唯一、あるとすれば脳筋のハンネマンがやられたことだが、その可能性も事前に考慮に入っていた。


 いや、待てよ……。


 ボスは組織でも危険視されているあの高レベルハンター……《千変万化》と会話をしていた。

《千変万化》。手口不明の危険な男だ。《止水》と《竜呼び》が負けたらしいという情報も入っている。


 もしかしたら、自らの手でその実力を調べにでも来たのだろうか?

 狐面を持つ大幹部が敵前に姿を現すなど信じられないが、『九尾の影狐』の大幹部は総じて武闘派である。最上位レベル――レベル10ハンターに匹敵するだけの実力を備えているという噂もある。あまりに大胆な手口だが、ありえない話ではない。


 ガフの目では狐面の佇まいは隙だらけだったが、逆にそれは大きな自信の表れとも取れる。


 しばらくその様子をそっと観察していたが、結論は出なかった。大幹部は鷹揚に《千変万化》と会話をしていた。《千変万化》側も目の前の男の正体に気づいている様子はない。






「…………確認、しなければ……」

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