218 逃げ続ける男

 そして、僕はトイレに書き置きを残しさっさと《魔杖》のクランハウスを逃げ出した。

 後の事など何も考えていなかった。というか、後々の面倒事なんて考えていたら逃走なんてできない。もしもトイレの窓が僕が出られる程の大きさだったら、落下する事も厭わずにそこから脱出していただろう。


 あの人たち、頭おかしくない? なんでわざわざやべー秘密結社に喧嘩売りに行くの? なんで僕が一緒に行って当然みたいになってるの?

 《止水》のテルムが所属するような秘密結社の狐と戦うなら、油揚げを分けてあげただけでスマホをくれる狐の方がマシである。やりたいのなら止めはしないけど、どうせやるならフランツさんとやりなよ。


 僕は思わず兄狐に「やばい」とメールを送った。すぐに「よかったね」と返ってくる。よくない。


 クランハウスに戻ると、階段を駆け上がり副マスター室の扉を開ける。


「エヴァ―ッ! エヴァ―ッ! 今すぐ帝都を出るからッ!」


「!? なな、なんですか、どうしたんですか、いきなり!?」


 エヴァがびくりと身を震わせ、僕を見る。

 副マスター室はクランマスター室と違って酷く雑然としていた。整頓はされているのだが、物が多い。仕事している証である。


 久しぶりにずかずかとエヴァの前に行き、声を張り上げる。


「帝都になんていられるか、僕は今すぐ武帝祭の町に行くぞッ! なんて町だっけッ!」


「は、はぁ……開催までまだ時間がありますが。なにかあったんですか?」


「何かあったというか、何もないように行くんだよ」


 やべえよ。ガークさんはやるといったらやる男である。職員を始末したと言っていたし、次は僕を始末しようとしてもおかしくはない。

 《深淵火滅》も偉い迫力だった。次代に託すとか言ってたけど間違いなく次代まで生きるだろ、あの婆さん。


 きっと僕が狐退治を手伝わないと知ったらこれ幸いと燃やしにかかってくるだろう。炎の中にぶちこまれてしまったら結界指もほとんど意味がない。


 僕の本気が伝わったのか、エヴァが立ち上がる。


「わかりました。準備します。しかし、ルシアさん達はどうするんですか?」


「もちろん、一緒につれていくよ。とりあえず何でも良いから連れて行くよ」


 僕一人で旅なんてできるわけがないだろッ! 探しに行かないと……ああ、でも持っていく宝具も吟味しなくては。


「…………そんな大事件なんですか?」


「え? …………いや、まあそんな事はないけど……」


 まぁ僕にとっては大事件だけど、ガークさんや婆さんも無差別に人を攻撃しているわけではない。

 目を瞬かせる僕に、エヴァが小さくため息をつく。 


「わかりました。それでは、私の方から招集をかけておきます。クライさんはご自分の準備を」




§




「私、明日、上級複合霊杖所持資格の試験だったんですが……」


 そして、僕は不機嫌そうなルシアに睨まれていた。


 《嘆きの亡霊》御用達の馬車は高レベルハンターの威光で帝都の出都審査を速やかに突破し、なかなかの速度で街道を駆けていた。

 外からはどすどすという重い足音が聞こえる。アンセムが馬車と並走しているのだ。アンセムはフットワークは割と軽いのだが、重さが重さなのでちょっと力を入れて走ると凄い音がする。

 彼が近くにいると、大体の魔物は近寄ってこない。たまに恐れ知らずのはずの『幻影ファントム』まで逃げ出すことがある。


 脱出は一時間の内に行われた。げに恐るべきはエヴァの手配能力である。僕が何か頼む度に手際がよくなってきているような気がする。


 上級複合霊杖所持資格って何? 上級複合霊杖って何? だがそんな事を聞いてしまえば、きっとルシアは更に不機嫌になってしまう。

 しばらくその視線に耐えながら考えたが、いい返しが思い浮かばず、仕方なく恐る恐る口を開く。


「…………なんで武帝祭の前に資格の試験なんて入れてるの?」


「!? 兄さんがッ! いきなり武帝祭をッ! 入れたんですッ!」


 いや…………入れてないよ。僕は観戦に行かない? って話をしただけで参戦なんていい出したのは僕じゃない。

 おかんむりのルシアにルークが笑う。


「はっはっは、諦めろ、ルシア。俺なんて、参加権の代わりに明日やるはずだったドラゴン退治ぶっちして来たぜッ!」


 ……それ、やばくない?


 ルークが身を置いている剣術流派は度々帝国から強力な幻獣・魔獣の討伐依頼が持ち込まれる。ルークが人を何人も斬ってお咎めなしなのは、人を切った回数よりも幻獣・魔獣を斬った回数の方が少しだけ上だったというのもあるのだ。


 別に強制ではないのに、そんな用事あるならこなくてもいいのに、どうして悪びれないのだろうか。

 実際にエヴァは急には帝都を留守にはできないという事で、一緒に来てないのだ。後で応援に来ると言っていた。正しい形である。


 シトリーがにこにこしながら言う。


「私も、明日やるはずだった講演会をタリアちゃんに押し付け――任せて来ました。まぁそっちは本業じゃないのでいいですが、改良版ミュリーナの製造研究が中途半端になってしまったのが痛いですね」


「まぁ、しょうがないよねえ……今すぐ出るって言うんだから」


 リィズが肩を竦めて言う。どうやら皆随分忙しかったようだ。外からアンセムの声が聞こえる。


「うむッ!」


 元気いいなぁ。優先順位の付け方が間違えているんだなあ。

 僕の誘いが思いつきな事は知っているはずなのに、どうしてルーク達はあっさり誘いに乗ってしまうのか。


 だが、謝罪はしない。ルーク達はそれを望んでいないからだ。

 僕は誤魔化すかのように窓から身を乗り出した。巨大な帝都の外壁が地平線の彼方に消える。追手はない。


「エリザはどうした?」


「んー、見つかんなかったって。私は朝、会ったんだけど……」


 …………平和だなぁ。大きく欠伸をする。

 これで武帝祭が終わって帝都に戻るまで平和だ。ほとぼりが冷めるまでどこか別の町に滞在したほうがいいかもしれない。


 と、そこまで考えた所で僕は重大な事に気づいた。


 …………これ、ガークさん達、追ってきても不思議じゃないんじゃね?

 アーノルドだって追ってきたのだ。怒れるガークと《深淵火滅》がどうして追ってこないなどと言えるだろうか?


 町を、国を出れば安全だと何故か思い込んでいた。おまけに僕は――エヴァに口止めしていない。やばい。


「よし、走るか……ルシア、重りくれッ!」


「予定より早めに出たせいで訓練、足りないしね」


「キルキル君にもお願いします。御者は私が代わりにやって、走らせるので」


「…………貴方達、動く相手に継続で重力魔法かけるのどれだけ大変だか、わかってるんですか? グラビティって人にかける魔法じゃないのでッ!」


 勤勉なルーク達がいつものやり取りをしている。今更、武帝祭に行くのやめようなんて言えない。

 僕はキリキリ痛むお腹を押さえると、だいぶ慣れた操作で妹狐の方に「やばい」と送信するのだった。やばい。




§




 やばい。やばいよ。鼻の曲がりそうな匂いが風に載って漂ってくる。

 馬車の進行方向、遥か先で――街が燃えていた。あまり目のよくない僕でも黒い煙と紅蓮がはっきり見える。


 外を走っていたルークの興奮した叫び声が聞こえる。


「ジャブだッ! ジャブが来たぞッ!」


「景気がいいねえ」


「俺は、ドラゴン退治を諦めて来てるんだ。ドラゴン以上ッ! ドラゴン以上、来いッ! 来いッ! 剣を使えるドラゴン来いッ!」


「ルークさん、物騒な事言わないッ! 燃えてるんですよ!? アンセムさん、先、行きましょう」


「うむ」


 もうダメだ。神様、許して。

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