217 頼りになる男⑤

 なんでこんな事になったのでしょうか。

 帝都中心部。ゼブルディアでも有数の地価を誇る皇城の近く(近くと言っても、数キロは離れているが)は、貴族や大規模な商会、そして一流のクランがこぞって居を構える場所だ。

 グラディス邸も存在するそれら高級住宅街の一画に、僕は久しぶりにやってきていた。


 どこか古風なレンガ造りの建物。明らかに周囲とは趣きの異なるその建物の事を知らぬ者はほとんどいないだろう。

 塔にも似たそれは周囲に存在するどの屋敷よりも高く、その最上階からは帝都の全てを一望できるなんて噂すら存在する。そして貴族を差し置いて、貴族の屋敷が立ち並ぶそのど真ん中に巨大な建造物を建てる事を許された事実が、その『クラン』の威光を語っていた。


 僕も帝都に来たばかりの頃はわざわざ観光にきたのを覚えている。


 それこそが、帝都に存在する数多クランの中でも最古参に分類される魔術師クラン。《魔杖ヒドゥン・カース》の本部だった。


 そしてハンターならば誰もが羨望の眼差しを向けるその塔の最上階で、僕は何故かお茶を頂いていた。


 目の前には幾年月生きているのか想像すらできない眼光鋭い魔女が皮肉げな笑みを浮かべ、顔の半分に入れ墨の入ったこれまで見たどのハンターよりも恐ろしい容貌をした禿頭の巨漢が眉を顰めていた。一体僕が何をしたというのだろうか。


「くくく……随分と面白い事をしてくれたみたいじゃないか、《千変万化》」


「まさか、いつも逃げ回る癖に素直に出向いて来るとは……変なものでも食ったのか?」


 思わず鼻で笑う。


 ?? 自分から、出向いてくる? 僕の耳はおかしくなったかな?

 帝都で最も恐ろしい人物ベスト5の内二人がいる、地獄のような場所に僕が自分から出向くわけがないではないか。


 確かに、『武帝祭』の件で最近浮かれていた事は認めよう。だが、だが、しかしだ。僕の危機感はそこまで麻痺していない。


 落ち着いて現実逃避する僕に、僕がここに来た元凶であるマリーとあーるんが、目の前でお茶を入れながら呆れたような顔で言った。


「ガークさん、クライさんを何だと思ってるんですか。あの《千変万化》が逃げるわけがないでしょう!」


「は、はい。アルトバランの言う通りですッ! クライさんは、快く同行してくれました!」


 どうでもいいけど、君たち僕を何だと思っているの?


 僕は諦め半分で足を組み、精一杯の皮肉を言った。


「お茶に誘われちゃ断る事なんてできないさ」


 ねぇ、お茶って言ったよね? 一緒にお茶でもどうですかって、君たちそう言ったよね? ねぇ? おかしくない?

 なんか余計なのが二人いるんだけど? いや、ここまでのこのこついてきた僕も悪いよ? でもさ、これもしかして……お茶じゃなくない?


 わざわざクランまで来てくれた二人の誘いを僕が断るわけがないじゃないかッ! ちゃんとガークさんと炎婆さんがいる事を言ってくれてたら断ってたわッ!


「あ、ああ、そうか。それならいいんだ」


 全然よくないんだが、ガークさんが戸惑ったように納得の声を上げる。

 僕は何故か僕に信頼の眼差しを向けているあーるん達にせめてもの虚勢を張った。


「今回だけだよ……それに、僕もちょうど《深淵火滅》には会わねばと思っていたところだ」


 もう絶対騙されないぞ。くそッ、顔見知りだと思って油断した自分が憎い。

 事情も知らず、婆さんが片眉だけ器用に歪めて言う。


「ふむ……それは光栄だね。だが、これまで顔を出さなかったのは……どうしてだい?」


 そんなの決まってる。行きたくなかったからである。行きたくなかったから、後回しにしたのだッ!

 ついでにあわよくば行かずに済むのではないかと思っていた。


「あ、ガークさんには用はないから帰っていいよ」


「ぶん殴るぞ」


「いや、待った。いてくれた方がいいな……」


「ぶん殴るぞ」


 如何な《戦鬼》でも《深淵火滅》相手には分が悪いだろう。だが、壁くらいにはなるはずだ。

 僕はあーるんが入れてくれた紅茶を頂き、予想外に美味しくて笑みを浮かべた。もう完全に諦めモードである。


「それでは、クライさん……ごゆっくり」


「待った! あーるん達もいたほうがいいな」


「!?」


 僕たち、友達だろう?


 あーるんがぎょっとしたように目を見開くが、逃がすわけがない。

 あーるん達は僕の純情を弄んだのだ。《深淵火滅》が暴走した時は壁にしてやろう。この婆さんも味方を燃やし尽くす程分別がつかないという事はないだろう。そこまでいったらまだテルムの方がマシである。皇帝の命を狙う狐よりやばいって、やばい。やばくない?


 《深淵火滅》が眉を顰め、しかししぶしぶといった様子で頷く。

 味方ごと燃やす覚悟を決めたのか、僕を燃やせそうになくて残念に思っているのかは、目が節穴の僕にはわからない。


 とっても美味しい紅茶を飲み干すと、カップを置く。


「申し訳ないけど、僕には時間がないんだ。お茶も頂いたし、さっさと用件に入ろう」


「クライさん、お代わりをどうぞ。お菓子もあります」


 あ、ああ。ありがとう。

 気が進まなくても、針のむしろでも美味しいものは美味しい。僕はあーるんが出してくれたクッキーを少しでも時間を延ばすべくぽりぽり頂き、大きくため息をついて言った。


「用件はわかっている。《止水》の件だろ?」


 いくらポンコツの僕でもわかる。


 《魔杖》から《止水》のテルムを借りて、皇帝陛下の護衛依頼に挑んだのはつい数週間前の事だ。そしてそれは結果的に判断ミスだった。

 《止水》のテルムは悪名高き秘密組織、《九尾の影狐ナインテイル・シャドウ・フォックス》の一員だったのだ。


 何故か皇帝の護衛を途中まで忠実にこなしていたテルムだが、何故か突然正体を現し、何故か逃げ出し、何故か今は宝物殿で兄狐のおもちゃになっている。何故?

 今思い返してもさっぱり意味がわからない。やっぱり皇帝の護衛依頼なんて受けるべきではなかった。


「先に言っておくけど、僕は悪くない。あれには僕も驚いた。まさか高名な《魔杖》の副リーダーと、ガークさん推薦のケチャチャッカが裏切り者だったなんて、びっくりだ」


 まぁケチャチャッカはめちゃくちゃ怪しげな風采だったので百歩譲ってわからなくもないが、《深淵火滅》よりよほど落ち着いたテルムの裏切りなど想像できる者がいるわけがない。

 しみじみと頷き、顔をあげると、何故か《深淵火滅》は深い笑みを浮かべていた。瞳孔が完全に開いている。

 ガークさんの方も引きつったような笑みを浮かべていて、普段の僕ならば土下座するレベルで恐ろしい。


「ふん、言うじゃないか」


「ッ…………リストに、名を入れた職員は、始末した。無関係だったがな」



 始末!? 始末って何!? それで次は僕を始末する番だってか?

 どうやら僕の言い方が悪かったようだ。慌てて言い訳する。


「い、いや、誤解しないで欲しい。あなたたちが悪いと言っているわけじゃないんだ。テルムの擬態は見事なものだったし、ケチャチャッカもあれはあれで裏をかいていた。歴戦のレベル8や歴戦のガークさんでも気づかないのも無理はないと思う。ふふ……僕なんて正体明かされた後も気づかなかったしね。誰も悪くない」


「ほ……ほお……そう、はっきり言われるのは、久しぶりだよ」


「うんうん、そうだね。そりゃ、そうだろうね」


「!? クライさん、その辺で――」


 慌てたようにあーるんが止めに入ってくる。僕は思わず眉を顰めた。

 擁護したつもりだったのだが、どうしてガークさんも婆さんも青筋を立てているのだろうか。


「まぁ、無事済んで良かったって事だ。皇帝陛下にも貴女は悪くないと言っておいたよ」


「くくく……まさか、あんたに借りを作ることになるなんてねぇ……」


 よかった……この婆さんの肩を持っておいて本当によかった。

 ガークさん? ガークさんは……割と悪いと思うよ。だが、ガークさんも無能なわけではないのだから、狐の手口が巧妙だったと言うべきだろう。

 てか、冷静に考えると……僕以外、皆悪くない? フランツさんだってテルムに簡単にやられていたし、皇帝陛下の近衛ってもっと強いべきだろう。

 よく思い返すと、全てが全て噛み合っていなかったように思える。深々とため息をつく。


「弱いって罪だね。せめて立場に見合うくらいの力はないと――」


「ッ……喧嘩を売るか、慰めるか、どっちかにしろッ!」


「あ、ああ、いや、ガークさんに言ったわけじゃないんだ。ああ、もちろん、貴女に言ったわけでもないッ!」


 老齢とは思えない眼光に思わず声を大きくする。

 四面楚歌である。うっかり口に出てしまっただけだ。独り言も満足に言えないのか、ここは。さっさと用事を終えて燃やされる前に帰ろう。


 クッキーを食べる。このクッキー、めちゃくちゃ美味しい。お土産に持って帰りたいくらいだ。


 しかし、テルムの件って言ったって、僕はテルムについてほとんど知らない。何か答えられるとは思えないのだが……。


 《深淵火滅》が地獄の底から響き渡るような声を出す。



「《千変万化》、ひひ……あんたに確認したい事は色々あるが――テルムは……今どうしてる?」


「!! とても良い質問だ」


 思わず膝を叩く。唯一答えられる質問である。懐からスマホを取り出すと、僕は兄狐から送られてきた画像を開きテーブルの上に乗せた。

 訝しげな表情で覗き込むように画面を見た《深淵火滅》の表情が凍りつく。ガークさんが凝視している。


 画像には大勢の狐面に囲まれたテルムとケチャチャッカが映っていた。画像は俯瞰で撮られたもので、画質が今ひとつな事もあって表情まではわからないが、兄狐の言っていた活きが良いという言葉を考えるに、まだ遊んでいるのだろう。

 土下座すればいいのにとも思うが、あそこから出てこられたら出てこられたで厄介だ。なにせレベル7だから、逆恨みされたら堪らない。


「まだ宝物殿で遊んでいるよ。出てきたら連絡が来るはずだ」


「この写真は――いや、これが、フランツの坊やが言っていた、【迷い宿】、かい」


「ああ。何もしていないのに勝手に迷ったんだ。本当だよ」


「クライ、てめえは、本当に……いつもえげつねえ手を思いつくな」


「? 何を言っているのかわからないな……」


 まさか、僕がテルムを罠に叩き落としたと思っている? ありえない。

 常識的に考えて宝物殿が人間の言うことなど聞くわけがないし、罠を張るなどもっとありえない。

 僕は罠なんて張らない。何故ならば、張ったら自分が引っかかるからである。悲しい理由であった。


「……テルムは、戻ってくるのかい?」


 ふと、《深淵火滅》が尋ねてくる。もちろん、イエスだ。ノーなんて言ったら焼かれてしまう。


「もちろんだよ。時間はかかるだろうけど、出るだろうね。心配?」


「狐にそそのかされているとは、馬鹿たれめ。ひひ……この手で尋問してやらないとねえ……」


 その冷たい声に、思わず姿勢を正す。


 その声は平坦だったが、平和ボケしている僕が感じ取れる程のとてつもない感情が篭められていた。

 まるで画像を焼き付けるように大きく見開かれた目に、口元に浮かんだ引きつるような笑み。

 心配かなど聞くまでもない。この婆さん、テルムを焼くつもりだ。焼くために、生きていて欲しいと思っている。同じ人間の思考だとは思えない。


 心底、敵じゃなくてよかった。

 どうやらテルムを連れて帰れなかった僕を燃やすつもりはないらしい。だが、今すぐにでもこの場所を逃げ出したい。


「《深淵火滅》、そこまでにしてくれ」


 ひりつくような空気。そこで、ガークさんが口を挟んだ。

 さすがの胆力である、この帝都の探索者協会を背負っているだけの事はある。


 《深淵火滅》が身を起こし、笑みを浮かべる。


「そう、だったね。まだ動ける内に、次代に託す前に――綺麗さっぱり灰にせにゃ……」


 んん?


「本題に入ろう。《千変万化》、大仕事だ。探索者協会を舐めやがった、狐を――潰すぞ」


 んんんんんん?


 あーるんとマリーも真剣な表情をしている。

 僕は目を見開きぽんと手を打ち、さっとスマホを取り戻すと、小さく手を上げた。




「ごめん、ちょっとトイレ借りていい?」

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