215 部外者②

 そのビッグニュースがもたらされたのは、ティノが宝物殿での訓練を終え、クランに戻ってきたちょうどその時だった。


 お姉さまはいない。お姉さまの訓練は地獄だが、スケジュールは完全に不定期である。予定にあったはずなのに来ない時もあれば、予定がなかったはずなのにやってくる事もある。

 最近は皇帝の護衛依頼でずっと不在だったが、もうティノはそんな気まぐれな師匠に完全に慣れきっている。


「マスターが……武帝祭に?」


「ああ、なんでも、いい機会だから、パーティで制覇を目指すらしい」


 口調は平静だが、情報を教えてくれた《足跡》のハンター――ライルの目はぎらぎらと輝いていた。

 トレジャーハンターの全盛期とも呼ばれる昨今、武芸を競う大会は各地で行なわれているが、『武帝祭』程広まっているものはない。

 

 腕利きも大勢参加する。それはハンターに限らない。

 名の知られた武術の師範代もいれば、高名な賞金首狩りもいる。最強と名高い騎士団の団長が出ることもあれば、ずっと引きこもり研究を重ねてきた賢者が出場することもある。共通点はたった一つ。弱輩は予選で弾かれるので、その全てが強者であるというその一点だけだ。

 トレジャーハンターは荒事には慣れているが、目的はあくまで戦闘ではなく宝物の入手である。むしろ様々な状況に対応できるようにマナ・マテリアルを割り振っているので、狭い区間での純粋な戦闘では不利とさえ言える。


 そして、何よりも特徴的なのは、そこに出てくる出場者が純粋な人間とは限らないという点だ。


 帝都では余り見ないが、世界には人間を遥かに越えた能力を持つ種族がいくつも存在する。

 魔術的な適性に秀でた精霊人もその中の一種だが、獣人族や巨人族の持つ肉体的なポテンシャルは人とは隔絶しているし、滅多に姿を見せない竜人種は戦士としてのあらゆる資質に秀で、最強の種族を選ぶとなればまず真っ先にあげられる種だ。


 それら強豪を打ち破って初めて最強の栄誉が与えられる。もちろん、強者全員が全員、出場するとは限らないので、運にもよるだろう。

 だが、ティノが知っている限りでは歴史上、武帝祭でただの人間がトップに立った事は数える程しかない。


 マスターは強いし凄い。凄いが、それら戦いのためだけに生まれたような連中と戦うのは正直、分が悪いとも思う。

 何より、お姉さま達とは違い、これまでマスターは力を公に示すような事はほとんどなかったはずだ。もしもマスターがそういう気質だったら、とっくの昔に武帝祭に出場していただろう(ちなみに、お姉さま達がこれまで武帝祭に参加しなかったのは、マスターに遠慮していたからだ)。

 どうして今になって出場することにしたのだろうか?

 


 様々な疑問が脳裏を巡る。そして、ティノは拳を握った。


「応援しないと」


「ああ。しかし、これでクライがもし優勝するなんて事になれば、俺たちは一躍、最強の集団だッ!」


 思いもよらぬ言葉に、ティノは目を見開いた。


 冷静に考えると、確かにその通りだ。

 武帝祭の優勝者は最強の栄誉が与えられる。そして、最強が運営するクランとなれば一目置く者も増えるだろう。クランマスターの実力とそのクランのメンバー達の実力の間に因果関係はないのだが、世間とはそういうものだ。


 そして――最強が率いるクランともなれば仕事を依頼する者も増えるはずだ。中には厄介事も多分に含まれるだろう。


 意図はなかった。ティノは半ば反射的に呟いていた。


「…………ひどい目に遭わされそう」


「!? それは……………………まずいな、止めないとッ!」


 同じ結論になったのか、ライルの表情が変わる。背中を見せ駆け出そうとするライルの脚を、ティノはとっさに脚を伸ばして払った。


 ライルはレベル5である。クランでは中堅だが、ティノよりもハンター歴も長い。実力的には沢山試練を受けているティノと同程度か少し上くらいだろう。


 だが、相手には油断があった。


「!?」


「行かせないッ!」


「!? 言ったの、お前だろッ!」


 体勢が崩れたライルが立ち直る前に、連続で蹴りをお見舞いする。間合いをつめ、隙は与えない。クランに詰めていた他のメンバーがティノ達を見るが、なんだいつもの事かと視線を外した。

 ライルは必死だがティノも必死である。ティノの言葉がバレたらお姉さまに粛清されてしまうし、マスターを応援しない事など考えられないのだ。



「ッ……私は、ますたぁの、応援を、するッ!」



 だから――貴方の口を封じる。


 渾身の一撃が決まり、ライルが高く宙を舞う。それに対して、ティノは躊躇なく追い打ちをかけた。


「下手、しだら、お前、出場させ、られるぞッ!」




 結局ティノが手を止めたのは、ライルが完全に床に倒れ伏し、誰かが持ってきたゴングを鳴らした後だった。

 肩で息をして、哀れなライルを見下ろす。


「ふっ。マスターは、私に代わりに出ろなんて、言わない……さすがに……と、思う」


 ………………無理です、ますたぁ!


 ティノは遠い目をしていたが、このままにしておけない事に思い当たり、ライルの腕を掴みずるずると引きずっていった。




§





「はぁ? 武帝祭? ヨワニンゲンがぁ!?」


「くくく……つい先日護衛依頼を終えたばかりだというのに、忙しない人間だ」


 端正な双眸を見開き素っ頓狂な声を上げるクリュス・アルゲンに、《星の聖雷スターライト》のパーティリーダー、ラピス・フルゴルは面白いものでも見たかのように含み笑いを漏らした。


 《星の聖雷スターライト》は精霊人のみが所属するパーティだ。帝都に精霊人は少ない事もあり、トラブル防止のために家を借り上げて普段はそこで生活している。

 部屋は広く、数も余裕を持って建てられているが、森の外に出てくるような稀有な精霊人は大体自由を尊んでいる事もあり、広々とした共用スペース――談話室に他のメンバーの姿はない。


 武帝祭は世俗に興味のない精霊人達の中でも広まっている数少ない祭りだ。

 かつて、とある精霊人が優勝を果たし英雄として世界中に名が広がった事から、本来人の催事に興味がない精霊人からも出場者が多い。

 もっともそれ以来、精霊人の中から優勝者は出ていないが――。


「…………何かの冗談だろ、です。あいつ、竜や幻影に襲われても手を出さなかったんだぞ、です」


「ふむ……ならば名声でも求めたか……」


「それこそありえない、です。あいつ貴族や皇帝相手に好き放題言っていたからな、です。参戦……? 観戦の間違いじゃないのか、です!」


「観戦するだけでここまで話が広まるわけがないだろう」


 信じられないのはわかるが、余りにも冷静さを失っている。

 咎めるような口調のラピスに、クリュスは顔を真っ赤にして叫んだ。


「言われなくても、わかってる、ですッ! 私は、体調を崩したっていうのに――あのヨワニンゲンはッ!」


 護衛依頼の疲労が祟ったのか、クリュスは体調を崩し、護衛から戻ってからずっと家で安静にしていた。

 度重なる襲撃に宝物殿との遭遇。帰りこそ大した問題は起こらなかったが、その間もいつ襲撃がくるか、ずっと気を張っていた事には変わらない。倒れるのもやむをえないだろう。


 と、思っていた。だが、同じことをしていたはずの人間が元気に武帝祭に出るなんて話をしているのならば話は違う。


「ヨワニンゲン、まさか私に全て任せていたのって武帝祭に出るためだったんじゃないだろうな、ですッ! せめて、見舞いくらい来い、ですッ!」


 憤懣やるかたない様子でこの場にいもしない人間に文句を言うクリュスに、ラピスは腕を組み、やれやれとため息をついた。


「ならば、我らも出場してみるか? もしも《千変万化》を打倒できれば溜飲も下がろう。参加権は……まぁ、どうにかなる。我らは客寄せにぴったりだからな」


「え……?」


 思いもよらぬ言葉に、クリュスが目を瞬かせた。

 ラピスの方をじっと見るが、冗談を言っている様子はない。そもそも、ラピスは冗談を言うような人間ではない。


 確かに、もしも晴れ舞台で《千変万化》を打倒できたらまあ、多少は溜飲も下がるだろう。《星の聖雷》の名も広まるはずだ。

 クリュスは一瞬思案げな表情をしたが、すぐに首を横に振った。


「いや、そんな事したら私の苦労が無駄になるからやめておく、です。別に名声とか最強とか興味ないしな、です」


「そうか」


「だが、あんなに私に散々迷惑をかけたんだ、無様な負け方をしたらただじゃおかない、です」


「ふむ……まぁ、此度の武帝祭には我らが精霊人の英雄様も出るはずだ。たとえ契約上でも――我らがクランリーダーの力、存分に見せて貰おうぞ」


 再び憤りの言葉を上げるパーティメンバーにラピスは目を細めると、ゾッとするような美しい笑みを浮かべた。





§




「くしゅん…………なんか良いことが起こりそうな気がする」


 本当に大丈夫だろうか?


 機嫌よく鼻歌を歌いながら雑誌を開くクランマスターの姿に、エヴァは一抹の不安を抱いていた。


 《千変万化》はどう甘く見積もっても帝都で間違いなく十指に入るハンターである。だが、同時に余り戦いを好まないハンターでもあった。

 以前、エヴァはクライにどうして宝物殿の探索をやめたのか尋ねた事がある。


 クランマスターは名誉な職だがあくまでトレジャーハンターの本分は宝物殿の探索であり、そちらをおろそかにしてまでクランを運営する者はほとんどいない(そして、それが他のクランと比べて《足跡》が勝っている点の一つでもある)。

 そして、恐る恐る尋ねるエヴァに、このクランマスターはニヒルな笑みを浮かべてこう答えたのだ。


『もともと戦いは好きじゃないんだ。面倒だし、もう飽きた』、と。


 だが、今にこにこしながら雑誌を開くその姿からはかつての言葉が欠片も感じられない。


「何やってるんですか?」


「いやー、せっかく武帝祭に行くんだし、名所でも回ろうかと……」


 大きく持ち上げて見せてくれた雑誌には付箋がいくつも張られていた。


 武帝祭は武闘大会とはいえ、戦人にとって誉れあるものだ。時にその勝敗は選手が所属している流派の存亡をも決定する。

 他の参加者はきっと今頃、迫りくる決戦の日を前に、宝物殿を訪れたりなどして最後の仕上げを行っている事だろう。


 いや、必ずしもそういった者ばかりではなかったとしても――エヴァには、ガイドブックで観光名所を探す闘技者などいないと明言できた。


 いつものやり口を見ているエヴァでも、ニコニコしているクライを見ているとつい心配になってしまう。


「…………参加者の情報を調べましょうか?」


 武帝祭は一対一のトーナメント形式である。そして武器や戦闘スタイルが自由である以上、勝敗は彼我の相性に大きく左右される。

 クライが何を得意とするのかエヴァは知らないが、情報さえあればいつもの神算鬼謀でなんとか対策くらい立てるだろう。


 そんな想いを込めて掛けた言葉に、クライは目を丸くすると、邪気のない笑顔で言った。


「いや、いらないよ。別にそこまで参加者に興味なんてないし、当日、試合が始まってから知る方が驚きがあって楽しいでしょ」


「!?」


 本当にやる気があるのだろうか。この人が本当にクランマスターで大丈夫なのだろうか。

 いや……クライさん、さてはまた散々やりたい放題するつもりですね。


「あ、実は気になる名所に印をつけてみたんだ。エヴァも回りたい所とかある?」


「…………貸してください」


 書き込みのされたガイドブックを取り上げ、小脇に挟む。

 たとえおせっかいだったとしても、不要だと言われたとしても――対策は立てねばならない。今回ばかりは副マスターとして放置しておけない。武帝祭の結果はクラン全体にも影響するのだ。


 エヴァは覚悟を決めると、そのままぽかんとしているクランマスターを置いて早足でクランマスター室を後にするのだった。

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