211 頼りになる男④

 意気込みやってきたシトリーお化けに皇女殿下をお付きの者たちごと引き取って貰う。

 強化するなどと言っても時間があるわけではない。訓練とは積み重ねである。如何な万能なシトリーお化けでもそこまで強化はできないだろうが、護衛という意味でもクリュスと僕(と、キルナイト)の側に皇女殿下を置くより、彼女たちに任せた方がいい。


 皇女殿下のお付き達(護衛や使用人)は、皇女をぶん投げるという僕の決定に猛抗議していたが、彼らも一緒に行けばいいと言うと納得してくれた。目があればリィズ達も無茶はしないだろうし、完璧な策である。


 冴えている自分が怖い。もしかしたらこれもスマホの力だろうか。


 シトリーは去り際にまるで窺うかのような表情で尋ねてきた。


「クライさん……ミュリーナ皇女殿下ですが……どこまでやってよろしいでしょうか?」


「会談が終わったらすぐに帰すから、程々にね」


「……血液検査くらいはいいですか?」


 血液検査と訓練がどう関係しているのだろうか。全くわからないが、シトリーの瞳の輝きを見るに、彼女ならばうまいことやってくれるのだろう。まあ最悪強くはならなくても、護衛が成功すれば大きな文句は言ってくるまい。皇女殿下はまあまあ運が悪いようだし、もしかしたら才能も僕と同じくらい空っぽな可能性もある。


 お化けがいなくなり、全て放り投げた僕に、唯一残されたクリュスが口元を押さえて言った。


「ヨワニンゲン、お前、ほんっと信じられないぞ、です」


「適材適所だよ。僕はこれでもリーダーだからね」


「じゃあそういうヨワニンゲンは何をやってるんだ、です」


 クリュスの正論力はこれまで出会ってきた人間の中でも上位だな。僕は視線を逸らし、ポケットから最新のスマホを取り出しながら話を変える。


「そう言えば、今回の会談って何を話すんだろう?」


「……お前、そんな事も知らないのか、です。一口に言うのは難しいが……国家間の色々だ、です」


 なるほど……国家間の色々、か。

 余りにも大雑把な言葉だが、クリュスの表情には誤魔化している様子はない。僕も知ったかぶりは度々しているが……さては君……この会談で何の話をするのかしっかり知っているな?


 どうやら、クリュスは精霊人なのに人間社会の常識について僕よりも詳しいらしい。会談について話を急に振られてもクリュスに振れば安心である。僕はぱちんと指を鳴らした。


「よし、できる事は全部やった。後は自由時間だ。解散!」


「解散してお前は何をやるんだ、です」


「え……?」


 何をって……観光したりスマホいじったりである。絨毯に乗って空を飛ぶのもいいかもしれない。

 見つめ合う。何も言っていないのに、クリュスの表情が強張った。


「仕事しろ、ですッ! まだ会談は始まってすらいないぞ、ですッ!」


「護衛はフランツさん達が担当するらしいし、いつでも動けるよう身を休めるのも仕事の内だ」


「言い訳はいらん、ですッ! ほら、しっかりとレベル8の実力を見せてみろ、ですッ! ラピスに報告する時に私は何を言えばいいんだ、ですッ!」


 クリュスは真面目だなあ。そしてどうやら、クリュスにはラピスに報告する義務があるらしい。もしかしたら僕はハンターとしての資質を測られていたのだろうか。


 今回やったことを思い起こす。ずっと快適で、絨毯と遊んでいた記憶しかなかった。チルドラゴンに襲われた時も、テルムやケチャチャッカが裏切った時も、迷い宿で幻影と相対した時ですら、僕はまともな行動を取っていなかった。これは……このまま報告されたら《星の聖雷スターライト》がクランから抜けてしまうかもしれない。


「…………一回くらい庇ってあげたよね?」


 恐る恐る厚顔無恥な事を言い出す僕に、クリュスが唇を震わせて言う。


「ヨワニンゲン、私もお前を庇ってやった、です。おあいこだ、です」


「…………」


「しかも、お前、その度に梯子を外してきただろ、です」


 全く記憶にないんだが、クリュスがそう言うのならばそうなのだろう。別に《星の聖雷スターライト》が抜けたところで今生の別れというわけでもないので構わないのだが、真面目に首をひねる。

 僕もエヴァやティノに護衛はどうでしたかと聞かれた時にずばっと成果を出せるようにしておかねばならない。


「そ、そうだ、植林の手伝いをやったよ」


「植林……? この国でか? です。トアイザントで植林が成功するわけないだろ、です。精霊人の魔導師が何人も訪れ失敗した事業だぞ、です。多分、誰も成功すると思っていない、です」


 クリュスの顔が更に顰められる。どうやら彼女のお眼鏡には適わなかったようだ。まぁ妹狐を押し付けただけで成果も出てないしね。

 だが、腕を組み、小さくため息をついてハードボイルドに言う。


「植林は長い目で見ないと駄目だよ、クリュス。昨日の今日で結果が出るわけないだろ? それに、成功するなんて思ってないとは酷い言い草だ、彼らはこの過酷な環境で本当に頑張っていた。十年は見てもらわないと」


「というか、いつやってたんだッ! 私を呼べ、ですッ!! ヨワニンゲンッ! 私は森の民だぞ、ですッ!」


 確かにその通りだ。だが、植林はおまけだったのだから仕方がない。

 まぁまぁと怒れるクリュスを宥める。せっかく精霊人という美形の種族に生まれたのだからもっと笑顔にならないと勿体ない。



「ここに《千変万化》という男はいるか!?」


 そこで、怒鳴るような大声が聞こえた。部屋の外だ。とっさに窓から下を見下ろすと、宿の前にも大量の男たちが詰めかけている。


 褐色の肌にターバン。その腰には曲刀が下がり、服装は粗末でこそないが、荒々しい。

 間違いなく堅気ではない。まだ真っ昼間で、おまけにこの宿は他国の賓客が泊まる超高級宿のはずなのに、全く気にしていないようだ。トアイザントの治安は一体どうなっているのだろうか。そして僕は今度は何をしてしまったのだろうか。


 逃げなくては。慌てて左右を確認する。廊下の方から声がしているという事は、既に宿の中は制圧されているのだろう。逃げるなら外しかない。ここは二階だ、飛び降りると結界指が減るだろうが、僕には絨毯がいる。


 僕の逃走能力をなめるなよ。僕はにやりと笑みを浮かべ、口笛を吹いた。

 絨毯とは契約を交わしている。口笛を吹いたら来てくれる約束だ。


「…………」


 …………来ない。いや、まだだ。聞こえなかった可能性もある。

 絨毯はすぐ隣の部屋に泊まっている。僕の合図が聞こえないはずがないのだが、聞こえなかった可能性はゼロではない。


「何やってるんだ、ヨワニンゲン?」


 何度も口笛を吹くが絨毯がやってくる気配はなかった。さてはメス絨毯といちゃついてるな。本当にフリーダムな奴だ。


 そうこうしている間にも、下の騒ぎは大きくなってくる。


 どうすればいい?


 クリュスがその形のいい眉を顰め、ぽつりと言う。


「ヨワニンゲン、あいつら、トアイザントの砂漠兵――正規のトアイザント軍だ、です。お前、またなんかやったのか、ですか?」


「え!? 逃げなきゃ」


「!?」


 クリュスの言う通り、よく見ると兵士の服にはトアイザントの紋章があしらわれていた。

 まるで山賊か何かのようにしか見えないが、どうやら正規兵で間違いないようだ。町中に堂々と現れているのも納得がいく。だが、逃げなければならない事には違いない。


 身に覚えがあるわけではないが、これまで他国の軍に関わって良かった事はないのだ。

 空を飛べない以上、窓からは逃げられない。宿が囲まれているのだ。となると、変装をして廊下に出るべきか。


 相手は力づくで制圧するつもりはないはずだ。もし制圧が目的ならば、あんなあからさまに目立つ真似をしたりしないだろう。うまくやれば逃げ切れる……か?


 と、そこで無言でクリュスが僕の腕を掴んだ。吸い込まれるような美しい瞳がこちらを見ている。


 ……?


 試しに一歩下がってみるが、腕を離す気配はない。


「……どうかしたの?」


「お前を逃さないように掴んでる、です」


「!? なんで!?」


 まさかの裏切りである。クリュスは何も言わず、どこか得意げな微笑みを浮かべた。

 腕を引っ張るが、マナ・マテリアルをほとんど吸っていない僕よりも、魔導師だが真面目にハンターをやっているクリュスの方が力は強いようだ。力を入れている様子はないが、逃げられない。結界指の弱点を突かれている。


「ヨワニンゲン、お前も少しは真面目に働くべきだ、です。大切な任務をシトリーに丸投げして――大体、正規軍から逃げる理由なんてないだろ、です」


 やばい。クリュスは本気だ。どうやらこれまでの無能っぷりが祟ってしまったらしい。

 もしかしたらクリュスも皇女殿下の訓練を担当したかったのかもしれない。


「安心しろ、です。何かあったら私も手伝ってやる、です」


 そりゃ……心強い事この上ないな。


 どう説得するべきか考えているうちに、部屋の扉がどんどん叩かれる。さすが正規軍、仕事が早い。部屋もバレている。どうやら観念するしかないようだ。


 僕は小さく笑みを浮かべ、クリュスに仕事を押し付ける準備をした。


「わかったよ、僕の負けだ。でも、クリュスにもがっつり手伝って貰うからね」


「ああ、わかってる、です。だから、少しは格好いいところを見せてみろ、です」

 

 クリュスが僕の代わりに返事をして、扉を開ける。


 ぞろぞろと入って来たのは表で宿を囲んでいた者と同じく、強面の兵士だった。特に、一番最初に部屋にはいってきた男の衣装は他の者たちと比べて随分立派で、胸元にいくつか地味な色の飾りをぶら下げている。


 肌の大部分は隠されているが、白い布の隙間から垣間見える肉体は発達していて、鍛え上げられた鋼鉄を思わせた。

 目つきの鋭さも帝都の民とは比べ物にならない。恐らく指揮官らしき男は僕を見ると、ずいと目の前に出てきて微かに震える声で言った。


「貴方が《千変万化》か」


「違います」


「そうだ、です。往生際が悪いぞ、です」


 即座にクリュスが腕を組み、目を細める。ちょっとした冗談だよ。クリュスめ……ちょっとルシアに似てきたな。何か吹き込まれたのだろうか。


 しかし、トアイザントの正規軍が何のようだろうか。僕がこの国に来たのは今回が初めてだ。因縁もないはずだ。

 表に出さずに戦々恐々としている僕を、トアイザントの軍人は無言のままじろりと確認すると――その場で勢いよくひざまずいた。


 呆然とする僕の前で、押し殺したような声で言う。


「広大なトアイザントの全民を代表して――礼を言おう、《千変万化》。よく……よくぞこの地に緑を取り戻してくれた」


「……へ?」


 何言ってるんだ、この人……。



§



 手渡された一枚の写真に映っていたのは森だった。

 生い茂る木々は青々としていて、少し奥にはひときわ大きな木が伸びている。何の変哲もないただの森だ。

 唯一違和感があるとするのならばそれは――近くに映った見覚えのある恰好をした男たちだろうか。


 男たちは砂漠の民だった。陽光から身を守るターバンに日に焼けた肌。だが、その顔はどこか唖然としているように見える。

 トアイザントの使者がいなくなった後もずっと黙り込んでいたクリュスが、ぽつりと言う。


「……ヨワニンゲン、何やったんだお前、です」


 そんなの僕が聞きたい。


 その写真は、昨日僕が妹狐を預けた植林村の現在の姿だった。

 つい昨日までは明らかにうまくいっていなかったのに、果たして何がどうなればたったの一日でこんなになるのだろうか。

 恐らく昨日の光景と今日の光景をただ見せられて同じ場所だと考える者はいないだろう。


「この地の砂は木々が茂るには適していないんだぞ、です。たとえ水が豊富にあってもああはならない、です」


 森の民が真剣な表情で言う。


 そもそも雨すら降っていないのだが――どうやら妹狐が何かやったらしい。

 もはや雨乞いなんていうレベルではなかった。たった一日で砂漠に森を生み出すとは、さすがは超高レベル宝物殿の幻影と言うべきだろうか。


 幸いなのは、トアイザント側が怒るどころか感謝してきている点だ。僕は知らないと突っぱねたが、村に妹狐を連れて行った時に自己紹介してしまったのが仇になっていた。

 礼を言うためだけにすぐさまやってくるのだから、どうやらこの地にとって緑というのは本当に得難いものだったようだ。僕の行動の主な理由が、危険な狐を捨てるためだということを知ったら、彼らは果たしてどんな顔をするだろうか。


 今回の件の真実を知っているのは僕とシトリーだけだ。これは墓場まで持っていかなくては。

 僕はハードボイルドな笑みを浮かべ肩を竦めた。


「何かの間違いじゃないかな。僕は知らないよ。全ては彼らの努力が実った結果だ。きっと日頃の行いがよかったんだ」


 万事解決だ。お礼はいらない。名誉もいらない。善意でやった行動でもない。

 クリュスは僕をじっと見ていたが、深々とため息をついた。


「フランツ達には黙っておいてやる、です。多分バレると思うけどな、です」


 一瞬クリュスが何を言っているのかわからなかった。

 だが、冷静に考えてみると、今回の件は外から見ると、ゼブルディアの連れてきた護衛が好き勝手やったことになる。

 トアイザント側は喜んでいるが、事前に許可を貰ってやった行動でもない。両国の関係のためにも、なかったことにした方がいいのだろう。こちらとしても望むところだ。


 次から次へと目まぐるしく状況が変わっているせいか、一気にどっと疲れが襲ってくる。

 とりあえず新たに何か頼まれるようなことがなくてよかった。後は今回の件が新たなトラブルに繋がらなければいいのだが……。


 そこで、不意にクリュスが拳を握りしめて言う。


「よし、ヨワニンゲン。飲みに行くぞ、です」


 突然の宣言に思わず目を丸くする。クリュスを飲みに誘った事はあっても誘われた事はない。そもそも、まだ日は高いし、一応僕たちはゼブルディアの護衛なのだ。優等生なクリュスにあるまじき発言である。


「え? なんで?」


 思わず尋ねると、クリュスは顔色一つ変えずにきっぱりと言った。



「頑張ったからだ、です。ラピスへの土産話もできたし、特別に私がねぎらってやる、です」






§ § §







 その日は砂の国トアイザントにとって、特別な日になった。

 砂の国で開催予定だった各国首脳が集まっての会談すらどうでもよくなってしまうレベルの慶事。絶望的だと思われていた地脈を利用した植林事業の成功は歴史的な偉業であり、砂漠の民に希望を与えた。


 だが、その裏側にとある高レベルハンターがいた事を知る者はほとんどいない。










 地平線の彼方まで広がる広大な砂漠地帯。その一部に不自然に茂る森を前に、砂漠の民が呟いた。



「間違いなく…………昨日よりも――広がってる。もう木は植えていないはずなのに……雨も降っていないのに……どこまで広がるんだ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る