206 頼りになるお化け

「あー……それは……なるようになりますよ」


「! だよねー」


 シトリーお化けがにこにこしながら言う。僕は全力でその言葉に乗っかった。


 シトリーお化けと共に町中を歩いていく。

 首都は物々しさが増してきていた。会談が近づいているのだ。

 町中には明らかに他国からやってきたのであろう騎士や魔導師の姿が増え、賑わいの中にもどこか緊迫した空気があった。


 トアイザントは国土こそ広いが、そこまで栄えている国ではない。


 詳しい歴史などは知らないが、この国はかつては争いが絶えない地だったらしい。

 国土の大部分が砂漠地帯であり、雨も滅多に降らない。少ない食料を奪い合い、砂漠固有の強力な魔物が跋扈するこの地は地獄の様相を見せていたという。


 それを打開したのが、このトレジャーハンター全盛期という時代そのものだった。


 トアイザントは人が住むには適さない地だったが、同時に砂漠地帯という風土独自の宝物殿を幾つも擁していた。そして、地脈に奔るマナ・マテリアルというほぼ無限のエネルギーからなる宝物殿は掘り出す者さえ存在すれば無限の資源に等しかった。


 かくして、貧困の地に未踏の宝物殿を求めたトレジャーハンター達がなだれ込んだ。財宝を持ち帰るハンターたちを迎え入れるために幾つもの街ができ、争い続けていた砂漠の民達は一つにまとまった。それがこの国の起源だという。


 僕たちはトアイザントの宝物殿を訪れたことはない。暑いからだ。そしてそれとは別に、他の砂漠で遭難した事のある僕にとって、砂の国と言うのは余りいいイメージがなかったりする。


 だが、こうして歩いていると、如何に僕のイメージが貧困だったのかが知れる。


「発展しているのは一部の都市だけみたいですが……やはり、食料系がネックみたいですね。宝物殿で食料が出る所なんて滅多にありませんし、食料を輸入するのも魔物のせいでなかなか難しいみたいです」


 想像していたよりもずっといい所だ。そんな話をすると、シトリーお化けはにこにこしながら教えてくれた(シトリーお化けは僕と一緒にいる時はだいたい笑みを浮かべている)


「大変だなぁ」


「近くで植林などもやっているらしいですが――」


 完全に他人事な僕に、シトリーお化けがにこにこと薀蓄を語ってくれる。

 シトリーお化けはいつも通り緑色のローブ姿で、僕とは違って快適ではないはずなのに暑くはないらしい。


 向かう先は街の外――墜落した飛行船だ。


 ゼブルディアが誇る最新鋭の飛行船『黒き星ブラック・スター』は今も墜落した場所に放置されていた。

 運ぶこともできないし、直す事もできないからだ。最低限の物を外に運び、船体の処理は後日、技師を派遣して行うらしい。大仕事だとしかめっ面をするフランツさんを見ると心が痛んだが、さすがにルシアに帝国まで運んで貰うわけにもいかない。


 久しぶりに見る飛行船は上部の風船が少ししぼんでいて、初めてみた時の威容が見る影もなかった。かろうじて、斜めに突き刺さっていた船体は建て直されていたが、修理には時間がかかりそうだ。

 砂に半分埋もれた飛行船はゼブルディアの手の者に監視されていたが、既に許可は貰っていたので割れた窓から中に入る。


 空調機能も破壊されたのか、飛行船の中の空気は熱で揺らいでいた。


 僕たちが再び船の中にやってきたのは、テルム達の痕跡を少しでも見つけるためだった。まぁ、出る前にも一通り確認はしたのだが、僕の目は節穴なのでシトリーお化けならば別の痕跡を見つけられる可能性もある。


「ありがとうございます! 食料もポーションもこの国では慢性的に足りていないので……」


「まぁ元々シトリーが積んでくれたものだしね」


 ついでに、積み込んだ物資を回収するという目的もある。このままでは熱でダメになってしまうし、帰りはこの飛行船は使わないのだから、もう必要のないものだ。運び出す許可も既に貰っている。


 飛行船の内部には人の気配はなかった。シトリーお化けと共に内部を回っていく。


「そう言えば、よくシトリー達、宝物殿に巻き込まれずに済んだね」


「それが……巻き込まれようと思ったんですが、飛行速度が足りなかったみたいで」


「…………?」


「仕方ないので接近してルークさんが外から攻撃して穴を開けようとしてたんですが、どうしても傷がつかなくて……合流できませんでした」


「…………うんうん、そうだね」


 シトリーお化けが何故かどことなく申し訳なさげに言う。


「【迷い宿】の境界は物理的なものではなかったみたいで……どうも空間の歪み相手ではルークさんの剣も通じなかったみたいです。修行するって言ってました」


「……うんうん、そういう事もあるよね」


 それでルーク達の姿が見えなかったのか。果たして修行でどうにかなるものなのかはわからないが、墜落直後に修行とは、彼らの向上心には本当に頭が下がる。


 僕はルーク達が間に合わなかったことに心底安心しつつ、うんうん頷いた。

 あの場でルーク達がいたら僕の大切な物は絨毯じゃなくてルーク達になっていただろう。そうすれば、ルーク達を差し出すわけにもいかないので、僕たちは正面から狐と戦う羽目になっていた。勝率は高くはなかっただろう。


「まぁ、まだ【迷い宿】は少し早かったってことだよ」


 完全に快適モードで適当な事を言う僕に、シトリーお化けが声を震わせて訴えかけてくる。


「でも、クライさん。誤解しないでくださいッ! 私の準備は完璧だったんですッ! 【迷い宿】に遭遇する可能性だって、少しは考えていましたッ!」


「…………シトリーは凄いなぁ」


 考えていたのならば言ってくれたらいいのに……。僕なんてテルム達は引き込むわ、余計な事をしてばかりだ。

 まるで自分がミスしたかのような面持ちをしているシトリーお化けの背中を叩いてやる。シトリーお化けのそれがミスならば僕のミスは何になってしまうのか。


 シトリーお化けの表情がちょっとだけ緩む。上目遣いで恐る恐る聞いてくる。


「そういえば……クライさん。私の用意した油揚げ、役に立ちました?」


 …………え? 油揚げ……?


 え? 油揚げ、あったの? シトリーが用意したのは保存食とポーションだけだろ?

 だが、シトリーは冗談を言っている風でもない。まるで褒めてもらうのを待っているかのようにそわそわして僕を見ている。


 全然気づかなかった。目録を流し読みしたせいだろうか。だが、普通保存食の中に油揚げが混じっているなど思わない。


 僕は笑顔でシトリーお化けの頭を撫でてやり、誤魔化した。

 肌触りのいい髪が指の間を通り抜け、シトリーお化けの少し垂れた目が更に少しだけ緩む。


「うんうん、シトリーのおかげで助かったよ。いや、冗談抜きで役に立ったよ。あれがなかったら…………そう。色々まずいことになってたね」


「前回、【迷い宿】で窮地を脱するのに使ったので……絶対に必要になると思いまして……苦労して揃えたんです。ゼブルディアでは油揚げは常食されていませんから。よかったぁ……」


 嘘はついていない。役には立たなかったが、もしあると知っていたら役に立っていたのだから、シトリーの不備はまったくない。

 悪いのは全部僕だ。ああ、全部僕が悪いとも。


 存在を知らなかったなどと絶対に気づかれてはならない。シトリーの笑顔を陰らせてはならない。

 僕の一番大事なのはシトリーだよ、シトリー。


 僕の役に立てたのが嬉しいのか、シトリーがすこぶる上機嫌に言う。


「ちなみに、参考までに……五箱で足りましたか?」


「五箱!? ん、んー…………どうだろうね?」


 シトリー、備え過ぎではないだろうか。五箱って……あの狐面の幻影もそんなに沢山求めていなかったと思うよ。


 のらりくらりと上機嫌なシトリーの言葉を受け流しつつ、船内の様子を見回る。やはりテルムやケチャチャッカの姿も、その痕跡も見当たらない。

 まだ宝物殿にいるのか、あるいは外に追い出されたのか……空中に追い出されたとしたら、まずいことになる。

 テルム程の魔導師が飛行魔法を使えないとは思えない。間違いなく生きているだろう。せめて生死だけは確かめたかった。僕のせいで引き入れ、僕のせいで逃してしまったテルムが皇帝陛下の暗殺に成功したら僕のせいになりかねない。


 と、その時、ふと僕の愚鈍な耳が小さな物音を捉えた。シトリーが目を丸くし、僕を見る。

 

 物音がしたのはすぐ目の前――僕たちの目的地の一つでもある、貨物室だった。もちろん、船が落ちる前にテルム捜索で確認済みの場所である。


 貨物室は本当になにもないスペースだ。本来ならば荷物を置く場所だが、今回は僕の持ち込んだ保存食が膨大な量だったので、ほぼそれらでスペースが専有されていた。一部は各部屋に備えたのにそれでもいっぱいになっていたのだ。隠れる場所などはほとんどない。


 くそ、ルシアかアンセムを連れてくるべきだった。シトリーは弱くはないが、後衛だ。さすがに相手がテルムでは厳しいだろう。

 テルム達が船内に隠れている可能性はないと思いこんでいたのだ。


 シトリーが腰から宝具の水鉄砲をそっと抜く。結界指を持つ僕がシトリーに先行して、扉を開け中を覗き込む。


 貨物室は最後に見た時とほとんど変わっていなかった。貨物室の荷物は他の部屋に置かれた物と異なり、万一を考え固定されている。うず高く積まれた木箱は健在で、崩れたりなどしていない。


 慎重に中に入る。ぐるりと室内を見回すが、特に不審な点はない。外の音だろうか。


「大丈夫、気の所為だったみたいだ――」



 シトリーにそう伝えたその時、目の前に積まれた大きな木箱の蓋が音もなく開いた。


 最初に見えたのは白いとんがりだった。


 蓋を内側から開け、身を起こし現れたのは狐の面を被った白無垢の子どもだった。その手には大きな油揚げが握られている。

 その顔がこちらを向く。僕はただただ瞬きした。


「…………?」




 ……箸を使え、箸を……手掴みなんて、行儀が悪い。



 狐面が僕を見ながら、のんきに油揚げを食む。僕は笑顔のまま箱に近づき、頭を軽く押し、箱の蓋をかぽんと閉めた。


 大きく深呼吸をすると、箱を一息で持ち上げる。木箱なのでそれ自体にそれなりの重量はあるが、まるで何も入っていないかのような重さだ。

 いや、事実、この箱は空っぽだ。何も入っていない箱なのだ。シトリーを振り返り、笑いかける。







「………………さ、異状なし、と。荷物を運び出そうか。…………もしかしたら五箱じゃちょっと足りなかったのかもしれないな」


 暑さのせいで幻を見たのかもしれない。さっさと運び出す物を運び出して街に戻るとしよう。

 ストレスが溜まってるのかもしれない。甘くて冷たい飲み物でも飲んで、絨毯と遊ばなくては……。


「い、生け捕りですか……クライさん、さすがです…………私には、真似できません」




 何もなかったことにしようとしたのに、シトリーが若干引きつった表情で言った。どうしようこれ……。

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