205 頼りにならない男

「ま、待ってッ! ちゃんと聞いてッ!」


 必死に声を張り上げる僕のボディを絨毯が鋭いステップを踏み、殴りつけてくる。僕はまるで絨毯のように吹き飛ばされた。

 仰向けに転がる僕にのしかかり、絨毯が連続でパンチする。もしも絨毯に声帯があったのならば、大声で喚いていたかもしれない。


 護衛からひとまず解放された僕は、宿の自室で絨毯と遊んでいた。


 体当たりはともかく、絨毯のパンチは全然痛くなかった。むしろ少しだけ楽しい。絨毯に馬乗りにされるなんて、絨毯に乗るよりも凄い事だ。まさかこんな機能があるとは。

 僕は笑いを殺しながら必死に言い訳した。


「悪かったって、でもあの時はああするしかなかったんだ! 僕だってあんな事したくなかった」


 どうやら、暴れん坊絨毯に内緒で彼女を狐にくれてやったのが悪かったらしい。

 だが、あの時はそうするしかなかった。彼女がいなければ暴れん坊絨毯それ自体を取られていたのだ。誰だってあんな状況にあったら同じ行動を取るだろう。


「僕には陛下を守る義務があったんだよ。それに、君は後ろに隠れていただけじゃないかッ!」


 絨毯に訴えかけるが、全く聞く耳を持ってくれなかった。そもそも絨毯の耳がどこなのかわからないのだが、僕のほっぺたをぱんぱんしてくる。せっかく仲良くなりかけていたのにあんまりだ。


 だが僕が悪いのだ。甘んじて罰を受けようではないか。身を横たえ絨毯の暴虐を受けていると、ノックの音と共に扉が開いた。


 入ってきたのは、僕と同じように一時解放されたクリュスだった。

 いつもの魔導師がよく着るようなローブではなく薄手のパジャマを着ている。どうやら魔力欠乏による体調不良は良くなったようだ。


 絨毯にマウントを取られたまま腕を上げると、目を丸くしていたクリュスの顔が険しくなる。


「なな、何を、してるんだ、ですッ! ヨワニンゲン」


「体調はもう大丈夫なの? よかったよかった」


「し、質問に答えろ、です」


「それは絨毯に聞いてよ」


 絨毯が端のふさふさした部分で僕の頭を叩いてくる。耳で殴ってくる生き物がいるとは思えないので、その部分は耳ではないのだろう。

 僕はクリュスの前で絨毯と遊んでいたらハードボイルドではないので、腕を受け止めて言った。


「わかった、わかった、僕の負けだよ。新しい絨毯を買ってあげるよ。うんと美人なやつだ」


「……」


 絨毯の攻撃がピタリと止まる。だが、まだ僕の上にのしかかったままだ。僕は小さくため息をついた。


「わかった、わかったよ、寂しがり屋め。謝罪の意味も込めて二枚……いや、三枚買ってあげるよ。それでどう? 許してくれる?」


「…………」


 絨毯が僕の頭を数度撫で、上からどいてくれる。どうやら機嫌を直してくれたようだ。僕は起き上がり、ぱんぱんとシャツについた埃を落とす。

 やれやれ、シトリーから貢いで貰っている僕に貢がせるとは、本当に恐ろしい宝具だ。


 クリュスは完全に呆れたようだった。だが、コミュニケーションというのは本当に難しい。


「ヨワニンゲン、お前ほんと真面目にやれ、です」


「これでも真面目にやってるんだけど…………」


 ずっと真面目にやっているつもりだった。滅多に成果が出ないのは真面目にやってないからではなく、僕に力も才能もないからだ。

 だが、僕には仲間がいる。シトリー達も今は離れているが、呼べばいつでも来てくれると約束してくれた。


 クリュスは眉を顰めると、小さくため息をつき、気を取り直したように僕を見た。


 薄手の衣装からすらっと白い手脚が伸びている。そういえば、クリュスは森精霊人もりノウブルなので肌が白いが、精霊人には砂漠に住む者もいて褐色肌だったりする。もしかしたらずっと砂漠にいたらクリュスも日に焼けてそんな感じになるのだろうか。


 そんな事を考えていると、クリュスは窘めるような口調で言った。


「いいか? ヨワニンゲン。私は、ヨワニンゲンの味方じゃないが、ラピスから命令を受けている、です。ヨワニンゲンの名誉の失墜は私達の名誉が貶められる事を意味しているんだ、です」


「クリュスは偉いなあ」


 精霊人が皆クリュスみたいな連中だったら、人間が見下されるのも仕方ないだろう。


「……結果的にはうまくいったが、今の状況はかなり危うい、です。だから私達は少し話し合うべきだ、です。そうだろ、です?」


「えっと……別に、危うくないけど……」


 結果的に皇帝陛下を目的地に無事届けたのだ。そして襲撃を受けたのだから、帰りは流石に護衛を絞るような事はないだろう。

 空の旅はもう不可能だろうが、人数さえいれば陸路の護衛も問題ないはずだ。


 僕はこれまで護衛依頼で何かに襲われなかった事はないが、同時に護衛で人を死なせた事もなかったりする。


「危ういだろ、ですッ! ヨワニンゲン、お前、二人も『狐』の裏切り者を引き込んだんだぞ、です!」


「あー…………それは……盲点だったな」


「ぶん殴るぞ、です。んん? 策があるならしっかり言え、ですッ! あるのか、です?」


 クリュスが詰め寄ってくる。肌白いなぁ……パジャマじゃなくて、ちゃんとした格好してきてくれないかな。

 精霊人は普段人間を見下しつつ警戒しているはずなのだが、僕がへっぽこ過ぎるせいか、色々警戒が足りていないのだ。


 大切? もしかして大切に思われている? 信頼されてる?


「ないよ。そう言われてみればテルム達の事、忘れてたなぁ……どこいったんだろう?」


 船内は全て探したが、彼らの姿はなかった。恐らく【迷い宿】に飲み込まれたのだろうが、あの宝物殿については僕も全て把握しているわけではないのでなんとも言えない。


「私に聞くんじゃないッ! どどどど、どうするんだ、です。あの男の杖、私でも正直勝てる気がしないぞ、ですッ!」


「うーん……」


「あいつに狙われたら護衛の数なんてもう関係ない、です」


 クリュスの表情は引きつっていた。魔術に秀でた精霊人だからこそ、テルムの力を正確に把握できるのだろう。実は僕は余り正確に把握できていない。

 だが確かに難問だ。テルムの能力は味方になれば頼もしいが、敵に回ると厄介この上ない。というか、あの《止水》の力ならば護衛など無関係にいつでも皇帝陛下を始末できたはずだ。どうして仲間として潜り込むなんて面倒な事をしたのだろうか。どうせ暗殺するなら僕が守ってない時に暗殺してくれればいいのに。


 そして忘れてはいけないのはケチャチャッカだ。あの男もテルム並の力を持っているとしたら、完全に手に負えない。結界指も足りないだろう。護衛の数が増えても死人が増えるだけだ。つまり、どうしようもない。


 僕はシトリーの真似をしてぽんと手を叩いた。


「よし、わかった。僕がどうにかしよう」


「は? はぁ? ど、どうするつもりだ、です?」


 クリュスが形のいい目を大きく見開く。


「秘密。まぁ、泥船に乗ったつもりでいるといいよ」


「…………大船の間違いだろ、です。こら、秘密ってなんだ。私はヨワニンゲンの仲間だぞ、ですッ! ちゃんとしっかり言え、ですッ!」


 クリュスが食って掛かってくる。どうやらすっかり調子は戻ったようだ。

 僕はハードボイルドに不敵な笑みを浮かべた。


 どうせ僕たちがあがいてもどうにもならないのだ。警備を倍にしてもテルム相手では安心できない。


 だが、僕には呼べばすぐに駆けつけてくる錬金お化けがいる。


 いかに《止水》でも一セット揃ったお化け部隊(一番お化けっぽい放浪お化けがいないけど)には敵うまい。







§ § §




「なんだ……ここは……」


「けけけ……」


 乾いた声が不可思議な屋敷に響きわたる。

 テルム・アポクリスのハンター歴は長い。魔導師として学んだ後はずっと、トレジャーハンターとして研鑽を重ねてきた。だが、ここまで奇怪な経験は初めてだった。


 確かに、テルムは船から飛び出したはずだった。そのまま外に逃げるなりして態勢を整えるつもりだったのだ。

 だが、一歩船を飛び出し視界に広がったのは予想外の光景だった。振り向いたが、出口は消えていた。そして、これまで見たことのないレベルの濃厚なマナ・マテリアルの気配。


 テルムはすぐに理解した。この濃密な気配、宝物殿だ。それもテルムがこれまで経験したレベル8宝物殿をも越えた超高レベルの宝物殿である。

 にわかに信じがたい話だった。だが、それ以外に考えようがない。

 幻ではない。たとえ手口不明の《千変万化》でも、何の前兆もなくテルムを惑わすなど不可能だ。そこを疑ってしまうと何もかもを疑わねばならなくなる。


 いつも平静を崩さないケチャチャッカもどことなく不安そうだ。竜がやってこないのも不安に拍車をかけているのだろう。


 油断なく屋敷を調べていく。

 屋敷は広く、天井も高かった。なにより、空を飛んでいるとは思えないくらい足元が安定している。


 もしかしたら転移魔法でも掛けられたのだろうか? いや――ありえない。

 転移は超高等魔法だ。だが、それ以上に、このレベルの宝物殿だと、満ちるマナ・マテリアルが抵抗になる。絶対に使えるわけがない。


 不気味だった。屋敷は明らかに人型の生物に向けたものだった。しかし、生命の気配は一切ない。

 このマナ・マテリアルの濃さならば存在するべき、幻影の姿も見えない。


「油断するな……絶対に出口はあるはずだ」


「ひひひ……」


 魔力を確認する。テルムが乗組員を全滅させるのに使った魔法は非常に燃費がいいものだ。まだ十分戦えるだけの魔力は残っていた。

 魔術は相変わらず使えないが、身体強化は使える。優れたハンターは専門外の事もある程度押さえているものだ。ケチャチャッカも同様だろう。


 魔術が抑えられている以上、出来ることは限られるが、やるしかない。


 廊下はどこまでも続いていた。明らかにこれまで乗っていた飛行船より広い。

 恐らく、空間が歪んでいるのだ。高レベルの宝物殿でよくある話だった。


 その時、テルムは奇妙な物を見つけた。絵だ。


 白塗りの壁には酷く抽象的な絵がかけられていた。

 今は少しでもヒントが欲しかった。慎重に近づき、観察する。


 黄色の線が飛び交っていて一見何なのかわからないが――。


 ふと思い当たり、テルムはつぶやいた。


「…………狐……?」


「けけッ!」



 ケチャチャッカの警告に、テルムは下がりつつ振り返った。

 廊下の先に、小さな人影があった。白無垢の子どもだ。ただし、その顔は艶のある白い面に覆われている。


 その形が示しているのは――狐だ。

 幻影だ。迷うまでもなかった。その小さな身体から漂ってくるマナ・マテリアルの気配は並ではない。


 魔術なしでは勝てない。テルムの腕輪は杖としては類稀な強さを誇るが、殴るのには使えない。


 だが、まだ奥の手はある。


 魔術が使えないのはこの宝物殿の特性だろう。そして身体強化だけは使えるのは、自分の肉体という領域の支配権が奪われていないからだ。

 超高レベルの宝物殿の法則が変わるのは高レベルハンターならば誰もが知っている事だ。だが、ならばルールの範疇で武器を作ればいい。


 水は自分の体内にもある。いや、体内の水は最も操作しやすいものだ。故に、当然、備えもある。


 狐面の子供が近づいてくる。その動きは緩やかだ。


 油断させて一撃で仕留める。これまでもこの程度の修羅場、何度も潜ってきた。今回も問題はない。


 しかし不思議な面だ。艶のある白地に朱で描かれた面。見覚えがあるようでもあり、ないようでもある。

 心がざわついていた。


 テルムの所属する秘密組織、『九尾の影狐』の名の由来は、宝物殿だ。狐の形をした神が君臨する宝物殿。

 組織の創始者は不運にもかつて神との邂逅を果たし、そして生き延びた。その力と神出鬼没のあり方に魅せられ、その名を借りた。


 七本の地位にあるテルムでも噂でしか聞いたことがないが、組織の最上位の幹部は、かつて創始者が宝物殿から持ち帰った狐の面を忠誠の証として与えられるという。


 ぞくりと、寒気が奔った。同じ事に思い当たったのか、ケチャチャッカの顔も強張っている。


「まさか――ここは――」


 ありえない。あの宝物殿は世界のどこにあるのか――いや、そもそも存在すら定かではない物だ。

 神の領域に立ち入り、そして生き延びた創始者も二度と宝物殿と出会うことはなかったと聞いている。


 運命だ。遭遇するのに必要なのはただの運ではない。そういう運命になくてはならないはずだ。


 我を取り戻す。目を離したわけでもないのに、先程まで迫っていた狐面の子どもはまるで幻のように消えていた。


 代わりに背後から声がかかる。


「ようこそ、お客人」


「ッ!?」


「事情はわかっている。警戒の必要はない。テルム・アポクリス。ケチャチャッカ・ムンク。危機感さんに見捨てられた哀れな人間」



 気配はなかった。数瞬前までは確かにいなかったはずだった。

 近づいてきていた子どもとは違う個体だった。先程の個体は子どもだったが、今回のは青年と言ってもいい年齢だ。共通点は狐の面をしていることくらいだろうか。


 寒気がした。その身に宿るマナ・マテリアルの量は、常識外だった先ほどの狐面の子どもをも遥かに超えていた。

 勝てない。思わず後退しそうになる身体を、引き止める。


 創始者の言葉を思い出す。組織の創始者は『決して諦めるな』と言った。

 嘘か本当か、創始者は優秀なハンターだった。そして、実際に生き延びた。仮面を持ち帰った。ならば、《止水》と恐れられたテルム・アポクリスにそれができないわけがない。


「君が――神か」


 触れるのだ。人間の形をした幻影は人間と似たような構造を持っている事が多い。

 という事は、体内に水もあるはず。直接触れれば操作できる可能性もある。水の操作を極めた自分ならばできるはずだ。いや、やるしかない。


 油断させるのだ。テルムの言葉に、青年が言う。


「安心して欲しい。僕たちは公平だ。無事は保障しよう。ただし、代償を貰う。後、僕は神じゃない」


「代償…………?」


「怖れる必要はない。僕たちが貰うのは形あるものだけだし、自身の命は除く。ただし、もっとも大切な物を貰うよ」


 警戒するテルムとケチャチャッカを、青年が見回した。

 隙はある。いや、隙だらけだ。相手はこちらの攻撃を警戒していない。


 大きく頷き、青年がゆっくりと口を開く。



「『水神の加護』と『反竜の証』を貰う」


「ッ!?」


 心を……読まれている。確信があった。

 『水神の加護』と『反竜の証』はテルムとケチャチャッカの力の根幹だ。『水神の加護』がなければテルムの力は大幅に落ちるし、替えはない。『反竜の証』については言わずもがなである。


 何より、その二つが失われればテルム達には万が一にも勝ち目はない。


 冷や汗が頬を滑り落ちる。狐面が笑った。


「どうする?」


「……断る、と言ったら?」


 心臓が痛いほどなっている。青年の佇まいは変わらない。悠然と、テルムの目の前に身体を晒している。


 体内の水を操作する。触れるのだ。触れさえすれば、勝負が決まる。


 挑発のようなテルムの言葉に、狐面の青年は穏やかに笑った。




「危機感さんには言う間もなかったが――もちろん、君たちには断る権利もある。僕たちは……とても公平なんだ」

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