204 嘆きの亡霊は引退したい⑤

「うおわあああああああああッ!」


 強い衝撃が船全体を襲う。家具系は固定されているが、食器が、木箱が宙を浮く。

 皆が必死に机や椅子にしがみついている。フランツさんは皇帝陛下の命令で皇女殿下をかばっている。皆の表情には死相が見えていた。

 クリュスが机の足にしがみついている。ロープでがんじがらめに椅子に縛り付けられたキルナイトがびくびく痙攣している。


 そして、一際強い衝撃が船体を揺らした。

 結界指が衝撃を防ぐ。まるで巨大な波に翻弄されているかのようだった。ガラスの割れる音。揺れと衝撃が断続して訪れ――そして、静寂が訪れる。


 地面が平だ。正確に言えば壁だった部分が地面になっているが、それ以上揺れが来る気配はない。僕はよろめきながら、立ち上がった。


 大きく呼吸をする。気温は高いはずだが、シャツのおかげで快適だ。


 生きてる……生きてるぞッ!


 ホール内は酷い有様だった。どうやら墜落を経験するのは初めてだったのか、隅っこの方で激しい衝撃に耐えきれず物理法則に従い叩きつけられた護衛の騎士たちが団子のように固まり転がっている。だが、死んではいないだろう。

 皇帝陛下が床に手をつき、ゆっくりと身を起こす。フランツさんが呻き声をあげる。墜落前にクリュス達魔導師グループが衝撃緩和の魔法をかけていたのだ。

 飛べる癖になぜかテーブルにしがみついていた絨毯が立ち上がる。


 どうやら無傷なのは……僕と絨毯だけのようだな。だが、あの高さから墜落してこの程度の被害で済むのならば上出来である。


「うう……つッ……ど、どうなって……」


 身体をぶつけたのか、クリュスが腕を押さえながら目を開ける。まだ意識が朦朧としているようで、目の焦点があっていない。語気にもこれまでのような力はない。

 だが、どうやら骨は折れてはいないようだ。血も出ていない。多分、ただの打撲だろう。


 立ち上がれているのは僕だけだった。


 やれやれ、墜落素人かな? ああいう時は――目を開けてると目が回るから、目を瞑るといいんだよ。ついでに耳を塞いで身を丸めるとなお良い。現実逃避とも言える。

 

 だが今はそんな事を言っている場合ではない。


 割れたガラスの外には、砂礫が広がっていた。

 そっと手を伸ばす。今は横たわった船体の影になっているが先程まで灼熱の太陽に照りつけられていたのか、触れた指先から火傷しそうなくらいの強い熱が伝わってくる。

 僕は覚悟を決めると、地上に降り立った。


 熱気も光も快適な僕に悪影響を与えることはできない。砂に足を取られそうになりながら、船の影から出る。


 そして、目の前に広がる光景に息を呑んだ。


 そこに広がっていたのは砂漠だった。ただし、地平線の果てまで何もないわけではない。


 揺らめく空気の先――数百メートル向こうに大きな街が見えた。茂った木々に、低い外壁の向こうには白い建物が見える。僕の視力では豆粒のようにしか見えないが、いきなり落ちてきた僕たちに驚いたのか小さな影がいくつも門から現れた。

 門の近くには旗がたなびいている。黄色地に五本の槍――護衛の旅を始める前に見せられた砂の国――トアイザントの国旗だ。


 ……ふむふむ……良い地点に落ちた。どうやら、野宿する必要はないようだ。

 野宿だけは結界指でもどうにもならないからなあ。


 どうなるかと思ったが、どうやら、無事にたどり着いたようだ。


 僕はハードボイルドに一人頷くと、朗報を伝えるため一旦船に戻る事にした。




「街に無事到着したみたいだよ!」


「む……う……貴様には、もう何も言わん…………」


 まだ視界が定まらないのか、眉間を押さえながらフランツさんがくぐもった声で答えた。






§






 そして、僕たちは結果的には無事、目的地、砂の国、トアイザントに到着した。

 死者ゼロ人(負傷者多数)。会談にも余裕で間に合う、完璧な仕事だった。


 着陸地点から見えた発展した都市はトアイザントの首都だったらしい。会談の開かれる場所である。

 本来ならば飛行船は首都から離れた場所に作られた飛行場に着陸する予定だったから、むしろ距離的には近くてよかったのかもしれない。


 めでたしめでたし。



「元気になったら、絶対ぶん殴ってやる、です……」



 トアイザントに用意された宿。着陸の瞬間、魔力を絞り出して皆に防御魔法をかけていたらしいクリュスがベッドの中でぐったりしながら言う。


 僕の株が下落の一途を辿るのとは裏腹に、クリュスの株は上がりまくりであった。

 精霊人という事で最初は同行メンバーから敬遠されていたのだが、今では気安く話しかけられるまでになっていた。命の恩人と公言している者もいる。クリュスは元々良い子なので本来あるべき姿だと言えるが、やっぱりラピスに人を頼んで良かった。ラピスには今度正式にお礼をしなくてはならないだろう……ルシアはあげないけど。


 飛行船の墜落は国際問題である。被害が出なかったからと言って、他の国のしかも予定外の場所に落ちたのだから僕ではよくわからない面倒事が沢山発生するだろう。だが、そこに僕が口を出す余地はない。

 今頃、連れてきたり別ルートで到着していたゼブルディアの文官達はそれらの処理で走り回っているはずだった。


 想定外の裏切りに宝物殿との遭遇。色々な事が起きすぎである。


 だが冷静にかんがえてみよう。僕は出発前、エヴァに『盗賊が出るかも知れない。魔獣が出るかも知れない。それに、宝物殿が出来上がるかも知れない、災害に巻き込まれるかもしれない』と言った。そして、それらには確かに遭遇していないのだ。


 裏切りにはあったが盗賊には襲われていないし、竜は出たが魔獣は出ていない。

 宝物殿には遭遇したがあれは遭遇であって新たに発生したわけではなく、嵐には飲み込まれたが災害とまでは言えないだろう。


 つまり、僕が口に出した事は何も起きなかった。それが意味している所は――。


「…………もしかして今回の僕……運がいい?」


「!?」


「いやいや、待て待て。油断した時が一番危ないんだ……これから何かが起きるかもしれない」


「!? いい加減に、しろ、です……ヨワニンゲン……」


 クリュスが弱々しく腕を伸ばす。白く滑らかな肌がむき出しになっている。

 僕はしばらく目を瞬かせていたが、何を意味しているのか察し、頭を差し出し大人しくパンチされてあげた。


 そういえば、船から消えたテルム達はどうなったのだろうか。





§




 フランツさんは大規模な護衛隊を別口でトアイザントに用意していたらしい。会談の護衛はそちらをメインに動かすようだ。

 吐き捨てるような『大人しくしていろ』を貰ったので、充てがわれた宿を出る。


 砂の国、トアイザントはゼブルディアと比べたら発展途上だと聞いていた。

 だが、首都のレベルは予想以上だった。田舎感がまるでない。

 気候の違いがあるので街を歩く人の格好や建物の形はやや違うが、異国風の光景は滅多に外に出ない僕にとっては非常に物珍しく、思わず笑みを浮かべてしまう。

 トアイザントは年中通して気温が高く乾燥しているらしい。日光が強いせいか皆日焼けをしていて、紫外線から肌を守るためか、薄い外套を羽織っている者も多い。

 半袖なのはきっとマナ・マテリアルにより強化された者だろう。数は少ないようだが、人相の悪さは帝都のハンターよりも上かもしれない。


 大きな通りを選んで歩き、シーツお化け達の元に向かう。

 隠れた功労者、僕の大切なシーツお化け達が滞在先に選んだのは、僕に充てがわれた部屋のある宿とは天と地ほどの差がある鄙びた宿だった。

 大きいが外見はぼろぼろで、一見して中堅向けの宿だとわかる。だが、野宿だろうが飛行中の飛行船の上だろうが秘境の最奥だろうが、どこにでも赴くハンターにとっては十分なのだろう(ちなみに、場所がわかったのは、シトリーから連絡を貰っていたからだ)。


 部屋は砂漠の国だけあってとても風通しがよかった。リィズやルーク達の姿はない。


 広い寝室に入ると粗末なベッドの上にぐったり身を横たえていたルシアが僕に恨みがましげな目を向けてくる。

 いつもの分厚い外套を脱がされ、楽な格好である。だが、その顔には血の気がない。


 ルシアが小さく呟く。


「…………兄さん、の馬鹿……」


 どうやら、魔力枯渇らしい。なんか凄く懐かしい。

 シーツお化けを脱却したシトリーちゃんがアイスドリンクを持ってきてくれる。シトリーはルシアを見ると、苦笑いを浮かべた。


「どうやら、あの規模の飛行船を三百キロ近く飛ばすのは辛かったみたいです。大きく目的地を逸れていたので……さすがに砂漠のど真ん中に落とすわけにはいきませんからね」


「うんうん、そうだね……さすがルシアだッ! 信じてたよ!」


 三百キロも飛ばしていたのか……気づかなかった。僕は揺れに耐えるのに必死だったのだ。


「兄さんの、馬鹿……」


 だが、ルシアが頑張らなければ少なからず死者が出ていた。フランツさん達は僕ではなくルシアに感謝するべきだろう。

 僕はベッドに腰をかけ、何気ない動作でルシアの頭頂に生えた白い耳に触れようとしてルシアに手をパンチされた。


「やめて、ください……」


 ルシアが切れ切れに抗議してくる。この調子だと、尻尾に触れようとしたらパンチじゃ済まない。シトリーが説明してくれる。


「いくら魔力回復薬マナ・ポーションを飲んでも尻尾が吸ってルシアちゃんが回復しないんです。使った魔力が回復するまで抜けませんし……一時的なブーストには使えますが、デメリットが強いですね」


「兄さ…………リーダーの、馬鹿」


「ずっとつけててもいいならデメリットも無視できるのですが――――冗談、冗談だから、ルシアちゃんッ!」


 ルシアに生えている尻尾と耳は、ルシアに預けた『神狐の終尾』の力の副作用である。


 『神狐の終尾』は膨大な力の塊だ。前回遭遇時、【迷い宿】から持ち帰られたその尾はシトリーの研究を経てルシアの手に渡った。

 そして、訓練の末、ルシアは尾から力の一部を引き出す事に成功した。普段は棒の先につけて箒代わりにしているが、万が一ルシアの魔力がたりなくなったその時、尾はルシアに莫大な力を与えるのだ(ちなみに、どうやって取り付けているのかはパンチされるので知らない。服の上からつけられるらしいが……)。

 ちなみに、つけた尾は当然外すこともできるのだが、今回の様子だと色々制限があるようだ。


 ふさふさしている耳に注目していると、ルシアは布団代わりにかけていた薄いタオルケットを被り隠してしまう。


「回復には三日くらいかかるかも知れません。魔力回復薬マナ・ポーションの在庫もありませんし……」


「そんなに寝込むのは久しぶりだね」


 僕の宝具のチャージを担当し続けていたルシアの魔力は莫大だ。魔力が枯渇するなんて本当に久しぶりだろう。

 しかも枯渇についても、いつもは回復薬ですぐに回復させるので、寝込むのは更に久しぶりに違いない。


「さっき、ルシアちゃんもそう言ってました」


「……まぁ、元気になるまでルシアの世話を頼むよ。こっちはとりあえず落ちついたみたいだから」


 既に山場は越えたと思いたい。

 何かあったとしても、なるべくルシアの力は借りない方向でいきたいところだ。


 大丈夫、ルシアがいなくても僕にはまだ元気いっぱいの剣おばけたちがいる。今はどこかに遊びに行ってしまったようだが、呼べばすぐに来るだろう。


 僕たちはパーティだ。いつだって剣おばけたちはいて欲しい時にいてくれるのだ。


 錬金お化けがにこにこしながら言う。


「お任せください。今回は私達にとっても実りのある旅になりました。クライさんに預けていたキルキル君もよりスマートにパワーアップしましたし」


 そうか……キルキル・スマートか。


「あ、そうだ………………ルシアにプレゼントがあるんだけど……」


 僕は色々言いたいことがあったが全て省き、タオルケットの下に隠れてしまった魔法お化けを見た。

 もぞもぞとタオルケットが動く。出っ張った二つの耳がぴくぴくしている。



 よしよし……これで二尾だ。



 僕は笑みを浮かべ大きく頷くと、持ってきた袋の中から新たな尻尾を取り出した。


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