207 田舎者

「私が生け捕りにしてほしいと言ったのは、組織の方の狐だったんですが――」


 あー、どうしよう。何も思いつかない。

 抱えた箱は空っぽのように軽かったが、中からごそごそと音がした。どうやら妹狐(名前は知らないが便宜上そう呼ぶ)は飢えを満たすのに夢中らしい。いつも大体穏やかな表情をしているシトリーも、今回ばかりは険しい表情をしている。


 幻影ファントムは蓄積した力に応じて強大になる。【迷い宿】程の宝物殿になると、たとえ下っ端一匹でもその力は高レベル宝物殿のボスのそれに等しいだろう。

 幻影にとってマナ・マテリアルは空気のようなものだ。本来幻影は宝物殿の外では長く生きられないし、宝物殿の外に出たりもしない。だが、どうやらこの狐っ娘にとってはそんな常識関係ないらしい。


「私がその幻影の立場なら、国を滅ぼせますね。あの宝物殿の幻影ともなれば、立ち向かえるのは高レベルハンターだけです。おまけにその身体の大きさでは、逃げられたら追いつくのはかなり困難でしょう」


 シトリーが恐ろしい推測を立てている。幸いなのは、【迷い宿】の幻影の目的が人類の滅亡ではない事だろう。


「どうすればいいと思う?」


「…………パーティで全力を尽くせば倒せない事もないと思います。一体だけなら」


 シトリーは少しだけ沈黙した後、答えた。

 じりじりと照りつける太陽光。熱で空気が歪んでいる。己の生き死にの話をされているのに、箱の中は大人しいものだ。


 確かに、この箱の中にいるのは間違いなく幻影だ。だが、今更だが、襲いかかってこない人型の生き物を殺すというのは倫理に反している。

 それに、もしも戦って逃げられたら、この幻影はこの国で大暴れするだろう。それはまずい。


「余りいい手とは思えないな」


「そうですね……ミキサーに掛けようにも、壊されそうです」


「?? ミキサーって何?」


「幻影をすり潰してマナ・マテリアルの液体を作り出す実験を行ってるんです。本来は空気中に四散する――」


「あ、ああ……ごめんごめん、そこまででいいよ」


 僕はこれ以上聞かない方がいい気がしたので、シトリーを止めた。少し残念な顔をしているが、聞いても良いことは一つもなさそうなので妥当な判断だと思う。

 トアイザントの首都を当てもなく、ぐるぐる歩く。考えがまとまらない。


 ともかく、この幻影をなんとかしなくてはならない。きっとここまで強力な幻影では空気中に溶けて消えるまで膨大な時間がかかるだろう。強力な幻影という事は、マナ・マテリアルの吸収能力も高いということだ。空気中の微弱なマナ・マテリアルを吸えば数年くらい生きてもおかしくはない。


 一番手っ取り早いのは【迷い宿】に引き取って貰う事である。僕は目立たない路地裏に箱を下ろすと、覚悟を決めてゆっくり蓋を開けた。


 中身が消えてなくなっている事を祈っていたのだが、箱の中には幻影が膝を抱えすっぽり収まっていた。

 見た目的には狐の面を被った子どもである。誘拐に間違われる可能性もある。久しぶりにやばい橋を渡っている。今回ばかりは僕は何も悪くない。


 妹狐は襲いかかってくる気配はなかった。いや、僕と彼女の間には約束がある。それがある限り、たとえ街が滅んでも僕と仲間が傷つけられる事はないだろう。

 大きく深呼吸をして確認する。


「ねぇ、君さ……【迷い宿】に連絡とか取れる?」


 てか、なんでいるの? おかしくない? 箱だけ持って家に帰れよ!


 妹狐はしばらくじっとしていたが、懐に手を入れると、緑色の手帳ほどの大きさの薄い板を取り出し、差し出してきた。


 それは、つるつるしていた。触れると黒い面が発光し、数字が現れる。現在時刻のようだ。僕は目を見開いた。


 これは――――知ってる。知ってるぞ!


 興味津々な表情をしているシトリーに説明する。


「スマートフォンだ……電話の宝具だよ」


「電話って、あの電話ですか? 線が繋がっていませんが……あれは通信用の線が必要では?」


 電話というのは一部の技術国で開発されている通信のシステムだ。いまだ実験段階であり、色々ハードルがあるらしく帝国ではまだ普及していないが、まぁ様々な場所に繋がる共音石のようなものである。


 そして、それと大体同じ機能を持った物が高度物理文明の遺物であるこのスマートフォンなのだ!


「まぁ、それは宝具だから……これはねぇ……端末ごとに番号が振られていて、話したい相手の番号を押すと遠くにいる相手と会話ができるんだよ」


 久しぶりに知識を披露する僕に、シトリーが目を丸くする。


「それは……相手の番号がわからないと意味がないのでは?」


「そうそう。だから共音石よりも使いづらいんだ。その癖、愛好家がいてとても高い」


 後、何故か街の近くにいないと圏外になって繋がらないとか、落としたり水没したりすると壊れるとか、色々弱点がある奇妙な宝具だ。


 だが、重要なのは古代文明ではこのように線もないのに遠距離間で会話できるほど技術が発達していたという点である。

 学者の間では精霊を使役して声を届けているんだよ派と、多分共音石と同じ理屈を使っているんだよ派がいて激論を繰り返しているのだが、そもそも共音石が繋がる理屈がよくわかっていないので無意味なのであった。


 僕も欲しいのだが、持っていないし、友達も誰も持っていないので手に入れたところであまり意味がない。

 どうして妹狐が持っているのかはわからないが、もしかして【迷い宿】は高度物理文明の頃の宝物殿なのだろうか?


「さすがクライさん……博識ですね」


 シトリーが目を見開き尊敬の視線を向けてくるが、僕は余りこの宝具に詳しくない。

 だが、その視線が少し心地よくてついつい自慢してしまう。


「これは……さては新型だな。新型には何と……カメラがついているんだよ。こんなに小さいのに多機能なんだ」


「なるほど……他にどんな機能が?」


 ただの噂だが、スマートフォンには幾つか種類があって、出来ることが違うらしい。大抵の事は出来ると聞く。魔法の杖のようなものだ。


「カメラからビームを出して魔物を薙ぎ払ったり、後は……そう、食べ物を冷蔵したりとか……高度物理文明の住人は皆、スマートフォンで身を守り生活の役に立てていたんだよ。万能な道具なんだ」


 ちなみに、そこまでわかっているのは、この宝具が高度物理文明の宝物殿では度々見つかる物だからである。よほど普及していたのか、一つの宝物殿から百個以上見つかったという例もあるのだ。


「しかし、相手もそれと同じものを持っていて、且つ相手の番号を知らなければ無意味なのでは?」


「まぁまぁ、落ちついて、シトリー。僕は知ってるぞ……連絡先のリストに番号を登録出来るんだ。そうだよね?」


 その時、幻影の少女が動いた。


 自信満々に確認する僕の手からスマートフォンを素早く奪い取ると、コソコソと操作して、渡してくる。

 画面には発信中の文字があった。芸術的な程に無駄のない操作だ。格好良すぎる。


「凄い……スマートフォンのプロか。完敗だよ……今度僕もなんとか一つ手に入れよう」


「田舎者……恥ずかしい」


 狐面が初めてその小さな唇を開く。

 声は平坦だったが、首元が染まり身体が小刻みに震えていた。





§






「まいったな……迎えに来てくれないらしい」


 兄狐との会話の結果を伝えても、妹狐は動揺一つ見せなかった。ただ箱の中に大人しく収まっている。


 スマートフォンの音質は共音石に勝るとも劣らないクリアさだった。使うのは初めてだったが、これなら声を伝える事しかできない共音石よりも、色々出来る生活必需品なスマートフォンの方がずっといい。


 兄狐は今、どうやら大層忙しいらしい。僕が声を出した瞬間、「げっ」って言われたよ、「げ」って。

 待ちに待ったまともな侵入者だって、凄く嬉しそうに言ってたよ。テルムとケチャチャッカの事だ。どうなったのかは知らないが、兄狐の様子では、ろくな目にはあっていないだろう。もはやその前途については祈るのみである。


「放任主義みたいだな……もしかしたら、幻影と人間では感覚が違うのかも」


 妹をよろしくとさえ言っていなかった。

 そういえば、彼は僕が幻影を一人殺した時にも怒り一つ見せなかった。もしかしたら、彼らは家族ではないのかもしれない。


 シトリーが眉をハの字にする。


「どうします? ここまで強力な幻影になると、そのまま放置するのも問題かと……」


 ごもっともである。目の前の妹狐は一見無害に見えるが、その力は本物だ。何をしでかすかわかったものではない。

 かといって、皇帝陛下に真実を告げるわけにも行かない。捕まるかもしれないからだ。そしてルーク達に相談もできない。斬りかかるからである。


 妹狐が袋を開け、油揚げを食む。箱の中には包み紙が散乱していた。

 何故、僕が悩んでいるのにそんなにのんきなのか。そのマイペースさはまさしく神がかっていた。


「……そういえば、この国って油揚げってあるの?」


「ないです」


「!?」


 シトリーの即答に、妹狐が凍りついた。手から齧りかけの油揚げがぽろりと落ちる。


 だよね。帝国では手に入ったが、油揚げが常食されている国なんて余り見たことがない。

 そして、油揚げが手に入らなくなったらこの幻影は一体何をしてしまうのか。


 アークあたりに押し付けようかな。そんな考えも一瞬過ぎったが、また新たな問題の起点になりそうだ。そもそも帝都に連れ込んだら罪になる可能性が高い。


 てか、空飛んで帰れよ、もう。空くらい飛べるだろ。

 もし飛べないなら……そうだ。あのルシアに拒否された新たな尾をくっつければ飛べるようになるのではないだろうか? 問題も消えて一石二鳥である。


 なんかもう疲れた……僕が悩むのも馬鹿らしいな。その辺に放置して帰ろうかな。


 そんな事を考えた瞬間、ふと服の裾を引っ張られた。


 妹狐が腕を伸ばし、僕の服を掴んでいた。声はあげていないが、哀愁が漂っている。

 そんな縋りつかれても、自分の面倒すら見れないのに、幻影の面倒まで見きれない。大体、強大な幻影なのに油揚げに弱すぎである。油揚げ王国にでもどこにでも行ってしまえ。


 その右手がすっと懐に入る。再び出てきた時には、その手には銀色の板――先程とは違う色のスマートフォンが握られていた。


 思わず目を見開く。

 なん……だと!? 僕は知ってるぞ……そういうの、二台持ちっていうんだ。この幻影、只者ではない。


 妹狐はそれをすっと僕に差し出して言った。




「あげる」


「!?」


 僕は深く反省した。


 ……よく考えろ。クライ・アンドリヒ。お前はハンターだろ、弱者を救うのもハンターの仕事だ。

 この狐面は幻影だが悪い幻影ではないのだ。うっかり人間社会に落ちてしまって、可哀想じゃないか。


 考えろ。考えるんだ、皆が幸せになる方法を。あるだろ、あるはずだ、あるべきだ。今こそ普段は眠っているその力を解放する時だ。


 僕は受け取ったスマートフォンをいじりたい気持ちを我慢してポケットにしまうと、拳を握りハードボイルドに言った。




「まぁここまで来て放り出すのも無責任だしね。…………僕に、皆が幸せになれるいい考えがある」

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