ハロー、天使の片羽根は腐り落ちた

「いってぇな……!」


 さすがに京太も顔面を平手打ちされては反射的に怒りも覚える。

 文句の一つでも言ってやろうと思ったのだが、かおるはこちらを睨み付けながら大粒の涙をボロボロとこぼしていた。


「……なんで叩いたお前の方が泣いてるんだよ」

「こんなの嘘泣きに決まってんですよ! 馬鹿!!」

「嘘泣きだったら、嘘泣きって言うかよ……何なんだよお前は……」


 そこで思い出した。

 何も知らないのだ。

 もちろん、VTuberとしての〝天羽かおる〟はある程度配信を見て知っている。逆にそれで知った気になっていたのかもしれない。

 いつも礼儀正しく、お世話好きで二十二歳の天使のような女性。

 しかし、数時間前から知った〝中身〟は十四歳の年相応に生意気な女子中学生だ。

 いや、同年代であった妹よりもずっと精神年齢が低いというか、安定していない気がする。

 そんな少女が身体を差し出すと言ってきたのだ。

 何か事情があるに違いない。


「そうだな、俺はお前のことを何も知らない。まずはそこを聞くところからだったな。すまない」

「な、なんですか……急に……」

「お前と同い年の妹を思い出した」

「ふーん、こんな私と違ってさぞ可愛い妹さんなんでしょうねぇ?」

「妹はモンスターに殺された。それに関して冗談を言える気分じゃない」


 勢いで何かを言おうとしていたかおるだったが、言葉が出ないようで口をパクパクさせている。

 数秒後にすぐに謝罪の言葉が出てきた。


「……ごめんなさい」

「言ってなかったから仕方がない。そんな俺が、お前をどうこうしようとか思えない……と説明もしておく」

「うん。……うん、わかった」


 かおるは自分を納得させるかのようにコクコクと頷いた。


「そっちの方も説明してもらえるか? どうしてそこまで配信にこだわる? 別に俺の力なんて借りなくても地道に――」

「それは……! 天使たちが住む天界の両親と弟へ配信を届けるために……」

「VTuberの設定じゃなくて、目の前にいるかおるの話だ」


 天界に配信を届けるために、地上へ降りてきてVTuberをやっている片羽根の天使。それが天羽かおるだ。リスナーなのでそれくらいは知っている。


「本物の弟に……配信を届けるため……」

「だったら、弟に直接言え。こんな危険な男と組んで人気の出る配信なんてやっても――」

「無理です。弟は死んだんですよ」

「……設定……の話ではなさそうだな」

「最低のクソ親に弟は殺されたんですよ! 弟は配信を見るのが好きで、だったらお姉ちゃんが一番のVTuberになってあげるって約束していたんですよ!! 今でも私は、あの子の喜ぶ顔が忘れられない!!」

「……辛い過去だろうが、そんな危険なことをしても弟は喜ばないんじゃないか」

「違いますよ……もう私の目標は次の段階になったんです……」


 十四歳のかおるは、いつもの配信で見せるような輝きはなかった。

 汚泥の底のような無感の闇があった。


「弟と約束した一番のVTuberになって、行方知れずの親に見せつけてやるんですよ……」

「見せつけてやるって……中身を隠したVTuberなのにどうやって本人だと……」

「簡単ですよ、顔も本名も理由も、人気絶頂の時にバラして親を告発します。そうすれば炎上サイトが勝手に拡散してくれるでしょう」

「……狂っているな」

「これは復讐です。人は正しいことだけをして生きていけると思いますか? 実際に〝すべて正しく生きている人〟はすごいですが、誰かに対して〝すべて正しく生きろと言う人〟は嫌いです。もう一度言います……これは復讐です」

「復讐……か」


 京太はそう独りごちた。


「あなたも『よい子でいろ』と言いますか? 『正しく生きろ』と言いますか? 私はたぶん、それを選んでしまったら――」

「わかった、協力する」


 かおるは大きな眼をまん丸にして、気の抜けた表情でキョトンとしてしまった。


「……え? こんな理由で納得してくれるんですか?」

「こんな理由だから、だ」


 京太だけは気持ちを理解できた。

 たぶん、復讐という原動力がなくなったら生きる気力を失って立ち直れないのだろう。最悪、死を選ぶ。

 正しく生きられる〝ふつうのひと〟とは違うのだ。


「だが、俺にも俺の目標はある。普段はそちらを優先させてもらうぞ」

「うん、うん! ありがとう、京太!!」

「ところで、俺はまだお前の本名を知らないんだが……」

「私の本名は田中薫子たなかかおるこ、普段からかおるって呼んでいいですよ。配信で呼び間違えちゃうと面倒なので」


 一瞬、『田中薫子……? なんか天羽かおると違って普通の名前だな』と言ってしまいそうになったが、また平手打ちは食らいたくないので黙っておいた。

 彼女はVTuberのときの性格とは違い、品行方正とは言いがたいからだ。


「あ~……。それにたぶん、俺は元々かおると離れて行動することはしなかったと思うからな」

「どういうことですか? もしかして、やっぱり私に一目惚れ……」

「それは否定だ。一休みしたら試したいことがある」


 京太は特典で得られた協力スキル【プライベートダンジョン】の項目を眺めるのであった。

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