5.現実逃避
サイレント事件。
喉を切り裂き、声が出なくなった被害者を鉈で嬲り殺した後、被害者の背中に針金で細工した白い鳩の羽を刺して、手の平に十字の文字を描く。
被害者は老若男女、これといった共通点は見つからず、無差別である。
キリスト事件後の事件であり、未だ未解決のまま、犯人も捕まらず、被害者は続出している。丸1年、被害者が出なかった時期もあれば、数日後に被害者が出る事もあり、犯人は心に不規則な波があると思われるが、これと言って、断定できる犯人像は浮かばない。
死体には特に性的犯行がない為、快楽殺人ではない。
愉快犯という事も考えられたが、それにしては飽きもせず同じ犯行を長い期間に渡り、続けている。
キリスト事件の模倣ではないかと言われ、キリスト事件では行われていない、被害者の喉を切り裂き、声を出さなくする事から、サイレント事件と名付けられた。
「シンバ、落ち着け。落ち着くんだ」
頭を抱え、その場をグルグル意味もなく回り、奇声を出して、取り乱すシンバを、取り押さえるようにして、ジャンは、落ち着かせようとする。
「シンバ、話を聞け! 頼むから聞いてくれ!」
ジャンはそう言うと、シンバの顔を持ち、自分の顔の方へ向かせ、そして、
「お前はこの事件から外れろ」
そう言った。
それだけは嫌だと、シンバはジャンのシャツを引っ張るように持ち、首を振りながら、
「な、な、なななんで!?」
呂律のまわらない口調で聞いた。
「一応、聞いておくが、お前、昨夜はマシュリーさんとどこで別れた?」
「・・・・・・う、疑われてんの? オレ?」
「そうじゃない、一応だ、一応。わかるだろ?」
「・・・・・・バス停で——」
「そうか」
「ジャンさん、オレ、なんで外されるの? やっぱり疑われてんの? オレじゃない!」
「疑ってねぇよ、それに誰もお前だなんて思っちゃいない」
「ならなんで!?」
「お前はマシュリーさんの身内だろう?」
「だから!?」
「兎に角、駄目だ」
「なんで!? わかるように説明してよ!」
更にジャンのシャツを強く引っ張り、シンバは食い下がらない。
「今回ばかりは僕もジャンさんの意見に賛成だよ。シンバはサイレント事件から外れた方がいい」
ロシュが、ジャンの背後から現れ、そう言った。
「だからなんで!?」
理由を言わない苛立ちに、シンバは怒鳴るように聞いた。
「被害者は加害者になるからだよ」
ロシュがそう答え、シンバは黙り込み、ジャンのシャツを持っていた手を緩め、そして、その手をダランと下へ落とした。
「今のシンバは物凄い感情が入っている。そんな状態で事件を解決できる訳がない。それに万が一、犯人が見つかったとしても、シンバはその犯人をどうするの? 今のシンバ、殺しかねないよね?」
「・・・・・・殺さないよ」
「そうかな?」
「そうだよ! 殺さないよ!」
「でも身内を殺されてるんだよ? そこに復讐心は生まれないの?」
「犯人はオレが裁かなくても、法が裁いてくれるさ! サイレント事件の被害者はもう30人以上。それも残虐で許される行為じゃない! 犯人は死刑だ!」
「・・・・・・でも犯人が、まだ未成年だったら?」
「そんな訳ないだろう!!!!」
そう吠えたシンバに、ロシュは、
「どうして? この事件が20年も続いてるから? 当時8歳の子供も、28になってるもんね、あ、もう21年になるのか、だとしたら、29か?」
そんな事を言い出すから、シンバはゴクリと唾を飲み込む。
「でもさ、もし未成年だったら、シンバはその犯人を許せるの?」
「・・・・・・」
「大事な人が殺されて、もう二度と会えなくて、なのに未成年と言うだけで、加害者は15年から20年、刑を終えたら何食わぬ顔で、この世に出てきて、普通の人に紛れて生活をして行く。法は罪を犯した少年達を裁かない、寧ろ、罪を犯したにも関わらず、少年達を守ってる。それでシンバは許せるの?」
許せる訳がない。
だが、シンバは口に出せない。
初めて、被害者側の気持ちを理解するシンバ。
「兎に角、シンバは少し休暇をとって、ゆっくりすれば? マシュリーさんの死を自分の中で受け止める為にもさ。後は僕達に任せて」
「いや、でも——」
「あ、マシュリーさんの息子さんが殺人課の方に来てるらしいよ、従兄弟だろ? 会ってくれば? 奥さんは死別してるみたいだね」
それを聞いて、シンバは鼓動が早くなる。
レーチュルの身内を調べられては、叔父ではない事がバレてしまうからだ。
更に、ジャンが、とんでもない事を言い出す。
「キリスト事件のルシファー、あたるか。少年院の方に連絡して、本名と実年齢、それから今どこで何をしているのか、わかる限り聞き出してみるか」
シンバは呼吸をするのを忘れ、動揺しながらも、平然とそこに立って見せている。
だが、それも精一杯。
今にも倒れそう。
「ジャンさん、逆に危険度上がりませんか?」
「なんでだよ」
「ルシファーが捕まってから起きた事件の事を、ルシファーに容疑をかけるような事をして、ルシファーは黙っているでしょうか。それでなくても、今、ルシファーは普通の人に紛れて、普通の生活をしていて、そこに安心感があれば、それを壊す事になります。世間の目も、警察である我々がルシファーに容疑をかける事により、ルシファーは、ルシファーってだけで人々にサイレント事件の犯人に仕立て上げられる可能性もありますよ」
「確かに」
と、頷くジャンを見て、シンバはやっと呼吸を吸って、吐いた。
「あの、やっぱりオレ、休暇はいらない。オレをこの事件から外すも何も、この事件は殺人課の事件だから、オレが関わる必要ないなら、それでいい。ジャンさんもロシュも、この事件を調べたいなら調べればいい。オレ抜きで」
「だが、身内が被害者の場合は仕事なんて、まともに出来やしないだろう?」
そう言ったジャンに、
「ここの課のボスはジャンさんやロシュじゃない。ボスに言われたのなら従うが、そうじゃない場合、従う理由はない」
らしくない口調と台詞で、そう言うと、シンバは、自分のデスクに向かい、椅子に座って、冷静さを装った。
本当は休暇をとりたい。
レーチュルがサイレント事件の被害者となったと言う事は、聞く迄もなく、レーチュルは亡くなっている。
それを考えただけで、精神だけでなく、身体にまで異常が出てきている。
軽く手の痺れを感じる程、感覚が麻痺していて、それは脳へも影響して、思考がおかしくなっているのもわかる。
だが、ここでレーチュルの死を悲しみ、休暇をとって引き篭もっている間に、ルーセン・C・ファークレイだという正体がバレてしまう心配の方が大きいシンバは、ここにいなければならない。
ここにいると言う事は仕事をしなければならない。
そして、サイレント事件の犯人を捕まえなければならないと、シンバは思っていた。
その為には、しっかりと正常な思考を保つ事だ。
「シンバ、マシュリーさんの息子さんに会わなくていいのか?」
ロシュが、向かいのデスクに座りながら聞いて来た。
「うん、いいんだ、オレ、別にマシューとは血縁関係ないから」
「え?」
「只の知り合い。でも知り合いって言っても、年齢が離れ過ぎてて、仲良くしてるのって変に思われるかなぁって思って、叔父って言っただけだから」
言いながら、シンバは自分のデスクのパソコンに電源を入れる。
サラリと出てくる台詞と無表情に近いシンバは、いつもの、よく知っているシンバではなくて、ロシュは不思議に思う。
まるで二重人格みたいだと——。
昨夜、サイレント事件が起きた事で、皆、それぞれ事件を自分なりに推理しているのだろう、各自、仕事をしながらも、いつもより無口だ。
シンバの上に置かれたサイバーストーカーの書類。
それに目を通しながら、シンバは辺りを気にしつつも、パソコンのキーボードをゆっくりと打っていく。
殺人課のパソコンに浸入し、サイレント事件のファイルを盗む!
さすがにセキュリティが厳しいので、なかなかうまく行かない。
時間制限もあり、辺りを気にできずに、パソコン画面に集中してしまうシンバ。
背後にロシュがいる事にも気付かず、無我夢中。
「ハッキングは犯罪だよ、シンバ」
そう言われ、ビクッとして、振り向くと、ロシュが、
「何やってんだ、手を離すなよ」
と、キーボードの上、踊るように指を動かし、あっという間に、サイレント事件のファイルをインストールする段階まで持って行った。
「な、なんで?」
「違った?」
「違わない」
「だろ?」
「いや、でも、なんでわかった? オレがサイレント事件のファイル盗むって」
「悪いけど、パソコンのキャリアが違うよ、僕とシンバとじゃぁ・・・・・・向かい側からシンバの手の動き見てれば、何をしようとしてるのか、直ぐにわかる」
自慢気にメガネを中指でクイッと上げて、ロシュは言う。
「なら、どうして止めずに、共犯になってくれた?」
「共犯? 冗談でしょ、ハッキングはシンバがやったんだよ、だってコレ、シンバのパソコンでしょ?」
「じゃあ、止めなかった理由は?」
「僕はボスじゃないからね、その事件に関わるなって言う権利ないから」
そう言ったロシュに、シンバは少し笑みを零した。
「笑ってんなよ」
と、シンバを軽く突き飛ばすように、背中を叩き、ロシュも笑みを零す。
レーチュルが最後に言った台詞が、今のシンバを救う。
『——キミの仲間達のように、私も只の友人としてね、キミに会いたい』
——マシュー、オレは友人がいたんだね。
——仕事仲間だと一線を置いていたのはオレの方。
——さりげなく、こうして、オレをフォローしてくれる友人が、オレにはいるんだ。
——オレはルーセンじゃない。シンバだから・・・・・・。
突然、電話が鳴り、それを取った刑事が、電話を切った後、
「ダンル南駅のコンピューターがテロにより遮断されてるらしい、現場に向かう」
そう言うと、上着を着て、何人かの刑事と出て行った。
少し人数が減った御蔭で、周りを気にせずに、ファイルを開けれそうだ。
勿論、ロシュも、サイレント事件のファイルを見るようだ。
「ああ! クソッ! パスワードが必要だ!」
ファイルが開かない事に、シンバは苛立って、そう言った。
6つのキーは数字だけなのか、アルファベットだけなのか、数字や記号も含めたものなのか、さっぱり見当もつかない。
パスワードを考えながら、適当にキーを打ってみるが、当然どれも当たらない。
「シンバ、聞きたい事があるんだけど」
「なに?」
「もしかしてシンバは前科がある?」
パスワードの事が一気に頭から離れ、シンバはロシュを見る。
「あぁ、いや、マシュリーさん、ソーシャルワーカーの仕事してたみたいだし、シンバは彼を叔父と言っていたけど、突然、叔父じゃないと言い出して、単なる知り合いだとも言ったよね、知り合いと仲がいいのは不思議じゃないけど、一ヶ月に一回はシンバと会ってるみたいだったし、それは仲がいいと言うより、定期的? そう感じるだろ? それに、シンバの並外れた体力と瞬発力や持久力は、ちょっとやそっとの鍛え方とは思えなくて、だったらやっぱり軍に入っていたか、少年院かなって。全部、僕の憶測と勘で、証拠も何もないよ」
シンバの顔が険しくなり、黙り込んで、パソコンのキーを打つ手も止まる。
「あぁ、ごめんね、別にさ、ほら、いいんだよ。どっかの国では小さな罪だとしても、罪を犯したら、警察という組織で働く事は無理らしいけど、アグルスは特にそういう事はないし、罪も、シンバなら、もう償ったも同然だよ、多くの犯人捕まえて、多くの人を助けたんだから」
「・・・・・・いつか話すよ」
「いつか?」
「うん。いつか話す。だから今は聞かないで」
シンバがパソコン画面を見ながら、そう言うので、ロシュは頷く。
ロシュの顔を見て言った訳ではないので、話す気なんて、全然ないのかもしれない。
だが、それでもいいと、ロシュは思った。
今は過去の事件より、目の前の事件の方が重要だ。
シンバは何度も適当な記号で、パスワードを試みる。
「おい、お前等、仕事もしねぇで、おもしれぇ事やってんじゃねぇか」
ブラックコーヒー片手にジャンが背後でそう言った。
「ジャンさんも仲間に入れて欲しいの?」
ロシュが振り向いて、そう聞くと、
「ロシュ、お前に客だ。ローカで待ってる」
と、ジャンがそう言った。
「客? 僕に?」
「あぁ、昨夜の女」
ジャンがニヤニヤしながらそう言うと、ロシュは面倒そうに溜息を吐いて、ローカへ出て行った。シンバはロシュの背を見ながら、
「昨夜の女って?」
と、ジャンに尋ねる。
「アイツ、酒弱いのな。無理に飲ませたら、ひっくり返ってよ。それでアイツの携帯が鳴ってたから、俺が出たら、ロシュの彼女だって言うから、迎えに来てくれって、お願いしたんだよ、そしたら、結構な美人がさ、来た訳よ」
いやらしい笑いを浮かべながら、ジャンがそう言うので、シンバは頷きながら、
「見て来ていいかな?」
興味津々でそう聞いた。
「いいんじゃねぇの? お前も好きだねぇ」
何が!?と思ったが、シンバは突っ込まず、席を立ち、ローカに出る扉をソッと開け、ロシュとロシュの彼女だろう女性を盗み見する。
シンバの背後で、ジャンまで盗み見する。
肝心のロシュの彼女が、ロシュの体で隠れて、よく見えない。
「いちいち言わなきゃわかんない訳!?」
突然、ロシュが大きな声を出す。シンバとジャンはビクッとして、扉を閉めたが、再び、扉をソッと開け、2人の様子を見る。
「迷惑なんだよ」
突き放すようにロシュは、そう言って、女性に背を向けると、こちらに向かって来た。
「おい、シンバ、早くドア閉めろ!」
ジャンがそう言うが、シンバはドアを閉めず、それどころか、ドアをバッと勢い良く開けて、女性を見つめる。
「シンバ?」
ロシュがシンバに気付き、足を止め、シンバを呼ぶが、シンバは、ロシュの声など耳に入っていない。
シンバの瞳に映っているのは、ロシュの彼女という女性だ。
ふんわりとウェーブがかった肩までのブロンドの髪と、白い肌と、グリーンの優しい色を放つ瞳。女性の、その全てが、今のシンバの全てを停止不能にする程、惹き付けている。
「シンバ? どうかしたのか?」
ロシュがシンバの隣に立ち、シンバに声をかけるが、シンバは身動きせず、只、女性を見つめ続けている。
盗み見したとバレるのが嫌で、とっくにジャンは逃げている。
女性も、じっと見つめてくるシンバを、不思議そうに、じっと見つめ返していたが、余りにも見つめてくるので、困った表情をした後、ペコリと頭を下げ、帰って行く。
シンバは、女性の後姿さえ、見続けて、女性が階段を下りる為、曲がった所で、ハッとして、そこで初めて横にいるロシュの存在に気付き、
「どうかしたのか?」
と、言うロシュの声も、やっとシンバに届いた。
「・・・・・・あ、いや、あの、彼女・・・・・・凄く可愛くて——」
そう言ったシンバに、ロシュは、
「わかりやすいな」
と、鼻で笑う。
「ロシュの彼女なんだろ?」
「あぁ、でも別れたいの。でも別れてくんないの。それでまたイラっとすんの」
ロシュは言いながら、煙草を取り出し、口に咥え、ライターで火をつける。
「なんで別れたいの?」
「は?」
「だって、あんなに可愛い」
「あのね、シンバ、可愛くても別れたい女は別れたいの。ブスでも別れたくない女は別れないの。そういうもんでしょ」
そう言われても、シンバには、よくわからない。
「気に入ったの?」
そう聞かれ、だが、それもよくわからない。
わかる事は、彼女は、ハニエルにソックリだと言う事。
もしもハニエルが生きていて、大人になっていたら、きっと、あんな風——。
シンバの時間が巻き戻されていき、ルーセンになる。
それはルーセンがルシファーになる前——。
ハニエルと手を取り合い、笑い合った日々。
ルーセンにとって、大事な想い出。
それだけが、とてもとても大切な想い出。
それ以外、何もない。
ルーセンは、それ以外、何もないのだ。
「シンバ? そんなにぼんやりする程、彼女を気に入ったのなら、紹介してやろうか?」
そう言ったロシュに、
「冗談だろ、ロシュの彼女だろ、大事にしてやれよ」
少し嫉妬も入ってか、キツイ言い方で、ロシュを睨む。
ロシュも、そんなシンバを面倒に思ったのか、その日は、お互い、余りコミュニケーションをとらず、結局サイレント事件の事も、そのままになっていた。
シンバはサイレント事件のファイルのパスワードを、殺人課の刑事に聞きだす方法を考えるが、殺人課の刑事に知り合いはいない。
唯一、ルディー・アンガスを知っている程度で、彼はジャンと言い合いをしているか、皮肉を口にしているか、もしくは、犯人とわかれば暴力を振るっているか、余り友好的な部分を見た事がない。
——確か、犯人を捕まえて、その場で半殺しにして、クビを宣言されたとか。
——結局、クビにはなってないけど、それ位、無茶をする人なんだよなぁ。
——それに年齢もジャンさんと同じくらいだろうし。
——オレの話なんて聞いてもらえそうにないよなぁ。
「おい、シンバ、お前、もう帰っていいぞ」
その声に、顔を上げると、ジャンが、
「夜勤は俺が当番だろ」
そう言うが、シンバは家に帰っても、どうせやる事もないし、パソコンもないし、仕事を続けたかったので、
「ジャンさんの方が疲れてるんじゃないですか? 早朝からずっとでしょ? 今日は夜勤、オレがしますよ」
そう言った。気がつけば、ロシュの姿はなく、とっくに帰ったようだ。
「いいから帰れって。マシュリーさんの事で、何かに打ち込んでないと辛いのはわかるが、そういう時は少しでも休んだ方がいい」
「・・・・・・ジャンさん、マシューの遺体って、今はどこに?」
「まだ病院だろ。行くなよ?」
「行きませんよ」
正直、レーチュルの死体は見たくはない。
死んだなんて、思っていない。
きっとレーチュルは生きていると、願うように思っているシンバ。
「よし、じゃあ、帰れ」
どうしても帰らせたい、いや、休ませたいのだと思い、シンバは頷いて、素直に帰る事にした。ジャンなりに心配してくれてるのが、シンバは嬉しかったからだ。
——マシュー、オレはもう1人じゃないんだと思う。
——マシューがいなきゃ、1人だとオレは思っていたけど、そうじゃないみたいだ。
——それはきっと、マシューの御蔭なんだと思う。
外に出ると、小雨が降っていた。
シンバは傘を持ってない為、上着を脱ぎ、頭から被ろうとして、ロシュの彼女が立っているのを見つける。
駆け寄って、何故か引き返し、だけど、また近寄っては、また戻るシンバは、同じ場所でグルグル行ったり来たり。
そして、決意するように、ガッツポーズをする感じで拳をグッと握り締めて、彼女に近寄り、声をかけた。
「ロシュを待ってるの?」
そんなつもりはなかったのに、大きな声が出てしまい、しかも加減を知らないシンバは思いっきり顔を近付け過ぎて、彼女は驚いた顔で、後退りしながら、ギュッと身を強張らせた。シンバも、そんな彼女の態度に、身を強張らせ、何故か後ろへ2歩も下がりながら、
「ロシュなら帰ったみたいだから」
中途半端な距離感を開けて、そう言った。
「・・・・・・帰ったんですか?」
「多分。いなかったし」
「・・・・・・待ってるって言ったのに」
「あ、そうなの? じゃあ、いるのかもしれない。もう一度、見てこようか?」
シンバがそう言った時、遠くから悲鳴が聞こえた。
聞こえた瞬間、シンバは走っている。
ロシュの彼女は両手で口を押さえ、シンバの行動の早さに驚くばかり。
目の前の通りは歩道橋を渡らなければ、かなりのスピードで車が行き交っている為、渡れない。にも関わらず、シンバはダッシュで、行き交う車を擦り抜けるように、渡り切る。
その間、シンバの足は一度も止まっていない。
まるで神様がシンバに奇跡を与えているかのように、シンバの行く手を邪魔するものはなく、向こうから小さな女の子を抱いて走って来る男に向かって走っている。
体の大きな男はニット帽を被っていて、乱暴に女の子を抱きかかえ、持っているナイフで、辺りにいる人を切りつけながら、走って来る。
「誰かー! 娘を助けてー!」
遠くの方で、女の子の母親らしい悲鳴に似た泣き声が聞こえる。
「どけぇ!!!!」
ニット帽の男は走って来るシンバに、そう吠えながら、ナイフを振り上げ、シンバは走る速度を上げ、男の振り上げた太い腕に向かって手を伸ばし、男の二の腕を両手で掴むと、走る勢いに任せ、その腕をグルンと後ろに回し、捻った。
「離せぇ! 子供を潰し殺すぞ!!!!」
そう叫んだ男に、シンバは、
「そしたら、お前の腕をも捥いで、お前の持っているナイフで、お前の腹を裂いてやる」
そう言って、更に、男の腕を強く捻る。
男はコクコク頷き、
「わ、わかった、わかったから」
と、女の子をソッと下におろすと、グルンと振り向き、シンバの頬を大きな拳で殴りつけて来た。シンバは殴られた事により、ガクンと下に落ちると、力を喪失したかのように見せかけ、油断している男の腹部に自分の頭を思いっきり突いて、男を前のめりにした後、男の顎へ向かって、拳を入れた。
男は仰け反るように、後ろへ一歩、二歩、後退し、ニット帽が地に落ちたのと同時に、バタンと仰向けに倒れた。
シンバはハァハァと呼吸を乱し、男の手首に手錠をかけると、そこにいた人達が、皆、シンバに拍手をする。
女の子の母親が泣きながら、シンバに頭を下げる。
女の子はキョトンとしながらも、母親と一緒に頭を下げる。
シンバは殴られた頬のせいで、唇を切ってしまい、少し血が出ている。
女の子はハンカチを差し出し、シンバにニッコリ笑って見せながら、
「ありがとう」
そう言った。
こんな場面なのに、シンバの中のルーセンが蘇ってくる。
途端、やり切れない気持ちになり、シンバは愛想なく、差し出されたハンカチを無視して、男を引き摺るようにして、警察署へと運ぶ。
呆然と立っているロシュの彼女に気付き、
「あ、ごめん、ちょっと待ってて?」
そう言うと、シンバは署の中に、まだ気絶している男を入れて、適当にその辺に寝かせたまま、ジャンを呼びに行こうとした所で、ルディーが現れた。
「どうしたんだ、その男」
「今、直ぐそこで小さな女の子を連れ去ろうとして、捕まえました」
「気絶してんのか?」
「はい、ちょっと本気になりすぎて、思いっきり顎にヒットさせちゃいました」
「お前、ネット犯罪課のシンバ・フォートだな」
ルディーにそう言われ、シンバはコクンと頷く。
「よくジャンと一緒にいるからな、よく知ってる。現場で扱き使われてるようじゃないか」
ハハハと愛想笑いしながら、やっぱり、まわりから見て、ジャンに使われているように見えるんだなぁと、シンバは思う。
「ジャンじゃなく、俺につかないか?」
「はい?」
「お前はネット犯罪課なんて所にいる器じゃない。殺人課で、本領発揮したらどうだ?」
言いながら、ルディーは気絶した男をマジマジと見つめ、そしてシンバとの体格の差を把握する。
シンバより、縦も横も大きい、そして、それなりに筋肉質のいい体をした男が気絶しているのだ、ルディーはシンバの強さを確認している。
「お前なら、俺と一緒にサイレント事件を追えそうだ」
ルディーがそう言って、ニヤリと笑い、シンバを見る。
シンバは頷きたくなるのを押さえ、
「・・・・・・考えさせて下さい。オレはジャンさんが好きだから——」
そう答えた。
「忠誠心も強いと来たか、益々欲しくなった」
と、ルディーも引く様子はない。
「あの、この男、お願いしてもいいでしょうか?」
「俺の仕事じゃないだろ、管轄外だ」
それを言うなら、シンバも管轄外だ。
「でも、あの、オレ、外に人を待たせてて、もう行かないと——」
「じゃあ、貸しと言う事で」
そう言われ、シンバはペコリと頭を下げ、その場を去った。
ロシュの彼女は待っていてくれたが、小雨とは言え、ずっと外にいる為、少し濡れていて、寒さのせいか、震えている。
「ごめん!」
「あ、いいの」
「えっと、なんだっけ、あ! そうだ、ロシュがいるか確認して来るんだった!」
しまったと、シンバは戻ろうとした時、
「もういいの!」
そう言われ、シンバは動きを止めて、女性を見つめる。
俯く女性。
シンバはゆっくりと彼女に近付く。
「・・・・・・泣いてるの?」
「違うわ、雨のせいよ」
「・・・・・・ロシュに電話してみようか」
「いいの、わかってるから」
「わかってる?」
女性はコクンと頷き、
「彼、私と別れたいの。昨夜も喧嘩しちゃって。だから何とかしたくて、ランチを誘うついでに話し合おうと職場まで来ちゃって。いちいち言わなきゃわからないのかって言われちゃったわ。言わなくてもわかってるわよ、別れたいんでしょって、そう言えないの、私、わかってても、わからないふりして、彼の傍にいるしかできないから——」
「・・・・・・」
「仕事が終わる頃、待ってるからって言ったんだけど——」
「・・・・・・」
「あんまりしつこいと嫌われちゃうわね、これ以上、嫌われたら、意味ないのにね」
悲しげに笑う彼女に、シンバは何を言えばいいか、わからなくて、少し慌ててしまう。
だが、
「多分、今は、仕事が忙しくて、だから、ロシュは少しだけ気が立ってるだけだよ」
と、シンバはちゃんと彼女を慰める台詞を吐いた。
「ありがとう」
そう言った彼女に、シンバは黙り込む。
『ありがとう』その言葉は好きじゃない。
礼を言われるような人間ではない。
そのせいか、シンバの表情が無になる。
「あ、あの・・・・・・アナタ、すごいのね」
「え?」
「さっき、よく通りに飛び出して行ったわね、ビックリしちゃった」
さっきまでとは違う明るい表情で話し出す彼女。
「車に轢かれちゃうって思わなかったの?」
「思わないよ」
「どうして?」
「だって、向こうから来る車のライトで車が来るスピードがわかって、何秒で走り抜ければいいか、計算すればいい。ここから通りに出るまでの間、走りながら、何台目の車の間隔が一番開いてるか、ライトで確認して、その車がここを通る頃が、後何秒後か、車のスピードと道の長さで計算したら、その答え通りに、通りの前に着くようにして、後は、その車の前の車が通過してから、何秒で次の車が通過するか計算したら、オレは計算された時間内で向こうの歩道に渡ればいい」
「・・・・・・それを走りながら考えたの? 悲鳴が聞こえた瞬間直ぐに?」
「うん」
「凄すぎてビックリ」
「そう?」
「でも時間内に向こうに渡るなんて、3秒もなかったわよね?」
「充分だよ」
「・・・・・・凄すぎてビックリ」
同じ台詞を言う彼女に、シンバは笑い、彼女も笑う。
目の前で動いている女性を見ながら、シンバはトリップしそうになる。
「ねぇ、アナタ、名前は?」
女性の唇がそう動き、まるで、あの頃のよう——。
『ねぇ、アナタ、名前は?』
ハニエルが、笑顔で尋ねる。
『ルーセン。ルーセン・C・ファークレイ』
そう答えるボク——。
「・・・・・・ルーセン・C・ファークレイ」
シンバはトリップしたままで、女性に、そう答えた。
だが、その声は囁きのようで、
「え? ルーセン? ルーセンなんて?」
よく聞こえてないようだ。それでも、『ルーセン』と呼ぶ女性の声が、あの頃のハニエルのようで、いや、本当はハニエルは生きていて、ここでこうして出会っていると錯覚する。
ふわふわのウェーブの髪の毛も、微笑むと細くなるグリーンの瞳も、ハニエルだ。
そして、ハニエルは、こう言うんだ。
『私はハニエル。ここではそう呼ばれてるの』
だから、ボクは——。
「ねぇ? どうしたの? ルーセン? 先に自己紹介した方がいい? 私はロル・アスト」
「え?」
「あ、だから、私はロル・アスト。ルーセンは、ルーセンなんて?」
「・・・・・・シンバだよ、オレはシンバ・フォート」
「シンバ・フォート? ごめんなさい、私、よく聞きとれてなくて、全然違う名前を・・・・・・」
「別にいいよ」
ハニエルという名前じゃなかった事で、現実へ引き戻された。
「シンバは、ロシュとは同じ課?」
「うん」
「じゃあ、シンバもロシュと同じでパソコンに詳しいのね」
「いや、オレはどちらかと言うと、現場直行って感じ」
そう言ったシンバに、納得と笑うロル。
「雨も止んだみたいだし、帰るわ。ありがとう、シンバ」
「あ、待って。送るよ、危ないし」
時刻はPM6:00をまわった所で、車はライトをつけて走っているが、まだ暗いとまでは言えない。
だが、さっきの女の子を連れ去る現場を目の辺りにしたロルに断る理由はない。
「ロシュなんて、酔ったって言うから迎えに行けば、喧嘩して私を夜の町に放って帰っちゃうのに、シンバは優しいわね」
「それ、昨夜の話?」
「そう。シンバもいた?」
「うん、でもロシュより先に帰った。連れの人が最終のバスで帰るって言うから一緒に帰ったんだ」
「そうだったの、最終のバスって事は結構遅いよね、じゃあ、入れ違いだったんだわ、私と。大体、その位の時間に、私も店に行ったから」
「そういえばジャンさんが、無理にロシュにお酒を飲ませたら直ぐにダウンしたみたいな事を話してたから、オレが店を出た後、ロシュは直ぐにダウンしたのかも。それでロルが迎えに来たんだ。うん、入れ違いだったんだね、きっと」
すっかり普通に会話できているシンバ。
ロルも、シンバに何の警戒心もなく、心を許している笑顔を見せる。
歩いて、30分程で着いたマンションの前で、ロルはここだと言う。
シンバは、もっと歩いて話していたい気分だったが、普通に会話ができても、女性を散歩などに誘う勇気はない。だから、
「うん、じゃあ、また——」
と、手を上げる。ロルもコクンと頷き、笑顔で、
「またね」
そう言うので、またシンバは、
「うん、また——」
と、手を上げて、今度はバイバイと振ってみる。
「またね」
ロルも、またそう言うので、シンバは
「うん、また——」
と、再び手を上げる。
「またね」
何度同じ事を繰り返すのだろう、シンバがなかなか立ち去らないからか、ロルも、またそう言って、笑顔でシンバを見ている。
次こそは背を向けて帰ろうと決め、シンバは、
「うん、また——」
再び、そう言って、手をあげた時、
「お茶でも飲んでいく? 雨で濡れたから冷えたでしょ? タオル貸してあげるわ」
ロルが思いも寄らない台詞を吐いたので、そんな台詞を計算してなかったシンバは停止してしまう。
「どうしたの? なんでフリーズ?」
悲鳴を聞いただけで、全てを把握し、全てを計算して、一瞬で現場に飛んでいくヒーローみたいな人が、予測不可能にフリーズしてしまう。
そんなシンバがおかしくて、クスクス笑いながら聞くロルに、
「い、いや、だって、えっと、いいの?」
シンバは、もう少し一緒にいてもいいの?そう言う意味で聞いたが、ロルは、
「ええ、ロシュの友達だもの」
と、シンバを男性として、一線を越えないと、柔らかい口調ながらも、キッチリと釘を打った。
だが、釘を打たれなくても、シンバはロルに手を出す事など考えてもない。
只、一緒にいたいだけ。
幼い恋みたいなものであって、そこに、いやらしい感情は全くない。
だが、シンバはロルをロルとして見て、好感を持っているのか、それともハニエルの影を追っているのか、わからない——。
エレベーターでマンションの6階へ移動し、ロルは角部屋の部屋のドアの鍵を開け、中へ入る。シンバも緊張しながら、中へ入ると、そこは知らない香りが漂う場所で、ふんわりとしたカーテンや白をベースにした家具等に、シンバはドキドキした。
誰かの空間に入るのは初めて。
昔、初めて、教会へ足を踏み入れた時の事を思い出した。
神聖で、美しくて、邪悪さが全くない場所。
その全てに一瞬にして心を奪われた、あの時と同じ気持ちになった——。
「シンバ、紅茶でいい? 美味しいミルクティー淹れてあげるわ。これタオル。それから、そこに救急箱があるから——」
「救急箱?」
「口の横、少し切れてるみたい」
そう言われ、あぁ!と、シンバは口元を指で触れて、
「大丈夫だよ、大した事ない」
そう言ったが、殴られた頬が少し腫れている。明日は青痣になっているかもしれない。
「結構、濡れちゃったわね、ジャケット、ドライヤーで乾かす?」
シンバは頷き、ジャケットを脱ぐと、ドライヤーを貸してもらい、濡れた部分を乾かす。
乾かしながら、部屋を見回す。
綺麗に片付いている本棚には、沢山の童話があり、シンデレラ、白雪姫、人魚姫など、女の子が大好きな話が揃っている。
棚の上には可愛らしいキャンドルが並び、アロマランプもある。
窓辺には小さな鉢植え。
「ねぇ、立ってないで、こっちへ座って、乾かしたら?」
と、丸いテーブルの上、大きなマグカップになみなみと注がれたミルクティーを置いて、ロルは座った。
シンバもロルと向かい合わせに座り、ドライヤーを止めて、ジャケットを椅子の背もたれに干すようにかけて、ミルクティーに手を伸ばす。
あんまりなみなみと入っているから、シンバは口元をカップへ持って行き、啜るように飲む。口の中の切れている所には、しみたが、温かい紅茶は冷えた体には美味しかった。
「音楽でも聴く?」
と、ロルがリモコンで操作すると、どこからか流れる曲に少しリズムをとりながら口ずさみ始める。
そして、シンバと目が合うと、ニッコリ笑い、
「知ってる?」
そう聞いた。
「いや、音楽はよくわからない」
「ロシュと同じね。仕事柄、忙しくて聴く暇ない?」
「忙しくても音楽くらいは聴く余裕あるかもしれないけど、只、音楽センスなくて。でも、聖歌は好き。初めて、感動したからかな」
「聖歌? クリスマスとかにまわってくる奴ね。聖歌隊ってどうしてお金とるのかしら、断ってるのに、勝手に歌って、お金とって帰るわよね」
「そうなの?」
「そうよ、そんなの裕福なうちに行けばいいのに」
「裕福そうだけど?」
「まさか! マンションに住んでて、綺麗な家具に囲まれてるからって、そうとは限らないわ、人間はね、表の顔と裏の顔があるんだから。でしょ? 刑事さん」
そう言って笑うロルに、シンバはコクンと頷き、笑って見せる。
「お腹空いたね、何か作りましょうか、それともピザでも頼む?」
「・・・・・・奢るよ、ピザを頼もう」
こうして家にも入り、紅茶までもらい、服も乾かして、それ以上、望む必要がなかったシンバは、ピザを注文する事に頷いた。
ピザのメニューを見ながら、2人で、いろんな種類のピザに迷う。
結局、オーソドックスなマルゲリータとシーフード。
「ビールは?」
「あ、アルコールは駄目なんだ」
「ロシュと同じね」
彼女は、何回、その台詞を言うだろう——。
「ロルは飲んでいいよ」
「うん、でも、やめとく」
ニッコリ笑い、そう言って、電話の受話器を取り、ピザを注文する。
彼女は、なんて柔らかい動きをするのだろう。
滑らかな指の動きも、瞬きする長い睫毛も、グリーンの瞳に反映する全ての物も——。
動く度に揺れる、ふんわりした髪から漂う香りも——。
口元が上にあがり、にこやかに笑う薄いピンク色した唇も——。
ロルの全てに、シンバは魅入る。
「・・・・・・ハニエル」
思考が飛び、そう呼んでしまう程に——。
もうとっくに現実なんて見失っている。
もしこれが夢なら納得する程に、全ては現実じゃない光景に見える。
彼女の喋る声は、昔聞いたハニエルの声と似ている。
それだけで充分、夢のようだった。
意味のない時間も、シンバにとっては、彼女の声や彼女の仕草、それから彼女の瞳に映る自分、全てにハニエルと結びつけて、夢のような時間を過ごす。
楽しい時間は、あっという間に過ぎて——。
やがて、ロルは寝てしまい、シンバは、食べかけのピザの横に、ピザ代を置いて、それからシンバは考えて、考えて、考えて——・・・・・・。
メモを残した。
そこにはメッセージの他に、携帯番号とアドレスを書いて。
マンションを出ると、土砂降りの雨——。
折角、ジャケットを乾かしたのに、今度はずぶ濡れだ。
——マシュー、今日の事、誰に話せばいいかな。
——きっとマシューに話したら、驚くね。
——女性の部屋に入って、一緒にピザを選んで、一緒に食べたなんて。
——『やるじゃないか、シンバ』って、笑顔で言うかな。
——でもロシュの彼女だから、友達以上の関係にはならない。
——少し落ち込んでそう言うと、マシューは『友達、大いに結構!』って言うだろうね。
——うん、彼女、ハニエルに似てて、だから友達でいいんだ。
——だけど、マシューはこう言うんだ。
——『やめておけ、もう関わるんじゃない。彼女は似ててもハニエルじゃないだろう』
——でも、マシュー、ボクは・・・・・・
——彼女がハニエルと似ているだけとわかってるから。
——彼女はハニエルじゃない、似てるだけ。
——だからボクがこうする事を黙って見ていて。
——ボクは彼女の『次』がほしいだけ。
——また会える『次』が。
そう思うシンバは、ロルをハニエルと重ねてみている事を自分でもよく理解していながら、ルーセンとして彼女を見ていた——。
もう現実に縛るものはなく、正しい方向へ導く助言もなく、今、シンバは残酷にも、マシューの死を受け止めている。
死を受け止めるには、今日の今日で早過ぎるが、シンバは、このルーセンの感情を止める者がいない事に、嬉しく思い、それは受け止めていながら、現実から逃げている。
ロルはハニエルではない。
もしかしたら、シンバの身体中にある虐待の傷跡を見た時、ロルは顔を歪めるかもしれない。
だが、ロルはきっとハニエルのように優しく微笑んでくれると勝手に思い込むシンバ。
——ハニエル。聞いて?
——ロルに、ボクがルーセンだと打ち明けても、きっと彼女は微笑んでくれるよね?
——キミがボクの横腹の傷跡を見た時のように。
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