4.初めての感情


そろそろ行こうと腕時計を見て、ロシュが言うので、メリッサの店へ行く。


店に着くと、大きなケーキを用意して、ジャンとメリッサと、他の顔見知りの刑事達がシンバを迎えた。


クラッカーが鳴り、何事かと、シンバはビックリするが、背後から、


「誕生日だろ?」


と、ロシュが言うので、シンバはレーチュルと顔を見合わせる。


「29歳の蝋燭だからな、ケーキの上で火事だ、火事!」


と、笑うジャンに、


「なんでもっと大きなケーキ用意しないんですか。蝋燭だって、29本さす必要ないでしょう、真ん中に2本、まわりに9本とか、もしくは、2と9の数字の蝋燭でいいんですよ。だから僕が時間稼ぎするより、ジャンさんが時間稼ぎした方が良かったんですよ」


と、ロシュが文句をつける。


どうやら、ロシュがカフェに来たのはケーキを用意する為の時間稼ぎだったようだ。


「あ、あの・・・・・・誕生日なの・・・・・・? オレ・・・・・・?」


本当の誕生日は過ぎている。


だから実を言えば、とっくに29歳になっている。


だが、生月日を変えた為、それが今日だったか、すっかり忘れている。


「シンバの履歴には今日が生まれた日になってるが?」


ロシュがそう言うので、シンバは、


「あ、そう? そうか、ははは・・・・・・」


と、笑って誤魔化す。


「うん、そうだったな、今日はお前の誕生日だ、シンバ」


レーチュルも気の利いたフォローを入れる。


「さぁさ、シンバちゃん、今日はたーくさん飲んで食べて行ってね、ジャンが奢るらしいから。20代最後の1年は、可愛い彼女つくらなきゃね!」


メリッサが逞しい体をすりつけるように、シンバに近寄って来て、そう言うので、シンバは少し逃げ腰で、笑顔で頷く。


沢山の仲間に囲まれ、笑顔で過ごすシンバを見て、レーチュルは安心する。


シンバはちゃんと社会に出て、ちゃんと人生を歩んでいる。


過去の影に苦しむのは、仕方のない事で、寧ろ、苦しまない方が異常だ。


昔は忘れろとは言えない。


ルーセンだった頃は消せとは言ってはいけない。


それ程の重い罪だ。


だが、そう言わなければならない。


忘れられないし、消せないものを、忘れるな、消すなとは言えないからだ。


だが、シンバは忘れてないし、消してもないが、こうして笑顔で、人と人の繋がりを持ち、人の中に溶け込んでいる。


シンバはもう大丈夫だ。


レーチュルはそう確信した——。


メリッサの店を出て、シンバとレーチュルは帰り道を歩いていた。


レーチュルはバスに乗る為、シンバはバス停まで送る。


「まさか29歳の誕生日だったとはな。そうか、5年だとばかり思っていたが、もう6年になったんだな、シンバ・フォートとして、キミがこの世に生まれてから——」


「うん」


「・・・・・・シンバ、仕事、大変そうだなぁ」


「え?」


「シンバは、キリスト事件を忘れられない環境にいる。ほら、メガネの・・・・・・」


「ロシュ?」


「そう、ロシュさんはとてもキリスト事件に興味あるようだし、えっと、雪駄の・・・・・・」


「ジャン?」


「そう、ジャンさんは、そのキリスト事件の模倣だとか言う事件・・・・・・」


「サイレント事件?」


「そう、サイレント事件を解決したがってるらしいし、シンバには辛い環境なんじゃないかと思うんだが——」


「うん、でもオレもサイレント事件は解決したいし、しなきゃならないし、大変なのは、オレだけじゃないし」


そう言ったシンバに、只、只、頷いて、レーチュルは微笑む。


「そうだな、シンバが選んだ道だからな。私は今迄、犯罪を犯した少年達を社会復帰させる為に動いてきた。初めてだったよ、警察署で働きたいと言って来た奴は。最初は絶対に無理だと思っていたんだ、重い犯罪歴がある者が警察で働ける訳はないと・・・・・・だが、短期間で資格も取り、面接まで通り、驚いたよ。重罪を背負っていても、お前の頭脳と体力は警察が必要とするモノだった。お前はルーセンからシンバになる為に、不可能を可能にしたんだ。お前が初めてだ、本当に初めてなんだよ、偽りの経歴をホンモノにした奴は——」


「マシュー・・・・・・酔ってるの・・・・・・?」


なんだか、とても懐かしいような顔で話すレーチュルに、シンバは疑問を感じる。


「酔ってないさ。でも聞いてくれ、シンバ。お前はもうルーセンじゃない。本当に私はそう思う。例えルーセンの影に脅えても、ルーセンである事が消えなくても、シンバは負けない。何故なら、キミはルーセンと向き合おうとしている。逃げる事もできただろうに、逃げないで、その罪を背負い、生きている。だからシンバは負けない。絶対に負けない。負けないでくれ。これからキミは長い人生を生きるんだ——」


そう言うと、突然、シンバを抱きしめ、そして軽いハグをすると、向こうから来るバスに、レーチュルは駆け出した。


「今日はありがとうと、皆さんに伝えといてくれ。楽しかった」


「マシュー、次は来月の終わりでいいの?」


「次はない」


「え?」


「もう私に会う必要はない」


「な、なんで!? 無理だよ、ボクはまだ——」


「シンバ、お前はシンバだ!」


「あ、いや、その、オレはまだマシューが必要だから」


「大丈夫だ」


そう言うとレーチュルはバスに飛び乗った。


「待って、マシュー!」


バスを追いかけるシンバに、レーチュルは窓を開け、


「シンバ、次に会う時は私の職業関係ナシに会おう。キミの仲間達のように、私も只の友人としてね、キミに会いたい」


そう言った。シンバは足を止め、只、その場に立ったまま、行ってしまうバスを見送る。


「・・・・・・オレの・・・・・・仲間・・・・・・?」


レーチュルが言った台詞が、シンバの胸の奥の方まで届き、だんだんと温かいものが込み上げてきて、自然に顔が微笑み出す。


こんな気持ちになったのは、シンバとしては初めて。


——いいのかな、オレ・・・・・・ここにいても。


少しずつかもしれない、本当にちょっとずつ。


シンバはシンバとしての居場所を見つけている。


6年間、苦しくて長かった日々。


やっとシンバとしての時間が、ちゃんと動き出そうとしていた。


それはレーチュルのおかげであると、シンバは心から感謝している——。


次の日の朝、いつも通りに出勤すると、遅番の者も来ていて、全員集合でネット犯罪課の部屋にいた事で、シンバはしまったと思い、急いで携帯を確認する。


何か事件があり、早く来いと連絡があったのだろうが、気付かなかったのだと思ったからだ。


だが、携帯は着信1つない。


——あれ?


——おかしいな?


「シンバ、ちょっと来い」


ジャンに呼ばれ、急いで行くと、


「昨夜サイレント事件が起きた」


そう言われ、シンバは再び携帯を見てしまう。


「お前には連絡してない」


「え? なんで?」


「被害者はレーチュル・マシュリー、56歳——」


ジャンが何を言っているのか、シンバには、全くわからなかった——。


そして、ジャンが言っている事の理解をした時、シンバは、いや、ルーセンとしても、初めての感情が体の中から湧いて来るのを感じた。


放心状態で、シンバは、その感情がなんなのか、冷静に考えている。


怒り、悲しみ、憎しみ、そういうものかもしれないが、違うかもしれない。


簡単に言葉になんてできない感情。


シンバの唇が微かに動く——。


「復讐してはならない・・・・・・わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かが右の頬を打つなら、左の頬も出しなさい。敵を愛しなさい・・・・・・わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい——」


それは聖書の一節だ。


「神よ・・・・・・ボクは・・・・・・どうしたらいいですか・・・・・・」


その台詞は、もうシンバではなかった。


「うわああああああああああああああああああ!!!!」


頭を抱え込むように押さえ、シンバは、わからない感情に、悲痛を叫ぶしかなかった——。

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