3.ルシファーと呼ばれた少年


「そうそう、面白いサイト見つけたんだよ」


シグナルで停まった時に、ロシュはそう言って、シンバにノートパソコンを開いて、あるサイトを画面に映して渡した。


わざわざ助手席に座るジャンではなく、後部座席に座るシンバに見せる辺り、シンバの意見が聞きたいのか、それとも、1人で座るシンバの退屈さを気遣っての事か。


実際、ぼんやりしていたシンバは退屈そうに見える。


「なんだ? 何のサイトだ?」


ジャンが興味有り気に尋ねる。


「ルシファーの深層心理について語っているんですけどね、いやぁ、何気に詳しく事細かく書いてあるんですよ、当時の事件の事なんかを。新聞や雑誌に載った記事をまとめて引用してあるんでしょうけど、ルシファーの家庭背景や性の目覚め、知能指数なども含めた上で、ルシファーの深層心理を解読するって言うんですよ」


「ほー」


なんだそんなサイトかとジャンが、どうでも良さそうに返事をする。


確かにそんなサイト、沢山ある。


今更、何故、こんなサイトを見せたいのかロシュの心理がわからない。


「そのサイトの掲示板はね、ある意味、犯行予告だらけなんですよ。例えば『私も幼い頃ですが、誤って、猫を殺した事があります、特に興奮などしませんし、死について考えた事もなかったです。もう一度、何かを殺してみれば、ルシファーのように死に興味を持ったり、興奮したりするのでしょうか』とかね——」


「ほー」


「『小さい頃、よくカエルを空気弾で撃って遊んでました。内蔵破裂したカエルがおかしくて笑いました。これってルシファーと同じ気持ちって事になるのかなぁ? だとしたら人を殺してみる事も可能かなぁ?』とか——」


「へー」


「『どうして昆虫を殺しても罪にならないのでしょうか、昆虫なら毎日殺しても裁かれない。つまりルシファーは虫を殺すように人を殺しただけ。ルシファーに罪はなく、罪なのは死を理解しない奴等。だからこそ、世の人間達に死を理解させる為に、死者を今夜辺り大量に出すってのはどうだろう?』とか——」


「ていうか、お前、全部読んで、暗記したのか?」


「まさか。ちょこちょこっと見たものが頭に入っただけだよ。でもある意味、犯行予告でしょ?」


「その程度じゃあ、犯行予告と迄いかんだろう、無責任な発言だなぁとは思うがな」


そう言ったジャンに、ロシュは唇を尖らせ、


「折角、仕事になるかなぁと思ったのになぁ」


と、吸っていい?と煙草を取り出し、ジャンとシンバを見る。


サイトを目の前に硬直しているシンバに、


「シンバ? 吸っていい?」


と、声に出して聞き、ハッとするシンバは、ロシュに頷く。


窓を開け、ハンドルを軽快にまわしながら、煙草を咥え、ロシュは、再び振り向いてシンバを見る。


「どうかした?」


「え?」


「顔色悪いよ。そのサイト、異様に気になる?」


「あぁ、いや、車酔い」


「マジで!? ショックだなぁ、運転うまいって言われるんだけどなぁ」


と、ロシュは白い煙をフーッと出し、そう言って笑う。


警察署に着き、本当に具合が悪いのだろう、シンバは自分のデスクの上で肘を付き、頭を抱え込むようにして額を押さえている。


「おい、シンバ、今日、飲みに行くぞ」


ジャンがそう言うので、シンバは顔を上げた。


「あ、すいません、今日は叔父と会う約束があって——」


「またかよ! 先週も会ったろう!?」


そう言ったジャンに、


「先週じゃなく、先月ね。月1で来るね、その叔父さん」


と、ロシュは、シンバの向かい合った席で、パソコンのキーを打ちながら言う。


「たまには俺に付き合え!」


「たまに? いつもでしょ」


またもロシュが、ジャンの台詞を言い直す。


「すいません、叔父が待ってるから」


「よぉし、わかった! じゃあ、こうしよう、その叔父とやらも一緒に連れて来い。みんなで飲めばいい!」


勝手に話を進めるジャン。


「いや、でも、叔父は飲めませんから」


「飲めねぇ? 大歓迎だ!」


何がだろう、こっちは歓迎してないのにと、シンバは困った顔。


「いいじゃないの、付き合ってあげなよ。僕も行くからさ」


ロシュがそう言うのは珍しい。


大体はジャンの奢りだと言っても行かないのがロシュだ。


「よし、決まりだ。メリッサの店にいるからよ、叔父連れて来いよ、いいな、シンバ?」


早番のジャンとロシュ、それからシンバは、署を後にするが、この後、飲みがある事を考えると、疲れたシンバは結構辛い。


交差点を駆け抜け、オープンカフェへ入り、本を黙読している男性に近寄り、


「遅くなってごめん」


と、声をかけた。男性は優しい笑みを浮かべ、


「今来たとこだよ」


と、半分以上もページが捲られている本を閉じる。


シンバは男性と向かい合わせに座る。


「今日も仕事だったんだろう? 警察ってのは危険と背中合わせだ。今日もキミが無事で私は嬉しいよ」


そう言って、顔の皺が優しい笑みを作り出し、シンバを見つめるのは、ソーシャルワーカーのレーチュル・マシュリー。


年齢56歳、妻とは死別、子供は既に家を出ていて、独身同然の暮らしをしている。


身長168センチ、体重60キロ、ポロシャツとサテンのズボンを纏っているが、彼のオーラそのものが優しい雰囲気を醸し出していて、柔らかいベールを纏っているかのよう。


「コーヒーを彼にも」


ウェイトレスにそう言って、シンバの分もコーヒーを頼み、レーチュルは優しい瞳で、シンバを見つめる。


「今日はちょっと疲れたよ」


「おや、珍しい」


「最近、よく疲れる」


「世の中に慣れて来たな」


「そうなのかな」


「あぁ、緊張の糸が切れるかもしれんな。緊張感は大事だ、初心を忘れるな」


「うん。なんかね、最近、思うんだ。どうして、みんな、ルーセンの事を知ったように言うのかなって。勝手にルーセンを神に近い存在かのように思い込むし、更にルーセンの深層心理なんて、ルーセンの生き方を知ったからって知れるようなもんじゃないと思うんだけど。それに生き方だって、そうじゃないって思う事ばかりが世に出てて、うん、確かに生き方で心理を理解する事もあるだろうけど、その本質って、マニュアルに過ぎないし、マニュアルの型に嵌るくらい簡単な思考なんて、誰も持ち合わせてない。なのに、人は、皆、ルーセンを知ったように言う。ボクだって——」


溜まっていたものを吐き出すように、シンバはそう言った後、言葉を飲み込み、


「オレだって、ルーセンの事、何にも知らないのに——」


そう言い直し、言葉を続けた。


ずっと、にこやかな笑顔で、レーチュルはシンバの話を聞いている。


「だってさ、もう20年だよ」


「あぁ、その通りだ、シンバ」


「・・・・・・」


「もう20年だ。それに、キミはルーセン・C・ファークレイじゃない。シンバ・フォートだ。5年前を思い出してごらん。8歳だったキミは23歳になって、世に出てきたね。本当はアグルスじゃなく、違う国でも良かった、キミが存在できて、キミが生きていける場所。だけど、キミはアグルスから出て行く事をしなかった。あの事件から一番近い場所で、生きていく事を決めた。何の為に? 覚えてるかい? キミがあの時、私に言った事を——」


「・・・・・・覚えてるよ。『ボクは警察署で働きたい』そう言ったんだ」


「そうだよ、キミはそう言った。理由を聞いたら、『償いたい』そう答えた。あの時から、キミは、ルーセンではなく、ちゃんとシンバとして存在している。『理由なんてない』そう答えるルーセンではなく、ちゃんと理由を持ち、明日へと向かって生きるキミが存在している。そうだろう?」


それはどうだろうとシンバは黙り込む。


コーヒーがテーブルに置かれ、ウェイトレスが立ち去った後も沈黙は続く。


「シンバ?」


「マシュー。聞いてくれる?」


「勿論」


「マシューにだけ言うよ。オレは精神科医の心理テストのコツを全て理解している」


「・・・・・・」


「医師が求める答えを、オレは頭の中で用意し、口に出すだけ。誰もオレの深層心理には触れてない。本当の事なんて、誰も知らない」


「・・・・・・」


「オレは医師達が社会復帰を許すよう、そうして来ただけ。本当の事なんて、何もしてないし、何も言ってない。これからもオレはそうして行かなければならない。誰にも自分の正体を明かせずに、偽って生きていく。できるだけで得意な事でもないし、したい訳でもない。寧ろ、オレは——」


「シンバ」


レーチュルはテーブルの上で小刻みに震えるシンバの手を握り、


「偽りじゃない」


そう言った。


「シンバ、キミは刑事としての資格を得て、町を守っているシンバ・フォートだろう。考えすぎだよ、キミが社会復帰できたのは、キミが医師達をそう仕向けた訳じゃない。ルーセンなんて少年は、私は知らないよ。確かに有名だが、私は興味がない。シンバ、キミもだろう? いいじゃないか、世の中、彼に興味がある者だけが、彼を語れば。彼がどんな人物だったか? 彼の深層心理を暴いた所で、キミには関係のない事だ」


「だけど!」


「いいかい、シンバ。ルーセンを知りたがる者は世界中にいるだろう。簡単にルーセンを語り、ルーセンを感じようとする。だが、その誰もがルーセンなど知らない。ルーセンを褒め称える者も、ルーセンを貶す者も、所詮、ルーセンを何も知らずに言っているだけだ。キミもその1人だよ、シンバ」


「オレも?」


「あぁ、ルーセンを知らない者の1人。だけどルーセンの事を一番感じてしまう。キミはその運命を選んだんだ。この町に残った時にね。だからキミはそれを背負わなければならない。とても重く圧し掛かるチカラに、キミは正義で対抗するしかない。それがキミの今の職業なのだろう?」


シンバはコーヒーにミルクを入れ、コーヒーのブラックの色とミルクのホワイトの色が混ざり合うのを見ながら、


「・・・・・・うん、そうだね」


そう言った。そして、直ぐに笑顔で顔を上げ、


「ジャンがマシューも一緒に飲みに来いって」


そう言った。


「それは今日かい?」


「うん」


「急なお誘いだなぁ」


「ボクも、あ、いや、オレも今日は駄目だって言ったんだけどね、どうする?」


「あぁ、シンバの仕事仲間だろう? 話もしたいと思っていたし、行くよ」


「ホント? メリッサの所だって言ってたから、ここからそう遠くないよ」


「メリッサ?」


「うん、ジャンが行く店はメリッサの店と決まってるんだ。あ、メリッサって言うのはオカマのオバサン」


と、笑うシンバを見て、レーチュルも笑う。


そのシンバの笑顔の影には、ルーセン・C・ファークレイが存在する。


ルーセン・C・ファークレイだった頃の経歴は全部捨て、名前も生月日も変えて、この世に出たシンバ・フォート。


全くの別人になる為に、銀髪に近かった綺麗な髪は赤茶色に染め、瞳もブラウンのカラーコンタクトをして、毎日を過ごしている。


そうする事で、世間の目から逃れ、ひっそりと生きていく事を、シンバは警察と言う正義の組織に入り、自ら壊しているようなものだ。


嫌でもキリスト事件は耳に入る職業だし、辛くてもルーセンの名を見てしまう事もある。


ましてやネット犯罪課など、ネットを通じる事により、どうしても目に入り、耳に入る。


「シンバ?」


その声に顔を上げると、ロシュがいる。


「あ、シンバの叔父?」


そう聞かれ、シンバは焦るように頷くと、それをフォローするように、


「どうも。レーチュル・マシュリーです、マシューと呼んで下さい」


と、落ち着いた優しい笑みを浮かべ、レーチュルは手を差し出した。


その手をロシュは握り、


「シンバの同僚のロシュ・バートゥです」


軽く挨拶を交わす。


「メリッサの店に行かなかったの?」


ここにいるロシュを不思議に思い、シンバが尋ねた。


「いや、まだ時間あるだろ? ジャンさんと飲んでると、ふざけた話が長くて面倒だからさ、もう少ししてから行こうと思って」


言いながら、隣のテーブルに荷物を置き、座るので、


「こちらに一緒にどうぞ」


と、レーチュルが誘うが、


「いえ、仕事がありますので」


と、パソコンを広げるロシュ。


「仕事って?」


レーチュルの手前、仕事をさぼったと思われると嫌なので、シンバは尋ねる。


「いや、ほら、キリスト事件についてね」


「・・・・・・仕事じゃないじゃん、それ、ロシュの興味だろ?」


「仕事だよ」


「なんで? だって、あの事件は解決してるよ」


「解決? どこが?」


「え? だって、犯人は捕まってるし・・・・・・」


「確かに犯人は捕まって、世にも晒されて、悪魔となり、ルシファーと名付けられてる。でも謎ばかりが残っている」


「謎?」


「ルシファーは最初の被害者を毒殺した。その毒薬は知らない人からもらったと供述している。だが、その知らない人の顔も格好も、まるで覚えちゃいない。あの頭脳明晰のルシファーがだ。二番目の被害者と三番目の被害者の肉体はズタボロで、無残な姿で発見された。何故、そんな酷い殺害方法で殺したのか、ルシファーは理由なんてないと供述している。只、そうしたかった。そうしたかったのなら、二番目の被害者だけで充分だ、どうして三番目の被害者も同じように殺している? 他の殺し方を試してもいい筈だ、最初の被害者が毒殺で、次は無残な殺害で、その次は赤ん坊だったのだから、水に沈めて水死もできる筈。殺す事に興味がないなら誰も殺されない。だが、殺されているんだ、そうしたいと思う方法で——」


「・・・・・・」


「それだけじゃない。この事件は謎だらけだ。最初の被害者の死亡推定時刻を考えても、午前中の内に殺害されている。なのにルシファーは午後、教会で祈りを捧げている。それを神父も目撃している。だとしたら、被害者の死体はどこへ隠しておけた? 家族から虐待に合っていたルシファーの家は無理だろう、ルシファーが自由にできるスペースなんてなかった筈。学校だって友達さえ、いたのか、いなかったのか、わからないのに、死体を隠す場所なんて、ルシファーにはなかった筈。だが、死体が発見されたのは次の日の朝。約丸一日、死体をどこへ隠しておいたのだろう」


そう言いながら、ロシュはカフェオレを注文し、パソコン画面を見ながら、キーをリズム良く打っている。


「最大のミステリーは犯行に使用した凶器。2番目、3番目の被害者を殺害した武器は鉈。ルシファーの家の倉庫から、凶器となる鉈も見つかっていて、ルシファーの供述通りだ。肉を鉈で無理矢理に抉った感じも、叩いて押し潰した感じも、鉈のあらゆる場所で行ったと見られる。だが、もう1つの凶器は出てきていない」


「え? もう1つの凶器?」


「被害者の手の平に描かれた十字の文字だよ。鉈では、文字や絵を肉に刻むなんて事はできない。ナイフを使用したらしいが、未だ、そのナイフは出てきていない」


「・・・・・・」


「更に謎は深まる。手の平の十字架。十の文字をナイフで刻んだらしいが、ルシファーは、それを知らないと供述した後に、再び、問うと、それはそうしたかったからと答えている。どうして最初は知らないと供述したのだろう、そして何故、そうしたかったからと思い立ったように答えたのだろう——」


「・・・・・・」


「ルシファーは被害者の手の平に傷がある事を知らなかったんじゃないだろうか。だけど取り調べの最中、被害者の手の平に傷がある事が本当の事かもしれないと思った。それは自分がつけた傷ではなく、何らかの方法で傷が出来た事だったから、ルシファーは最初に知らないと答えた。だとしたら、何故、何らかの方法で傷が出来た事を言わず、自分がつけたかのように、そうしたかったと答えたのだろう——」


「・・・・・・」


無言のシンバをチラッと見て、ロシュはメガネを中指でクイッと上げ、煙草を手に取り、口に咥えたが、禁煙席かと、直ぐに煙草を箱の中に戻す。


「シンバはどう思う?」


「・・・・・・精神病の少年だろう? 言う事が違うのはしょうがない」


「精神病? そうかな? そうは思わないけど。だって、ルシファーは二番目、三番目の被害者に対しては事細かく、そうしたかったと言うだけの、犯行内容を詳しく話している。証拠品と照らし合わせても、ルシファーの供述は正しい。そんな彼が精神病? それに彼は医師からも正常だと診断され、今は世に出て来ている」


「・・・・・・」


急に黙り込むシンバに、ロシュはハッとして、レーチュルを見た。


にこやかな表情を壊さず、黙ってコーヒーを啜るレーチュル。


「あぁ、スイマセン、シンバ、叔父さんと話して? 僕は邪魔だったね」


「あ、いや、あの、ロシュ、その、深く考えすぎなんじゃないかって思うよ。もうその事件は終わったんだよ。今はサイレント事件の方を重点に置こうよ」


「確かに全く犯人がわからないサイレント事件の方が重大だよね、未だ被害者は出てる訳だし。だけど殺人課担当の事件だから情報が僕達に下りて来ないのも事実。サイレント事件を解決できれば、僕達の課も出世コースになるかもしれないけど、実際、出世に興味あるかって聞かれるとね、僕は余り・・・・・・」


「でもジャンさんはサイレント事件を解決したがってるよね。ボッ・・・・・・オレもサイレント事件は解決したい。キリスト事件後、ルシファーの真似とまで言われ、殺人を繰り返す、その犯人を捕まえて、全てを終わりにしたい」


「全て?」


聞き返すロシュに、シンバは頷き、


「もう終わったんだ、キリスト事件は。だから、それを真似る事件を全て終わらせたい」


そう言った。


ロシュはカフェオレを一口飲むと、フーンと頷き、


「終わらないと思うけどね」


などと呟く。そんなロシュを見て、シンバは、


「終わるよ!」


ムキになるように言ったので、ずっと黙っていたレーチュルが、


「なんだか仕事の話なのに、私がここにいていいのかなぁ?」


と、にこやかに聞いた。


「あぁ、いや、僕の方こそ! これじゃあ同席と同じだ。スイマセン」


「いやいや、お若いのに、仕事熱心で素晴らしい刑事さんだと思って拝見してました。所で、シンバは仕事場ではどうでしょう? ちゃんとやってますか?」


「ええ、とても優秀です、年下の僕が言うのも何ですが、一応、僕の方が先輩なんですよ、職場では。でもシンバは凄いです、現場に踏み込む勇気もあるし、死体を見ても驚きもなく分析も早い。そう、僕なんかより、うんと頭の回転が速い! 特にキリストの聖書を引用したり、謎かけのメッセージを残す犯人に対しての答えを導くのが速い。直ぐに聖書の何ページ目の何行目の言葉だとか言い出して、その意味さえ理解している。凄いです。それだけじゃなく運動神経が並外れてて、まるで軍か、少年院にでもいたんじゃないかって思う程! 殺人課の刑事達がシンバを引き抜きたいって話もある位!」


「シンバが?」


と、内心はどうだかわからないが、レーチュルはクスクス笑いながら、問う。


アグルスの少年院では、毎日、疲れ果てる迄、体を動かし続けさせられる。


性欲防止の為という意味もあるし、辛い試練を乗り越えるという意味もある。


だが、それもどうなのかと言う意見が多い。


刑を終え、世に出てくる者が、体力的に一般人以上の能力を身につける事は、やはり、どんなに医師達から正常な精神だと許可が下りても、恐ろしい。


「だからいつもシンバは現場に乗り込む担当だってジャンさんが。駒扱いかよって思うし、普段からジャンさんはふざけてるけど、若い頃はシンバ並みに動いてたらしいからね。実際、キャリアあるし、凄い人ではあるんだよね、あの人。シンバは、うちの課でも、まだルーキーだよね、でもジャンさんは、駒扱いとは言え、ルーキーのシンバを相棒として認てんだから、ホント、シンバは凄いよ」


「ロ、ロシュ・・・・・・褒めすぎっていうか、言いすぎだから——」


「何言ってんの、シンバ。全部本当の事!」


「いや、嘘だよ、信じないで」


と、レーチュルに言うシンバに、


「変な奴だな、普通は身内の前では、もっと褒めろだろ?」


そう言って、ロシュは、カフェオレをゴクリと飲み、


「シンバの悪い所はネガティブ思考なんですよね。何か昔、あったんですか? ネガティブになるような出来事が」


と、レーチュルを見る。


「何もないよ!!!!」


またムキになって大きな声を出すシンバに、ロシュは驚いた顔で、シンバを見る。


「確かにシンバはネガティブだ」


と、レーチュルが言う。そして、


「特にネガティブになるような生い立ちでもないとは思うんだけど、両親を亡くしてますし、だからと言って、両親を亡くしたのが理由とも言い切れない。私もシンバのネガティブさには困ってますよ、幾ら言っても、悪い方向へと思考が行ってしまうみたいで」


そう話した。


ロシュも頷きながら、


「その性格さえなければ、シンバは完璧ですよ」


と、笑う。


「でもロシュさん」


「はい?」


「アナタも確かに言いすぎる所がある」


「僕がですか?」


「はい、だってシンバは完璧じゃない。完璧な人間なんていないのだから」


レーチュルにそう言われ、ご尤もだとロシュは頷く。


「ロシュさんは、ご結婚は?」


「してません」


「そうですか、仕事の方が楽しいですか?」


「いや、そう言う訳では。只、まだ結婚は」


「と言う事はお相手はいると言う事ですか」


「まぁ、そうですね、1人や2人・・・・・・おっと、秘密ですよ」


と、ロシュはメガネをクイッと中指で上げ、軽いジョークで、その場を和ます。


「シンバはどうなんだい?」


突然、レーチュルがシンバに話を振るので、シンバはビックリして、テーブルの足に足をぶつけ、揺れたテーブルのせいで、少しコーヒーがこぼれる。


「どうって、何が?」


「だから好きな女性とかいないのかい? どうも照れくさいのか、こういう話をしたがらなくてね。私としては、そろそろ好きな相手くらい、いてほしいものなんですが」


そう言って、いつもの優しい笑顔を見せるレーチュル。


「うちの職場は男が多いし、女性がいたとしても、既に結婚してたり、相手がいたり、なかなかフリーの女性はいませんしね。それに、いつもの日常を過ごしてるだけでは、映画みたいなハプニング的な出会いなんてありませんからねぇ。そうだ、誰か紹介してやろうか? 今度、飲み会でも開いてさ。勿論、ジャンさんには内緒で」


「あぁ、それがいい! 是非、誘ってやって下さい」


「ちょ、ちょっと待って! いらないから!!!!」


シンバは焦って、急いで、進む話にブレーキをかける。


「いらないって、まさか、お前、ゲイとか・・・・・・」


「ちがうよ、ロシュ! そういうんじゃなくて! まだ女性とは、その、うまく接する自信がない。だから、その、とにかく無理なんだ」


「自信ないって、お前、その年齢で、まさか?」


眉間に皺を寄せ、変なモノを見るような目を向けるロシュに、シンバは、


「ま、まさか! そんな訳ないだろう! まさかだよ、まさか!」


と、慌てまくるので、余計に変になる。


一瞬にして、空気が変わるのを感じて、シンバはフゥッと溜息を吐き、


「そうだよ、まだ、女性とは何もした事がない」


正直にそう言うと、俯いた。だが、直ぐに顔を上げ、


「変かな? 変なのかな?」


そう聞いた。レーチュルは首を振り、


「変じゃないさ。ゆっくりでいい。シンバのペースでいい。私が悪かったね、好きな女性でもいれば、ネガティブ思考も変わるかと思ったんだよ」


優しい笑みで、そう言うので、シンバはホッと安堵の吐息を吐く。


「正直、僕は変だと思うよ」


パソコン画面を見ながら、ロシュがそう言って、そして、シンバを見る。


シンバもロシュを見る。


「シンバは結構美形だし、一応、正義の名の下にいる職業だし、ま、危険度と自由度を考えたら、女の子にはモテないけどね。だけど、結婚は別にして、軽く付き合える女性はいてもいいよ。モテた事くらいあるだろう?」


「ないよ」


「今迄で一度も?」


「ないよ」


「不思議だな、比べる対象が違うけど、正義のシンバはモテないのに、悪のルシファーはファンクラブまである程」


と、パソコン画面をシンバに向け、ルシファーのファンが集うログを見せる。


そこには、ルシファーと付き合いたい、デートしたい、抱いてもらいたいなどと書かれている。


「もっと不思議なのがさぁ、ルシファーの事を尊敬するだの、ファンだの言う連中って、自分はルシファーに嫌われないと思ってるのかなぁ? 僕は不思議でならないよ、だって、ルシファーにだって選ぶ権利あると思わない? ないの? もうそこが見下してるよね」


「・・・・・・」


「でもさ、僕は思うんだよ、正義と悪なら、絶対に悪の方が強いって——」


左手で頬杖を付き、ロシュはぼんやりとした目で、そう言った。


そのロシュの横顔が、何故か、シンバの中で、ハニエルを思い出させ、それ以上、ロシュを見ている事ができなくて、直ぐに顔を背けた。


「そんな事ないさ、正義は必ず勝つのだろう? 悪は正義の前では無力だ」


そう言ったレーチュルに、


「そうかな!?」


と、ロシュが反論。


「もともとサタンになる前、ルシファーは最高位の天使だったと言いますよね。嘗ては神が最も愛した天使だった。だけど神に背き、ルシファーは地に堕とされる。その後、サタンと呼ばれたルシファーは、ずっとサタンでいる。正義には戻らないみたいだ。なんでだろう? どんなに正義を貫いても、神に背いた、その1つの罪が、彼を悪にする。つまり善だったルシファーは悪のサタンには勝てないんだ。だからルシファーは今も尚、サタンと呼ばれている——」


シンと静まり返り、ロシュはフッと笑みを零すと、


「架空の話にテンション上げすぎですね」


そう言って、パソコンを閉じた。


シンバは冷めたコーヒーをゴクリと一口飲みながら、ロシュの話を自分に置き換えていた。


サタンと呼ばれたルシファーは、ずっとサタンでいる——。


——ルシファーと呼ばれた少年は、ずっとルシファーでいる。


善だったルシファーは悪のサタンには勝てないんだ——。


——善のシンバは悪のルシファーには勝てないんだ。


ルシファーは今も尚、サタンと呼ばれている——。


——少年は今も尚、ルシファーと呼ばれている。


『ねぇ、ルーセン、私ね、ルーセンに聞いてもらいたい事があるの』


あの時の彼女が——


ハニエルがシンバの脳裏に浮かぶ。


『あのね、ルーセンと私だけの秘密だよ——』


そう言って、はにかむ彼女が、大好きで、ボクはルーセンである事を忘れられない。


だけど、もうルーセンはいないんだ。


ルシファーと呼ばれた少年は、消えたんだ。


世の中には消えてなくても、オレの中にはいない。


オレはシンバだ。


シンバ・フォート。


それがオレの名前——。

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