5. Heart ~心力~


今、アルファが、うっすらと目を開ける。

しかし、まだ眠っている状態。ボーっとしている目に映る白い天井。

コロンと横になると見た事もない女が一緒の布団の中に入っている。

ウェーブがかったフワッとしたブロンドの長い髪。

淡くピンクに濡れた唇。

透き通るような白い肌。

ジッとアルファだけを見つめる、優しく綺麗な潤んだ瞳——。

目の醒めるような、とびきりの美女。

しかし、アルファはまだボケている。

ボーっとしたまま、とりあえず、ムクッと起き上がり、頭を掻きながら、その美女を見る。

そして、その美女も、アルファ自身も、何も身に着けていない裸という事に気が付いた。

「・・・・・・誰?」

起きたての水分のないガラガラの声で、美女に問う。

「ミラクと申します。私はアルファ様のものでございます」

優しくか細い女の声。

アルファはボーっとしながら、左手で髪を撫であげた。

すると、いきなり、アルファに抱き付いて来たミラク。

二人の素肌に二人の温もりが伝わる。

ミラクの体が、小刻みに震えている事さえ、わかる。

アルファはミラクの肩を持ち、自分の体から、ミラクを離した。

「あー・・・・・・俺の服は?」

「え? どうして?」

「どうして? 何が?」

ガラガラの声でアルファはまだボケボケしている。

ミラクはまたアルファの体にしがみ付く。

「私をアルファ様の自由にして下さい。私をアルファ様だけのものに!」

アルファは、頭を掻いて、ボケたまま、ミラクを押し倒した。

アルファの顔がミラクに近付いて行く。

ミラクは瞳にアルファを焼き付け、ゆっくりと目蓋を閉じて行く。

EIBELL STRAINの証、刺青のある左手がミラクの体のラインをなぞるように、下へ伸びて行く。ピクンと体を動かし、アルファの指の動きに感じている。

ミラクの甘い果実に似た香りが、アルファを包む。

まるで麻薬のような香り。アルファの思考が、意思とは関係なく、飛んで行く。

少し拒否したミラクの手を無理矢理、押さえつけ、首元に舐めるようなキスをする。

柔らかいバストに、くびれた腰に、すらりと伸びた脚に、透き通るような肌に、ゆっくりと舌先で撫でていく。

小さな吐息の声を上げ、ミラクはそっと瞳を開けた。

「・・・・・・アルファ様、どうして唇に口づけをしてくれないんですか?」

そのセリフに、アルファはミラクに夢中になっている自分にハッと気が付く。

そして、ミラクを見つめる。

頬を少し赤らめ、白い肌は火照った体温で、熱く、脈を打っている。

呼吸は少し乱れ、清純そうな全てが淫らでセクシーに濡れている。

「・・・・・・アルファ様、私からしてもよろしいですか?」

何を——?

キスを——?

それとも——?

アルファはミラクから離れ、ベッドから出た。

ふと、テーブルの上に置いてある自分の衣類などを見つけ、アルファは服を着始めた。

「あの! ごめんなさい! 私からなんて、ごめんなさい! どうか嫌いにならないで下さい! とても気持ち良かったから、アルファ様にも気持ち良くなって頂こうと思ったんです! ごめんなさい! 許して下さい!」

「そうじゃない」

「え?」

アルファは額にバンダナを巻いた。

「寝ぼけてた」

「え?」

「キミに違う女を見ていた」

アルファはミラクをジッと見つめる。

「キミは誰だ? 俺の記憶がある時の知り合いか?」

「・・・・・・いいえ。逢ってお話をするのは初めてです」

ミラクは哀しそうに俯いた。

「そうか。あんまり自分を安売りするもんじゃない。キミは綺麗だ。勿体無い」

「私はアルファ様に抱かれる為に生まれたんです! 私を綺麗だと思うのなら、私を抱いて下さい!」

アルファは、必死で訴えるミラクに首を振る。

「俺が抱きたい女はキミじゃない」

「・・・・・・なら、私を捌け口にしてくれても構いません。アルファ様が抱いてくれるのであれば、私はそれで構いません」

「悪い。その気にさせたのは俺かもしれないが、もう俺は、その気じゃないし、捌け口なんて、俺は女をそんな風には使わない。でも俺のした事は最低だ。寝ぼけてたなんて、嫌な男だな。本当にキミは綺麗だ。綺麗過ぎて、危うく最低男にやられる所だったんだ、もう少し、自分を大事にした方がいい」

アルファは、そう言うと、三日月を腰に携え、その部屋を出た。

——ここはどこなんだ?

アルファはキョロキョロと辺りを見回す。

——俺は一体どうしたんだ?

人気のない大きな建物の中。

幾つかのメカニカルに造られた天使の芸術品。

長い機械的な通路の左右にある未来的な扉を、一つ一つ開けて見る。

そして、アルファはある部屋に足を踏み入れた。

その部屋は広くはないが、壁に大きな絵が飾られている。

光に向けて、両手を伸ばし、黄金に輝く大地に舞い降りる天使の後ろ姿——。

——なんとなく、スピカに似てるな・・・・・・。

アルファが、その絵に魅入っていると、急に後ろから誰かに抱き締められた。

驚いて振り向くと、スピカが、抱き付いている!

——な!? なんでスピカが!?

アルファは混乱する。

——ここはどこなんだ?

——大聖堂なのか!?

スピカは上目遣いでアルファを見つめている。

「・・・・・・怒ったん?」

「は!?」

「うちがアルファの話したから、怒ったんやろ?」

——アルファの話? 俺の事?

「うちが好きなんはシンバだけやから。だからお願い、一人にせんといて?」

スピカはアルファにぎゅっと抱きつく。

「ちょ、ちょっと待て! 俺は——」

スピカの肩を持ち、自分の体からスピカを離し、その瞬間、スピカを見て、驚いた。

只、ポロポロと涙の粒を落とすスピカ。

「・・・・・・アイツの前ではそんな顔をするのか?」

右手の人差し指で、涙を拭いて、スピカはきょとんとして、アルファを見つめる。

「随分と女らしい顔つきになるんだな」

アルファは思いっきりキツイ口調になる。

余りにも可愛い表情をするスピカが腹立だしかった。

その表情が自分の為ではなく、オメガの為かと思うと、尚更、悔しさで怒りさえ感じる。

「やっぱり、まだ怒っとるん? 只、アルファ、どうしてんのかなって思って・・・・・・別に深い意味はあらへんよ。でも口に出して言うたんはゴメン。シンバがそんなに怒るとは思わんかってん。シンバ、アルファが嫌いなんやな・・・・・・うち、鈍感でゴメン。もうシンバが怒るような事は言わんから!」

スピカはそう言うと、潤んだ瞳でジッと見つめて来る。

「別に俺は怒ってない。俺はアル——」

「ほんまに? もうアルファの話はやめよ。シンバが怒ってないならええねん」

スピカは本当に嬉しそうに笑う。

だが、その笑みはアルファはまだ見た事もない笑顔。

いつもの自然にこぼれる屈託のない笑みではないからだ。

それは女が男に時々見せる媚びた笑み——。

子供から女に変わるスピカに、アルファは苛立つ。

意味もなく、オメガを許せなくなる。

「なぁ? シンバ? 怒ってないんやろ? ほなら、仲直りに、いつもの——」

——いつもの?

「ね? していい?」

——していい?

「・・・・・・おまっ! お前、まさか! いつもしてんのか!?」

「何? なんでそんな顔すんの? 驚く事? いつものしよ?」

「ちょ、ちょっと待て! 俺は——」

何を妄想したのか、慌てまくるアルファに、スピカは背伸びをして、頬に、チュッと唇をあてた。

アルファはキスされた頬を手で押さえ、スピカを見る。

スピカは恥ずかしそうに顔を赤くして、アルファから目を逸らした。

「い、いつものって、これの事か?」

「え? 他に何かあんの?」

そのセリフに、いつもしてるのは、これの事かと、アルファは安心してホッとするが、その後、余計に怒りが込み上げて来た。

どんな状況で頬にキスをしているのか。

どういう顔で頬にキスされているのか。

二人の気持ちは同じだから頬にキスなのか。

アルファの脳にグルグル回る苛立ち。

「お前、そんなにオメガが好きなのか」

「うん! シンバが大好き! うん? あれ? 質問おかしくない? シンバ?」

「・・・・・・俺はアルファだ。お前の言うシンバじゃない」

「え? またぁ、そんな嘘言うてぇ」

「嘘じゃない。俺はアルファだ」

スピカはアルファの頭の先から足の爪先まで、ジッと見る。

バンダナ、服装、そして無愛想な顔つき——。

スピカはズザーッと後ろへ下がり、壁に背をつけた。壁がなければ、まだ後ろへ下がりたい様子。そして泣きそうな顔で、

「うっそぉぉぉぉぉ!!!! イーーーーヤーーーーーーッ!!!!」

と、悲鳴に似た叫びを上げ、唇を手の甲で何度も拭き始めた。

アルファの眉が不機嫌にピクリと動く。

「何だよ、その行動! お前、無礼過ぎるぞ! 俺にキスしたの、そんな嫌なのかよ!」

「当たり前や!」

「お前からして来たんだろ!」

「知らんかったからや!」

アルファはスピカにズカズカ近付く。

「何やねん! 来んなや!」

アルファはスピカの両腕を壁に押さえつけ、強く握る。

「痛っ! 痛いやろ! 何すんねん! うちがキスしたんは悪かったわ! でもアンタと知ってたらせんかったわ! 離せや! このアホ! 謝っとるやろ!」

——この女は! これで謝っているだと!?

「うちかて嫌やわ! せやから、お互い消毒でもしたらええやんか!!!!」

——ああ!? 消毒だと!? 俺がなんで怒っていると思っているんだ!?

「もぉ! 離してや! うちはッ——・・・・・・」

アルファはスピカの唇を突然、奪った。

スピカの肉体の隅々に衝撃は走り、瞳を閉じる暇もなく、目の前のアルファと唇に触れているアルファの唇に、呆然とする。

ファーストキス。

溢れ出る涙が、スピカの頬を流れる。

アルファは唇を離し、スピカの涙に黙り込む。

スピカはアルファをキッと睨みつけ、

「酷いやんか! 酷いやんか! 酷いやんか!」

と、振るえた声で繰り返す。

「・・・・・・なんだよ、キス位で」

「キス位て、うちは初めてやったんや!」

「俺だって初めてだ、多分」

「多分てなんやーーーー!?」

「記憶がないから、わかんねぇんだよ! うるせぇな!」

アルファに吠えられ、スピカは、更に子供のように泣きじゃくる。

「・・・・・・とられたくなかったんだ」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁん・・・・・・」

「・・・・・・仕方ないだろ」

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁん・・・・・・」

「仕方ないだろ! そんな気持ちになったんだ! 泣くなよ! 俺だって初めてのキスは大事に思ってるさ!」

「仕方ないとか、とられたくないとか、意味わからん! 大事になんか全然思ってないやんか! うちはな、うちは、ほんまに好きな人と初めてキスしたかったんや! 好きでもない女と、平気でキスできるアンタとは違うんや!」

「なんだよソレ。俺が好きでもない女といつ平気でキスしたんだよ」

「今したやないか!!!! それともアンタ、うちが好きなんか! どっちかって言うたら嫌いな癖に!」

「・・・・・・好きとか嫌いとか、いちいち言わなきゃわかんないのかっ!!!!」

怒鳴ったアルファに、声も涙も止めるスピカ。

アルファはスピカの腕を強く握り、またキスをする。

「やめて」

「やめない」

「嫌ッ! やめてやっ!」

アルファを突き飛ばそうと、スピカの腕に力が入る。その両手首を、アルファは強く握り締め、押さえつける。

何度も何度も唇を重ね、優しいキスを繰り返される内に、スピカは抵抗する力をなくす。

アルファは押さえつけるのを止め、スピカの頬を撫でるように触れる。

アルファの瞳に映るスピカ。

スピカの瞳に映るアルファ。

この気持ちはなんだろう?

お互い探るように見つめ合う。

憎いのだろうか?

寂しいのだろうか?

愛しいのだろうか?

「アンタなんか・・・・・・大嫌いや・・・・・・」

吐息と共に、小さな声で、そう囁いたスピカ。

押さえつけられていない為、逃げようと思えば、逃げられるが、スピカは逃げない。

アルファは顔を近づけ、スピカの耳元にキスをし、舌先でなぞると、スピカはピクンと体を動かした。

堪らず、スピカを強く抱き締め、何度も優しく重ねた唇にキスをする。

だが、もう優しいキスではない——。

アルファの指先が、スピカの身体をなぞる。

「・・・・・・ん・・・・・・あ・・・・・・・あ・・・・・・待って・・・・・・」

「待たない」

「待って! 聞いて! シンバ!」

アルファではなく、シンバと呼ばれた事に、アルファは動きを止め、スピカを見た。

「うちの事が好きなん? 好きやから、こんな事すんの?」

アルファはスピカを見つめる。

そして無言で顔を近づけていく。

スピカの瞳が閉じて、アルファの唇を抵抗なく、待つ。

今、同じ気持ちで、確かなキスをする二人——。

「そこまでだ、アルファ」

その声に、夢から現実に戻されるように、スピカはパチッと目を開けた。

「アルファ、テメーの相手はスピカじゃないだろ? 相手を間違えるな」

オメガが、そう言いながら近付いて来る。

アルファはスピカの手を握り、オメガを睨みつける。

スピカはどうしていいのか、わからずに、困った表情で、オロオロしながら、アルファの手を握り返している。

「スピカ、おいで?」

オメガがそう言って、スピカに手を伸ばす。

だが、アルファの強く握る手に、スピカも、その手を離そうとはしない。

「スピカ、怒ってないから」

オメガは優しく微笑んで見せる。

スピカは困って、俯いてしまった。

「スピカ、アルファに騙されている事に、どうして気付かないの?」

「え?」

スピカは顔を上げ、オメガを見る。オメガは哀れんだ目で、スピカを見つめる。

「可哀相に、スピカ。スピカが傷付くと思って、言いたくなかったんだけど、言わなきゃわからないみたいだね。アルファはね、今さっき、ある女を抱いていた。それが途中だったらしく、欲求が押さえきれなかった為にスピカを抱こうとしてるんだよ」

「違う! 勝手な事言うな!」

「違う? どこが? 証拠を出そうか? ミラク、出て来いよ」

オメガがそう言うと、扉の向こうから、ミラクが姿を現した。

「アルファ様・・・・・・」

と、ミラクはアルファを見つめている。

「アルファ、ミラクを抱いたんだろ? オレの言った事に何か間違いがあったか? 何も違わないだろ? ああ、最後までイカなかったと言いたいのか? だからってスピカを最後まで使うのはよくないだろ?」

スピカは手を振り解き、アルファを睨んだ。

「スピカ、違う! 確かに抱いたけど——」

「何が違うんや! うちの事、何やと思っとるんや! うちはアンタの道具やない!」

また涙を流すスピカに、アルファは黙る。

「オレが助けに来なければ、スピカはお前の道具として、扱われる所だった。スピカはオレの女だ、お前の捌け口に使うのはやめてくれないか? アルファ」

「そうやってスピカに勝手な事、吹き込むな! 捌け口とか道具とか思ってない!」

「へぇ。なら、好きだと言ってやったのか?」

オメガの質問に、アルファはゴクリと唾を飲み込み、黙り込む。

——好きだと言ったらどうなる?

アルファの拍動が不安定に速くなる。

——俺が好きになったら、スピカはどうなる?

呼吸さえ、苦しくなるような圧迫感に襲われる。

——言える訳がない。

くだらない拘りだろうか、アルファ自身も、わからない。

ない記憶が邪魔をする。

「まだ遅くはないんじゃないか? 言ってやれよ? 本当に好きなら——」

オメガは二ヤリと笑い、アルファを挑発する。

——本当に好きなら・・・・・・

——本当に好きだから・・・・・・

アルファはスピカを見つめる。

「俺は・・・・・・俺は・・・・・・」

涙を流しながら、アルファを見るスピカ。

言えるものなら言ってみろとばかりに、冷酷な目で、アルファを見ているオメガ。

不安そうに、アルファを見守るミラク。

「俺は・・・・・・スピカの事・・・・・・嫌いじゃない・・・・・・」

シンと静まり返る。

「ふっ。ふははははははは、何だソリャ? ははははははははは」

馬鹿にした笑いをアルファに浴びせ、オメガは更に笑う。

俯いて、涙を流し続けるスピカ。

只、只、哀しい瞳で、アルファを見守るミラク。

アルファは自分自身に首を振る。

——違う。そうじゃない。

——何故だ?

——好きだと思えば想う程、スピカを遠ざけたくなる。

——何がそうさせるんだ? 俺に何があったんだ?

——スピカがほしい! なのに、何故なんだ?

瞬間、部屋に数人のEIBELL STRAINが乱入し、アルファを押さえつける。

「離せ! 離せよ!」

暴れるアルファを数人がかりで押さえ込む。

「アルファ、いつまでも自由気ままに生きていられると思うな?」

オメガが、無様なアルファに薄ら笑いを浮かべながら言う。

「どういう意味だ!」

「こっちも折角捕らえたサンプルを大事に扱うつもりだ。だからテメーもサンプルとして役に立つよう大人しくしてろと言う意味だ。言ったろ? テメーのような堕落者にも、まだ役に立つ事があるってな。Sample Code.α?」

「サンプルコード?」

眉を顰めたアルファに、オメガは鼻で笑い、

「また気が狂われても厄介だ。早い所、連れて行け」

偉そうな命令口調で、そう言った。

左手首に刺青のある男達は、アルファを乱暴に取り押え、連れて行く。

ミラクはその後を追う。

——コイツ等、なんでオメガに従ってんだ?

——同じEIBELL STRAINじゃないのか?

——EIBELL STRAINにもレベルがあるのか?

押さえうけられる力に、力で振り解こうと、アルファは足掻き、もがき、暴れる。

「離せぇぇぇぇ!!!! スピカァァァァァァァーーーー!!!!」

スピカは自分を呼ぶアルファの声に、耳を塞ぎ、首を振って、その場に座り込んだ。

溢れて止まらない涙——。

「スピカ?」

優しい声のオメガ。

「スピカ、アイツの為に泣いているのか?」

そっとスピカの手をとろうとするが、スピカは両手で耳を強く塞ぎ、首を振っている。

強引に嫌がるスピカの腕を強く押さえつけるアルファとは違う。

オメガは弾き返され、拒否されても、優しく、優しく、何度もスピカの手に触れる。

スピカの瞳に映るオメガの顔。

同じ顔なのに、全く違う。

「好きだよ? スピカ?」

一度も好きだと言う言葉を言ってくれないアルファとは違う。

スピカの頬にそっと触れ、止まらない涙を優しく拭う。

スピカは耳を塞ぐのを止め、オメガにしがみつくように抱きついた。

二ヤリと笑うオメガ。

その表情とは想像もつかない声で、

「オレがいるよ、心配しないで?」

と、優しくスピカの髪を撫でる。

「スピカ・・・・・・」

オメガの胸で泣いているスピカは、呼ばれ、顔を上げる。

「アイツと、どんなキスをしたの?」

そう言われても、何も答えれない。

「キスは初めてだったの?」

スピカは黙って、涙を流しながら、オメガを見つめている。

「スピカの初めてを奪われたなんて、ショックだよ」

そう言って、立ち上がるオメガ。

スピカは、また一人にさせられると思ったのか、焦って、立ち上がり、

「嫌ぁ・・・・・・行かんといてぇ・・・・・・」

と、オメガの背に抱きついた。

「行かないよ、どこにも。オレにスピカを抱かせて?」

「え?」

オメガは振り向いて、スピカの服を脱がそうとする。

驚いて、スピカはオメガの手を持って、首を振る。

「どうして?」

そう聞かれても、何も心の準備が出来ていない。

キスでさえ、突然奪われ、涙したくらい、スピカはまだ何も知らない。

それがどれだけ不安で怖い事なのか——。

気持ちだけ先走る程、今はそういう雰囲気でもない。

「オレには頬にキスだけなの?」

わからなくて、首を振り続けるスピカ。

「いいよ、スピカは何もしてくれなくて。オレに感じてくれればそれでいい。オレに全てを任せてくれていい。何も心配ない。オレはスピカの全てを知りたいだけだから」

「・・・・・・なんでぇ? なんで突然なん? なんでみんな突然、こんな事——」

「好きだから」

聞かなくても、そう答えてくれるオメガに、スピカは首を振るのを止めた。

「スピカが好きだから」

その優しい声と、言葉に、スピカはゆっくりと力をなくしていく——。


アルファはEIBELL STRAINから、なんとか逃げている最中で、広い建物の中、走り回り、今、大きな扉を出口かと思い、バンッと力強く開けた。

ズラッと並んだ機構。

聞き慣れない電波の音。

異様な鉄の臭い。

見た事もない点滅する光。

「・・・・・・なんだ? この部屋」

アルファはキョロキョロしながら、中央にある円柱に飛び乗った瞬間、ブワッと言う音をたてた光が、足元から放たれた。

「うわっ!」

眩しすぎて、両腕で顔を隠し、光から防御する。そして、ゆっくりと瞳を開けた。

そこは、森の中——。

「・・・・・・え? ここは?」

「次元波動超高速航法装置」

「は?」

コルが妙な電子機器をいじりながら、妙な事を言っている。

「即ち、ワープ装置じゃよ」

「ワープ?」

「御主、どこからワープして来た?」

「・・・・・・多分、大聖堂かな」

「成る程。大聖堂の次元波動超高速航法装置の設定が、この森になっとって、電源も入っとった。偶然、わしがこっちの次元波動超高速航法装置の電源を入れた事により、装置内部に入っとった御主は、ワープして、この森の装置に現れたんじゃな。しかし、電源を入れて直ぐの出来事じゃったから、ショートしてしもうたわい」

機器から黒い煙が出ている。辺りに焦げ臭さが広がる。

「その装置、何故、この森にあるんだ?」

「昔、次元波動超高速航法装置を乗せた船が、この森に落ちたんじゃ」

「船? 船って、海じゃないだろ、ここは・・・・・・あぁ、飛行船とかか? だとしても、それをどうしてじいさんが扱える?」

「年寄りは機械音痴だと思うたか?」

「いや、そういう意味じゃなくて・・・・・・じいさん、一体、何者なんだ?」

「わしか? わしは単なるジジィじゃよ。御主こそ、浮かぬ顔をしとるなぁ? 大聖堂に行ったなら、神には会えたのか? 仲間はどうしたんじゃ?」

アルファは、そうだと気付くと、いろんな事が脳裏に浮かび、体に力を入れ、震え出した。

「もう何が何だかわからねぇ。俺の傍にいる奴等は、みんな一気に消えちまうし、思った事も、うまく言葉にできなくて、守りたくても、守ってやれなくて、それ所か、俺が傷付けてる。でも、俺と同じ顔の奴は、なんでもうまくやってて、なんでも知ってる風で、何か、俺ばっかり不公平だ。もう、どうでも良くなって・・・・・・何だろう、何か・・・・・・わからないんだ・・・・・・」

額を押さえ、アルファは涙を流す。

自分のまわりで、何が起こっているのか理解できない時、人は自分だけが取り残された気分になり、自分の置かれた気持ちの状況だけを口走る。

今のアルファは、人のソレ。

コルはアルファをジッと見つめ、

「やはり、随分と、人の感情があるんじゃな・・・・・・」

と、意味深に呟く。

「え?」

「いや、何でもない。涙の理由をわかるように話してみぃ? 聞いてやるだけしかできんじゃろうが、少しは楽になる筈じゃ」

コルは、その場に座り、聞く体勢をつくり、ニッコリ微笑み、アルファを見た。

「・・・・・・じいさん、そういえば、前に俺の左手の刺青を見てCodeって言ったよな?」

「そうじゃったか?」

「何か知ってるなら、教えてくれ!」

「わしが知っておる事で、御主は涙したのか?」

「・・・・・・『Sample Code.α』そう呼ばれた」

「ほぅ・・・・・・」

「俺はサンプルなのか?」

「それが涙の理由か?」

コルにそう聞かれ、アルファは首を振った。

「いや、そんな事には傷付いてない。俺が何者だろうが、どうでもいい」

「ほぅ・・・・・・」

「俺は、一番、傷付けたくない奴を傷付けてしまった。その事が俺の中で一番傷付いてる」

「ほぅ・・・・・・」

「好きと言えなかった。言えなかった癖に、キスをした」

「ほぅ・・・・・・」

「めちゃくちゃスピカがほしかった。スピカに、キスしたくて、抱きたくて。誰でも良かった訳じゃない。なのに、好きだと言ってやれない。わからない。何故、好きだと言えないのか。何かが引っ掛かっている。それが何なのか、わからない・・・・・・」

「ほぅ・・・・・・」

「好きだと言う他に、気持ちをうまく伝える方法が見つからなくて、スピカの事、傷付けてしまった・・・・・・」

「ほぅ・・・・・・」

「正義ってなんだろう。スピカは何を守りたかったんだろう? わからない。わからないから、スピカが守りたいものさえ、俺は守ってやれない。守ってやりたいから、正義を知りたくて、神に逢いたいだけなのに、一緒に行動しているだけのみんなを巻き込んいでる。みんな、俺の前からいなくなった・・・・・・」

「ほぅ・・・・・・」

「俺のやる事は全て悪なのか? 悪に染まって行くのか? だから俺は何もかも失ってしまうのか? 俺はどうしたらいいんだ?」

「御主は、何を手に入れたいんじゃ? 例え、悪に染まっても手に入れたいと思うものがあるのか? それとも大きな組織の中で、足掻いても、小さな存在は何もできないだけの言い訳に悪だと思い込んでおるのか?」

「・・・・・・俺はスピカがほしい」

「ほぅ・・・・・・」

「記憶! 記憶さえあれば、スピカは・・・・・・! そうだ、きっと、失くした記憶の中にスピカは存在するんだ。だから俺はいつの間にか、こんなにもスピカに惹かれたんだ。なのに、どうして大事な記憶を失くしてしまったんだろう。オメガにはスピカとの昔の記憶があるのに、どうして俺だけ・・・・・・? 不公平だ。俺とオメガと何が違うんだ・・・・・・? 何故、スピカはアイツを選ぶんだ・・・・・・?」

「陽と陰——」

コルはそう言うと、立ち上がった。

「表と裏、光と影。違いは一目瞭然じゃろ? 見てみよ、あの花を——」

木漏れ日を浴びている小さな花びらが少し開いている蕾。

木の影で、ひっそりとあるまだ固い小さな蕾。

「同じ花じゃが、咲く時期も枯れる時期も違う。しかし、どちらも今、呼吸の止まった、この森で、強く生きようとしておる。光を浴びとる方、影におる方、どちらが羨ましいと思うとるか、御主にわかるか? どちらも辛い事もあり、良い事もあるじゃろう。条件が揃うとる方が、必ずしも幸せであるとは限るまい。それでも生きておる。見返りがあるから生きておる訳ではない。己の中で生きろと本能が叫んでおるんじゃろう。同じ者が、同じ生き方をできなくとも、例え、それが苦しかなくとも、生きる旅が始まっておるのじゃ。生きろ、生きろと、本能が叫ぶのじゃ。それとも御主は死ぬか?」

アルファは何も答えられず、黙り込む。

「自ら命を無理に止め、死に行く者は永遠を手に入れる事はできまい。永遠は自然に呼吸を止めた時、生きる旅の休憩があり、そしてまた旅を続け、尚、何度も繰り返す事で、やがて手に入れる事ができるのかもしれん。それ程、永遠とは遥かに遠く、見た事も、触れた事もない光と闇であろう。光があるからこそ、闇がある。闇があるからこそ、光がある。光と闇、それは永遠に誰もが求める。そう、神も例外ではない——」

「神? 神も光と影を求めてるのか?」

コルはその質問には何も答えない。

「シンバよ、御主は生きておる」

「・・・・・・当たり前じゃないか」

「当たり前? 何が当たり前なんじゃ?」

アルファはまた何も答えられず、黙り込む。

「神に肉体をもらったとしても、その肉体が兵器そのものの強さだとしても、それだけの事じゃ。鋼の肉体を創れたとしても、神に鉄の心は創れまい」

「鉄の心?」

「そうじゃ。強く優しく逞しい精神。それこそ創れたのなら、誰かを愛する事など有り得ぬ。誰かを心から愛する事、それは己にない何かに惹かれ、恋焦がれる事。シンバよ、御主は生きておるんじゃ。生きておるから弱くなる。だが、強くもなれる。誰にもらったモノでもない、誰かに創られたモノでもない、己だけの心力を、御主は持っとるんじゃ。御主はもう神の手から離れた立派な命じゃ。己の命を恥じる事はない」

「俺は——・・・・・・」

「アルファよ、御主に愛されて、誰も困る者はいない。堂々と好きと言う言葉を口にしても許される。良いか? 誰かを愛する事に、神の意志は関係ない。己達の気持ちだけの事。愛し合う二人を引き裂く事など、誰にもできぬ。例え悪だとしても、愛が御主の心に生まれたなら、御主の魂は立派な命なんじゃよ。わしは今の御主を見て、そう思うぞ?」

——俺が立派な命?

——なんだろう?

——とても当たり前の事なのに、こんなにも嬉しい。

「でも、俺はもう駄目だ。スピカはオメガが好きで、オメガもスピカが好きなんだ。俺はオメガのようになれない。スピカに今更、好きだと言えたとしても、体だけ求めた癖にって許してくれないだろうし、俺の言葉なんて信じてくれないだろうし・・・・・・」

ウダウダ考える辺りなど、アルファは普通の人間と何も変わらない。

「シャキッとせい! 男じゃろう! 好きな女一人、口説けんでどうする!」

「口説くって・・・・・・」

「馬鹿者! ちゃんと自分の気持ちも伝えんで、グダグダ考えてもしょうがなかろうと言うておるんじゃ!」

「また大聖堂へ行けと?」

「いいや、それは御主次第じゃ。この次元波動超高速航法装置はさっきショートしてしもうて、直すのは、ちと厄介じゃ。古代都市へ行くぞ。さぁ、シンバよ、森を抜けよう」

「古代都市って? ちょっと待ってくれ。じいさんには聞きたい事がある。俺の事、どうしてシンバって呼ぶんだ? 自己紹介してないのに、どうして名前を?」

コルはアルファの左手首の刺青を見る。

EIBELL STRAINの証。

「EIBELL STRAINの者は皆、シンバと名付けられておる」

「・・・・・・そうなのか?」

「違う地の言葉で、強いという意味を持つ。聖言語では、神を守護し、天の使いの戦士として、神の翼を持つ者という意味もあり、天使という意味も含まれておる」

「・・・・・・へぇ」

訳もわからず、アルファは頷く事しかできない。

「『シンバ・アルファ』『シンバ・ベータ』『シンバ・ガンマ』『シンバ・デルタ』『シンバ・エプシロン』 『シンバ・ゼータ』つまり、アルファ、ベータ、ガンマは数字みたいなものじゃな」

「数字? だから俺はCode.αなのか? ならSampleって? じいさんは何故そんな事を知っているんだ?」

「長く話しをしている暇はない。今は日が暮れん内に森を抜けるのが先じゃ。古代都市に着けば、話してやろう」

スタスタと歩いて行くコルの背後を、少し焦りながら、アルファは追い駆ける。

「古代都市って?」

「地図には載っとらん。アポロンの遥か南に聳えるセファイドの山を越え、サソリの心臓目掛け、砂漠を抜ける。すると古代都市ゼウスに辿り着く。ちと厳しい道程じゃ」

もうそこに行くのは決定されているようだ。アルファは頷くしかできない。

しかし、頷いた事に後悔したのは、セファイドの山を越え、砂漠を歩き出して、2日目だった。サソリの心臓とは、朱い星の事で、夜、その星だけを頼りに進む。

「古代都市は知識ない者は誰も辿り着けん。空からの乗り物は、ここら一体の砂漠からの蒸気が上空で蜃気楼のような幻を見せてしまう為、危険なんじゃ。大地からの乗り物は砂が深く絡み、無理がある。こうして歩いて行くしか方法はないが、サソリの心臓をシッカリ目に映さずに歩けば——、これ、ちゃんと星を見よ! 聞いておるのか! シンバ!」

今のアルファに、人の話を聞ける程の体力もなければ、遠くの星など、目に入る筈もない。

只、コルの後ろについて歩くだけ——。

酷く冷え込む夜と、暑さで身を焦がす昼。

飲み物の水もコルが決めた分だけしか、飲ませてもらえず、食料も、一日、小さな赤い実、三粒だけ。体力が日に日に消耗する。呼吸しているのも苦痛に感じるアルファ。

しかし、コルはアルファに自分の飲み水や実を分け与えてやる程、まだ余分な元気がある。

——なんなんだ、このじいさん・・・・・・。

——本物の化け物だ・・・・・・。

ジリジリと太陽が照りつける昼間。

バンダナを外し、その大きなハンカチで影を作り、アルファは呼吸を乱し、虚ろな目で休んでいる。ハァハァと息を切らし、横たわるアルファの隣で、上半身、裸になり、一人武術をしながら、コルはしなやかに身体を動かす。

アルファは自分の渇いた唇に触れ、瞳を閉じて、スピカを想う。

「シンバよ、こんな時、御主の心は何を思うとる? 無心なのか? それとも雑念だらけか? 苦しい今、それでも考える余裕があるとしたら、何を考えておるのじゃ?」

コルは光る汗を飛び散らせ、力強く武術の構えを繰り返し、アルファに尋ねた。

「・・・・・・暑い」

死にそうな声で、アルファは、そう呟いた後、

「・・・・・・スピカとキスしてぇ」

カラカラの声で、ハッキリとそう答えた。

「ほっほっほっ、若いのぉ。まだまだ元気そうで良かった」

クソ暑い中、体を動かし、笑うコルを見て、じいさん程ではないと、アルファは思う。

暑く、容赦なく、輝く太陽——。

——スピカ、今直ぐ逢いたいよ・・・・・・。

——シェアト、アルシャイン、大聖堂で姿を見なかったけど、どこにいるんだ?

——クラウド、シン、セイ、それからケン、無事でいてくれればいい・・・・・・。

——みんな、また逢えるんだろうか・・・・・・

それから10日も過ぎようとしている夜。

アルファは砂の上、倒れた。

「やれやれ、しょうのない奴じゃ。星をちゃんと見ておらぬから、こうなるんじゃ」

コルは倒れたアルファを背負い、サソリの心臓を目に映し、歩いて行く——。

 ザッザッザッザッ・・・・・・

砂を蹴る音がコルの耳に届く。

コルの背で、意識なく、クタッとしているアルファ。

コルは足を止め、砂を蹴る音に耳を澄ます——。

サソリの心臓の方向から、動く影が見える。

コルが目を細め、影を確認する。

「コル様!」

「おお、カペラじゃったか!」

砂ヤギに乗って現れた女。

コルは彼女をカペラと呼んだ。

名はカペラ・エリクトス。

女にしては背も高く、褐色の肌に、ガッチリと逞しい体付きをしている。ショートの髪で、男らしい、いや、男より勇ましい顔立ち。だが、大きく膨らんだ胸ときめ細やかなツヤのある肌と、細いウェストは、やはり誰が見ても女性だとわかる。

「コル様を迎えに行こうと思っていたんです。何度も試したのですが、次元波動超高速航法装置が森に設定できなくて、コル様に何かあったのではと——」

「うむ。森の装置はショートしてしもうたんじゃ」

「そうでしたか。その背負われている者は?」

カペラはコルの背で死んでいる様なアルファを見る。

「EIBELL STRAINじゃ」

「シンバ!?」

カペラは驚いて声を上げた。

「しかもアルファじゃ」

「・・・・・・コイツが最初の命」

そう呟くカペラ。

「カペラよ、御主は何故、わしを迎えに? 何かあったのか?」

「あ、はい! 次元波動超高速航法装置から女が来ました。しかも大聖堂から! 大聖堂への扉は禁止していたんですが、森への扉が開かない為、色々といじっていた所に突然、現れたんです。送り込まれたのか、自ら来たのか、泣いてばかりで何も話さないんです!」

「ほぅ」

カペラは砂ヤギから下りた。

「ここから私は歩いて戻ります。コル様は砂ヤギを使って下さい!」

「うむ。直ぐに迎えを来させよう」

コルは砂ヤギの背にアルファを寝かせたまま乗せ、自分は尾の方に近い背に跨り、砂ヤギを走らせた。

やがて見え始めた古代都市ゼウス——。

文明が他の町とは違う。

高いビルの間、細い長く続いたアスファルトを駆ける。

舗装された固い道を砂ヤギは蹴って行く。

そしてコルは目立つ大きな建物の前で砂ヤギを止めた。

「コル様! お久し振りです!」

人々がコルに集まる。コルは頷き、砂ヤギから下り、アルファを抱えた。

「カペラがまだ砂漠におる。誰か迎えに行ってやるのじゃ」

「はい!」

コルはアルファを抱えたまま、建物の中に入って行く。

「カペラから聞いたが、次元波動超高速航法装置から来た女とは?」

「はい、こちらにおります」

案内された部屋の中央で、シクシク泣いて、座り込んでいる女。

コルはその部屋のソファにドサッとアルファを置き、寝かせた。

「アルファ様!」

「ほぅ。コヤツを知っておるか。御主は?」

「私はミラクと申します。アルファ様の為に生まれ、アルファ様と結ばれる為に生きています」

「・・・・・・ほぅ」

「普段は小さな部屋で過ごしていて、外を知りません。だけどやっと念願の外に出れたんです。アルファ様と結ばれる為に。結局、結ばれる事はできませんでしたけど・・・・・・」

「・・・・・・ほぅ」

「アルファ様の後を追って、アルファ様が変な機械の上に乗ったら、消えてしまって、私もその機械に乗って、アルファ様を追って来たんです。ああ、やっと御逢いできた、アルファ様。ミラクはアルファ様と共にずっと一緒にいます——」

そう言って、ミラクはアルファの手にソッと触れ、アルファに力がない事に気がついた。

アルファの手を強く握り締めても、何の反応もない。

ミラクはパニックになる。

「アルファ様! アルファ様! 一体、どうなさったんですか!? アルファ様!」

「落ち着くのじゃ。大した事はない。ちょっとした脱水症状と精神錯乱を起こし、倒れたのじゃ。水を与え、休ませておけば、その内、体力が回復し、目も醒めるじゃろう」

コルはコップに水を入れ、持って来た。

アルファの口元にコップをあて、水を飲まそうとしても、口の横から全て頬に流れ零れ出てしまう。

「・・・・・・むぅ。点滴にするか」

そう言ったコルの手から、ミラクはコップを奪い取り、自分の口に水を含み、アルファの口へと流し込んだ。

ゴクッ、ゴクッと、アルファの喉が鳴る。

「・・・・・・アルファ様」

ミラクは涙をポロポロ落とし、心配で、アルファから目が離せず、ジッと見つめている。

「安心せい。水が飲めれば、もう大丈夫じゃ」

コルの、その言葉に、ミラクはホッとして、眠っているアルファに微笑みかける。

——それから3日後。

アルファが目を覚ました。

服は着ているが、座ったまま、横で眠っているミラクに、アルファはビクッとする。

「やっと起きたのかい?」

「あ? ああ・・・・・・」

「私はカペラ。カペラ・エリクトス。この古代都市の住人さ。よろしくな? シンバ? 君?」

カペラはアルファに手を差し出した。

アルファはカペラの手を見ただけで、

「ここは古代都市なのか? じいさんは? 俺と一緒にいなかったか? コルって言う名前の・・・・・・じいさんが・・・・・・」

と、差し出された手は完全無視した。

カペラは差し出した手を腰にあて、

「いるよ」

そう答えた。

その時、話し声に、ミラクが目を覚ました。

「アルファ様! お目覚めになられたのですね! 良かったぁ」

ミラクは嬉しさの余り、涙を溜め、アルファの手を握り締めた。すると、アルファは手を振り離し、まるでミラクの存在がそこにない様な態度で、ミラクを見ようともしない。

「じいさんに会わせてくれ」

ミラクを完璧に無視し、アルファはカペラにそう言った。

ミラクは俯いてしまう。

「アタシがいるから照れているのか?」

「あぁ?」

「コル様に会うのは後にして、もう少し、彼女との再会を楽しんだらって言ってんのよ。アンタの女なんだろ?」

カペラは、ミラクを見て、ニヤニヤしながら、アルファを見た。

「俺の女じゃない。迷惑だ」

アルファのその台詞に、ミラクは更に下を向いて、下唇をキュッと噛み締める。

そんなミラクを見て、カペラのキツイ顔つきが、更にキツクなり、アルファを睨んだ。

「アンタ、最低だな」

「あぁ?」

不機嫌にアルファの口から漏れる声。

「そんなに冷たくできるって事は、彼女がアンタの女じゃないって事の証明だ。でもね、彼女はアンタが目覚める迄、ずっと傍にいて、看病し続けたんだよ。それを迷惑だって? アンタ、何様のつもり? アンタ、EIBELL STRAINだってね。それがアンタを偉そうにさせてるのか? 覚えておきな、この地じゃ天使は偉くもクソもないよ」

「別に俺は——」

「例え、どんな女だろうが、その恋心を踏みにじる男は最低だ。受け止めてやれとは言わないが、世話になった事の礼のひとつも言えない奴は生きる資格ないね。何故、コル様はEIBELL STRAINなどを今更、連れて来たのか! しかもこんな最低のクズヤロー。そのまま目覚めずに死に腐れば良かったのに」

「そんな! 目覚めてくれた、それだけで私は嬉しいんです。アルファ様が私を嫌うのは仕方ないんです! それは私のせいなんです! アルファ様が最低な訳じゃないんです! 私がアルファ様に好かれるような女なら良かったんです! 悪いのは私なんです」

ミラクは全て自分の所為にし、アルファを庇う。カペラは苛立ち、

「こんな奴のどこがそんなにいいんだ? そうプログラムされてるとしても、嫌なヤロウだって事くらいは理解できるだろ? こんな男、見ててムカツクだけだ」

唾を吐き捨てるような調子で、そう言うと、その部屋から出て行った。

シンと静まり返った部屋に、今、ミラクとアルファは二人きり——。

アルファはミラクを見た。ミラクはアルファの視線に恥ずかしそうに俯いた。

「・・・・・・悪かった」

ミラクは俯いたまま、首を左右に振った。

「看病してくれたのか? 何て言えばいいんだろう・・・・・・ごめん? ありがとう?」

アルファは左手で髪を撫で上げ、考える。

「何も言葉はいりません。アルファ様が無事だっただけで、とても嬉しいから・・・・・・」

俯いたままのミラク。

「アルファ様なんて呼ぶなよ」

「え?」

ミラクは顔を上げ、驚いて、アルファを見る。

「俺は誰かに様呼ばわりされる程、偉い立場にいる訳じゃないし、呼び捨てでいい」

「出来ません! 私は生まれた時から、アルファ様だけを愛するよう躾られて来ました。ずっと長い間、アルファ様だけを夢見て、愛し続けて来ました。そんなに愛している人を呼び捨てなんて出来ません!」

「ちょっと待てよ、躾られたって? キミはキミの意思で俺を好きなんじゃないのか?」

アルファは眉を顰め、ミラクを見る。

「私の意思で好きです。アルファ様が好きです。愛してます」

ミラクは潤んだ瞳をし、アルファに抱きついた。アルファにギュッとしがみ付く。

「アルファ様の御傍にいます。ずっといます。もう離れません」

その時、部屋にコルが入って来た。ミラクはアルファからバッと離れる。

「おや、ノックをせんで悪かったのぅ。気にせんで、続けてやってくれて良いぞ?」

「出来る訳ないだろう」

「ほっほっほっ。お楽しみの所、中断させて悪かったのぅ」

「別に楽しんでねぇよ」

「そうか? ではシンバよ、起きて直ぐに悪いが、ちと来てくれるか?」

「ああ」

アルファがベッドから出ると、

「私も一緒に!」

と、ミラクも立ち上がった。

「安心せい、どこにも行かんよ、直ぐに戻って来る。御主も看病で疲れておるじゃろう、少しここで休んでおれ」

と、コルはミラクに言い聞かせた。

アルファは、コルに連れられ、部屋から出て行く。

ミラクは、一人、その部屋で、小さな溜息を吐き、アルファがいなくなった後のベッドの温もりをソッと撫でていた——。


コルの後に付いて、アルファは妙な機械が並んだ部屋に来ていた。

複雑な機構に電子がおびている。

言葉にはならない、妙な音が、アルファの耳に感じる。

アルファは辺りを見回す。

幾つか並んだ透明のカプセルの中、水溶液に浮く、気味の悪い物体——。

——なんだろう?

——俺は似たような場所を知っている。

——どこだったか・・・・・・?

——ここだったのだろうか・・・・・・?

——とても嫌な感じがする。

——知りたくない。

——何も知りたくない。

「顔色が悪いが、大丈夫か?」

コルがそう言うと、アルファは頷いて見せるが、胸の奥から込み上げる恐怖に、今直ぐに、この部屋から出て行きたい衝動を抑えるのが精一杯だった。

「これを見てみぃ」

コルが、カプセルの中を指差した。

「・・・・・・」

「ある組織の原形質。細胞の集りじゃ。やがて化け物になる」

「化け物・・・・・・? 化け物は流星雨に乗って、この地に来たんじゃないのか? 5年前、この地に突然現れたんだろ? この地の生物じゃないんだろ?」

「化け物とは、この地の生物ではない。人間が創りだした、どこの地にも存在せぬ生物じゃ。この細胞の集りは、やがて自己増殖し、ひとつの型を成していく——」

「・・・・・・」

「ある地での話じゃ。もう何千年、何万年、何億年昔に、一度、文明が終わり、闇の地となった世界の話。

汚染された酸素。猛毒の雨に、土は毒そのものとなり、海は黒く、闇と化した地で、それでも生きる為、我等は不老不死の研究をしておった。

絶え間なく続く呼吸を手に入れる為の研究——。

ソレを求めた結果、思わぬ結果をもたらした。偶然できた呼吸。終わる事のない命を持った生物。人工生命体誕生じゃ。ソレは急所を狙わない限り、死というものが来ない。つまり急所以外ならば、どんな傷も再生されていくのじゃ」

アルファはゴクリと唾を飲み込んだ。

「しかし人工生命体の殆んどは、急所ばかりで、急所ではない場所は、本の一部であった。我等はその研究に没頭した。増え続ける無駄な人工生命体。殺すのも惜しい。そんな時じゃった。ある細胞が、ある型に成していく。そう、人の型に——」

アルファの身体に、薄っすらと汗が見える。

難く動かないアルファの表情——。

コルは唾を飲み、まだ話続ける。

「その人の型を成した生命体には急所が少なく、手足や胴などに、深い傷を負わせても、病原体を含ませても、自己治癒していく。つまり、再生能力に優れていた。思った通り、肉体の強さは化け物と何も変わらず、鋼のような肉体で、いや、人の頭脳と同じ分だけ、どの生命体より、あらゆる数値が高かった。型はまだ人の子と同じ大きさであったが、人と同じ成長もしていく事もわかり、それは絶え間なく続く呼吸を持った人の型をした化け物じゃった。その細胞の名をシンバ・アルファと名付けた——」

アルファの目の前が、一瞬にして暗くなる。

吐き気までする。手首に刺青のある左手で口を押さえ、その場に跪く。

コルは、お構いなしに、まだ話を続ける。

「その後、研究し続けた結果、人の型を成していく細胞が幾つか出来たが、シンバ・アルファより皆、様々な数値が低く、シンバ・アルファ以上のものが出来なかった。だが、通常の化け物よりは数値は高く、人の型を成した細胞を、我等は育て、培養した。シンバ・ベータ、シンバ・ガンマ、シンバ・デルタ、どれもこれも人の型は成していくが、成長していっても、やはりシンバ・アルファには劣る。我等は最後に、シンバ・アルファの細胞からクローンを創りだした。それがシンバ・オメガの誕生じゃった——」

アルファの身体が小刻みに震えている。

「オメガは、アルファと全く同じじゃった。成していく型も、あらゆる数値も。そして何より、オメガには感情があった。しかしソレは我等にとって失敗作であった。感情がある分、強くても気持ちひとつで弱くもなる。プライドもある為、我等の思い通りには動いてはくれぬ。つまり、心力ある生物は、我等の手から離れた命であり、己の意思で勝手な行動をとる為、我等が望むようには行動してくれぬ、役に立たぬモノなんじゃ」

「もういい、何も知りたくない」

アルファはそう言ったが、口の中だけで、声になっていない。

コルに、その声は届かず、身勝手にまだ話し続けている。

「人の型を成した人工生命体は、汚れた闇の地で、我等が生きる為に創られた筈じゃった。我等が直接触れられないものも、人工生命体なら、どんな毒物に触れても死なん。我等の指示の下、人工生命体は汚れた闇の地を、美しい光の地に戻す為に、地に広がる毒物を調べさせ、毒の分泌や繁殖、または成長を押さえる物質を作り出し、我等が、その地で生きられるよう、免疫剤もつくる。全ては、そういう計画の下、始まった研究じゃった。しかし、共に研究をしておった一人の男に、人工生命体は全て奪われた。その男は研究員達の主導者の一人じゃった。その男の名をイーベルと言う——」

アルファは喉の奥から込み上げて来るものを無理に飲み込む。

吐き気が止まらない。身体の中のもの、全て吐き捨て、自分自身も捨てたくて、それができない事にアルファは苦しんでいる。

「イーベルは闇の地から、この光ある地にやって来た。そして、この地のあちこちに立派な教会を建てた。まだ神の存在がハッキリとしない時代。しかし流星が落ちた日、教会だけは無傷に残った。神の存在をハッキリ現実にさせた時代を築いたのはイーベルじゃ。奴は神の力などではなく、闇の地の進んだ文明を持って、燃える星々を降らせ、この地に革命を起こしたのじゃ」

アルファの吐き気も震えも止まった。しかし、何やら様子がおかしい。

コルはカプセルの中の細胞を見る。

「そして恰も流星に化け物が付着していたかの様に、流星雨の後、化け物を、この地に生け放ったんじゃ。人々は化け物に怯え、神に祈る。祈りが通じたかのように、化け物を倒すEIBELL STRAINが現れる。もう神なしでは生きてはいけまいと、人々は神を崇める。イーベルは、この神降臨計画を、アルファ誕生と共に考えておったのかもしれん。この地でイーベルは神として崇まれとるが、この地も闇の地となろうとしとるではないか。同じ過ちをまた繰り返すというのか? そんな事、絶対にさせてはならぬ。闇の地とて、まだ死んではおらぬ。光の地に戻す事も、まだ出来るかもしれん。わしは何も諦めておらんのじゃ。だからまだこうして研究を続けておる。シンバ・アルファ、御主に出会い、わしは驚いた。感情がないと思うとった御主に、感情があった事に。よく考えたらオメガに感情があったのは、御主に感情があったからの事。御主が無表情で生まれ、育ったのは、己の命が哀しかったからなのかもしれんな」

「今は哀しくないとでも?」

アルファの、その呟きも、コルの耳には届いていない。

「人工生命体達がイーベルにとられた後、御主がどうやって生活をして来たのか、わしは知らんが、やはり、御主は心力ある者として、イーベルの手から離れた。わからんのは、オメガが、イーベルの下に、まだおると言う事じゃ。御主、記憶がないと言うておったが、オメガとは——」

「うわぁぁぁぁーーーーーーっ!!!!」

突然、アルファは狂った奇声を上げ、三日月を振り切った。

カプセルが真っ二つになり、水溶液が溢れ、流れ出す。

アルファの瞳が怒りで満ちている。

コル目掛け、三日月が振り落とされるが、人差し指と中指で、刃を受け止められる。だが、アルファは、力を抜かず、そのままコルを恐ろしい瞳で睨みつけている。

「シンバよ、わしとて同じじゃ。言ったじゃろう。最初は不老不死の研究をしておったと。わしの身体の中には化け物の粒子がある。顔だけ見れば、わしはジジィじゃが、肉体は御主と同じじゃ。元々、人間じゃったわしが、今、思う事は、それでも生きねばと思う事じゃ。御主は、今、一番、強さに満ちた体力のある肉体を持っている時期に達しておる。その良い時期が永遠に続くじゃろう。それ以上、成長する事なく、急所に止めを受けなければ、永遠に生きる。そして、今、心力ある御主は——」

アルファは力無く、その場に座り込んだ。

「俺は・・・・・・化け物・・・・・・」

気が狂いそうになる。

「シンバよ、御主は化け物ではない! 一つの自然な命じゃ。肉体こそ違うが、心は誰がつくったモノでもないのじゃから、御主は生きておるんじゃよ。心力があるのじゃから・・・・・・生きろ!」

「生きろだと? ふざけんなよ・・・・・・」

アルファの心力が、怒りで震えている。

額の傷が痛み出す。

ふと脳裏に浮かんだ映像。


『やめろ! やめるんだ! シンバーーーー!!!!』

『俺は強いんだ。そうなんだろう?』

『こんな事の為に強さがあるのではない! 落ち着くのだ、シンバ!』

『なら、何の為にあるんだ! 教えろぉ!!!!』

等身大の鏡に映る額に十字傷のある自分を思いっきり叩き壊す。

キーンと鳴り落ちるミラーピース。

許せないのは自分の存在よりも、つけられた消える事のない傷——。


前にも同じ映像を見た。

そう、これは、額に傷をつけられた時に、狂った時の事。

「俺は化け物なんだ。だから化け物扱いしかされない。俺は神の道具でしかない」

額を押さえ、そう呟くアルファ。

——俺は堕ちたんだ。

——オメガの言う通り、俺は自分の本来の姿の絶望と苦痛に耐えきれず、堕ちたんだ。

——奈落の底に堕ちるまま、気が狂い、俺は教会を追放された。

——そして、俺はどうした?

——そして・・・・・・

アルファの瞳から流れ出る涙。

思い出すのはスピカの事ばかり。

スピカと出会い、スピカのくるくると変わる表情に、生きているパワーを感じ、惹かれた。

罪を背負いながらも、正義を守りたいと必死に生きていたスピカ。

堕ちてしまった心が、スピカの強さ、懸命さ、純粋さ、生きる故の寂しさ、優しさ、弱さ、残酷さ、そういうもの全てに救われているように思えていたのだ。

いつの間にか、惹かれて止まない自分がいた。

そして、堕ちた心は、スピカに抱く恋心として、再び、蘇った。

だが、本来の自分の姿を知ってしまった以上、スピカに化け物を愛してもらう事など、考えられない。

好きだからこそ、好きだなんて言ってはいけないのだ。

「シンバ、すまぬ。まさか心が生まれるとは予測もつかなくて、本当にすまぬ」

コルは謝り、悔いる事しかできない。

「・・・・・・どうしたらいい? どうしたら許せる? 傷付けられた場所が痛いんだ」

額を押さえ、涙を流すアルファ。

どんな傷を負っても治せる能力があるのに、心につけられた傷は、治せない——。

許せないのは、自分の存在しない命よりも、つけられた消える事のない傷——。

「・・・・・・じいさん。俺はこんな事が知りたくて、苦しい砂漠を越えて、ここへ来た訳じゃない。スピカに逢いたいんだ」

「・・・・・・そうじゃったな。しかし、今の御主に——」

「今! 今逢いたいんだ! 今、スピカが目の前で笑ってくれるだけで、俺は救われる。この怒りも治まると思うんだ・・・・・・」

「・・・・・・わかった。大聖堂へ送ってやろう。但し、一時間後には御主一人で、ここへ戻って来るのじゃ。今はまだ揉め事は避けねばならない。絶対に気付かれぬよう、スピカという娘と逢うという条件で、大聖堂へ送ってやろう」

「ああ。何でもいい。スピカに逢えるなら——」

コルとアルファは次元波動超高速航法装置のある部屋へ迎い、その部屋の、円柱のような所へ、アルファは飛び乗った。

コルが複雑な機械をいじりながら、アルファを見る。

「通常、こちらの次元波動超高速航法装置と大聖堂の次元波動超高速航法装置は繋がらないように、封印してある。だが、大聖堂のある人間にコンタクトを取り、あちら側の装置の扉の設定を古代都市ゼウスにしてもらった」

——大聖堂のある人間?

——大聖堂にじいさんの知り合いがいるのか?

——いてもおかしくはないか・・・・・・。

「しかし御主が行った後、直ぐにまた封印する。一時間後、再び、こっち側の装置に電源を入れ、封印を解く。良いな? 一時間! 一時間だけじゃからな?」

コルはそう言うと、装置に電源を入れた。ブォンという電気の音と眩い光が点滅する。そして、アルファの足元から、ブワッと光が放たれた。

目を開けると、今、居た場所とは違う場所——。

円柱のような装置から飛び降り、アルファは、その部屋を出た。

約束は一時間。

アルファは人の気配に隠れながら、スピカを探し回る。

天使の銅像に、サッと身を隠す。今、オメガが、扉を開け、ある部屋から出て行く。

アルファはオメガが、どこかへ行ってしまうのを確認し、その部屋の扉を開けた。

——いた。

ベッドに腰をかけ、扉を開けたアルファを、スピカはジッと見ている。

嫌な別れ方をした為、何て声をかけていいのか、わからず、アルファは立ち尽くす。

「何してんの? 早よ入っておいでよ?」

そう言われ、アルファは扉を閉め、部屋の中に一歩、二歩と、入る。

「隣、座ってええよ?」

可愛らしく、顔を斜めにして、スピカは微笑んで、そう言った。

——俺の事、オメガと思っているのか?

アルファは、とりあえず、隣に座るが、また『アンタやと知ってたら、座れとか言うかー!』と、吠えられそうだと、スピカとの間をあけ、座る。

だが、スピカの方から、傍に来て、アルファの肩にコテンと頭を寄りかけて来た。

——絶対オメガと間違えてやがる。

アルファが溜息を吐いた時、

「また、キスしに来たん?」

スピカはそう言った。アルファは驚いてスピカを見ると、スピカは肩に乗せていた頭を起き上がらせ、アルファに、悪戯っぽくクスクス笑った。

「何故・・・・・・俺だとわかった?」

「わかるよ。バンダナしとるし、服ちゃうし。あの時は、まさか、この建物にアンタがおるとは思わんかったからな」

スピカは、まるでゲームの裏技を見破ったように、嬉しそうに、笑っている。

スピカの妙な笑顔に、何も思わなかった訳ではないが、兎に角、自分の話をしたいと、アルファは、両手を膝の上で、ギュッと強く握りながら、その自分の両手を見ながら、俯き加減で、ゆっくりと話そうとし、その前にと、

「・・・・・・俺の事、怒ってないのか?」

顔をあげて、スピカを見て、そう聞いてみた。

「ん? んー・・・・・・どうやろ・・・・・・でも、ずっと怒っとるんは苦手なんや。前にも言うたやんか。それに、よう考えたら、キス位で、泣いたり、怒ったりする事もあらへんなぁって思って」

——キス位? あんなに拘っていて、嫌がってたのに?

スピカの表情が一瞬、曇り、哀し気な翳りが過ぎった様な気がしたが、ソレは気のせいかと思わせる程、スピカは楽しそうに笑っている。ケラケラと明るい表情で、はしゃぐように、アルファに笑顔を向ける。

「スピカ、話がある・・・・・・」

「ん?」

アルファはスピカを見る事が出来ず、俯いたまま、話し出した。

「傷付けてごめん・・・・・・キスしたのは悪かったと思っている。でも、スピカとしたかったんだ。あの時、お前が、俺の頬にキスをして来て、いつもオメガとそうしてると聞いて、それがイヤで、無理矢理キスした。最低なのはわかってる。許してくれないのもわかってる。俺の事が嫌いなのも知ってる。俺も俺が嫌いだ。でも、これだけは知って欲しい、俺は、お前が・・・・・・」

——好きだ。

その言葉は言えないと、飲み込み、

「お前が、オメガに俺の事をどう聞いたかは、わからないが、悪い事しか聞いてないだろうけど、でも、俺は俺なりに正義を守りたいと思ってるし、そうして来たつもりなんだ」

そう言った。

「お前が正義を守りたいって言ったから、だから、お前が守りたいと言うものを、俺も守りたいと思った。でも正義ってなんなんだろうな・・・・・・全然わからない。何を守ればいいのか、何をすればいいのか、俺がやる事する事、全部、裏目に出る気がする・・・・・・一番、そうじゃなければいいって出来事が、自分に降りかかって来る。俺は・・・・・・俺は・・・・・・俺は化け物と同じ呼吸らしいんだ。人間の型をしてるだけで、化け物と同じ命。笑えるよな・・・・・・」

そこまで話した後、チラッと横目で、スピカを見る。黙って、動かないから、どんな表情をしているのか、顔を見たいが、怖くて見れない・・・・・・。

すると、スピカは立ち上がり、窓辺に行くと、

「ここから見える景色って、映像で流れてるんやって」

そう言い出した。何の話だろうと、アルファはスピカを見る。スピカの表情は穏やかだ。

「森林やったり、砂漠やったり、海やったり、いろんな景色が見えるんや。うちな、月が見える夜の景色が好きでな、よく三日月を見て、アンタの事、思い出してたんや。この部屋で、一人でおると、アンタの事ばっか考えとった」

「え?」

「一緒にここまで来たけど、アンタ、おらんようになったやん。どうしたかなぁって、ずっと思っとって、逢えたと思っても、喧嘩みたいになるし、ちゃんと話もせんまま、中途半端やなぁって。もっとちゃんと話を聞いたら、喧嘩みたいにならんかったんかなぁとか、もっとちゃんと気持ち伝えたら、離れたりせんかったんかなぁとか・・・・・・」

そこまで言うと、スピカは少し無言になり、そして、

「なぁ、再会した時の夜、三日月やったんやで。ほら、うちがカウンターにソードめり込ませた日! あの日、三日月の夜やったんや」

と、スピカは、窓の景色から、アルファに視線を向けた。アルファが頷くと、

「三日月って、アンタっぽい」

と、クスクス笑う。そして、

「シンバ」

突然、そう呼んだスピカに、アルファは、視線を合わせる以外、何もできない。

「アンタに逢った時から、三日月見ると、いつも思っとってん。闇が作り出す光に意味があるんちゃうかなって」

「闇が作り出す光・・・・・・?」

「アルファがやろうとする事には、きっと、意味があるんよ。裏目に出るのは、アルファが正直やからちゃう?」

「俺が正直・・・・・・?」

「正直やろ、別に言わんでもええ事、わざわざ言うて。化け物やとか、そんなん言わんでええやん。黙っとればええのに。ほんま、アホやなぁ」

と、笑うスピカ。そして、

「うちの話してええ?」

そう言うので、アルファは頷く。

「クラウドから、もう聞いたかもしれんけど・・・・・・うち、親から婚約させられそうになっとってな。それが兎に角イヤで、シンバに好きや言われて、その言葉に縋るまま、今に至るっちゅう感じやねん。流星雨で世界が壊れた時、うち、親でも、兄でもない、シンバを探したんや。うちを好きやって言うてくれたシンバを一生懸命探して、いつか逢える、絶対逢える、今日は逢える、明日は逢えるって、自分に言い聞かせて、毎日、一人で生きて来た。いろんな場所で、いろんなバイトして来て、勿論、出会いもあったよ。でも、うちの時間は、初めてシンバと目が合うた、あの時で、止まってんのや。だから、子供のまま来てしもうて、誰とも、男女の関係になった事ないしな、そういうの、興味ないまま来たんよ。シンバ、覚えとる? うちと初めて目が合うた時——」

そう言って、スピカは笑いながら、

「覚えてないか、アンタ、記憶喪失やもんな」

と——。

「シンバに、好きって言われた時に、あぁ! そうか! そうなんや! 目が合うたんは、そういう事やったんやなって思ってな。そうか、好きやったんや、うちもシンバが好きやったから、目が合うたんやって。なんや、もう、嬉しいて嬉しいて、明日からは弱いシンバをうちが守ったるんやって思ったくらいや」

と、始終笑顔で、

「明日は来んかったけどな」

と——。

そして、黙り込んでしまったスピカ。

「ごめん」

謝るアルファ。

「何が? なんでアンタが謝るん?」

と、スピカは、笑顔で問う。

「覚えてなくてごめん。覚えてても、俺じゃないかもしれない。でも、俺だったらいいなって思うから、だから、覚えてなくて、ごめん」

「アルファ・・・・・・うちの事・・・・・・好きなん?」

そう問うスピカを見る。

「幾ら鈍いうちでも、いい加減、気付くんやけど。アンタ、うちの事、好きやろ?」

「・・・・・・嫌いじゃない」

「その言葉はイヤや」

「・・・・・・」

「好きなら好きや言うて?」

「・・・・・・嫌いじゃない」

「その言葉はイヤなんや! お母さんが、うちに『嫌いじゃないんや、嫌いじゃないんやけど』って言うんや。うちの事『好き』って言うてくれへんねん。だから『嫌いじゃない』って言葉はイヤや」

「ごめん・・・・・・言えない・・・・・・俺は化け物だから・・・・・・俺はお前と同じじゃないから・・・・・・」

何を言っているのだろう、こんな事を言っても、スピカを困らすだけだと、アルファは首を振る。だが、言わなければならない。その為にここに来たのだと、

「俺は人間じゃないんだ。だからスピカに逢うのは、これが最後だ」

と、自分で言った台詞に泣きそうになる。

「最後?」

そう聞いたスピカを、アルファはジッと見つめ、

「あぁ、最後だ。もう会わない。俺は化け物で、スピカとは違うから。スピカは幸せにならなきゃいけない。だから、俺は・・・・・・」

「うちは、別に、シンバが化け物でも幸せやけど?」

「簡単に言うなよ、よく考えてみろ、化け物に付き纏われるなんて、ゾッとするだろ」

「うちが化け物やったら、シンバは、うちを嫌いになるん?」

「ならねぇよ!」

「うちかて、シンバが化け物でも嫌いにならんよ?」

スピカはそう言って、

「シンバはどうなん? うちの事、好きなん?」

と——。

好きだと言いたい。

こんなにも好きだと伝えたい。

最後だから言っても許されるだろうか。

どうして、こんなにも愛の言葉は残酷なのだろう。

心の底から好きだと思うのに、それを言葉にしてしまえば、愛する者を傷つけてしまうような気がして止まない。

本当に大切にしたい愛だからこそ、言える訳がない。

——俺は化け物だから・・・・・・でもそれ以前に・・・・・・

「お前の言うシンバって、俺でいいのか?」

そう聞いた後、アルファは、自分の存在が悔しくてならなくなる。

——好きだと言ってしまえば、きっと止まらなくなる。

——もっとスピカを欲しくなる。

——人間じゃない癖に、人間に惚れるなんて・・・・・・

——こんな俺に惚れられるなんて・・・・・・

——スピカが哀れだ。

——だけど、一番悲しいのは、そんな俺がもう一人いる事だ。

——そして、それが俺じゃない事だ。

「・・・・・・うちは好きや」

そう言ったスピカを見ると、スピカはニッコリ微笑んで、アルファを見つめている。

「うちはシンバが好きなんや」

その言葉は、自分の存在を許されるようで、今なら、スピカがオメガに夢中になる程、オメガに惚れる理由がわかるような気がした。

だが、スピカが言っているシンバとはオメガに宛てているのだろうと、アルファは、フッと哀しげに微笑み、俯く。

「だよな。お前の言うシンバはオメガだよな。お前にはオメガがいるのにな。俺がお前に気持ちを打ち明けた所で、何も変わらない。なのに、俺は何を拘ってるんだ? ホント、馬鹿だな」

アルファはそう言うと、左手で、軽く髪を撫で上げた。

「その癖、うち好きや」

「癖?」

「その声も好きや」

スピカはアルファの喉にソッと触れる。そして、その指は、アルファの頬の方へ上がる。

「この泣きボクロも好きや」

指は更に上へ上がり、スピカはアルファの髪を優しく撫でる。

「この黒髪も——」

スピカはアルファのバンダナを外し、額の十字傷に、優しく触れ、見つめる。そして——

「この傷も、うちは好きや」

「スピカ・・・・・・?」

額の十字傷はオメガにはない。

それは紛れもなく、スピカはアルファを好きだと言っている。

でも何故——?

「スピカ・・・・・・首の小さな痣・・・・・・」

スピカは自分の首をバッと押さえ、アルファから離れた。

「スピカ、お前、まさか——」

スピカの瞳から、ブワッと涙が溢れ出る。

「もういい! もういいからあっち行って! それともうちを好きや言うてくれる? 今のうちを好きや言うてくれる!? どんなうちでも好きや言うてよ! うちはシンバが好きやから・・・・・・」

アルファはスピカの手首を握り締め、自分の傍へ引き寄せ、抱き締めた。

今、声を殺し、肩を震わせ、アルファの胸の中で、スピカは涙を流す——。

ずっと妙な笑顔をしていたのに、気付かないまま、話をしていたと、アルファは自分のバカさ加減に腹が立つ。それより何よりも、スピカが泣いている事に、どうしていいかわからない。

いや、オメガだって、アルファと同じ呼吸なんだ、化け物と——・・・・・・

そう考えると、オメガが許せなくなる。

だが、それを言った所で、スピカを余計に傷付けるだけだと、

「何泣いてんだよ? お互い好き同士なんだろ? 大丈夫なんだろ? ちゃんと好きなんだろ? アイツも、お前も——」

と、何が大丈夫なのか、そんな言葉で慰めようとしている。

「無理矢理だったのか? でも本当に好きなら・・・・・・好きなんだよな・・・・・・?」

わからないと、小さく首を振るスピカ。

「相手は・・・・・・オメガなんだろ・・・・・・?」

只、小刻みに震え、泣いているスピカ。

「なぁ、なんで泣くんだよ・・・・・・嫌だったら、なんで断らないんだよ・・・・・・?」

「わからん。断り方なんて、わからんよ。でも、うちは、愛されてなくても求められたら、応えなアカンような気がするんや。嫌われたらどうしようって、そればっかり考えて——」

——愛されてなくても?

——オメガはスピカを好きなんじゃないのか?

「いろんな事、うちが悪かったから・・・・・・神様はうちを許してくれんのや。うちのせいで、流星雨でたくさんの人を殺してしまったし、結局、うちは正義なんて守れんかったし・・・・・・」

アルファはスピカを強く抱き締める。

アルファの胸で泣き続けるスピカを強く強く抱き締める。

「何やってんだよ。何にそんなに怯えて罪を感じてるんだよ。お前は誰も殺してなんかない。スピカは何も悪くない。だから無理に我慢したり、耐えたりする必要はない。そんな事で、誰も嫌ったりしない。無理矢理キスした俺が言える立場じゃないが、俺にしたように、嫌なら嫌だって言えばいい。嫌だと言われた俺は、お前の事、嫌ってない。お前の事が本当に大事なら、本当に嫌がってる事はしない筈だ」

「ほんまや、アンタになら、嫌やって言えたのにな」

小さな声でアルファの胸の中、少し笑いながら、スピカは言った。

アルファも少し笑みを零し、

「そうだよ、言えてるじゃないか」

と、スピカの髪を撫でる。

スピカの長い髪が、アルファの指を通り抜け、アルファに甘い香りを届ける。

「変やな。アンタには言いたい事言える。正義なんか関係なく、アンタには酷い事もできそう」

「充分、酷い事されてるよ、ホント酷い女だ。俺の気持ちなんて考えてないだろ」

「何ソレ、そのまんま、その台詞返したるわ」

「なんだよ、本当の事じゃないか」

抱き合ったまま、二人は話し続ける。

アルファは、スピカを強く抱き締め、スピカもアルファの背にまわした手を、ギュッとアルファの背に掴まるように、しがみ付かせている。

このまま離れたくない——。

でも——。

「スピカ、流星雨は、お前が一番星に願ったからじゃない。神が自分の都合の為、世界を崩壊させたんだ。お前の願いが届いた訳じゃない。だから何の罪も感じなくていい。嫌な事に堪えなくてもいい。もう泣かなくてもいいんだ」

「願いが届かなかった訳やないよ。ちゃんとうちの願いが神様に届いたから——」

「俺が!」

突然、大きな声を出したアルファ。スピカは驚いて、アルファを見る。

「俺が、その罪から、お前を解き放ってやる」

「え?」

「神から自由にしてやる」

「シンバ?」

「神なんて存在があるから、罰を与えられたとか思うんだ。神なんていなくなればいい、そうすれば、スピカは罪なんて感じる事もなく、涙を流す事もなく、傷付く事もない」

「そうかもしれんけど・・・・・・」

「だから俺が神を倒す!」

「神を倒す?」

そんな事が可能なのか、わからなくて、スピカは聞き返す。

アルファは、そんなスピカを引き寄せ、また抱き締めた。

「俺は化け物なんだ、神を倒せると思わないか? 今、やっと自分の呼吸に意味を見つけたよ。俺は神を倒す為に存在するんだ」

「シンバ・・・・・・」

「やっとわかったよ。俺は正義なんてどうでもいいんだ。俺が守りたかったもの、それは、お前なんだよ、スピカ」

「・・・・・・シンバ、ありがと」

スピカが小さな声で、そう囁く。

シンバと呼んでくれる。

アルファという数字ではなく、シンバと名付けられた、その強いという意味を持つ名前で。

「俺は、お前を離したくなかったんだ。だから、守りたいって思ったんだ」

「それって、うちが好きって事?」

「・・・・・・俺が、神を倒して、お前の気持ちが自由になって、それでもシンバが好きだと思ったら、俺の所に来てくれるか?」

「・・・・・・」

「それでもオメガがいいか? 過去じゃない、想い出を探すのはやめて、俺と出逢った時からじゃダメか? 始まりは三日月の夜、それじゃダメか?」

「でも、うちは、オメガの事もシンバかもって思うし・・・・・・ズルいかもしれんけど・・・・・・うちはまだちゃんと決められん・・・・・・」

「そうだよな・・・・・・わかった。それでいい。オメガか、俺か、選ぶのはスピカだ。ちゃんと決めるまで待つよ」

「ごめんな・・・・・・でもな・・・・・・シンバがうちを好きやって言うてくれるんやったら・・・・・・」

「あぁ、わかった。それでいい。俺を選んでくれるなら、俺は化け物である命で良かったと思えるように、必ず神を倒すから!」

決意したアルファに、スピカは何も言えない。

「じゃぁ、そろそろ行くよ」

アルファが、そう言うので、スピカは

「え? どこへ? どこ行くん?」

と、焦り出す。

「俺、こことは別の所から来たんだ、時間制限あるから、もう戻らなきゃならない」

「え? この建物のどこかにおるんちゃうの?」

「この建物の中にはいない。というか、お前、クラウドには逢ったのか?」

「え? この建物の中でって事? おにいちゃん、ここにおるん?」

「逢ってないのか?」

「逢うてへんよ」

——クラウドもシンもセイも、ここにはいないのか?

——俺だけがここに連れて来られたのか?

「でも、この建物、広すぎて、迷路みたいやし、誰がおるとか、全然わからんし・・・・・・」

「そうか。クラウドに、また逢えるといいな。じゃぁ、俺、行くから」

——もっと一緒にいたいが、これ以上一緒にいると、もっと離れたくなくなる。

「なぁ? ずっとこのまま一緒におる事はできんの?」

「そうだな。そうしたいよ。だけど今は行かなきゃならない。自分が化け物として生まれた使命を果たす為にも——」

「ほなら、私も一緒に行ってええ?」

「俺だって本当にそうしたい。離れたくない。でも、一人で戻るよう言われてるんだ・・・・・・それにお前、オメガはどうするんだよ? アイツとも離れたくないんだろ?」

「そやけど・・・・・・」

と、俯いてしまうスピカ。

「俺の事、少しでも、お前が想うシンバだと思うなら、俺を信じて待っててくれ。必ず迎えに来る。だから、今は待っててほしい」

アルファは、そう言うと、スピカに優しく微笑みかけて、

「もう泣くなよ? イヤだったらイヤだってちゃんと言えよ?」

と、立ち上がり、扉の方へと歩き出す。

「あ! あの、あ、えっと! シンバ!」

「うん?」

振り向くと、スピカは困ったような、恥ずかしそうな、そんな顔をして、

「ほら、えっと、その、何や・・・・・・キスはしてくれへんの・・・・・・?」

と、頬を赤らめ、視線を合わせず、そう言った。アルファはハッと笑みを零す。

「したいけど、したら、キスだけで済まなくなるだろ」

スピカを態と困らすような事を言ってみた。

顔を真っ赤にし、恥ずかしそうなスピカが、アルファには、堪らなく可愛く思え、もっと意地悪な事を言って、困らせてみたくなる。

もう大丈夫、化け物として生まれたからこそ、この愛おしいと思える人を守れるのだから。

自分の命に誇りを持てるだろう、愛する人を守れた命として!

そう、神を倒せれば!!

アルファは左手で髪を撫で上げ——。

撫で上げたまま、動きを止めた。

「スピカ、これが俺の癖だと何故わかる?」

「え?」

「そう言えば、初めて逢った時、お前、俺の癖を見て、その癖、そのままだと言っていたよな? だけど、昔、シンバに逢って、話をしたのは一度なんだろ? その時にシンバって名前を知ったんだろ? 名前さえ、余り知らなかった奴の、何故、癖がわかる?」

「だって——」

「いや、時間がないな、今度逢った時に聞かせてくれ」

「うん、待ってる。約束やで? 必ず来てな?」

「・・・・・・ああ、約束だ。次は迎えに来る!」

アルファは扉を開け、人気がないのを確認すると、急いで走り出した。

——もしかして時間過ぎたか?

アルファは次元波動超高速航法装置の部屋のドアを開け、電柱のような装置へ飛び乗ったが、何の反応もない。

「・・・・・・嘘だろ? なんで下から光が、ブワッと、ブワーッと出ないんだ? 一時間過ぎたからか? どうしたらいいんだよ! クソッ!」

焦っている所に——

「こちらの電源が入ってないんですよ」

と、ルビーデ司教が現れた。

「・・・・・・アンタは」

「どちらへ転送を?」

「・・・・・・古代都市」

「成る程。古代都市ゼウスですね。転送装置の上から降りて下さい」

アルファはルビーデ司教に言われた通り、円柱の上から降りた。

ルビーデ司教は次元波動超高速航法装置をいじり、古代都市ゼウスと大聖堂を繋げ、設定を更新し、電源を入れる。

ブォンと電気の流れるパワーの音が鳴る。

「さぁ、行きますよ!」

「え? 行くって——」

「さぁ、早く!」

ルビーデ司教に腕を引っ張られ、二人、転送装置の上に乗る。

今、足元から、ブワッと光が放たれた。

目を開けると、そこは古代都市ゼウスの次元波動超高速航法装置の転送装置の上。

「シンバよ、遅かったではないか! 一時間はとっくに過ぎておる!」

コルが怒鳴るが、アルファは知らん顔で、左手で髪を撫で上げる。

「ルビーデ、御主も一緒か」

「はい、コル様。報告に参りました。ついにイーベルが動き出すようです。闇の地を捨て、この地へ降り立つ為の天使計画が始まりました」

——天使計画?

「能力が天使なのではなく、容姿そのものが天使。つまり今迄のEIBELL STRAINとは全く違う、伝説上の天使の創造で、人々の心を動かす計画に出るようです。そして闇の地の者が、もしも心動かされたなら、その信者だけが、この地へ来る事が出来る! この地は流星雨の時に、多くの人が死んだ。その為、人口は少ない。イーベルは闇の地から、この地に人を移動させ、より多くの信者を、この地につくり、この地に完全に君臨しようとしています。この地で多くの者がイーベルを崇めれば、この古代都市など、簡単に滅ぼされるでしょう。意味もなく多くなった信者は、思考も狂い、悪とも気付かず、大きな過ちを犯す恐れもあります。そうでなくても、この地も、美しい緑もまだありますが、汚染されて来ている始末。ここも直ぐに闇の地となってしまう可能性は高いでしょう。この計画はなんとしても阻止せねばなりません!」

「・・・・・・むぅ」

コルは考え込み始める。

「俺にもわかるように説明してくれないか? 闇の地って、どこにあるんだ?」

アルファは眉を顰めて、尋ねた。

「そうじゃな。御主に協力してもらうには、教えておかねばなるまい。イーベルは、この地に神として、存在しておるが、この地にはおらぬ」

——てか、協力ってなんだよ?

——また勝手に俺を使おうと考えてるな、コイツ等。

「神は闇の地におるんじゃ。光のない闇だけの地。その地でEIBELL STRAINは創られた。次元波動超高速航法装置が造られたのも、その地。我等は優れたメカトロニクスの技術で、空間を歪ませる装置を造り出した。それを簡単に言えばワープじゃ。しかし、ワープとは自然現象で存在するモノなんじゃ。宇宙空間にある過去と現在と未来を無限の線で結び合わせられておるポイント、そこがワープゾーンじゃ。闇の地から、この地へ来る為のワープゾーンが発見され、我等は、闇の地からここに来たんじゃ。ここ古代都市におる者は、皆、闇の地の者なんじゃ。この地に化け物やら、EIBELL STRAINやらが送り込まれ、イーベルが神として崇められているのを知り、この地を闇の地と同じ運命にあわせられぬと、集った者達なんじゃ。この地の人間達には申し訳ないと思うておる。美しい地も汚れ、死者も多く出た。もうこれ以上、迷惑はかけれん。我等は我等の後始末の為に、ここに集って、イーベルの隙を狙い続けておるんじゃ。ルビーデもその一人なんじゃ。今は司教として、イーベルの動きを見張っておる」

ルビーデ司教は、アルファに微笑み、

「また御逢い出来ましたね。土の化身の時はお世話になりました」

と、頭を下げた。

「ほぅ、出逢うておったか。それなら話は早いのぅ」

「いえ、出会っていたと言っても、正体は明かしてません。イーベルの司教として、自己紹介しましたから。それよりもコル様、先程も言いましたが、天使計画は始まっております。なんとしても阻止しなければ! 長い月日、あちらも徐々に力をつけて来ましたが、ここで一気に伸し上がる気でしょう! 今迄通り、待機して様子を見ている場合ではありません! どうか、御決断を!」

「・・・・・・むぅ。闇の地へ行こう! イーベルをこの地へ来させてはならん!」

ルビーデ司教は頷いた。

「私は怪しまれると困るので、そろそろ大聖堂へ戻りますが、天使計画の為、闇の地に集結命令が出ております。ですから、次は闇の地で御逢いしましょう! では——」

ルビーデ司教はコルに深々と頭を下げ、次元波動超高速航法装置で、大聖堂に戻って行った。転送装置の上で消えるルビーデ司教の姿を見送った後、コルはアルファをジッと見た。

「・・・・・・で、御主は会えたのか?」

「うん? あ、ああ」

「で、御主はこれからどうするんじゃ?」

「どうする? それは俺の質問だ。俺にどうしてほしいんだ? 俺が必要なんだろ? よくわからないが、協力してほしいって言ってたじゃないか。協力してやるよ。話が長くて、余り聞いてなかったから、よくわからないが、早い話が、神を倒すんだろ? 調度、俺もそう思っていた所だ」

「ほぅ」

「じいさんは神の居場所を知っているみたいだしな。協力して損はないだろ」

「御主に何があって、考えがそうなったのか、わからんが、まぁええ。事はうまく進んだようじゃ」

「なぁ、じいさん、何故、一時間だったんだ?」

「御主が人間過ぎるからかのぅ。好きな女とずっといれば離れたくもなくなるじゃろうし、時間を決めればグズグズせんでええ。話し合うにしても、長引けば揉める事になるかもしれん。それでまた傷付き、その傷付いた心の所為で、せっかく手に入れた最強兵器、簡単にパァにはしたくあるまい」

「人間過ぎると言う癖に、俺を最強兵器という道具で見てんのか。嫌なじいさんだな。で? 一人で戻って来いと言った理由は?」

「愛する女の為、強さを捨てられては困るからじゃ。小さな幸せさえあれば良いと逃亡されても困る。姫は捕らわれの身の方が、御主も強さを発揮し、迎えに行き甲斐があるじゃろう?」

「どこまで嫌なじいさんなんだ」

「そうは言うが、大して怒ってはおらぬな。気持ちが落ち着いておる。大聖堂へ行かせて良かったようじゃな」

「ああ、良かったよ。俺の命だからこそ、守れるもんがあるってわかったから——」

「ほぅ」

「じいさんの言う通り、最強兵器の俺なら、神も倒せそうだよな。守りたいものを守れない事の方がイヤだから、俺は化け物で良かった」

「ほぅ」

「それに、化け物でも待っててくれるスピカに後悔させたくない。もっと俺を好きだと思わせたい。化け物でも、人間でも、俺に似た奴でもない、俺だけを好きだと思わせたい」

「ほぅ」

「化け物の俺でも、スピカを守れたら、俺は、自分の命に自信が持てる筈——」

「ほぅ」

「俺は、俺の強さで、守りたい」

コルは、そう言ったアルファに、誰よりも強い心力を感じた。

アルファが鋼の肉体に鉄の心を持った生命だとしたら、人間の手で偶然つくられた、正真正銘、本物の天使かもしれない——。

そう、命を弄ぶ者達に、罪と罰を与える為に出来た呼吸——。

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