4. Right and Wrong ~善悪~


アルファは光に飛ばされ、海に沈んでいた。

——俺はなんなんだろう?

——俺はどこへ行けばいいんだろう?

——俺は何の為に生まれたんだろう?

——堕天使。

——この世の悪は俺なのかもしれない・・・・・・。

気付くと陸地にいた。

眩しい太陽に涙が溢れ出る。

まだ生きようとする自分に腹が立つ。

「おにいちゃん? どっか痛いの?」

大きなリボンで、髪をツインテールした少女が、仰向けになっているアルファを覗き込んだ。アルファは腕で涙をグイッと拭き、起き上がり、少女を見た。

年齢からして、11、12、13歳辺り——。

物凄く幼くも、物凄く大人っぽくも見える微妙な年頃の女の子。

木で出来たカウボーイの人形を大事そうに、抱っこしている。

少女はアルファにニッコリ笑い、

「どうして泣いてたの?」

そう聞いた。

「・・・・・・太陽が眩しいから」

「変なの! 太陽が眩しいから笑うんだよ?」

少女は、またアルファにニッコリ笑った。

「セイーーーーッ!」

遠くから少年が駆けて来る。

肩から大きな鞄を提げ、ベルトに鞭をつけた少年。顔が少女と瓜二つだ。

「シン」

少女が少年をそう呼んだ。

「セイ」

少年が少女をそう呼んだ。

「何してるんだよ、セイ、付いて来てると思ったら、いないからビックリしたよ」

「ごめん、人が倒れてたの」

セイはそう言ってアルファを見た。シンもアルファを見る。

「お腹すいてるの? そうだ、いいものあげるよ」

シンは鞄の中をガサゴソ漁り、瓶を取り出して、その中に入っている小粒の赤い実をアルファに差し出した。

「・・・・・・これ食えるのか?」

一度、毒にあたっている為、アルファは赤い実には用心深くなっている。

「うん! 食えるよ!」

シンの言葉を信じ、アルファは実を貰い、口に入れた。

「おにいさん、旅の人?」

尋ねるシンに、アルファは、

「お前達こそ、こんな所で何してるんだ? 似てるけど双子か? 親はどうした?」

と、尋ね返した。

シンとセイは二人見合い、クスッと笑う。

「僕の名前はシン」

「私はセイ。この子はケン」

セイは抱っこしている木のカウボーイの人形を、ケンと紹介し、そしてケンをギュッと抱き締め、ニッコリ笑って見せた。

「僕達、Breath Globeを見つける為、3人で旅してるんだ」

シンがそう言った。

「・・・・・・ブレスグローブ?」

アルファが眉間に皺を寄せ、聞き返す。

「呼吸する地を探してるの」

セイが笑顔で説明する。

「・・・・・・呼吸する地?」

再び、アルファは聞き返す。

「つまり、生命が息吐ける地を探してるんだ」

シンがそう言った。

「・・・・・・なんだそれは?」

アルファは、子供の言う事は意味不明だとばかりに、左手で髪を撫であげる。

シンとセイは二人見合い、クスッと笑う。

「おにいさん、名前は?」

シンは真っ直ぐな目で、アルファを見て、聞いた。その純粋な瞳の色に、アルファは堪らず、目を逸らし、

「シンバ・アルファ」

吐き捨てるように、そう言った。

「シンバって言うの? 僕がシンだから、似てるよね。シンバおにいさんって呼んでいい?」

「いや、おにいさんって柄じゃないし、シンバって呼ばれるのは・・・・・・ちょっと・・・・・アルファでいい。ていうか、この先、呼ぶ機会なんてないだろ」

少し怒っている様な口調のアルファに、シンとセイは見つめ合い、二人、首を傾げている。

アルファは、アルファでいいよと言った自分に苛立ちを感じているのだ。

自分自身シンバを否定したら、誰がシンバと認めてくれるのだろう。

もう傍にスピカはいない。

オメガをシンバとして選んだのだ。

どうして名前一つに、こんなに拘る自分がいるのだろう?

わからないが、不必要、廃棄、無駄、無意味、そういう言葉が頭を駆け巡る。

自分自身に堕落者の烙印を押している。

それでも諦めきれない自分も存在している。

——俺はシンバなんだよ。

自分に言い聞かせているのか、それとも今は傍にいないスピカに宛てた想いなのか——。

自信はないが、確信はある。

「ねぇ、アルファはここで何してるの?」

セイはアルファを見て、首を傾げ、聞いた。

「俺は・・・・・・俺は神に会いに行くんだ」

「神? 神って何?」

「へ?」

シンの疑問に、アルファは拍子抜けして、間抜けな声を出してしまった。

「馬鹿ね、シン、神って言うのはね——」

セイはシンの耳元でコソコソ何か囁いている。

「あぁ! そうかぁ!」

シンは何か納得している。

「ちょ、ちょっと待て、神って何かわかったのか? 神って何だよ?」

シンがアルファに問い掛けた事を、アルファがシンに問い掛けている。

「アルファは神を知ってるんじゃないの? だから会いに行くんじゃないの?」

「し、知らないから、会いに行くんだよ!」

「ふぅん。僕も会ってみたいな、神に」

「私も! 人間の神なら、Breath Globeの場所も知ってるかもしれないもんね」

シンとセイは二人見合い、頷いて、

「アルファ、一緒に行こうよ」

声を揃え、そう言った。

「冗談だろ。ガキと一緒になんて無理だ。足手纏いだし、面倒はみれない」

「面倒を見てもらおうなんて思わないよ。それに足手纏いにはならないと思うよ? 因みに聞くけど、アルファの言う足手纏いって、例えば何?」

シンは生意気な口調で、アルファを見上げ、聞いた。

「大体、こんな所でウロウロしてたら、化け物に襲われるぞ。化け物がお前達を襲い、それを誰が助ける? 俺か? それを足手纏いって言わないで何て言う?」

「そういう事なら足手纏いにはならないよ」

シンとセイはニッコリ笑って、二人、声を合わせ、そう言った。

「ねぇ、シン? 言っても信じてもらえそうにないし、見せるのが一番いいんじゃない?」

セイがシンを見て、そう言うと、シンは頷き、

「そうだね」

と、アルファを見て、

「今から、僕達の事を岩の影で殺気立って狙ってる、あの化け物を倒せたら、アルファも僕達と一緒に行く気になる?」

と、言い出した。

アルファの眉がピクリと動く。

——コイツ等、化け物の気配に気付いてやがったのか!?

「行くか、セイ、ケン!」

「うん! シン」

シンとセイは二人、化け物が身を潜めている岩場に近付いて行く。

——いざとなれば助けてやるが、そこ迄言うなら、見せてもらおうか。

アルファは高みの見物。

馬鹿な獲物が近付いて来たとばかりに、大きな化け物が岩場から現れ、小さな二人を襲う。

シンはベルトから鞭を抜き——、いや、それは鞭なのか?

不思議な木の蔦のようなものは、シンのベルトから外されると、待ってましたとばかりにまるで生きている蛇のように蠢き出し、化け物の動きを封じ込めるよう、化け物の体を、肉が食い込む程、強く縛りつけ始める。

セイはカウボーイの人形を地に起き、

「我は聖なる名を受け継いだ者、目覚めよ、賢明なる命、我を助ける者よ、我の言の葉に返したまえ——」

と、何やら、不思議な事を言い出し、祈り出した。

するとカウボーイの人形は、みるみる大きくなり、人間の男性に姿を変えた。

ケンは腰の銃を抜き、蔦で身動きのできない化け物に銃口を向け、構える。

アルファは何度も目を擦り、

「なんだ? なんなんだ? 人形が大きくなって動いている?」

と、目の前の光景を疑っている。

今、ケンの銃が火を噴き、化け物の体内に炸裂する。

勝負はシンとセイとケンの楽勝で終わった。

全てが終わると、蔦は大人しくシンのベルトへと戻り、くるくる巻き、まるで嘘のように鞭へと姿を変える。ケンもまた木の人形に戻り、地にコテンと転がり、セイがイイコイイコと頭を撫で、抱き上げ、抱き締める。

二人は見合い、クスッと笑い、ポカーンと間抜けな顔をしているアルファを見上げ、

「ね、足手纏いにはならないよ」

そう言った。

「そ、そうだな。そうだけど、その人形はなんなんだ? その鞭は普通じゃないだろ? 何か仕掛けがあるのか?」

アルファの質問に、二人、また見合い、クスッと笑う。

なんだか子供相手に動揺している自分が情けなくなり、冷静を装うフリか、アルファは左手で髪を撫であげ、深く追求したい気持ちを抑えた。

「ねぇ、アルファ、これ見て?」

シンはアルファに用紙を広げ、見せる。

それは手書きで書かれた地図だ。だが、完成はしていない。

「こっから先はまだ行った事がないから描いてないんだ」

子供の落書きではない。ちゃんとした地図だ。

「この×印は?」

「大地が呼吸してなかった場所。僕達が探してる大地じゃない所だから×したの」

「・・・・・・意味がよくわからないが、この地図を描くなら、まだ描かれてない、ここから南へ行くのか?」

「うん! でね、人の神には会った事ないから、僕達がまだ見ぬ地に、アルファが探してる神がいるって事だよね? だからアルファも一緒に南へ行こうよ! 旅は多い方が楽しいよ」

アルファは悩む。

この二人なら、ほっといても大丈夫そうだ。

だが、幾ら不思議なもので、化け物を倒せるとしても、今迄、シンとセイとケンで旅を続けて来れていたとしても、こうして出会ってしまった以上、子供二人をほっておいてはいけない、そう思うと、その気持ちが強まり、

「じゃぁ、とりあえず南へ向かおうか」

アルファは、そう言っていた。

「うん!」

シンとセイは元気な笑顔で頷く。

——孤児なのかな・・・・・・?

——意味のわからない事を言っているが、親を探してるのかな・・・・・・?

——あの鞭と人形はどんなトリックが隠されているんだろう?

——子供のオモチャを武器に変えた感じだな。まるでビックリ箱みたいに驚かされた。

——孤児だとしたら、どこかの教会に、二人を預けた方がいいのか?

——教会に預けていいのか?

——いいのか・・・・・・?

歩きながら、無邪気な二人を見つめ、アルファは頭の中で疑問ばかり浮かんでいた。

暫く歩き続けると、町が見えた。

ベレニケの町——。

町の入り口で、兵士風の男二人が、アルファの手首を見て、敬礼をし、中へ入るのを許可してくれた。

この町もイーベルの教会が大きく聳え建つ。

「ああいう建物って、今迄に立ち寄った町や村にもあったけど、あの建物ってなぁに?」

セイが言いながら教会を指差す。

「なんだ、お前等、教会も知らないのか?」

アルファはそう言った後、教会に目をやった。教会には人が沢山集まっている。

また何かあったのだろうか?

「あれ? シンはどうした? どこ行った?」

セイの傍にいたと思っていたシンの姿がない。

アルファはキョロキョロとシンを探すと、教会に群がる人込みから、シンが出て来た。

「おい、何してんだ、シン」

「うんとね、ここから南の山に凄く怖い化け物が出るんだって。山を通らないと、カリストって町には行けないからって、みんな、お祈りしてるんだって」

「化け物くらい倒しちゃえばいいのにね」

簡単にそう言うセイの頭を、アルファは軽く撫でる。セイはアルファを見上げる。

「そうもいかないだろ。5年前、全て失い、更に追い討ちをかけるように化け物の出現。人は戦う術がないんだよ。セイのように、身を守ってくれるカッコいい護衛がいるといいんだけどな」

アルファはケンを軽く小突く。ケンは木の人形の為、何の反応もない。

教会から神父が出て来た。

「祈りなさい。さすれば、神は我等を見捨てぬ筈です。神を信じるのです。全てはイーベル様の導くままに——」

人々は土下座をし、神父に跪く。

「神? 今、神って言ったよね? アルファの探してる神かな?」

シンがそう言って、アルファを見上げるが、アルファは無言で神父を見ている為、シンもセイも黙って、神父を見る。

土下座している人々は、頭を上げたかと思うと、神父に、何か差し出し始めた。

金である。

すると、教会から、左手首に刺青のある男が出て来た。

EIBELL STRAINだ。

「おお。天使様が我等の元へ舞い降りて下さりましたぞ。どうか、我等をお救い下さいませ、天使様——」

神父はEIBELL STRAINの男に跪き、人々はより地に頭を擦りつけ、祈り出す。

アルファは、そこへ近付いて行き、

「やめろよ」

そう言った。

皆、顔を上げ、アルファを見る。

「跪かなくても、化け物くらい俺が退治してやるよ。こんな事して無様だと思わないのか? 金払うなら、跪く必要ないだろ」

神父はアルファの左手首を見る。

「貴方様も天使様なのですね」

と、頭を深々と下げた。

すると人々、皆が、アルファに頭を下げ出した。

アルファは一瞬だが、体を優越感が支配するのを覚えた。

自分に跪く者達に、快感が走り、悪い気がしない。

確かに、毎日毎日、この状況なら、偉人気分で、踏ん反り返りたくもなるだろう。

それが良い事なのか、悪い事なのか、わからなくなる程、体と心は支配される。

ふと、遠くで、アルファを見ているシンとセイの視線が、その全てを見透かしているようで、優越感に浸る気持ちを抑えてくれた。

アルファは溺れる前に自分を取り戻す。

「やめろ。俺は頭を下げられるような事はしていない。天使ってなんだよ? 俺のどこをどう見たら天使に見える? 刺青があれば天使なのか? こんな刺青、誰にだって付けれる。もっと考えてみろ。疑問を感じないのか? 俺は感じる。俺が天使ってどういう事だ? 天使ってなんだ? 神ってなんなんだ? 誰か教えてくれよ、神はどこで何をしている? 俺は神に会って、問いたいんだ。正義ってなんなんだ?」

人々はザワザワと騒ぎ始めた。

シンとセイは黙って、アルファの様子を見守っている。

「何の騒ぎだ?」

教会から少し派手目の服装の男が出て来た。

「タンザー司祭。実は——」

神父は、そのタンザー司祭と言う男の耳元で、今の状況を小声で話した。

タンザー司祭はアルファを見て、嫌な感情を含んだ微笑を浮かべ、アルファに歩み寄った。

「シンバ・アルファ——」

「俺の名前——!? 俺を知っているのか?」

「いいえ、貴方はここ等一帯のエリアを守護するEIBELL STRAINではないので、会った事はない。知っていたのは私ではなく、神がキミを知っているのだよ。キミは神の子だからね。いや、神の子だったから。私には神の御声が聞こえる。神は言っておられる。キミは天使ではなく、堕天使なのだと。キミは神を裏切り、人々を惑わし、狂わそうとする堕天使なのだと——」

「俺は別に誰も惑わす気は——」

突然アルファに石が飛んで来る。

人々が石をアルファに向かって投げつけている。

アルファは石から身を守る為、防御体制をとる事しか出来ない。

「皆さん、静粛に——。責め立てるのは良くない。しかし、堕天使アルファを信じる事も出来ない。どうだろうか、我等が天使ガンマと堕天使へと堕ちたアルファ。二人が南の山へ向かい、どちらが化け物の首をとってくるか。化け物の首を持って来た方を信じると言うのは、どうだろうか——?」

人々はザワザワと騒ぐ。

タンザー司祭はEIBELL STRAINであるガンマという男を見て、ガンマはタンザー司祭の目を見て、コクリと頷いた。

「アルファ、キミはどうするのだ? 別にやる気がないのなら、何もしなくても良い。それが堕ちた天使なのだろう。誰も何もお前に祈りはしない」

「・・・・・・持って来てやるよ、化け物の首」

アルファがそう言うと、タンザー司祭は頷き、

「決まりだな」

と、嫌な微笑を浮かべた。

「皆の者よ、余り深く考えなくても良い。ゲームのようなものだ。ルールはなし。時間制限もしないが、今日中に首を持って来てもらわないと、皆、山を通れないので困るだろう。アルファの為に言っておこう。このまま逃走もありだ。どんな手段もありだ。自分なりの用意が済めば、化け物退治に向かう。要は人々の信頼を得た者が、このゲームのWinnerとなる。それでいいかな?」

アルファとガンマは頷く。

人々は不安で騒がしさが増す。

「皆の者、何も心配する必要はない。神は正しき者の味方だ。ガンマは逃げたりはしない。さぁ、ゲームスタートだ。ガンマよ、山へ向かう前に礼拝堂で神に祈りを捧げるのだ——」

タンザー司祭は、ガンマをつれ、教会の中へ入って行った。

人々は教会の前で祈り続ける者もいれば、賭けを始める者もいた。

ガンマvsアルファ、どちらが勝つか——。

皆、ガンマに賭け、これでは賭けにはならないという声が聞こえた。

「アルファ」

シンとセイがアルファに駆け寄った。

「この町で待ってろ。直ぐに戻って来る」

「僕達も一緒に戦うよ」

「私も! ケンの強さ、知ってるでしょ?」

「悪いな、差しで勝負したいんだ。相手も一人だ。俺も一人で平気だ」

そう言ったアルファに、シンは笑顔で、

「うん! アルファはそう言うと思ったよ! 僕達、アルファが戻って来るの信じて待ってるから。ずっとここで待ってるから」

そう言った。アルファは、シンとセイの頭を撫でる。

今、一人、町を出て行こうとするアルファ。

目の前に、男が待ち構え、アルファに一枚のコインを弾くように投げ、アルファは訳がわからないまま、それをパシッと受け取った。

「おれはキミに賭けたんや」

「・・・・・・」

「1ゲルド、キミに賭けたんや」

「たった1ゲルド?」

「そうや。たった1ゲルドや。でもな、たった1ゲルド分、キミを信じとる」

アルファは1ゲルドコインを見つめる。

「そのコインは崩せんで」

男はそう言うと、アルファの横を通り、行ってしまった。

——崩せない? あぁ、そうか、1ゲルドだから崩せないな。

——たった一人でも、俺を信じてる者がいるって思っていいのか・・・・・・?

——その気持ちは崩せない程、信頼されてるって思っていいのか・・・・・・?

——だとしたら、必ず、戻って来なければ・・・・・・。

ふと、アルファは1ゲルドを見つめていたが、顔を上げ、男を探すように、振り向いた。

——今の男の喋り方、スピカにソックリだ!

そう気付いた時には、男の姿は町のどこかに消えてしまっていた。

アルファは1ゲルドコインを握り締めた。

町を出て、南へ向かい、山道を登る。

山は通行人が通れるように、道がちゃんと出来ている。

人々は通れないと言っていたのだから、道なりに歩いていけば、その内、化け物に出会うだろう。

——ガンマって奴の気配がない。

——まだ町にいるのか?

——それとも気配を消しているのか?

アルファは足を止め、三日月の柄を握った。

アルファの背後に現れた大きな影。

人々が神に助けを求め、祈る程の化け物のお出ましのようだ。

化け物がアルファの背後を襲う。

しかし、そこに残っているのはアルファの影。

アルファは三日月を高く掲げ、化け物の頭上に舞い上がっていた。だが、化け物もアルファの動きを読んでいるように、判断が早く、アルファが三日月を振り落としたのも、全く手応えのない影——。

「——!?」

気付くのが遅い!

化け物は既にアルファの真横におり、鋭い爪でアルファを掻き飛ばした!

アルファの血と肉が、ボトボトと化け物の爪から地に無惨に落ちる。

掻かれた横腹に触れると、グチョッという感触と生温かさが凍みる。

アルファは懸命に立ち上がろうとするが、激痛が脳天に走り、冷や汗が止まらない。

呼吸も乱れ始め、一瞬先の死を感じる。

「くっ! 化け物相手に苦戦するとはな。油断した」

呟くアルファに化け物は、容赦なく殴り、蹴り、叩き付ける。

深い傷を負ったアルファには、自分の思い通りの動きが取れない。

己の非力さと無力さに、跪いてでも、神に祈る事の意味を知らされる。

最初の一撃で、普通の人間ならば、勝負は決まったも同じ。

アルファに勝ち目はない——。


「アルファ、遅いね」

ベレニケの町で待つセイは心配そうに、町の出入り口を見つめていた。

「大丈夫だよ。僕はアルファ信じてる」

笑顔でそう言ったシンに、安心を感じ、セイは笑顔を作って見せるが、不安を隠し切れずにいた。その時——。

「神の声が聞こえる」

タンザー司祭が大きな呟きを漏らし、教会から姿を現した。

シンとセイは二人見合い、首を傾げ、タンザー司祭を見る。

「どうやら我等は騙されていたようだ。南の山の化け物は堕天使アルファが生け放ったのだ。我等を困らす為、化け物を山でのさばらせ、それだけでは飽き足らず、我等の心まで乱そうとしている。堕天使は飼い慣らした化け物を平気で殺し、首を持って来るだろう。だが、惑わされては駄目だ。堕天使を信じると、いつか首をとられる事になるだろう。神はそう言っておられる。決して惑わされるでないぞ! わかっておるな!」

タンザー司祭は、既に命令口調で、念を押すように人々にそう話した。

「酷すぎる。こんなのないよ!」

「シン! 待って!」

セイは、タンザー司祭の所に行こうとするシンの腕を掴んで止めた。

「離せ、セイ! 僕は大概の事は目を瞑る。でも——」

「駄目! 争いは駄目! 先にアルファに知らせるべきよ。アルファが化け物の首を持って来なければ、あの偉そうな人の言ってる事は嘘になるじゃない!」

「そうか! そうだな!」

シンは頷いて、町を出ようと駆けた時、化け物の首を持ったアルファが現れた。

町中が騒然となり、アルファに注目する。

タンザー司祭の予言通り、化け物の首を持って来てしまったアルファ——。

何も知らず、ゆっくりと一歩一歩足を前に踏み出して、アルファは町に戻って来た。

「あ、あのさ、アルファ——」

困ったような、悲しいような、顔をして、近付いて来るシンを、アルファは頭を撫でると、少し微笑んで見せた。

「アルファ、あのね——」

セイにも、優しく笑って見せる。

教会の前で、冷たい目でアルファを見下し、佇んでいるタンザー司祭の所へ、アルファは歩み寄る。

歩く度に化け物の首から滴り落ちる血と、アルファから流れ落ちる血が、道を赤く染めて行く——。

アルファの目に映るタンザー司祭の背後に立つガンマ。

——アイツ、山には行かなかったのか? なんでだ?

タンザー司祭の前に、今、化け物の首が置かれる。

その瞬間、アルファ目掛け、いっせいに石が投げつけられた。

理由もわからず、アルファは傷付いた体に更にダメージを受け、跪く。

「静粛に! 化け物と手を組んでいた、この愚か者を、皆が痛めつける事はない。こんな者にでも神は手を差し伸べようではないか。もう一度、天使に戻りたまえ。神の手となり足となると誓え、シンバ・アルファよ——」

タンザー司祭は、アルファに手を差し出した。

跪くアルファは、その手を見上げ、更に顔を上げ、タンザー司祭を睨む。

「化け物と手を組んでいたってどういう意味だ? 俺はアンタに言われた通り、只、ゲームを——」

タンザー司祭は腰を下ろし、微笑を浮かべ、

「人々の信頼を得た者が、このゲームのWinnerとなる。それに頷いたのはキミだ」

アルファだけに聞こえる小さな声で、そう言った。

「騙したのか!?」

「とんでもない。最初からルールなしのどんな手段もあり、そういうゲームだっただろう?」

二ヤリと笑うタンザー司祭をアルファは怒りで震えながら睨みつけている。

「それが・・・・・・それが! それが神の意志なのかよ!」

「私は神ではない。最も神なんてどこにいると言うのだ?」

「!?」

驚きの余り、アルファは言葉を失う。

「まさか本当にキミ自身、天使だと思っていた訳ではないだろう?」

タンザー司祭の不敵な笑みの意味がわからない。只、呆然とするアルファ。

「だが、キミは紛れもなく、この地で天使と呼ばれている種族だ。今は堕ちてしまった愚かな天使だがね。私は神など、どこにいるのか知らぬが、神という絶対の存在は誰の中にもあるんだよ。そしてイーベル様を絶対だと見定めたのは、我々であり、今ある全ての光景、そのものなのだよ」

アルファは、辺りを見る。

ベレニケの町にいた人々が、ここに集結したかのように、夥しい数の人が、手に石や棒のような物を持ち、今にもアルファに飛び掛りそうな勢いの顔つきをしている。

——俺は何もしていない。

アルファは体の奥底から、怯えを感じる。

怖いのは信じてもらえない事。

「彼等の目に映っている光景を理解しろ」

タンザー司祭は、そう言うと、今一度、アルファに手を差し伸べた。

「堕ちてしまった天使に、大義を導く者として、彼等の目に映っているものは真理なのだよ。簡単な話だ、キミが私の手を握り、皆に聞こえる声で、神に誓えばいいだけの事。見ず知らずの者が、キミに怒りや憎しみなどを感じていたのが、私の手を握るだけで、誰もがキミを尊敬し、崇め、跪く。キミは天使として生まれたんだよ、当たり前だ——」

アルファに差し伸べられた手——。

——俺は天使として生まれた。

——誓えばいいだけの事。

——全て信じてもらえる。

——俺は俺である事を誇りにさえ思える筈・・・・・・。

今、少し震えたアルファの手が、差し伸べられている手に向かって伸びていく。

二ヤリと笑うタンザー司祭。

 チャリーン・・・・・・

アルファから落ちた1ゲルドコイン。

たった1ゲルド——。

タンザー司祭の手を握ろうとしていた、その手で、アルファは、1ゲルドコインを拾い上げ、決意した表情で立ち上がった。

「たった1ゲルド分でも信じてくれるなら、俺は真実を述べたい。俺のわかる範囲で正義を貫きたい」

「なに!?」

「俺は天使じゃない!」

アルファのその言葉を、誰もがハッキリと耳にした。

「・・・・・・愚かな」

タンザー司祭の呟きと共に、罵声と石が、アルファに向けて飛んで来る。

防御体制をとり、また跪かされるアルファの前に、男が出て来て、まるでアルファを庇うように立った。

「やりすぎやろ!」

アルファに1ゲルドコインを渡した男。

「なぁ、聞いてもええかな?」

男はタンザー司祭を見て、そう聞くと、

「なんだね?」

と、面倒そうにタンザー司祭は男を見た。

「コイツが化け物と仲間やったって言う証拠ってあんのかなぁ?」

「なんだと?」

「神の声って、アンタにしか聞こえんから、おれ等は証拠がなかったらわからんやん。コイツ、一生懸命、戦ったんちゃうんかな。その証拠に、コイツ、血だらけやんか」

「何を言い出すかと思えば。自分で自分を傷つけたのだろう、演出だよ。殺人犯がよく使う手だ」

「・・・・・・そやな。考えられへん事もない。でもな、アンタがやっとる事も詐欺師と同じちゃうか?」

「なに!?」

「コイツが化け物の首、持って来る事は最初から予測できたんちゃうか? 腐っても、コイツはEIBELL STRAINには変わりないんやろ?」

タンザー司祭は男を睨んだまま、固い表情で、クルリと背を向け、教会の方へ一歩、二歩、歩いたかと思うと、立ち止まり、首だけ動かし、横顔を見せた。

「残念です、神の声を信じられぬ者が、この町にいたとは。仕方のない事だ、もしも神が、この町の者達を見捨てても——」

タンザー司祭の言葉に、人々は焦る。

人々は男に吠え出した。

「こら! お前、パン屋でバイト中の男だな!」

「そやけど?」

「この町に何しにきやがったんだ!」

「何しにて、仕事しに?」

「あ、コイツ、さっき、堕天使にコイン1枚賭けてたぞ! お前、適当な事言って、堕天使の味方になって丸儲けしようって魂胆だな!」

「まぁ、それもない言うたら嘘になるけど」

「黙れ! 早くタンザー司祭に土下座しろ!」

「なんでやねん」

「タンザー司祭に謝れ!」

「だからなんでやねん! おれが言うた事、筋通っとったやないか!」

「これ以上、無礼な事言うな! 謝る気がないなら、この町から出て行け!」

「出て行けて、ちょお待ちや。なんか過剰になりすぎちゃうか?」

「黙れ! 黙れ! 黙れ! お前一人のせいで、この町の者全てが神に見離されるかもしれないんだぞ!」

「そんな心の狭い神様なんておるかいな」

「クラウド!」

突然、現れたコック風な大きなオヤジが、男の名を呼んだ。

「店長・・・・・・」

「お前はクビだ。出て行け。これだけ迷惑をかけたんだ、給料はない! 早くこの町から出て行け! お前など、二度と見たくはない!」

この騒ぎのおかげで、アルファはとっくに町を出ていた。いや、逃げていたと言えばいいか。

今、アルファの足が止まる。アルファは町の出口を見ている。

そこから出て来た、あの男——。

「クソッタレ! こんな町、おれの方から出て行ったるっちゅうねん!」

そう吠えながら、男は足元の砂を蹴った。

そして少し遠くにいるアルファと目が合い、男は駆けて来た。

「よぉ、さっきはどうもな」

男は気さくに話し掛けて来る。アルファは男に、1ゲルドコインを差し出した。

「なんや?」

「返すよ」

「ああ、ええよ。それはシンバくんにやったんや」

『シンバくん』そう呼ぶ男に、アルファは眉間に皺を寄せた。

「妙な顔すんなや。おれ、キミの事、知っとんねん」

「!?」

「ああ、そうや、自己紹介がまだやったな。おれはクラウド。クラウド・Z・ポリマ」

クラウドはそう言うと、アルファに笑いかけた。

「Z・ポリマって、スピカと同じ・・・・・・スピカ・Z・ポリマ・・・・・・」

「やっぱりスピカの事、知っとんねんな。昔、スピカがキミの事、話しとってん。それをおれが覚えてたんや。黒髪で、泣きボクロの男の子の話をな」

「・・・・・・」

「でもな、その男の子の話を聞いた日の夜、流星雨でな、スピカとは会うてない。死んだんかもな」

クラウドの顔が少し悲しく見えたが、もう過去の事だと、克服している笑顔を見せる。

「スピカとおれは血の繋がりのない兄妹やねん。アイツのお袋さんと、おれのオヤジが再婚してな。スピカとおれは連れ子同士やったんや。やがて二人の間に子供が出来てなぁ、おれとスピカは邪魔者扱い。よぉある不幸話や。おれは幼い頃から仕事に出され、スピカは13歳で嫁にやろうって考えられとってな。前のスピカのホンマのオヤジが、剣術をスピカに習わせとったんやけど、それを無理矢理、おれのクソオヤジが辞めさせた日やった。おれは16で、鉄工場の流れ作業の仕事をしとった。剣を辞めさせられるってわかった日から、ずっと暗い顔をしとったスピカが、ホンマ嬉しそうな顔して走ってきよった。今でも覚えとる、あの笑顔——」


『クラウドーーーーッ』

『にいちゃん呼べ言うとるやろ! なんや、道場やめて来たんちゃうんか? 偉い嬉しそうやないか?』

『うちの事、好きやって!』

『は?』

『うちを好きやって言うた男の子がおったんや! どないしょう、めっちゃ嬉しい』

スピカは笑顔で、ソワソワと体を動かし、嬉しそうに頬を赤らめている。

『お前の事、好きや言う奴くらい、ぎょうさんおるやろ。道場でも人気あるやんか』

『そうやろか。うち、お母さんにも好かれてないやん。それにな、みんなも、うちを嫌いやけど、好きなフリしとんのかもしれんやんか、お義父さんみたいに・・・・・・』

スピカは血の繋がった本当の父親に似ている部分があるらしく、クラウドの父親から、余り好かれていなかった。

表には出さないようにしていても、子供なりに、敏感に、そういうのは察してしまう。

スピカの母親も次第にスピカに対して余り情を出さなくなり、スピカは居場所がなくなり、唯一、大好きで通っていた道場という場所もやめさせられ、孤独を感じていた。

クラウドは男であり、クラウド自身、親離れも早いが、スピカはいくら男勝りな性格でも女だ。それもまだ子供だ。そんなスピカに、クラウドは難しい立場にいた。

懐いてくれるのは嬉しいが、本当の妹ではなく、友達でもなく、恋人の対象にもならない。

どういう立場で、どういう風に、支えてやればいいのだろう——。

『スピカ、お義母さんは、スピカを好いてない訳やないよ、只——』

『わかっとる。うちより好きな人ができただけや』

そのセリフは聞き分けが良すぎる。だからこそ、余計にほっとけないが、何も出来ない。

『もうええねん』

スピカはそう言うと、笑顔でクラウドを見た。

『お母さんの気持ち、うちもわかるねん。うちも、お母さんより、うちを好きや言うてくれた男の子が好きやもん。だから13歳になったら、お見合いさせるって言うてるけど、うちに好きな人がおるってわかったら、お見合いもなしになるよなぁ?』

『そうやな』

それはどうだろう?

お見合いはさせられるんじゃないだろうか?

だが、今、そんな事を言って悲しませる必要はない。

今のスピカの笑顔を守りたい。

『良かったなぁ。これからスピカが大人になって、ソイツと、どういう風になっていくんやろなぁ。夢膨らむなぁ?』

ニコニコしながら、クラウドはスピカにそう言うと、スピカもニコニコの笑顔で頷いた。

『で、スピカに告った男って、どんな男なんや? スピカのハートを射止めたんや。兄としては知っておきたいからなぁ』

『黒髪で、左目に泣きボクロがあんねん』

『黒髪? へぇ、地毛なら珍しいな』

『名前はな、名前は・・・・・・なんやったっけ?』

『なんや、同じ道場に通っとる奴ちゃうんか?』

『そうや。同じ道場の生徒や。そやねんけど、その子、弱いからクラスちゃうねん。練習でも一緒に御手合わせした事もないしな。でも孤児やと思う。いっつもな、教会の2階の部屋におってな、暗い表情して、窓辺に立っとんねん。いっつも目合うから、うちも、いっつもなんや気になっとってん。道場ではイジメられてるっぽいんや。それでも毎日、道場に通っとる』

『孤児か。スピカも気になっとったって事は好きやったんやな。両想いだったちゅう訳か。ちゅーか、イジメられっ子なんかい! カッコ悪いやんか!』

『ええねん! どんなうちでも好きやって言うてくれたんや、うちも、どんなシンバでも好きやもん! そう決めたんやもん! あ! シンバ! そうや、名前シンバや!』

スピカは、そのまま、笑顔で、自宅へ帰り、クラウドは仕事の途中だった為、作業についた。そして、その日の夜——。

燃える星々が、この地に落ちた——。


「アイツはな、男っぽくて、ワガママで、ガサツで、短気で、頑固で、鈍い奴やったけど、悪い所、全部を、ええ所にしてしまう妙な奴やった。そんなスピカを好きや言うたキミは、かなり女を見る目あると思うで。あの時のスピカはキミの告白で、救われたんや。おれにはできんかった、あの笑顔を取り戻してくれたんや。キミにはホンマ、感謝しとる」

「俺じゃない」

「ん?」

「ソレ、俺じゃない」

「何がや?」

「・・・・・・スピカは生きている」

「ホンマか!? 今、どこで何してんねや!?」

「・・・・・・シンバと一緒に、大聖堂にいる」

「シンバて——」

クラウドは眉間に皺を寄せ、妙な顔で疑問を感じる。

「アルファーーーーッ」

シンとセイが、駆けて来る。

「町から出るなら出るって声かけてよ! 騒ぎでアルファ見失って、探しちゃったわよ!」

セイが頬を膨らませ、そう言った。

「アルファ、大丈夫?」

シンが心配そうに、アルファの傷付いた横腹を見つめる。

「ああ。傷は深いが、ゆっくり再生している」

「再生?」

シンとセイは二人、一緒に首を傾げる。

「EIBELL STRAINの能力みたいだな。だが敗れた服は再生されない。違う町で、服を購入しないとな。行こう」

シンとセイは頷く。アルファはクラウドを見る。クラウドは何故か途惑う。

「スピカと一緒にいると、飽きなくていい。こんな俺でもスピカといれば笑えるんだ。俺はスピカの事——」

アルファは、クラウドから目を離し、遠くを見ながら、

「嫌いじゃない」

そう言った。

クラウドはキョトンとする。

「山で、化け物と戦って、駄目かと思った時、スピカが脳裏に浮かんだ。意味もなく、生きようとする力が湧いて、頑張れた。俺はスピカが想うシンバのように、ハッキリ好きとは言えない。だが、俺はスピカの事、嫌いじゃない」

そう言うと、アルファは、シンとセイと歩いて行く。

シンとセイは、『誰?』と、言う風に何度も振り返り、クラウドを見ながら、歩いて行く。

「おい! 待てや! お前、どこ行くねん!」

アルファの足が止まり、振り向き、クラウドを見る。

「これからどこ行くねん、お前」

「——大聖堂へ」

「何しに行くねん」

「正義を守ると言った奴の為に、俺は正義を守りたい。だが、正義とは何か、俺は知らな過ぎる。知りたいんだ、真実の正義を。だから俺は神に逢いに行く」

「神!?」

クラウドは『なんだコイツ?』と、言うような複雑な表情をした。そんなクラウドを見て、アルファは、フッと軽く笑い、1ゲルコインを見せ、

「信じるか?」

そう聞いた。キラッと光るコインを見て、クラウドも、フッと笑みを零し、

「1ゲルド分な」

そう答え、アルファに歩み寄った。

「そこにスピカがおるんか?」

「あぁ」

「感動の兄妹の再会とでもいくか」

クラウドはシンとセイに手を差し出した。

「俺も混ぜてくれるか? これでもガキに好かれる自信はあんねん」

シンとセイは、二人見合い、クスッと笑い、クラウドの手を握った。

「僕、シン!」

「私はセイ! この子はケン!」

「よろしゅうな」

クラウドはケンの頭を撫でる。

シンとセイは二人見合い、笑う——。


山を越え、カリストという町に着いたのは夕方だった。

その町からケレリスへと繋ぐ船が出ている筈だが——。

アルファが町の入り口で、人々達に縋りつかれ、そこから先へ進めず、町の中に入れない。

「天使様!」

「どうか私共をお救いくださいませ!」

アルファは自分の左手首の刺青を見て、うんざりし、溜息を吐いた。そして、その手をそのまま頭へ持って行き、髪を撫であげた。

「悪いけど、俺は天使じゃない」

「私達をお見捨てになるのですか!」

「天使様! どうか、私達をお見捨てにならないで下さい!」

「そうじゃない! 俺は天使じゃないんだ!」

「何をおっしゃいます! その左手首に刻まれた天使の証があるじゃないですか!」

「よく見ろ。単なる刺青だ」

アルファのその発言に、人々はザワザワと騒ぎ始めた。

「・・・・・・だが、何か困っているのなら助けなくはない。俺に出来る事ならの話だが」

人々はそれぞれ顔を見合わせ、不審そうにアルファを見ながら、それでも話始めた。

カリストとケレリスを繋ぐルートの中央に化け物が出て、船を出せないのだとか——。

今日は教会の者達が、誰もいないのだとか——。

だから皆で、船を出航できるよう、祈り続けていたのだとか——。

祈り続けていた所、アルファ、つまりEIBELL STRAINが現れたのだとか——。

「そんな事か。それなら祈らなくても、俺がその化け物を倒す。俺はケレリスへ行くから、そのついでだ。船を出してくれ」

「待てや、アルファ。もう少し、よお考えや。そんなん、やめた方がええんちゃうか?」

クラウドが人々の話を聞いて、アルファを止めた。

「何故だ?」

「なんでって——」

クラウドは人々を見回し、困った顔をし、人差し指で頬を軽く掻く。

「ここまで来て、ルートが決まっているんだ。ケレリスに向かい、沼地を出て、森へ向かう。森を出ると、アポロンの町があり、そこから西へ行くとヘレーの町がある。その町は漁業を営んでいて、頼めばシップに乗せてもらえる。大聖堂まで連れて行ってくれる筈だ。だから俺達はケレリスに行くんだ。化け物を倒すのは、そのついでじゃないか」

「・・・・・・別にええけど——」

クラウドはそう言う他なかった。

アルファ達は、船に乗り、化け物退治に向かう。

「世の中、思うようにはいかんなぁ」

クラウドがポツリと呟いた。その呟きを聞いたアルファが、

「化け物を倒す事は悪い事なのか?」

と、クラウドに尋ねた。

「ん?」

「俺は正義がわからない。困っている人を助ける事は親切だとは思うが、正義とは違うように思う。俺が今やろうとしている事は正義か? 悪か? どっちだと思う?」

そう聞いたアルファに、クラウドはフッと笑い、

「正義や」

そう答えた。そして、クラウドは大きなハンカチを出して、アルファに渡した。

「バンダナとして使えるやろ? 額の十字傷、痛々しい見えるやんか」

そう言われ、アルファは額にソッと触れた。

「その傷は道場とかで? それとも化け物とかに? 流星雨に? 世界崩壊の日に?」

「いや、これは——」

「まぁ、無傷でおれる世の中ちゃうからなぁ」

「これは——」


『やめろ! やめるんだ! シンバーーーー!!!!』

『俺は強いんだ。そうなんだろう?』

『こんな事の為に強さがあるのではない! 落ち着くのだ、シンバ!』

『なら、何の為にあるんだ! 教えろぉ!!!!』

等身大の鏡に映る額に十字傷のある自分を思いっきり叩き壊す。

キーンと鳴り落ちるミラーピース。

許せないのは自分の存在よりも、付けられた消える事のない傷——。


「なんや? どないしてん?」

「・・・・・・いや、雑念が入った」

アルファはクラクラする頭を左右に振り、大きなハンカチをバンダナ変わりに額に巻く。

「クラウド」

「ん?」

「化け物を倒したら、神に祈らなくても、天使に頼まなくても、できる事があるって、町の人々はわかってくれるよな」

「・・・・・・」

「神じゃなくても、誰かを救う事ができる。わかってもらいたい」

アルファはそう言うと、船の先端へ向かった。

クラウドは溜息を吐き、アルファの背中に、

「だから、お前はEIBELL STRAINで、化け物倒したら、天使として崇められるねんて。だから、もう少し考えた方がええんちゃうかって言うたやないか」

そう呟き、困ったように、頭を掻いた。

船に乗り、数時間が過ぎた。

もうすっかり日は落ち、火を灯さなければ、海は暗く、闇の中にいるようだ。

波に揺られ、風に吹かれ——。

「化け物だぁぁぁぁ!!!!」

船乗りの男達が吠える。

アルファ、クラウド、シンとセイも一緒に船の先端へと集った。

海にどんな化け物がと思えば、それは20数メートルはあるかと思われる、大きなイカの姿をしている。その化けイカは波に乗り、ゆっくりと船に近付いて来る。

船乗り達は、皆、船の奥へと身を隠した。

「シン、セイ、お前達も隠れてろ」

アルファがそう言うと、シンが、

「あれは化け物じゃない」

そう言い出した。

「なんやと?」

「僕も戦うよ。セイはケンと一緒に隠れてて」

「いや、お前も一緒に隠れてた方がええやろ!」

クラウドはそう言うが、シンは言う事を聞いてくれそうにない。

アルファは三日月を抜き、化けイカが近付いて来るのを既に待ち構えている。

セイは心配そうな顔で、船の奥へと向かった。

クラウドは左腕に円盤型ボウガンを装着し、ダーツのような鉄矢の先に毒を塗り、戦闘の準備を始める。

「——アルファ」

化けイカが波を更に激しくしながら近付いて来る。

揺れに身を任せながら、安定に持ちこたえる。

「どうした、シン? やっぱり怖いなら、お前も隠れてろ」

「怖い? 怖くないよ、だってあれは化け物じゃない。自然が生んだ命だよ」

シンの真剣な眼差しと大人びた声のトーンに、嘘ではない真実を知る。

しかし、その真実にアルファは疑問を抱く。

「なんだそれ・・・・・・? まるで化け物は自然が生んだものじゃないって言ってるみたいだ。自然ではなく生まれる命ってあるのか? どういう事だ?」

「何意味わからん事言うてんねん。あれはどう見ても化け物やろ。自然であんな異常なデカさのイカがおる訳がない」

「そんな事ないよ! こんな世界だよ。異常になるのが普通だよ。それに、この世界、あれが自然なんだ」

シンはそう言うと、アルファを見つめ、

「・・・・・・いいんだね?」

そう尋ねた。

「いいんだね? 殺しても」

何も答えないアルファに、シンは再び、そう問う。

「・・・・・・人々が困っているんだ。助けるのが普通だろ」

「そうなんだ・・・・・・それが人の世での普通なんだね。わかったよ。僕はアルファに従う」

シンは、そう言うと、ベルトから鞭を抜いた。

三日月の柄を握り締め、アルファは心の中で問い掛け続ける。

——いいのか?

——いいのか?

——いいのか?

——いいのか?

シンの鞭が蠢いて、化けイカの動きを封じようと縛り付ける!

殺すなら一気に殺してやろうと思うが、化けイカの体力と力は無駄にあり、三日月で傷つけても、ニョロっとした足を幾つも出して来る。

クラウドの毒が塗られた鉄矢が化けイカの目に入った。

——おかしい。

——コイツ、攻撃してくる気はないのか?

——それとも、もう弱って来ているのか? それにしては力があり過ぎる。

そう思った瞬間、化けイカはニョロニョロした足をアルファ、クラウド、シンに巻き付かせ、そのまま海の中へ引きずり込み、沈んだ。

アルファ達が、足掻き、抵抗する間もない、一瞬よりも短い時間の間の出来事だった——。

静まり返る船の先端に、セイは走り出る。

「シンーーーー!!!! アルファーーーー!!!! クラウドーーーー!!!!」

セイの声に、穏やかな波の音が返す——。


「ぷはっ! はぁ、はぁ、はぁ、はぁ——」

海の直ぐ底の空洞になった場所。

化けイカは、アルファ達をそこへ運んだ。

殆んど残っていない力を振り絞っての事だったのだろう、今、大きな体をクタッと緑のコケのついた岩場に置いた。

「アルファ! 人だ! 人が倒れてる!」

シンは空洞の奥を指差した。

「——女や」

直ぐに駆け寄ったが、その女性は既に息をしていない。だが綺麗な身体を見ると、呼吸を止めたのは最近の事なのだろう——。

「あっちこっち傷だらけやな。服も破れとる。事故か、身投げか——」

クラウドがそう言うと、

「あの大きなイカは、教えたかったんだね」

と、シンが呟いた。アルファとクラウドは、二人、シンを見る。

「この人を助けたかったんだ。だから、あんな場所に現れて、船を止めてたんだ」

シンのセリフを聞き、アルファは暗い表情で、女性の死体を見つめる。そんなアルファに、

「自分に後悔してるの?」

シンが問うと、アルファは頷いた。

「これ見て、後悔しない奴なんていない。俺は、何をやっているんだろう——」

「考え過ぎちゃうか? 化けイカが人間助ける為に? そんなん考えられへんやろ」

「どうして? 傷付いた者を助ける事に考える事なんて何もないよ」

シンが大人びた口調でそう言った。

アルファもクラウドも、そんなシンを見る。

「考えて助けるんじゃない。本能で助けるんだよ。本来、命というのは、助け合う事で生を受けるんだ。皆、人間を含め、生命を感じているのに、人間は人間だけを生命だと感じている。全ての人間がそうだとは言わない。だけど、人間は、自分の命以外を命とは思ってくれていない。自分の命は大切に扱うのに、自分以外の命は平気で捨てるんだ。だけどね、アルファ、後悔しちゃ駄目だよ。生きると言う事は常に何かを犠牲にした上で成り立っている。アルファは間違ってないと思って、あのイカを倒したんだろ? その事に後悔しちゃ駄目だよ。こうする事で喜ぶ人がいるなら、それは後悔する事じゃない。後悔したら、本当の正しい事なんて、何も見えなくなる」

「そやけどなぁ、シン、人間っちゅうんは後悔もするもんなんや。それが生きるっちゅう事なんや。感情があるんやから」

「感情がないと生きてない? 同じ命と思ってはくれない?」

「い、いや、そうやなくて、言葉とかで相手の気持ちを確かめ合ったり、正しい方へ導いてもらったり、助け合って生きて行くんが人間って言いたい訳で——」

「それが助け合いなの? 言葉が通じても、アルファは石を投げられたり、クラウドは町を追い出されたりしたよね。助け合うなら、自分で本当に正しき事を判断して、手を貸してあげるべきだ。言葉は時に心を変える。自分が正しいと信じた事を簡単に後悔するようじゃ駄目だ。だから常に後悔しないように生きて行くべきだ」

「シンの言うとる事は確かに正しいで、正しいけどやなぁ——」

クラウドがそう言いかけた時、アルファが、ポツリと呟いた。

「俺がやった事は正しかったのだろうか?」

と——。

今、化けイカの呼吸が止まった——。

「ソレを決めるのはアルファ自身だよ。悪も貫けば善になるってね」

シンはにっこり笑い、励ましのつもりか、そう言ったが、アルファは気弱な溜息をついた。

「兎に角、戻ろか。早よ戻らな、俺等、死んだと思われて、船が町に戻ってしまうんちゃうか? アルファもシンも泳げるやろ? とりあえず、上へ向かって泳げば大丈夫やろ」

岩場から海へ繋がる大きな穴に溜まった海水。

そこに飛び込み、海水の流れに身を任せ、空洞を出て、上へ向かって泳ぐ。

暗い海を炎の光で照らしながら、船乗り達がアルファ達を探していた。

クラウドが声を張り上げ、助けを呼ぶと、直ぐに見つけ出してくれ、浮き輪を投げて、それに掴まるアルファ達を船に引き上げてくれた。

セイが泣きながら、笑顔で、無事を喜んだ。

船は夜も遅い為、一旦、カリストに戻る事になった。

疲れもあったのだろう、アルファ達は、船の中で眠りについていた。

その間に、船はカリストに着き、起こされ、船から下りた所、人々が皆、アルファに跪く。

「天使様! 本当に有り難う御座いました。教会が閉まっております。神父はまだ帰って来ませんので、今夜はこの町で一番の宿を用意しますので、ゆっくりお休み下さい。何かご要望が他にありますでしょうか?」

「ちょっと待ってくれ、俺は天使じゃない。そう言った筈だ」

「またまた、ご謙遜を——」

「違う! 俺は——」

人々は言葉を呑み込んだアルファに祈る。

「私達が祈りを捧げた所、貴方様が現れて下さいました、そして私達をお救い下さいました。貴方は天使様です」

黙り込んでいるアルファ。

そう言っている人々の言葉よりも、アルファはその人々の後ろでニヤニヤ笑っている男に目をとられているのだ。

「オメガ・・・・・・」

男は、やっと気がついたかと言う風に、祈る人々を蹴り、道を作り、アルファに近付く。アルファに似たその男——。

「ちょっと見ない間にいい身分だな、アルファ?」

カリストの町が、二人のそっくりな天使に騒然となる。

「双子? やったんか?」

クラウドの質問も、人々のざわめきで掻き消される。

「夜も遅い、皆、家路に戻れ」

オメガがアルファを見ながら、そう言った。眉間に皺を寄せるアルファ。

「聞こえないのか! 家路に戻れと言っているんだ!」

怒り口調で、そう吠え、オメガは、人々に左手首の刺青を見せた。

人々は天使の怒りに触れると口々に言い、急いで、言われるがまま、家路へと走って帰って行った。

静まり返った、その場所で、オメガはアルファを、アルファはオメガを見ている。

そして、オメガは刀・陽光を鞘から抜いた。

「堕落者のテメーにも、まだ役に立つ事があるってんだから、ホント、神って信じちゃうよなぁ。アルファ、大聖堂へ戻ろう。おっと、返事はするな。片手間の暇潰しがなくなるからなぁ」

「——暇潰し?」

「ああ。全く役に立てねぇように、暇と一緒に潰してやる。オレは都合良く今更記憶をなくしたアルファを見つけ、EIBELL STRAINとして迎えに来たんだが、どうやらオレに反発していて、アルファを捕らえる事になりました。それがバトルの始まりです。しかし余りの強さの違いに、オレはアルファを思わず殺してしまいました。アルファを天使として、大聖堂へ戻せませんでした。いい筋書きだろ?」

オメガは余裕の笑みを浮かべ、アルファに陽光を振り切った。

三日月で受け止めるアルファ。

クラウドとシンとセイは、避難し、二人を見守る。

アルファの味方として、戦いに参加できない。

見分けのつかない二人に混乱していて、冷静ではない。

クラウドもシンもセイも、何が起こっているのかサッパリわかっていない。

アルファの動きも、オメガの動きも、交える二つの刀も、略、同じに見えるが、アルファの無愛想とオメガの微笑では、見てる方に、オメガに余裕を感じさせる。

「微温過ぎて、小手調べにもならないな」

オメガの、そのセリフに、アルファが馬鹿にしたように、フッと笑った。

「・・・・・・勘違いするなよ、オメガ」

「なに!?」

「あの時は俺にソックリな顔のお前に途惑っただけだ。確かにお前は資質もある、鍛錬も積んでいるんだろう、だが、それだけの事だ。俺には鍛錬というプラスアルファはないが、資質がある。勘違いされては困るのが、俺にある資質は剣術ではなく、戦闘能力だ!」

振り切った三日月を陽光が受け止めた瞬間、足を逆刃に重ね、三日月の衝撃と蹴足を合わせ、倍加させた攻撃で、オメガに与える衝撃を強くした。

思いっきり遠くの民家の壁にぶち当たるオメガ。

陽光を握る手にビリビリと痺れる痛さを感じている。

「自慢の剣術会得を披露しろよ。確か、その一、その二、その三ってなってたな。今度は俺がバトルの心得ってのを教えてやろうか? 相手の手段が見えない事など、闘いの常、要は俺に相手がどんな手段を持っていようと、叩き潰せる実力があるかって事だ。悪いが、バトルに正攻法は無駄だ——」

そう言ったアルファをキッと睨み、オメガの表情から笑みが消えた。

「無駄・・・・・・だと・・・・・・? 俺が苦労して会得したものが無駄? 刀という正式装備をする以上、剣術は無駄ではない! 剣術をなめるなーーーー!!!!」

剣術会得のその一、己の筋力と剣の重量とを把握する。

陽光の剣気にオメガは引けをとらない。

剣術会得のその二、速さと威力を剣に兼ね備える。

陽光の速さと斬れ味に、オメガのスピードとパワーを融合させた。

剣術会得のその三——・・・・・・

陽光が宙を舞い、地に突き刺さった。

その三、剣技ある者、知性で引き際というものを悟れ。

立ち尽くすオメガ——。

「俺は三日月を正式装備などという風に見た事はない。コイツは俺の相棒だ。俺と共に闘ってくれる俺の一部としてあるものに、今更、剣術も剣技も無駄な事だ」

オメガは地に突き刺さった陽光を見つめていたかと思うと、ゆっくりアルファの方を向き、無表情な癖に、不気味にニィッと笑い出した。瞳は怒りで満ち溢れている。

「アルファ、オレはますますテメーを潰したくなったぜ。許せないとか、お前さえいなければとか、そんな単純な事じゃない。テメーと何故同じ型で生まれて来たかと言う事だ。なのに見極められる事に腹が立つ。それに下に見られる違いにも吐き気が止まらない——」

オメガは地に突き刺さった陽光を抜き取り、アルファに優しく笑ってみせた。

アルファには、その笑みの意味がわからない。

まるで勝ち誇る、その笑みが——。

「アルファ、肉体的に無理ならば、精神的に潰してやる」

「!?」

「オレがシンバだと思い知らせてやる。オレがテメーと同じ型なんじゃない、テメーがオレと同じ型なんだよ。わかるか? この意味が——」

オメガは陽光で肩から腹にかけて、スゥッと自分に刀傷をつけた。

切れた服の間から、滲み溢れる血。そして大ダメージのように、跪いてみせる。

「何の真似だ?」

アルファはオメガの行動の意味がわからない。

「いいタイミングだ」

オメガのその囁きを耳にするのと同時に、

「シンバ!」

その声に、アルファは振り向いた。

「シンバ! どないしたん!?」

跪いているオメガに、スピカが駆けつける。

「大丈夫なん? シンバ? シンバ?」

スピカは必死にオメガを呼び続ける。

「スピカ、町の外で待ってろと言ったじゃないか。どうして——?」

わざとらしいオメガの優しい声とセリフ。

「だってシンバ遅いから、心配やってん。うち、置いてかれたんちゃうかなって思って」

「馬鹿だな。スピカを置いて、オレはどこにもいかないよ、くっ・・・・・・」

苦しそうに傷付いた部分を押さえ、オメガは呻き出す。

「シンバ、どうしたん? これ剣の傷やんか? 何があったん?」

「実はアルファに出会って、一緒に大聖堂へ戻ろうと言ったら、行き成り——」

目一杯、可哀相な顔をして見せるオメガ。

スピカはキッとアルファを睨みつけた。

「酷いやんか!」

「酷い? どっちがだ」

「久し振りに逢うたと思うたら、アンタ、また何もしてない人を傷つけて、そうやって平気な顔して、相変わらず最低なんやな! ちょっとでもアンタに惹かれた自分が情けないわ!!!!」

「——俺に惹かれたのか?」

「そうや! でもソレはアンタがシンバに似とったからや!」

そう吠えたスピカに、二ヤリとするオメガと俯くアルファ。

——俺がシンバに似てたから?

——そう、テメーがオレに似てるんだ。

二人の心の中が、そう読める表情をしている。

「スピカなんか?」

そう呼ばれ、スピカは自分に近付いて来るクラウドの存在に、今、気がついた。

「——クラウド? 嘘!? クラウドなん?」

スピカは驚いた顔をし、クラウドを見ている。

オメガは立ち上がり、

「スピカ、知り合い?」

そう聞いた。

「え、あ、うん、うちのおにいちゃんや」

「おにいちゃん?」

オメガは、面倒そうに、そう問い、スピカが頷くのを見て、クラウドをジロジロと見る。

「似てないんだね」

「あ、血は繋がってないねん」

スピカがそう答えると、オメガはふーんと、どうでも良さそうな返事をした。

「スピカ、お前が言うとったシンバってソイツなんか?」

「クラウド、シンバの話したの覚えてくれてたん? 紹介するな、あのな——」

「今は紹介はええ。お前が言うとったシンバっちゅうんは、こっちのシンバちゃうんか?」

クラウドはアルファを指差し、そう聞くと、スピカは首を左右にブンブン振り、違うとアルファを睨んだ。

アルファの表情が更に暗くなる。

「スピカ、ソイツは見た目だけちゃうか? アルファの方がええ奴やと思うんやけど?」

「何言うてんの! クラウド、アルファに洗脳されたん? ソイツはな、悪の塊や!」

「悪の塊? でもアルファは正義を守りたい言うて、神に逢おうとしとる」

「・・・・・・正義を守りたい?」

「ああ。何があって、そんな風にアルファに言うんや? 無理にアルファは悪者やと自分に言い聞かせてんのか?」

「ちゃうよ! うちは、只——」

「なぁ、スピカ、そのお前がシンバって呼んでる方な、自分で自分の腹を斬ったんやで? 最初にバトル持ち込んだんもソイツや。アルファは何もしてない」

「嘘や!」

スピカは両手で耳を塞いだ。

「おい、スピカ、聞けや!」

「嫌や!」

「ホンマの事やねんて!」

「嘘や!」

「兄貴が大事に思うとる妹に嘘つくと思うか!?」

その言葉に、スピカは耳を塞ぐのを止め、クラウドを見た。

「アホやのぉ。何をそんなに怯えてんねん。久し振りに逢おて、元気そうなお前に、おれはめっちゃ嬉しいねんで? 誰が妹の悲しむ顔見たい兄貴がおんねん。嘘なんか吐かんよ」

「血が繋がってないんだろ? 生き別れてから、それぞれ生きて来た道で、それでも兄妹の関係は続くのか? 律儀なものだな、何か企みでもあるのか?」

そう言ったオメガに、

「なんやと!? おれに何が企めるっちゅうねん!」

と、クラウドが吠えた。

「アルファと一緒にいると言う事は、何か企んでいるとしか思えないんだよ。おい、アルファ、どこで知り合ったんだ? スピカの自称兄貴と——」

「オメガ、やめて! うちは——」

突然、シンバではなく、オメガと呼んだスピカ。

スピカの中で、シンバがアルファなのか、オメガなのか、まだ迷っている様子。

だが、その言葉で、オメガはスピカに冷たく、

「オレを信じないなら、勝手にすればいい」

と、町から一人、出て行く。そんなオメガにスピカは焦る。

「クラウドはホンマのおにいちゃんちゃうもん! うちの事、惑わさんといて!!!!」

クラウドに、そう吠えると、スピカはオメガを追い駆ける。

「スピカ!」

思わず、アルファは大声で呼び止めた。

スピカは立ち止まり、振り向いて、アルファを見る。

「——行くなよ」

「なんでそんな事言うん?」

何故だろう?

「うちはシンバと一緒におりたい。だから行く!」

シンバを想い、オメガに向けられたスピカの気持ちに、アルファは苛立つ。

「何夢中になってんだよ。好きだとか言われたくらいで、馬鹿みてぇ」

アルファはスピカに嫌われるのを承知でセリフを吐き捨てた。罵る言葉はまだ止まらず、更に、罵る。

「これだからモテない女ってのは嫌なんだ。それでモテてるつもりか? チヤホヤされたいだけか? お前程度の女、そこ等にゴロゴロいやがる。どれでもいい中から、適当に扱いやすいのを選んだだけなんだよ。それくらいわかれよ。別にお前なんか好きじゃねぇよ」

スピカはズカズカとアルファに近付き、アルファの目の前で、手を振り上げた。

 パシッ——・・・・・・

頬を平手で、思いっきり叩かれたと言うより、殴られたと言う感じ——。

シンとセイは自分の頬を痛そうに手で押さえ、アルファとスピカをジッと見ている。

アルファはゆっくりと顔を上げ、スピカを睨む。スピカもアルファを睨みつけている。

「——何すんだよ」

「アンタが悪いんやんか! アンタがうちを好きじゃなくても別にええよ! アンタの気持ちとシンバの気持ち、一緒にせんといて!」

「一緒になんかしてねぇよ」

「もうほっといて!!!! うちに構わんといて!!!!」

「今更何言ってんだ。最初に俺をシンバだと言って、俺に構って来たのはお前だろ」

「なら、もう構わんから、ほっといて!!!!」

スピカはクルリと背を向け、歩き出す。

「ほっとける訳ないだろ!」

スピカの背に、そう吠えたアルファに、スピカは足を止め、振り向いた。

「シェアトだって、アルシャインだって、どうしてるのか気になって、ほっとけない。何かいろいろ、俺のせいみたいで、後味悪いんだよ!」

「——なんや、そんな事か・・・・・・」

スピカは少し哀しそうに俯いたが、直ぐに顔を上げ、アルファに笑顔を見せた。

その屈託のない笑みにアルファはドキッとする。

まるで全てを見透かされているような無垢な笑顔。

アルファの中で溢れて来る感情。

それが何なのかわからずに、堪らず不安になる。

臆病な自分さえ、全て見透かされているのではないだろうかと考えると、怖くなる。

なのにスピカの微笑みから目が離せない。

「大丈夫や」

スピカの唇が動き、アルファはハッとする。

妙な感情に捕らわれ、心も身体もスピカの笑みに支配されていたかのように、ぼんやりしていたのだ。

「シェアトもアルシャインも、大丈夫や。シンバがそう言うとった。せやから、アルファが気にする事やないよ」

「シンバが言っていた? お前、大聖堂で二人と一緒にいるんじゃないのか?」

「大聖堂、広いからな。まだ入った事ない部屋もあるし。うち、シンバとずっと一緒におるだけで、他の人は知らんねん。シンバと一緒におらん時は、シンバが用意してくれた部屋で過ごしとるし」

「・・・・・・そうか」

「ホッペタ!」

「あ?」

「ホッペタ、殴ってごめんな?」

そう言われ、殴られた事を思い出す。

「うちな、ずっと怒ってんの苦手やねん。だからもう許したる!」

少し照れたようにスピカはそう言うと、舌をベッと出し、アルファに笑って見せた。

「それからクラウド、あ、ううん、おにいちゃん、逢えて、嬉しかった。おにいちゃんが生きてて、ホンマ良かった。でも、うち、行くな? うちにはシンバだけおればええねん」

そう言うと、また駆けて行くスピカ。

呼び止めても、どうにもならない、アルファはそう悟る。

——またシンバの所へ行くのか?

——俺だってシンバだよ・・・・・・。

アルファは左手で髪を撫であげた。

満点の星空の下、再会したのに、スピカは再び、行ってしまう。

行く場所は同じ、大聖堂に——。


結局、アルファ達は、カリストの人々が用意してくれた宿に泊まる。

ダブルベッドで二人仲良く眠るシンとセイ。セイは眠っている時もケンを抱き締めている。

クラウドはソファーで横になっている。

アルファは窓の傍の小さな椅子に座り、夜空を見ている。

アルファの目に映る満点の星々——。

『全て、なくなればええのに。世界が壊れまくって、全部、なくなってしまえ』

スピカの叶う筈のない願い。

だが叶ってしまった願い。

アルファは正義が何かを考える。

もしもそれがわかれば、スピカは救われるのではないだろうかと思う——。

静かな夜。

——俺は誰の為に神に逢いに行く?

——スピカの為?

——それとも俺の中のない筈の記憶が、俺をそうさせている?

——だとしたら、ない記憶の中に、スピカは存在するのだろうか?

——こんなにもスピカを気にしているのは何故だろう?

——俺の記憶を辿る事ができたら、スピカとの出会いの意味も解るのに・・・・・・。

「アルファ?」

クラウドの呼ぶ声。

「結局、この町の人等、お前の事、天使や言うて崇めとったなぁ」

「ああ。どいつもこいつも馬鹿みてぇ」

「そやなぁ。馬鹿やなぁ。スピカの奴、ええ女になっとったなぁ?」

そう言われ、アルファは溜息を吐く。

「俺はオメガじゃないから、昔のスピカを知らない。いい女になってたかどうかなんてわからない」

アルファが、そう答えた後、クラウドから何のセリフも返って来ない為、振り向いて、クラウドを見ると、クラウドは既に深い眠りの呼吸に入っていた。

アルファはまた溜息を吐き、左手で髪を撫で上げた。

スピカに殴られた頬が、今更、痛くなる。

アルファは目を閉じた——。


次の日、早朝から出航する船に乗り、アルファ達はケレリスに来ていた。

ケレリスには化けイカのせいで、カリスト方面からの船が全く来ていなかったにも関わらず、港には誰一人として姿が見当たらない。

そんな大きな港ではない為、人の姿が見えなくとも、その時は大した違和感もなかったが、町中を歩いても、誰一人として擦れ違う者がいない。

「誰もおらんのか、この町は」

クラウドが呟いた。

店などは開いているが、商品を盗んでくれとばかりに、誰もいない。

「ねぇ! また教会って建物に行けば一杯人がいるんじゃない?」

セイがそう言うと、アルファもクラウドもシンも、声を揃え、

「スルドイ!」

と、セイを見て言った。セイは照れ笑いしながら、

「えへへへ」

と、ケンを強く抱き締める。

教会は大体、町の中央となる場所に存在する。

恐らく、この町に教会があるとしたら、町の中心だろうと、4人は歩き出した。

それにしても、本当に誰もいない。

まるでゴーストタウンのようだ。

だが、ついさっき迄は生活をしていたと言う空気を感じる。

例えば、焼きたてのパンの香り、煙突から出ている煙、開けっ放しのドア——。

そして聳え立つ大きな教会の前に、今さっき迄、人々が集っていたような気配——。

アルファが教会の扉を開けようと、ドアに手を掛けた瞬間、扉は勝手に開いて、中から、タンザー司祭に似た派手目の衣装を身に纏った男性が一人、出て来た。

「おや、まだいらっしゃったんですか?」

男はそう言って、アルファ達を見据えた後、

「失礼! この町の住人だとばかり思ったんです。見た所、この町の外部から来た方達のようだ。ご観光ですか?」

そう言った。

「観光っちゅうか、なんちゅうか、旅の者っちゅう事にしとこか」

クラウドがそう言うと、男はニッコリ笑い、

「そうですか。この町はとても美しい花で有名な名所がありますよ、暫く、教会の中で休んでいて下さい。町の者達も、直ぐに戻って来るでしょう」

そう答えた。

「ねー! 町の人達はどこに行っちゃったのー?」

シンが無邪気にそう聞くと、男は優しく微笑みながら、

「うん、ちょっとね」

と、子供に聞かせる話ではないのか、適当な返事をする。

「何か忙しそうだな。俺達は、次の町へ急ぐか」

アルファがそう言うと、

「いえ、町の出入り口となる沼地へは只今通行止めですので通れません。本当に良ければ、教会の中で休んでいて下さい。直ぐに通れるようになりますから」

男はそう言う。

「なんや、町の者は直ぐに戻って来るとか、直ぐに通れるようになるとか、沼地で何かあったんか?」

クラウドがそう尋ねると、 男は苦笑いをし、困った顔をした。そして——

「実は昨日の夜から騒ぎが起きまして。子供が一人、沼地に行ったまま帰って来ないのだと。沼地と言いましても、泥の多い場所で、足場は悪いですが、子供が溺れるような所は何もありません。今朝になって、探しに行った数人の大人達まで戻って来ないと連絡が入り、今、町の者達、全員を、沼地に向かわせたんです。私はなるべく天使の手を借りたくありません。町で起きた事件は町の者達で解決する。それが一番いい事です。ですから、この事は大聖堂にお知らせしていませんので、天使を呼んでいません。ですが、余りにも町の者達が遅すぎるので、私も今から沼地に向かおうとしていた所だったんです——」

アルファ達は、その話を聞き終わった後も、無言のまま男を見ている。

「誰もいなくなりますが、直ぐに戻って来ますので、教会の中で休んでいて下さい」

男はニッコリ笑う。

「——沼地を通りたいんだ。俺達も子供を捜す」

アルファがそう言うと、

「旅の方にそんな——」

と、途中で言葉を呑み込み、アルファの左手首の刺青に目を止め、

「貴方様は、天使様!?」

と、驚きの声を出した。そして、

「何故EIBELL STRAINである天使が旅などを・・・・・・」

と、アルファをジッと見ている。アルファは面倒そうに溜息を吐いた。

「俺は天使じゃない」

「しかし、その刺青は——」

「只の刺青だ。天使じゃない」

男は口をパカーンと開け、呆気にとられた表情をしていたが、

「わ、わかりました。では、旅のお方、よろしければ一緒に子供を探すのを手伝って下さい。私はイーベルの司教をしております。ルビーデと申します。今後お見知りおきを——」

そう言って、アルファに手を差し出した。アルファは手を軽く握り、

「アルファだ。よろしく」

と、好感は全くない口調。

そしてルビーデ司教と共に沼地へと足を踏み入れる。

ドロドロとした浅い沼は足首辺り迄、ズボズボと入り、気持ち悪いものだが、子供達の泥遊び場となるのもわかる。

シンはセイの手を握り、セイはケンを片手で抱き締め、アルファの後ろを付いて行く。

「なんか嫌な臭いがする」

シンが呟く。セイは怯えるように、シンの手を強く握り返し、ケンを強く抱き締める。

その時、ルビーデ司教の足が止まり、

「こ、これは!? 化け物!?」

目の前の光景にそう言った。

黒色のスライム状の物体が、町の人々に絡み付いている。

力を吸い取られているように、人々の動きは鈍く、もがく事さえできない。

「土の化身だ!」

シンが叫んだ。

「土?」

ルビーデ司教はシンを見る。

「古から居た生物。土を豊かな大地にしてくれる生き物だよ。草や木、虫や鳥、いろんな生物が生活する為の土台になってくれて、人を襲ったりなんてしない。大人しくて、土そのものなのに、どうして? 何か変だ——」

「つまり、土の化身とは土の肥やしみたいなものですか?」

ルビーデがそう聞くが、そんな事はどうでもいいとばかりに、セイが、

「でもシン! 土は絶滅寸前なんだよ!」

訴えるように、そう吠えた。シンも頷いた。

「土は汚れ過ぎたんだ。人は土を汚し、綺麗にしようとしても、更に汚し、土自身、綺麗になる事さえできなくなり、そのまま呼吸を止めた。もう過ぎ去った遠い昔に聞いた話だ。それなのに何故今更、化身になって迄・・・・・・あれ? 化身になれる息吐いた土が、どこにあって、土の化身が存在してるんだろう——?」

ふと、シンは、自分の話に首を傾げ出す。

そうこうしている間も、土の化身は人々の身体に巻き付き、絡み付き、人々からみるみる元気がなくなっていっている。

「ねぇ、シン! もしかして生気を奪ってるんじゃない?」

セイの言う通りだろう。人々から生気が失われつつある。

「シン! 土の化身って奴を静めさせる方法はないのか?」

アルファがそう聞くと、シンは困った顔をした。

「そんなのシンに聞かないで! わかんないもん! 土の化身って大人しい筈だもん!」

と、セイが泣き叫んだ。

「な、泣く事ないだろ」

アルファがそう言うが、

「だってだって、土の化身がいるって事は、私達が探してるBreath Globeがあるって事だよ! でもこんなの土の化身じゃないよー!」

と、セイは更に泣き出した。

「Breath Globe?」

ルビーデはまた疑問を口にするが、誰も答えない。

「兎に角! 人々から土の化身を離そう!」

アルファは土の化身を素手で掴んだ。

「セイ、泣いてないで。僕達もアルファを手伝おう!」

シンがそう言っても、セイはシクシク泣くばかり。仕方なく、シンだけで、人に纏わりついている土の化身を離そうとするが、化身はドロドロとし過ぎてて、ブチブチ切れる。

「なんでこんなにドロドロ? 土の化身ってツヤツヤしててツルンってしてて、もっと綺麗な筈——・・・・・・」

シンは自分の手の平に千切れて飛んだ土の化身の欠片を見つめ、呟く。

アルファも手に持った土の化身に妙な感触を知る。

元々、触るのは初めてのものだが、強く握るとズルズルと身が崩れ落ちて、見た目とは裏腹に腐っているような感触に、

「まるで死んだ肉のようだ・・・・・・」

と、アルファは呟いた。

土の化身はアルファ達にも絡みついて来る。

直ぐに引き千切っても、しつこく絡みついて来る。

それでもアルファ達は、人々に絡みつく土の化身を千切っては捨て、千切っては捨て、自分達に絡みつくものも振り払い、人々を助けた。

やがて土の化身は、ゾロゾロと沼地の奥へと向かう。

ルビーデ司教は生気を吸い取られ過ぎ、息を切らしている。

「大丈夫か?」

「ええ、なんとか——」

ルビーデ司教はアルファに、かろうじて頷いて見せる。

「そうか。俺達は土の化身を追い駆ける。セイ、ここは頼んだ」

アルファはセイにそう言うと、沼地の奥へと、シンとクラウドと共に走って行く。

奥へ奥へ入って行くと、広い荒野の真ん中に枯れた木が一本立っている場所に着いた。

その木の上で泣き叫んでいる子供。

「どうやら木に登ったはええが、下りれんようになったんやな」

「ああ。だが子供を助ける前に、土の化身をどうにかしなきゃだな。集って重なって、大きくなって来てるぞ」

アルファの言う通り、スライムのような小さなウニウニ動く土の化身達は集まって一つの大きな固まりになろうとしている。

幾ら集っても、ドロドロした身は変わらない。そして更に、キツイ異臭を放つ。

「シン、もしかして、あの土の化身、腐ってるんじゃないか?」

「・・・・・・アルファもそう思う? 僕もそう思うんだ。誰が見ても、死んでるよね」

「死んどる? 死んどるのに動くんか?」

「死んだら動かないよ。多分、化身が死んだら灰のようなモノになって消えたり、光の粒になって消えたりすると思う。だから多分、あれは・・・・・・消えずに蘇ったんだ・・・・・・多分——」

「多分が多い話やなぁ。つまりわからんっちゅう事やな?」

クラウドがそう聞くと、シンはコクンと頷き、

「死者が蘇るなんて、有り得ない——」

そう呟いた。

今、土の化身が一つになった。

シンの鞭も、土の化身を捕らえる事はできない。

身がズルズルで、どこも縛れないのだ。

クラウドのボウガンの矢など、普通に通り抜けてしまう。

アルファの三日月でさえ、斬っても斬っても斬れない。

何の手応えもないまま、3人は土の化身に絡みつかれ、生気を吸い取られて行く。アルファとクラウドは、跪き、防御体勢をとるが、意味がない。

シンは何故か、生気をとられても平気な顔をしている。

苦しい表情のアルファとクラウドを見て、シンは、下唇を噛み締めた。

このままでは、二人、生気をなくし、死に追い遣る事となる。

太陽を見上げるシン。

——天地神明、自然の摂理を守護する!

シンは土の化身をキッと強い眼差しで見て、

「我の名はシン。神明なる偉大な土の化身よ、我の言の葉に返したまえ——!」

大きな声でそう吠えた。

アルファもクラウドも息を切らせ、そんなシンを見守る他、何もできない。

「我の名はシン! 神明なる偉大な土の化身よ! 我の言の葉に返したまえ!」

再び、力強く、シンがそう吠えると、

 ぐおおおおおおおおおおおお

と、地の底から響く音が鳴った。

『ぐおおおおおおおおおお、我は土の化身なり——』

——返した!

「偉大なる土の化身よ、自然の流れに従い、安らかに光に導かれるまま、還りたまえ。貴方達の大いなる命は、やがて、この地に何かを残し、再び帰って来る日がある筈です」

 ぐおおおおおおおおおおおお

地の底から響く深い深い声——。

『ぐおおおおおおおおおお、この地に帰る日はない。この地は終わる。だから蘇らせたのだろう、我等はかりそめの命を与えられたのだろう、生気を吸い取り、我等はまだ還らぬ。ぐおおおおおおおおおおお、不死なる光が見える——』

シンの顔が凍りついた。

——命を与えられた?

——蘇らせた?

——やはり何者かの手が加えられた事だったか。

シンが始めて見せる怒りの表情。

——どこまで命を弄べば気が済む?

——どこまで自然を狂わせれば気が済む?

——どこまで・・・・・・

シンの顔から怒りがスゥッと消え、哀しい瞳になり、土の化身に語り始めた。

「・・・・・・昔語りを始めましょうか」

シンの暖かい声と瞳に、土の化身はアルファとクラウドに絡みつかせたものを解き、そして、シンだけに縋るように絡みつく。

シンは優しく微笑みながら、手を広げ、快く、自ら全てを受け入れる。

「——永遠に流れ行く水の音を

 ——我等の耳に今も響き残している

 ——幾千の月日超え

 ——標は天地の中あり

 ——また黎明として

 ——我等は絶え間なく繰り返す

 ——呼吸を・・・・・・」

シンは土の化身を優しく見つめる。

「昔語りは忘れてしまいましたか——?」

 ぐおおおおおおおおおお

地の底から鳴る声が、泣いているように聞こえる。

「蘇る事など、考えてはいけない。死とは最大の幸福だと言います。生とは最大の不幸だと言います。不幸の中、小さな幸せを見つける事、それが生きると言う事。貴方は充分に生き、この地に何かを残した筈。もう幸福に身を預けましょう。いつかまた、生きる試練が来るでしょう。その時迄、安らかに幸福の中、眠りにつき、身を休ませるのです。巡り逢う日を信じましょう」

シンは絡み付かれているモノの間から腕を出し、空を指差した。

アルファもクラウドも、シンが指差す空を見上げる。

「見よ! 太陽が輝いている!」

シンの差す太陽は眩しいくらい輝き、この地に光を注いでいる。

 ぐおおおおおおおおお

土の化身は声を上げ、シンを解き放ち、太陽へと向かって、伸びて行く。

伸びて、伸びて、途中で、サラサラと灰に変わり、地に土の化身の粉が降り注いだ。

「太陽が輝いている限り、僕達はこの地を見離さない。そうでしょう?」

シンのその囁きは、土の化身への贈る言葉。

土の化身が全て灰になったのと同時に、シンは、ホゥッと安堵の溜息を吐いた。

「・・・・・・シン、お前、一体、何者や?」

クラウドがシンを驚愕の表情で見る。

「へへッ」

シンは子供っぽく笑い、頭を掻いて、誤魔化しているようだ。

アルファは、シンに何も聞かない。

まるで何もなかったかのように、木の上で泣いている子供を助け出している。

そんなアルファに、クラウドも、シンに何かを思うのも、言うのも、やめた。

そう、シンは何も悪い事をした訳ではない。

問い詰める必要はない。

いつか、話してくれるなら、その時まで待てばいい。

ずっと、話したくないのなら、聞く必要もない。

アルファはまだ泣いている子供を肩に乗せ、シンの頭をクシャッと撫でた。

アルファを見上げるシン。

不器用に少し笑って見せるアルファに、シンはパァッと明るく笑い返す。

『頑張ったな』そう言っているアルファの顔。

言葉に出さなくても、アルファの表情でシンに伝わる気持ち。

一緒に笑い合うクラウド。

人間も悪くないと、シンは思う——。

ケレリスに戻ると、人々は子供の無事と、皆の無事に心から喜びの声を上げ、アルファに祈り始めた。

ルビーデ司教がアルファに握手を求める。

「うんざりだ」

アルファはルビーデ司教の手を弾き、そう言って、更に、

「俺は何もしていない。本当に今回は何もしていない! 祈られても困る! 俺は天使じゃないと言った筈だ!」

そう吠えた。ザワザワと不安気な顔で人々は騒ぎ出す。

「——そうでしたね」

ルビーデ司教は、そう頷くと、人々に話し出す。

「皆様、ここにおられる方は天使ではありません。旅の方です」

ハッキリと皆にそう言うルビーデ司教に、人々もアルファも驚く。

「彼等は旅の途中、この町に立ち寄り、我々の為に、共に命を賭け、戦ってくれた勇敢な旅人です。私達も彼等のように勇敢な心を持ち、困っている人を助けてあげられるような人になりましょう。さすれば、神の力に頼らずとも、生きていけるでしょう。我々は助け合い、共に手を取り合い、生きていくべきです。彼等のように——」

そして、ルビーデ司教はアルファ達を見て、

「勇敢な旅人に拍手を!」

そう言って、手を叩いた。すると、人々は皆、アルファ達に拍手を送った。

ルビーデ司教はアルファに、

「誰もが貴方達のように強くはない。神を信じる事で強くいようとしている。それだけはわかってほしい」

と、再び、手を差し出して来た。アルファは少し途惑ったが、その手を握った。

人々から更に拍手が送られる。

「今夜は教会で休んで下さい。急がれる旅でないのなら、いつまでも、ゆっくりとして行って下さい」

「いや、明日には退つ」

「そうですか。では今夜は御馳走を用意します。今迄の旅の話など、聞かせてくれますか? さぁ、教会へどうぞ!」

ルビーデ司教は教会の方へ歩いて行く。その背を見て、

「——あの人、いい人だな」

アルファがそう呟いた。

「そうやなぁ。でも見た目がな、あんまり好きやない」

クラウドが、そう答える。

「外見で人を判断するなよ」

「あほ。名は体を表す、服装で品性は決まる言うてな。外見は人を判断する材料なんや」

「クラウドはいちいち理屈っぽいんだな」

「アルファは騙されやすいんや」

アルファとクラウドが、そう話してる間に、シンとセイは、ルビーデ司教の後について、教会の中へと先に入って行った。

あんまりアルファとクラウドが遅かったのか、

「何してるんですか? 遠慮はいりませんよ?」

と、ルビーデ司教が教会から出て来た。

招かれるまま、アルファ達は、教会の中へと招待された——。

礼拝堂より、奥の部屋へ通され、大きなテーブルに食事が用意される。

「御馳走と言いましても、大した物はありませんが、我々に出来る精一杯の持て成しをしますので、どうぞ、お座りになって下さい」

確かにテーブルの上に並んだ料理は大した物ではない。

町の人々が普段、口にする物と何も変わらず貧相だ。

「教会の奴等って、もっとええもん食うとるんかと思うとった」

思わず、そう言ったクラウドに、ルビーデ司教は愉快そうに声を出して笑った。

「期待外れの御招待でしたか?」

笑いながら、そう言うルビーデ司教に、

「まいったなぁ」

と、クラウドは苦笑いしながら、頭を掻いた。

「人々の願いの詰まった大切な寄付は、我々が裕福になる為に使うものではありません。それに我々は、寄付を我々の為だけに受け取ったりはしません。寄付は町の発展など、人々の為に使われます。世界崩壊後、平和な地を造り上げたいのは皆同じ。そして貧しいのも皆同じ。大切な金を神に使う必要などありません。皆の為に使えば良い。私はイーベルの司教をしておりますが、一人の人間です。司教として崇められても、私には、私に出来る限りの事しか、してあげれない。ですから、貴方が天使ではないと言った気持ちがよくわかる。貴方は貴方が出来る事しか、してあげる事はできない。それを崇められても、何もできない時は何もできない。そうでしょう?」

「・・・・・・あぁ」

アルファが頷くと、ルビーデ司教はニッコリ微笑み、

「金を幾ら積まれても、私も出来る事しか出来ません。ですから、金は極力受け取らず、受け取るにしても、我々の為ではなく、皆の為に使っているのです」

と、言った。そして、

「そして、それは神と崇められているイーベル様も同じ事。神も出来る事しか、してはくれません」

そう言った。

ルビーデ司教は椅子に座り、ティーを飲み始める。

アルファ達も、腰を下ろし、料理を口に運び出した。

シンとセイは、余程、喉がカラカラだったのだろう、水をゴクゴクと音を鳴らし、飲んでいる。

こうして、何かをした後、食事を食べていると、シェアト達の事を思い出す。

「ところで、何故、旅を——?」

ルビーデ司教はアルファを見る。

「旅と言うか、大聖堂へ行くんだ」

「大聖堂へ?」

「あぁ。そこに俺に似たEIBELL STRAINがいる。いや、ソイツに逢いたい訳じゃない。ソイツと一緒にいるだろう女に——」

——俺はスピカに逢いたいのだろうか?

ふと、アルファは考え出す。そして、

「いや、俺は神に逢って問いたいんだ。だから大聖堂へ行くんだ」

そう答えた。

「神に問う? 何を問うのでしょうか?」

「正義とは何かを」

「正義?」

「ああ。正義を守りたいと言った奴がいるんだ。最近だけど、俺はソイツに何かしてやりたいんだってわかったんだ。だから俺は神に問いたいんだ。正義とは何か。そして守りたいと言った奴の為に、守りたいんだ」

「——愛ですね」

「愛?」

「愛には様々な形があります、例え、一緒になれなくとも、その人の為に何かをしたいと思う事は愛です」

「・・・・・・愛?」

アルファは愛なのか?と考え込む。

「いえ、愛じゃないのかもしれません。貴方は、やはり天使なのでしょう。だから正義という言葉に反応したのでしょう。貴方は天使として神の元へ戻るべきです。何故ならば、天使とは、神の正当なる正義を護り、悪を断罪する、善なる任務を持つ者の事です。それは正義なのです。正義とは何か、それは神の為に悪を倒し、善を防衛する事です」

「・・・・・・天使は正義?」

「そうですよ。天使とは律法を守護し、行う者。それは善であり、正義です」

ルビーデ司教は、そう言うと、アルファに微笑んで見せた。

「律法って何?」

シンが、セイにそう聞いた。

「馬鹿ね、シン。律法って言うのはね、掟よ、掟!」

セイがそう答え、ね?と言う風にケンを見て、動かないケンの頭を自分で頷かせた。

「そっかぁ。掟かぁ。掟は誰が決めるの?」

シンが再び、そう尋ねる。

「馬鹿ね、シン。掟を決めるのは——・・・・・・」

セイは、わからず、

「いいのよ、そんなの、誰が決めても!」

と、いい加減な事を言い出した。

「神ですよ」

ルビーデ司教が、ニッコリ笑い、シンに答えた。

「神が掟を決めるの?」

「そうですよ」

「神が正義だって、誰が決めるの?」

「え?」

ルビーデ司教はシンの問いに、途惑う。

「神が正義だって、誰が決めるの?」

「それは・・・・・・我々です・・・・・・」

「ふーん。じゃあ、神が正義じゃないって思う人がいたら?」

「え?」

再び、ルビーデ司教はシンの問いに、困る。

「結局、神を善だとか、正義だとか、一方的って事になるよね? 天地にあるあらゆる物事自体に真実の善悪なんてあるのかな? 今、僕がここにいる事、僕のまわりで流れる全ての時間が、僕や大体のみんなが善だと思ったとしても、悪だと思う者だって、いなくはないと思う。あくまでも人間の目から見て、人間の言う神が、善って決めているなら、それは大きな視野から見て、悪かもしれないよね?」

シンがそう言うと、セイまで勢いづいたように言い出した。

「大体、人間の知恵が、どれ程、禁断の領域に入って来てると思ってるのよ? 人間さえ良ければ、それは善なの? 正義なの? 人間にとって善でも、他の生物にとったら悪かもしれないって、どうして頭いいなら考えないのかしら? 呼吸してるのは人間だけじゃないんだから!」

ルビーデ司教は何も言い返せず、

「参りました、いやぁ、私の完敗です。とても頭の良い優しい両親に育てられたんだろうね、キミ達は。確かに、この世界に生きているのは人間だけではない。私は常にそう思って、いろんな生物に興味を持っていた筈なのに、傲慢な答えしかできなかった。確かに正義とは何か、それを問い、答えれるのは神だけでしょう。私ではない。すまない事をした」

と、苦笑いをした。そして、

「では、次に、私の問いに答えてほしいのですが、土の化身でしたっけ? あれはどうなりましたか?」

「僕が眠りにつかせたよ」

シンがそう答えた。

「・・・・・・キミの名前は?」

「僕はシン」

シンは無邪気に答える。すると、

「私はセイ! この子はケン!」

と、元気にセイも答えた。

シスターが、シンとセイの空になったコップに水を注ぐ。

再びゴクゴクと飲み始める二人。

「お前等、ちゃんと食うとるか? さっきから水ばっかし飲んでないか?」

クラウドがそう言うと、二人共、

「大丈夫だよ」

と、また水を飲み始める。

「子供は水分補給が大事なんですよ、体が欲しているんでしょう。それより、シン君、眠りにつかせたって?」

ルビーデ司教は興味津々のようだ。

確かに、土の化身など、見た事がない為、気になるのは当たり前だ。

また現れた時の為に、どう対処すればいいか、聞いておきたいと言うのもあるだろう。

「僕の言葉に返してくれたから、後は自然の摂理を思い出してもらって、それに従ってもらっただけ。何もしてないって言えば、何もしてないんだよ。只、話してわかってもらっただけだから」

「言葉に返してくれたって言っても、言葉とは音声によって、思想、感情、意思を相手に伝える事ですよ。土の化身がシン君の言葉を理解したんですか?」

「うん」

「単なる言葉では、そうはいかない筈。シン君の言葉には言霊のようなものが宿っているのでしょうか? それとも、そういう能力を持っているのでしょうか?」

「知らない」

シンは、よくわからないやと言う風に、あっけらかんと、そう答え、水を飲んでいる。

「不思議な人ですね、シン君は——」

その時、神父がルビーデ司教の傍へ来て、ぺコリと頭を下げると、耳元で何かボソボソと話した後、またぺコリと頭を下げ、行ってしまった。

「——すいません、私は大聖堂へ戻らなければならなくなりました。もっとお話をしたかったのですが、またいつか、御逢いできた時にでも」

ルビーデ司教は、頭を深く下げると、そう言った。

「大聖堂へ行くんやったら、俺等も連れて行ってくれへん? ええやんなぁ? アルファ?」

クラウドは無茶を言い出す。

「そうしたいのですが、大聖堂はイーベルの関係者の者が、関係者以外を勝手な私情で、連れて行く事を禁じられています。幻と言われるヘブングランド。自力で辿り着いた者は神の祝福を受け、聖職の資格を得られる筈ですから、頑張って下さい。夢でも幻でもなく、必ず、大聖堂はありますから——」

夢でも幻でもなく、存在する事はわかっている。

一度は辿り着いているのだから。

「では、ごゆるりと——」

ルビーデ司教は、そう言うと、再び頭を深く下げ、行ってしまった。

その夜は、食事を終えた後、アルファ達は教会の礼拝堂で体を休めた。

次の日、沼地を抜け、またあの森へ入り、そしてまた迷っていた。

水の音を探すように歩き続けている中、シンが足を止め、樹々を見上げている。

「どうかしたか?」

アルファがシンに聞くと、

「森が消える——」

シンは真剣な顔で、樹々を見上げたまま、そう言った。

「ここもまた呼吸を止め、死んだ荒野になってしまうのね」

セイも樹々を見上げ、呟く。

シンは顔を下げ、樹々の根がはっている大地を見て、哀しそうな目をする。

「美しい大地だったんだろうね。この呼吸する地で、何年も、何十年も、何百年も、何千年も、命を育んできた立派な森。木の枝は天を支え、小鳥達を住まわせ、風に鳴り、無口でいながら、絶え間なく水の音を響かせる。折角、ここまで続いた命を、汚れた空気、汚れた水、汚れた土、汚物となったこの星で、生態を変える事なく、呼吸を止めていく生命達。黙って大人しく消え行く命の大切さに気付いた時には、もう遅いのに——」

シンの言葉は、どうしてこんなに儚く、でも力強く心に訴えて来るのだろう。

「なぁ? この森が消えて、荒野になって、ほんで、どうなるんかな?」

クラウドの素朴な疑問。

「砂漠になるんじゃない? 命なんて生まれない砂漠に。それでも芽生える命が生まれる時はまた来るかもしれないわ。太陽が輝き、砂地に生まれた小さな命があるとしたら、それを絶対に死なせちゃいけない。そう思わない?」

クラウドに、そう答え、聞き返すセイは少し大人っぽく見える。

「不思議な少年と少女をつれとるのぉ」

そう言って現れたコル・ヒドレ。

再び、アルファの前に現れた、それこそ不思議な老人。

「仲間が変わっとるなぁ。元気な娘さんはどうしたんじゃ?」

「・・・・・・今は違う奴と一緒にいる」

「おや、ふられたのか?」

「・・・・・・それより、森の抜け道、教えてくれ」

コルはアルファに笑顔で頷いた。

スタスタと歩いて行くコルに、アルファ達は遅れないよう、ついて行く。

「ところで少年、森が消えると言っておったが、この森は死んだのか?」

コルは背を向けたまま、そう聞いて来たので、僕に聞いてるの?という風にシンはアルファを見上げるが、アルファは、そうだろ?と言う風に、首を傾げるので、シンは苦笑いしながら、

「まだ呼吸してるよ。微かにだけど。でももうすぐ止める。止める準備してる。止めなきゃ、きっと暴走するから」

と、答えた。

「暴走じゃと?」

「殺される事に抵抗するのは当たり前でしょ? 人間は殺されるのをわかってて、抵抗しないの? 暴れないの? 何の罪もなく、みんなの為に、呼吸をしていたつもりだったのに、なのに殺されるなら、殺される前に、暴れて、抵抗してやろうって思わない? チャンスがあれば、土だって人を襲うわ。そうよね? アルファ、クラウド?」

セイの言う通り、土の化身に出会い、アルファとクラウドは生気を吸い取られたのだから、襲うだろうと確信できる。

「でもね、そんなチャンス、滅多にないよ。だから大人しく呼吸を止めるんだ。何も悪い事をしていないなら、呼吸を止める事も怖くないと昔語りを祈りながら——」

シンがそう言うと、コルは振り向いて、チラッとシンを見た。そして、

「この森は一度、騒がしいてのぉ、だが、途端、酷く静かになった。騒がしく感じたのは、暴走したい気持ちを落ち着かせておる己達の心の葛藤じゃったのかもしれんのぉ。ところで、少年、少女よ、お主等は何者じゃ?」

と、当たり前だが、気になっている質問をコルはストレートにぶつける。

その質問に、皆、足が止まった。コルも振り向いて、シンとセイをジッと見つめる。

「お主等の言う通り、生きとし生きる者には心がある。例え動かぬように見える木にも、暴走したい気持ちがあると言うのならば、それを感じる事ができなくはない。なのに、わしはお主等から、ソレを感じられぬ。つまり、お主等には実態感が全く無い。ここに存在しながら、心はどこか別の場所にあるようじゃ。いや、逆かもしれんな。心はここにあるが、実態はここにはない。そう感じるのは、老いぼれたわしの気の違いじゃと思うか?」

アルファとクラウドは、シンとセイをじっと見つめる。

コルの視線にも、堪えれなくなったのか、セイは不安そうに、シンの手をぎゅっと握り、ケンを強く抱き締めた。

だが、シンは真っ直ぐな瞳で、皆を見つめ返す。

「・・・・・・いいじゃないか。何者でも」

アルファがそう言うと、コルとクラウドは、シンから目を離し、アルファを見た。

アルファとシンは見つめ合っている。

「気にならないと言えば嘘になる。だけど、お前達に出会った時から、おかしな奴等だってわかっていた事だ。今更、それを問い詰める必要はない。俺はお前達の事、結構、気に入ってるからな。だからいいんだ。お前達が何者でも、俺はお前達を嫌いになる事はない。それだけだ。さぁ、早く森を抜けよう」

アルファが、歩き出すと、コルもクラウドも、何も言わず、歩き始めた。

シンとセイは、二人見つめ合う。

そしてクスッと笑い、アルファに駆け寄り、アルファの左側にシン、右側にセイと、アルファを挟んで、嬉しそうにアルファの腕にぶら下がり、

「僕もアルファの事、気に入ってるよ! アルファが何者でも大好きだよ!」

「私もー! ケンもー! アルファ、だーい好き!」

と、子供のように、はしゃいでいる。

「わかったから離れろ! 懐くな! お、おい! やめろって!」

明らかに、照れているアルファに、クラウドは腹を抱え笑う。

「・・・・・・お主に心を感じるのは、やはりわしの気の違いかもしれん」

と、コルは、アルファを見て、意味深に独り言で呟く。

そして森を抜け、またコルと別れ、ヘレーの町へとやって来た。

しかしシップは出航してくれない。

やはり、あの時、大聖堂まで乗せてくれたのは、運が良かったのではなく、何者かの仕業だったように思える。

——オメガ・・・・・・。

——アイツが俺達を、いやスピカを大聖堂へ招く為に?

そうとしか思えない。

だとしたら、もう大聖堂へ向かう術がなくなってしまった。

アルファはガックリと肩を落とし、その場に座り込む。

ルートを失えば、次に何をしていいのかさえ、失ったも同然。

『シンバ』

屈託のない笑みを漏らし、アルファの目蓋の向こうにスピカが見える。

しかし、その笑みは、シンバに向けられたもの——。

アルファに向けられた笑顔ではない。

体の骨がボロボロと崩れて行く虚しさを感じ、目蓋に映るスピカさえ、真っ白な闇に消えて行く。

目眩と吐き気——。

疲れ果て、疲労がドブに溜まったゴミのように体内に堆積している事に、今更、気付く。

そんなアルファの前に、派手な衣装の男が、一人立つ——。

人々は、その男をモーデン大司教と呼んで、祈っている。

座り込んだまま、動こうとはしないアルファを見下し、モーデン大司教は、

「シンバ・アルファ——」

低めの声で、そう呼んだ。

アルファはゆっくりと顔を上げ、モーデン大司教を見上げる。

残忍に笑いながら、アルファの顔にスプレーをかけるモーデン大司教。

アルファは簡単にコテンと眠りについた。

それは誰から見ても善とは思えぬ手段だが、モーデン大司教のする事に、誰も悪とは思わない。

「何さらしとんじゃーーーー!!!! 離せコラァ!!!!」

EIBELL STRAINと神の使徒達に押さえつけられるクラウドとシンとセイ。

どうして捕らわれるのか、何が起こっているのか、何もわからないが、町の人々の目に映るものは、悪が善に裁かれる、その時——。

モーデン大司教はアルファを担ぎ、町から何もなかったように出て行く。

「アルファーーーーーーッ!!!!!!」

クラウド、シン、セイの、アルファを呼ぶ、叫び声が、人々の祈りに掻き消された——。

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