3. Ground of far God ~聖地~
シェアトの言う秘密本部に戻って来た。
椅子を重ね合わせ、シェアトを寝かせ、スピカは手当てを始めた。
アルファは三体の死体を外に埋め、戻ると、包帯がシェアトではなく、スピカ自身に巻かれ、絡まり、スピカは包帯と悪戦苦闘中。思わず、ハッと笑ってしまうアルファ。
「面白ぇ女。剣の扱いは器用なのにな。そういうのは不器用なんだな」
アルファは、スピカに巻かれた包帯を巻き取り始めた。
「なぁ、アルファ」
スピカにそう呼ばれ、アルファの眉がピクリと不機嫌に動いた。
「また逢おうって、シンバ、アルファにそう言うたよなぁ?」
アルファは無言で包帯を巻き取っている。
「また、逢うん?」
「・・・・・・知らねぇよ」
「なんか怒っとる?」
「怒ってねぇよ。只、俺をシンバだと言ったのはお前だろ。それを何で今更アルファと呼ぶんだよ」
スピカは困ったように俯く。
「シンバは俺だ」
「でも、向こうもシンバや言うとった。まさか双子やなんて知らんかったんや。でもなんで同じネームなんやろ? セカンドが違うならわかるんやけど」
——双子?
——俺達は双子なのか?
「うちの知っとるシンバはどっちなんやろ」
「・・・・・・さぁな」
「あっちのシンバはうちの事、知っとったし。もう一度、逢えるやろか」
「・・・・・・さぁな」
アルファが包帯を巻き取り終えると、
「う・・・・・・うう・・・・・・」
と、シェアトが目を覚ました。
「大丈夫か?」
そう言ったアルファに、シェアトはビクつく。
「心配するな。俺はアルファの方だ」
「そ、そうか。アルドラやウェズン、アダラは無事か?」
首を振るアルファを見て、シェアトは目を閉じ、声を殺し、涙を流し始めた。
「・・・・・・何泣いとんねん。死体なんて見慣れとるやろ。世界崩壊の時に死体は山のようにあったしな」
冷たい口調でそう言ったスピカに、シェアトは何も言い返さず、声を殺しながら泣く。
「泣くくらいなら爆弾なんか仕掛けんなや! アンタだけちゃうんやで! 誰かが死んだら、誰だって悲しいやろ! 家族、友達、知人、死んだら悲しいんや! 幾ら死体を見慣れてても、命は、いつかは死ぬもんやとわかっとっても、悲しいんや! アンタはそういう、誰かが悲しむ事をやってたんや。人が死ぬんは悲しい。シンバが・・・・・・シンバ・オメガって人が、アンタに教えてくれたんや。仲間失って、自分のバカさ加減に気付いたやろ。もうこれで馬鹿な真似はやめとき。シンバ・オメガに感謝しぃや!」
「あんな奴に感謝できる訳ないだろ」
「ハァ? アンタ、自分と同じ顔の奴に、あんな奴ってどういう事!? まぁ、うちの事は悪う言うてもええよ。でもシンバの事、悪う言うんはやめてくれん? 同じ顔言うても愛想の欠片もないアンタとは全く違うけどな」
「男の癖にヘラヘラ笑えるかよ」
「女やったら笑えるんか! だったら性転換して少しでも愛想良く笑ってみ? うちも、そんなアンタに腹かかえて笑ったるわ!」
「女だったら、誰かと違って、女らしくするさ」
「なんやとぉーーーー!? 誰かって誰の事やーーーー!?」
スピカが吠えた瞬間、シェアトが、立ち上がり、斧で、長椅子を、怒りに任せ、壊し始めた。
アルファもスピカも黙り込む。
シェアトは仲間が死んだ事に、悲しみよりも怒りを感じていた。
そして何より、自分だけが生きている事に、怒りより、悲しみを感じていた。
「シェアト、俺に教えてほしいんだ。EIBELL STRAINとは何なんだ? オメガって奴も左手首に刺青があった。EIBELL STRAINとは、シェアト達が潰す教会の何なんだ? シェアトは何故、教会を潰す? 俺がEIBELL STRAINなら、教会で何をする奴だったんだ?」
シェアトは、自分の斧の手を見つめた——。
「10年も昔の話だ。25の時、結婚して、妻と二人、小さな村で暮らしていた。俺は樵をしていて、貧しかったけども、幸せだった。やがて妻の腹の中に、子がいる事を知った。そして、もう生まれるかと言う時に、妻が馬車にはねられた——。
そんな時ばかり、俺は神を信じ、都合が良すぎるかもしれないが、それでも俺は神に祈る事しかできなかった。
その時、神々の中で、俺が信じた神がイーベルだったんだ。
神父は寄付を求めて来たが、貧しい俺に出せる金は知れている。だから俺は自分の手を売って、金を集めた。世の中には変わった趣味の奴がいる。手だの、足だの、目玉だの、そういうのをコレクションしてる奴がいて、俺の大きな手は、それなりの額で売れた。
だが、俺の右手の額だけでは神父は難しいと言った。その言葉は真実だった。
妻は助からなかった——。
願いは神に充分には届かなかったが、子供だけは助かった。
右手を失った誠意が、本の少しだが、神に届いたのだろうと、神父は言った。
俺はもっと誠意を見せなければならない。妻と右手を失っても、大切な子供だけは失う訳にはいかねぇと、稼いだ金は全て教会へ寄付し、毎日、神を祈り、信じていた。
妻が残してくれた子供が、今、生きている。それだけで俺は救われていた。
救われていた気でいたんだ——。
子供も大きくなり、幸せだと思っていた、そんなある日、子供が俺に『こんな貧乏なら生まれて来なきゃ良かった』そう言ったんだ。
俺は自分だけが救われた気持ちでいた為に、子供の気持ちなんて考えてもなかった。
自分の子供なのに、美味い物一つも食わせてやれなくて、綺麗な服さえも与えてやれず、楽しい所にも連れて行ってやった事がなかった。ましてや、俺は働いて働いて、その金を教会に寄付し続け、子供とちゃんと会話さえした事がなかった。生きていても、何にもない、死んだような生活を送らせていたんだ。でもよぉ、俺は馬鹿だからよぉ、生きているだけマシと思えと、教会への寄付はやめなかった。それなのに流星雨の時に、俺の大切な子供が・・・・・・」
シェアトは涙を堪え、長い話の途中、息を止めた。
シンとする間——。
少しすると、シェアトは大きく息を吸い、また話し出した。
「子供を失って、気付いたんだ。俺は子供の顔が全く思い出せないんだ。どんな顔で笑っていたのか、泣いていたのか、全く思い出せない。それだけじゃない。なんて呼んでいたかさえ、わからないんだ。名前さえ、呼んでやる事のないまま、俺は神に祈る事に必死だったんだ・・・・・・。
あんなに愛して止まない筈だったのに、俺の愛はどこで歪んだんだ?
神に何を祈っていたんだ?
あれだけ毎日、祈り、信じ、全てを捧げたのに、何故だ?
何故、流星雨で、全て崩壊した世界で、教会だけが残る?
神が守ったと言うならば、何故、俺の子供は守ってはくれなかった?
流星雨から5年。教会のまわりだけに家が建ち、教会を中心として、町などが出来て行き、集った集落は化け物避けと言って、塀やコンクリなどで囲いがされ、人が住み易い場所に発展していったが、どんな世になろうとも、俺は二度と神なんて信じねぇ!」
シェアトは怒り震えながら、涙を流す。
スピカも俯いた。
「アルファ、悪いがEIBELL STRAINについては、誰もが知っている『神が生み出した化け物と戦える者』と言う事しかわからねぇ。イーベルが今も崇められているのは、この地でのさばる化け物と戦えるEIBELL STRAINがいるからだ。神の使徒と呼ばれる輩は教会を守る役目をしている。俺達のような反乱者が他にもいるって事だろう。神の使徒くらいなら俺でも充分だが、EIBELL STRAINは俺達人間が敵う相手じゃねぇ。どんな鍛錬を受けてきやがったのか知りてぇくらいだ。現に体の大きな、この俺が、アルファ、お前には敵わないだろう。体の小さなアルファに、何分とかからず、いや、数秒で俺は殺されてしまうだろう」
オメガが『確かにお前は資質がある。素質もある。オレはソレに加えて、鍛錬があるんだよ』そう言っていた事を思い出す。
「でも幾ら鍛錬積んでも、そんな差が出る程、強うなるもんなん?」
スピカはそう言って、EIBELL STRAINだったであろうアルファを見て、首を傾げる。
「神が生み出した天使だとも言われている。それ以上はもう何もわからねぇ」
——天使?
「アルファの左手首にある刺青、それがEIBELL STRAINの証だ。アルファがフラフラしながら歩いている所を、俺が声をかけた。記憶喪失だと知り、聞けば、ろくな飯を食っていないと言うじゃないか。飯を食わせてやる代わり、俺達と手を組もうと言って、アルファのEIBELL STRAINである強さを使わせてもらったんだ。だが、たった一人の天使が味方した所で、やはり神には勝てないんだ」
シェアトは大きな体を震わせ、
「みんな、死んでしまった。同じ悔いや悲しみ、怒りを持った同胞だったのに、神に逆らったばかりに! ろくな死に方はさせてくれねぇだろうと覚悟はしていたが、俺のまわりにいる者達が消え、俺だけが残るのは、どんな苦しみより、辛れぇなぁ」
と、怯えるように、頭を抱え出した。
「矛盾してるな。神は信じないんだろ?」
そう言ったアルファに、
「意地悪やな、アンタも」
と、スピカが言った。シェアトは頭を抱えたまま、俯くしか出来ない。
「大体、やる事がいちいち小賢しいんだよ。教会なんて潰してどうなる? どうせやるなら、お前から全て奪った神を潰せ」
「また偉い大きい出たな」
スピカはアルファに突っ込む。
「俺は別に神に興味はない。俺自身なんなのか、知りたくもない。だが、俺に似たオメガが何者なのか、それは知りたい。だが、わからないなら、それでもいいと思う気持ちもある。俺には俺の生き方がある。顔が似ているからと言って、同じ生き方じゃなければいけない訳でもないだろうからな。只——」
「只なんや?」
「正義ってなんだろう?」
「は?」
スピカはアルファの疑問に、首を傾げる。そんなスピカを見て、
「俺は正義を知りたい。神ならわかるだろうか——?」
そう尋ねた。スピカは、更に首を傾げ、
「でも、そんなん知って、どうする気なん?」
と、聞いてみた。
「守るよ、正義を——」
アルファはそう言うと、外へ出て行く。
「正義守るて、アルファ、なんで行き成り、そう思ったんやろ?」
スピカは、シェアトに聞いてみるが、シェアトは出て行ったアルファを追いかけようと、
「アルファ、待て! 俺も! 俺も行くぞ!」
と、重傷の体を引き摺るように、動き出す。
「どこ行くんよ? アルファどこ行ったん?」
「神に会いに行ったんだよ! 話聞いてなかったのか?」
「え? そうなん? どこでそんな話になったん?」
「俺に言っただろ、神を潰せと! そしてアイツ自身、神にならわかるだろうかって神に会いに行こうとしてるだろ!」
「え? で、もう会いに行くん? うっそぉ、そうなん? 待ってよ、アルファーーーー! うちも一緒に行くーーーー!!!! もう一回シンバに逢いたいねーーーーん!!!!」
スピカはアルファを追いかけ、外へ飛び出して行く。
「ま、待て! 俺も行くから!」
シェアトも、重い体で追いかける。
南にある森を抜け、町を探し、その町の教会で神の情報を得る。
地図を手に入れるにはヘーラに行かなければならないが、勿論、ヘーラに戻れる訳がない。
森も迷いやすい為、地図は必要だが、森は勘で抜けると言い切ったアルファ。
だが、もう2日も森の中で彷徨っていた。
何を頼りに進んで行けばいいのか——。
光は木漏れ日だけ。足元は芝ばかり。ずっと同じ景色を目にしている気がする。
木に傷をつけ、目印をつけようとすると、
「木が可哀相やろ! 植物は大事にしぃや!」
と、スピカが訳のわからない事を言う。
上を見ても、木々ばかりで太陽の位置さえ確認できない。
東、西、南、北、どの方向へ進んでいるのか、道もないし、全く見当がつかない。
「アルファ、おしっこ」
スピカは笑いながら、そう言って、頭を掻いた。
「お前、さっきから何回目なんだよ!?」
シェアトがスピカを睨む。
「しゃあないやんか! この森、日陰ばっかりで寒いねん! おしっこも溜まるっちゅうねん!」
「待っててやるから、早く行って来い」
アルファがそう言うと、スピカは頷いて、木の裏の奥へと走って行った。
「寒い格好してるからだろ、全く!」
そう呟いたシェアトの腹が鳴った。
「喋ると余計腹減るから黙ってろ。そうじゃなくても、その体じゃぁ歩くだけで大変だろ」
シェアトは頷いて、その場に座り込む。
「アルファ! アルファ!」
スピカが戻って来た。
「おしっこしてて見つけたんや! トカゲ! 丸焼きにしたら喰えるんちゃう?」
スピカの手の中で動くトカゲ。
「・・・・・・それは可哀相じゃないのか?」
「腹減っとるうちは、もっと可哀相やで? 弱肉強食って知っとるやろ? 生きる為なんや」
「あのさぁ、生きる為なら木に傷をつけるくらい、木は大丈夫だろ? そうやって進んだ方が早く森から抜けれるだろ。もう少し可哀相っていう意味、考えろよ。それに普通トカゲか? 女なら木の実とかキノコとか、そういうの見つけて来るだろ。全く・・・・・・」
面白ぇ女だなと、それは口に出さず、アルファは、自分の着ていた上着を脱いで、スピカに投げた。
「な、なんやねん!」
「寒いなら着てろ。トカゲは逃がしてやれ」
「アルファは寒くないん?」
「俺より、トカゲの心配してやれ」
スピカは手の中で、もがいているトカゲを見て、そっと地に置いた。
トカゲはその場から急いで逃げて行く。
「良かったな、アルファに助けられてんで?」
トカゲにそう囁き、バイバイと手を振るスピカ。
ふと見ると、座り込んでいるシェアトに、何か話しをしているアルファ。
今、左手で髪を撫であげるアルファに、スピカの鼓動は熱くなる。
アルファの上着をぎゅっと握り締め、今の自分の複雑な呼吸に途惑う。
アルファがスピカに振り向くと、ハッとして、慌てながらアルファの上着を着て、
「うわっ! 汗くさっ! くっさー!!」
と、態と意地悪なセリフが口を吐いた。
「人の親切を踏みにじる事言ってんじゃねぇよ。可愛げない文句は聞ける気分じゃない、黙ってろ」
道に迷い、苛ついているアルファは、ついキツいセリフを言ってしまう。
スピカは不貞腐り、アルファを睨む。
「なら、可愛げある文句やったら聞き入れてくれるんやな? 『うちぃ、もぉ歩かれへぇん、アルファ、だっこぉ』ほぅら、めっちゃ可愛いで? どないなんや?」
どこが可愛いのか、サッパリわからないが、口の減らないスピカにアルファの眉はピクピク動く。
シェアトは座り込んだまま、一人、休んでいる。
「大体、女を二日間も飲まず食わずで歩かせるかぁ? それが男のする事かぁ? しかもこんな汗臭い上着を——」
アルファは怒りを堪えきれず、とうとう、頂点を越した。眉が大きくピクリと動いたかと思うと、突然、スピカを、所謂、お姫様ダッコで、抱き上げた。
「急に何さらすねーーーーん!!!!」
「これで文句ねぇだろ!」
スピカを抱き上げたまま、ズンズンと進み出す。
「あほーーーーっ!!!! 下ろさんかーーーーいっ!!!!」
「優しいな、重いから気を使ってくれてるんだろ?」
「なんやとーーーーっ!?」
「図星なのか?」
「やかましーーーーいっ!!!! ええから下ろせぇーーーー!!!!」
アルファとスピカの二人を見て、一番、体力消耗していないのは自分だと思うシェアト。そして、よっこらせと、重い体を立ち上がらせ、シェアトもまた森の奥へと進む。
「おろせぇーーーー!!!!」
アルファの動きが止まる。
「はよおろさんかーーーーい!!!!」
「静かにしろ」
「ほなら下ろせや!」
「・・・・・・水だ」
「なんやて?」
「水の音が聞こえる。こっちだ」
「あほーーーーっ!!!! 下ろしてから進めぇ!!!!」
アルファは自分の耳に流れ込んで来る水の音を信じ、スピカを抱いたまま、走る。
今は吠えるスピカの声など、アルファの耳には届いていない。水の音に集中している。
そして出た場所は、綺麗な小さな水場。高い所から水が落ちている。
「森の騒がしさは御主等か?」
滝に打たれている老人。その肉体と顔が一致しない。白髪のモヒカンに顎鬚と皺のある顔は、かなりの年寄りに見えるのだが、滝に打たれる、その肉体は力強く、逞しく、全く衰えていない。その体は年寄りではない。
老人は滝から出て、空を見回すように木々を見渡した。
「最近、森が騒がしいてな。御主等、こんな所でデートか?」
老人のセリフに、アルファはスピカを、スピカはアルファを見て、今の状態に気付く。
「あほーーーー!!!! 下ろせやーーーー!!!!」
アルファは眉をピクリと動かし、スピカを抱き上げている両腕の力を抜いた。
スピカはズドンと下に落ち、尻餅をついた。
平然と、何もなかったように、アルファは左手で髪を撫であげる。
「いったぁぁぁぁ!! いったたた・・・・・・なんで下ろすねん! このアホ!」
「抱けと言うから抱けば、下ろせと言うし、下ろせば、そのセリフか。一体俺にどうしろと言うんだ?」
「ふざけんなや!!!!」
「ふざける? 俺がそんなキャラに見えるか? 悪いが俺はそんなキャラじゃない」
「殺したる!!!!」
スピカはソードを抜き、アルファ目掛けて振り切るが、アルファはサッと避ける。
「ほっほっほっほっ。元気な女の子はええのぉ。おや、もう一人来たなぁ」
老人がそう言うと、アルファとスピカが振り向く。そこにはハヒハヒと息をきらしたシェアトの姿。
「み、水・・・・・・」
シェアトはよろめきながらも、バシャバシャと水の中に入り、滝の中、大きな口を開け、落ちて来る水を喉を鳴らし、ガバガバ飲み始めた。
「うちも!」
スピカはソードを仕舞い、水の中へバシャバシャ入り、落ちて来る水に舌を出し、飲み始める。アルファは水場の水を片手ですくい、口元へ持って行く。
そして、手の甲で、口元を拭き、アルファは老人を見る。
「アンタ、じいさんか?」
「ほっほっほっほっ。ばあさんに見えるか?」
「俺は冗談は言わない。真面目に答えろ。その肉体、年寄りには見えない」
「ほっほっほっほっ。わしは立派な年寄りじゃよ。200歳じゃからのぉ」
「真面目に答えろと言った筈だ」
「では182歳と言う事にしとくとするか?」
「そうか。それが真面目な答えなら、今直ぐ死ぬんだな、化け物め!」
アルファは三日月を抜き、老人に振った。老人は二ヤリと笑い、歩いたまま、スゥッと動き様に消え、アルファの真後ろで、
「やめておけ、御主にわしは殺せんぞ?」
と、その声と共に姿を現した。アルファは振り向くのと同時に、三日月を大振りに振り回した。しかし、刃を人差し指と中指の二本の指で、パシッと掴まれた。
「ほぉ。動じない瞳じゃ。わしの動きを見切っとったか? しかし、次の攻撃に出るのは苦しいじゃろう。なんせ御主は腹が減って、動くのもやっとじゃろう」
アルファと老人は見合う。
「・・・・・・当たり。じいさん、化け物にしては人間っぽいな」
そう言いながら、アルファは三日月を鞘に戻した。
「ほっほっほっほっ」
「じいさん、名前は?」
「コル・ヒドレ」
「へぇ。人間じみた名前だな」
「それは誉め言葉かの?」
「さぁな。貶してるつもりはない。じいさんはここで何してたんだ?」
「命という不思議な巡りを教えてもらっとるんじゃ」
「教えてもらっている? 誰に?」
コルは森を見上げ、見渡す。
「聞こえぬか? 森の声が——」
アルファはコルを疑り深い目で見て、チラッとだけ目を離し、またコルを見て、今度はゆっくりと森を見上げ、見渡した。
アルファに聞こえるのは、風と水の音、木々の葉が揺れるざわめき——。
「最近な、森が騒がしい——」
「騒がしい? 鳥の囀りさえなく静かだ」
コルは穏やかな表情でアルファを見た。
「森の声は聞けぬ。聞くのではなく、聞こえるのじゃ」
「聞こえるって、森がベラベラ喋るのかよ?」
「ほっほっほっほっ。冗談は言わぬ筈じゃが?」
アルファは左手で髪を撫であげた。
「実際、わしも森の声は聞いた事はないかもしれぬ。ここに溢れる自然の命を感じとるだけなんじゃ。生きろ、生きろと感じる。それが声のように、わしは聞こえるんじゃよ。但し、何と言うとるかは、わからぬ。木々に人間の思考が理解できぬのと同じで、わしも木々がわからぬ」
「へぇ。でも感じるんだろ? 今も感じてるのか? どう感じてるんだ?」
「命の巡りが速いような、燃え尽きようとしとるような、余り良い感じではないのぅ」
コルは突然、木の高い所まで飛び上がり、小さな小粒の赤い実を取って、アルファに手渡した。アルファの手の平にコロンと転がる幾つかの赤くて丸い小さな粒。
「少しは腹の足しになるじゃろう」
「食えるのか?」
コクンと頷くコルに、アルファは実を口の中に入れた。
酸っぱいような、甘いような、でも不味くはない。
バキューーーーン・・・・・・
近くで銃声音が聞こえた。アルファは銃声の方に目を向ける。
「どうやら迷い主はまだおるようじゃな」
アルファは銃声が聞こえた方へ走って行く。
シェアトは疲れ、座り込んでいる。
「お嬢さん? 滝の上の水面に流れが穏やかな所があるんじゃ。水浴びが楽しめるぞ?」
「ホンマ!? もぉ汗びっちょりで、気持ち悪かってん!」
スピカは滝の上へ行こうとして、
「覗くなや!」
と、シェアトを睨んだ。
「心配するな。疲れ果てて、そんな気力ねぇ。それにガキの裸なんて見たかねぇよ」
「一言多いんじゃボケェ! うちかて、結構胸あるっちゅうねん! ボンキュッボンや!!」
スピカは滝の上へ走って行く。
「ほっほっほっほっ。元気のええ女の子じゃのぉ。さて、何か食料を集めて来てやろうかのぉ。もう一人、人数も増えそうじゃしな」
アルファは銃声の鳴る森の奥へと進む。かなり走って来て、足がやっと止まった。
左肩を押さえ、走って来る一人の男——。
左手には銃が持たれている。それが利き手だとしたら、サウスポーだと言う事だ。
「どけぇ! 猿ぅ!!!!」
「猿? 俺の事か?」
アルファは眉を顰め、独り言で問う。
男の後ろからは、大きな化け物が木々を薙ぎ倒し、来る。
アルファは腰の刀の柄を握る。
男がアルファの横を走り抜け、アルファは化け物に向かって走り出す。
男が振り向いた時には、アルファは化け物の首を斬り落としていた。
男はアルファの左手首に目をやる。
「・・・・・・EIBELL STRAIN」
余り好感度のない口調で、男は呟いた。
刃についたモンスターの気味の悪いものを振り落とし、三日月は鞘に納められた。
アルファは男を見る。男もアルファを見ている。
何故か、瞬時、睨み合う二人——。
「肩をやられ、うまく銃が撃てなくなったのか? 銃を左手に持っていると言う事は、左利きなんだろ?」
男は左肩から血が滲み出ていて、右手で押さえている。後ろ髪の長い、少し上がり目で、キツい顔付きの、その男——。
「野猿かと思えば、EIBELL STRAINとはな。いや、猿でも天使になれるのかな? 神は信じる者を選ばずってね」
「俺は猿じゃない。俺は——」
アルファは名乗るのを躊躇った。
「なんだ? 自分の名前を忘れたか? やっぱり猿だろ。おれの名はアルシャイン・B・タイル」
当然、自分の名を途惑う事なく、スラスラと答え、挑発的に二ヤリと笑うアルシャイン。
アルファは、どうでも良さそうに溜息を吐きながら、髪を撫であげ、
「シンバ・アルファ。俺の名前らしい」
そう答えた。
「らしい? 猿らしいって事か?」
「なんだよ、さっきから! 助けてやっただろ! 何の文句があるんだ。嫌なヤローだな」
「お前のような猿がEIBELL STRAINってのがムカつくんだよ。おれの方が神に選ばれし者の筈だ。それをなんでお前のような猿が? 気に好かんヤローだぜ」
「ああ、そうかよ」
アルファは、もうどうでもいいと、アルシャインに背を向け、歩き出した。
「お、おい! この森の出口知ってるのか? もう飲まず食わずで2日目なんだ!」
アルファは無視して歩いて行く。
「おい! 待てよ! 猿!」
アルシャインはアルファについて行く。
しかしアルファは水辺の場所がわからなくなっていた。二人、迷い始める。
しかも歩いて数分で、アルファもアルシャインもバテていた。
二人共、木に凭れ掛け、座り込んで、呼吸を乱し、宙を見つめる。
——なんでこんな嫌なヤローと二人で、こんな所にいなきゃならないんだ!?
——当然、化け物に襲われているって言ったら、女だろ。
——そう思ったから急いで助けに来たってのに、やってらんねぇ。
——腹減ったなぁ・・・・・・。
などと、虚ろな目で、ぼんやりしながら、考えているアルファ。
——なんでこんな気に好かんヤローと、森の中迷ってなきゃならないんだ!?
——いや、ヤローじゃないな、猿だ、猿!
——しかも猿相手に助けられたなんて、一生の恥じだ。全くたまんねぇな。
——肩が痛ぇ・・・・・・。
などと、口をあけたまま、死んだような目で、考えているアルシャイン。
二人同時に、ハッと我に返り、キッと睨み合い、フゥッと溜息を吐いた。
ふと、アルファは、何かに気が付いた。
急にガバッと立ち上がるアルファは、ビクッとしたアルシャインの傍に走り寄る。
「な、なんだよ! 猿!」
「どけ!」
アルファはアルシャインを突き飛ばし、そこに生える草々を見る。草には実が成っている。
「食えるのか?」
と、アルシャインはゴクリと唾を呑み込む。
小さな丸い、小粒の赤い実——。
「じいさんがくれた実だ。多分、食える筈だ」
実が成った草は沢山生えていて、アルファとアルシャインは草ごと、口の中に放り込み、息もなく食べまくる。
酸っぱいような、甘いような、それでいて、苦味を感じる——。
「ははは、流石猿! 野生でも生きていけるお前が羨ましいよ!」
アルシャインは笑いながら実を食う。そして、食べるのをピタリと止め、急に立ち上がり、
「女の匂いだ」
そう言った。
「は!?」
「あっちだ」
走り出すアルシャイン。
アルファは息を吸い込み、首を傾げる。
「女の匂い? どんな匂いだ?」
アルシャインが走って行った方向に、アルファもとりあえず向かう。
「おい、猿、見てみろ、女の服だ」
木の枝に掛けてある服——。
「これは、俺の上着・・・・・・」
アルファは自分の上着を手に取り、木の枝に掛けてある他の服に見覚えがある事に気が付いた。スピカが着ていた服と同じだと——。
そして大きなソード。
完璧にスピカのものだ。
「女だ。女が水浴びしてるぞ」
「おい、覗くな!」
「心配するな。おれは女の体は見飽きている。おれに言い寄られて、まず拒む女はいねぇからな。あの女だって落とせるぜ。だけど、今は水が飲みたい欲求が先なんだよ」
水辺に行こうとするアルシャインをアルファは止める。
「行くな! 水が流れてる方向に行けば、水辺はまだある!」
「サール! だからお前は猿なんだ! 女が水浴びした水が飲みたいんだよ!」
「はぁ!?」
「わかってねぇなぁ、それが男ってもんだろ?」
「変態だろ」
「男ってのは変態率が高い生き物だろ」
「一緒にされたかねぇよ。行くなって! おい!」
アルシャインはアルファの止めるのも聞かず、水辺の方へ歩き出す。
「おい、待てよ!」
シンバはアルシャインを止めようと、一緒に水辺へ出てきてしまった。
その二人に気が付き、スピカはちゃぽんと水の中に体を沈め、顔だけ水面上に出し、
「なにしてんねーーーーん! あっち行けやーーーー! アルファのあほーーーー!」
と、吠えた。
「あれ? 知り合いか? 恋人か?」
「知り合いの方だ」
「当然の答えだな。猿にあんな可愛い女は似合わない」
「可愛い? あっはっはっはっはっはっは、確かに見た目はな。あっはっはっはっはっは」
「何馬鹿笑いしてんだ? 女は見た目が肝心だろ? あっはっはっはっはっはっはっは」
急に大笑いを始める、アルファとアルシャイン。
スピカの顔が引き攣って、ピクピクしている。もう怒りも限界に来ている表情だ。
だが、そんな事はお構いなしに兎に角笑いまくる二人。
「そんなにうちの裸が可笑しいかーーーーーーっ!!!!」
スピカは両手に大きな岩を持ち上げ、水面からガバッと身を出した。
プルルンとしたオッパイに、アルファもアルシャインも、目をとられ、一瞬、動きと笑いを止めたが、また直ぐに笑い転げ始める。
スピカはピクピクと顔を引き攣らせ、
「うっりゃあぁぁぁぁーーーーーーっ!!!!」
と、気合いの入った声を出し、持ち上げた岩を笑っている二人目掛け、投げつけた。
二人共、ギリギリで、その岩を避ける事が出来たが、笑いが止まらない。
「あっはっはっはっはっはっは、別にお前の裸に笑ってる訳じゃ——、うわっ、危ねぇっ!」
またアルファに目掛け、岩が投げられた。
「もうええから、向こうへ行けやーーーー!!!!」
怒りで、泣きそうな顔になりながら、スピカは吠える。
「あっはっはっはっは、そうだそうだ、猿はあっちへ行け。あっはっはっはっは、彼女は俺と二人になりた——、うわっ、何するんだ!」
アルシャインにも、岩が飛んで来る。
「己もどっか行けやーーーー!!!!」
アルファとアルシャインは、飛んで来る岩から、走り逃げ、笑い転げる。
そして一時間後——。
「腹筋痛ぇ・・・・・・」
アルファは鍛え抜かれた腹筋ではなく、日頃使わない場所の腹筋の筋力を使った為、お腹を抱え、苦しそうに横たわっていた。
アルシャインもお腹を抱え、少し苦しそうに座り込んでいる。
そこまで苦しむ程、笑い過ぎた二人。
「御主等が口にしたのは毒の実じゃ。食べると小一時間程、笑いが止まらんようになる。草になっとる赤い実は駄目じゃ。わしは木の実をとったじゃろ」
「くそっ! 猿ヤロー! お前のせいだぞ!」
アルシャインがアルファに吠える。
「ふざけんな。テメーが好きで食ったんだろ」
アルファはアルシャインを睨む。
「どっちもどっちや!」
スピカが怒鳴ると、アルファもアルシャインも黙り込んだ。
「どんな毒でも大丈夫そうじゃが、流石に感情に毒をもたらすモノに免疫はなかったか? もう日が暮れる。今日はここで休むがええ。薪を用意してやった。夜は冷えるから気をつけるんじゃぞ?」
「じいさんはどうすんだ?」
シェアトがコルに尋ねる。
「わしか? わしは御主等の為に化け物が、この付近に来ぬよう、見張っとるよ。EIBELL STRAINのおかげで化け物も少なくなったが、この森に迷い込んだ化け物は、まだおるじゃろうて。御主等は兎に角、体力回復をする事じゃな」
コルは行ってしまった。
「こんなベッドもない場所で体力回復なんて出来るかよ!」
などと文句を行っていたシェアトが一番早く眠りについた。
パチパチと音をたて、薪は燃える。
火が消えないよう、寝ずの番をしているアルファ。その瞳に朱い炎が揺れる。
ふと目が覚めると、アルファの上着がかけられている。そのまま動かず、スピカは目でアルファを見つけ、見つめる。
左手で髪を撫であげるアルファを、横になっているスピカは、高く見上げる状態になる。
急に懐かしさで一杯になり、アルファから目が離せない。そして不思議な感覚に包まれる。まるで夢のように、楽しい気分に似ているのに、酷く、不安感だけが残る。
スピカには、その胸の高鳴りの意味がわからない。
男だらけの中、平気で眠りにつける所など、スピカは気持ち的に幼さを感じさせる。まだ等身大で、無垢で、しかし、時間は待ってはくれず、身体は女として発育したという感じなのだろう。それでも、気持ちは、いつか身体に追い付き、誰もが、子供から、大人に変わる瞬間がある——。
「・・・・・・上着、掛けてくれたんやなぁ? なんや急展開で、こんな事になったけど、よお考えたら、もっと準備して来るべきやったなぁ。食料もなく、何してんねやろな」
スピカはそう言いながら、少し笑って、起き上がった。
「起きたのか・・・・・・」
「んー、芝の上で寝るん初めてやし、なんや眠りも浅いっちゅう感じ?」
「・・・・・・寝言、言ってた」
「嘘っ!?」
スピカは驚いて、何故か身を引く。
「アルファ、アルファって、俺の事、呼んでた」
「はぁ、なんや、嘘か。びっくりしたやんか」
安堵の溜息を吐くスピカ。
「何故、嘘だとわかる?」
「そんなん、わかるて、普通」
笑うスピカに、
「でも寝言、言ってたのは本当」
そう言うと、
「嘘っ!?」
と、また驚いて、身を引いた。
「・・・・・・シンバって、ずっと呼んでた」
スピカの顔が薪のせいではなく、赤くなって行く。体中の血が顔に集って来る感じ。
アルファは、そんなスピカを見て、すぐに目を剃らすように、薪の炎を見る。
『何故、それは嘘だと思わない?』そう聞くまでもなく、夢でシンバに逢っていたんだと、直ぐにわかってしまった。多分、逢っていた相手はオメガなのだろう——。
「全然、関係ない話、していいか?」
「え? あ、うん! 勿論や!」
スピカは、何も突っ込まれない事にホッとする。
「正義を守るって言ってただろ? 何故?」
「ああ、その話か」
スピカの瞳が上に向けられる。
炎の煙が登って行く先は暗闇で、何も見えない。
「全て、なくなればええのに。世界が壊れまくって、全部、なくなってしまえ」
そう言ったスピカを、アルファはわからなくて、見る。スピカは視線を落とし、アルファと目が合うと、ニッコリ笑った。
「5年前な、夕方見えた一番星に、そう願ったんや。12歳の子供にしては悪趣味な願いやろ? でもな、信じてほしいんや。その時迄、一番星に願った願いは、何一つ、叶ってないんや。だから、その願いも叶う筈のない願いとして、願ったんや。そんなん、ホンマの願いやなかったのに、その日の夜、流星雨で、うちの願いが叶ってしもうた。世界崩壊はうちのせいや。シェアトの子供を殺したんも、うちが殺したようなもんや」
「・・・・・・それは偶然だろ。お前のせいじゃない」
「偶然でも、あの日に、そう願って、願いが叶ったんは事実やねん。身近な人が誰もおらんようになって、助かったうちは一人ぼっち。悲しかったけど、それはうちが願った事やから。只、もっと悲しかったんは、全ての人を巻き込んでしもうた事。どんな償いも、犯した罪の方が重すぎて、許されへんのや。だから、生きてる間は、罪を少しでも償うつもりで、正義を守りたいねん。いい事一杯したら、いつか、許されるんちゃうかなぁって甘い事考えてんねん」
「だから爆弾を仕掛けてる俺達をあんなに一生懸命止めたのか。誰も死なせない為に」
「それだけちゃうよ。アンタ等に、うちと同じ想いはさせたくなかったんや。爆弾のせいで、関係ない人が沢山死ぬ。きっと、ソレって、後悔する筈やから——」
あの時、スピカが、剣を抜いて向かって来た時のセリフ、『でも、シンバは仕掛けられへん。シンバは誰も殺さんで済むやん』そう言っていた事を思い出す。
——俺に後悔させたくなくて?
——でもお前と同じ気持ちなら、なってみたい気がする。
「確かに爆弾のせいで死んだ奴等は、俺達が殺したのも同然だから、自己嫌悪に陥るのは当然だが、スピカは違うだろ。気にするなよ」
そう言ったアルファに、スピカはニッコリ笑う。
「ありがとう。ホンマはな、気にしてないんかも。結局、うちがやっとる事は自己満足なんや。一人ぼっちが嫌で、今かて、こうやって、やっと逢えた知り合いに縋ろうとしとる。もう一生、願いなんかせぇへんって決めたのに、また逢いたいって、何度も願っとる。シンバにまた逢えるやろか・・・・・・」
スピカは炎を見つめ、シンバを想う——。
「オメガの事か? 何故、そんなにシンバに拘る? これからの出会いじゃ駄目なのか?」
「シンバは、うちに一番ほしいものをくれたんや」
「なんだそれ。物に釣られたって訳か。で? 何を貰ったんだ?」
「——永遠」
キョトンとするアルファに、スピカは笑う。
「シンバとは流星雨の日に話しただけやって言うたやろ? うちが一番星に願う前に現れて、うちと話してくれたら良かったんやけど、一番星に願った後に現れて、うちに声かけるんやもん。もうちょっと早く現れてくれたら、うちは変な願いせんかったかもしれんのにな。タイミング遅いっちゅうねん。なぁ、アルファ、少し寝たら? うち、薪見とるから。上着、ありがとう」
スピカはアルファに上着を手渡す。
——永遠。
アルファは、その意味を考えながら、瞳を閉じる。
小さな鼾をかき、シェアトは眠っている。
寝ているフリをして、全て話しを聞いていたアルシャイン。
そして、薪を見つめているスピカ。
もうすぐ夜が明ける——。
アルファが目覚めると、火はすっかり消えていて、みんな、まだ眠っている最中だった。
スピカも薪を見ていて、そのまま、居眠りしてしまったのだろう。
アルファはスピカの寝顔に優しい笑みを零す——。
太陽の光が木々で遮られている為、今が朝なのか、昼なのか、よくわからない。
アルファは水辺で顔を洗う。
「体力は回復できたかのぅ?」
コルが近付いて来た。
「その左手のCode・・・・・・」
「左手のコード? この刺青の事か?」
アルファは自分の左手首を見る。
「御主、この森を抜けて、どこへ行く?」
「神に会いに」
「ほぉ。面白い事を言うのぉ。御主はEIBELL STRAINじゃろう? 言わば、神の手下じゃろう?」
「さぁな。俺にはそんな記憶はない」
「ほぉ・・・・・・」
「だが、俺がEIBELL STRAINだろうが、なんだろうが、関係ない。俺は俺だ。俺の生き方がある」
「ほぉ・・・・・・」
「俺がどう生きるか、俺が決める。その為に神に会い、尋ねたい事があるんだ」
「ほぉ・・・・・・。何を尋ねる?」
「正義とは何かと——」
「ほぉ・・・・・・」
「なんだよ、変な返事しかしねぇなら、聞くなよ」
「いやいや、なかなか、良い答えを持っておるな。それが御主の本当の思考ならな」
「どういう意味だ? じいさん、何か知ってるのか?」
「ほっほっほっほっ。長い時間を生き続けると、知らぬものはなくなるが、わからぬ事が増える。さぁ、皆を起こすがええ。案内しよう、森の抜け道を——」
アルファは言われた通り、皆を起こし、出発の準備をする。
コルの案内で、森からは簡単に抜ける事が出来た。
「南へ行くがよい。ここから一番近いアポロンという灼熱の町がある。町の出入り口には町を守る者が立っておるが、そのEIBELL STRAINである刺青を見せれば、どこの町も快く御主等を入れてくれるじゃろう。まず、人としての食事と休養をとる事じゃな。昨日の夜は、体のデカいの意外は余り眠れなかったじゃろう?」
シェアトは、自分を指差して、俺だけ? と、いう表情で、みんなを見る。
「では、シンバよ、また——」
コルは森の奥に消えた。
コルと別れ、アルファは、シンバと呼ばれた事に疑問を抱く。
何故、名前を知っていたのか、いや、それはこのメンバーの誰かが呼んだのを覚えていたのかもしれない。だが、今、アルファをシンバと呼ぶ者はいない筈だ。なら何故、シンバと呼んだのだろう?
コル・ヒドレ、謎多き老人だった——。
「ところでアルシャインとか言ったな。どこへ向かう予定なんだ?」
シェアトがアルシャインを見て、聞いた。
「遥かなる地へ——、と思っていたが、スピカちゃんと同じ所へ行こうかな」
アルシャインは作ったような笑顔で、スピカの手を握った。が、手は直ぐに投げ返された。
「アルファ! コイツ、変や!」
「ああ、変態だ。大体、スピカを気に入る辺り、普通じゃない」
そう言ったアルファの頭をスピカはグーで殴った。石頭で、スピカの手の方が痛かった様子。手を押さえ、スピカは痛がる。アルファは何もなかったように、髪を撫であげ、スピカと目が合うと、ベッと舌を出した。
「ムカツクーーーー!!!!」
拳を握り締め、アルファに吠えたスピカの両肩を持ち、ソッと耳元で、
「猿なんて相手にしないで、それより、おれの目を見てお話しようよ、ね、スピカちゃん」
と、アルシャインに囁かれ、スピカは背筋に凍るような寒さを感じ、イヤァーっという表情をして、アルファの後ろへ隠れた。
アルファはアルシャインを、アルシャインはアルファを、二人、睨み合う——。
「気にくわねぇなぁ、猿が」
「そりゃコッチのセリフだ。嫌なヤローだぜ」
「なんだと!?」
「なんだよ!?」
何に喧嘩をしているのか、兎に角、相性ゼロの二人の間にシェアトが入った。
「やめろ、二人共。アルシャイン、遥かなる地とは?」
そう聞かれ、アルシャインはシェアトを見る。
「地図には載ってはいないが、北西のどこかにあると言われる地、ヘブングランド。噂くらいは聞いた事あるだろ?」
「ああ。昔々、ソラから舞い降りて来たと言われる神の地とも言われる島の事だろ?」
「そう。だが、ソラから舞い降りて来たってのは単なる言い伝えだろ」
「何言ってやがる。ヘブングランド自体、幻の大地じゃねぇか」
「あら? おっさん、知らないの?」
アルシャインはシェアトを『おっさん』呼ばわり。確かにおっさんと言われても可笑しくはないので、誰も何も突っ込まない。
「ヘブングランドには、この地にある全ての教会を司る大聖堂というものがあるらしい。イーベルの書物によると『遥かなる地、聖都からソラに輝くコスモオアシスに、絶え間なく続く呼吸の為、降り立った——』と、記されているらしいが、意味がわからない。だが言い伝えはリアルに存在していると、最近、世に出回っている一般的なイーベルの書物は書き直されたんだぜ。ヘブングランドはあるんだ。おれはそこへ行くんだ。神がいると言う、遥かなる地へ——」
「書物って聖書紛いのものか? 俺はそういうもの、もうずっと読んでねぇからなぁ」
「信仰心がないなぁ、おっさん」
シェアトの過去を何も知らないアルシャインはそう言って笑う。
「そこに神がいるのか?」
アルファが真剣な目で、アルシャインに尋ねた。
「どうかな。ヘブングランドに旅立って、帰って来た者はいないし、何もわからないってのが事実かな。お前こそEIBELL STRAINなんだろ? 何か知ってんだろうが!」
「アルファは何も知らない。それより何故そこへ、お前は行くんだ?」
シェアトが、そう聞くと、
「神に、天使にしてもらう。俺はEIBELL STRAINになるんだ」
アルシャインはそう答えた。そしてアルファを睨む。
「猿がEIBELL STRAINになれて、おれがなれない筈はない」
「アルシャイン、お前は神の下僕になりたいと言う事か?」
シェアトが再び、尋ねる。
「別に下僕になりたい訳じゃない。天使になりたいんだ。下僕にならなければ天使になれないと言うのなら、それもいいだろう。おれはプライドを失っても天使になる。その理由は一つ、俺は悪魔だからだ」
アルシャインは自分の左手を痛めつけるような目で見つめ、話し始めた。
「宗教時代に生まれたのが運命だったんだな。生まれつき、サウスポーでさ、小さな村で生まれ育ち、おれが左利きなのは村の者なら誰でも知っていた。おれを生んだ母親は魔女として殺され、オヤジは自分の身を守りたい為に、魔女に誘惑されていただけだなんて言い逃れしやがってよ。おれは左利きだってだけで悪魔扱いだ。皆とちょっと違うだけで、普通には扱ってはもらえない。おれは子供ながらに、いつかみんなを殺してやる、全て破壊してやる、そう心に誓った。5年前、スピカちゃんが一番星に願ってくれたおかげで、村も村人もおれ以外は全て消えた。ありがとね、スピカちゃん」
「昨夜のうちの話聞いとったん!?」
スピカは恥ずかしくて、顔を赤らめる。
「もうその村はないんだろう? なら、恨みも晴れただろう?」
シェアトがそう聞くと、アルシャインは首を振った。
「傷付いた心に時効なんてのはない」
傷付いた心に時効はない。それは、アルファには、とてもわかるような気がした。
「それにおれは村を出てから、今になる迄、人並みの生活をしていない。字さえ書けないし。学問は何も学んでないからな。唯一、聖書などで、文字を読めるようにはなったが、それも最近だ。そんなおれが、働き口もある訳がない。いや、サウスポーってだけで、どこもおれを雇わない。宗教時代だからな、仕方ないさ。早い話が、おれが天使になれば、誰も文句は言わない筈だ。悪魔には誰も寄り付かない」
「へぇ、悪魔の癖に、女は寄り付くのか?」
アルファは、トゲのある口調で、アルシャインを見る。
「女は悪魔に心を売りたがるんだよ、最もモテねぇ猿には、そんな女の感情なんてわからねぇだろうけどな」
と、アルシャインは、トゲのある喋り方で言い返した。
「アルファ、俺達も、その遥かなる地へ行くとするか?」
シェアトがアルファを見る。
「ああ。そうだな」
アルファが頷くと、
「今更やけど、うちも一緒に行く。アルファと一緒におったら、シンバに逢えそうやし」
と、スピカが言った。
「スピカちゃん、おれと一緒がいいんだね、この際、一緒に天使になる?」
「なるかぁ!! 近寄んな!! キモいんや!!」
アルシャインから逃げるスピカ。
とりあえず、アルファ達はアポロンという町に立ち寄った。
太陽が照りつける灼熱の町。
噴水が涼しげに見える。
地図を手に入れ、ホテルで広げて見る。北西には島らしきものはない。
何もない海を、シェアトは指差した。
「ヘブングランド。恐らく、この辺り。行くならシップかフライトか——」
シェアトは考え込む。
「この町から西に漁業を営むヘレーと言う町があるんだ、そこでシップに乗せてくれと頼んだ事があるが、サウスポー関係なしに、駄目だと断られた」
「頼み方に問題があるんじゃないか? 変態」
「なんだとぉ、この猿!」
「やめろ、二人共」
シェアトが、アルファとアルシャインを止める。
「ヘブングランドへの航路がわからねぇから断られたんだろうよ。航海士もいねぇが、俺達だけで行くしかねぇ。明日、ヘレーで、いらなくなったシップを交渉して手に入れよう」
そう言ったシェアトに、皆、頷く。
部屋はそれぞれ違う。
小さな個室だが、悪くない部屋だ。
食事も、それなり。
ずっと、ゆっくり休めなかったせいか、皆、早くから眠りについた。
アルファもベッドに潜ると、スゥッと深い眠りに入った——。
『ヘッタクソが歩いてるぞー!』
『剣もろくに扱えない弱虫めぇ!』
子供達に囲まれ、竹刀でつつかれながら、歩いている幼い少年の姿。
『あ、泣いた、泣いた!』
『泣き虫ー!』
『泣いてないよ! それに弱くない! 強いんだからな! だって、だって——』
だって俺はソラで最も強い最初の呼吸だから——。
パチッと目を開け、ガバッと起き上がり、夢かとアルファは左手で髪を撫であげる。
そして何も覚えていないのか、何も気にしてないと言う風に、布団に潜り込んだ。
ソラで最も強い最初の呼吸——。
——次の日。
ヘレーに向かうと言うトラックをヒッチハイクし、昼過ぎには、目的地に到着できた。
シップを手に入れる交渉は決裂に終わったが、ヘブングランド迄、漁師達はシップを出してくれると言い出した。
皆、喜ぶ中、何故か疑問を感じるアルファは、どうしてシップを出してくれるのか、いくら尋ねても、『特別に』と、答えになってない答えしか聞けなかった。
漁師達は町の教会で、出航の無事を祈る。
アルファ達の船旅が始まった。
へブングランド迄、何日かかるか、予測もつかない。
漁業を営む町の漁師が、そんなハッキリしない宛てのない場所にシップを出すなんて、考えられない事だろう。
アルファは警戒している。
しかし、シェアトも、スピカも、アルシャインも、運が良かっただの、優しい漁師達だのと、余り用心はしていないようだ。
アルファは一人、シップの先端で、風に吹かれ、遠くを見つめていた。
「アルファ? 元気ないなぁ? 船酔い?」
スピカは、ずっと難しい顔をしているアルファを気にしている。
アルファと同じように、遠くを見つめ、
「この海の遥か向こうに、神様がおるんやろか。シンバもおるやろか」
そう呟いた。スピカの長いポニーテールが海風に流れる。
「オメガが、お前の知っているシンバだと思ってるのか? 何故そう思う? 俺とオメガと何が違う? お前の知っているシンバは俺かもしれないだろ」
まるで、俺がシンバだと訴えているような、そんな感じ——。
「アルファ、うちの事、知らんかったやろ?」
「それは思い出せないだけかもしれない」
「でも、アッチはうちの事、知っとった」
「・・・・・・ああ、そうだったな」
思いっきり違いを打ちのめされた感じ——。
アルファは左手で髪を撫で上げる。
「あ、後な、うちも知っとんねん。剣術会得のその一、己の筋力と剣の重量とを把握する。その二、速さと威力を剣に兼ね備える。その三、剣技ある者、知性で『引き際』というものを悟れ。ソレ知っとるっちゅう事は、オメガがうちの知っとるシンバなんやと思う」
スピカはそう言った後、なにやら、恥ずかしそうに、
「うちな、シンバの事、ホンマに何も知らん。でもな、気付いたら、うち、いつも見上げてたんや——」
と、意味不明な事を言い出した。
「見上げてた?」
「うん。いつも見上げてた。シンバって名前知らん時から、ずっと見上げてた」
スピカは笑顔で、そう言うが、アルファにはスピカの言っている事は、わからない。
「オメガに逢って、どうするんだ?」
「え?」
「スピカが逢いたがってるシンバに逢えたら、それからどうするんだ?」
「・・・・・・ずっと一緒におりたい」
シンバさえ良ければ——、スピカは既にそう決意しているようだ。
アルファはシンバに苛立ちを感じる。この感情が嫉妬心だと気付いてはいない。
「スピカ」
「ん?」
「シンバに逢えたらいいな」
「うん!」
無邪気な笑顔で頷くスピカに、アルファはフッと笑みを零す。
怒りも、愛しさも、憎しみも、涙も、欲望も、あらゆる感情を、一切制御して、スピカの笑顔に、一瞬だけ、優しい笑みを見せたが、それは絶望に近い程の苦痛で作られた偽りの笑み。無垢な程、人は残酷だと知る——。
そして、ヘレーを出発して、7日以上過ぎた朝、大陸が見えた。
へブングランド——。
アルファ達は、荷物を纏め、仕度をし、今、遥かなる地に降り立った。
漁師達はアルファが降りると、直ぐにまた航海に出る。ヘレーに戻るのだろう。
小さな島に大きく佇む大聖堂。
「くぅーーーー! 本当に来たんだ、おれ! 遥かなる地に! 天使になる為に!」
アルシャインは嬉しさの余り体を振るわせる。独り言も弾んで聞こえる。
「おかしい」
そう呟くアルファを、アルシャインは睨む。
「何か言ったか? 猿!」
「ここは本当に大聖堂なのか? だったら人が簡単に祈りに来れない場所に大聖堂があるなんて、おかしいだろ」
「当たり前だろ、ここには神がいるんだぜ。そう簡単に来れる場所なら誰も苦労しねぇんだよ! これだから猿は!」
「俺達は案外簡単に来れたじゃないか」
「それは俺が天使になる為に、神が与えてくれたチャンスだからさ。運が良かったのさ」
そうだろうか、運だけで簡単に来れる地なのだろうか?
今思えば、ヘレーへ向かうトラックを簡単にヒッチハイクできた時から、何かが絡んで来たんじゃないだろうか?
漁師達は、ヘブングランド迄の航路を知っていたようにさえ感じる。
いや、ヘブングランドがシップに近付いたようにさえ思う。
まるで見えないレールに引かれるがままに、今、この地にいるのではないだろうか?
うまくいきすぎのような気がして、アルファは不安を感じている。
大聖堂の大きな扉を開ける。
日が差し込んで見えた、その世界は、霧がかった不思議な空間だった。
パイプオルガンの音色に相応しくない、シルバーに輝く無数のメカニカルなオブジェが、絶え間なく、蠢いている。
見た事のない未来的な全て。
万物を創造する神秘的な世界。
時間と空間を超越した久遠の空域。
余りにも考えつかなかった、その光景を、アルファ達は、その場に立ち尽くしたまま、見ている。
「待ってたよ」
その声に気付くと、オメガが、こちらへ向かって歩いて来る。
「待ってた?」
アルファの眉がピクリと動いた。
「ああ。スピカをね——」
オメガはスピカを見つめる。
シェアトとアルシャインも、オメガの視線を辿り、スピカを見る。
アルファはオメガを睨んだまま、動かない。
「うちを待っててくれたん?」
オメガは優しく微笑み、頷いて、スピカにゆっくりと手を差し伸べた。
「おいで、スピカ」
一瞬、途惑ったが、スピカはオメガの方へ一歩、足を踏み出した時、アルファがスピカの腕を掴み、一歩、後ろへ戻した。
「教えてもらおうか。お前は誰だ? 何故、スピカを待ってた? ここに来る事がわかっていたのか?」
アルファはオメガを睨む。
オメガはアルファを睨む。
「・・・・・・猿は双子なのか?」
状況からして、大きな声では言えず、アルシャインの疑問は小さな呟きになる。
「アルファ、スピカの従者役、御苦労だったな。無事にスピカを送り届けてくれた事、心から感謝するよ」
「何言ってんだよ!?」
「用が済んだら出て行けと言っているんだ。お前に答える事は何もない。堕天使が今更ここに用もないだろ」
オメガはそう言うと、左手で髪を撫で上げた。
「堕天使・・・・・・どういう意味なんだ・・・・・・?」
「また質問か? 答える事は何もないと言った筈だ。だが、まぁ、いいだろう、答えてやらない訳でもない。だが答えを問う前に、スピカから手を離せ。オレにつくか、お前につくか、それはスピカが決める事だ」
オメガのセリフに、アルファはスピカを見る。
スピカもアルファを見る。
スピカの潤んだ瞳の意味がわからない。
手を離せと責めているのか、手を離すなと訴えているのか——。
そしてアルファは手を離してしまった。
「スピカ、おいで」
今、差し出される手と、離されてしまった手。
スピカは戸惑い、シンバを探すように、アルファとオメガを見る。
スピカを優しく受け止めるような瞳で、微笑みながら、ジッと見つめているオメガ。
スピカをどうでもいいように、全く関係ない場所を落ち着きなく見ているアルファ。
どうしたらいいのか、わからず、そこから逃げ出したい気分になるスピカ。
重い沈黙に、誰か何か喋ってと、その願いが通じたかのように、オメガが話し出した。
「スピカ、あの日の事、覚えてる? 夕暮れが綺麗だったよね」
優しいその声に、スピカに与えられた緊張感が全て取り除かれていく。
オメガはそのまま想い出を話続ける。
「キミは道場で、たった一人の女でありながら、一番強かったね。いつも笑っているキミをオレは見ていた。オレは孤児で教会に住んでて、しかも剣の扱いが全くわからなかったオレはイジメられっ子だった。でも笑顔のキミを見てると、オレも笑っていられるから、前向きに、毎日、道場に通えた。そのおかげで、今は剣術を会得できている。スピカのおかげだ。オレはあの日の事を覚えているよ。いつも笑顔だったキミが笑わなかった日。キミが道場をやめてしまった、あの日だ——」
スピカの中で、『あの日』が、時間が過ぎた今も鮮明に残っている。
あの日とは違う、今の二人——。
身長も、体重も、顔つきも、髪の長さも、あの日とは違うけど、覚えている。
オメガを見つめるスピカの瞳に、アルファは喉が締め付けられる息苦しさを感じていた。
それを悟るかのように、オメガは微笑し、更に、話出す。
「スピカ、覚えてるよね? あの日——」
あの日——。
一番星がよく見える夕方の川原——。
12歳のスピカは一番星を見上げ、願いを祈り、そして、川原に目をやった時だった。
『スピカ!』
『アンタは・・・・・・確か・・・・・・』
『シンバだ!』
『・・・・・・ふぅん』
『スピカ、道場やめるって本当? なんで? オレ、スピカ目標にしてた! いつかスピカと剣を交えたいって思ってた! 今はまだ弱いから、一緒に稽古できないけど、いつかスピカみたいになって、オレの名前、覚えてもらうんだ!』
『・・・・・・うちなんか目標にせんでも、いつかうちを追い抜いて、アンタの方が強うなるよ』
『なんでそんな事言うの!?』
『うちは女やから!』
『え?』
『親がな、離婚してん。離婚ってわかる? 別れたんや。そしたらな、新しいお父さんが来て、お父さんが、いつまでも男みたいな事せんでええて言うねん。幾ら頑張っても、その内、男には敵わんようになるて。そんな事しとる暇があったら、女として・・・・・・女として・・・・・・』
スピカの顔が泣き出しそうに歪んだかと思うと、
『うち、なんで女なんやろ』
と、大きな涙をポロポロと落とし出した。
『スピカは女だからいいんだよ! だってオレ、スピカ好きだから!』
怒った顔をしたように、眉をキッとして、スピカをジッと見つめ、それはシンバの突然の告白だった。驚いて、涙を止めるスピカ。
『嘘ぉ。だって、うち、男みたいやし。あんまし可愛くないし。それに——』
シンバは首を左右にブンブン振る。
『オレはどんなスピカでも好きだ!』
大声で、川原に吠えたシンバ——。
「あの日とオレは何も変わらないよ? どんなスピカでも好きだよ?」
優しく、そう言ってくれたオメガ、スピカは嬉しそうに走り出す。
「スピカ!」
アルファは思わず大声で叫んだ。アルファの呼び声に振り向くスピカの腕を掴み、オメガはスピカを自分の方へ引き寄せ、スピカの肩を持ち、二ヤリと笑ってアルファを見る。
「アルファ、堕天使の意味を教えてやる。お前は自分の本来の姿の絶望と苦痛に耐えきれず、堕ちたんだよ。お前に二度と真理は守れない。堕天使のその証拠に、誰もが手に入れたいと思う光に反発するんだよ!!!!」
オメガは硝子の玉のような物を取り出し、それをアルファに向けた。
玉からブワッと不思議な光が放たれ、アルファを襲う。
息も出来ず、身を固めても、その光は物凄い突風のように、アルファだけを襲う。
——嘘だろ、なんなんだ、この光。
——吸い付くように属しているのに、合わせられない。
アルファのバンダナが、光の突風によって取れた。
その額には大きな十字の傷跡——。
「なんでこんな事すんの!? やめてや! やめてや! シンバ!」
オメガを止めるスピカ。だが、オメガは更に玉をアルファ目掛けて、突き出した。
もう、光は防げない。
「いっけぇーーーーっ!!!!」
オメガのその声と共に眩い強烈な光が放たれた。
やっと目を開ける事ができ、見ると、アルファの姿はどこにもなかった。
光を放っていた玉は砕け散っている。
大きく開いている外への扉の前で、
「シンバ?」
と、スピカは震えた声を出す。そして何度も何度も、その名を呼び続ける。
「シンバ? シンバ? シンバ? シンバ・・・・・・?」
みるみる不安にかられるスピカ。
本の束の間だったが、アルファとの時間が蘇る。
無知、頑なさ、虚偽、欺き、不正直、裏切り、信頼感のなさ——。
アルファに対して、それら全てを無意識の内に犯してしまったのではないだろうか。
体をガタガタと震わせ、罪の意識を感じる。
スピカの中で、また罪が重く伸し掛かる。
「うちが・・・・・・うちがシンバを・・・・・・シンバを・・・・・・」
震えるスピカを、今、オメガは優しく抱き寄せ、
「何も心配ない。オレなら、ここにいる」
不敵な笑みを浮かべ、スピカの耳元で囁いた。
オメガの温もりと呼吸に、スピカは安堵する。全ての罪が許されるような気になる。
『どんなスピカでも好き』それはまるで魔法の言葉。
スピカはオメガにギュッとしがみ付いた。
オメガはいい子だと言う風に、スピカの頭を撫でながら、シェアトとアルシャインを見た。
何が起きているのか、全く把握できない二人は、立ち尽くして、見ている事しかできず、今、オメガと目が合い、ビクッとする。
立ち尽くしていただけだが、それが悪い事だったようにさえ、感じ、変な罪悪感で一杯になっている二人に、オメガは温かい笑みを見せ、
「遥かなる地へ、ようこそ——」
と、二人を快く招いた——。
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