『あ』 ……真夜中の電話

業 藍衣

第1話 『あ』

加藤博也は、自宅の書斎で静かに仕事に取り組んでいた。

外は夕方にから降り始めた雨が激しさを増し、窓を閉めているにも関わらず、激しい雨音を部屋中に響かせている。

6月も半ばに差し掛かろうと言うのに今夜は特に寒い……そんなことを思っていると、スマホがテーブルの上で転がり、着信の報せをバイブレーションでつたえる。


こんな時間に誰からだ?博也はそう戸惑いながらスマホを手にして、画面を確認すると、 『あ』と着信通知が表示されていた。

博也は過去にも酔っぱらって、友達のアドレスをそんな風に登録したこともあったので、電話の相手を確かめるべく構わず出た。


「もしもし、加藤です。」


そこで返ってきたのは、とても澄んだ声だった。


「ねぇ、私どこにいると思う?」


博也はその瞬間、顔をしかめる。

名前も名乗らず突然の問いかけ何よりも女性と思われるその声に聞き覚えが全くなったからだ。

彼は不意のこの電話に戸惑いを覚える。

しかし、自分の電話に『あ』だけではあるが登録はしてあるのだ、少なくともそ何処かであった友人であると思い、おずおずとたずねる。


「あの、どなたですか?」


しかし、返ってきた答えは変わらず。


「ねぇ、私どこにいると思う?」


加藤は電話の主に不気味さを覚え、質問を変える。


「あの……それ、どういう意味なんですか…?」


すると女性の声で明るく答える。


「そういう答えじゃないよ。あなたは私の事を知っているはずでしょう。」


加藤は相手が誰なのかを確かめるため、真剣に考えた。

しかし、答えを出すことはできない。

電話から聞こえてくる声の女性と出会った記憶が全くなかったからだ。

彼は背中に冷たいものを感じながらもゆっくりと電話の相手に問いかける。


「ごめんなさい、貴女が誰かも分かりませんし、どこにいるかも…」


その途端、相手は強い口調で語気を荒げる。


「冗談はやめなさい。あなたとこの場所で会ったはずよ。」


加藤は、女性が本気で話しているのが分かってきた。しかし、どうしても相手の顔も名前も言われている場所も思い出すことが出来ない。


「ごめんなさい、本当に誰なんですか?何処かの飲み会で御一緒した方ですか?本当に覚えていないんです。」


「そう、残念ね。じゃあ、さようなら。」


そう言って、女性はそのまま電話を切った。加藤は不安な気持ちでスマホを置き、再び書類に向かった。

けれど、そのまま彼の頭の中には、女性の声が響いている。

『ねぇ、私どこにいると思う?』

加藤の脳裏にこびりつくように、女性の声が頭のなかで繰り返され、その言葉から離れることができずにいた。どこか妖しさを感じる、悪い予感が全身を蝕む。


夜が更け、彼は先程の電話の事は気のせいだと自分に言い聞かせ眠りにつく。

しかし、なかなか深い眠りに落ちることができない。その夜、加藤は恐ろしい悪夢にうなされ続けることとなる。


彼が夢のなかで目覚めると、そこは奇妙な場所だった。暗闇に包まれ、音も全く聞こえないそんな場所を歩いていると、ふいに不規則に点滅する赤いランプの明かりが彼を照らし出す。彼は辺りを見回し、周囲を確認していると突然、加藤は見知らぬ女性と向き合っていた。


彼は突然の事に驚き固まっていると、女性の姿はだんだんと崩れていき、異様なものへと変わっていく…そして彼女は、口から血を流しながら笑い、全身を緑色に輝かせている。


加藤はその顔から視線を外そうにも顔を動かすことも出来ず、目をつぶる事もかなわずにいると、女性が襲いかかってきた!

その瞬間、恐怖のあまり目を覚ます。

気が付くと彼はベッドの上で、突然の額からは大量の汗をかき、息を切らしている。


息を整え冷静に思考をめぐらすと、加藤は次第に夢で見た彼女の顔に見覚えがある事に気づく。彼女は、一年ほど前に後輩が主宰した合コンの席にいた女性だった。

その場では違う女性と仲良くなり、付き合う事となったのだが、合コンの二週間後、先程の夢で見た女性が突然に他界してしまった、と後輩から報された事があったのだ。

しかし、加藤には女性が夢の中にまで出てきて、自分に怖い思いをさせる覚えがなかった。しかし、女性が亡くなっていることに思い当たり、ぞっとする。彼女の目は、加藤の心の中にある罪深い過去を知っているような何か怨念めいたものを感じさせ、夢の中の顔が何度も何度もフラッシュバックする。

外はまだ暗く、夜も開けていない上に激しい風と雨が窓に打ち付けられていた。

そんな中、再び彼のスマホをに『あ』の着信画面が表示される。


「ねえ、博也さん。思い出してくれた?私たちはまだまだ話があると思うの」


加藤はその声に、高校時代自分に告白をしてきた後輩の事を思い出す。

サッカー部で10番を背負っていた博也には何人もの後輩が告白をしてきたが、その事に調子に乗り、その様子を悪友と動画に撮り、ツイッターでさらし、皆の前で嘲笑うようにフッた後輩の声が確かこんな声だったような……。

その後輩が数年後、整形手術を受けたとかそんな噂が狭い田舎町に広がっていた事を思い出す。

彼の心は恐怖が渦巻き鼓動が早くなっているのを自覚する。

博也が女性の声から様々な過去を思い返しているこえる中で、戸惑っていると、女性の声は次第に低くなり、不気味な口調に変わった。


「先輩、もう戻れないよ」


加藤は嫌な予感に襲われながら、もう一度誰かを尋ねる。すると、女性はにため息をついて。


「そう、皆の前であんな風に恥をかかせた相手の名前も忘れたのね…私はあなたにさらされた後輩の…………」


加藤は衝撃を受け、女性の名前を尋ねるが、女性は沈黙を続ける。加藤は焦ってスマホを握り締め、玄関にチェーンかけ、鍵が閉まっていることを確認すると、家中のドアというドアを開け誰もいないことを確かめホッとしたが、その時彼女が言葉を発する。


「そんなに必死になって探さなくてもいいのよ。私はここにいるから」


女性の声が途絶え、通話が切れる。

ベランダに人影を見た加藤は、半ば狂ったようにスマホを握り締め、ベランダに飛び出すが彼女を見つけることは出来なかった。

するとふいにベランダの下から声がする


「先輩、ここだよここ………」


加藤はたまらず下を覗き込むと……


「あ…」


加藤がベランダから姿を消すと、そこにはただの静かな部屋だけが残されていた。


その後、加藤は変わり果てた姿で発見され、ベランダの他はしっかりと施錠され、侵入者の形跡は無いと報告された。

しかし、彼が持っていたスマホには意味不明な加藤博也の言動が記録され、その動画が最期に投稿されていた。

警察はこの件を謎の自殺として処理をする。

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