6.新世界の章


大阪府——。


「なぁ、なぁ? 最近、この落書き、よぉ見るよなぁ?」


「知らんの? それ、これから教団になるグループの名前なんやで?」


「教団? 宗教?」


「なんでも新しい時代を築くんやて。新しい神が生まれて、新しい世界になるんやって」


「詳しーやん! まさか入ってんの?」


「やめてぇや、興味ないわ、でもかなり、ここらへんでは有名やで、知らん方が珍しいんちゃう?」


「うっそーん、ほんまにー?」


「ほんまほんま! それにな、ちょっとカッコええらしいで、そのグループの人等もビート系でな、ファッションセンスもやばいらしいわ。せやから、その教団に入りたい奴、多いらしいで」


「なにそれ? 宗教やなくてギャングちゃうのん?」


「どうなんやろ? ストリートアートで、教団の宣伝しとるって聞いたけど。ほら、この落書きも本格的やし。見てみ? 外人も見とれとるで」


「ほんまや、外人、落書き見惚れとる・・・・・・」


そんな会話をしながら、シンバの横を通って行く二人。


シンバは、ふぅんと頷きながら、そのストリートアートを見ている。


『CRUTO』そう描かれているようだ。


その落書きの下を、破れたポスターがカサカサと小さな風に揺れている。


見ると、ボクシングのタイトルマッチのポスター。


『勇気VS・・・・・・勇気ついに世界進出へ!』


勇気と言う人と誰かが戦うようだが、その誰かの名前は切れていてわからない。


シンバは、そのポスターが気になり、更にジィーっと見ていると、いつの間にか、横に、ガタイのいい男が立っている。


ダボダボの黒いパーカー、ジーンズ、それが余計に体を大きく見せるのかもしれない。


パーカーのフードを被っていて、クッチャクッチャとガムを噛んでいる。


ネックレスは銀のアクセ。勿論、両手の指にも銀のリング。


男はペッとガムを吐き捨て、


「アンタ、外人?」


そう聞いて来た。


「Yes」


まぁ、日本人から見たら、外人だろうと、シンバは笑顔で頷く。


「気に入ったん? このアート・・・・・・あー、英語でなんちゅうんやろ?」


「日本語で大丈夫。ていうか、アート? この落書きの事? 気に入ったって言うか、なんて意味なのかなって思って。『C』『R』『U』『T』『O』なんて単語、知らないから」


と、言うか、最終的に見ていたのは切れたポスターだったのだが——。


「ほんまや、日本語メチャうまいやん、自分」


と、男はフードを外し、シンバに、


「それクルトって読むんや、自分、何人?」


と、聞いて来た。


男は短髪で、色は金髪に染めているのだろう、目はブルー。それは恐らくコンタクトだろう。耳には幾つのもピアス。眉毛と唇にもピアスが光る。


っていうか、お前が何人だ?と聞きたくなるシンバだが、


「まぁ・・・・・・えっと・・・・・・ブリティッシュ」


そう答えた。


「ブリティッシュ? なんやそれ? 食いもんか?」


「そうじゃなくて、えっと、イギリスから来たよ、一応、イギリス人だけど・・・・・・」


「イギリス? 英国人なん? なんや、最初からそう言うたらええやん。イギリス好きやで。めっちゃええとこやん」


「知ってるの?」


「知っとるよ、聖剣ときたら、イギリスやろ。アロンダイト、エクスカリバーの原型カラドボルグ、エクスカリバー、カリバーン、クラウ・ソラス、フラガラッハ、フルンティング、レーヴァテイン。どれもイギリスで伝わる神のチカラが宿る聖なるソードやろ?」


「・・・・・・詳しいね」


「まぁな」


「でもレーヴァテインは北欧だよ」


「え?」


「あれは北欧神話に出てくる武器。でもイギリスからと思ってもしょうがない。北欧神話とはキリスト教化以前のゲルマン人が持っていたゲルマン神話の内、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、アイスランドに伝わっていたものがまとめられた物だからね。ゲルマン人はイギリスにもいた。でも長い歴史の中で、多民族や異民族との混血を繰り返して、古代のゲルマン人と同一の存在とは、今は言えなくなってるけど」


「ふーん」


「それにアーサー王伝説に登場する聖剣はヨーロッパと言う広い範囲で伝えられた伝説だよ。勿論、イギリスでも伝えられているけどね」


「ふーん、でもケルト族ってのはイギリスやろ?」


「ケルト族? 彼等は中央アジアの草原から馬と馬車を持って、ヨーロッパに来た。紀元前1000年紀にインド、ヨーロッパ語族の一集団として、東ヨーロッパに最初の文化的痕跡を残してる。彼等はかつてヨーロッパ全域にその勢力範囲を拡げ、ヨーロッパ文化の基礎を築いたとさえ言われてるにも関わらず、ローマやゲルマンの組織力に圧され、次第にヨーロッパ極西部に追いやられてしまったんだよ」


「でももしケルト人が一度でも統一国家を持ったなら、歴史は大きく変わった、そやろ? ケルトの戦士は輪廻転生を信じ、死を恐れず、果敢に敵に突進し、ギリシア人もローマ人もそんな戦士を恐れた。勇猛果敢な戦士、ケルト人。まさに俺が望む人物」


「・・・・・・」


「ほな、歴史的内容やなくて、宗教的なんは知っとる?」


「ケルト族の宗教? 当初の宗教は自然崇拝の多神教。後世にキリスト教化。でもキリスト教化した後、ケルト人独特の文化が消滅した訳じゃない。現在でもウェールズ、スコットランド、アイルランドには、イングランドとは異なる独自の文化が残ってるよ」


「そう、それ! それってな、結局、自分の信念を崩さず、でも誰かの信仰を手に入れるっちゅう事やんか?」


「・・・・・・」


「俺はケルト族の戦士やったんや」


「輪廻転生したの?」


「あぁ! ほんで、俺はこの世界を変える。新しい時代を生むんや」


「革命家だね」


「革命家、ええ響きやな、でも俺がなるんは、神や」


「・・・・・・」


「お前、宗教とか詳しそうやな、俺の仲間にならんか? 俺はナイツ」


「ナイツ?」


その名前を聞き、日本人じゃないのかとシンバは驚く。


その金髪も青い目も、偽物ではないと言う事だろうかと考えた時、


「まぁくん!」


と、シンバの背後で女が叫んだ。


ナイツはチッと舌打ちをすると、


「ここで、クルトの集会が行われとる。気が向いたら、夜、来いや、歓迎したる」


と、シンバに名刺のようなものを手渡し、パーカーのフードを再び被ると、行ってしまった。


「まぁくん! 待ってぇや!」


行ってしまうナイツにそう叫ぶ女。


シンバはその女の腕を持った。


振り向いてシンバを睨むように見た後、


「アンタもクルトなん!?」


嫌な感情のこもった声で、そう聞いた。シンバはその女の腕を離し、


「いや、オレはクルトと言う教団に入団するよう、勧誘された側」


と、ナイツからもらった名刺を女に見せる。


「まぁくん、何考えてんやろ、こんな家出外人にまで!」


「家出外人?」


「違うん? そんな大きなリュックで、旅行にしては大袈裟やん。今時、海外に行くんも、手ぶらが常識やで」


シンバは苦笑いして、


「マァクンって?」


と、聞いてみた。


「アンタが話しとった相手やん。浦河 真人(うらかわ まさと)。うちの幼馴染やねん」


「ウラカワ マサト? それが彼の本名だね? マァクンは愛称。じゃあ、ナイツって?」


「ナイツはクルトでのネーム。今のまぁくんは、浦河 真人て名前を捨てて、ナイツって名乗る方が多いねん。もうすっかりクルトのヘッド気分や」


「キミはマァクンの幼馴染で、クルト教の信者なの?」


「ちゃうわ! うちはクルトには入ってへん!」


「どうして?」


「あんなまぁくんは好きやない。前はボクシングに一生懸命やったんや」


「ボクシング! 道理で威圧感のある人だった!」


「プロのフェザー級、目指しとったんや」


「フェザー? そんな小さい? ライトウェルター級くらいありそうだったよ?」


「50キロ代から60キロ代に太ったんや!!!!」


「あぁ、そう」


今はボクシングは全くやっていないと言う事だろう。


だが、太ったとは言え、肉体を鍛え、筋肉質なだけあった締りのあるボディに変りはない。それに鈍ったとしても、キレのあるパンチは当たり前だろう。


充分、剣にも盾にもなる体と言う訳だ。


「何故ボクシングやめたの?」


「高校ん時、後輩にボロ負けしたんや。ラウンド数は3ラウンド行う形式やったんやけど、1ラウンドでノックアウト。その後、意識不明で病院行き。大した事なかったんやけど、本人はかなり凹んで、傷ついたみたいやわ」


「・・・・・・随分メンタル弱いんだね、宗教を開こうとしてるのに」


「宗教やるのにメンタル関係あるん?」


「いや、普通は精神的に弱すぎて、信者になるって言うならわかるけど、教団を持とうなんて思うかなぁって」


「・・・・・・まぁくんは助けられんかった事、未だ、後悔してんねん」


「助けられなかった?」


「その試合はな、イジメられてた子がおってな、その子を助ける為やったんや。ボクシングで勝負やって、相手が言い出してん。まぁくんは2年で、相手は1年の子で、その子がボクシングやってるなんて、知らんかったし、まぁくんも余裕あったんやと思う。後輩って言うのもあったしな。みんなもまぁくんの勝利を疑いもせんかった。何より、正義やと思った勝負やったんや。せやのに、あっという間に勝負がついて・・・・・・。その後、まぁくんは、負け犬として、高校生活を送って、今は、就職もせんと、大学も行かんと、詐欺紛いな宗教開いて。その1年の子は、すっかり英雄で高校を卒業、今はプロボクサー。イジメなんてした事もないって顔で、かっこええ爽やかボクサーとして人気急上昇。ありえへんやろ? でもそれがこの世の中なんや」


「成る程。それで新しい世界を築く、か。挫折が大きく出たな」


「何が? 大きくどころか、どんどんまぁくんダメになるやんか! 宗教なんて、そんなもん、詐欺師みたいなもんやんか!!!!」


彼女は本気で浦河 真人を心配しているようだ。


「まぁくん、元々カリスマあるし、直ぐに信者が増えたんよ。ボクシングしとる頃は人気もあって、ファンもおったからな、信者が増えるんは当然やけど、うちはまぁくんが詐欺師になるんは嫌やねん。ボクシングで自信過剰になっとるまぁくんの方が、まぁくんらしいし、まだ負け犬でくたばっとる方がええわ」


「詐欺師の方がいいかもね」


「は!?」


「神は騙せない。神を背負っても、自分の自信にはならない。神に操られるのなら、まだ、それの方がいい。神になろうとする教祖は、死あるのみ——」


「死!?」


「とりあえず、彼がどういう宗教を広めようとしてるのか、探る必要がある」


「ちょっ! アンタ、何者!? 探偵!? 日本語もうまいし、只の外人ちゃうな!? まぁくんの事、どうする気なん!?」


「どうもしないよ」


「でもアンタさっき死がどうとか言うとったやん!」


「安心して? マァクンからは何も感じない」


「へ?」


「There is somebody else」


「なんで急に英語なん?」


「他の誰かがいるって言ったんだよ、マァクンの他にね」


「他?」


「Yes. 本当のクルト教の生みの親がね」


シンバは真人からもらった名刺を、ジッと見つめ、


「ここのアドレスって、場所わかる?」


と、彼女に聞いてみた。


彼女は無言で、ついて来いと言う感じで背を向ける。


そして、着いた場所はナイトクラブ。


だから夜に来いと言ったのかと、シンバは納得。


「うち、もう行くで。どうせ、アンタ一人じゃ、何もできへんよ、まぁくんは強いしな」


「ありがとう、いろいろ教えてくれて、それに道案内までしてくれて」


シンバは笑顔で礼を言うと、


「変な外人」


と、呟き、彼女は行ってしまった。


その背には、諦めの文字が見える。


店は地下にあり、階段が下へと続いている。


シンバは夜まで、ここで待っていようか考えていると、その階段を上ってくる誰か——。


今、バチッとシンバと目が合うが、すごーく嫌な顔をされる。


当然だろう、シンバの身なりの汚さと大きなリュックは、ある意味、浮浪者だ。


「What do you do here?」


長い髪を掻き上げ、女はそう聞いて来た。


「別に何をしてるって訳じゃないんだけど」


シンバがそう答えると、


「なんや、日本語できんねや?」


と、女は呆れたような顔をする。


「えっと、その、マサト・・・・・・いますか? ウラカワ マサト」


シンバはそう言いながら、真人が渡した名刺を女に見せる。


女はさっき迄の嫌な顔はどこへやら、急に愛想よくニッコリ微笑み、


「なんや、ナイツの知り合い?」


そう聞いた。


「知り合いって言うか・・・・・・」


「ナイツの本名言うやなんて、知り合いの他に何があるん? 隠さんでええやん、知り合いやろ?」


そう言われると、なんて答えていいか、わからず、シンバは、


「Yeah. In fact, it is so」


そう答えた。


「あ、やっぱり英語も喋るんや? 店、夜からなんやけど、中で待っとる?」


「いいんですか?」


「ええよ、ナイツの知り合いなら、歓迎や。うち、ちょっと、直ぐそこのスーパーへ買い物に行ってくるさかい」


と、女は店の鍵をシンバに手渡した。


「・・・・・・いいの? オレ、泥棒かもよ?」


「あはは、何もあらへんよ、盗むもんなんか」


言いながら、女は手を振り、行ってしまった。


シンバは鍵を見つめ、随分と真人は信用されているんだなと思う。


真人と知り合いだと言っただけで、鍵を渡すくらいだ。


とりあえず、店の中へ入ってみる事にした。


地下へと続く階段。


ちょっとしたローカ。


奥の扉。


開けると、そこは広いフロアが広がり、ディスクジョッキーのスペースもある。


「Wow!」


シンバは高級そうなソファに荷物を置き、店内を見て回る。


高そうな絵画も飾ってあり、お手軽なナイトクラブと言う雰囲気ではなさそうだ。


天井にはミラーボール。


広いカウンター。


「Great!」


思わず、シンバも声を上げる程。


「誰や、このデカイ荷物!」


その声に、振り向くと、ソファに置かれたシンバの大きなリュックを睨みつけている男。


「Sorry, my load!」


と、急いで駆け寄ると、男はシンバを睨み、


「誰や、お前?」


と、今にも喧嘩を仕掛けてきそうな勢い。


苦笑いするシンバに加勢するように、


「その人、ナイツの知り合いみたいやで」


と、さっきの女がスーパーの袋を持って現れた。


「ナイツの?」


「そ。自己紹介がまだやったね、私、クイーン。で、この怖いオニイサンはルーク」


「クイーン? ルーク?」


と、シンバは二人の名前を呟き、不思議そうな顔をする。


「あ、なんだその名前とか思うとる? 日本人らしくないて? これはね、ホーリーネームなん。私達はクルト教団の幹部で、そう呼ばれとるん、だから、アナタもそう呼んで?」


「・・・・・・OK. My name is Simba.」


「シンバ? アナタの名前なん?」


「Yeah」


「ヘッ! 変な名前」


と、笑うルーク。


そんなルークを肘で小突くクイーン。


「他に幹部はいるの?」


「後はナイツと、ビショップにポーンがおるよ」


「クイーンに、ルークに、ナイツに、ビショップ、ポーン・・・・・・キングは?」


「キング? そんなんおらんけど?」


「・・・・・・じゃあ、そのホーリーネームを考えた人は誰?」


「ナイツやけど?」


おかしいなとシンバは首を傾げる。


「変な外人やね、ルーク、ご飯食べるやろ? 良かったらシンバも」


と、クイーンはスーパーの袋を持って、カウンターへ向かう。


その場にルークとシンバは二人きりにされ、二人、何故か見合う。


「あのさ、ナイツはチェスでもやるの?」


「チェス? なんやそれ」


「知らない? チェスボード。ボードゲームだよ」


「知らんよ」


とても面倒そうにルークは答える。


「でもクイーンに、ルークに、ビショップに、ポーンって、全部、チェスの駒なんだよ。只、ナイトが、ナイツってなってるのは気になるけど。それにキミ達のナイツはクルトの中でもトップだよね? なのに、チェスの駒だと、ビショップとナイトは小駒なんだ」


「はぁ!? なんやねん、お前、意味不明発言しやがって!」


別に意味不明発言はしてないと言おうと思ったが、喧嘩になりそうなので、シンバは黙る。


チェスの駒の名称を適当につけたのだとしても、何故、キングという駒をトップの名でつけなかったのか——。


誰もキングと言う名をもらっていないのは、何故か——?


キングは王を表す。


クイーンは王妃。


ルークは戦車。


ビショップは僧侶。


ナイトは騎兵。


ポーンは歩兵。


キングがいないと言う事はクイーンが位置的にトップと言う事になるのか——?


「オムライスできたよ」


と、クイーンが笑顔で、オムライスを持って来る。


玉子の上に、ハートや星のマークをケチャップに描いて、可愛らしく出来上がっている。


「Thank you」


と、シンバはそれを受け取り、ソファに座り、クイーンとルークと一緒に食べる。


クイーンは長い髪を後ろで束ね、小さな口に、オムライスを運ぶ。


彼女からは何も感じない——。


あっという間に食べ終わり、テーブルに食器を置くと、今度は水を一気飲みするルーク。


夏だが、ドクロの絵が描かれたニット帽を深く被り、ダボッと着こなしたシャツとジーンズ。腕には、やはりドクロのマークが入ったリストバンド。


そんな彼からも、何かを感じる事はない——。


「あれ? ルークとクイーンと、そいつ誰? 外人やん!」


と、現れた男。


「ビショップ! この人はナイツの知り合いでシンバ。シンバ、彼はビショップ、この店のDJもやってんの」


クイーンが紹介をしてくれて、シンバはビショップに手を差し出し、


「よろしく」


と、笑顔を見せる。


ビショップも、そのシンバの手を握り、


「どうも」


と、笑顔を見せた。


だが、手を握っても、この男でもないと、シンバは何も感じない。


「ねぇ、キミ達クルト教団は宗教団体だよね? 崇拝する神はどんな神なの? どんな教えをしているの?」


「あぁ!?」


シンバの質問が何か気に入らなかったのか、ルークが、いきなり睨みつける。


「ルーク、なんでお前はそんな態度なんや?」


ビショップがそう尋ねると、


「あぁ!? コイツ、ムカつくんや、東京弁で!」


と、シンバを指差して言った。


「東京弁てなんや。標準語言えや。それにな、何れ、クルトは関東進出もするんや。そんな事でムカついてたら、この先やってけんで」


そう言ったビショップに、ルークは舌打ちをする。


「クルトが崇めとる神は海と大地を司ると言われる神ガイオス。クルトは悪魔と戦い、勝利し、ニューエイジを築く」


ビショップがそう説明をする。


「・・・・・・ガイオス? 海と大地・・・・・・ナイツ・・・・・・悪魔と・・・・・・?」


気になる単語を呟くシンバ。そして、


「悪魔って? 誰?」


そう尋ねる。


「ははは、誰て、別に誰でもあらへんよ。そうやな、新世界では、まず暴力をなくす。例えばボクシングとか、スポーツやけど、別に必要ない思わん?」


と、ビショップに尋ね返される。


「必要ないとは思わないけど。あれはあれで必要なんじゃないのかなぁ」


「そう思うんは悪魔に支配された心を持っとるからや。あんな殴り合う事がほんまに必要か? つまりや、悪魔は、そういう必要のない無駄な暴力行為。それをスポーツや言うて正当化しとるのは許されん」


「それはマサトが決めたの?」


頷くビショップに、


「本当に?」


再び、確認するシンバ。


「なんやねん、さっきから、お前!!!!」


と、ルークが吠えて、シンバの胸倉を掴んだ。


「これは暴力行為なのに、いいの?」


そう聞いたシンバに、ルークは舌打ちし、シンバを突き飛ばした。


「ねぇ、マサトは昔ボクシングしてたよね? なのに、ボクシングを暴力行為だって言うかな? スポーツだと正当化した暴力? そんなのマサトは言わないよ」


「なんで言わん思うんや?」


そう問うのはルーク。


「だって、ボクシングをやった事がある人が、あれは暴力かスポーツかくらい、わかるよ」


「そうやろか、俺もボクシングやってたで」


「ルークも? じゃあ、ボクシングがスポーツか暴力か、わかるでしょ!?」


「ええか、あれは暴力や!」


言い切ったルーク。


まるで、自分に言い聞かすように。


「そんでな、人には知られたくない過去っちゅうんがある。そこに踏み込むな!」


その台詞で、ルークにも、過去、ボクシングで何か嫌な事があったのだと、シンバは悟る。


だが、ボクシングに対して、あれは暴力だなんて、ボクシングで暴力に合った人間が言う事だ。ボクシングをやっていた真人が本当にボクシングを暴力だと言ったのだろうか。


誰かが言った台詞を、無理に納得してるんじゃないだろうか、このルークのように——。


シンバはハッと何かに気付いたのか、


「身長は155センチ以内、体重は43キロ以内かな、それくらい小さい奴って、クルトにいる?」


そう尋ねると、皆、顔を見合わせた。最初に、クイーンが、口を開き、


「それナイツの友達の事ちゃう?」


そう言った。


「友達? クルトじゃないの?」


「クルトには入ってへんよ。でもナイツとよく一緒におるし、メチャ小さいし、小柄な男やし、一度見たら、忘れへんわ」


クイーンがそう言うと、


「今もナイツ、ソイツとおるんちゃう?」


と、ルークが言う。


「確か、ナイツより、ひとつ年下やったよな? ソイツ」


と、ビショップが言う。


——1つ年下・・・・・・。


——イジメられていたのを助けた・・・・・・。


——後輩にボロ負けした試合・・・・・・。


「でもなんでソイツの事なんか聞くん?」


と、クイーンはシンバを見る。


「うん、あのさ、もしかして、ガイオスって、ポセイドンから?」


シンバが答えを言わず、更に問いかけるから、皆、余計、シンバがわからなくて、黙り込む。


だが、黙り込む辺り、ポセイドンの名は知っていても、よくは知らないようだ。


「これはあくまでもオレ個人の考えと言うか、推理なんだけど・・・・・・。海洋の神ポセイドン。大地の神とも言われてるんだよ。そして、別名エンシノガイオス。多分、キミ達が崇める神の名は、そこから来てるんじゃないかな。競馬の守護神として崇められていると、知ってる人も多いだろうけど、馬の神でもある。そしてナイツは、チェスの駒のナイトを意味するとしたら、どうして、複数形なのか。ナイトは二人いるから、ナイツなんだ。ナイトの騎兵の駒の形は馬なんだ。馬に乗って戦う兵士。馬に乗るとしたら、騎手。騎手は小さくて軽い人物じゃないとなれない。実際に、そういう人物がいるから、チェスの中でキングをトップとしないで、馬を操るナイトをトップにした。つまり、ソイツが、クルトの真の支配者って訳だ」


シンバがそう説明したが、3人共、何を言っているのだろう?と言う風に、ポカーンとした顔をしている。


「それか、キングはガイオスとして、ホーリーネームには使わなかっただけかな」


そう言ったシンバに、3人共、理解したのか、怖い顔をして、立ち上がった。


「なんや、お前、ナイツを馬鹿にしとんのか?」


ルークがシンバをギロリと睨み、言った。


「アンタ、ナイツの知り合いっちゅうか、ナイツを侮辱してんの?」


クイーンが冷めた目をシンバに向け、言った。


「ナイツは優しいだけや! あんなチビがクルトの真の支配者な訳あらへん!」


ビショップが、シンバに怒りの表情を向け、吠えた。


恐らく、ナイツ=真人であって、真人について来たが、それが、別人だったとしたら、許されない事なのだろう。


自分が信じてきた者が、全く違ったら、それだけで人は怒る。


神も想像通りじゃないと、人に不信感を齎すと言う事だ。


「なんや、みんな、集まっとるなぁ」


と、やって来たのは真人と、もう一人——。


「ナイツ! ポーン!」


クイーンがそう呼んだので、もう一人はポーンらしい。


「あれ? お前、夜言うたのに、もう来たんか?」


真人はシンバを見て、そう言った。


「ナイツ、ほんまに知り合いなん? コイツと!」


クイーンの声色は好感が全くなくなった。


「あぁ、この外人な、結構、宗教知識あるみたいやねん。やっぱこのままやと、只のギャングみたいやんか。信者も増えてきたしな、宗教法人として認証される為には、もっと宗教らしいならなアカンやろ? で、コイツを仲間にしようかなぁって思うんやけど・・・・・・」


「——でもマサト」


突然、シンバが、『マサト』そう呼んだので、みんな、シンバを見る。


「ピースは全部、揃ってるから、仲間はもういらないって言われなかった? まさかオレにキングって名付ける訳にはいかないしね?」


「・・・・・・誰に言われるて?」


「それでトボけてるつもり? わかってるんだよ、ナイツは二人いるんだろ?」


不敵な笑みを浮かべ、そう言ったシンバに、飛び掛ったのはルーク。


「ええ加減な事言うな!」


と、シンバの胸倉を掴んだつもりが、シンバに腕を捻られる。


イテテテテと翻った腕の痛みに顔を歪ませるルーク。


さっきは簡単に胸倉を掴んだ。だが、これは自分の油断なのかとルークはシンバに持たれた腕を直ぐに解こうとするが、なかなか解けず、足掻いてしまう。


「嘘やろ、ルークもボクシングやってたんちゃうんか!?」


そう囁いたのは、ポーン。


意図も簡単にルークが、シンバにやられているように見えるのだろう。


シンバがルークの腕を離すと、ルークはシンバとの距離を置く為か、素早く後退し、シンバを睨む。これは油断じゃないと確信している。


明らかにシンバは、ここにいる男達の中で一番細い。


見た目も弱々しく思うが、そういう見た目は戦闘に関係ない事など、一度でも誰かと正攻法で戦った事があるならば、わかる。


ルークとナイツは、シンバの強さを驚く事はなく、冷静に感じ始めた。


シンと静まる中、


「あはははははははは!!!!」


と、突然、真人は大笑いする。


「なんやねん、これ、何のギャグ? おもろなー! 笑ってもうたけど! なんでこんな緊迫した空気醸し出してんねん! この外人は俺が声かけてな、勧誘したんや。別にホーリーネームくらい、幾らでも考えたらええねん。何しようか、そやな、まず、その汚い格好どうにかした方がええな。よし! ちょっとこっち来いや、俺の服やるから」


と、真人はシンバを手招きし、店内の裏へと誘う。


だが、誰もが、緊迫した空気を払えず、そのまま立ち尽くしている。


シンバは真人と一緒に、スタッフルームへと入った。


今、シンバと真人が二人きり——。


「・・・・・・俺の名前、あの女から聞いたんか?」


振り向いて、シンバを見て、真人が聞いた。


「Yes. キミの幼馴染だって言ってた」


「ほな、ナイツが二人おるって誰に聞いたんや?」


「誰にも」


「今更、嘘言うな」


「嘘じゃないよ、ホーリーネームはチェスから名前をとってるんだろう? なのに、ナイトだけ、ナイツって複数形なのは何故かなって」


「外人なんか勧誘するんやなかった。チェスなんか外人にとったら、日本人のオセロと同じで、必ずやるようなもんやもんな」


オセロと同じなのだろうか、そもそもチェスだって日本人もやるだろう、もし比べるなら将棋じゃないかと、シンバは思う。


つまり、この会話だけでも、この集団は若者ばかりで、頭脳明晰な人物も少なく、中途半端なものだとわかる。


大体、チェスから名前をとるにしても安直すぎる。


だけど信仰心は結構、強いのだろう、大きな神が生まれようとするチカラが、ここら一帯の風を荒らしているのだから——。


「もう一人のナイツは? 騎手?」


「・・・・・・いや、競馬学校を途中でやめてな、騎手にはならんかった」


「何故?」


「馬に乗る授業で、怪我してな。右腕が本のちょっと動きが悪くなったんや。ちょっとした障害や。別に生活に支障が出る訳やないし、障害者としも認められん。せやけど、騎手には、もうならんて本人が言うとる」


「その人は、どこで知り合ったの?」


「高校の後輩や。よくイジメられてたんや、勇気に——」


「ユウキ?」


「知らんか? 最近は有名ボクサーやで? よぅテレビに出とるしな」


シンバは、思い出したように、手をパンと叩き、


「タイトルマッチのポスター見たよ、そのユウキの! クルトの落書きのせいか、破れて汚くなって壁の下の方になってたけど」


そう言った。


真人はクッと笑い、


「アイツのポスターは全部クルトの落書きで潰したるねん」


と、嬉しそうに答えた。


「俺もこう見えても若い頃はボクサー目指しとってん」


「今も若いでしょ」


「もっと若い頃や! でもな、勇気に俺は負けたんや。なぁ、なんで悪の方が強いんかなぁ? 神様は無料やないんやな、やっぱ崇拝せな、意味ないねんな」


「・・・・・・」


「アイツはボクサーとして、ほんまに強い。フックってわかるか?」


と、真人は上半身をひねり、それを利用した側面からのパンチをして見せる。それがフックというパンチなのだろう。


「ボディブロー」


と、今度は下を狙うパンチをシャドー相手に繰り出す。


「ボディブローは首から下、ベルトから上を狙うんや。心臓、肝臓、腎臓などをヒットさせる。それが勇気の得意とする攻撃。でもアイツのパンチのテンポは癖ありでな、クリンチしながら自分のパターンに持っていかな、即効やられる」


真人は勇気をよく見ている。


恐らくテレビに出たりしたら必ず見るのだろう、もしかしたら、試合も見に行ったりしているのかもしれない。


「でもアイツに未来はないで。俺のが有名になって、アイツを潰したんねん。アイツの未来を壊したる。ボクシングなんかない世界にしたんねん」


「・・・・・・」


「世界を変える。新しい世界を創る」


「ねぇ、マサト、あの時、マサトが負けたのは、油断してたからじゃないかな?」


「え?」


「だからユウキに負けたのは、油断してたんだよ。それにあの時マサトは強くて、みんなにも人気があったんだろう? だったらユウキの方はマサトのデーターがあったかもしれない。逆にユウキのデーターが何もなかったマサト。フェアな戦いじゃなかったかもしれない」


「なんもかんも、あの女に聞いたんか。幼馴染ってだけで、ほんま、勝手に人の過去を喋くりおってからに! 言うとくけどなぁ、負けは負けや! 俺は負けたんや!」


「次は勝つかもしれないよ」


「ああ、次は勝ったるよ! アイツを潰したんねん言うとるやろ!」


「同じ舞台に立たなきゃ勝負じゃない。リングの上で勝たなきゃ意味ないと思うよ」


「なんやと?」


「もう一度ボクシング始めたら?」


「アホ言うな! 大体、階級もちゃうわ、アイツはフェザー、俺は今やるとしたらミドルはあるしな」


「体重落とせばいいじゃん」


「簡単に言うな!」


「逃げてるだけだね」


「あぁ!?」


「また負けるのが怖いんだ。負け犬として呼ばれるのが怖いんだろう? 人気者も落ちる時はあっと言う間だった?」


「お前なぁ、ぶっ飛ばされたいんか!」


「言っておくけど、マサトは信仰が厚い人かもしれないけど、本当に崇めている神はガイオスじゃない! マサトが尊敬しているのはケルト人の精神なんじゃないの? 勇猛果敢な戦士を目指したいんだろう? なら、それでいいじゃない。なんで尊敬もない神を信仰するの? 意味ないよ」


シンバの台詞が気に入らなかったのだろう、行き成り、スタッフのロッカーを思いっきり殴りつけ、ボコッと凹ましたマサト。


そして、鋭い目でシンバを睨む。


「・・・・・・fierce」


冷や汗を感じながら、そう呟くシンバ。


だが、シンバは言葉をやめない。


「マサトが神と言う存在を信じているなら、神は見てる。神に見放されたと思う出来事も、神に裏切られたと思う事も、マサトが強くなる為に与えた試練だと思わない? 人間はカッコ悪い方が這い上がる。挫折が強くさせる。それに神は騙せないよ」


「あぁ!?」


「マサト、ユウキとリングで戦ったんだよね? どうして素人をリングに上げたの?」


「アイツは素人ちゃう!」


「でも素人だと思ってたんだろう? 最初は」


真人の顔が怒りで怖くなるが、シンバは台詞を続ける。


「マサトは本当にイジメを止めようと思った? 只、自分が正義のヒーローだと、みんなに認識させたかっただけじゃないの? そうするには勝負に勝たなければならない。自分の得意なボクシングなら、勝負は勝ったも同然。そう思わなかった?」


「ボクシングで勝負や言うたんは、アッチや!!!!」


「その時、ラッキーだと思わなかった? 向こうから自分のテリトリーに入って来てくれたと思わなかった? もし、向こうがチェスで勝負だって言ったら、どうした?」


「・・・・・・」


「チェスのルールとか知ってる? チェスじゃなくてもオセロでもいいよ、日本人が得意なら、将棋でもいいし、兎に角、マサトの得意じゃないもので勝負を持ちかけられたら、マサトどうした?」


「・・・・・・」


「神はそんなマサトの心も見てるよ」


「やかましい!!!! ほな、俺が全部悪い言うんか? イジメてた勇気は正しいんか? アイツが正義なんか! だからアイツはプロとして名も上げて、世界へ出れるっちゅうんか! そういう事なんか!」


「ユウキが正義だなんて、誰も思ってない。だけど罪や罰はその場で受けるとは限らない。ユウキがずっと急上昇で行く訳がないだろう? 人は皆、罪を犯す。小さな罪が大きな罰となる場合もある。大きな罪が小さな罰で済む時もある。だけど、罪の重さは、必ず公平に罰として下される——」


「・・・・・・はっ! 笑えるな。お前、何様や?」


「・・・・・・」


「自分は罪も犯した事がないっちゅう感じで、人に教えとるようやな。どこぞの教祖気分か? 生憎、他所の宗教を俺の宗教へ引き抜こうとは思わん。帰ってくれ」


「・・・・・・」


「殴られん内に帰れや!!!!」


と、真人はまたロッカーをバンッと拳で殴り、シンバを威嚇する。


ロッカーを殴るのは、これで2度目。


流石にこの大きな音にクイーンがドアを開けて、入って来た。


そして、真人とシンバの雰囲気に、


「ここの店は私の店や。クルトの信者として迎えるのは構わんけど、クルトの幹部として迎え、この外人を、この店で働かせる言うなら、私は許さんよ、ナイツ」


と、そう言って、シンバを睨む。


「そう言うこっちゃ。悪いな、出てってくれ。この店はクイーンの親のもんでな、俺等が任されとるけど、クイーンの許可なしでは従業員は雇えん。俺が先走りしすぎて、お前に声かけたんは謝るわ」


真人はそう言って、シンバを見る。


「OK. I leave」


シンバは出て行くと言うと、スタッフルームを後にし、ルークやビショップ、ポーンの横を素通りし、大きなリュックを背負い、その店を出た。


だが、店を出ても、ここから離れる訳にはいかない。


これから、どうしようかと考えなければならないのに、


『自分は罪も犯した事がないっちゅう感じで、人に教えとるようやな』


その真人の台詞が頭の中でぐるぐる回る。


罪人と自ら名乗り、この世で一番の罪を犯し続けるSINNER。


人を助けるのが仕事ではない。


神のチカラを統一させ、善悪のバランスを公平にするのが、SINNERの仕事。


自然に滅びる神はほっておいてもいいが、必ずチカラをつけ、この世界に多大なる影響を与える神はほっておけない。


その神の教えで、善悪の天秤がどちらかに大きく傾く事は、この世界が滅びると言う事。


この世界が滅びたらどうなるか、誰も知らない。


だが、誰も知らないからこそ、そこへ辿り着かせては行けないのだろう。


滅びると言う事は神々もいなくなる。


それはこの世界に何もなくなると言う事だ。


だからこそ、誰かが、罪を犯してでも、世界のバランスを保たなければならない。


善悪と言うのは難しい。


これをしてはいけない、あれをしてはいけない、何故か、それが悪い事だから。


そう教わっても、それは人間世界のルールであって、実際に、本当の悪い事と言うのが何か、誰もわからない。


こうすればいい、ああすればいい、それは、良い行いだから。


それも人間世界での良い事であって、それは人間だけに良い事で、大きな視野で見ると、それが正義か、どうか、誰もわからない。


正義と言う名の自己満足、悪と言う名の自己犠牲、善悪にも様々ある——。


そして神も人も様々だ。


それだけ多くの神と人がいる中で、何故——。


「Why will I be a SINNER・・・・・・?」


何故、オレは罪人なのだろうかと悲しい疑問が口を吐く——。


誰かがやらねばならない事。


それが、シンバの血筋となる者。


過去、誰が最初に始めた事なのか、わからないが、その運命に逆らった者もいたかもしれない。それでもこの血は消えない。


神達が先祖代々、子孫代々、この血を罪深い者として呪う——。


それはどんなに足掻いても逃げれない。


なりたい訳じゃないのに、罪人になるしかない。


それが運命——。


罪人なら罪人らしく行動すればいいだけの事。


今、目の前に、小柄な男が立つ。


「罪人やろ?」


笑顔でそう聞いたこの男。


一目でシンバを罪人とわかると言う事は、もう神と一心同体と言う事。


「Who are you?」


「聞かんでもわかるやろ?」


「Your name?」


「ガイオス」


「・・・・・・No. It is not your name」


「それは僕の名前じゃないって?」


言いながら、男は、ニヤリと笑い、


「もうその名前しか、思い出せないよ」


と、目をカッと見開いた。


「place of God!?」


目の前の光景に、思わず『神域!?』と、声を上げる。


一変にして世界が変わる。


一瞬にして、久遠となる世界へ引きずり込まれたのか、或いは世界そのものを変えたのか。


どちらにしろ、ガイオスのテリトリー、神域へと誘われたようだ。


背後に下へと繋がる階段。それはナイトクラブへの階段だろう、ナイトクラブだけが残されて、後は全てが消えている。


大きなビルも、建物も、人も、車も、目の前にあったもの全て消えた。


嘘だろとシンバは自分の目を疑う。


幾らなんでも人間が人間を神域へ誘う程のチカラなんて有り得ない。


一心同体どころか、ガイオスそのものだ。


「・・・・・・まさか、神を憑かせてるのか?」


「日本語できるんやね?」


「神そのものになる気か!?」


「だって、神の世界は神が多すぎてガイオスが小さくなるやろ? せやけど人間の世界やったらガイオスは大きいやん? 思想とか理想とか信念とか、そういう架空染みた世界でしか神が存在できへん訳やない。人間の世界に神が君臨する事だってアリやろ?」


道理で、荒々しく風が吹き荒れる筈だ。


新しい神が、只、生まれた訳じゃない。


人間の世界に君臨しようと、神が誕生したのだ。


他の神々が怒り狂うのも当然だ。


「なぁ、罪人って神殺しなんやろ? 僕を殺すん?」


「・・・・・・」


「なぁ、返事してや」


「・・・・・・」


「なぁって!!!!」


突然、男から見えないチカラが溢れ、それがシンバの体を後ろへ突き飛ばした。


シンバの背後に下へ続く階段があり、シンバは階段を転げ落ちる。


その大きな音に、何事かと、店の中にいたクルトの幹部を名乗る連中が出てきた。


階段の上の世界が、変だと感じたのか、ルークは上を見ながら、恐る恐る近づき、そして、


「なんや、どうなってんのや?」


と、階段を駆け上った。


ルークが駆け上るのと同時に、皆、後に続く。


勿論、真人も行こうとした時、シンバが、真人の足首を掴んだ。


「なんやねん、お前、まだおったんか!」


と、真人がシンバの手を振り解こうと、足を振る。


とりあえず、背負っていた大きなリュックがクッションになり、シンバは大した事なさそうだ。だが、リュックは邪魔になると、その場に置いて、シンバは立ち上がり、


「アイツの名前は?」


と、真人を逃がさないように、立ち上がり、肩を掴んだ。


「なんやねん、離せや!」


「名前!」


「名前てなにがや!」


「マサトの友達の名前だよ!」


その時、階段の上でクイーンの悲鳴。


ポーンとビショップが逃げ帰って来て、


「なんや、あの化け物!」


と、脅えている。


「化け物?」


真人は眉間に皺を寄せ、尋ね返すが、ポーンとビショップは脅えていて、言葉にならない言葉を発するばかり。


シンバが階段を駆け上ると、真人も階段を駆け上って来た。


そして、そこには、小柄な男の背後に大きな馬のような化け物が立っている。


「・・・・・・お、おい、何してんねん、ちゅーか、ここ、どこや?」


真人は何もない世界にも驚いている。


「ナイツ! あの化け物はなんなん!?」


と、クイーンが、真人の背後に隠れる。


ルークは化け物を目の前にして、唖然とした表情で、フリーズしている。


「ゆ、夢か? これ夢なんか!?」


真人が現実と夢の区別がつかなくて、混乱する。


「どうしてガイオスを崇める者が逃げるんや? まぁええわ、罪人を差し出すんや」


小柄な男がそう言って、真人を見るが、真人は意味がわからず、首を振り、


「お、おい、お前、その後ろにおる化け物はどうしたんや?」


そう尋ねた。


「あれはキミ達の神、ガイオスだよ」


シンバがそう答えると、真人は振り向いて、シンバを見る。


「ガイオスを君臨させるあの男の本名は?」


シンバのその問いに、真人は答えられない事に気づいた。


「名前・・・・・・? 名前? 名前は・・・・・・」


真人は必死に記憶を辿る。


名前が思い出せない。


そんなバカなと、何度も自分の記憶を辿る。


「ガイオス! ちゃう! アイツの名前、名前、名前! わからん! ガイオスしかわからん! なんでや! さっきまで名前覚えとった筈やのに!!!!」


混乱しているせいだ、そう思い直し、冷静さを取り戻そうとする真人。


だが、冷静になればなる程、彼をガイオスだと思う。


「名前、呼んであげて! 神と離脱させよう!」


シンバがそう言うが、真人は名前を呼べない。


「とりあえず、店の中へ避難して、思い出したら、必ず呼んであげて!」


シンバがそう言って、化け物に向かって行く。


「お、おい!」


何故、お前も避難しないんだ? 一緒に逃げようと言う言葉は出なかったが、正人はシンバが逃げないなら、自分も逃げてはいけない気がした。


それに店の中へ避難と言われても、一体、今、何が起きているのか、サッパリわからない。


クイーンが真人の腕を引っ張るが、真人は首を振る。


逃げないと言う事だろう。


ルークが我に返り、クイーンの腕を引っ張り、階段をおりて行った。


シンバが見えないチカラによって、簡単に飛ばされ、引っ繰り返され、地に叩きつけられている。


まるで人差し指で、ピンッとゴミを弾くかのように、シンバが飛んでいる。


「なんやねん、なにしてんねん、おい、もうやめとけや、ソイツ、死ぬで・・・・・・」


そう呟き、真人は、一歩一歩、近づく。


「おい、おい、おいって!!!!」


真人のその声に、小柄な男は反応し、真人を見た。


「なにしてんねん、やめとけや・・・・・・」


そう言った真人を、笑い、


「その台詞、あの時みたいやねぇ」


と、小柄な男は笑う。


「あの時?」


「僕を助けてくれたあの時や。キミが勇気に負けた日。でも、もう二度とあんな日は来んよ。僕等は強くなったやろ? 誰も僕等を止められん。僕等が望んだ通り、神は叶えてくれたんや」


「・・・・・・叶えてくれた?」


「そうや。僕もキミも勇気を殺す事を望んだやろう? 勇気をヒーローやと称える連中、皆殺しや。今やボクシング界のアイドルやもんなぁ、アイツ。嘘の笑顔で、人々を騙しおって、許さん! 騙された人間も含め、みんな、ガイオスの名の下に血祭りや!」


「・・・・・・それが望み? 俺等の望み? 暴力のない世界にするんやないんか?」


真人はわからなくなって来ている。


でも、今、額から血を流し、ゴミのように転がっているシンバは勇気とは関係ないと、


「その男は勇気を何とも思うてないのに、なんで!?」


そう叫んだ。


「この男は神殺しの罪人なんや」


「神殺し? 罪人?」


「ガイオスの天下を嗅ぎ付けやって来たんや。コイツは殺さなければ、僕等の天下の邪魔となる。勇気よりも、僕等の天敵となる存在やからな」


「そんなアホな! 神なんか殺せるか!」


「いいや、罪人は神を殺せるんや。罪人は全ての神を信仰し、全ての神と接触し、全ての神を統一させ、その為には、殺す事も戸惑わん、罪多き人間」


「・・・・・・ちょ、ちょお待てや、お前、なんか変ちゃうか? お前、そんな性格やったか? もっと、大人しいっちゅうか、オドオドしとるっちゅうか——」


「何を今更? ずっとこの性格だったよ、ガイオスとなってからは」


気付かなかったのは真人の方。


動かされていたのは真人の方。


只の駒扱いされていたのは真人の方。


今頃になって気付いても、彼の本当の名前すら、思い出せない。


いや、思い出せないのだろうか、名前さえ、まだ聞いてなかったのかもしれない。


言う程、彼を想っていない自分に気付いた。


クイーンも、ルークも、ビショップも、ポーンも、本名が何か、真人はわからない。


一体、何の集まりだったのだろうか。


夜通し、笑って過ごした日々。


酒を飲んで、歌って、踊って、騒いで、皆が『ナイツ』と呼び、天下をとった気分だった。


だけど、今更、『ナイツ』って誰だったのだろうと思ってしまう。


生まれた時、名付けられた本名を、呼んでくれてた人の顔が、思い出せない——。


なんだか無償に悲しくなって、真人はその場に膝を落とし、座り込んでしまった。


全部、自分自身と、彼、ガイオスが重なるのだ。


彼の知識、彼の理想郷、彼の思想、彼の信仰、その全てを、うまくコントロールし、自分の物であると思い込み、彼をクルトの仲間にはせず、裏で使っていたのは自分自身だ。


彼を駒扱いしていたのは、自分自身だ。


その報いが、こうして返って来たのだと、真人は思う——。


「俺、お前がイジメられてんの見た時、助けられる思うた。正義やと思うた。でも違ったんや。俺は俺がかっこええヒーローになる為に、イジメを止めただけなんや。ごめん。俺、お前の名前さえ、呼んであげられへんねんな。お前をほんまに助けたいと思うても、助けられへんねんな。どんだけ弱いねん、俺・・・・・・」


俯く真人に、


「Do not give it up!!!!」


シンバが吠えた。真人は振り向いて、シンバを見ると、既に血だらけだが、立ち上がり、


「諦めるなよ、マサトを疑いもなく正義だと思っている誰かがいるって事、忘れるな!」


そう叫んでいる。叫びながら、ガイオスに立ち向かう。


「誰かて? あぁ、クイーンやルーク達の事か? でもアイツ等はほんまの俺を知らん」


「No!!!!」


「ノー? 違うって事か? 他に俺を正義だと思っている奴なんて・・・・・・」


言いながら、真人は幼馴染の彼女を思い出した。


『まぁくん!』


幼い頃から、変わらず、そう呼んでくれている彼女。


今も変わらず、無視しても、気付かせるように、何度も何度も声をかけてくれた。


「マサト、本当はボクシングしたいんだろう? ケルト族の戦士のように戦いたいんだろう? そろそろ本音を吐けよ!」


「本音? 俺は勇気を倒したいだけで、別に勇気程ボクシングしたい訳じゃないねん! それに騎手になれんアイツはどうすんねん。神に縋って、生きていくアイツをどうしたらええねん! 今、神を手に入れたアイツを、俺はメチャクチャ怖い思うとる。化け物や思うとる。メチャクチャ強いチカラで俺等を支配しようとしとる。でもアイツはずっとそんな想いを勇気に持ってたんや! そんで俺は助けられんと、自分がかっこつけたいだけで、結局——」


「縛られすぎなんだよ、過去の事に! いいか、ユウキ程とか、いらない。マサトがボクシングしたいか、どうか! アイツを助けられないとか、そんなのマサトが決める事じゃない。助けたいと思う願いがあるか、どうか! 簡単な事だよ」


「簡単な事・・・・・・?」


今、シンバの手の中に、先端が3つに分かれた槍のような武器が現れた。


真人は目を疑う。


そんな大きな槍、どこから持ち出したのだろうか。更に、その大きな武器を、簡単に扱うシンバに、驚く。


そして、只の大きな槍のような、その武器に、ガイオスが、脅えている。


何故——!?


「ポセイドンの武器、トライデントだ。所詮、ポセイドンのカケラにもならない神が、真の神であるポセイドンの武器に敵う訳がない」


と、シンバはトライデントを構える。


だが、ガイオスも脅えているにも関わらず、牙を剥く。


確かにトライデントは大きくて、強そうな武器だが、シンバは、普通の人間。


普通の人間相手にガイオスは偉大だ。


それでもシンバはガイオスに立ち向かう。


真人は自分が本当に尊敬する者、ケルト人が、シンバなのではと錯覚する。


死を恐れず、果敢に敵に突進した勇猛果敢な戦士、ケルト人。


今、真人の目に、シンバは、まさに勇猛果敢な戦士に映っている。


何故、シンバと出会った時に、ケルト人の話をしたのだろう。


まるで、シンバが戦士であるように、そう願うかのように話したのは、運命だったのか。


これは自分を見直すチャンスなのか——。


だが、見惚れている内に、ガイオスがダメージを受ける分、ガイオス自身となる彼も傷を負っている事に気が付いた。


「ま、待ってくれ! アイツを殺さんでくれ!」


シンバに願うように言うが、シンバの耳に届かないのか、シンバは大きなトライデントを軽々と振り回し、ガイオスに向かって行く。


「聞いてくれ! おい! 頼むよ! ソイツを殺さんでくれ!」


シンバの動きが加速する。


それと同時に真人も動いた!


今、シンバが持つトライデントが、ガイオスの目の前に立った真人の腹部を突き抜ける。


「・・・・・・今度こそ本気で助けたかったんや、助けるて決めたんや——」


誰にも感謝されない、誰にも褒められない、誰にも称えられない、それでも誰かを助けたいと思う。それが本当のヒーローなんだと、今更、気付いた。


だが、不思議な事に、真人の腹部に傷跡もなく、トライデントはスゥッと消えた。


「助けたいと願ったんじゃなく、助けるって決めたんだね、それはマサトの信念で、強いチカラだよ」


「俺のチカラ?」


「言ったろ、神は見ている。どんな時も——」


真人に守られ、助かったと、ガイオス自身となる彼は、ホッとしたのか、その場にガクンと力を落とし、座り込んだ。


だが、その彼の背後で、ガイオスは唸り声を上げ、シンバに牙を向ける。


だが、シンバも再びトライデントを手に持っている。


「頼む! 助けたってくれ!」


「ガイオスは消えなきゃいけない。どくんだ、マサト」


「・・・・・・いや、でも、コイツは俺達の神やろ? 俺達が守るんは当たり前や!」


「As you say」


その通りだと、シンバは頷く。


「だから、頼むよ、助けたってくれ」


「ひとつ、助かる方法がある」


「ほんまか!?」


「もともとはポセイドンからガイオスと言う神を創造したんだろう? だからガイオスがポセイドンに吸収されればいい」


シンバがそう言うのと同時に、


「アカン!」


そう叫んだ男。


ガイオスを背に、小柄な男は左右に首を振り、


「アカン! ガイオスがポセイドンに吸収されたら、それはガイオスが消えると言う事や! 僕等の想いでガイオスが生まれたんや、ガイオスは僕等の思念や! 消えたら、僕等の想いも全部消えるやろ!」


と、泣き叫ぶ。


「でも、そうせな、お前、このままやと死んでまうぞ! あの大きな槍に一突きされたら!」


「僕は死を選ぶ!」


「何言うてんねん!」


「僕には、もう何も残ってへん。ガイオス以外、何もない。またイジメられるだけの人生は嫌や!」


真人に、そう叫び、泣き喚いている男に、


「決めるのはキミ達だ」


と、シンバはトライデントを向ける。


真人はシンバの真剣な表情に、思考が空回り過ぎて、今、何を言えばいいのか、どうすればいいのか、全くわからない。


只、情けなくも、オロオロするばかり。


——逃げるか? てか、ここどこやねん?


——大体、逃げる言うても、なんで? なんで逃げなアカン?


——ちゅーか、この外人、何者やねん、罪人ってなんやねん?


今、ここがどこなのか、何故、こんな事になっているのか、大体、この外人はなんなのか、疑問が、真人の中で繰り返される。


だが、答えは出ない。


だが、答えを出さなければならない。


追い詰められるような気分に、焦りだけが溢れ出す。


そして、真人はシンバではなく、ガイオス自身となる彼を見る。


彼を説得しなければ、何も始まらないと気付いたのだ。


真人は、彼を見た後、シンバに振り向き、


「ほんまに、神は見とるんかな」


そう囁いた後、再び、ガイオス自身となる彼を見た。そして——


「お前、騎手になりたいんちゃうんか? その小さい体は、イジメられる為やない、騎手になる為やったんや。騎手て小さなかったら、なられへんねろ? お前、なれるやん。騎手になって、今度こそ、どんな事があっても、名前、忘れられんくらいになったらええがな!」


「僕は手に障害があるんや! 騎手にはなられへん!」


「そんな小っさい事言うな! 障害とか、ようわからんけど、障害者でも頑張っとる奴おるやんか! 神は見とるよ! きっと見とるから!」


「うるさい! うるさい! うるさい! 僕の味方はガイオスだけなんやー!!!!」


男がそう叫ぶと、シンバと真人は、見えないチカラによって、遠くに弾き飛ばされた。


地面にバウンドするシンバと真人。


「ガイオスは一番なんや、ガイオスの前で人は無力なんや、ガイオスがおるから僕は強いんや、ガイオスは僕を守るんやー!!!!」


再び、男がそう叫ぶと、破壊力のある見えないチカラがシンバと真人を更に遠くへと弾き飛ばした。


ドサッと地面に落ちる真人と、宙で回転し、うまく着地するシンバ。


そして、大きなトライデントをクルクル回し、シンバはガイオスに向かって、走り出した。


真人は、倒れたまま、


「やめぇ・・・・・・ソイツは・・・・・・」


言葉にならない声で、シンバの背に手を伸ばす。


「なんでや・・・・・・なんでなんや!!!! 俺やソイツの気持ち、もっと悟ってくれや!!!! なんで戦うねん!!!!」


シンバの行動に、真人は、拳を握り締め、それを地面に叩きつけ、そう吠えた。


そして、ゆっくり起き上がり、


「お前こそ、神を冒涜してんのちゃうんか!!!! ガイオスを傷つけるやなんて、それこそ罪やろう!!!! やめろや!!!!」


シンバに叫ぶ。


「もうやめろや!!!!」


そう何度も叫ぶ。


「こんなに頼んどんのに、なんでやねん!!!! 酷すぎるやろ!!!!」


やっとシンバの耳に届いたのか、それとも、ガイオスに致命的な傷を与えたからか、シンバは振り向いて、


「オレは罪人なんだよ、神を殺すのが仕事なんだ。この世で最も罪深き人間なんだよ」


そう言った。


その台詞は、とても悲しくて、真人の叫びも止まる程、辛い言葉——。


「・・・・・・罪なんて、無理に背負う必要ないやん、罪なんか、犯さんでええやん」


そう言った真人に、シンバは微笑んで、


「でも、これがオレなんだ」


そう答えた。


罪人と言うものが、なんなのか、真人にはわからない。


この世には、様々な職業があり、自分がなりたいものになれる人は少ないかもしれない。


どんなに簡単な事だとしても、どんなに楽しい仕事だとしても、途中でやめる時もある。


どんなに辛い試練だとしても、どんなに嫌な仕事だとしても、やめれなくて、やり続ける時もある。


向き、不向きもある。


まだ何をやりたいかも、全然わからないけど、とりあえずと言う理由で始める仕事もあれば、運命のように、やりたい仕事に夢中になれる時もある。


なんにせよ、もう一人の自分になれる夢と希望がある筈。


それには罪などなく、罪自体は自分自身だなんて、それこそ、この世に生まれる理由も意味もない。


だからこそ、人は、もう一人の自分を探すんだ。


それがこの世に生まれた理由で、自分が存在する意味だと思っている。


デパートの店員も、人気アイドルも、サラリーマンも、映画監督も、様々な職業は自分の存在理由として、人は生きる。


そして頑張れば、神は自分の存在を認めてくれるのだろうか——?


——なぁ?


——神は見ている?


——でも、そんな一生懸命、頑張っても、神が見てたら、罪が重うなるんちゃう?


——せやのに、なんで?


——なんでなん?


真人にはわからない。


誰かがやらなければならない事。


自分の為になんて、何もならない事でも、誰かの為に、やらなければならない。


そんな悲しい事って、絶対にないと思っていた。


罪を犯せば、報いが必ず来るように、良い行いをすれば、頑張れば、一生懸命になれば、必ず自分の為になる。


だから、人は優しくなれるんだ。


なのに、自分の為にならないのなら、何故——?


今、シンバが、トライデントを振り上げる。


真人は、走る。


走りながら、運動不足の自分に苛立ちを感じる。


再び、ガイオスの目の前に立ちはだかり、シンバにファイティングポーズをする。


「俺と戦え!」


シンバはクルクルっとトライデントを回し、トライデントを消した。


まるで手品のよう。


「戦えって言われても、ボクシングはできないよ、それにオレとマサトだったら、オレは負けるよ、オレの方が弱いからね」


「弱い? ガイオスと戦っといてか!?」


「神と戦うのと、人間と戦うのとは違う。それにマサトはボクサーでしょ? 敵わないよ」


「・・・・・・ボクサー?」


「違うの?」


シンバに問われ、真人は考える。


違うのか——?


「マサトは強いけど、神とは戦えない。ボクサーだから」


「・・・・・・」


「オレは強くないけど、神と戦える。SINNERだから」


「・・・・・・」


真人はファイティングポーズを解いて、倒れて呼吸を乱して苦しそうにしているガイオス自身となる彼を見る。


「やっぱ、お前の味方はガイオスやないよ。お前にはお前にしか、できん事、あるんちゃうやろか。それが、お前やなくても、誰でもできる事やったとしても、お前のチカラは神が見とる。きっと報われるよ。それにな、俺はガイオスやないけど、お前の味方でおるよ。これからは——」


ハァ、ハァ、ハァと呼吸を乱し、傷だらけの顔と体で、男は何か言いたそう。


男が動けないと言う事は、ガイオスも弱っていると言う事。


「・・・・・・なぁ、ガイオス吸収したって?」


「え?」


「言うたやん、ポセイドンって神にガイオスが吸収されたらええんやろ?」


「Yeah」


「なら、今、コイツが足掻けん内に」


「・・・・・・いいの?」


「ええよ」


「キミ達が崇めてきた神だよ?」


「ええて」


「そんな簡単なもんなの?」


「簡単ちゃうけど、今も混乱しとるけど、実際、アンタの言う通りで、俺はガイオスを一番に信仰しとった訳やない。俺が尊敬し、俺がなりたいんは、クルトのトップでも、ガイオスの教えを説く教祖でもない。やっぱ、ケルト人みたいになりたいねん。それに何より俺はアンタみたいにはなりたくない。アンタみたいに、罪だけを背負って生きたくないねん。このままやったら、罪の意識で、廃人にでもなりそうや。俺等はアンタと違って、夢も希望もあるんや。ガイオスがおらんようになった後は、俺が全部、ちゃんとするから、アンタはガイオスを消してくれたらええ」


「・・・・・・OK.」


その後の事は覚えていない。


ルークも、クイーンも、ビショップも、ポーンも、記憶がなくなっている。


俺達は何をしていたんだろう——?


気付けば、ナイトクラブのビルが崩れていて、俺達は警察へ行く事になり、何の騒ぎが起きたのかも、サッパリわからなくて——。


でも何故か直ぐに釈放されて、何の罪にも問われなくて——。


なんだったんだと言う事件だった・・・・・・。


後日、友達が騎手になる為、もう一度、競馬学校へ通う事になった。


その友達は前に、競馬学校で馬に乗り、転倒し、腕に障害を負って、一度は騎手を諦めた。


だけど、障害と言っても、大した事はない、日常の生活に不自由もない。


騎手になるのは難しいが、諦める必要はないと気付いたようだ。


俺の友達にしては、真面目そうな外見で、少しオタク染みた性格と小柄な身体をしている。


彼の名前を知らない奴はいない。


障害と闘いながら、騎手を目指す有名人だから——。


クイーンは、いや、理紗はナイトクラブを建て直し、DJの拓哉とクラブを続けるようだ。


拓哉もビショップの名を口にしなくなった。


直人は、ポーンだった時も、やりたい事が見つからず、只、気の合う連中と遊んでいたと言う感じだった。だから、とりあえず、やりたい事を見つける為に、フリーターをしながら、毎日を過ごすようだ。


英司は、昔、プロボクサーを目指していたが、練習試合で、相手を殺してしまった事がある。


本当にそれは事故で、英司のせいではない。


だが、英司はそれを暴力だと思っている。


だから、いつもイライラしながらも、ルークとして、暴力を消そうと必死だったのかもしれない。


だけど、英司は英司として歩き出さなければならない。


今はまだ無理そうだが、英司はきっとまたボクシングを始めるだろう。


そして、俺は——・・・・・・


「浦河先輩」


「・・・・・・勇気?」


「先輩、やっぱボクシング始めたって、ほんまやったんですか! こんな寂れた公園でシャドーしとるなんて。それとも趣味?」


「お前こそ、有名人が地元に戻るて、また何か悪い事でもしたんちゃうんか」


「またとは意外ですね。どっからどう見ても、ボクの方がヒーローっぽいですけどね。浦河先輩は相変わらず極悪人のような見た目ですね」


俺は、なんでコイツに負けたんやろう?


本当にわからない。


「浦河先輩、いつかボクと戦う事があるかもですよね、そん時、また恥をかくんは先輩ですよ」


恥をかかされたくらいで、なんで俺は逃げてたんやろう?


高が、コイツに恥をかかされたくらいで、大した事やないのに。


「先輩は、ほら、人気だけはありますからね、だから余計恥かくんちゃいます?」


「楽しそうやな」


「え? そうですか?」


「今だけやで、そんな楽しいんは」


「え?」


「次、リングで戦う時が来たらな、お前は負ける」


「そのギャグ、おもろないですよ、ブランクのある先輩とプロのボク、差がありすぎちゃいますか?」


「あー! お前、何しに戻ったんかと思うたら、アイツに会いに来たんちゃうん? アイツ、忙しいみたいやで、騎手になる為に頑張っとるからな。あぁ、アイツが有名になったから、昔、イジメた事とか、口止めに来たとか? 流石、相変わらず、やる事がせこいな。でも残念やな、有名な分、もぉ、悪い事はできへんで? とりあえず、俺と戦う日が来るまで、悪い事せんと、ええ子で待っとき? ケジメつけに、必ず、リングに上がったるから」


勇気の奥歯が悔しさでギリッと鳴るのが聞こえそうだった。


ロードワークに行く俺の背をどんな顔で勇気は見送っているのだろうか。


これからの事を考えると、楽しくなるが、その為には頑張らなければ。


神は見ている。


俺は勇気に勝ちたい為に、頑張る訳じゃない。


勇猛果敢な戦士になる為に頑張る。


俺自身の為に頑張る。


誰やったっけかな、ケルト人みたいな精神で、大きな敵に向かっていって、身を持って、それを教えてくれた奴がおったような気がする。


誰かの為でもなく、自分の為でもなく、只、罪を重ねるだけの——。


「まぁくん! クルトの落書き消すの手伝えや! 幾ら幼馴染やからって、クソ暑い真夏に、女に、こんな事させてええと思っとんのー!?」


「愛しとるでー!」


「ふざけんなー!」


この世の平和の為、自分を犠牲にするヒーロー。


もし、本当にそんな奴がいたら、ソイツはこれからの俺の活躍を、どこかで見ていくれるだろうか。


俺は神よりも、ソイツに見ていてほしい気がする――。

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