5.狐狗狸の章


「後1つ。デカい風に成長しつつある、妙な風を鎮めさせれば、日本でのミッション終了」


そう言いながら、シンバはヒッチハイクの為、路上で、親指を上に向け、その手を出している。


『おい、そこの男』


その声にシンバは振り向いたが、直ぐに前を向き、ヒッチハイクを続ける。


『おい! 確実にワシの姿が見えておるじゃろうが! なに無視しとるんじゃ!!!!』


シンバは面倒そうに振り向き、


「Please wait a little」


と、リュックを下ろし、中から妖怪大全集の本を取り出した。


『ワシは妖怪じゃないぞ!!!!』


そう吠えるので、シンバはジィーっと見つめる。


「太った狐? 尖った狸? What? 妖怪じゃなかったら、何だと言うんだ?」


確かに、シンバの言う通り、丸々太った狐のような、釣り上がった目と鼻と耳の尖った狸のような、そんな生き物。


『ワシは神じゃ』


シンバは眉間に皺を寄せ、再び、無視して、ヒッチハイクを始める。


『無礼者め! ワシは神であるぞ! この罪人めが!!!!』


「よくオレが罪人だってわかるね?」


『神じゃからわかるんじゃ!!!!』


本当かなぁ?とシンバは再び、妖怪大全集の本を見る。


『ワシは妖怪じゃないから、そんな本には載っておらん! どっちかって言ったら、こっちじゃな』


と、シンバのリュックの中を勝手に漁り、出して来た本は、『本当にあった怖い話』


まだ妖怪の方が神として崇められる場合もあるが、幽霊などは神とは違う存在であり、シンバは苦笑いする。


「あぁ、もしかして、彷徨う動物霊?」


『だからワシは神じゃ!!!!』


「Sorry. オレは幽霊を成仏させたりはできないんだ、神相手じゃないとね。その手の人間が来る事を祈るよ」


『話を聞け!!!! ワシは神じゃ!!!!』


「That happy for you」


『誰がハッピーじゃ!!!! ワシの名前は狐狗狸じゃーーーーー!!!!!!』


幸運を願ってやったのに、何故、名前と思うのだろうとシンバは苦笑いしたままの、その表情がさっきから絶えない。


『洋犬のような名前つけくさりおって! まぁ狗もワシの一部ではあるがの』


ブツブツ文句を言う狐狗狸。


「ねぇ、神がどうして罪人とわかっていて近づいて来るの? 罪人がどういう意味の者か知ってるの?」


『勿論じゃ! お前は神を殺す者なんじゃろ? おお、怖い、ほら、鳥肌だらけじゃ! 鳥じゃないから、鳥肌とは言わんか? うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!』


「それで、それをわかってて、どうして近づいた訳?」


『殺してほしい神がおるんじゃ』


「・・・・・・I am not an assassin!」


『なんじゃと!?』


「だからオレは暗殺者じゃないし、そんな依頼みたいな事は引き受けられないよ。それにこの世に邪魔な神じゃないのに殺したりできない」


『邪魔なんじゃーーーーー!!!!』


そう言いながら、行き成り、仰向けになり、手足をバタバタさせ、子供のように暴れる狐狗狸。


だが、シンバはここら辺一帯の風が、妙だとは思わない。


神がいて、それを信じる者、信じない者がいて、均等な善悪が保たれた空気の流れ。


「そんな・・・・・・駄々をこねられても困るよ・・・・・・」


『嫌じゃーーーー!!!!』


「嫌じゃって言われても・・・・・・。誰だ、日本人はNoと言えないって言ってた奴・・・・・・」


コイツは日本人ではなく日本の神だから、Noも言うのか?とシンバは首を傾げる。


「じゃあ、話しだけでも聞くから」


そう言うと、狐狗狸は起き上がり、


『茶でも出してやる。こっちへ来い!』


と、テケテケと二足歩行で歩き出す。


やれやれと溜息を吐きながら、シンバはミッションとは関係のない事に巻き込まれたなぁと思い、ついて行く。


バス停を通り抜け、細い道を行き、なだらかな山道。


その奥に小さな神社がある。


シンバは、その神社を見回す。


赤い小さな鳥居を潜ると、小さな本殿正面の左右には狐に似た動物の象が置かれている。


「へぇ、いい神社じゃないか。狐か? この神使も綺麗に磨きがかかってるし」


「おや、珍しい。外国のお客さんとは」


そう言って現れた神主に、シンバは、


「凄いな、神主までいるのか」


そう呟く。


『言ったろう! ワシは神なんじゃ!!!!』


「お客人、茶菓子でもお出ししましょうか?」


神主がそう言うので、シンバは、


「偶然か?」


そう尋ねる。


『バカ者! ワシがあの神主の第六感に茶を出すよう語っておるのじゃ!』


「凄いな、そんな神みたいな事ができるのか!?」


『だから、ワシは神なんじゃ!!!!』


とりあえず、快く、茶菓子を頂く事にした。


本堂の方へ通されるが、本堂も小さい。


だが、ここら辺一帯はいい風が吹いている。


「外国の方に出すような洒落た菓子はないんですが」


と、出されたのは水羊羹。


夏の和菓子だ。


「もうすぐ夏祭りが始まるので、その準備をしております。小さな神社ですが、毎年、夏になると子供達が集まって、ヨーヨーや金魚掬いなどを楽しみ、賑わいます。その屋台を出すのに、いろいろと打ち合わせがありまして、少し失礼しても良いでしょうか?」


「あ、そんな忙しい時に、お邪魔してしまってスイマセン」


「いえいえ。ゆっくり涼しんで行って下さい」


神主はそう言ってペコリと頭を下げ、行ってしまった。


シンバは水羊羹をパクリと食べる。


『うまいか?』


「・・・・・・で、オレに殺してもらいたい神って言うのは? ここには神なんていないみたいだけど?」


『ワシがおろうが!!!!』


「小さいながらも、いい神社だし、問題もなさそうだけど?」


『お前、狐狗狸さんって知っておるか?』


「?」


『禁じられた遊びじゃ。霊を呼び出す行為と信じられており、はい、いいえ、わからない、数字、五十音表を記入した紙を置き、その紙の上に硬貨を置いて、人差し指を添え、コックリさん、おいで下さいと呼びかけると、硬貨が動く。そうすると、その者に霊が憑依されたと言う事になる遊びじゃよ』


「ウィジャボードと同じだな、降霊術を崩した娯楽の為の遊び。硬貨ではなく、振り子を使うけど、文字盤を使うし、似てるね」


『その遊びが、禁じられておるのは、自己暗示により、精神異常を齎す可能性があるからじゃ。複数人に同様症状が起きる感応精神病の発生もある。そんな時、ワシに祈るんじゃよ。勿論、ワシはチカラを貸す必要などない。その者は自己暗示によるものじゃからな、ワシに祈っただけで、これまた暗示のように、症状は和らぐんじゃ』


「へぇ」


『勿論、自己暗示だけで、異常になる訳ではない! そら、恐ろしいもんも憑く場合があるからの。その時は、ほれ、ワシの偉大なるチカラでチョチョチョイっとな!』


「チョチョチョイっとね」


『それで久々にの、その遊びで異常が出た子供がおっての、母親が毎日、ワシに祈りに来ておるんじゃ。原因不明の高熱が続いておるらしい』


「へぇ」


『だがの、その子供、禁じられた遊びをやったから、高熱が出た訳じゃない』


「へぇ」


『その子供には、憑いておるんじゃよ、死神が——』


「・・・・・・死神?」


『冥府で魂の管理者であり、死を司る神じゃ』


「・・・・・・もしかして、オレに死神を殺せって?」


『そうじゃ』


「断る。死神は悪い神じゃない。死を迎える予定の人物が悪霊化する可能性があると判断された者に憑く。悪霊にならないように、冥府へと導く役目の神だ。いいか、どんな神だって、命を延ばす事はできない。その子供に想い入れがあるとしても、死を防ぐ事はルール違反だ」


『・・・・・・わかっておる、わかっておるが・・・・・・嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃー!!!!』


また引っ繰り返り、手足をバタバタさせ、駄々をこね始める。


シンバは額に手を置き、参ったなと言う表情で溜息。


『わしは神なんじゃ! 願いを聞き入れ、それを叶うてやりたいと思う事の何が悪いんじゃー!!!!』


「悪くはないけど、無理な事もある」


『無理なもんかー!!!! ワシは神じゃ!!!! 神なんじゃー!!!!』


本当に神なのか?と思いたくなる程の駄々のこねっぷり。


「禁じられた遊びをしてしまった、その子の運命だよ」


『運命は変えるもんじゃ!!!!』


「神が運命変えるような事しちゃ駄目だろ」


『うわぁぁぁぁん、祟ってやるぅーー!!!! お前なんか祟ってやるぅーー!!!!』


そんなバカなとシンバは困り果てる。


だが、悪い神ではないのはわかる。


自分を信じてくれてる者を助けたいと思う気持ちもわかる。


特に今の御時世、神を信じない者の方が多い。


だからとは言わないが、世界が歪み始めてるのは事実。


だからこそ、一人でも神を信じる者を増やしたい。


それはSINNERの使命でもある。


「死神は殺せない。でもルールを破る事はできる・・・・・・」


そう言ったシンバに、狐狗狸はガバッと起き上がった。


シンバは自分の頭を抱え、葛藤する。


——いいのか?


——いいのか?


——人の運命を変える事だぞ?


——オレ一人で決断していいのか?


——ダメに決まってるだろ。


だけど、狐狗狸はシンバを信じている目を向けている。


もうルールを破る事しか考えていない。


「おい」


『なんじゃ』


「お前、オレのシックスセンスに語りかけてんじゃねぇだろうなぁ!?」


『罪人の第六勘などに語りかけて、通じるなら、とっくにやっておるわ!!!!』


——だよな。


——じゃあ、やっぱりオレ、ルール違反しようとしてるんだ。


——バカだなぁ、オレも。


——結局、誰かが死ぬ事に変わりはないのに。


「で、その子供の名前は?」


『森園 司(もりぞの つかさ)』


「ルール違反とは、そのモリゾノ ツカサの命の火が消えそうな今、他の誰かの命と取り替え、モリゾノ ツカサの命を延ばすと言う事。誰の命と取り替える? モリゾノ ツカサの両親か、祖父か祖母か、それとも兄弟か——?」


『駄目じゃ! 司の家族の誰かが死んで、司が助かるなんて、それでは幸せではない! ワシは神じゃ! 幸せを齎したいんじゃ!』


「・・・・・・There is not the method else.」


『なんじゃ?』


「他に方法はないと言ったんだ! 他の関係のない者を身代わりにできないだろう! 狐狗狸の信者以外の者の命を消したら、他の神が黙っちゃいない」


『・・・・・・』


黙り込んだ狐狗狸に、シンバも黙り込む。


『・・・・・・ワシの命をやろう』


「・・・・・・」


『神のワシは、悪霊に堕ちたりせんから、死神は迎えには来ん。じゃから、全て終われば、ワシがお前に殺されればいいんじゃ。どの道、ワシはそろそろ神として終わりじゃろう。ワシを頼りに祈りに来る者も少なくなった。コックリさんと言う遊びも、時代関係なしに流行続けるが、精神異常を起こしても、ワシを頼る者は少ない。今はスピリチュアル? そう言った職業の者もおるし、医者も充分おる。ワシは不必要となりつつある。まだ神主付きで、神社もあるから、50年、そのくらいは持つじゃろうが、人間の50年より神の50年なんぞ、一瞬じゃしなぁ。だからこそ、これがワシの最後の仕事としても、大儀な事をやり、せめてもの神としての勤めを果たしたいんじゃ』


「・・・・・・」


『ワシの命とやらは、やはり、人間に渡すのは無理かの?』


「いや、命に神も人も動物も昆虫もない。だけど・・・・・・Really thus is it good?」


『なんじゃ? 本当に良いのかと聞いておるのか?』


コクンと頷くシンバに、狐狗狸は笑いながら、


『ええんじゃよ』


と、頷く。


「神が死ぬと言う事は、この世界の人々から忘れ去られると言う事だ。次に復活があるとしたら、誰かが、再び祈ってくれる時。そんな偶然か、奇跡、滅多にない。ましてや、小さい神は殆ど、その奇跡に巡りあわない。例え、たったの数年でも、この世にいたいと思う神はたくさんいる。それだけ、人の願い、執念、信仰、そういうチカラは神にとって位を上げる程の大きな存在。それが大きければ大きい程、万が一、消えたとしても、歴史上、残る神となり、再び祈ってもらえる奇跡は、奇跡ではなく、偶然でもなく、確実なものへとなる。でも——」


『わかっておるよ、ワシは小さいと言うんじゃろう? 寧ろ、神じゃと思われてもおらんじゃろうなぁ。そんなワシが死んだら、復活は二度とないと思え。そうじゃろ?』


「・・・・・・Yeah」


『でもな、それでもええんじゃよ。歴史に残らんでも、復活などせんでも、このまま永遠にあの世に追放でも、ええんじゃ。何の利益もない、だが、やらなければならない、誰の為ではない、誰かに恩を着せたい訳でもない、只、ワシは神じゃから。そういう事あるじゃろう? お主なら、わかる筈じゃ。罪人のお主なら——』


それは罪人だから、只、その家系、血縁関係に生まれてしまったから、だから、神殺しをしなければならないシンバと同じだと言っている。


確かにシンバは、誰の為でもなく、誰かに恩を着せたい訳でもない。


只、罪人だから——。


「わかった、そこまで覚悟もあるなら、協力するよ。で、神様なら冥府への扉は勿論開けられるんだろうな?」


『任せい! ワシだってこれでも神の端くれ! それくらいの術、当然じゃわい!』


「死神が一斉に出払う午前2時。冥府への扉を開き、日本の魂を管理している部屋へ行き、モリゾノ ツカサの燃え尽きようとしている火を、まだまだ消えない火に変える」


狐狗狸がコクンと頷くと同時に、神主が現れ、


「外、凄い雨ですよ、お泊りの宿まで遠いですか? 良ければ、ここを使って頂いても構いませんが——?」


と、雨で濡れた姿で、そう言った。


シンバは狐狗狸をチラッと見て、流石、端くれでも神だなと、


「では、お言葉に甘えさせて下さい」


と、頭を下げた。


食事も風呂も用意してもらい、しかも洗濯までしてくれる事となり、シンバは浴衣を着て、ご満悦である。


『なかなか似合うとる』


そう言って狐犬狸は笑う。


シンバは狐狗狸に酒を注ぐ。


それは神主が客人であるシンバに出してくれた寝酒だ。


「神主さん、オレを何歳だと思ったのかなぁ? オレが酒好きな大人に見えたのかな」


『外人の見た目は日本人にとって難しいんじゃよ』


「そういうもん?」


『お主、何歳から罪人であると?』


「何歳だっけかなぁ? もともと生まれた時から見えてたのかもしれない。オレの先祖代々が、神を殺して来た罪で、神達がオレの血を呪う黒い影が。もともと見えてるモノ、怖いとは思わない。只、寂しかった。オレは友達がいない。There is not a friend. こんな寂しい事はないよ」


『作れば良かろう?』


「無理だよ、オレは嫌われてなんぼだからね」


そう言って笑うシンバに、


『その願い、ワシが叶えてやりたいのぅ』


と、呟きながら、酒をチマチマ飲む狐狗狸。


『それでお主、彼女はおらんのか?』


「彼女? Lover? まだ見た事ないけど、Fiance. 許婚がいるよ。SINNERは生まれた時から許婚がいるんだ。その子もまた、SINNER同様、忌み嫌われる存在となる血筋となるから、可哀想だね。言ってみれば、神に捧げる生贄と同じさ」


『生贄。そう言うな。お主等は罪人でも人間じゃ。そこに愛はあるじゃろう』


「愛なんてあるのかなぁ」


ポツリと呟くシンバ。


「だってさ、見た事もない女の子が、ある日、突然、オレの奥さんになるんだ。向こうだって、オレを始めて見る。初対面で、何を思う? そこに愛なんてあるのか? 只、次のSINNERを生む為に、存在するようだよ。可哀想だ」


『大丈夫じゃ。お主、かなりイケメンじゃよ』


「イケメン?」


『ナイスガイじゃ! じゃからのぅ、初対面で気に入られると思うぞ? お主の許婚も美人じゃとええなぁ』


「見た目は関係ないよ」


『そうか? じゃぁ、ワシのような顔のオナゴが許婚で現れたら抱けるのか?』


「・・・・・・やっぱり見た目も少しは人間に近い方がいいかな」


苦笑いでそう答えるシンバに、狐狗狸は笑う。


『次の罪人が生まれる為に、か。それでも存在理由があるだけええ。この世には存在理由さえない者が多い。それに悩む者、何も気付かぬ者、苦しむ者、様々じゃな。神も存在理由がなくなり、消える者が多い世じゃしなぁ——』


しんみりする台詞に、これでは暗くなると思ったのか、


『ワシの若かりし頃、最もワシが活躍していた頃の話をしてやろう!』


と、狐狗狸は声を高くし、昔の想い出を話し始めた。


シンバは、その話を微笑みながら頷いて聞いている。


大袈裟な程の活躍ぶりを聞くが、突っ込む事もせず、シンバは頷く。


やがて、時間は午前2時になる。


『午前2時から2時半。丑三つ時。最も、人々が誰かを呪い、誰かを悪霊に堕とす時間帯。この時間帯に死神はこの世を見回る。呪いを受けた人間が悪霊となった場合、その人間に死神は憑く必要があるからのぅ。じゃが、今の世で、呪いなど行う人間も少ないと思うのじゃが——』


言いながら、狐狗狸は大きな杖を振り回し、踊るような儀式をし、そして、何やら経のようなものを念じ、冥府への扉を目の前に出した。


大きな黒い扉——。


『気をつけるんじゃぞ? 死神は30分で戻ってくる』


「わかってる、タイムリミットは30分。いや、もう30分もないな」


シンバは、急がなければと扉を開け、冥府へと足を踏み入れた。


「冥府を司る神は、ギリシアではハデス、北欧ではオーディーン、日本では・・・・・・イザナミ。そんな最高位の神が世に出回ってるって事はないけど、魂を管理してる部屋にいる事もない。間違っても最高位がいる神の部屋に立ち入らないようにしなければ!」


とは言っても、シンバは冥府へ来るのは初めてだ。


「日本の冥府へのイメージって、こんななのかぁ」


と、薄暗い洞窟の中を行く。


滴る水の音。


続く暗い道の奥に、更に続く幾つかの洞窟。


どの穴を選ぶかで、シンバの運命が決まる。


「頼むよ、狐狗狸」


と、シンバは狐狗狸が示してくれるであろう道を勘で進む。


目の前に、黒い影が揺れて見える。


シンバは咄嗟に岩場の影に隠れた。


人間の白骨の姿で、黒いローブを身に纏い、草刈鎌を持っている。


死神だろう。


シンバには気付かず行ってしまった。


だが、そのすぐ後ろから、馬の足音が聞こえ、シンバは岩場に隠れたまま、身を潜める。


白骨化した馬に乗った、やはり黒いローブを身に纏った人間の白骨の姿。


その手には巨大な鎌。


やはり、シンバには、気付かず、行ってしまった。


「随分と日本の死神は和魂洋才だな」


そういえばと、シンバは本に書いてあった知識を思い出す。


死神を題材にした映画や本が増え、普通の人間の姿で、汚いジーンズとシャツの姿で現れるとか——、そこまで思い出して、まるで自分だなと、自分の姿を見るが、今は浴衣だったと密かに苦笑い。


後は鎌ではなく、コンピューターや携帯、筆記用具などで殺すとか。


そもそも、死神は死を司る神だが、人を殺す神ではない。


なのに、そう思われていると言う事は——。


「間違いなく、今の死神は、人を殺すんだろうな」


と、少し身震いする。


暫く、そこで様子を見ていたが、他に死神が来る様子もなく、シンバは更に奥へと進む。


そして、魂を管理する部屋を見つけた。


「ここが日本の神を崇拝する者の魂を管理するトコロ——」


その洞穴には、段になった岩場に数万、数千と言う夥しい数の蝋燭が灯っている。


その洞窟だけ、その蝋燭の火で明るいが、壁一面、蝋燭で、気味が悪い。


「これが日本の神を崇拝する者達の寿命?」


そう、その蝋燭こそが、人間の命を灯している火。


だが、また神が違えば、蝋燭ではなく、別の形として燃えている。


ここは日本の神を崇拝する者だけが、信仰している冥府の世界。


そして、日本という世界で崇拝されている神々の名がズラッと並ぶ蝋燭を発見。


燃え盛っているが、一向に蝋燭が溶けていない者、火は小さいが、今にも溶けそうな者、普通に燃え、普通に溶けている者、様々。


「あった、狐狗狸の命のキャンドル」


火は小さいが、まだ蝋の方は充分ある。


後は森園 司の蝋燭を見つけなければならない。


シンバは今にも消えそうな火を見つけては、蝋燭の前に書かれた名前を見る。


これも違う、これも違う、これも違う——。


結構、死にそうな人って言うのはいるもんだなとシンバは思いながら、こんなルール違反を犯していいのだろうかと言う気持ちと、未だ葛藤している。


罪を犯す事は、もう慣れている。


だが、生を宿し、定められた運命を変えてしまう事。


森園 司が生き延びたとしても、その後、その者に降りかかる運命がどうなるか、わからない。何の責任も持てない。なのに、こんな事をしてもいいのだろうか。


人は自殺という行為をする。


自分を自分で殺す。


例え、この蝋燭がまだまだ溶けず、火も消える事はなかったとしても、自害し、自分で火を消す。


森園 司が、狐狗狸から命をもらっても、本当に充分に最後まで、命尽きるその日まで、生きてくれるのだろうか——?


その命は、一人の神が犠牲になり、与えたモノだと、そんな理解はできないだろう。


知らない事を理解はできない。


誰もがそうだ、もしかしたら、自分の命は誰かの命の引き換えかもしれない。


そんな命を少しでも愛し、少しでも大事に、皆、扱っている世の中だろうか——?


そう考えているシンバ自身も、自分の命を深く考えた事はない。


だからこそ、シンバは未だ葛藤し続けている。


冥府へ来てしまい、更に、魂を管理する部屋に足を運びながら、死神を欺き、これでいいのだろうかと——。


「あった、モリゾノ ツカサ」


シンバは、今にも消えそうな森園 司の蝋燭を手に持ち、そして、まだ消える事のない狐狗狸の蝋燭と交換する。


交換した後、直ぐに戻らなければならないが、本当にこれで良かったのか? その問いがシンバを支配し、そこから動き出せない。


もう時間はない。


死神達が戻ってくる。


『何者だ?』


その声に、シンバはハッと我に返る。


見ると、そこには、黒髪の長い美しい日本女性の姿。


「・・・・・・イザナミ」


シンバは額に溢れる汗を感じながら、そう呟いた。


伊邪那美。


伊邪那岐の妹であり、妻である伊邪那美。


国産み、神産みにおいて、伊邪那岐は伊邪那美との間に、日本国土を形づくる多数の子を儲ける。


だが、最後に火の神を産み、火傷を負った伊邪那美は黄泉へと旅立つ。


伊邪那岐は伊邪那美を追い、黄泉へとやって来るが、伊邪那美の死の醜い姿に逃げ帰ってしまう。


そして、冥府と俗界の扉を伊邪那岐は閉じる。


『伊邪那岐よ。私は冥府の神となって、あなたの国の人達を毎日1000人連れて行く』


『おまえが一日1000人殺すなら、私は一日1500人の子を誕生させよう』


二人はそう言って、分かれ、その後、伊邪那美は冥府の神と人々から呼ばれるようになったと言う日本の神話——。


『生きておるな。何故、生きている者がこの冥府に? ここで何をしておる?』


「・・・・・・」


『答えよ、お前は何者だ? 伊邪那岐の使いか?』


「違う。オレはSINNER」


『・・・・・・罪人か。イギリスの死神ではないか。ここに何か用か?』


「イギリスの死神?」


『そうであろう? 神殺しの異名を持つ者、お前は神々を黄泉へ送る死神だ。生憎、私は既に死んでおる。そなたを怖がる必要はないのでな。悪いが、ここでは私の方が優位だ』


「・・・・・・I did not come to here to kill you.」


『イギリスの言葉、いや英語か。そうだな、イギリス英雄の聖剣でも見せておくれ』


「・・・・・・」


『エクスカリバー、だろ?』


「・・・・・・」


『そう怖がるな。私は女王陛下の国は好きだ』


「何故、日本の神が、イギリスの事を詳しく知っている?」


『神がイギリスを知らぬ者はおるまい? あそこは小さな島国であり、しかも多民族国家だ。イギリス民族、そんな民族は存在しない。お前等イギリス人はイングランドを中心に移住するゲルマン民族系のアングロ・サクソン人、ケルト系のスコットランド人、アイルランド人、ウェールズ人、旧植民出身のインド系、アフリカ系、アラブ系、華僑なども多く住む多民族国家。それは様々な神々が存在しやすい国と言う事。それにイギリスは妖精の世界への入り口とも言う。それは神々への入り口と言う事だろう? 事実上、公用語は英語だが、ウェールズ語、ゲール語、スコットランド語も話すだろう? イギリスの言葉はないも同じだからな』


だからさっき、『イギリスの言葉、いや英語か』そう言ったのかと、シンバは思う。


それにしても、詳しすぎる——。


『そしてイギリスの死神、SINNER』


「オレは死神じゃない!」


『そうかな? 神々の間では、そう呼ばれて当然だと思うが?』


「・・・・・・」


『そなた、名をなんと申す?』


「シンバ・レスター」


『ほっほっほっほ、やはりシンとつけるのだな。名も呪われておる。そなた、父親に逢いたくはないか?』


「・・・・・・」


『罪人であった父親が死んだ後、その魂は、どうなるのか、そなたの行く末だ。逢ってみたくはないか?』


「・・・・・・」


『それとも母親か? 神殺しの夫を持つ女の行く末。生んだ子さえ抱けぬ哀れな女の魂。そなたも母に抱かれた記憶はないだろう? 母親と言うものに甘えたくはないか?』


「・・・・・・」


『どうした?』


「イザナミ、オレはイザナギは殺さないよ」


『・・・・・・何を申す?』


「オレは自分の行く末には興味を持たない。たった一つ、父に教わった事、振り返るな、前を見るな、突っ走れ。オレは先の恐怖に支配されたりしない、後の後悔に悔やんだりしない、そうして生きる事で、父の教えを守ってる。イザナミ、オレを両親に逢わすと約束させ、イザナギを冥府へ連れて来るよう約束でもさせる気だったか? イザナギはお前の姿に恐怖し、逃げた男だ。もう忘れたらどうだ? このまま未来永劫、恨み続けるのか? 過去の悲しみに縛られながら?」


『黙れ!』


「イザナギを憎むのは、自分の姿に逃げたからか? それとも我が子を殺されたからか? お前こそ、生んだ子さえ抱けぬ哀れな女じゃないか」


『黙れ黙れ!!』


「死神となった今も、生きる事に執着するのか? イザナギはもう待ってはないのに?」


『黙れ黙れ黙れぇぇぇぇ!!!!』


伊邪那美の姿がみるみると白骨化し、恐ろしい姿へと変貌する。


シンバは逃げようと、その洞窟を出るが、出た所で、大勢の白骨化した黒いローブを身に纏った死神達に囲まれる。


大きな扇を片手に持ち、そして、バッと開くと、それを優雅に仰ぎながら、


『罪人よ、死の世界から簡単に出られると思うな? 行きはよいよい、帰りは怖い』


と、伊邪那美が一歩一歩と近寄ってくる。


「その歌知ってる」


と、通りゃんせの歌を思い出し、笑って見せるシンバは、実際、余裕などなく、絶体絶命。


『お前も冥府へ誘ってくれるわ!!!!』


伊邪那美はそう吠えると、大きな扇はバシッと閉じ、それがシンバに向かって振り落とした。咄嗟、シンバは念じ、腰に刀を携える。そして、一瞬でそれを引き抜き、扇を受け止めた!


その召喚した刀は、十束剣。


『その剣は!』


「見えるか? イザナギの剣、十束剣。お前の最愛の男が所有する剣。そしてお前が最後に産み落とした火の神カグツチを殺した剣だよ」


『・・・・・・』


「お前にとって、最も憎しみと愛情の間で恐怖する武器だろう?」


『黙れぇ! 小童が!!!!』


再び、扇で攻撃を仕掛ける伊邪那美。


シンバは伊邪那美の攻撃を避けながら、逃げ道を探す。


浴衣が動き難い。


よく日本の侍はこんな格好で動けたものだと感心する。


すっかり、前が肌蹴、浴衣がマント状態だ。


シンバは焦る。


死神等に囲まれ、逃げ道がないのだ。


幾ら、相手が恐れる武器を手にしたとしても、死神は殺せない。


どうすればいいんだと、その時、冥府を風が通り抜けた。


「——Wind?」


その風は死神達に纏わり付き、何故か死神達はフラフラと立ち眩みのように、その場に跪く。


『何事だ!?』


伊邪那美がそう叫ぶと同時に、伊邪那美を襲う小さなトルネード。


クルクルと風が舞い、伊邪那美の邪魔をする。


冥府に風が通るなんて、聞いた事もないと、シンバは唖然とし、その場に立ち尽くしていると、シンバの横を通り抜ける風が、


『Do not look back. Do not look at the front. Run!』


そう囁く。


振り返るな、前を見るな、突っ走れと、風が囁いている。


シンバは走った。


決して振り返るな。


前を見通しするな。


駆け抜けろ——。


シンバはどこをどう走っているのか、無我夢中で走り抜け、そして、気が付いたら、目の前に狐狗狸がいた。


『無事で何よりじゃ。時間を過ぎても帰って来んでな、心配になって、お主を大事に思うとる霊を呼び出したんじゃ。それがワシの得意分野じゃからのぉ。それで誰に助けてもろうたんじゃ?』


シンバはわからないと首を振る。


狐狗狸はそうかと頷いた。


そして約束通り、シンバは狐狗狸をあの世へと送る——。


今、静かになる本堂で、シンバは亀のように小さくなって、丸くなって、その場に蹲り、声を殺して泣いた。


一晩中、朝が明けるまで、その涙は止まらなかった——。




朝——。


「何のお構いもしませんで」


神主がシンバに深く頭を下げるので、シンバも深く、それは深く頭を下げる。


「なんだか、不思議なんですが、朝起きたら、この神社が抜け殻のような存在に思えたんですよ」


突然、神主がそう言うので、シンバは、


「それでも暫くはこのままで。夏祭りも盛大にしてあげて下さい」


そう言った。神主は首を傾げたが、シンバの泣きはらした瞳に、昨夜、本堂で何かあったのかと悟る。


それではと再びお互い頭を下げ、そして、シンバは神社を後にする。


「待ちなさい、司!」


向こうから駆けて来る子供を呼び止める、それは母親だろう。


子供は母親の声に振り向き、それでも走っているから、シンバにぶつかった。


「Is it all right?」


大丈夫?と手を差し伸べるが、子供はぶつかったシンバが見た事もない外人だったせいか、それとも聞きなれない英語だったせいか、後退りした。


「すいませーん」


と、母親が、後ろからやって来て、子供をコラッ!と小突いた後、シンバに頭を下げた。


「No problem.」


シンバは問題ないと首を振り、そして、


「Live long」


子供にそう言うと、その子供の頭を撫で、手をバイバイと振って、歩いていく。


長生きしろよ、その意味は伝わってないだろう、子供はキョトンとして、去っていくシンバの後姿を見つめている。


「ほら、司、早く行きましょ、狐狗狸様にお礼言わなくちゃ。アンタの高熱が下がったのも、ママがお祈りしてあげたからなのよ!」


「じゃあ、ママにお礼言うー!」


「そうね、もう変な遊びしちゃ駄目よ? 狐狗狸様も二度目は助けてくれないわよ!」


「はーい!」


蝉が煩く鳴き続ける。


夏は始まったばかり——。

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