7.想


「ボクの中にイエス・キリストがいる」


そう言ったシーツに、ラテはきょとんとした表情をしていた。


「・・・・・・あの、シーツ君? ここってどこ?」


「地下4階と5階の間」


プロジェクトチームYHWHが使っていた部屋へ行く道は、ウィルアーナの至る所にある。


勿論、エレベーターに乗り込み、緊急ボタンのある場所を、パコッと蓋を開けて、緊急連絡ボタンがある、その下の地下3.5と言うボタンを押せばいい。


だが、それは指紋暗証になっているらしく、蓋が認識しない者に対しては開かない。


よく見れば、緊急ボタンは普通に上についている。


だが、いつでもどこでも直ぐに辿り着けるようにか、大学のローカにある換気通路に見えるものや、普通の壁に思えた扉などがあり、それが地下3.5階へ繋がっている。


「・・・・・・4階と5階って? なんか急いで走って来ちゃったけどシンちゃんの声、聞こえなかった? シーツ君の事、呼んでなかった?」


「キミは兄貴が好き?」


「好きだよ?」


「ボクの事は?」


「好きだよ?」


「キミは本当に残酷な人だよね、ザタルト君の事もそうやって言うつもり?」


「シーツ君?」


「心配しなくても、キミだけじゃない。残酷な人間はこの世に沢山いる。ボクなんて、常に、その残酷な人間達に酷い事を言われているよ」


「え? 誰かに何か言われたの? イジメられたの?」


「ウィルティス、弟の方。大体の奴等はそう言うんだ。ボクの名前を知ってる奴なんて少ないんじゃないかな。あぁ、医学生でヴァイス・レーヴェって嫌な奴がいるんだ、ソイツはボクと兄貴を間違えた事がないんだ。だから、どうして?って聞いたら、『気に入らない方がアイツって事さ』って兄貴の事を言っていた。どう思う? これ」


「・・・・・・シンちゃんがその人に何かしたのかな?」


「そうじゃないよ、兄貴の事を気に入っているって事なんだよ」


「・・・・・・そうなの? じゃあ、どうして気に入らないなんて?」


「わからない? 気に入らないって感情が兄貴に向いてるって事! ボクはいてもいなくてもいいんだって事なんだよ!」


「・・・・・・考えすぎだよ、そんな事、誰も思ってないよ?」


「・・・・・・少しは考えろよ」


「え?」


「キミのそういう態度がイライラさせるんだよ! 誰にでも愛想良くするなよ!」


「ご、ごめん」


余りにも大きな声でシーツが吠えるものだから、ラテは意味がわかってないが、勝手に謝りの台詞が口を吐いた。


「ねぇ、覚えてる? 何歳の頃だったかな、まだ幼いキミは、今と変わらず、とても——」


「シーツ君?」


「とても残酷だった・・・・・・」


「シーツ君ってば?」


「家の前で立っていたボクに、キミは兄貴と間違えて声をかけて来た。ボクが兄貴じゃない事をキミに言うと、キミは、遠くから走って来る兄貴を見つけて、兄貴の所へ駆けて行ってしまったね?」


そんな話、ラテは全く覚えてないが、そういう出来事があったかもしれないと思う。


「キミはボクに笑顔で挨拶しても、必ず兄貴の場所へ走って行ってしまうんだ」


「それは! それは、シンちゃんと——」


「友達だから? でもキミ、ボクとも友達だって言ったよね?」


「・・・・・・」


「言ったよね!?」


「・・・・・・言ったよ、だけど」


「だけど?」


「だけど・・・・・・シンちゃんとシーツ君は違う・・・・・・」


「どう違う訳!? キミだって間違えるだろう!?」


「・・・・・・間違えても、違うよ」


泣きそうになるラテ。


「だったら、もう間違えないようにしてあげるよ」


「え?」


「ボクはアイツを殺す」


「シーツ君!?」


「もうこの世で、この姿をしてるのはボクだけだ」


そう言って、優しく微笑むシーツの瞳の色が——。


「シーツ君・・・・・・目がアクアに光ってるよ・・・・・・?」


「これはね、スティグマの一種さ」


「スティグマ?」


「知らないかな? 聖痕」


「し、知らない」


「記録上、最初の聖痕示現者はアッシンジの聖フランチェスコである。旧西暦1224年、彼はモンテアルヴェルニアで断食しながら祈りをささげていた時、十字架に架けられた熾天使を見て気絶した。そのとき、熾天使は聖フランチェスコの身体に磔刑の傷跡を押しつけたという。彼は聖痕示現者の典型例で、両手、両足、脇腹に聖痕をもっていた。何故、両手、両足、脇腹かと言うと、イエス・キリストが受けた傷の場所だから——」


「あ、あの、シーツ君? 目がね、アクアなんだけど・・・・・・?」


話が読めなくて、ラテは自分の台詞もわかってもらえてないと思い、もう一度、伝えた。


だが、シーツはお構いなしに話す。


「だけど、それは自己暗示に過ぎない。聖痕示現者に今日は聖日だと信じ込ませると、普通の日にもかかわらず出血したという。また、聖痕者は自分が見た宗教美術に影響される傾向がある。例えば、キリストが左脇腹を槍で突かれている象を毎日目にしていた人は、聖痕は左側にでき、右脇腹の場合は、やはり右側に聖痕が出現する。それに、多くの宗教美術では、キリストが傷を受けたのは手の平と足の甲として描かれている。実際、聖痕示現者も手の平と足の甲に傷跡を出現させている。だけど、手の平ではなく、手首とくるぶしに釘を打ったとなると、今度は手首とくるぶしに傷跡が現し出したんだ」


ラテはシーツの目が気になってしょうがない。


話の内容はよくわからないが、シーツから目が離せない。


「つまり、スティグマとは神が与えたモノではなく、人間自身に内在している者が与えたもの。それが発動しただけ。キミの中にもあるんだよ、キミがまだ、その傷のある記憶の扉を開いてないだけ」


ラテはゴクリと唾を飲み込み、シーツを見つめる。


「ボクはね、兄貴を殺すだろう」


「・・・・・・」


「アイツを殺す。それはさ、ボクの中の誰かが目覚めて発動したのかな? それともボク自身かな?」


シーツはラテを見て、クッと喉の奥で笑い、


「まるで精神障害者でも見るような目だね、そうか、スティグマって精神障害者の事もそう言う場合があるよね」


と、楽しそうな表情。


「ボクはね、プロジェクトチームYHWHのメンバーだった。それは魂を研究するチーム。それはね、永遠の謎、解けないパズルなんだ。だけど、どんな迷宮も入った以上、出口を探さなければならない。だから、どんな手を使っても、出口と言う光を見つけなければならないんだ、ずっと闇の中、彷徨う事はできない。だから同じ魂が二つは必要なんだ、一つは通常に、そのままで。そして、もう一つは実験として——」


ラテは、気付いてしまった。


目の前にいるシーツは、もうシーツではないのだと言う事を——。


「ボクは双子を必要とした。人と、その人ソックリなもう一人の人と、それを創り上げる人。そう、その人ソックリなもう一人の人の魂を取り出し、新たに魂を入れ創り上げる人、その三人で、神となる。魂と言うエネルギーこそ、手にできてこそ、神は初めて実在できる。イエス・キリストを復活させるのは、神だから」


「・・・・・・神になりたいの?」


「神はなるモノじゃない。当たり前のようにソコにいるモノだから」


「・・・・・・どういう事?」


「神がボクに、ボク達に、そうさせているだけ。ボクが神になりたい訳でも、魂を知りたい訳でもない。ボク達は神が与えた試練を乗り越え、神が与えた道を歩き、神が導く場所へ辿り着く。愚かな人間達が神の真似事でもするように、魂に手をかけるのも、それも神の与えた事。ボク達が想う事、それは神が決める。誰かを憎む事も、誰か愛しいと思う事も、全て神が与えた感情」


「・・・・・・アナタは誰?」


そう聞いたラテに、シーツは優しく微笑んだ。


「神は光あれと、この世界に光を作ったんだ、その時に、同時に闇も生んだ。イエスにはヨセフと言う父親がいた。でもイエスは神が造り出した言葉であると言われている。つまり、その解釈は、神が最初に吐いた台詞、光あれが、イエスならば、どこかに闇も産み落とされている筈。だからイエスは双子だった。そう説けると思わない?」


「イエスって誰? アナタの事?」


宗教のない時代に育ったラテに、さっきから、この話は意味不明でならない。


「ボクの目には、キミとは同じ世界が映ってない」


「え?」


「神の領域に近付いた証に受けたスティグマは、ボクに運命を見せてるんだ」


シーツのアクアに光る瞳が優しく微笑み、ラテを映している。


だが、突然、シーツは頭を苦しそうに押さえ、しゃがみ込んだ。


「どうしたの!? シーツ君!?」


咄嗟にシーツの肩を掴んだラテの手を、シーツは握り締めた。


顔を上げたシーツの瞳はアンバー。


瞳の色が元の色に戻っている。だが、今にも、また変わりそうな感じだ。


「クルフォートさん」


「シーツ君!? 大丈夫!? 今は正気なの!?」


「クルフォートさん」


そのシーツの声は少し震えている。


何かに怯えているのか、それとも気分が悪いのか。


「大丈夫だから! 直ぐに誰か呼んで来るから」


そう言ったラテの手を強く握り、


「聞いて! 聞いてほしいんだ、お願いがあるんだ。キミに、お願いがあるんだよ!」


と、まるで迷子の子犬が泣くように、シーツはラテに訴えた。


「うん、わかった、なぁに?」


自分を受け入れるラテに、シーツはホッとした表情を見せ、ポケットから、あの石を出して来た。


クロリクが持ち出した小さな黒い丸い水晶のようなモノ——。


「これ、キミが持ってて」


「石?」


「オーパーツだって言うけど、よくわからない。兄貴かボクが母親の胎内の中にいる時から持っていたモノで、生まれた時に手に握られていたって。グロビュールって言うんだ」


「グロビュール?」


「その石の名前。うん、そうだ、グロビュール。確かグロビュールって言うんだよ。この星の魂。いや、この星が生まれ変わる為の卵」


「星の卵? でも、これを私が持っていてもどうしていいか、わからないし」


「いいんだ、キミが持ってて。それがボクのメッセージだから」


「え? メッセージ?」


「ミシェル・ノストラダムスだって、レオナルド・ダ・ヴィンチだって、未来へメッセージを残しただろう?」


「え? だ、誰? 誰の事?」


「だけど、あからさまに予言したって、謎を解くように残したって、運命は変えられちゃうんだよ」


「・・・・・・運命?」


「でも、キミなら、キミの想いなら、どんな運命でもいいかなって思うんだ、例え、それが、キミがそう想うように与えられた運命だったとしても、キミが生きるなら構わない」


「え? シーツ君? どういう事!? ごめん、私、馬鹿だから、もっとわかるように話してくれないとわからないの!」


「クルフォートさん、ボクはキミが大嫌いだ。鈍感で、笑ってれば許されると思ってて、残酷で、いつもイライラさせられる。どうして兄貴やザタルト君がキミと一緒にいられるのか、ボクにはわからないよ。でもね、イラ付く程、キミばかり見てる。変だよね」


苦しそうながらも、少し笑うシーツ。


でも頭が痛いのか、額をずっと押さえている。


「そんなボクの気持ち全て読まれていたとしてら、キミを道連れにすると思うだろうね、ボク自身もそう思うから。なのにさ、キミに生きてほしいなんて、イラ付くキミの運命を、それでもいいなんて、神様もビックリな選択だろ?」


「シーツ君?」


「もうシナリオは変えれない、もう運命は直ぐソコまで来てる。だから、キミが想うままに願えばいい」


そう言ったシーツの瞳がまたアクアに光り出し、ラテは驚いて、シーツから離れる。


頭が痛いのか、またしゃがみ込み、苦しそうなシーツ。


ラテはオロオロしながら、自分の手の平の中にある石にハッとする。


「な、なに? この石、熱い——?」


只の石じゃない。それくらいラテにもわかる。だが、想うままに願えばいいと言われても、何を願えばいいのか——。


温度がある石に驚いている暇はない、シーツが直ぐに立ち上がり、恐い事を言い出すかもしれないと、ラテは石をポケットに入れた。


「ラテ?」


その声に振り向くと、エノツが黒い汚れを顔中に付けて、立っている。


「エノッチ! どうして!?」


「それはコッチの台詞だよ、僕はね、ある設計図の機体がある事を知ってさ、それを動かせるのか、どうか、ちょっといじってたんだけど、わかんなくなって来て。あ、そうそう、ヴァイス君から連絡いった?」


「え、あ、ウィルアーナの生徒だって人からハバーリさんと連絡とりたいってあったよ」


「うん、ヴァイス君だソレ。でさ、ハバーリさんがいればなぁって、ヴァイス君にどうなってるのか、シーツ君が聞きに行ってくれたんだけど、どうしてラテがいるの?」


ラテが答えようとした時、シーツが立ち上がり、直ぐ傍の扉を開け、そこへラテを引っ張り、突き飛ばすように放り入れた。


きゃあと悲鳴を上げ、部屋へ転がるラテ。


突然の出来事で、何が起きたか全く理解できないエノツに、シーツが、ドアの前に立ち、扉を開かないようにして、エノツを見ている。


ラテは扉をドンドン叩いて、出して出してと叫んでいる。


エノツはハッとして、


「何やってるんだよ、シーツ君!? って・・・・・・シーツ君?」


シーツの瞳の色がアクアに光っていて、エノツは驚く。


「・・・・・・ザタルト君、ボク達生物学の発表会のポスター見た?」


「え?」


「見てないよね? 今、見せてあげるね、ここに来る途中、クロリクさんがノートに練習描きしたデザインを見つけたんだ、それで充分だから」


「え? 何が充分? シーツ君だよね? 目、どうしたの? 変だよ? 大丈夫?」


「大丈夫。キミは死なない。だって味方だからね」


そう言って微笑むシーツに、エノツも顔を引きつらせて、笑い返す。


「今ね、クルフォートさんにも説明した所だったんだ」


「説明?」


「自己暗示について」


「自己暗示?」


「スティグマってわかる?」


「スティグマ? えっと、どの意味でだろう? 奴隷とか犯罪者のレッテルって意味? それとも偏見や差別? 精神障害者とか?」


「ううん、どれも違う。聖痕の意味でのスティグマ」


「聖痕? それはよく知らないなぁ、昔の宗教の人物が十字架に処刑にあって、その処刑された時の傷跡が、信者達にできたって言う奴?」


「それだけわかってれば、話しやすい」


そう言って、ニッコリ笑うシーツ。


シーツの背中の扉が、ドンドンとラテに叩かれているが、シーツは気にせず話し出す。


「宗教美術ってモノがあってね、キリストが左脇腹を槍で突かれている像を毎日目にしていた人は、聖痕は左側にでき、右脇腹の場合は、やはり右側に聖痕が出現するんだ。それに、多くの宗教美術では、キリストが傷を受けたのは手の平と足の甲として描かれている。実際、聖痕示現者も手の平と足の甲に傷跡を出現させている。だけど、手の平ではなく、手首とくるぶしに釘を打ったとなると、今度は手首とくるぶしに傷跡を現し出したんだ」


「へぇ、そうなんだ?」


頷きながら、自己暗示についてって、こんな話をラテに説明したのだろうか?とエノツは首を傾げる。


何の意味があってラテに話したのか、わからないからだ。


「ザタルト君はどう思う? それって神の仕業だと思う? それとも自己暗示だと思う?」


「え、そりゃ、傷跡がコロコロ変わるなら、自己暗示じゃないかな?」


神なんてと、エノツは苦笑いしながら、そう答えた。


「うん、ボクもそう思う。スティグマとは神が与えたモノではなく、自身に内在している誰かが与えたもの。自分の想いと、その誰かの想いが、重なった瞬間に発動しただけ」


「誰か?」


「ザタルト君の中にもいるよ」


「いや、僕は神とか信じてないから、そういう宗教美術とか見ても、よくわからないし、宗教なんてのは昔の弱い人間の拠り所みたいなモノだから、僕に聖痕なんてできないよ」


と、また苦笑いしながら答えるエノツに、シーツは、


「さっき、スティグマの意味を言ったザタルト君の答え、間違いがひとつあるんだ」


と、真剣な表情を見せる。


「え? 僕、なんて言ったっけ?」


「昔の宗教の人物が十字架に処刑にあって、その処刑された時の傷跡が、信者達にできたって——」


「あぁ、どこが間違い?」


「信者達って所。信者とは限らないよ。誰でも人間なら、自身の中にいるから。だから宗教がなくなっても、信仰がなくても、関係ないよ」


「・・・・・・えっと、よくわからないけど、何がいるの?」


「イエス・キリスト」


「へ?」


「キミの中にもいるよ。だから、これを見てごらん? キミはイエスの忠実なる魂のひとつだとわかるよ。その魂はこの世に存在を許されるならば、イエスの復活の為に、邪魔な者を排除しなければならない。ボクとキミは、同じ仲間だよね——?」


アクアに光るシーツの瞳が余りにも美しくて、目を逸らしてしまった。


そして、目に飛び込んで来たものは、クロリクがデザインした絵。


エノツはその見せられたデザインを見ながら、クラクラと頭が揺れるのを感じていた。


「ねぇ、このデザイン、宗教美術なんてものに見える? ボクには万華鏡に見えたけど、誰かは双子に見えるなんて言っていたっけ」


それは宗教美術なんてモノではない。


只の模様にしか見えない。


だが、まるで聖痕が体に表れた者達のように、それを見ただけで、たくさんの血が自分の体の中から抜けてなくなればいいのにと、想像さえしてしまう。


血が手の平から、手首から、足の甲から、くるぶしから、そして、左脇腹から、右脇腹から、その心臓がある胸も、声を発する喉も、音を取り入れる耳も、そして、この世界を映す瞳も、全て血で洗い流されてしまえばいい。


汚れた人間、全て、綺麗に洗い流されてしまえばいい。


「・・・・・・死んじまえ」


ぼんやりした表情でエノツがそう呟いた。


「まだ死ななくていいんだよ、神に召される前に、やらなければならないよね?」


「・・・・・・死んじまえ」


「うん、殺してくれるよね?」


「・・・・・・死んじまえ」


「ザタルト君、殺してくれるよね? もう1人のボクを——」


そう言って、シーツは嬉しそうに、そして、この上なく優しい笑みを見せた。


「ボク達は神の為に生きる強い絆で結ばれた者。神が必要としないのであれば、ボク達は死ぬ運命にある。だから、キミは神の為に、自分を殺す前に、ボクの為に、アイツを殺してくれるよね?」


「・・・・・・うん、いいよ」


呟くように、エノツは頷いた。


そのエノツの表情は無表情で、瞳には何も映していない。


「成る程、イエス・キリストを体内に記憶していても、魂まではここにはないらしい」


その声に気付くと、ルシェラゴ・フレダーが立っている。


シーツは少し驚いた表情をするが、


「兄貴が持ってるのかも?」


そう言って、不敵な笑みを見せた。


「それこそ神のみぞ知るでしょうか?」


負けず、フレダーも大胆不敵な表情。


「いいさ、イエスの魂なんて必要ない。所詮、プロジェクトチームYHWHが創り上げた人口魂だ。そうだろう? 魂などなくても、イエスが残した記録や時間に刻み込んだ死は、全ての人間のDNAにまで影響して、誰の中にもイエス・キリストはいる。全く宗教に興味のない人間さえも、些細な事でも、謎を解きたがるようになる。イエスの不可解な言動も、心理を説いてみたいと誰もが思う。一歩足を踏み入れたら最後、そこからは逃げれない。レオナルド・ダ・ヴィンチのようにね」


「どんな天才もイエスの前では、只の信者。それが興味だとしても、イエスを知れば知る程、もっと知ろうとしてしまう。信者と変わらないと言う訳ですね。それさえ、理解していれば、イエスの魂など必要なく、神と交渉できるとでも?」


「わかってんじゃん。神が全ての人間を殺せと言うならば、そうする迄。ルシェラゴ先生、アナタもボクと同じ考えなんじゃない? 神の領域に足を踏み入れた人間。だから、その瞳はスティグマを刻んだ色に光るんだよ」


そう言ったシーツに、フレダーは真顔で、


「いえ、私の瞳の色はそんな綺麗なアクアではありませんが?」


と、答える。


「気付いてないの? たまに光る時があるよ」


「そうですか? どうでもいい事です。例え、光ったとしても、私は、キリスト教が語る神の領域などに興味はない。只、私の知らない事を知ってみたいだけです。魂と言う膨大なエネルギーの謎、しかもイエスと言う魂が、どれ程の力を得ているのか、それがキリスト教と繋がり、私の領域が、神の領域と重なり、私の瞳がアクアに光るのであれば、それはそれ。私は私の領域を広げるが、それは神とは関係なく、私のテリトリー。つまり、これはこれ、それはそれ。全く違う話ですよ」


「神にでもなるつもり? その考えも神が与えた思想なのに?」


「いちいち気にしてられませんよ、自分の考えが自分の考えではない事など」


「あ、そう、なら教えてよ、イエスの魂は今はどこにある訳? 兄貴の中?」


「わかれば、私もこんな所にいませんよ。私はアナタが知っていると思っていましたから」


「プロジェクトチームYHWHのメンバーだった時、双子の内、片方の魂を抜き、その魂そっくりな魂を作り上げた人口魂を肉体に戻した後、双子の成長を観察した。人口魂の方は体の成長があっても精神的に異常が出る。だが、その者の魂をもう一度、取り出す事はできない。魂を入れる事ができるのは生後0ヶ月の赤ん坊だけだ。恐らく、その生まれたばかりの赤ん坊はまだ魂が体と完璧に付着していないのだろう。何度も何度もその研究は行われたが、成果はなく、研究は打ち切り、チームを解散するとなった時、いちかばちかで、イエスの情報を詰め込んで、創り上げたイエスの人口魂を入れた双子の赤ん坊の一人は、結局、死んだ。だが、その後、イエスの魂は消えた——」


「・・・・・・シーツ君、あの頃の記憶、思い出したんですねぇ」


「ボクはてっきり、ルシェラゴ先生が持って行ったと思っていたよ」


「イエスの魂をですか?」


「そりゃそうでしょ」


「指揮官はイオン教授ですよ、私がそんな無謀な事をするとでも? 立場ってものがありますからねぇ」


「よく言うよ。それに、後から聞いた話だけど、人口魂を入れて、通常に生きている双子がいると聞いたよ? しかもその双子は赤ん坊の時じゃなく、成長してから、人口魂を入れたらしい」


「そうなんですか? 誰からそんな話を?」


「とぼけないでよ、本当は知ってる癖に」


「知りませんよ、それに、それが本当なら、チームが解散する必要はなかったじゃないですか、だって、成功してるんですから」


「・・・・・・その双子がボクと兄貴だったら? それでもチームは解散しなかった?」


「・・・・・・成る程。後から聞いた話ではなく、シーツ君が思った話ですね、これ」


「バレた? でもボクがそう思っただけだからって、違うとは言わせないよ、イエスの魂が消えたって事は、その双子のどちらかに入ってる可能性だってあるんだしね」


「・・・・・・私はイエス自身が自分の体を求めて旅立ったんだと思いました」


「なにそれ? 新しい宗教でも始める気?」


「いえ、そうではありません。あの時のメンバー、誰一人として、あの魂を使いこなせる者などいなかった。ましてや手に入れて、誰かが得する事もない。イエスの魂が消え、その後、チームは解散されたが、チームの内、誰もが、いつもと変わらない日常に戻ったのが証拠でしょうね。なら、イエス自身がどこかへ行ってしまったと考えるのが普通です」


「どこへ行く訳? 大体、あのカプセルに入ったエネルギーは出られないよ、誰かが逃がさない限りね。それに魂だよ? 何の思考もないエネルギーだよ? 野望も希望も、ましてや夢も見れない、只の膨大なエネルギーだよ? 想う事もなく、只、彷徨い、命の巡りの列に参加したとでも? あれは人口魂。人間の手の中の魂が、そう簡単に命の巡りの列に入れると思う訳? だとしたら笑っちゃうね、仮にもイエスの魂だよ? あのイエスの魂がキチンと列に並び、次に生まれ変われる肉体を待ってるんだ? それが人間になれるとは決まってないのに? イエスの生まれ変わりが小さな昆虫かもね? 昆虫の世界で革命でも起こす? 在り得ないね!」


「矛盾ばかりの発言ですね、あのイエスが人間になれると決まってないのに生まれ変われるまで待ってるのか? そう言いながら、アナタはあれを只のエネルギーだと言う。私はあのエネルギーが人口的なものであれ、イエスの魂であるからこそ、自分の肉体が、そろそろ、この世に存在すると感じて、我々の手から出て行ったのだと思いました」


そう言ったフレダーはシーツを見て、フッと、更に大胆不敵に笑った。


「・・・・・・ふぅん、何の感情もないエネルギーがねぇ」


シーツはそう呟いた後、


「誰がイエスの魂を持って行ったか、それは神のみぞ知る、か。結局、神の領域に興味がないと言いつつ、アナタも神を信じてるんだ。所詮、只の人間。アナタのDNAもイエスにどっぷり浸かってるって訳だ。何も関係ないという表情で、アナタも神の言いなり。しょうがないよね、全ての運命を握っているのは、神なんだからさ。で、神はイエスの魂をどこへ持って行ったのかなぁ? もう知ってるんじゃないの? ルシェラゴ先生は——」


そう言いながら、エノツを見ている。


「ねぇ、ルシェラゴ先生。コイツを見てみなよ、宗教なんて興味の欠片もないって奴がさ、目から入った情報を脳にインプットさせ、そのインプットされたデザインがイエス・キリストを記憶しているDNAに刺激され、神が死ねと言われると、死ぬんだ。コイツの中にもイエスがしっかりと存在している。で、神はどこにいる? コイツの頭の中さ。コイツの頭の中で神が囁く。するとイエスを刻み込んだDNAが、その声に反応する。じゃあ、イエスの何の思考もない只のエネルギーの魂が、神の言葉で、どこへ移動したのかなぁ? 神のみぞ知るなんて、アナタが、知っていなければ、そんな言葉、吐かないよね。全て知っていたいアナタが——」


「全て知っていたいからと言って、全て知っている訳ではありませんよ」


「・・・・・・ふぅん、あくまでも、ボクに協力はしてくれないんだね、敵でもなければ、味方でもないってとこかな?」


「神の声はどこから頭の中へ入って来るんですか?」


「え?」


「実際に神とは架空でしか存在しないのでしょうか? その声が聞こえる者も、幻聴などと言った類いのモノなんでしょうか? それとも、やはり運命を操る神が実在しているのでしょうか? シーツ君は神を見た事がありますか? 私はありません。もし神がいたとしても、きっと我々とは違う時間と空間の場所にいるのでしょう。だとすれば、永遠に逢う事はない」


「・・・・・・ルシェラゴ先生? アナタ、何を考えているんですか?」


「いやね、時間と空間を越えて、我々の魂を手にとり、運命を操る事ができるのであれば、こちらからも同じ事ができないでしょうか?」


「・・・・・・神の運命を操ろうと言うのか!?」


「只の想いです、私個人の想いですよ」


そう言ってフッと笑うフレダーに、シーツは驚愕する。


たった一人で、そう想う事が、小さき者なのか、だが、たった一人で、それを想う事が、偉大なるチカラなのか——。


その馬鹿げた思想が、シーツは恐くなる。


アクアの瞳でさえも、フレダーのチカラの大きさが全く見えない。


小さいのか、大きいのか、全く見えない。


「そろそろ開けてあげてはどうですか?」


「え?」


「後ろのドア。さっきからドンドンと五月蝿かったのに、急に静かになりましたよ」


フレダーにそう言われ、ラテを閉じ込めている事に気付いた。


シーツは急に静かになったラテに、何かあったのかと思い、急いで扉を開けた。


アクアの瞳になっても、まだシーツの中で、神に忠実に生きているだけの自分ではない自分がいる。


全ての思考回路が停止している訳ではない、だからこそ、シーツ自身、神に忠実であるのに、神に対してわからない事ばかりだ。


「クルフォートさん!?」


扉を勢いよく開けると、フワリ、フワリと、シーツの目の前を黒い羽が落ちて来た。


「・・・・・・クルフォートさん?」


ラテはその部屋の奥で背中を向けて立っていた。


これは計算外だろうか、それとも、運命だろうか——。


「・・・・・・彼女にポスターでも見せたんですか? それとも他の何かを?」


フレダーがシーツの背後で小声で尋ねると、


「・・・・・・まさかグロビュールが彼女を変化させた?」


と、シーツは答えになっていない答えを吐いた。


ラテの手の中に強く握り締められているグロビュール。


そして、そのラテの背には、大きな黒い翼が生えている。


ゆっくりと振り向くラテの表情がよく見えない。


天使は誰に怒りを向け、誰に微笑みを見せる——?


その想いは誰に届く——?

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