2.謎


「クソッ!」


大学の近くにある図書館で、イエス・キリストについての本を探したが、どこにもない。


これだけ大量にある本の中に一冊くらいあってもいいのに。


でも考えたら、そんな本がある筈もない。


神のいない世界に、神について書かれた本など、ある筈がない。


「・・・・・・なら、歴史人物として探すか——」


シンバはそう呟くと、また片っ端から、本を探し出す。


一体、何をやっているのだろう、こんな事をして、何かの解決になるのだろうか?


頭痛が止むとは思えない。


「あー! もー! クソッ!」


分厚い歴史上の人物が書かれた本を開いて見ても、イエス・キリストなど存在しない。


当たり前だ。


壊れた文明の時の偉大人物など、余程じゃなければ知る事はできない。


語り継がれた者、或いは、空想上、そして、その全てが今となっては、フィクションに過ぎない。


だが、イエス・キリストは余程の人物な筈だ。


どこかに残っていてもおかしくはない。


「・・・・・・キリスト・・・・・・暦にもなる程の人物だ。磔にされて、死んだんだよなぁ・・・・・・?」


こうして、聞いた事もない筈なのに、記憶にもある人物なんだ、どこかに記録が残っていていい筈だ。


だが、額を抱え、自分の中にある精一杯の知識を口に出しても、そこまでしかわからない。


でも、聞いた事もなければ、その知識はどこから手に入れたのだろう?


それだけかもしれないが、図書館の本にさえ、存在しない人物の、それだけを、どうやって知ったのだろうか。


まるで当たり前のように知っていたようだ。


なのに、何故、どうして、どこにも存在しない?


イエス・キリストなど、夢物語なのか?


いや、違う。


何もインプットされていないのは、この世に神などいないとインプットされているからだ。


「あの女の村に行けば、キリストについての本があるのか?」


だが、シンバは、首を振る。


「あの女は、俺達が住んでいる世界に神がいると言った。なら、ある筈だ。神の手がかりが。でも、どこに——?」


そう呟いた後、シンバはまた首を振る。


「いや、そうじゃない、神じゃない。神の教えだ。俺達の生き方が神の教えそのものだって言ったんだ。だとしたら、教えを説いている奴がいるって事だ。無意識の内に、俺達は教えに従っているって事だ。なら、誰が教えを——?」


「シンちゃん?」


難しい表情で固まっているシンバに、明るい声で、近付いて来る彼女は、シンバの幼馴染、クルフォート・ラテ。


エノツとラテとシンバは幼い頃からの仲良しだ。


「シンちゃん、探してる本あったの?」


「いや」


「タイトルがわかるなら、受付で登録してる本で探せるのに」


「タイトルなんてわかんねぇんだよ」


「じゃあ、どんな内容の本?」


「・・・・・・内容もわかんねぇよ」


「なにそれ。本当に探してるの?」


「本当はそれ口実にラテに会いに来た」


「嘘くさっ!」


「んだよ、その反応。つまんねぇ」


「お客さん、冷やかしなら帰ってくんな。こちとら仕事が忙しいんでぃ!」


と、ラテが変な口調で、そんな風に言うから、


「相当忙しそうだな、図書館の仕事って」


と、シンバは笑った。


「そりゃもう、毎日のように、本を借りに来てくれる人もいますから」


「エノッチか」


「そ、エノッチ」


「ストーカーじゃん」


「何言ってんの、エノッチは勉強熱心なの! シンちゃんなんて、気まぐれで、こうして来て、わからない本探してるだけじゃん」


「だからそれは口実で、ラテに会いに来たって言ったろ?」


「ストーカーじゃん」


「うわ、やられた」


と、シンバは言いくるめられたダメージを、胸を押さえて表す。


それを見たラテがクスクス笑うので、シンバも嬉しくなってラテと一緒に笑う。


「シンの笑顔が見れるのはラテと一緒にいる時だけだね」


そう言いながら、不機嫌そうな顔で、近付いて来るエノツ。


「エノッチは不機嫌そう?」


と、ラテが言うと、


「それはシンだよ、不機嫌そうにしてたのに、笑ってんだもんな。ムカツク」


と、鞄から本を取り出し、ラテに手渡した。


「返却ね?」


と、ラテが言うと、エノツは頷いて、シンバの傍で、足を止めた。


ラテは本を持って、受付へと行く。


「毎日、本、借りに来てんだって?」


「ラテに聞いたの? 僕なりのアピールだよ」


「いいんじゃん、ラテも悪い気はしてないみたいだし」


「シンみたいに、ラテの前でしか、笑顔見せないってアピールの方がいいんじゃない?」


「気のせいだろ? 俺、お前の前で笑ってんじゃん」


「本当の笑顔はラテがいる時にしか、見た事ないよ」


「言い掛かりだよ、それ嫉妬?」


「・・・・・・ごめん、言い掛かりだな。よく考えたら、ラテの前だけで笑ってても、他で笑ってないなんて、ラテが気付かなきゃ、意味ないもんな」


エノツは皮肉たっぷりで、そう言ったのに、シンバは、


「考えすぎだよ」


と、笑顔で答える。だからエノツは、その笑顔が余計に腹が立つ。


「シン、帰ったのかと思ってた。ここで何してたの?」


「あぁ、ちょっと調べもの」


「科学の発表会? 生物学は蝶々の生態について発表するらしいね、医学は遺伝子だって聞いたよ。科学は?」


「さぁ? 興味ない。お前んとこの学部は?」


「僕達の電子工学? 秘密だよ」


「なんだそれ。それより今日は本借りないのか? 返しに来ただけか?」


「今日はラテの誕生日だから来たんだ」


「・・・・・・そっか。じゃあ、俺、行くから」


「シンも一緒に祝ってあげない? きっとラテ、喜ぶよ」


エノツの引き攣った笑顔。


本当はラテと二人がいいのだろう。そんな引き攣る迄、無理した笑顔を作るなんて、どんな鈍い奴でもわかる。


「冗談だろ? 俺は貧乏な一人暮らしで、金もない。ついでに誕生日だなんて忘れてた。そんな奴に祝ってもらって喜ぶかよ」


笑いながら、そう言って、シンバは背を向けて、図書館を後にした。


手には一冊の分厚い本が持たれている。


受付を通さず、持って来た本。


パラパラと本を捲り、あるページを開いて、黙読しながら、歩く。


——レオナルド・ダ・ヴィンチ


——万能の天才は今も尚、存在する・・・・・・か。


——絵画、彫刻、建築、土木、および種々の技術に通じる万能の天才。


——極めて広い分野に足跡を残している。


——レオナルドの芸術作品で現在まで残っているモノの中のひとつ、モナリザ・・・・・・。


——だが、未完成であり、謎多き作品として、有名である。


——天文学、数学、解剖学、音楽に迄、手を伸ばしているのか。


——なんでもありだな。


——なら宗教学も手を伸ばした筈。


——しかも時代が時代だ、神が存在する時代に、宗教学だけ興味を持たない訳がない。


シンバは本を閉じると、足早に大学へと戻り、コンピューター室へと駆け込んだ。


コンピューター室は幾つものコンピューターが並び、誰が使ってもいいようになっている。


今、誰もいないコンピューター室で、シンバは一台のコンピューターと向き合う。


全ての知識が内蔵されているコンピューター。


過去に遡る事も容易い。


まず『イエス・キリスト』を検索。


——紀元。西暦。救世主。


大してほしい情報がない。


次に『神』を検索。


——天才。達人。最高位。超人。超能力。


どれもこれも違う気がする。


「ウィルティス・シンバ。面白いものを調べてるな」


背後でそう言われ、シンバは振り向きもせずに、


「何か用か? ヴァイス・レーヴェ」


と、言い返した。


医学生のヴァイス・レーヴェ。


かなり癖のある男だ。


シンバとレーヴェは、お互い、余り好感はない。


「よくオレだとわかったな」


「わかるさ、俺をフルネームで呼ぶのは、お前だけだろ」


「しょうがないだろう、ウィルティスは二人いるんだからな」


「・・・・・・そう言えば、お前、俺をシーツと間違えた事、一度もないな?」


シンバは振り向いて、レーヴェを見た。


レーヴェはフッと鼻で笑うと、


「当たり前だろ、容姿が同じでも趣味は違うじゃないか。服装を見れば直ぐにわかる」


そう言った。


服装がそんなに違うか?とシンバは自分の格好を見る。


「ウィルティス・シンバ、お前は趣味が悪い」


「何がだよ? 普通じゃん」


「いや、普通も、お前が着ると趣味が悪く見える」


「なんだそれ。そっくりそのまま、テメェに返してやるよ、その台詞」


「無駄話はここ迄にしよう、ウィルティス・シンバ。何故、そんなものを調べている?」


「・・・・・・気になったからって言えばいいか? 調べた所で、何もないけどな」


「ほぅ、自分の利益にならないモノを調査して、面白いか?」


「あぁ、面白くなってきたとこだ。お前、レオナルド・ダ・ヴィンチって人物、知ってるだろ?」


「いいや、知ってるって程、知らないが? 名前くらいはな。今となっては闇に葬られた偉大者達の一人と言うくらいなら知っているが」


「俺もそれくらいしか知らねぇんだけど、相当、昔のアーリスの文明での発展は、レオナルド・ダ・ヴィンチがきっかけを作ったようなもんだな。ありとあらゆる学問に手を出してやがる。只の興味や趣味じゃない、全て面白いくらい答えを導く方程式を作ってやがる。万能の天才だってよ。ホントかよ、笑えるんだけど」


「ハッ! 確かにな。万能の天才も闇に葬られたら、名前だけしかわからなくなる。笑える話だ」


「・・・・・・出た」


シンバはコンピューター画面に、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画を映し出した。


「モナリザ。これ、誰かな?」


シンバの問いかけに、


「謎の美女」


と、レーヴェは冗談っぽく答える。


「謎ねぇ。でも、この絵のどこが未完成なんだろう?」


「未完成なのか?」


「そうらしい」


「言われれば、不自然だな」


「あぁ、でも何が不自然なんだ? 態と不自然な感じを出してる芸術って奴じゃねぇの?」


「お前が芸術について語るとはな」


シンバとレーヴェは魅入られるように、絵画を見つめる。


一般的な肖像画には、その描かれた人物が誰であるかを暗示するモチーフが盛り込まれる。


服装はその人物の階級、裕福さ、時代が反映される。


背景はその人物の住まい、生まれ、場合によっては階級など。


又は名前を暗示した植物などが描かれたりする場合もある。


髪型はその人物の職業や時代を表す。


だが、モナリザに、その全てが当て嵌まらない。


服装は誰もが着ると思われる喪服のような物であり、背景に、その人が誰であるかを示す暗示も見当らない。髪型にも薄いヴェールがかけられており、特定の個人を示す暗示が殆ど得られない。


「首の位置がおかしいのか? 手も不自然に置かれている気がする。目の位置もどうなんだ? どこを見ているのか、全くわからない視線じゃないか? 微笑みさえ、おかしく見えるのは気のせいか? オレに芸術センスがないだけかもしれないが、これはデッサンが狂ってるんじゃないのか?」


そう言ったレーヴェに、シンバは、


「わかった」


と、突然、閃いた台詞。


「これ、鏡に映すんだ」


「鏡?」


「だから、逆だ。反転させよう」


シンバはそう言って、コンピューターの中のモナリザを反転させた。


すると、どうだろう、不自然に思えていたものが自然に見える。


「これなら、モナリザの目の位置、つまり視線も、おかしくない」


言いながら、レオナルド・ダ・ヴィンチについて、検索し、


「やっぱり。ほら、な? 鏡文字を書いてたんだ、レオナルド・ダ・ヴィンチは。つまり、鏡に映して、やっと、本当の姿が見えるって訳だ。鏡に映さなければ、未完成のままの絵画。永遠にね」


と、シンバが独り言を呟くように言う。


だからと言って、これで完成だとは限らない。


「天才は面倒だな。わざわざ文字だけでなく絵にも鏡を使うか」


レーヴェも独り言を呟くように言いながら、何かに気付いた。


「ウィルティス、反転させて気付いたが、この絵の端にある黒い塊はなんだ? 背景の一部か?」


「・・・・・・絵をもう一枚、重ねてみよう、モナリザを鏡合わせのように。反転させたモナリザと、通常、世に出ているモナリザを、比べてみるんだ」


シンバは言いながら、モナリザをもう一枚、コピーし、モナリザの絵と照らし合わせるように、くっ付けた。するとレーヴェが差した黒い塊もピッタリと——。


「当然だが背景が重なったな。だが重なっただけじゃなく、背景ができあがったな」


モナリザの背景が、重なった場所とピッタリ合い、ひとつの背景、景色を作り出した。


大きな湖と、ウネウネとまわりくねった道が描かれている。


「つまり、モナリザは一枚を反転させ、二枚を重ねて、ひとつの絵ができるって事か?」


「背景が出来上がったんだ、そういう事になるな、二枚重ねる事で反転させてない方は目の錯覚か、おかしくも見えない。で? ウィルティス、これが何に見える?」


まるで蝶の羽のようだと思ったが、


「モナリザが二人」


と、シンバは当たり前の答えを口にした。


「つまり?」


「・・・・・・双子」


「オレもそう思う」


レーヴェは不敵に笑いながら、そう頷くと、隣にあるコンピューターを起動し、ポケットからメモリーカードを取り出し、それをコンピューターに差し込み、モニターに、カードの中身を出した。


それはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画のひとつ。


最後の晩餐——。


「なんだそれ、さっき、レオナルド・ダ・ヴィンチの事は知らない風に言ってた癖に、調べてんじゃん」


「この程度、調べた内に入らないだろう。ウィルティス、これはレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画の中で、数少ない完成された作品のひとつだと言う。イエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いているらしい。これがキリストだ。向かって左の人物は定説では使徒ヨハネとされているが、色白で女性的な顔つきが他の使徒に比べて異色だろう? 他の使徒がキリストの言葉に驚いて慌てた仕草をしているのに対して、この人物は手を組んで落ち着いている。どこかで見た感じだなぁ?」


「モナリザだ」


「オレもそう思った所だ」


「キリストもモナリザに似てるな」


「あぁ、衣装も見てみろ、このヨハネとされている者は他の使徒とは違う。キリストと色が違うだけだ。赤い服に、青いマントのキリスト。逆に青い服に赤いマントのヨハネ。衣装からすると、キリストとヨハネの階級は同じって事だ」


「・・・・・・って事はコイツは使徒なんかじゃない?」


「ウィルティス、お前もそう思うか? だが、コイツがヨハネとして描かれた事は確かだろう。イエス・キリストの12人の使徒。コイツも含めて12人だからな」


「この絵画のデーター、なんの意味があって、ヴァイスが手に入れたんだ?」


「実はオレもお前と同じで、イエス・キリストについて追ってるんだ」


「え? お前も蝶の羽が見えて頭痛がするのか!?」


「何を言っているんだ?」


「あぁ、違うのか、じゃあ、理由は?」


「医学生が発表する論文だが、遺伝子について調べていたら、DNAの本の一部にイエス・キリストが記録されている事を知ったんだ」


「イエス・キリスト? それは遺伝子レベルで記憶されてるって事?」


「恐らく」


「嘘だろ、だって、イエス・キリストなんて、俺達だって、よく知らないから、こうして調べてる訳だし——」


言いながら、シンバはクロリクの台詞が頭を過ぎっていた。


『歴史とは人類の精神。その精神に最も大きな影響を与えた者、誰だかわかる?』


——俺達の精神にはイエス・キリストが与えた影響と言う傷が今も存在してる?


『アナタ達の生き方は神の教えそのものだわ。全てを運命だと受け入れるアナタ達は神に跪いているのと同じ』


——遺伝子で教えに従っている?


「ウィルティス、人類の歴史は栄え、滅び、その繰り返しの螺旋構造だ。もう滅びて闇に葬られた時代はオレ達には、わからないが、それを調べる事で、滅びがなくなるかもしれない。闇に葬られた筈のモノが、無意識にオレ達の体の中で存在している理由。結局、人のDNAと言うのは人類の歴史と同じ螺旋構造だ。滅びは免れないのかもしれないがな」


「発表会に出す論文にしては狙いすぎだ」


そう言ったシンバに、


「オレはいつだって万能の天才を狙っている」


と、ヴァイスは自信たっぷりの台詞。


「万能の天才ねぇ。レオナルド・ダ・ヴィンチはイエス・キリストの謎を解いたんだろう。その謎を、更に謎で答えを隠したんだ。何故、隠す必要があったんだろう?」


「謎は深まる、か」


そう呟いたレーヴェのハンディフォンが鳴った。


小さな手の中に収まる連絡機能の優れたコンピューターだ。


遠慮なく、その場で、ハンディフォンに出るレーヴェ。


スピーカーやモニターフォンにはせず、シンバがいるからか、耳に当てて、話し出した。


「ログマトが自殺?」


誰と話しているのか、レーヴェが突然、驚いた声で、そう言った。


——ログマト?


——ログマト・クリサの事か?


——確か天文学生の女だったな。


「いや、オレが彼女に最後に会ったのは、昼過ぎだ。正確な時間まで覚えていない。生物学のポスターの出来が素晴らしいとか言っていたなぁ。別に変わった事は話していない」


——あのポスターを見たのか・・・・・・。


「あぁ、わかった、今から行こう」


レーヴェはそう言うと、ハンディフォンを切った。


「ウィルティス、悪いが、用が出来た」


「あぁ。ログマトって、ログマト・クリサ? 天文学で一位二位を争う程の女だって聞いた事があるけど」


「あぁ、彼女が自殺未遂したらしい」


「なんだ、未遂か」


「いや、安心もしてられない。精神状態に異常がみられるそうだ」


「へぇ、失恋でもしたか?」


「昼過ぎまで平気だった奴が、失恋で急にそうなるのか?」


「それは失恋した奴にしかわかんねぇよ」


「だから聞いてるんだろう?」


「ふざけんな! 俺は失恋なんかした事ねぇよ!」


「それこそ、ふざけた答えだ」


レーヴェは、フッと鼻で笑いながら、そう呟く。そして、


「どうするんだ? まだ調べるのか?」


と、シンバに尋ねた。


「あぁ、もう少し。何かわかったら教えてやるよ」


「それは有り難い。なら、アドバイスしてやろう」


「アドバイス?」


「お前の家にイオン博士の書斎はないのか? とりあえず、今の時代のレオナルド・ダ・ヴィンチはイオン博士だろう。そんな万能の天才の書斎にはイエス・キリストについての本などがあるかもしれないんじゃないのか?」


「・・・・・・まさか。そんな本があったら俺かシーツか、どっちかが気付いてるだろ?」


「気にならなければ気付かないだろう? 今迄、神について、気になっていた時があったか?」 


「・・・・・・」


黙り込むシンバに、レーヴェは背を向け、コンピューター室を出て行った。


シンバは少し考え、ヴァイスの言う事にも一理あると思った。


ここ迄、研究生であるシンバとヴァイスが簡単に手に入れた情報。


イオン博士なら、もっと詳しい情報を知っているだろう。


それに、考えたら、父親の書斎など、チラッと見た事はあるが、中に踏み込んだ事など、一度もない。


——面白い展開になりそうだ。


久し振りにワクワクした衝動に、シンバは頭痛など、すっかり失せていた。


大学を出て、駅へ向かう。


すっかり辺りは薄暗い。


カナリーグラスから電車で5つ目にあるクレマチス。


時間帯のせいだろうか、人が少ないように思えた。


ガランと空いた車両に乗り込み、適当な所に座る。


車窓から見える景色は暗くて、ネオンが妙にチカチカと目が痛む。


30分程、揺られ、クレマチスに着いた。


改札を通り抜け、階段を下り、駅前通りを抜け、自分が育ったエリアに入る。


住宅街と言う事もあり、静かな通りだ。


幼い頃、よく遊んだ大きな公園には、砂場、ブランコ、ジャングルジムがあった。


だが、今は公園ではなく、公共施設として、よくわからない建物が建っている。


外灯に照らされた道を歩いて行くシンバ。


バタバタと外灯に集まる蛾に、ふと、シンバは魅入る。


蛾に混じって、蝶がいる。


蛾と蝶の違いは、羽を広げて止まるか、閉じて止まるかで、わかる。


公園を抜け、直ぐそこにクレマチスエレメンタリースクールがある。


幼い頃に通っていた小学校だ。


だが、シンバ達が通っていた校舎は、旧校舎として、去年、取り壊され、新しい校舎が建っている。


昔から壊される事もなくあった空家は、小学校の裏の路地を通り抜けた先だった。


今は取り壊されて、新しいマンションができている。


エノツの家。広い庭は追いかけっこの場所だった。


だが、今は、車庫入れになっている。


ラテの家。弓道場は隠れん坊するのに最適の場所だった。


それも今ではラテの父親が弓道を辞めてから、物置に変わっている。


変わらぬモノなんて、あるのだろうか——?


何を見て、懐かしく思えばいいのだろうか——?


古びた電柱。


今では電柱など、珍しい。


全て必要な配線は地下に通っている。または電波などの時代だ。


電柱は必要なくなった。


この古びた電柱は捨て忘れといった所だろうか——。


そして、シンバは自分の家を見上げる。


この家だけは幼い頃から変わらない。


ベルを鳴らすが、誰も出てこない。


「んだよ、シーツもまだ帰ってねぇのかよ、何やってんだ、まだ大学か?」


ブツブツ文句を言いながら、裏口へと回る。


まさか実家に帰ってくるなどと思わなかったので、鍵をアパートへ置きっぱなしだ。


「うわ、なんだ、これ?」


裏にある小さな敷地は、花で埋め尽くされていた。


そう言えば、


『母さんがガーデニングを始めたんだ、花に話し掛けて楽しそうだよ』


と、シーツがいつしか言っていたのを思い出す。


「マジかよ、何もこんなに花を植えなくてもいいだろう? 歩き難い」


暗いせいもあり、花を踏まないように進むのは難儀だ。


裏口の扉は指紋センサーで開く。


シンバは親指を光にあて、扉が開くのを待つ。


『オカエリナサイマセ』と、機械音声が流れ、扉が開くと、シンバは家の中へ入った。


センサーが起動し、部屋に電気が点く。


とりあえず、玄関に行き、迷いなく、ブルーのチェックのスリッパを靴箱から取り出し、履いた。


黒いチェックのスリッパは父親の物、赤いチェックのスリッパは母親の物、グリーンのチェックのスリッパは弟の物、それ等、全てが脱ぎ捨てられたように、玄関に乱雑に置かれている。わからないのは、客用の花柄のレースのスリッパもひとつ、乱雑に置かれている事だ。


「誰か客が来てたのか? お袋、どこ行ったんだろう?」


父親のイオンと、弟のシーツは、まだ大学だとしても、母親はいる筈だ。


時間帯からして、イオンもシーツも、そろそろ帰宅する頃。


母親がいない時間帯ではないと、シンバは思う。


いや、スリッパが脱ぎ捨てられている辺り、既にイオンもシーツも帰って来ていたのかもしれない。なら、どこへ——?


「家族揃って外食? 客用スリッパもある所を見ると、客と一緒に出かけた?」


どちらにしろ、誰もいない事は好都合かなと、シンバは思う。


思いながら、


「外食とかにしては、なんか慌てようが凄いな」


と、部屋の様子に呟く。


テーブルの上に置かれた紅茶も飲みかけ。


それにスリッパも乱雑な脱ぎ方だ。


客がいたなら、それこそ、綺麗に整頓して置く筈。


「ま、その内、帰って来るだろう」


シンバは、二階にある父親の書斎へと向かった。


イオンの書斎は階段を上って、直ぐ突き当たりにある。


一応、ノックをしてから、ドアを開けた。


シンと静まり返った落ち着いた部屋——。


壁は殆ど、本で埋め尽くされている。


「ちょっとした図書室だな」


そう呟き、ふと、本棚の横にハンガーでスーツがかけてあるのが目に付いた。


「スーツがあるって事は、親父、やっぱ、もう帰って来たんだ。じゃあ、どこへ行ったんだろう? やっぱ、みんなで外食か?」


と、疑問を口にしながら、少し散らかったデスクの上を見る。


ウィルアーナにあるコンピューターと同じコンピューターがある。


鍵のかかったデスクの引き出し。


「気になるんだよねぇ、こういうの」


と、悪戯をする前の子供のように、シンバはあちこち、弄り出し、鍵を見つけようとする。


どこにもないなぁと、ふと、スーツに目をやり、まさかなぁと思いながらも、スーツのポケットなどを探してみると——。


「嘘だろ、持ち歩いてんのかよ。そんな大事なもんが入ってんのか?」


引き出しの鍵を見つけた。


それは小さな小細工のないアナログで、シンプルで、アンティークな鍵。


ピンでも開けてしまえるような引き出しの鍵穴。


今の御時世、ちょっとしたレトロ風で、オシャレな感じもするが、そんな鍵で仕舞ってあるモノなど、大したものはないだろう。


だが、気になるのだから、しょうがない。


その鍵を使い、当然、引き出しを開けてみる。


どうせ個人情報的なカードや準備のいい遺言状などだろうと、シンバは思っていた。


「なんだこれ? 写真?」


小さなアルバムに入った白黒の写真と大量のネガ。


「これまたアナログだなぁ」


と、笑いながら、アルバムを手に取る。


アルバムを開いて、最初の写真は、白衣を着た者達が写っている。


「・・・・・・親父の若い頃? あれ? これ、ルシェラゴ先生?」


何人かの白衣を着た者達の中に、若いイオンの姿とフレダーの姿がある。


「・・・・・・親父、最初は医学に手を出したのか?」


そう呟きながら、なんとなく、写真を取り出して、裏側を見ると、『プロジェクトチーム・YHWH』と、書かれていた。


「YHWH? イニシャル? 記号? 暗号? 何かの略語?」


もう一度、写真を見ながら、他に知っている人がいないかと探してみる。


「そう言えば、ルシェラゴ先生とハバーリさんは同年代くらいだよなぁ? 何のプロジェクトチームだったのか、ハバーリさんなら知ってるか? いや、覚えてるか? あの人、いい加減そうだしなぁ」


まぁ、いいかと、ページを捲り、次の写真を見ると、


「双子の赤ちゃん? 俺とシーツか?」


オムツはしているが、瓜二つの裸の赤ん坊が写っている。


それもまた、取り出して見ると、裏側には『光あれ』そう書かれている。


「光あれ? 親バカだなぁ」


そう呟き、次のページの写真を見て、シンバは言葉を失った。


また双子だ。


だが、さっきの赤ん坊とは違う赤ん坊だ。


次の写真も、次の写真も、次の写真も、オムツはしているが、瓜二つの裸の赤ん坊。


どれもこれも、違う双子の赤ん坊だ。


裏側には、どれもこれも『光あれ』そう書かれている。


「・・・・・・俺達じゃない? 誰なんだ? この双子等は——」


アルバムの最後のページには、ディスクが挟んである。


「・・・・・・このディスクに何が入ってるんだ?」


シンバは恐くて、少し動けずにいた。


何かを知ってしまう事が、恐かった。


だが、暫くして、シンバはコンピューターを起動し、アルバムに挟んであったディスクを入れた——。


「・・・・・・なんだこれ?」


双子の画像が大量に出て来た。


そして、解読不可能な文字がズラッと並ぶ。


「・・・・・・文字化け? いや、違うな、どっかに翻訳できるキーがある筈——」


カチカチカチとコンピューターのキーを打つ音が響く。


家の前で車が止まる音がして、シンバはキーを打つのを止め、静止する。


暫くすると、玄関の扉が開く音がして、シンバは、まずいと思い、急いで、ディスクを抜いて、コンピューターを切り、デスクの引き出しの中へアルバムを突っ込み、鍵を閉めて、スーツのポケットの中に鍵を戻し、書斎を出ようとして、手にディスクが持たれたままだと気付く。どうしようかと慌てて、シンバは自分のジーンズのポケットにディスクを仕舞い、書斎を出て、階段を下りた。


階段を下りながら、シーツがグリーンのチェックのスリッパを履いてるのが見える。


シーツも階段を下りて来るシンバに気付いた。


「・・・・・・あ、兄貴、留守電聞いて来たの?」


「留守電? あれ? お前だけ? お袋は? 親父も一緒じゃねぇの?」


「留守電聞いて来たんじゃないの? アパートの留守電に入れたんだよ」


「何て?」


シーツの表情からして、食事の誘いではなさそうな用件だ。


「父さんが倒れたんだ」


「親父が!?」


「うん、シャワーを浴びに行って、それで・・・・・・それで・・・・・・」


「倒れてたのか?」


「・・・・・・」


「それでどうしたんだよ?」


「救急車を呼んだよ、近くの救急病院に着いて、一応、応急処置をしてもらって、ウィルアーナのホスピタルに移送してもらった」


「応急処置で済んだのか? 親父、どっか悪いのか?」


「・・・・・・バスルーム見てみる?」


「え? なんで?」


「いいから。ちょっと、見てみてよ」


シーツはそう言いながら、シャワールームへと向かうから、シンバは後を付いて行く。


「おい、シーツ、説明し難い事なのか?」


シーツの背にそう聞くが、シーツは黙って歩き続け、バスルームに着くと、やっと振り向き、だが、シンバの顔を見ようともせずに、俯いたまま、突っ立っている。


「なんだって言うんだよ?」


言いながら、シンバはシーツを横目に、バスルームの扉を開けた。


鏡が割れている。


そしてバスタブにたっぷりと入った湯は、真っ赤に染まっている——。


「・・・・・・親父、血を吐いたのか?」


「・・・・・・自殺だよ」


「自殺!?」


「ウィルアーナのホスピタルに移送してもらう理由は、自殺なんて公にできないから。髭剃りで誤って手首を切ったって事に——」


「・・・・・・実際、誤って切ったんじゃねぇのか!?」


「兄貴、本気でそう思うの!? 髭剃りだよ!? 故意に切った以外、在り得ないだろう!? 考えてごらんよ! 髭を剃るのに、手首に髭剃りの刃を向ける!? それに誤って切ったとして、湯にずっと切った手首つけて、こんな大量に湯が赤く染まるまで血を流す!? 鏡が割れる音がして、母さんとボクがバスルームに駆けつけて、でもバスルームに鍵が閉まってて、やっとドアが開いたと思ったら、どう見ても傷口は髭剃りで切った跡なんだよ! まだ鏡の破片だったら、どんなに救われたか! 事故なんかじゃないんだよ!」


叫ぶような声で、シーツが言った。


まるで責められているような気がするくらい、シーツはシンバに詰め寄って来た。


興奮状態で、シーツは今にも泣きそう。


「落ち着けよ、親父、生きてんだろ? なら、別に大丈夫だろ。何かの間違いだよ。世の中にはな、説明つかない事だってあるんだ。でも、どうしても説明つけてほしいなら、説明してやるよ。誤って手首が切れて、もしかしたら、その瞬間に、貧血や立ち眩みで、気を失ったかもしれねぇじゃん、たまたま、湯に切った手首を漬けちゃって、それで、こうなったって場合だってあるだろ! 鏡が割れてるって事は立ち眩みのせいで、鏡にぶつかった可能性だってあるじゃないか!」


「・・・・・・そうかな?」


「・・・・・・そうだよ」


「・・・・・・でも——」


「バカじゃん。真相なんて本人しかわかんねぇよ。生きてんだろ、聞いてみろ、ぜってぇ、くだんねぇ理由だ。自殺なんてある訳ねぇだろ、お前みたいな優秀で、出来のいい息子がいて、家事に手抜きのねぇ嫁がいて、最高の地位を持った奴が、なんで自殺すんだよ」


言いながら、自殺の原因は出来の悪い息子、自分のせいか?などと思う。


シーツはフゥッと深い深呼吸をした後、


「そうだよね、自殺な訳ないよね、ちょっとビックリして、頭がまわらなかった。兄貴は流石だね、いつだって冷静だ。ボクはいつになったら、兄貴に追いつくかな」


と、笑顔を見せた。


シンバはバスルームを閉め、その場を直ぐに離れるように、リビングへと行く。


「で、お袋は?」


「あぁ、母さんは驚いて、倒れたんだ」


「は? お袋も!?」


「母さんは病院で倒れて、少し疲れてるみたいだし、点滴打って、一晩、入院して、明日には帰って来るよ」


「ふぅん、お前、ついててやんなくていいの?」


「うん、母さん、意識はあって、クロリクさんのホテルの手配とかしてあげてって」


「クロリク? ってあの女?」


「兄貴、知らなかったっけ? クロリクさん、研究に手を貸してくれる間、ここに住んでもらおうって事になっててね。でも、ほら、今日はボクと二人になっちゃうと、やっぱり問題あるでしょ? 一応、ボクは男で、クロリクさん女だから」


それで、玄関に客用の花柄のレースのスリッパがあったのかと、シンバは納得する。


「で、もうホテルは手配したのか?」


「うん、ホテル迄、送って、僕はタクシーで帰ってきたんだ」


「そうか。じゃあ、俺、帰るよ」


「え!? 兄貴、泊まって行かないの?」


「俺いなくて平気だろ? 親父もお袋も大した事なさそうだし。お前も、もう落ち着いたみたいだし」


「そう言う問題? こんな時にボクを一人にして平気なの!?」


「バカじゃん、俺は全然ヘーキに決まってるだろ」


このまま、家にいても、父親の書斎に入れそうにないとシンバは思った。


入って、色々と調べても、シーツが黙っていないだろう。


——コイツ、親父の飼い犬みたいなもんだしな。


それに、父親が病院なら、ポケットに入れてきたディスクは直ぐに元に戻さなくてもいいじゃないかと、シンバは大胆な考えを持つ。


——アパートに早く帰ってディスクをダウンロードしたい。


「それでも兄貴かよ!」


「どっからどう見ても血は繋がってるからなぁ、お前が弟なら、俺は間違いなく兄だな」


「そうじゃないだろ! 普通は可愛い弟をこんな時に一人にしないだろう!」


「可愛くねぇもん」


言いながら、玄関で靴に履き替えるシンバ。


「兄貴!」


「感謝してるよ」


「え?」


「しっかり者の弟の御蔭で、俺は自由だ。親の事とか任せっぱなしだからな。感謝してる」


「・・・・・・兄貴」


「更に感謝されるよう、頑張ってくれ、弟よ」


「兄貴!」


シーツの怒鳴る声と共に玄関のドアを開け、外へ出た。


シンバはポケットからディスクを取り出し、


「俺も不謹慎だよなぁ、親が倒れたってのに、こっちのが気になるっつーんだから。探究心が強い父親に似たって事にしとくか」


と、神について調べるつもりが、全く関係ないものを入手してしまったが、これも面白そうだと、シンバはご機嫌に駅方面に足を向ける。


行き交う車。


横断歩道を渡ろうとして、一台の車が止まってくれた。


「よぅ! ウィルティスさんとこの!」


止まってくれた車の窓から、ニョキっと腕を出し、手を振っている男。


「・・・・・・あ、ハバーリさん?」


シンバが、横断歩道の真ん中で、そう呟いた。


男は車から腕だけじゃなく、顔もニョキっと出し、


「乗れよ」


と、言うので、もしかして、実家迄、乗せていくつもりなんじゃ?と思い、


「・・・・・・いや、あの、俺はジギスタンに行くから」


そう言うと、


「いいから乗れって」


そう言われ、シンバは、他の車の迷惑になると思い、急いで、助手席に乗り込んだ。


いや、他の車の迷惑と言うよりも、『プロジェクトチームYHWH』について聞いてみたいと言うのが本音。


「よぅ、どっちだ?」


「シンバ。兄の方です」


「ああ、おれの店によく来てたガキの方だな? 姫はどうした? もう一人いたろ、悪ガキが」


「・・・・・・ラテとエノッチの事っすか? それ」


そう尋ね返すと、ハバーリは笑いながら、ラジオから流れるBGMに鼻歌を歌い出し、軽快にハンドルを回す。


「どわっ! ちょっ!? 安全運転して下さいよ!?」


「バーカ、おれは無事故でここ迄来てんだよ」


「これから事故起こすかもって考えて下さいよ!」


「大丈夫大丈夫」


「どこ向かってんですか?」


「店。仕入れの帰りなんだわ」


「え? なんで仕入れの帰りなんかに、俺を拾ったんですか?」


「んー、なんとなく使命を感じてってか?」


「なんすか、それ」


呆れた声を出すシンバに、ハバーリはまた笑いながら、軽快なハンドル捌きを見せる。


シンバは無言で、シートベルトをした。


「お前ジギスタンに行くのか? 送ってやるよ、まだ仕入れが残ってんからな」


「マジっすか。それは有り難いですねぇ、電車賃もバカになんないんすよ」


「なんでこんな時間にジギスタンに? 大学はカナリーグラスだろ?」


「え?」


「ウィルアーナの生徒だろう? 違うのか?」


「あぁ、ウィルアーナの生徒ですよ、でも、俺、ジギスタンにアパート借りてて、ちょっと、一人で調べたい事があって、だからアパートに帰るんです」


「へぇ。で、イオン教授、元気?」


「なんか倒れたらしく、ウィルアーナのホスピタルで入院みたいっすよ」


「おいおい、なんか倒れたって、なんで倒れたのか知らねぇのか?」


「いや、大した事ないみたいです。あ、倒れたの、今日なんですよ、で、俺、実家に帰ったら、弟が帰ってきて、入院したって、さっき聞いたばかりなんです」


「そんなんで、お前、母ちゃんほったらかしでいいのか!? 幾ら弟がいるっつってもよぉ。母ちゃん、心細いんじゃねぇのか?」


「いや、母親も倒れたらしく、近くの救急病院で一晩入院みたいで」


「・・・・・・あるんだよなぁ、続けて嫌な事ってのはよぉ」


「でも大した事ないらしいから、弟も帰ってきたし」


「へぇ。お前は弟を置き去りにしてまで、何を調べたい訳?」


「あ、えっと、ハバーリさんに聞きたい事があるんですよ」


「おぅ! いいぜ、なんでも質問しろ!」


「プロジェクトチームYHWHって知ってます?」


「・・・・・・」


急に、ハバーリの顔色が変わったような気がして、シンバは聞いてはマズかったのかと思う。だが、聞いてマズいような事ってなんなのだろうとも疑問に思い、


「YHWHって、何かの頭文字を集めたもんでしょうか? それとも略語とか?」


と、更に疑問をぶつけてみる。


ハバーリは暫く、無言で運転を続けた後、


「・・・・・・それは神と言う固有名詞だ」


そう呟いた。


「神? 神とは読めませんよ? どう発音するんですか?」


「読むんじゃねぇ、ソイツは読めねぇよ、口に出してはならない言葉だからな」


「・・・・・・出してはならない言葉? 禁句って事ですか?」


「あぁ、だが、この禁じられた名前を皆の前で堂々と言い放った者がいた。律法の厳守ゆえに、発音さえ忘れ去られた神の名を、その人物は幾度となく証した」


「その人、どうなったんですか?」


「当然、その行為は神に対する冒涜と映る。最終的に、その男は強引な有罪判決を下され、処刑されたよ」


「処刑された? これを読んだだけで!?」


「あぁ、その男の名をイエス・キリストと言う——」


ハバーリがそう言って、シンバをチラッと見た。


シンバは頭の中が真っ白になっていた。


まさか、イエス・キリストに繋がるとは思わなかったからだ。


「ハバーリさん、イエス・キリストって、宗教の教えを導いた人ですよね!?」


「いいや」


「違うんですか!? 磔の処刑を受けた事は俺も知ってるけど、それって神の名を口にしたから!? だって、イエス・キリストって神の子って言われてませんか!? 言われてるって言うか、俺がそう勝手に思ってるだけだったのか!?」


「使徒達は、救世主たるイエスを、天地創造以前から存在する永遠なる神の子と考えていた。そう思っていたのか? 確かに、それは俺も思っていた事だ。だが、それは使徒達が考えていただけだ。キリスト教と言う宗教はイエス・キリストが教えを導いて出来たモノじゃない。イエスに付いていた使徒達が勝手に創り上げた思念だ」


「・・・・・・なんでハバーリさんが、そんな事を知っているんですか?」


「それはおれが聞きたいねぇ、なんで、お前のような若造がプロジェクトチームYHWHを知っているのか? まさかウィルアーナは、また始めたのか?」


——また?


——また始めたって何を?


「どうやら、おれがお前を拾ったのは運命だったって事だな」


「え?」


「さっき、なんとなく使命を感じてって、ふざけて答えたが、どうやら、おれは、例え、あの道を通らなかったとしても、どこかで、お前を拾っただろう。運命ってのはそういう事だ。違う道を歩んでいても、どこかで交わる絶対的な事。それは変えられない現実」


「・・・・・・またウィルアーナは始めたって、何を?」


「さぁなぁ。只、おれ達が研究生だった頃、ちょっとした事件があったんだ。神のいない時代に、神を復活させると言うプロジェクト。だが、企画を聞いている内に、どうもおれには考えが合わなかった。それどころか、おれは自分の居場所というものに疑問を持ち始めて、そのプロジェクトのチームが集められる前に、ウィルアーナを去っちまったんだ。だから真相は知らねぇ」


「・・・・・・事件って?」


「闇に葬られた謎の事件だ、おれも知らねぇよ」


「事件があったって事を知ってるんだ、知らない訳ないだろ!」


興奮状態で、大声を出すシンバに、やれやれと、ハバーリは溜息を吐き、


「確か、ラハン・アフェって記者が、その事件を記事にした雑誌があったな」


と、しょうがない感じで言い出した。


「そんな記事にまでなるような事件だったんですか!?」


「・・・・・・だが、その雑誌はその記事を出した後、謎の廃刊だ、しかも、その雑誌だけでなく、そこで出版していた全ての雑誌が出されなくなり、雑誌社が潰れた」


「なんで!?」


「ま、それはウィルアーナが裏で手を回したんじゃねぇか? 気に入らないものは揉み消す、それが権力者の遣り方だろう、つまりだ、全て消し去られた事なんだよ」


——全て消し去られた?


——それって、親父がやったのか?


シンバは助手席で、困惑した表情のまま固まっている。


突然、ラジオから緊急ニュースが流れたが、シンバの耳には入っていない。


どんどん深まって行く謎に、シンバは足を踏み入れたばかり・・・・・・。

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