第九章 月 ~God is love~
空は沸騰していた——。
ジ、ジジジッ・・・・・・
切れた電流の走る音に目を開けると、カプセルの中で倒れているクロリクが最初に目に入って来た。シンバはよろけながら、カプセルに近付き、クロリクが呼吸している事を確認し、ホッとする。
それからみんな、多少、怪我はしているものの、気絶しているだけで、無事だとわかり、安心した。そして自分も額から血が出ていると、垂れて来た血をグイっと手の甲で拭く。
生きたコンピューター画面に通信が入る。
政府からの連絡だ。しかし、シンバはそのコンピューターの電源を切った。
これ以上、何に従う事があるだろう。
これから踏み出す一歩には、無限の世界が広がっている。
それが苦難の生か、楽観の生か、苦悶の死か、安楽の死か、誰にもわからないが、それぞれ自身が決める道を歩くべきだ。
シンバはワープ装置のカプセルの中で倒れているクロリクを抱き上げて、床にそっと寝かせた。そして、装置と繋がっているコンピューターをいじってみる。
——良かった、壊れてない。
「ワープ装置でどこへ行く?」
振り向くとレーヴェが立っている。
「ああ、起きたのか、ヴァイス」
「ウィルティス、どこへ行く気だ」
「この何も記されてない場所へ行くんだ」
「そこが何処なのか知っているのか?」
「——月だ」
「知っていて、どうして行くんだ? 月の内部にある基地に繋ぐワープゾーンだとして、月とアーリスの間には宇宙空間がある。無理だ。お前も知っているだろう。7980年という宇宙の周期の法則を——」
「ああ。その法則を乱す移動だと言いたいんだろう? 俺の身体は光が追いつかず、分散し、消失してしまうと」
「わかっていて行くのか?」
「ああ」
「帰って来れないぞ」
「そんなのわからない」
「何故行く必要がある?」
「俺の・・・・・・俺とエノッチの大事な人が待ってるから。エノッチの分も、俺は行かなきゃならない」
「そうか・・・・・・好きにしろ」
相変わらず、冷めた言い方だ。
——エノッチが生きていたら、絶対に何も考えずに直ぐに行くだろう。
——エノッチのその気持ちと、俺も同じだ。
——どうなろうが、俺が今直ぐに行きたいんだ。
何千年もの時間を超えても、逢いたいんだ。
『Where do you going?』
(どこへ行きますか?)
『Go to the・・・・・・』
シンバは振り向く。レーヴェと目が合う。
クロリクの事も、みんなの事も、全て任せていいのだろうか——?
「何している。行くならさっさと行け」
「——ヴァイス」
「後の事は任せられない人材か? 俺は」
シンバは首を振った。
「ヴァイス、あのさ・・・・・・俺、お前の事、嫌いだ」
「そうか」
「ああ」
「ウィルティス」
「何だよ?」
「奇遇だな、俺もお前が嫌いだ」
「へぇ、初めて意見が合ったな」
「そういう事だな」
二人、ハッ!と、笑いを溢し、暫く、一緒に笑う。
シンバはコンピューターに打ち込んだ。
『Go to the moon.』
(月へ行く)
光に包まれ、気付くとシンバは機械的な部屋の中央にいた。もうヴァイスの姿もない。
——本当に一瞬だな。
とりあえず、無事に着いた事に安心する。いや、ここが月に基地の中とは限らない。
「ラテ?」
シンバはラテを探す為、うろつき始める。
暗闇ではないが、明るい場所でもない。
一歩一歩の自分の足音も響き、不気味さを感じる。
——マジかよ。
——こんなとこにラテをずっと閉じ込めて・・・・・・?
——せめてコールドスリープ的な人工冬眠みたいな装置に入っててくれれば。
——そんな事、気に留める人間なんかいないよな・・・・・・
——兎に角、翼のあるラテを閉じ込めて封印したかっただけだろうし・・・・・・
「・・・・・・ラテ? いたら返事しろ?」
気になったのはラテの精神力だった。
何千年も、こんな場所で、生き続ける事は、どんな仕打ちよりも辛いだろう。
そう、精神が狂わない訳がない。
だが、シンバは、ラテの弓道で鍛えた精神力を信じる他なかった。
例え、精神が壊れていたとしても、シンバはラテを愛し続けようと思っている。
どんな障害を抱え込んでいても、一生、ラテを見続け、守り続けようと——。
「ラテ! 大丈夫か? ラテ!」
少し広い部屋の中央で倒れているラテを見つける。
「・・・・・・シン・・・・・・ちゃん・・・・・・?」
何千年もここで過ごしていたようには見えない。
あの別れた時のままのラテがいる。
只、疲労なのか、やはり精神的に壊れかけているのか、目が虚ろだ。
それでも想い描いていたものは感動の再会。
強く抱き合う二人は語り合い、涙を流す・・・・・・筈だった。
「・・・・・・あなたが・・・・・・シンちゃん・・・・・・?」
「ラテ?」
「私は未来から送られて来た魂、イヴ・・・・・・」
「ラテ?」
「今、この者の記憶を読み取っています。クルフォート・ラテ。確認できました。私はラテ。あなたと結ばれる者です」
ラテの瞳がカッ見開き、アクアに輝き出す。
「あなたがここに来るのはわかっていました。さぁ、アーリスに戻り、二人で残った人類を殺しましょう。箱舟に乗れなかった人類を——」
——何故だ、何故だ・・・・・・
「何故だぁぁぁぁーーーーっっ!!!!」
未来のアーリスの人類は過去の人類の事など、お見通しなのだろう。
「——シンちゃん。あなたがアダムの命を持つ者でしょう?」
無に等しい表情のラテ。
「何故だ、何故なんだ! もう俺達の時代にYHWHは(神は)いない筈なのに、どうして、どうしてなんだ!」
シンバは顔を隠すように額を押さえ、首を振る。
そんなシンバの右の頬に、そっと触れ、じっと見つめられる右目のアクア。
「神なんて存在、どこにもないのよ。未来も過去も今も、どの時間の中にも神はない。あるのは愛なのよ」
——愛?
「アーリスを愛した人類、アダムとイヴの始まりの愛。そしてあなたと私——。
神がいなくても私があなたの傍にいるわ、ずっと永遠に」
頬に触れられるラテの指先が優しくて、その温もりと、優しいラテの吐息に、シンバは瞳を閉じてしまった。
ゆっくりとシンバの唇に近づく、ラテの唇。
——ラテが見える。
目を閉じたシンバの目蓋にはラテがいた。
まだ幼いラテ。
でも、その幼い頃から、よく知っているラテ。
『シンちゃん』
『シンちゃんってば!』
『シーンーちゃーん! あーそーぼー!!』
『シンちゃん、スケボー貸してくれるって約束したのに! 嘘つき!』
『シンちゃん、この消しゴムあげる! 流行ってるんだよコレ! 女子の間でね!』
『シンちゃん、エノッチが自転車新しいの買ってもらったんだって!』
『またエノッチと二人で遊ぶの!? 私との約束は!!?』
『え? これ? エノッチからもらったんだよ、可愛いでしょ、クマのキーホルダー!』
『わぁ、見てー! シンちゃん! エノッチ! 虹が出てるー!!』
『ごめんね、今日は遊べないの・・・・・・弓の稽古があるから・・・・・・』
『シンちゃん宿題やって来た? 見せて見せて! 早く早く!』
『シンちゃんもエノッチもクラス離れちゃったね・・・・・・休み時間は遊びに来てよ?』
『今の誰? 私の知らない女子だったけど・・・・・・何もらったの? 見せて?』
『えー? あぁ、あれは先輩だよ、私の事が好きなんだって。特に興味ない』
『私はね、シンちゃんとエノッチとずっと楽しく過ごせれば、それでいいんだよね』
『シンちゃんの嘘つき嘘つき嘘つきーッ! 約束したのに!! いっつも約束守らないんだから!! シンちゃんなんか大嫌いーだッ!!』
『ねぇ? 昨日さぁ、駅前で髪の長い美人と歩いてたけど、あれって彼女?』
——まるで、写真みたいに切り取ったシーンのように、一つ一つ、覚えているラテの事。
——俺の瞼の向こう、幼いラテが、いろんな表情で、俺を見ている。
——俺をシンちゃんと呼び、俺を見て、泣いたり怒ったりしている。
——そのラテが、少しずつ、成長して行って、だんだん、今のラテになっていく。
——その記憶が、ラテとずっと一緒にいた証のようで、嬉しい。
——怒っているラテも、大好きだった。
——態と、約束を破って、怒らせた事もあった。
——怒る程、俺を想ってくれてるんだと・・・・・・
——そんな病んでる歪んだ思考で、ラテを怒らせていた。
——実際、約束を本気で忘れる事も多かった。
——エノッチと仲良くなってから、エノッチと遊ぶ方が楽しいと思ったりもした。
——だけど、やっぱりラテは俺の特別で・・・・・・
——ラテは知らないだろうけど、喧嘩したら、俺はいつも泣きそうだったよ。
——一方的に怒られるならいいけど、俺も怒ってしまったら、距離を置かれるから。
——俺は、こんな性格だから、なかなかごめんって言えなくて。
——ラテにプイッて横を向かれるとさ、なんでもないって顔するのが精一杯で。
——内心は、嫌われたらどうしようって、いつも泣きそうになってた。
——だから俺・・・・・・今も泣きそうになってるよ、ラテ。
『私がいなくなったら本当に探してくれる? もしも一人で迷子になっても、シンちゃんが来てくれるって、どこでも安心して待ってるから。一人でも怖くないって思えるから。ずっと待ってるから』
——ラテ。
——約束を守りに来たよ。
——俺はずっと怖くても待っててくれたキミを迎えに来た。
——だから、俺を見て、俺に応えて、俺に微笑んで、いつものラテで・・・・・・
シンバの唇とラテの唇が触れたか触れないか、その瞬間、シンバはラテの肩を持ち、身を引かせた。
「ラテ?」
ラテのアクアになった瞳をシンバは見つめる。
「ラテ、潜在意識に、ラテがいるんだろう? 俺も、アダムの魂に意識を奪われたけど、俺自身が消えた訳じゃなかった。だから、ラテもいるんだよな? だったら、俺の声、聴こえてるよな? 俺ね・・・・・・ラテが大好きだよ。ずっとね、大好きだったよ」
ラテはぼんやりした顔で、シンバを見つめるだけで、何も返さない。
無視しないでと、そっぽ向かないでと、シンバの目に涙が溜まる。だが、精一杯、なんでもないと、シンバは優しく微笑んで、ラテの髪を優しく撫でながら——・・・・・・
「ラテはね、こんな世界になってから、自分が何もできないって、俯いてばかりいたよね。でも、いつだってラテは、俺に大事な事を教えてくれてたんだよ」
何を言っているのだろう?と言う風に、ボーっとシンバを見つめ続けるラテ。
「ラテ、俺に言ったよな? 神様を信じてたって。覚えてる? ワープ装置を始めて見つけた時だよ、その台詞がパスワードのヒントになったんだ、YHWHだって——」
ラテは何も答えない。
『私ね、ERっていう神様のいない時代に生まれたけど、やっぱり神様の事、信じてたと思う。でもね、今、天使とか神様とか、色々ね、目に見えて、信じない訳にはいかないのに、もう信じられないの。例え、それが世界の中心でも、私、絶対に祈れないもの』
「ラテ、俺もいると思うんだ、神様」
そう言うと、シンバは笑いながら、
「だって、俺、ラテに逢えた事、神様のおかげだと思うから」
と、
「ラテに逢えてなかったら、俺、絶対に、今、こうして、存在してないから」
と、
「ラテの事、好きだって、大好きだって、その気持ちを教えてくれたのもラテだから」
と、
「こんなどうしようもない俺に愛を教えてくれたのは、ラテだから!」
と、無表情のラテに、そっとキスをする。唇と唇が触れて、離れて、また触れて、離れて、そしてキスをする。
——愛はね、人を愛するカタチというのはね、イロイロあるんだ。
——優しくする事。
——我慢する事。
——相手の歩幅に合わせる事。
——声を掛ける事。
——言葉を選ぶ事。
——素直になる事。
——守る事、守られる事。
——いつだって、思いやりを持って接する事。
愛は、割りと、普通に、そこ等中にイッパイあって、それを当然と見逃してたり、当たり前と無関心だったりするけど・・・・・・
——俺は、そこ等中に溢れてる愛なんて興味もなかった。
——キミから教えてもらわなかったら知らないままだった。
——キミに逢えなかったら、もしそれでも自分が存在していたら・・・・・・
——キミのいない俺はどんな人間だったのだろう、怖くて、想像したくない。
——だって俺はキミがいるから、誰かに優しくできて、知らない誰かを思いやれる。
——キミがいるから、俺も、そこ等中の溢れる愛の一つになれるんだ。
「ラテ、帰ろう」
シンバは、ラテに手を出した。ラテはシンバの、その手を見て、シンバを見て、そして、また手を見ると、そっと握って、
「ええ・・・・・・アーリスへ行きましょう・・・・・・」
と、微笑んだ。
「ああ、帰ろう、神様がいる場所へ。アーリスは神の愛で満ちているよ」
月には時間の経過がない。
神様は、きっと、どこの時間にもいる。
でも、時間がない場所にはいない。
だから、こんな残酷な結末になるんだ。
——こんな時ばかり神様に祈るのは罪だろうか。
——でも俺は、幼い頃から、ホンモノの神様を知っていたんだ。
——本当は神様を信じていたから・・・・・・
シンバはイヴの魂が入ったラテとコンピューターの前に立つ。
自身が神となった未来の人類と架空かもしれない神を信じるシンバとの最後の戦い。
「ラテ、キミは月からずっとアーリスを見守っていたんだな。あの日も、あの時間も——」
ラテはイヴの魂に支配されていて、何もわからない筈だが、小さく小さく頷いた。
無事にアーリスまで辿り着けるだろうか。
いや、辿り着けるから、ラテの中に残酷にもイヴという魂が存在している。
——俺は負けない!
今、迷いなく、自分のするべき事を信じている。
シンバはラテの手を握り、コンピューターに打ち込んだ。
『Go to the Earth』
——アーリスへ行く!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます