第六章 裂 ~God’s Promise of Merey~


「キュウ、キュウ」

ホバー船の直ぐ近く、シェラが足元に懐いて来る。見ると、ラテが待っていたかのように立っていて、今、シンバに近寄り、シェラを抱き上げた。

そして、何も言わずに行ってしまう。

「ラテ」

シンバはラテの腕を掴み、止める。

「ヴァイスさんが、もうログマトさんの看病はしなくていいって。私にうつったら面倒が増えるだけだからって」

「アイツ、まだそんな事を。ラテを面倒なんて思わないから大丈夫だ」

「じゃあ、私は何をすればいいの?」

「え?」

「ヴァイスさんがね、これからはシンちゃんがリーダーだって言ってた」

「そうか・・・・・・」

「これからどうするの?」

「ああ、ルシェラゴ・フレダーって医師を探して、ログマトを診察してもらう」

シンバはそう言った後、それはレーヴェの言った事であって、自分がリーダーとしての意見ではないと考える。

——‌これからどうしたらいいんだ?

「・・・・・・ねぇ、シンちゃん」

「ん?」

「シンちゃんは、これから・・・・・・クロリクさんと・・・・・・ずっと一緒にいるの?」

「は!?」

「シンちゃんは・・・・・・クロリクさんが好き?」

「何ソレ?」

「だって、クロリクさん美人だし、シンちゃんタイプでしょ? それに今も二人一緒だったんだよね? ほら・・・・・・チュウとかもしちゃってるし・・・・・・」

「ちゅう? ああ、あれは向こうが勝手にしてきたんだろ。それにあれはキスじゃない。なんていうか、ぶつかった感じ? それに美人だからってタイプとは限らない」

「・・・・・・そっか。でも二人は凄く仲良しなんでしょ? だから・・・・・・」

シェラを撫でながら、ラテは俯いて黙り込んでしまった。

「なんだよ? 言えよ」

「・・・・・・ごめん、何でもない。ねぇ、シンちゃん、寒くない?」

「別に、寂しくないよ」

「え? あ・・・・・・」

寒いを寂しいと聞き間違えたのだと直ぐにわかったが、ラテはそれを否定しなかった。

もしかしたら寒いではなく、寂しいと言ったのかもしれないと、否定出来る程、ラテ自身、自信はない。

シンバはシェラを撫でるラテの手を握る。

ラテに撫でられ、気持ち良さそうに、ウトウトとしていたシェラは、撫でられなくなって、顔を上げて、シンバを睨んだ。

「——ラテ」

「やだ、シンちゃん、急に面白い顔しちゃって、笑かし合いっこなら負けないからねー!」

と、笑いながら変顔をするラテ。

それは照れ隠し?

握り合う手もブンブン左右に振られ、手を、只、繋いでいるという状態になった。

男と女の雰囲気ではない。

しかし、それが、ラテらしいとシンバは思う。

変顔にではなく、ラテらしさに、笑ってしまうシンバ。

「あー! 笑った! 私の勝ちー!」

と、更に、握った手をブンブン振るラテ。

そんなラテにシンバは答えを見つける。

——これから俺達がやるべき事。

「ラテ、どんな世界だって、俺達は俺達らしく、生きていけばいいよ」

「え?」

「帰ろう、クレマチスへ」

「シンちゃん・・・・・・」

ラテは手を振るのをやめて、シンバを見る。

「ラテと出逢ったあの町へ帰ろう。俺達が生まれたあの町へ。俺達が育ったクレマチスへ。俺達は俺達らしく、これからも生きて行こう」

ラテは俯く。ラテにとったら両親をなくした町でもあるのだ。

「俺はラテと生きていきたい。明日へ。未来へ。それが俺達のやるべき事だよ。ラテが教えてくれたんだ」

そう言ったシンバにラテは顔を上げた。

「私が?」

「ああ、どんな時だって、ラテはラテらしくいるから。俺はいつもラテに教えられてるよ。だから、これからも変わらず、俺の傍にいてほしい」

「でも私、何も教えてないよ、教えられるものもないし・・・・・・頭悪いし・・・・・・何にもできないし・・・・・・」

そう言いながら、ラテはシンバの手を強くぎゅっと握った。

シンバも応えるように握り返す。

「そんな事ないけど、何にもしなくていい。只、そこにいてくれるだけで、傍にいるだけで」

と、言いながら、シンバは空を見上げる。満月のまわりを流れる星々。

「ラテは月みたいだ」

満月を見て、そう言ったシンバを見て、ラテも、空を見上げた。

「月?」

「どんな時も見守ってくれてる、そんな感じ。きっと、月に見離されなければ、うまくいく。そんな気がする」

シンバは言いながら、月の女神を思い出していた。

この世界に存在した、唯一の神を——‌・・・・・・。


——朝。

航空機の着陸する音に、皆、目が覚めた。

ホバー船から降りてみると、航空自衛軍の飛行機と航空機がホバー船を囲み、シンバ達も自衛軍に銃を向けられ、囲まれている。

無言で手をあげるシンバ達——‌。

そこへ一人の女が歩み寄る。

「私の名はガジョーナ・クリツァ。防衛組織の中でも完璧で無敵を誇る航空自衛軍を取り締まり、指揮を行う者である。お前達はウィルアーナの者達だな? 返事はしなくていい。一緒に来てもらおう」

シンバ達は一人一人、錠を嵌められた。

「ガジョーナ提督、ウィルアーナのホバー船はどう致しますか? 中に病人がいます」

「誰かに操縦させろ」

「わかりました」

クリツァは女とは思えぬ程、堂々としている。勇ましい顔つきと逞しい体付きは男よりも強さを意味する。

クリツァが乗り込んだ航空自衛軍の本機、航空船へとシンバ達も連れ込まれた。

——ヴァイスはいいとして、クロリクは?

シンバとエノツとラテとハバーリだけ。

レーヴェは、まだ皆が眠る夜明け前に行ってしまい、クリサはホバー船で病人として眠っている。

クロリクだけが、いない理由がわからない。

幾つもの飛行機がリーフウッドから飛び立つ。

本機の中では、シンバ達4人は銃を向けられたままの状態で窮屈にも一つの所にまとめられ、錠のせいもあり、身動きもとれないでいた。

「——‌さて、ウィルアーナの諸君。我々、防衛組織は、この急激な世界各地の異変をウィルアーナ全ての責任と政府から連絡を受けている」

——は!? どういう事だ?

「しかし、正常に戻せるのも諸君達だけだと聞いている。諸君達には何らかの処罰が与えられるが、その前に話してもらおうか」

——話すってなにを!?

沈黙が続く中、ラテが小声で話し掛けて来た。

「シンちゃん、クロリクさんは?」

「もしかしたら、まだ村にいるのかも」

「ええ!? じゃあクロリクさん、あの大陸に一人じゃない。早く戻ってあげないと、一人で困ってるよ!」

「バカ、声でかいって」

シンバとラテの前にクリツァが立つ。

「いい度胸だな。このままでは沈黙のままだろうし、見せしめとして、一人、処罰を受けてみるか? 処罰をナメてかかると地獄を見るぞ? 死刑の方が良かったと思えるだろう。苦しみに男も女もないからな」

クリツァがラテを睨んだ時、

「彼女は関係ない!」

エノツが叫んだ。

「彼女はウィルアーナとは全く関係ない!」

そう言ったエノツに加勢するかのように、シェラがラテの足元に隠れながら、唸っている。

「ガジョーナさん、あなたは僕達にどうしろと言うんだ。この世界が狂ってしまった事は誰でもわかります。でも、どうしてそれが全て僕達の責任なんですか。

人は種としての成功に従い、その分布域を広げる事は自然破壊の拡大に繋がります。

人の活動が生態系の範囲内で行われるなら自然は回復するが、限界を超えれば、自然は急速に破壊します。小さな生態系システムさえ、完全に理解できない僕達にとって、アーリスという大きな対象の全てを把握するなんて無理です。環境問題だって、僕達が幾ら望んでも願いは聞いてもらえないのが事実です。自然の限界を超えて悪化して初めて、僕達の意見が通るんですよ!」

エノツに続き、シンバも語る。

「つまり政治や経済の問題なんだよ。発展した科学技術がアーリス環境の悪化と要因となる為、その技術の使用を削減や廃止すると、世界的合意を形成する段になり、各地の世界観の違いが、それを拒む形になる。又、何とか合意にこぎつけたとしても、新技術の開発、その技術が経済的に見合うものでなければ採用されない。科学や技術、学問とは、政治の前では無力だ。俺達に責任があると、政府が言う事の意味がわからない。何故、俺達だけが——‌!」

クリツァは左右に動きんがら、頷いた。

「言いたい事はよくわかる。が、政治も経済も、その点では政府が責任をとっていた筈だろう? 諸君達には膨大な予算が与えられ、アーリスを元に戻す為ならば、どんな手段でも良いと命じられていた筈だが?」

「どんな手段でもって、じゃあ、天使を全員殺して、クローンでも造り、恰も、腕も手も治りましたと、子供達を親に渡せと言うのか! 殺して造り、生かして殺す、そうしろとでも言うのか!」

吠え怒鳴るシンバをクリツァは睨み見る。

——・・・・・・そういう事なのか?

シンバは自分が怒鳴った事、全てが政府からの実行の命令だったのではと悟る。

クローンの研究がマウスから牛に、牛から猿に、猿から人に、発展していったのは臓器移植などの為——。

——違うのか?

——‌クローンってなんなんだ?

「次の着陸予定はカナリ—グラスだ。都会でもあり、食料品店が多かった為、人が集まっているらしい。避難してる場所へと戻るよう注意するのと、我々も食料調達しなければな。少し休憩といくか。おい、誰か、この者達の錠を外してやれ」

「しかし、ガジョーナ提督!」

「心配ない。逃げる所など何処にもない。例え逃げたとしても、生きて楽しめる程の世界ではなかろう? それと押収した荷物の中には武器もあったそうだな、それも返してやれ。せめて自分達の身は自分達で守ってもらわねば、コチラも忙しい」

「しかし、武器の中には、見た事もない大きな剣もあるようで」

「剣? フンッ、博物館か美術館などで盗んだか、コレクターにでも譲ってもらったか? 大丈夫だ、どんな武器を持っていようが、軍相手に戦えるなど、バカではない限り理解する。特にウィルアーナの諸君は、理解力だけは優れているだろうからな、こちらも手荒な真似はしたくない、その辺の事を充分理解し、行動してくれるだろう」

そう言うと、クリツァは操縦室へ向かう。

シンバ達は錠を外され、武器も返してもらい、自由に動けるようになった。

エノツは手の中にある麻酔銃を見て、フゥっと大きな吐息を吐いた。

ラテは弓と矢を背負い、シェラを抱き、不安そうな顔。

ハバーリは錠をされたままの状態で動かない。見ると眠っている。

——この人はどんな時でも、どんな場所でもこうなのだろうか?

シンバは、剣を背負った後、錠が嵌められていた手首をさすりながら、辺りを見回し、機内をうろつき始めた。

「——高度。及び方位確認・・・・・・気象内圧力正常、風向き、正常・・・・・・全機進路通常・・・・・・」

シンバはドアの向こうから聞こえてくる声に、操縦室かと、足を止めた。

「ガジョーナ提督、海上自衛軍の応援のZ旗が見えます」

「ああ、海を行く自衛艦か・・・・・・大きな船だ。皆、奮闘、努力しようではないか」

「提督、あの4人を官邸へ連れて行くのですか? 官邸は崩れ壊れてしまいましたが、プレジデントは生きているのでしょうか?」

「恐らくな。プレジデントからの通信命令は届いているのだからな」

「しかし、もう無い官邸にウィルアーナの者を連れて来いなど。そこに誰が待ち受けているのでしょう? プレジデントの直部下でしょうか? だとしたらそこに彼等を連れて行き、更に何処へ連れて行かれるのでしょう? それに、本当にこの世が元に戻るのでしょうか? あの4人にそんな事が可能なんでしょうか? 確かにウィルアーナの者は優秀であるとは聞いてますが・・・・・・見るからに、まだ子供ですよ、彼等は——‌」

「それ以上詮索するな。我々は世界の為に働き、上に黙って従っていればいいのだ」

会話を盗み聞きながら、シンバは溜め息を吐き、

「いや、もっと詮索してくれよ、まだ子供で、研究生だっつーの」

と、呟く。

帰ろうとラテと約束したのに、上には逆らえず、従うしかない。

レ—ヴェに代わり、リーダーとなっても、何一つ行動を起こせない。

それ所か、次は官邸へと行く場所さえ決められてしまった。

そう、いつも決められて来た。逆らって反抗しても結局従って来た。

道は一つしかなかった——‌。

「ガジョーナ提督、カナリ—グラスまで、後、200メートル、着陸指揮を願います!」

全機がスピードを落とし、着陸態勢に入る。

平らではない、瓦礫の上を着陸した為に、物凄い衝撃が乗者達を襲う。

しかし飛行機自体はなんともない。流石、自衛軍の戦闘機。

「休憩は一時間だ」

クリツァにそう言われ、シンバ達も外へ出る許可が貰えた。

ハバーリは、

「俺はここで眠ってるからよぅ」

と、航空機に残るらしい。いつもながら度胸がいいのか、マイペースなのか——‌。

外へ出ると、ラテは背を伸ばし、

「だるまのおじさんも外の空気吸えばいいのにね。少しは気分が良くなるのに」

そう言いながら、シンバとエノツに振り向いて、ね?と、首を横に倒した。

ラテの可愛い仕草に癒され、二人の顔が緩む。

ラテの足元にはシェラがいる。

「ねぇ、クロリクさん、大丈夫かなぁ?」

「大丈夫だろ、あの大陸、地震がなかったのか、何一つ変わってなかったし、彼女はあそこで育って来た訳だし」

「そうかなぁ、一人で心細いんじゃないかなぁ」

「ラテは心配性なんだよ」

「シンちゃんは冷たすぎだよ」

「そんな事ないだろ、それにラテの心配はいつもしてるだろ」

「そう?」

「そうだろ!? え、嘘、伝わってないの? 何も?」

「シン、ラテ、ガジョーナさん達に人が集まってるよ。何だろう?」

エノツがそう言って、指を差すから、その指の先を見ると、自衛軍のまわりに人が集まり、何か訴えている。行ってみると——‌・・・・・・

「お化け! お化けなんですよ!」

「呻き声やら泣き声がホスピタルから・・・・・・退治して下さいよ。自衛軍でしょう!」

人々は、お化け、幽霊、と騒いでいる。天使の次は悪魔だ、ゾンビだと言う者も。

「何を言っている! こんな所でウロウロしてないで避難命令通り、シェルターへ戻れ! 我々は忙しいのだ。ふざけるのもいい加減にしろ! くだらない!」

クリツァが大声で怒鳴るが人々の訴えは続き、自衛軍にしがみつく。

「・・・・・・お化け?」

ラテが首を傾げた時、

「ウィルアーナのホスピタルに出るらしい」

一人の男が近づいて来て、そう言った。

男は咥え煙草に、今、火をつけ、二ヤリと笑う。

「どうも、シンバ君」

「どうも・・・・・・あんた誰?」

「おいおい、そりゃねぇだろ。名刺渡しただろ。キミは覚えてるよな? 俺の事」

男はエノツを見る。

「確か、ウェイブの記者・・・・・・ラハン・アフェさん・・・・・・でしたよね?」

「やっぱりキミは覚えててくれたか。いやぁ、でも良かったよ、キミ達に会えて」

「キミ達? 会いたかったのはシンだけにでしょう?」

エノツがそう言うと、アフェは苦笑いした。

「それより、お化け騒動なんだけどね、あのホスピタル、誰かいるの? ウィルアーナの生徒だったんだから、何か知ってる事あるんじゃない?」

「こんな世界になっても報道はやってるんですか」

「シンバ君、こんな世界だから報道するんだろ? 何か知ってる事あったら教えてくれないかなぁ」

「・・・・・・恐竜じゃないですか?」

「恐竜? ああ、会見を行ってたあの恐竜か? あれホスピタルにいるの?」

「眠ってる筈です。その寝息が泣き声や呻き声に聞こえるんじゃないですか?」

「・・・・・・うん、そう、か。泣き声や呻き声はソレで説明がつくとしても、夜、明かりがポワーっと点いて、人魂らしいものが現れるらしい。それはどう説明する?」

——人魂?

「わからないと言った表情だな。天使の次は悪魔かって話しも出てるんだ。まぁいいや。じゃあ、また」

アフェは、その場を去ろうとして、そうそう、という風に戻って来て、古いウェイブの雑誌をシンバに差し出して、渡した。

「10年前の雑誌だ。ウェイブがゴシップ誌となった記事がある。ページに付箋を付けておいたから、直ぐにわかるよ。その記事が嘘か真実か、キミならわかるよなぁ? シンバ君」

「はぁ?」

「じゃあ、また」

アフェは行ってしまった。

——10年前?

シンバはパラパラと雑誌を捲り見る。そして付箋が付いているページを見つける。

——鏡を壊した少年?

見出しを目にし、シンバは硬直する。

何かわからないものが、シンバを支配するように。

「ねぇシン、恐竜の事、話しちゃって良かったの? ねぇシンっ! 面白い記事でもあったの? 10年前、やっぱり何かあった?」

エノツが雑誌を覗き見ようとした時、シンバはパタっと雑誌を閉じた。

「——シン?」

何か思い詰めた表情のシンバ。

「ねぇ、シンちゃん、エノッチ、お化け退治しない?」

突然、ラテがそんな事を言い出した。

「あのね、10年前って聞いて、子供の頃の事、思い出しちゃったの。ねぇ、覚えてる? クレマチスに昔からある空家に大ネズミが出る噂があって、三人で冒険した事」

ラテはスカートのポケットから財布を取り出し、それに挟んである写真を二人に見せた。二人共、笑い出す。

「懐かしい! 三人で大ネズミ退治した時の写真じゃない。シン、覚えてるだろ? お化け屋敷で有名な空家に大ネズミが出るって噂聞いて、三人で退治しに行ったら、ウサギだったっていうバカげた落ちで終わった冒険」

「覚えてる。それにしても持ち歩くなよ、こんな昔の写真」

「いいでしょ、楽しかった想い出だもん」

「そうだね、楽しかったね、一杯泣いたけど、一杯笑ったもんね。でも何だろう? 何かこの写真、違和感を感じるんだけど?」

エノツが写真を見て考え込む。

左にウィンクしてガッツポーズのシンバ。

真ん中に大きなウサギを抱いた笑顔のラテ。

右にまだ眼鏡をしていないピースしたエノツ。

「違和感? エノッチがまだ目が悪くなくて眼鏡してなかったからだよ」

ラテはそう言いながら、写真を財布に仕舞う。

エノツはまだ違和感について考えている。

「ねぇ、お化け退治、行くよね? 武器も持ってるんだし、行こうよ! 行くでしょ?」

ラテは考え込んでいるエノツの顔を覗き込んで聞いた。物凄く行きたそうな顔のラテに、エノツは考えるのを止めて、笑いながら、

「うん、僕は行ってもいいよ」

と——。

「ヤッタ! シンちゃんは?」

シンバは溜め息をついて、それでも柔らかい笑顔を見せ、

「行けばいいんだろ? 行くよ」

そう言った。

「ヤッタァ! シェラ、行っくよー!」

ラテは無邪気に崩れかけているホスピタルにシェラと一緒に走って行く。

「ラテ、昔と変わらないね」

「ああ」

「大ネズミ退治も言い出したのはラテだった。あのイベントが僕とシンを友達にさせたんだよね。助け合う事で友情が芽生えたって奴? ラテは最初からそれが狙いだったのかな。僕とシンを友達にさせるために仕組んだイベントだったんじゃないかな」

「さぁな。でもたまにアイツが言う事は意外にも当たってたりする。仕組むとか、計算とか、そういうのはできない奴だろうけど、自然と狙い通りにいってんじゃねぇの。尊敬するよ」

「そうだね・・・・・・尊敬するよね、だってシンと親友になれて、良かったって今は思えるから。ラテのおかげだよ。昔はシンが嫌いだったからなぁ。だって突然現れて、ラテの隣っていう僕のポジションとってくんだもん。凄い嫌だったよ」

「言っておくけど、俺だって嫌だったからな? 俺の居場所と思ったトコに、お前が既にいたんだから!」

「ははは、お互い様かな。でもそれも昔の想い出だね」

「想い出なのか? まるで今は俺がラテの隣にいてもいいみたいじゃないか?」

「僕は知ってるからね、シンの気持ちもラテの気持ちも。二人共何も言わないけど」

「は?」

「だから今は言えるよ、シンはいい奴だよって。だって僕の気持ちを知ってるシンは、何も言わないでいてくれてるから」

「シンちゃーーーーん! エノッチーーーー! 早くーーーーぅ!」

手を振るラテに二人は同時に走り出した。


ウィルアーナホスピタル。

崩れ壊れてひどい有様になっている。

中に入るには瓦礫を登り、割れた窓ガラスから潜入した為、三階フロアをうろつき、二階フロアに行く為、階段は使えなかったので、床が抜けた所から、飛び降りたら、その振動で、降りた床が崩れそうになった。

何も考えず、入って来てしまったが、いつ上から瓦礫が降ってくるか、わからないから、危険過ぎる。

瓦礫で天井が塞がれていると、薄暗く、消毒薬の臭いに交じり、噎せ返るよう酸っぱい臭いが充満していた。

発見されず、そのままとなった死体の臭いだ。

足音も一歩一歩と大袈裟に響く。

時々、ピチャピチャと鳴る本当に小さな音でさえ、大きく耳に聴こえてる。

しかもその音の正体が腐った死体に集まった蛆と知った時は三人、吐きそうになり、逃げるように走った。

「もうヤダーーーー!!!!」

「何言ってんの、言い出したのはラテだろ? でも人魂なんて壊れた電灯が付いたり消えたりしてるってのが落ちみたいだね。ね? シン?」

「確かに人魂ってのはソレで説明がつくかもな。只、泣き声、呻き声、それが恐竜だとは思えなくなった。呼吸音は常に聞こえるが、これが呻き声には聞こえない」

「恐竜だって寝言を言う時があるんじゃない? それが呻き泣き声に聞こえるとか。この常に聞こえる呼吸音も人の恐怖心が呻き泣き声にしてるだけなのかもよ?」

「それはどうかなぁ? 常に聞こえてるものだぜ? それが恐怖心となるとは考え難い」

「ねぇ、恐竜って前にニュースで見たけど、本当に捕まえたの? その恐竜の事を言ってるんでしょ? ここにいるの? 私も見てみたい!」

「一階入院施設の特大部屋と地下駐車場を繋げたトコにいるんだっけか? 行ってみるか。催眠ガスを吸わないように鼻と口を押さえるんだ。というか、呼吸を浅く、余り吸わないように」

シンバがそう言うと、ラテとエノツは頷いた。

ホスピタル一階はとても広い。しかも大地震の影響が外から見るより、全くない。ほぼほぼ、そのまま残っている。

レントゲン室、手術室、麻酔科、放射能科、リハビリテーション科、内科、外科、消化器科、循環器科、呼吸器科、神経内科、婦人科、眼科、精神科、皮膚科、脳神経外科、小児科、受付、待合室、救急センター、入院施設——・・・・・・

それはある科の診察室の前を通った時だった。


おおおおおおおおおおおおおおおおおお・・・・・・・・


まるで地の底からの悲鳴。明らかに人の声——。

目の前は第4診察室。

「・・・・・・僕、医学生達が言ってた噂、思い出しちゃった。第4診察室には自殺した医師の霊が出るんだ。呻き声も聞こえ、ここは開かずの間となってるって・・・・・・」

「エノッチ、そんな事信じてるのかよ」

「だ、だ、だ、だってさ、い、今、今、今、まままままま」


おおおおおおおおおおおおおおおおおお・・・・・・・・・


「ほらほらほらほらほらほらぁっ!!!!!!!!!」

「ラテなら兎も角、お前がしがみ付いて来るな! 霊かお化けか、確かめてみよう」

シンバは第4診察室のドアを開けた。

鍵がかけられていたのだろうが、地震のせいか、壊れていた。

そして、中は、やはり地震のせいもあり、散らかっている。

いや、元から、こんな部屋なのかもしれない。

目の前には大きなコンピューター。

画面には『Heart of the World』(世界の中心)の文字が出ている。

「何だ? 世界の中心って?」

4つのキーを押すようになっている。

恐らく何かの鍵で、キーが全て正解すれば、扉が開くか解除されるか・・・・・・

「適当にキーを押して、二度とダメになったら意味ないしね。イオン博士の名前は? IONって3文字だもんね。その息子の名前もSIMBAって違うし、となると、数字かな? シン、イオン博士の誕生日とか、実家の電話番号とかは?」

「お前なぁ、バンクのカードナンバーじゃあるまいし、真面目に考えろよ」

シンバがエノツを見て、溜め息を吐きながら、そう言った時、

「神様」

ラテが画面をジッと見つめながら、呟いた。

「私ね、ERっていう神様のいない時代に生まれたけど、やっぱり神様の事、信じてたと思う。でもね、今、天使とか神様とか、色々ね、目に見えて、信じない訳にはいかないのに、もう信じられないの。例え、それが世界の中心でも、私、絶対に祈れないもの」

ラテは天使に殺された父親や母親、人々、そして今の世界の状態、それから、これから起こるだろう戦いや飢え、悲しみや苦しみを全て受け止めるように涙を流す。

そんなラテに、シンバは何も言わず、コンピューターに『YHWH』と、キーを押した。


——YHWH

聖典の神の固有名詞である。この神名を現す4つの文字は、いずれも子音であり、これが元来どのように発音されていたかはわからない。人々は神の名を口に唱えなかったからだろう。いや、唱えれなかったのだろう、これは神へ通じる道を開くキーの暗号・・・・・・かもしれないからだ。


『YHWH』の文字を入れると、モニターに映ったのは一台の箱舟の設計図だった——。

長さ300アンマ、幅50アンマ、高さ30アンマ、床面積10359平方メートル——。

15000トン級の巨大な船。

「なんだ、これ?」

エノツの問いに、答えるように、画面にでる『Noah'sArk』の文字。

「設計図の内部のとこ・・・・・・サイバーテクノロジーとバイオテクノロジーの粋を超えた想像だよな・・・・・・こんな事、有り得るのか? 箱舟は生物になるって事? いや、こんなの、只の想像だよな」

そのシンバの問いに答えるものはいない。

そして画面は更に変わる。

次に映ったのは地形。

そこにはエスプテサプラ。

その地形に箱舟は沈むように消えて行く。

「ねぇ、シン、これって・・・・・・エスプテサプラに箱舟が隠されてるって事なの?」

「わからない、そういう事なのか?」

その後、アーリス全ての地形が映し出され、その地形の様々な所に赤い点がついている。

そして地形の下には——

『Where do you going?』(どこへ行きますか?)

・ Diet

・ Congress

・ Parliament

(アーリスにある3大国会議事堂)

・ State

(官邸)

・ Willarne

(ウィルアーナ)

・ Esptspla

(エスプテサプラ)

・ ——

(——)

と書かれている。

気になるのは地形に付いてる赤い点と書かれている場所が一致し、その赤い点も書かれた場所と同じ6つある。

しかし、どこへ行きますか? 選べるのは7つある。

最後の何も書かれてない場所も選べるという訳だ。

地形にもない場所とは——。

「シン、これってどういう事? ワープ?」

「まさか。今の科学技術で転移装置ができる訳ないだろう」

シンバはそう言った後で、エノツと顔を見合わせる。

二人、頭の中で会話している。

——今の科学技術でできないのか?

——それとも経済などの面でできないのか?

「やってみよう」

シンバはモニターを見る。

「一番近くがいい。ウィルアーナへワープできるもんならしてもらおうじゃねぇか」

エノツはシンバがキーを打ち込むのを見て、ゴクリと唾を呑む。

ラテはシェラを抱き締め、不安そうな表情をしている。

『Go to the Willarne.』

(ウィルアーナへ行く)

今、そう打ち込まれ、シンバ達はコンピューターが発する光に包まれた。

目を開けると、そこは暗い小部屋に下へと続く階段がある。

低い天井から微かに漏れる光。

「どこだ? ここ? エノッチ、馬になれ」

「はぁ!? なんで僕が」

とは言うものの、馬になる素直なエノツ。

シンバはエノツを踏み台にして、天井の隙間を覗いて見ると、さっきのコンピューターが見える。

「ここさっきの部屋の真下だ。俺ウィルアーナへ行くって打ち込んだよな? なんでだ?」

「やっぱりワープなんて無理で光で目が眩んだ瞬間に落とし穴みたいな仕掛けで僕達はここにいるんじゃない? もういいだろ、シン、下りろ」

シンバがエノツから下りると、


おおおおおおおおおおおおおおおおおお・・・・・・・・・


あの悲鳴が階段より下から聞こえて来る。

ラテはシェラが苦しくなる程、抱き締めた。

「——行ってみよう」

シンバを先頭に、ラテ、エノツと階段を下りる。

その先は行き止まりかと思ったら、エレベーターのようだ。

小さな箱に乗り込み、1つしかないボタンを押すと、下へ、下へ、ずーっと下へと降りだす箱。そしてドアが開くと、幾つもの扉のある狭いローカが、真っ直ぐに伸びている。

扉には小さな覗き窓があり、そこから灯りがチラチラと漏れている。

「・・・・・・嘘、だろ?」

窓を覗いたシンバは自分の目を疑った。

そこは鉄パイプでできたベッドと向き出しのトイレと錆びた蛇口があるだけの部屋。

灯りも豆電球のような小さな裸電球が低い天井で揺れているだけ。

「——監禁?」

エノツが呟く。

「違う。これはテストだ。見ろ・・・・・・あ、ラテは見るな。もう人じゃないから・・・・・・」

シンバの言う通り、そこにいるのは人ではない人である。

皮膚はブヨブヨに腫れ上がり、血管は赤も青もハッキリ浮き出て、髪の毛は抜け落ち、パンパンに腫れ上がった肌の奥には虚ろながらも瞳がある。しかも皮や肉はやぶれ、くずれ、ひどく爛れている。そして一呼吸が大きく、ソレをする度に苦しそうにゼェゼェと喉の奥が鳴っている。もう人の型をしていない、人がいる。

「多分、何らかの薬を使った副作用だ。アレルギー反応も見られる。まさかウィルアーナが人体実験を行っていたなんて・・・・・・」

シンバの口調は落ち着いているが、内心は動揺していた。エノツはそれを隠し切れず、無言で冷や汗をかいていた。その時——

「ギャウン!」

シェラが悲鳴を上げた。

抱いていたラテの腕の中から落ちたのだ。いや、正確には落ちたというより、落とされたのだろう。ラテの両腕は力無く、ダランと下に落ちている。

「ラテ?」

「・・・・・・扉の前に名前が書かれているの」

「え?」

ラテはある扉の前に立ち尽し、

「クルフォート・ラテって——」

そう呟いた。

「ええ!?」

思わず、驚きの声をあげるエノツ。

シンバはその扉の部屋を覗いて見た。

うずくまる醜い形になってしまった人が独り——。

「同姓同名だ。気にするな」

そうは言ったものの、シンバ自身気にしてるのに、ラテが気にしない訳がない。

しかもラテは中を覗いてしまった。

人ではない、見た事もない生物に、ラテはその場にしゃがみ込み、泣きながら吐いてしまう。

「うっ、うっ、うえっ、げほッ——」

「ラテ、大丈夫?」

エノツはラテの背中を優しく擦る。

「——ッ! ッ・・・・・・ハァ、ハァ、ハァ、あれは・・・・・・私?」

「違う! 何も考えるな! 大丈夫だから!」

何が大丈夫なのか、しかし他の言葉は思いつかず、シンバは何度もそう言った——。

力の入らないラテをエノツが抱きかかえ、シェラも心配そうに、ラテの足元でウロウロ。

そして、三人はその場を離れるように奥へと進む。

シェラは三人の後をチョコチョコとついて行く。

永遠にこの牢獄は続くのではないかと思う程、ローカは長く、同じ扉は鏡合わせのように続いていく。時々、部屋の奥で泣いている。


おおおおおおおおおおおおおおおお・・・・・・・・・


苦痛への叫びだろうか、死にたいと願う泣き声だろうか、恨みの声にも似ている。

やっとラテも支えてもらわなくても歩けるようになり、そして、やっと、そこから出られた。

広く、清潔感があり、高度な設備の整った研究室。

まるで空想の中だけのものが並ぶ。

完全なタイムマシーンだってあるような気がする。

「黒い、翼——?」

ホルマリン漬けとなった黒い翼が並ぶ。

同じ物が何個も何個も並ぶ。永遠に並ぶ。

「鳥、かな? 異様な数だな。でも何故、翼だけ——?」

シンバはその数の多さに疑問を持つ。

「シン、こっちへ来てみなよ」

エノツに呼ばれ、行くと、また信じられないものを目にした。

いい加減、自分の目を疑いたくなる。

「——胎児か」

「うん。心音がハッキリ聞こえ、全身に産毛も生え、髪の毛や爪もある。手足の筋肉も丈夫だが皮下脂肪が少ない。完璧に28週から31週、末期辺りの胎児として育ってる。このカプセルを母体とし、人の子が成長してるんだ。シン、これ、クローン・・・・・・かな?」

「わからない。クローンだとしても、臓器だけなら兎も角、完全な人のクローンは禁止されてるのに、どういう事なんだ」

「シン、今の所、胎児はこれ一体で、他には見辺らないけど、この装置は数万と並んでるよ。つまり、数万とクローンが造られた可能性は高い。その数万というクローンは今どこでどうしてるんだろう?」

——誰が、何の為に?

「——このカプセルの電源を切ろう」

「え? シン? 本気で言ってるの?」

「ああ、このまま胎児を成長させる訳にはいかないだろう」

「殺すの?」

ずっと黙っていたラテがか細い声を出した。

「違うよ、ラテ。この胎児の命は最初からない命なんだ。命はつくるものじゃない。生まれるものなんだ。これは・・・・・・存在しちゃいけない命だ」

シンバはそう言うとカプセルの電源であろうレバーをガコンと下へ落とした。

ゆっくりと電源が切れて行く。

やがて胎児の鼓動も止まるだろう。

羊膜となるカプセルと羊水となる水溶液の中、胎児は母親を夢見ながら眠る・・・・・・。

ラテはカプセルに手を重ね、まだ呼吸している胎児を見つめていた。

「シン、こっちに扉がある」

その扉の奥は手術室。

その設備の良さよりも手術した後が生々しく残っている事に息を呑んだ。

クランケはいないが、そこに寝ていただろう血痕がある。

トレイには肉片とメスがかたまった血の中に置いてあり、異臭も漂う。

オペ後、そのまま放置して、5、6日といった所だろうか——。

 ギ、ギィ——

妙の音が聞こえる。

 ギ、ギィ——

手術室より奥の部屋。

自動ドアの向こう。

センターで灯りが点く洗面所の、更に向こう——。

 ギ、ギィ——

 ギ、ギィ——

妙な音がハッキリと聞こえて来る。

 ギ、ギィ——

 ギ、ギィ——

そして、音が聞こえる扉のドアノブを、今、シンバがまわした——。

 ギ、ギィ——・・・・・・

 ギ、ギィ——・・・・・・

車椅子が上下に揺れ動く音。

車椅子には誰か座っているが、シンバ達からは後姿しか見えない。

 ジィ——————・・・・・・

古い映写機がまわっている音。

「あの映像、シンちゃんの小さい時じゃない?」

ラテが映写機から流れ出る映像を見て、そう言った。

車椅子に座っている人も、その映像を観ているようだ。

スクリーンに映る白黒の男の子——。

まだ5歳くらいだろうか、元気一杯に飛び跳ね、笑っている、泣いている、怒っている。

——あれは誰だ? 俺? 俺なのか?

「あ、イオン博士だ、若いなぁ」

エノツが映像を観て独り言。

スクリーンには若いイオンが、この映像の録り方をラインに教えていて、多少、画像が乱れ、暫くすると、イオンが男の子を肩車しているシーンが流れた。男の子は笑っている。

とても幸せそうな家族——。

「やめろ!」

突然、シンバが吠えた。

「やめろやめろやめろッ! なんなんだ、この作ったように出来すぎた映像は! しかもわざわざ白黒で映写機まで引っ張り出して来て! こんなバカげた映像を見る奴はイオン博士、あんたしかいない! やっぱりあんたが人体実験やクローンを創り上げた張本人なんだな! なんとか言えよ! いい加減、振り向け!」

車椅子はリズム良く揺れている。

シンバは振り向く気さえない、その態度に腹立ち、スクリーンの前まで走って行った。

「ふざけるのも——・・・・・・」

シンバは怒鳴りきれず、言葉を呑んだ。

シンバの顔に、そのまま映像が映し出される。その為、シンバの表情はハッキリ見えない。

 ギ、ギィ——

 ギ、ギィ——

車椅子は止まる事なく動き続ける。

 ジィ——————・・・・・・・・・

映写機もまわり続ける。

「シン?」

「シンちゃん?」

エノツとラテがシンバを呼ぶが、シンバは反応する事なく、只、立ち尽くしている。

その状況を理解してか、シェラも大人しい。その時——

「騒々しいと思えば、患者に面会でしたか。良かったですねぇ、ウィルティス博士」

エノツとラテの間を通り抜け、今、車椅子に手を置き、患者を見ながら、

「——息子さんが会いに来てくれましたよ」

そう話しかける、二枚目風の男——。

「あんたは——」

「もうお忘れですか? ウィルティス君。私はルシェラゴ・フレダー。ウィルアーナホスピタルの医師ですよ。君に自己紹介するのはこれで3度目です」

「3度目? 2度目だろ?」

フレダーはフッと笑み零し、エノツとラテを見て、今度は怪し気に二ヤリと笑う。

「お茶でもどうですか? こちらへどうぞ」

フレダーは違う部屋へと案内する。

「あ、映写機には触れないで下さい。その患者、白黒にした、その映像を観ている時が一番笑うんです。さぁ、こちらへどうぞ——」

エノツとラテはフレダーに付いて行く。シェラもラテの後を追う。

シンバも、車椅子に座っている人を見て、目を伏せたかと思うと、走って、その部屋を出た。

バタン!

ドアの閉まる音が大きく部屋に鳴った。

 ギ、ギィ——

 ギ、ギィ——

 ジィ—————————・・・・・・

部屋は静かにその音だけが繰り返す——。


シンバ達は応接室のような場所に通された。

「コーヒーでいいですよね、ミルクも砂糖もたっぷり入れてカフェオレみたいにしましょう、あ、ブラックが良ければ言って下さい」

テーブルに4つのコーヒーが置かれ、三人はフレダーと向かい合わせになるように腰を下ろす。シェラにもミルクが与えられた。

フレダーも腰を下ろし、コーヒーを一口飲んだ。しかし、三人は何も口にしたくはなく、只、テーブルの上のコーヒーを見つめる。

「どうしました? 毒なんて入ってませんよ?」

余りにもサラリとした口調に、シンバはフレダーをキッと睨みつけ、

「あんなの生かすだけ残酷だ! 酷過ぎる!」

そう怒鳴った。フレダーはニッコリ笑う。

「そうでしょうか。生きたいと願う者だからこそ生きてるんですよ。例え無惨でもね。そう、それは無惨でしたねぇ。心音は止まり、体中ガラスの破片が埋め込まれたかのように突き刺さり、抜くのが大変でした。まぁ、あの程度のクランケ、私の手に掛かれば、あのようになるのです。わかりますか? 死んだ者が車椅子を動かせる程になるのですよ。しかし驚きました。そんなウィルティス博士を見つけた時は——。

ウィルティス君、あれは間違いなく、ウィルティス・イオン博士です。失礼、言わなくてもわかってますよねぇ、だからこそ親思いに残酷だなどと言ったんでしょう?」

一瞬の重い沈黙が、その場を支配する中、フレダーは平然とコーヒーを飲む。

「・・・・・・別に、俺はイオン博士の事を言ってる訳じゃない。クローンや人体実験の事だ」

「それは失礼」

「ルシェラゴ先生、人体実験や人のクローンは禁止されてます。御存知ですよね」

エノツは冷静な話し合いへと持って行く。

「御存知ないのは君達の方です。キミ達は科学の真実の姿を知らない。クローンの誕生もキミ達の知っている時代の中で成功したと思っているでしょう? キミ達の知っている時代の中でクローンというものを公表しただけであって、その科学力は疾うの昔に成果をあげ、達成されているんです。そして公表されていない事は沢山あり、無論、私の知らない驚くべき事実もあるでしょう。それは科学だけとは限りません。キミ達の知らない時代というのもあるんです」

フレダーは三人の表情を見て、フッ笑う。

「キミ達は、この異様な世界をどう思いますか? 人の手が翼になり天使となった。新しい人類とも言えるその者達と我々は世代交替となるのでしょうか? しかし新しい人類誕生というのは、この時間だけではなく、今迄、幾度もあった事でしょう。そう、我々が知らないだけであって——。

一つ、私の知っている消え失せた時間の話をしましょう。世代は調度キミ達です」

フレダーはシンバ、ラテ、エノツを見て、目をラテに戻した。

ドキッとするラテ——。

「1981ER、君達は誕生した。その世代に生まれた子供達の殆どは我々が普通の人類ならば、普通ではなかった。殆どの母親は帝王切開という形で子供を生んだのです」

「あ。ママ、お腹切って私の事を生んだって言ってた。傷跡も残ってる・・・・・・」

「帝王切開なんて普通の出産と同じだよ」

エノツがラテに優しくそう教える。

フレダーは再び話し始める。

「母体の中で育った子供は腹部を切り開かないと取り出せなかったのです。何故なら、胎児は背に黒い翼を持っていたからです」

——黒い翼・・・・・・?

シンバは、さっきの研究室でホルマリン漬けになった幾千もの黒い翼を思い出していた。

「それは正に世代交替とも言える数の多さでした。まぁ、我々と同じで、翼などなく、産まれた者も数人いましたが——」

フレダーはエノツを見る。

「嘘だ、そんな事実、聞いた事ない!」

シンバが吠えると、フレダーは頷いて、

「そう、そんな事実、どこにもない。誰も知らない時間は歴史にも残らない」

サラリとそう答えた。沈黙する三人にフレダーは、また話し始める。

「背に黒い翼のある子供。しかし、そのような子供が生まれて来る事は母親の妊娠中の検診でわかっていた事でした。そして、それについての約5、6分の会議が開かれ、翼を持つ子供は消えてもらおうと結論は出ていたのです」

「それって、殺すって事ですか・・・・・・?」

エノツの問いに、フレダーはその通りと頷いた。

——たったの数分で、そんな事が決まるのか!?

「しかし、その数、数万といく。一人や二人なら出産後、退治が死ぬ事などよくあり、我々も医師として疑われずに済むが、数万もの出産ミスはミスだけでは済まなくなる。それにマスコミに知られる事は避けねばならない。何故なら、嘘と噂となる記事の中には真実もあり、例え、誰も信じなくとも、歴史に残ってしまうからです。我々は様々な人の細胞を採取し、創り上げておいたクローンを何もなかったように、親となる者に手渡しました。その為、キミ達の世代の怪我人やDNA鑑定などは、我々医師が苦労して来ました」

「・・・・・・僕達はクローン人間なんですか?」

ぼんやりとしながらエノツが呟いて聞いた。

「我々と同じ普通に生まれた者も数人いたと言った筈です。全員が全員、そうだった訳ではありません。言っておきますが、翼を取り除くというのも試みたんですよ。結果はキミ達も見たでしょう? 幾つも並ぶ小部屋にいる人とは思えぬ人間を——」

「あの人間は人体実験で、あんな姿になったんじゃないのか? 何かのテストじゃないのか?」

シンバの問いにフレダーは頷く。

「ええ。テストの者も昔はいましたよ。しかし、今、あそこにいるのは1981ERに産まれ、翼を取り除いた者です。命とは生まれて来る意味があると言いますが、本当にそうなのかもしれませんねぇ。あの者達は翼があるからこそ、生まれる意味があり、翼を失うと生きる理由がなくなるかのようです」

「でも、あそこに数万もの人はいなかったぞ。本の数人だった」

「ウィルティス君、その数人を見て、生きているのが不思議だと思わなかったのですか? 翼を取り除くと、体の抗体が全て失せ、通常の酸素までもが毒となる。ですから言ったでしょう、あの者達は翼を失うと生きる理由がないのではと——。

生きている数人の者が、何故、生き残れているのかが不思議なくらいです。何かの執念でしょうかねぇ」

「あ、あ、あの、扉の前に書かれている名前——」

ガタガタと身体を震わせ、目に涙を一杯溜めたラテが精一杯の声を出し、フレダーを見た。

「本当ならば、あの者達が名付けられる筈だった名前です」

ラテの身体がズンッと重くなる。

「ラテ、こんな話、信じるな! 嘘だ!」

「そうだよ、ラテ、落ち着いて! 大丈夫だよ! ホント、同じ名前の人だっていると思うし! それにきっと、これはラテとは全く関係ないよ!」

シンバとエノツは必死にラテを宥めるが、ラテの耳に、二人の声は届いていない。

ラテはあのカプセルの中浮いていた、クローンの退治を思い出していた。

——クローン、私はクローン、クローン・・・・・・

そしてシンバが言っていた、あの台詞。


『——この胎児の命は最初からない命なんだ。命はつくるものじゃない。生まれるものなんだ。これは・・・・・・存在しちゃいけない命だ』


——私は最初からない命・・・・・・存在しちゃいけない命・・・・・・

扉の前に書かれていた名前。

その向こうには人が住める訳がない、小さな汚い場所で、一人うずくまっていた・・・・・・

——あれが本当の私、クルフォート・ラテ。

「いやあぁぁぁぁ!! ウソウソウソ! 全部嘘に決まってる! ママが産んだのは私! 私がクルフォート・ラテ! だってママは私に料理を教えてくれたんだよ? パパだって弓道を教えてくれて、私を、私を、わた、わた、私・・・・・・私のパパとママだもん、そうじゃなきゃ駄目だよ! だってパパ、私の弓を守って死んじゃったんだよ? 私が弓道やってたんだから! そうでしょ? ねえ、ねえったら、シンちゃん! エノッチ!」

一生懸命シンバとエノツに問い掛けるラテだが、返答されているのに耳には入っていない。

「だって、みんな私をラテって呼ぶじゃない! 私の事をラテって呼ぶじゃない! 私の事を——・・・・・・私・・・・・・私・・・・・・私は・・・・・・」

ラテの瞳から涙がブワっと溢れ出す。

「・・・・・・私、幸せだったよ? 本当なら、あの人がそうだったんだよね? それなのに、私、幸せに生きて来た。それ所か、パパとママも死んじゃって、パパとママの本当の子供も死ぬ程、悲しく生きてるのに、私はシンちゃんとエノッチがいてくれて、幸せに普通に生きてるなんて・・・・・・」

急に落ち着いた口調で淡々と喋りながら、涙を流すラテに、シンバとエノツはどうしたらいいのかわからずにいる。

「どうして・・・・・・? どうしてラテは死んでないの・・・・・・? どうしてまだ生きてるの・・・・・・?」

ラテは思い立ったかのように、そう囁きながら、立ち上がると、ぼんやりした顔で、一人、部屋を出て行く。どうしていいか、わからず、束の間、シンバもエノツも見送ってしまったが、

「ラテ!」

と、二人は直ぐに追い駆けようとした時、

「ウィルティス君——」

フレダーに呼び止められ、何故か、エノツも足を止めた。

シンバはフレダーを睨み見る。

「キミの説、ハズレましたねぇ。この星に何か起こり、形態を変えた者だけが生き残るでしたっけ? 我々がDEAD ENDを迎える、その発想もNoah'sArkとバイブルらしく、とてもいいが惜しい。この星がDEAD ENDを迎えない為に、子供達は天使になった。それが真実です。しかし人類がDEAD ENDを迎える・・・・・・と、言うのは当たりでしょうかねぇ?」

——バイブル、聖典、偽典・・・・・・。

「あんた何者だ? 始めから世界がこうなる事を知っていたみたいじゃないか」

「それはキミの方じゃないんですか? ウィルティス君」

「なんだと!?」

「キミが私に何者かと尋ねる前に、キミが何者なのか、私はそれを知りたいだけです」

シンバとフレダーは睨み合う。

「俺が何者か? 俺もクローンとでも言いたいのか? 関係ない、それならそれでもいい。俺は俺だからな」

「キミはキミか。ならば、教えてくれないか? キミはどちらなんですか?」

——どちら?

「キミはウィルティス——・・・・・・ウィルティス博士には二人の息子がいた」

——二人?

「一人はウィルティス・シンバ君。もう一人はウィルティス・シーツ君」

——ウィルティス・シーツ?

「シーツ君はシンバ君の双子の弟でした」

フレダーは今時見た事もないビデオテープと言うモノを取り出して来て、これまた今時古いアンティークな映像機器を出してきて、それにテープを入れた。

すると画面に、あの車椅子の人が見ていた映像と同じものが映し出された。但し、シロクロではなくカラー。音声もある。

「あ! シン、シンの瞳が両方ともアクアだ!」


『パパぁ、肩車してぇ』

『ああ、シーツは重くなったな。シンバが帰って来たら、レストランに行こうな』

『シンバなんかほっといていいよ』

『シーツ、お兄ちゃんの事を呼び捨てたりしちゃ駄目でしょ』

『だってママ、ボクとシンバは同じ日に生まれたんでしょう、なのになんで、あいつがお兄ちゃんなの? いっつも友達のとこに行ってて、パパとママの事だって、あいつ嫌ってて無視してるのに。レストランだって、あいつ、絶対行かないって言うよ。また一人で家に残るって言うもん、待ってるだけ無駄だよ』

『シンバもシーツも本当ソックリよね、まだ小さいのに一人前の口たたくし! 違う所と言えば、シーツは甘え上手、シンバは甘え下手ってとこかしら?』

『違うもーん、シンバは本当にパパとママが嫌いなんだもーん、言ってたもーん』

『はいはい、もうわかったわよ、シーツ』

『なんだよ、パパもママもシンバばっかりだ』


——お父さんもお母さんもシーツばっかりだ・・・・・・。


『不貞腐れた顔はやめて、シーツ、何が食べたいんだ? ん?』

『ボクねぇ、ハンバーグ!』

『ハンバーグかぁ、シーツはいつもそれだなぁ』


「彼がシーツ君です。彼は6歳でウィルアーナの影の研究員でした」

——影?

「シンバ君とシーツ君の違いは瞳の色です。シンバ君は左右アンバー。シーツ君は左右アクア——」

「あっ!」

急に声をあげるエノツ。フレダーがエノツを見ると、エノツは首を振り、

「いえ、なんでもありません」

そう答えたが、あのラテの持っていた写真を見た時の違和感が何だったのか解けていた。

写真のシンバは左目を閉じたウィンクをしていたが、開いた右目がアクアではなく、アンバーであった。つまり、両目アンバーだった。

——瞳の色なんて、子供心に気にもしなかった。

——シンをシンとして見てただけだったから。

——いや、確か、何かの後遺症らしいと耳にしたな・・・・・・

——でも、そうなんだと深く考えもしなかった。

エノツは子供の頃を思い出している。

フレダーはシンバを見つめる。

「シンバ君は普通の小学校へ通い、シーツ君は天才な故、ウィルアーナに通う日々、事件は起きた」

シンバはフレダーをキッ睨み見る。

「シンバ君はシーツ君を殺害した。事件は揉み消されましたがね——」

今のシンバの瞳の中には、10年前のウェイブの雑誌の記事が思い出され、映し出されている。


——鏡を壊した少年

蝉が鳴きたてる暑い午後。

住宅街は夏休みを利用し、出掛ける家族が多く、静かな夏の午後という所だろうか。

8歳の少年は自分を殺すという殺人者となった。正に写し身となる双子の自分。

暑い午後に狂うように少年は飾りである斧を手に自分を裂いたのである。


俺は毎日、泣いていた。電柱の下で毎日泣いていた。

シーツが怖かった。何もかも全て取られてしまいそうで、あの日も——。

俺に差し伸べられたラテの手も、あいつが壊そうとするから、俺は——。


——死んじまえ。


「シンバ君はシーツ君を殺した後、自分自身の行動のショックに植物状態となってしまったのです。もしくは、目の前で殺されるシーツ君を、自分自身に置き換えて、自分が死んでしまったように思えたのかもしれませんね。なんにせよ、精神的なショックで大脳に大きなダメージが与えられ、大脳が機能しなくなってしまったんです。生命維持に頼らなければ生きて行けず、このままでは脳死となり、シンバ君が目覚める事は難しいと判断されました。そこで脳の手術を行う事を決めたんです。シーツ君の右脳は使いものにならない重傷を負ってしまいましたが、左脳は使えました。そしてシンバくんの左脳と右脳を離し、シーツ君の左脳を合わせ、一つの脳をつくる。そうする事により、シンバ君かシーツ君か、どちらかが目覚めるのです。その前代未聞の大手術、私がしたんですよ。神経一つ傷付ける事はできません。ウィルティス博士の大事な御子息ですからねぇ。緊張しましたよ。そしてウィルティス君、今の君があるのです——」

「・・・・・・だからなんだよ? そんな話を聞いた所で、俺は何も変わらない。俺はシンバだ。ラテが俺を見て、俺を呼ぶから、俺はシンバなんだ!」

シンバは部屋を飛び出して行き、エノツが直ぐに追い駆けるが、途中で引き返し、戻って来た。

「あの・・・・・・僕は・・・・・・? 僕は普通の人間なんでしょうか?」

フレダーは黙っていたが、エノツは、それが答えだと理解し、シンバを追った。

「ウィルティス。真実を知っただけではリミッターは外れないか・・・・・・ラテ? クルフォート・ラテの事か・・・・・・成る程——」

フレダーは画面を見ながら一人呟く。

アクアの瞳の無邪気な男の子——。


シンバはラテを探して、あの牢獄のような場所へ来ていた。

そしてクルフォート・ラテと書かれた扉の前でキュンキュンと鳴いているシェラ。

シンバはソッと扉を開け、見てしまった——。

弓の矢を手に持ち、その尖った先で、醜い姿となった人を何度も何度も刺し殺すラテ。

「・・・・・・ラテ?」

——ラテ? 違う、あれは俺だ。

——殺しても殺しても、死なないんだ・・・・・・

「——シン? ラテ!? ラテ!! 何やってるんだ!!」

エノツが狂ったラテを止めに入る。

「あはは、ねぇ、見てよ、こんな醜いのに血は赤いの。私ねぇ、血って映画やドラマとかアニメで見るままにポタポタって落ちて、ドロドロってするイメージがあったんだけど、お水みたいにサラサラなの。あはは、綺麗だねぇ」

ラテは鏃を力一杯、肉に突き刺し引き抜いた。

血が噴射する。

「あはは、ね? シャワーか噴水みたいでしょ?」

「ラテ! しっかりして! こんな事やめるんだ!」

「見て・・・・・・醜い化け物の癖に爪がある・・・・・・」

ラテは鏃を爪の奥へ入れ、ベリっと剥がした。

そして透明の爪を光に透かして見て、満足そうに笑っている。

「ラテ! 正気に戻って!」

「エノッチ、私は正気だよ。ラテをパパとママの所へ行かせてあげなきゃね」

「もう行ってるよ! もう行ってるから! 大丈夫だから!」

「大丈夫じゃない! まだ死んでない! まだ死んでないもん! 殺さなきゃ! 殺さなきゃ!」

「ラテ! もうやめろ! こんな事しなくてもキミがクルフォート・ラテなんだよ! 僕はキミしか知らない! クルフォート・ラテはキミ以外知らないよ!」

「ラテはいないよ! 私が殺すんだから! 殺してやるんだから! ラテはもういない!」

鏃を振り上げ、皮膚が切り破れ、見える内臓へと幾度と振り落とす。

そして、ラテはもういないと囁き続けるラテに、シンバは、

「うわぁぁぁぁーーーーーーーーー!!!!!!」

頭を抱え、悲鳴を上げた。

「お、おれ、れ、俺、俺はあの日——」


あの日、俺は人を殺した——。

『今日はパパと天文学について勉強したんだ。シンバはバカだからパパもママも嫌いだって。ボク達、同じ顔だもんね。優秀なのが一人いればいいんだよ。ボク一人で充分なんだよ。シンバなんか死んじまえ!』

いつもいつも、物凄い劣等感があった。

両親が弟を褒める度に、自分がいらない存在なんだと思うようになり、笑う事もできなくなって、自ら両親と距離を開けるようになった。

そもそも親に話しても、兄弟喧嘩は、お兄ちゃんが悪いと簡単に片付けられ、それこそ親の方から距離を開けられている感じに思えた。

只、外に逃げて電柱の下にうずくまって、泣く事で、そこから抜け出せずに、耐えるしかなかった。

兄弟喧嘩、そんなものじゃなかったのに。

どんな反撃の文句も全て覆されてしまう。

同じ顔なのに、お兄ちゃんという立場なのに、俺は何もかもに劣っていた。

勝てる訳ない。

でも負けたくはない。

それでも逃げるしかできない。

無力だった。

でもそれでもいいかと、思えたんだ。

また笑えるようになれそうだった、手を差し伸べてくれるラテが現れてから——。

『シンバ、お前、今日も女の子と話してたな。でもさぁ、家族でも、お前を嫌ってるのに、あの女の子は他人なんだから、お前の事なんか鬱陶しいってのが本音だよ。もう、あの子に纏わり付くのやめたら? いつか犯罪者になりそうで、こっちが迷惑だよ。あの女の子だって、シンバって、いつも近寄って来て、気持ち悪いって思ってるから。何か問題起こして、家族に迷惑になる前に・・・・・・死ねば? そうだよ、死ねばいいのに。早く死んじまえ!』


——死んじまえ。


気付いたら、飾ってある斧を手に持っていた。

脅しではなく、気付かぬ間に、気持ちは本気になっていた。

殺しても殺しても、死なない気がして、狂ったように何度も何度も、斧を振り落とした。

何も覚えていない。蝉が鳴きたてる音が全てを消してくれた暑い夏の午後——。

誰かが呼んでるような気がした。

気付くと、病院のベッドで寝ていた。

『シンちゃん、シンちゃん、気が付いた? シンちゃん、シンちゃん』

——誰だっけ?

——なんで泣いてるんだろう?

——なんで手を握ってるんだろう?

『シンちゃん、階段から落ちたんだって。シンちゃんが意識なくなってから、私、毎日来て、シンちゃんの事、ずっと呼び続けたんだよ、今、看護師さん呼んでくるからね』

——ずっと呼んでくれていた?

——呼ばれた気がしたけど・・・・・・

——あの子が呼んでたんだ・・・・・・

来たのは看護師ではなく、イオンだった。

『意識が戻ったんだな。自分の名前を言えるか?』

イオンがそう言っている横で、女の子は泣き腫らした顔で、喋り続ける。

『シンちゃん、私、ずっと一緒にいてあげるから、早く良くなって、また一緒に遊ぼうね? ずっと傍にいるから、早く元気になってね』

生きようと思った。

生きて行く事で、もう何もいらなかった。

『シンちゃん、私が、ずっと傍にいるから』

——ラテさえ傍にいてくれれば他は何もいらない。

『シンちゃん!』

——キミがそう呼ぶから。

——生きていく。

——これからも。

——キミと一緒に。

『シン・・・・・・シンバだ、お父さん、俺はシンバだよ』

そう答えたシンバの目に、イオンは少し残念そうに見えた。

しかし、もう何も望まなくても、生きて行ける。

自分の名を繰り返し呼んでくれるラテだけの為に、自分の存在はあるのだから——。

右目はアクアの色を放っていた。


「シン! どうしたんだよ!? 大丈夫か!? ラテ! ラテもシッカリしてよ!」

エノツがオロオロしていると、

「一体何事ですか」

と、フレダーが現れ、その状況を把握した。

「ザタルト君、彼女を先程の部屋へ運んで下さい。安定剤を飲ませましょう」

「わ、わかりました」

エノツはラテを抱きかかえようとするが、ミニスカートを穿いているラテの素足が、浴びた血でヌルヌルしていて、うまく抱けない。

それでも何とかラテを抱き上げ、エノツはさっきの部屋へ向かう。

フレダーはラテが刺したグチャグチャの死体である肉を見て、

「これは外科医でも吐く」

と、独り言を呟き、その部屋の扉を閉めた。

すぐそこで、頭を抱え、うずくまるシンバ。

「リミッタ—は外れましたか? ウィルティス——・・・・・・?」

フレダーが声をかけると、シンバはゆっくりと立ち上がった。

その表情は柔らかく、笑顔である。

「シーツ君・・・・・・ですね?」

「そんな名前だったかな。そうそう、そうだ、そんな名前を付けられた記憶があるよ、大好きなパパに」

そう言うと、嬉しそうに、声を出し、笑う。

「それにしても久し振りだね、ルシェラゴ・フレダーさん?」

「覚えてましたか、私の名前」

「もちろーん、忘れる訳ないよ、だって約束したよね? 大切なや・く・そ・く」

シンバとはうって変わって、表情が明るく、コロコロと変わる。

左目のアンバーの瞳も、表情と一緒に輝いて見える。

「——約束、ですか。10年前の約束、よく覚えてますね」


——10年前。

『ウィルティス博士。シンバ君をこのまま植物状態に置いておくのも危険です。毎日のように、眠っているシンバ君のお見舞いに来ている女の子もいます。面会謝絶と言っても、子供は勝手にどこからか潜り込む。何とかしなければ、マスコミも嗅ぎ付けてるようですし、いつまでもこのままって訳にはいきませんよ、何らかの処置命令を——』

『処置か・・・・・・どうすれば・・・・・・』

まだ若いイオンが、相当若いフレダーを目の前に、頭を抱え悩む姿を見せる。

『何故、こんな事になってしまったんだ・・・・・・』

息苦しく悲しむイオン——。

『ウィルティス博士、実は見せたいものがありまして。ホスピタル一階の第4診察室に来て下さい』

『第4? あそこは使われてない筈だが? 何故そんな所へ? 話があるなら今ここで——』

『見せたいものがあるんです、来て下さい、待ってます』

フレダーは、そう言い残し、第4診察室に向かった。

使われていない、その部屋で、今か今かと待ち侘びて、そして——

『・・・・・・ルシェラゴ君?』

『お待ちしてました』

イオンはその部屋をグルリと見回す。

『ここが何故開かずの間となったか御存知ですか?』

『あぁ・・・・・・いや? 私がこの大学を受け継いだ時から、既に開かずの間と噂されていたが、何か事故でもあった部屋なのか?』

『はい、噂では、ここで自殺した医師の霊が出るそうです。呻き声も聞こえるとか・・・・・・』

その時、微かな呻き声がイオンの耳に届いた。

『いっ、今——ッ!?』

『噂ですよ、ウィルティス博士』

『しっ、しかし、今、確かに——』

『ええ、確かにそれは噂です。噂とは、ある事実を隠す為に嘘を流す事もあるのです』

『ル、ルシェラゴ君? 一体なにを言っているんだ?』

『ウィルティス博士、あなたは何も知らない。歴代のウィルアーナの権力者達がどのようにして這い上がってきたのかを——』

フレダーがコンピューターを動かすと、眩い光が放たれた。イオンは瞳を閉じた。

『こ、こ、ここは? 一体、どこなんだ?』

驚くイオンを無視し、フレダーは下へと続く階段を下りて行く。焦りながらイオンも後を追う。呻き声は段々と大きくなる——。

『嘗て、ウィルアーナは大きな研究所としてありました。今のように大学、病院と別れていた訳ではありません。謎の研究所という事でマスコミに叩かれた時もありました。今の地位に伸し上がる迄、研究者達は生き残る研究を続けたんですよ』

『生き残る研究?』

『ええ。早い話が病原菌との戦いです。宇宙にある様々なウィルスを病型し、ワクチンをつくる事。つまり、どんな病気でも治せるという肩書きがほしかったんです』

『な、何の為にだね?』

『欲の為でしょう。栄光、賛美、感謝、地位、名誉、権力、富——、持っていて損はない。しかし宇宙から得体の知れない病原菌をアーリスに持って来るという事は人類絶滅にも繋がります。研究者達は急いで抗体をつくらなければなりません。実験材料がマウスでは意味がないんですよ、人でなければね』

イオンは並ぶドアの向こうから聞こえる呻き声に耳を塞ぎたくなる。

『そして人々は原因不明の病気になり、どこの病院でも治せず、どこの研究所でも原因を解明できずにいたのが、ウィルアーナが見事、短時間で解明した。その結果、人々にウィルアーナで治す事のできない病気や怪我は諦める他はないと印象づけるのに成功。そうしてウィルアーナは全ての欲を満たし、それをあなたが受け継いでいるんですよ。多くの犠牲者を踏み台にしてね——』

イオンは小刻みに震えながらも、

『何が目的だ? 金か? 地位か?』

ハッキリした口調で叫んだ。

『勘違いしないで下さい。私は今の地位で充分ですし、金に困ってる訳でもない。望みなど何もありませんよ。そうですねぇ、只の趣味でしょうか? 権力のある偉大人物の心理を狂わせたいと思う願望を実現してみるという事は——』

硬直し、ゴクリと唾を呑み、イオンは脅えた表情でフレダーを見る。フレダーはフッと鼻で笑みを零し、しかし真顔で、

『冗談ですよ』

余計考えさせられる言葉を吐いた。

『それに、今、人体実験でここに入れられている者は殆どいない。呻き泣き叫んでいる者はウィルティス博士の息子さんと同年齢のまだ小さな子供達なんですよ』

『な、なんだって?』

『大丈夫ですよ、行方不明で捜索されてる子供なんて、ここには一人もいない。事件にもならない。何故なら、この子供達は地上で存在しないからです』

『まさか・・・・・・クローン? クローンをつくり、閉じ込めているのか? 人のクローンを研究しているのか?』

『惜しい!』

惜しい? イオンはわけがわからなくなっている。

『さて、ウィルティス博士、あなたに見せたいものと言うのは、この奥にあります』

見せたいものとは、これではないのかと、イオンは奥にある何かに脅える。

重い足を引き摺るように無理矢理に奥へと持って行く。

そしてイオンは広い広い研究室を目にした。

想像を超える設備に息を呑む——。

『この世は何故、存在すると思いますか?』

『え? あ、いや、そ、それは・・・・・・アーリスが生命を育むのに良い星だった為に』

『それは違います。この世が存在するのは神が創り上げたからです。科学という名の神です。そしてここは最も神の領域に近い場所なんですよ』

『神だって? ルシェラゴ君、今はERだ。神のいる時代じゃない』

『ER、エンドレスロードですか。ウィルティス博士、あなたは本当に何も知らないんですね。ER、本当の意味はエンドロード。人類は終わる道を歩いているんですよ』

エンドロード——。

事実、イオンは何も知らない。

自分の息子達と同世代の子供達が翼を持って生まれた事も、そしてその子供達とクローンが入れ代わっている事も、人体実験も、この設備も——。

何も知らない。

ウィルアーナを取り締まるイオンが知らなくて、何故フレダーが・・・・・・?

『ルシェラゴ君、キミは一体、何者なんだ?』

フレダーは脅えるイオンを見つめる。

『私は真実のウィルアーナを受け継いだ者です。この研究所は星の内部にあります。あなたが受け継いだものは地上にある大学と病院です。光と影みたいなものですね。そして影の方の研究員の一任者としてウィルティス・シーツ君がいます』

『バカな! 確かにシーツは天才的な頭脳を持ち、大学で勉強をさせているが、研究員だなんて! シーツはまだ8歳だぞ! それにあの子はもう——・・・・・・』

『もう死んでしまった、ですか? いいえ、生きてますよ』

『シーツが生きている!? シーツが!?』

フレダーは隠し部屋へとイオンを招いた。

そこは部屋全体がコンピューターとなっていて幾つもの画面が至る所にある。

その画面には小さな細い文字が綴られている。

イオンは目を細め、それを黙読する。

『バイブルというものを御存知ですか?』

『バイブル? ああ、昔の聖典だね』

『ええ、しかし、私はバイブルを聖典とは見ていません。あれは歴史と科学の記録です。人類の歴史は栄え、滅び、その繰り返しです。つまり螺旋構造になっている。面白いでしょう? 人のDNAと同じ螺旋構造なんですよ。そしてそのDNAの本の一部にはバイブルが、こうして記録されているのです。いえ、これはシーツ君のDNAだからなのかもしれませんねぇ。シーツ君以外の人間のDNAにバイブルが記憶されてるかどうかは、まだ調べてないのでわかりませんが——』

人が神を信じてしまうのは人のDNAに記憶された本能的なものなのだろうか。

『シーツのDNAとは、どういう事なんだ、ルシェラゴ君!』

『これは生体コンピューターといって、シーツ君の左脳と記憶するDNAで動いているのです。画面に流れているのは全てがバイブルの一説ですが、シーツ君の記憶です。今、彼の右脳はコンピューターのユニットとDNAで生きた左脳をサポートしていますが、彼は自分をサポートしてくれる右脳ではなく、自分の右脳がほしいと言っています。どうでしょう? シンバ君の右脳と身体を提供すると言うのは——』

『な、何を言っているのだ、キミは!』

『正論ですよ。シンバ君の回復は見込みはないし、このままでは事件が公になる可能性がある。そうでなくても、女の子が毎日のように、見舞いに来ている。ここは賭けに出た方がいいと思いますが——』

『賭け・・・・・・?』

『シンバ君の右脳と体を、シーツ君の左脳に移植するか、または、シーツ君の左脳を、シンバ君の右脳と体に移植するか、どちらの結果になるか、わかりませんが、どちらかが目覚めれば、息子は生きていると言う事になる。マスコミも、何らかの事件があったと思っていたが、勘違いかと身を引くでしょう、公にされた記事は只のゴシップとして片付けられる。しつこいようなら、裁判を起こしたっていい。相手はウィルアーナ継承者ですよ、裁判で負けはないでしょう。そして、女の子も、彼が目覚めれば、それで納得する筈。子供は、直ぐに遊び相手を変えますからね。それにこれは、あなたの大切な息子さんが、一人でも生き残る手段だと思います。全て失ってもいいんですか?』

『ちょ、ちょっと待ってくれないか、考えが纏まらない。これは夢だ、そうだ、夢に違いない、夢なんだ・・・・・・一体いつから私は夢を見ているんだ・・・・・・?』

『現実逃避ですか。いいでしょう、シーツ君とコンタクトをとります」

『え?』

『——シーツ君、キミが会いたがってる人が来てますよ、起きて下さい、シーツ君・・・・・・』

その声に反応し、コンピューター画面のバイブルの文字は消え、新しい文字が綴られる。

——パパなの?

——大好きなパパ?

『シーツ! シーツなのか!』

——パパ、助けて、ボクを助けて!

——暗いんだ、行き止まりなんだ!

——ボクは生きてるのに動かないんだ!

——パパ、パパ、大好きなパパ、ボクを助けて!

只の文字が、イオンにはシーツの声そのものになる。

まるでシーツが泣き叫んでいるような声が、イオンの耳に届いている。

『シーツ! シーツ! どうしたらいいんだ、シーツ!』

——パパ、パパ、助けて!

——ボク、パパに会いたい!

——大好きなパパに会いたい!

——自由に動く体でパパと一緒に遊びたい!

——パパ、ボクを助けて!

『シーツ・・・・・・! わかった、助けてやる。ルシェラゴ君、シーツを助けてやってくれ!!』

『勿論です、ウィルティス博士。お任せ下さい』

——ありがとう、大好きなパパ。

イオンは、頭を抱え、ヨロヨロしながら、その部屋を出て行く。

『・・・・・・しかし、キミもうまいねぇ』

——何の事?

『さて何の事でしょうかねぇ』

画面に流れる文字と会話するフレダー。

——ボクは助けてほしいからパパにお願いしただけだよ。

『・・・・・・しかしキミのDNAを辿る事によりアダムとなるとは驚きです』

——ボクも驚いてるよ。

——いつか思い出す記憶なのかな。

『そうでしょうね、キミが本当にアダムなら』

——だとしたら、イヴも、同じ時代に転生してる筈だよ。

——どっかでボクを待ってるんだ。

『イヴですか。それも創られた魂ですか? 全く信じられない科学だ。全ての生物の根源となる魂、つまり霊力のシステムを解明していたなんて——』

それがバイブルに記された歴史の科学の一部のデーター。

その他に星解体システムと箱舟の設計図。

それはバイブルの最終章の黙示録と七教会の七つの手紙を合わせ、コンピューターに欠ける事により封印が解け、バイブルの続きとして出てくるデーターだった。

そして封印は疾の昔に解かれ、今はそれに遠からず近からずの科学まで発展しているが、やはり只の記録だけでは、その科学力は手に入れる事は不可能。

しかしバイブルの謎を解いた人類は必ず滅びて来た。

黙示録の神の軍勢の天使達に殺されて来たのだ。

その為、人類はここまでの科学力を手に入れるのに、背中に翼の持つ胎児を殺して来たのである。

『——しかし妙ですね。アダムの命が転生しているという事は、人類滅びの刻が近い筈です。黒い翼の胎児も現れましたし。しかし何故、白い翼の胎児が現れないのでしょうか。政府の記録では白と黒の翼の胎児は必ず一緒の世代に生まれるとありますが。

これは私の予想なのですが、白い翼の胎児、つまり天使達は殺される事を理解し、人の子として生まれて来るのではないでしょうか? そして翼を身体の一部に奇形として造り上げる。それは人の重い骨組みでも翼で空を飛べる体重の7、8歳の子供に現れる——。

違いますか?』

——・・・・・・探しておいてほしい。

『何をですか?』

——黒い翼の胎児から創り上げたクローン。

『・・・・・・良く御存知ですね。一体だけいるんですよ。クローンなのに、背に翼が生えなかった胎児が。成長装置の中でも順調に育っていました。しかし急いで母親の手に渡してしまったので、どこの誰か迄はわかりません』

——だから探しておいて?

——そいつ、多分、運命的に色んな障害から逃れ、生きると思うんだ。

——ボクが死ねないようにね。

——だから探しておいて?

『また面倒な事をおっしゃる』

——10年後、その代償として殺さないから。

『私をですか? 10年後、何かあるんですね。いいでしょう、探しておきましょう、シーツ君』

——約束だよ?

『ええ、約束です』


「あれから10年。その間、何度かこうしてボクがこの身体を支配したけど、シンバの生きる執念が強くてね」

シーツは身体を動かしてみる。思った通りに動く体に満足そうだ。

「シンバ君というリミッタ—を外して良かったんですかねぇ」

「どうして?」

「私も政府にいろいろと言われてますし——」

「怖気づいたの?」

「ええ」

躊躇いなしにフレダーは頷き、

「私も人としての恐怖心くらい持ってますから」

サラリとそう答える。恐怖を感じている声のトーンではない。

「フレダーさんの事は、ボクは殺さないし、怖がる必要ないでしょ? 政府なんてほっとけばいいよ」

「ここも政府の基地の一つなんですが、まぁいいでしょう。私も約束しましたしね。黒い翼を持つ生命体のクローン、即ち、背に黒い翼を持って生まれた唯一の生き残りという事になる、翼のない天使、その者は——・・・・・・」

フレダーは研究室へと足を向ける。シーツもフレダーの後を追う。

そして研究室のコンピューターのファイルを開いた。すると画面に沢山の名が出た。

「1981ER生まれの者達の名前をインプットしてあるデーターです。無論、シンバ君もシーツ君の名もあります。消去法で一人一人の名を消す事により、最終的には二人残りますが、この一人は昨年、交通事故で亡くなっていて、血液が親と合いませんでした。従って、母親が生んだ胎児のクローンではない事がわかります。そして残ったこの一人が黒い翼を背に持つ者のクローン・・・・・・」

フレダーはコンピューターキーを、カタッと音をたて押した。

画面に名前が大きく映し出され、シーツはその名に嬉しそうに微笑する。

「面白い展開になりそうだ。ありがとう、フレダーさん。シンバに最高の復讐劇ができるよ」

シーツは楽しそうに笑っている。

画面に映し出された名前——。

ザタルト・エノツ


「遅いなぁ、ルシェラゴ先生・・・・・・シンも大丈夫だったのかなぁ・・・・・・」

エノツはソファで震えて座っているラテの後ろで、ウロウロしている。

「・・・・・・エノッチ」

「うん?」

「私、私ね、私・・・・・・」

「大丈夫だよ、ラテ。何も心配ない。きっと何もかもうまくいくから」

優しいエノツにラテは少しだけ落ち着きを戻す。

しかし華奢な背中は震えている。

その背中を強く抱き締めたい気持ちをエノツは必死で押さえる。

ラテがそうしてほしい相手は自分ではないと知っているからだ。

「もうすぐシンも来るよ・・・・・・」

励ましが自分への悲しい独り言で終わる。

「遅くなりました。安定剤の前に新型ウィルスの予防接種をしておきましょう」

フレダーがやっと来てくれて、エノツはホッとする。

医者がいるだけで安心は保たれる。

「ルシェラゴさん、新型ウィルスはもう病型の解明もできてるんですか?」

「ええ、ウィルアーナで解明できないウィルスなんてありませんよ」

「・・・・・・自信あるんですね。それで、シンは? どこに?」

「ウィルティス君は外へ行かれました。そうそう、ザタルト君も来てくれと言ってましたよ。話があるそうです」

フレダーは、エノツとラテの親指の先に判を押すようなもので押印し、接種をした。

痛くも痒くもないが、後から多少ピリピリと来る。

「ラテ、どうする? もう少しここで休んでる? 僕はシンの所へ行くけど。シン、きっと自衛軍に遅くなった事を話しに行ったのかもね。一時間したら戻るように言われてたけど、すっかり遅くなっちゃったからね。僕もシンの弁明に加勢しなきゃ。それにログマトさんの事もあるから、ワクチンの話もあるだろうし」

「私も一緒に行く」

「うん、わかった、立てる? じゃぁ、一緒に行こうか。弓と矢は僕が持ってくね」

と、ラテの弓と矢を背負い、エノツは、

「ルシェラゴ先生、ラテも落ち着いて来てるし、一旦、シンの所へ行って来ます、今後どうなるか、わかりませんが、とりあえず、色々と有難う御座いました」

と、丁寧に頭を下げた。

「いいえ。この真上の地上へワープするには、研究室のメインコンピューターにYHWHを2度打ち込めばいいようになってます」

「はい、わかりました」

エノツは頷いて、ラテと研究室へ向かう。

フレダーはエノツの後姿を見つめる。視線など気にもせず、エノツはラテと行く。

その後ろをシェラが行く——。

「ラテ、もうすぐシンに逢えるからね」

エノツは優しくラテに言う。ラテはエノツの微笑みに救われている。

今、シェラを抱き、コンピューターをいじるエノツの背に囁いた。

「・・・・・・エノッチ、いつもありがとう、大好きだよ」

ブワっと光が放たれ、地上へとワープした。

ラテの囁きは天使の軍勢に消えていた。

地上に在る天は、輝く白い翼で埋め尽くしていて、軍の戦闘機は宙で身動きがとれずに遊ばれている。終焉の刻を謳い、白い羽が雪のように舞い降りるその日——。

アダムとイヴは口付けを交わした。

「・・・・・・シンちゃん? クロリクさん?」

ラテがそう呟いた声に、天を見上げていたエノツは、シンバがクロリクの肩を抱いて、キスをしている姿を目に映した。

「・・・・・・シン?」

ラテをほっておいて何してるんだと怒鳴りそうになる自分を押さえれたのは、

「クロリクさん、無事だったんだ、良かった・・・・・・」

ラテの人を想う優しい言葉を聞いたからだった。

エノツは黙ってシンバを見つめる。そのシンバはシンバではないとは知らずに——。

シーツは背負っているソードを抜き、手慣れた風に構える。

「グロビュール、なくしちゃいけないと思って、私が背負わせてあげたのよ」

「そう、ありがとう」

シーツはクロリクに笑顔で応えると、エノツとラテに一歩一歩近付く。

「——ザタルト・エノツ」

フルネームで呼ぶシンバにエノツは眉を顰める。

シンバではなく、シーツだと気付く筈がない。姿も声も、シンバそのものなのだから。

「シン?」

「嘗て、神に弓を引いた天使がいた」

シーツがそう話し始めるのと同時に、天からゆっくりとヤソが降りて来る。

赤い翼が痛々しくも神々しく、第三のアクアの瞳を見開いて、全てを見渡すよう、シーツとクロリクの後ろに降り立った——。

「時間は今より未来、出来事は今より過去。

アーリスの命が終わりに近付いた。星の末期まで栄えた人類の科学は想像を超えた計り知れないものであった。

アーリスの人類は巨大な星間連邦国家を築き上げていたが、それと同時に、アーリスで生まれた者は他星では生きれない事が解明されていた。

アーリスで生まれる者、アーリス外の環境に適応しきれないのだ。

ならばアーリスを生かし続ければいい。

アーリス解体が始まった。

アーリスをパズルのようにバラバラにし、一つ一つ器具を埋め込む作業、最後、アーリスの中心部である核を人工機軸に取り返れば、アーリスは人工惑星として生まれ変わる。

人間は母星の心臓までも握り潰した——。

それは人類最後の刻だった。

アーリスのまわりの磁気カバーの消滅。今迄、宇宙線からアーリスの生命体を守っていたものが消え失せてしまったんだ。

宇宙線に含まれている放射能をおびた無限に近い数の粒子が人工惑星となったアーリスに降り注ぐ。それは生命破壊物質、突然変異促進物質となった。

何万個もの超高速の放射能を持つ粒子に貫かれると、人の身体の見えない中枢部は全ておかしくなる。

多くの人々は急性病にかかり、遺伝子が壊され、脳細胞も壊される。人類は生殖機能も失う事となった。しかし、そんな人類とは逆に生まれ変わる者もいた。

突然変異——。

額に放射能を浴びた瞳の色を持つ新しい超人類。人類の終わりは新しい人類で始まった。

そのアクアの瞳を持つ人類は宇宙線を浴びながらも生きる、正に神であった。

しかし神の生殖機能はなく、それは種としての生命が尽きることだった——。

神は種を絶やさぬ為に新しい科学を生み出し、解明した。霊力システム——。

つまり生物の活力の根源となる魂を造り、種を絶やさぬようにする事。しかしそれは余りにも悲しく無慈悲な事である。神は愛をなくして種を生むのだから——。

しかし、これも母星アーリスがくれた愛。

その深い愛がアーリスに神を生まれさせ、神は賛美と感謝をアーリスに捧げる為、3つの魂を創り、自らの罪を罰せられて来た」

シーツの長い話に、エノツとラテは理解し辛い表情をしている。

いや、二人共、話を理解しようなどと思い聞いていない。いつものシンバと違う事にわからないから、その難しい表情なのだ。

「魂は原子エネルギーも光子エネルギーも、核をも凌ぐ、究極の無限エネルギーだ。その霊力エネルギーは通常、宇宙空間を彷徨っている。それは宇宙が始まる最初の爆発の塵がアーリスであるように、太陽、月、様々な星であるように、人類、動植物、水、大気、まだ広がる宇宙全てであるように、そして、お前達と同じであるように、当然の存在としてあるんだよ。只、違うのは、それは滅びる事なく永遠であるという事だ。

神が創った魂は人工ではあるが、そのシステムを理解した上のものだ。故に最初に創った魂をアダム(塵)と名付けた。

そしてアダムの欠片で対となる魂を創り、イヴ(全ての命の母)と名付けた。

その2つの霊はメシヤ、クリストスと記憶させられた。

アーリスの救世主となる為に——。

つまり、その魂を受ける者のDNAに、そう記憶される。

その記憶を持った者はアダムとイヴという命で、来るべき時が来た時代になると、永遠に転生される。

そう、もうボク自身、気付いてる。ボクはアダムだ。

因みにボクはシンバじゃない、シーツだ」

エノツとラテは難く動けずに、そのままだ。

「ボクはイヴが転生されたクロリクと結ばれる。まぁ、寂しさ紛らわす為にいろんな女を抱いて来たけど、やっぱりボクには彼女じゃないと駄目みたいだ。彼女に似た髪の長い女ばっかり相手にしてたのは、きっと本能的にクロリクを探してたんだろうね」

シーツは自分の斜め後ろにいるクロリクを見る。

クロリクは、どうだかねという風に長い髪をかき上げた。

「い、今迄、シンちゃんが部屋に女の人をつれ込んだりしてたのは——・・・・・・」

「ボクだよ。でもうまく表に出れなくて、その意識はシンバにもあった筈。今、シンバの魂は眠っている。霊力エネルギーは生体組織の中で一つしか連動できない。魂は生きると願う事で組織の中でエネルギーとなる。組織が朽ち果てる時、若しくは魂が生きようと思わなくなった時、その霊力エネルギーは肉体から解き放たれ、宇宙空間へと戻る。

もうすぐシンバもそうなるだろうね。

あいつは宇宙で彷徨う単なるエネルギーとなる。

今度、体を手に入れるのは偶然の奇跡、自分のエネルギーを受け入れてくれる者との出逢いがあるかどうか。それはアーリスの人類となるか、いや、人として生まれるかさえ、わからないけどね。ボクの魂は、必ず神の似姿、つまり人として、広い宇宙の中、アーリスだけに繰り返される。そう使命され創られた人工魂だから。

ボクの使命はイヴと共に、終わった人類の始まりを創る事。

人は必ず文明を築き、歴史を作る。それがDEAD ENDの道とも知らず、いや、知っていても、人は高度な文明に、素晴らしい科学技術に酔い痴れる。

そんな人間共に汚染されたアーリスを守る為、神の意志で遺伝子操作された人々、つまり天使が現れる時代、アダムとイヴは転生される。でもその都度、邪魔が入る。

そいつ等は神の手から堕ちてしまった者達だ。遺伝子操作がうまく成し遂げれなかった者、背に黒い翼を持つ堕天使だ。

本当ならば、天使共はもっと早くに世に出ていたが、人は天使共を殺してきてしまい、今になってしまった。しかしそれはそれで良かったよ。今回、堕天使ばかり生まれ、それは全て殺された。そして天使は人の姿で生まれ、天使へと姿を変えた。その為、背に翼ではなく、腕を翼にするという事になったけどね。今回、聖書最大の世紀のビッグイベント、最終戦争(ハルマゲドン)はなくなった、堕天使はいないのだから——」

「ちょ、ちょっと待って・・・・・・それはつまり、人はある文明を超えると滅亡させられ、再び始まっては、また滅ぼされ、神の領域である未来には辿り着けないって事?

アダムとイヴの魂っていうのは未来から過去に送られたアーリス始まりの種って事?

未来のアーリスの人は、アーリス解体という母星を傷つけた罪を罰する為に神となり、過去のアーリスの人を殺し、アーリスを守っているという事?

聖典とは神の計画成就した時の記録?

僕達は常に行き止まりの道を歩いてる?

もしかして堕天使って、人類を殺す天使達から守ってくれる存在なんじゃ・・・・・・?

唯一の人の味方だった・・・・・・?

人はそれを自らの手で葬り去ってしまった・・・・・・?」

エノツの問い掛ける独り言に、皆が聞こえていても、誰も応えないが、それこそ、その通りと言っているようなものである。

シーツはグロビュールを見つめる。

「この剣は人工惑星となる前のアーリスの霊力エネルギーで出来ている。グロビュール、その意味、暗黒に生まれる命。アーリスは宇宙で最も美しく、常に生まれたままでなければならない」

シーツはグロビュールをエノツに向けた。

「・・・・・・シン? 何の真似?」

「言った筈だ、ボクはシンバじゃない。これから始まるアーリスの為に、ボク達の為に、お前は邪魔な存在なんだよ。本性現す前に死んでもらう」

「本性? 何言って・・・・・・?」

「いいから、さっさと死んじまえ」

「な、なんで僕が? 冗談だろ?」

「これも言った筈だ、堕天使は邪魔だと」

「堕天使? ちょっと待って、僕は・・・・・・」

「心配ない、グロビュールは、この星そのものだ。グロビュールに斬られた者は安息し、神に召されるんだ。それは善であり、素晴らしい事なんだよ?」

「シン・・・・・・」

「あはは、そうそう、そう呼んでいいよ、ボクをシンバと呼び、シンバと思いながら、シンバに殺される。それが何よりも苦痛なんじゃない? あはは」

——苦痛だろう?

——シンバよ、お前が誰よりも苦痛だろう?

——お前の友達を奪ってやる。

——お前の全てを壊してやる。

——そしてお前も消えてなくなれ。

シーツはゆっくりとエノツに近付いていく。

エノツは何が何だか混乱しているが、近付いて来るシーツに本気の殺意を感じ、一歩一歩、後ろへ下がるが、天使達がまわりを囲むように舞い降りて来て謳う。

——逃げれない。

エル エル(我が神 我が神)

アイオーン キュリオス(永遠なる主)

アンゲロス キュリオス(我らの神)

ハレルヤ ハレルヤ(主を誉め賛えよ)

エル エル (我が神 我が神)

キュリオス ホルマ オイクーメネー(主に世を捧げよう)

キュリオス ホルマ ソフィア(主に知を捧げよう)

ハレルヤ ハレルヤ(主を誉め賛えよ)

ラテの悲鳴は天使の歌声に消えた——・・・・・・

——これは僕の罪だろうか。

——ラテの隣にいるのは僕だけでありたかった。

——シンがいなければ、シンさえ現れなければ・・・・・・

——シンなんかいなくなっちゃえ!

——シンと友達でありながら、そう思い続けてしまった事の罪だろうか。

——でも本当に邪魔なのは僕なんだ・・・・・・

——僕は只、3人で、またいつかあの故郷に帰りたかった。

——只、遊ぶ事に夢中になれて、3人いつも一緒だった、あのクレマチスへ。

——また3人でいつか帰りたかったんだ。

——シンと、ラテと、僕で・・・・・・

倒れているエノツの腹部から流れ出る血を、必死で手で押さえ止めようとするラテの、その血塗れの手をエノツは消え行く意識の中、握り締めた。

——もういいんだ・・・・・・ラテ・・・・・・。

ラテの大粒の涙が何よりも痛く、エノツは目蓋を閉じて行く。

そして、今迄、言おうと思うだけで言えなかった言葉を、伝えなければと、微かに消えそうな声を出す。

「・・・・・・シンを・・・・・・元に戻せるのは・・・・・・ラテだけだよ・・・・・・あいつ・・・・・・きっと・・・・・・今頃・・・・・・ラテを探してると思うんだ・・・・・・あいつ・・・・・・ラテの事・・・・・・好きな癖に・・・・・・僕に隠してるつもりでさ・・・・・・でもラテと同じで・・・・・・単純だから・・・・・・わかりやすいんだよな・・・・・・ラテもシンが好きなんだろ・・・・・・?

相手が・・・・・・あいつなら・・・・・・僕も賛成・・・・・・」

微かに笑って見せるエノツの最期にラテは気の遠くなる悲鳴を叫んだ。

そしてラテの傍にいるシェラが、今、唸り声を上げ、シーツに飛び掛かる。

しかし、それはラテに無惨な光景を見せるだけだった。

シェラの小さな身体から全ての血が出たと思える程、赤く赤く流れて行く。

その血の先には、エノツが背負ってきた弓と矢がある。

ラテはそれを拾い、シーツに構えた。

シンバのシ、エノツのエ、ラテのラ、シェラ——。

三人のその関係にはもう戻れない!

今、ラテの姿にシーツもクロリクも息を呑む。

ラテの背中の服を突き破り、大きな黒い翼が堂々と羽えている。

何万もの白い翼の中、たった一人の黒い翼で勇ましく立っている。

「——許さない。その身体はシンちゃんのものよ、返して!」

シーツはラテに動揺する。

「どういう事だ? 堕天使はザタルト・エノツじゃなかったのか?」

混乱しているシーツにクロリクが叫んだ。

「相手は一人よ! 今のうちに!」

「う、うん、わかってるさ」

クロリクの叫びに、シーツは冷静になる。

——そうだ、相手は一人の女だ。

しかし、ラテの弓を引く姿に偶像とはいえ、この時代に唯一存在した神の姿を見る。

「・・・・・・月の・・・・・・女神——?」

確かに神など誰も信じぬ時代、しかし、あの月の女神に意味はないとはいえ、何人のものが祈りを捧げただろうか——。

戦力となる軍勢のない堕天使。そのたった一人が神の生き写し。

事実、何万もの天使の軍勢が一人の堕天使に全く身動きとれない状態に気迫負けしている。


聖書の一説にこうある——。

その3つの霊、ハルマゲドンと呼ぶ所に集めたり。


メシヤ、クリストス、キリスト、その救世主を意味する魂が集まった今、最終戦争は免れない事実なのだろうか。


「危ない!」

クロリクの叫びで、シーツは再びハッとし、飛んで来る一本の矢を咄嗟に避け、ラテをキッと睨むと、ラテの表情は勇ましく勝ち誇っている。

その表情にシーツは、しまったと、矢の飛んでいった先へ振り向く。

ヤソの第三の瞳に突き刺さった一本の矢。

「何て事を! キリストという救世主の魂を傷つけるなんて! キリストは神の一番近い存在の魂、神と繋がってるものなのよ! これからの聖書の教えを導く者として絶対の存在なのよ! キリストがいなかったら、この後、聖書を誰が教え導いていくのよ!」

クロリクがそう叫んだ後、ヤソの赤い翼は腕に戻り、足から崩れ落ち、息絶えた。

今、YHWH・ヤソと生まれた命が終わった。

未来のアーリスの人類となる神の絶対的存在の信者としての魂が、その肉体から離れる。

アーリスの救世主である一つの霊が、次に繰り返されるまで肉体を得れない。

「くっそーーーーーーーーーッ!!!!」

シーツがグロビュールを振り上げ、天使達も怒りに狂い、ラテ目掛けた時、

 ドゴォーーーーーーーーーーーーーーーーッ・・・・・・

ホスピタルが一階から崩れ落ち、目覚めた恐竜が奇声をあげた。催眠ガスが切れたのだ。

「——聖書の最終章にある竜なのでは? そうあれは恐竜ではない、サタナスだ」

フレダーが現れた。


——サタナス。

神と敵する者サタンである。

ここではアーリスという星を守る神に、恐竜とも思われる巨大な爬虫類がアーリスで生きる為に戦う。

例え、アーリスが滅びようとも、アーリスで生まれた者はアーリスでしか生きれないからだ。それは人類も動植物も同じだから——。


「ぐぅアアああァーーーーっ!」

恐竜は奇声をあげ、爪のある蝙蝠のような翼を羽ばたかせ、天使達を追い、喰らい始めた。

地上に降り落ちる白い羽と血と肉と悲鳴——。

「やめてやめてやめてぇ! お願い! そんな事しなくても、みんなが生きていける道を探そうよ! 私はみんなが好きだから! もう誰も死なせたくないから! 私は、私は生きていくから! みんな一緒に生きていくから! 一緒に生きていきたいから!」

恐竜に、何度も叫ぶラテの、一緒に生きていきたいと言う声に、シーツは目眩で跪く。支配した筈の脳が狂い始める。

「——シーツ君というリミッタ—が外れ、シンバ君に戻りますか?」

シーツはフレダーを睨む。

「貴様ぁッ!! 計ったのか!?」

「とんでもない。私は怖気づいたと頷きました。それに私は約束を守ったなどとは言っていません。ザタルト君は、1981ERに生まれた、今となっては唯一の人間です」

「ザタルト・エノツが黒い翼を背に持つ者のクローンだと言ったじゃないか!」

「私が? 言ってませんよ? コンピューターに名を出しただけです。それをあなたが勘違いしたのでしょう? それにあなたこそ、約束を守るつもりはあるのですか? 私をあなたは殺さないと言いましたが、守るとは言いませんでした。つまりあなたは私に手を出さないが、例えば、このハルマゲドンに巻き込まれ死ぬ事も有り得る。まぁ、そういう運命は自然に任せてみませんか、ウィルティス君」

「・・・・・・くっ!」

シーツは額を押さえ苦しそう。

「私は神という器に興味はありませんが、霊力システムの解明には興味がある。君は面白いサンプルなんですよ。一つの肉体に二つの魂が存在する——。

さて全てのリミッタ—を外してみましょう。シーツ君、そしてシンバ君、その二つの魂が一つになる。それが善とでるか、悪とでるか、敵となるか、味方となるか、わかりませんが——」

その時、クロリクが叫んだ。

「私を見て! 私の所へ来て! 早く! 何してるの! 私とあなたは運命なのよ!」

ヒステリックに聴こえる、その声の中で、五月蝿い怒鳴り声も、泣き叫ぶ声も聴こえる。

嫌な声が記憶に残っている。

なのに、目に飛び込んで来たものは、差伸べられた優しい手だった——・・・・・・


——泣いている?

シンバは閉ざされた闇の中、誰かの泣き声に一つの道を見つけていた。

——ここはどこだろう?

ずっと行くと、男の子がうずくまって泣いている。

——これは俺?

——ガキの頃の俺?

まるで哀れみでも買うように、一人で泣いている自分が腹立だしく、苛立だしい。

「立てよ」

手を差し伸べてやるが、立つ気も、顔を上げる気さえない。シンバの怒りは露わになる。

「なにしてるんだ! 早く立て! そうやって一人で泣いて誰かを待つなよ! 自分で歩き出せねぇなら、ずっとそうやってろ!」

シンバは男の子を通り過ぎる。泣き声が後ろから聴こえるが、それで振り向いたんじゃない。ラテが呼んでる声がしたからだ——。

幻だろうか? 泣いている男の子の向こうから、駆けてくる女の子の影。

女の子は男の子に何か声をかけているが、直ぐにシンバの元へ走って来る。

そしてシンバの手を掴んで、引っ張る。

「お、おい」

女の子の顔がハッキリとはわからないが、

「ラテ?」

幼い頃のラテに似ているような気がした。

「俺をあいつのとこに戻そうとしてんのか? やめてくれ、ほっとけばいいんだ、あんな奴!」


『シンちゃん、そうじゃないよ?

シンちゃんがしてほしかったのは、そうじゃないよ?

思い出して?

シンちゃんは笑ってくれたよ——』


女の子なんてどこにもいない。

シンバは泣いている男の子の目の前に立っている。

幻なのか、それとも記憶の片隅にあった映像を見たのか。

——俺にできるのか? ラテのように。

——ラテと初めて出逢った時のように。


『どうしたの? 泣いてるの?』

電柱の下、動かずに、うずくまっている俺に声を掛けてくれたのに、顔も上げずに俺はずっと泣いていたっけ。

ラテはそんな俺の横に座って泣き止むのを待ってくれた。時々、

『どうしたの?』

そう尋ねて来る。

何度目かに尋ねられた時、俺は、

『独りだから』

そう答えたっけ。

『独り? 私がいるじゃない。ずっと一緒にいてあげるよ』

始めて顔を上げ、ラテを見ると、ラテの笑顔は涙のせいか、キラキラしていた。

ラテは立ち上がり、手を差し伸べてくれた。

『行こう! 遊びに行こう! ずっと一緒に遊ぼう!』

俺はラテの手を握った。

多分、その時の俺は笑顔だっただろう——。


——あのラテと出逢った時のように、俺にも出来るだろうか?

——誰かに手を差し伸べる事が。

シンバは泣いている男の子の隣に座った。

「——なんだよ、なんで泣いてるんだよ?」

男の子は何も答えず、只、只、泣いている。

暫くして、シンバはまた尋ねる。

「どうしたんだ?」

やはり何も答えてくれない。それでもめげずにシンバは何度となく尋ねる。

もう答えてくれないだろうと、諦めかけた時に、

「独りだから」

男の子はそう言った。

「親は?」

男の子はポツリポツリと話し出す。

「いるよ、いるけど、ボクだけのパパやママじゃない。お兄ちゃんもいるから」

「・・・・・・そうか。でも両親はお前を愛してるよ。お兄ちゃんだって——」

「お兄ちゃんは・・・・・・ボクと遊んでくれない。友達と遊んでばかりで、ボクとは遊んでくれない。お兄ちゃんはボクの事が嫌いだから。だからボクもお兄ちゃんに意地悪言ったりするんだ。死ねとかバカとか!」

「・・・・・・下らない兄弟喧嘩だな」

「始まりはそうだったのかもしれない。でも・・・・・・」

——でも?

——でも今は憎しみだらけの相手なのか?

——そうなのか?

——どうなんだ? 俺!

シンバと男の子は暫く静かに時間を過ごした。

「俺がお前の友達だ」

突然、シンバはそう言って立ち上がった。

「え?」

顔を上げた男の子の瞳はアクア——。

シンバはシーツに手を差し伸べる。

「立てよ。俺はお前とずっと友達だったんだよ、いや、友達よりも深いものだったんだ、それを忘れてたんだ。これからは俺がずっと一緒にいてやるよ」

「・・・・・・お兄ちゃん」

小さな子供の手で、シンバの手を握る。

こんなに小さいのに、精一杯の強がりで自分を保っていたのに気付かなかった。

——何故、耐える事を知らなかったんだろう。

——何故、全て自分のものにしたかったんだろう。

——何故、苦しい事から逃げようと考えたのだろう。

「・・・・・・ごめん、ごめんな、シーツ」

シンバは男の子をシーツと呼び、何度も謝る。

——全て、君に押し付けて来た事に後悔ばかり。

しかし、その後悔は二度と消えない。

双子として生まれたシンバとシーツだが、シーツは成長していない。

あの日のままなのだ——。

「ごめん、俺が死んじまえば良かったよな」

「・・・・・・ボクもね、同じように思ってた。口に出して、意地悪ばっかり言って、ごめんね。パパとママ、お兄ちゃんの事、嫌ってないよ。なのに、嘘吐いてごめんね」

「・・・・・・シーツ」

「お兄ちゃん、ボク、生きたいよ。お兄ちゃん、ボクはボクとして生まれたかった。アダムもメシヤも、その前にボクはシーツだったんだから。彼女も助けてって言ってたよ」

——彼女?

「彼女もイヴやクリストスの前にクロリクなんだ。助けたいんだ、彼女を!」

——クロリクと最初に出逢った時。

彼女は何か囁いた。

しかし、彼女の言葉は誰にも理解できない。それなのに、

——うん、わかったよ。

彼女に頷いたのは、彼女の助けてと言ったセリフをわかっていたシンバの中のシーツ。

「お兄ちゃん!」

「わかった、助けよう! 二人で!」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

小さな手でシンバの手を強く握り、シーツが、今、笑ってくれた——。


目の前に差し伸べられている手——・・・・・・

それを握り、ゆっくりと立ち上がる。

「・・・・・・ラテ」

「シンちゃん?」

「ラテ」

「シンちゃん」

握り合う二人の手は自然に背中にまわり、二人は久し振りの再会のように抱き締め合う。

ラテの背の黒い翼がパタパタと嬉しそう・・・・・・。

「ほぅ。全てのリミッターを外すという事はウィルティス・シンバとなりますか。当然と言えば当然ですか? その肉体はシンバ君のものですし、シーツ君の肉体は幼い時に死んだのだから。しかし、魂という霊力は脳細胞と肉体と、三位一体とうい関係なのでしょうか? 研究の価値はありますね。そのシステムの公式を解く鍵は・・・・・・」

フレダーはブツブツと呟きながら、崩れているホスピタルへと向かう。

「——神に逆らうの?」

クロリクがシンバを見つめる。

「誰一人守れず、自分さえ独りで生きれないのに、アーリスという、デカ過ぎるものなんか守れない。俺は俺が守りたいものを守る」

「何言ってるの? あなたが守りたいものはアーリスでしょ? アーリスさえ守れば、人も動物も植物も、また増えるわ。でもアーリスはたった一つの存在なのよ」

「俺も一人だよ。クロリク、キミも一人じゃないか。失っちゃいけないのは、それぞれの今の命だろ? 俺はアーリスも守れたら守る」

「全てを守れるとでも? 笑えるわ。人をそのままにしておいたら、アーリスが汚染されるのよ。美しい星を汚す寄生虫を排除しないと、アーリスが滅んでしまうわ!」

「アーリスが終わればアーリスと共に生きて来た者も終わる。全て終わる。俺も、キミも。そうだろう?」

「終わらない! あなたも私もアーリスがあれば、永遠の命よ! もういいわ! 話にならない! 私は神に逆らわない! あなたも逆らえない筈よ! 神が決めた運命には誰も逆らえないの。アダムとイヴが結ばれるのは運命よ。きっとあなたは私の所へ戻って来る。必ず——」

クロリクの背に、白い翼がバサっと生える。

その姿、美しく、神に忠実を誓う天使そのもの。イヴの最終形態である。

今、天使共を喰らい尽くしているサタナスの真正面まで舞い上がり、クロリクは拳を向けた。その指にあるリングが光り、目を眩ましたのか、サタナスはその巨体を地上に落とした。シンバはラテの頭を抱き、身を低め、その衝撃から守りながら、クロリクを見上げていた。今、クロリクもシンバを見下ろし、そして飛んで行く。その後を、天使達が追っていく。

白い羽が降り注ぐ——。

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