第三章 翼 ~Whom to fear~
『わしの話はここで終わり——』
子供達は顰めた表情をする。まだ続きがあるように思えるからだ。
御爺さんはヘンテコな帽子を被り直し、コクリと頷いた。
『そう、この話(バイブル)には続きがある』
子供達は嬉しそうな表情をする。お話がまだ聞けると思えるからだ。
御爺さんが話す物語は、子供が聞くには難しい。しかし、時間を超えてきた話は、とても子供心に興味深いものだった。それに子供というものは、残酷であれば残酷である程、惹かれるものである。
『これは誰も知らない、秘密のお話——』
——それは満月の夜、女神が舞い降りた。
2500AD。
「なんだと!? 植物が成長しないだと!?」
「はい」
「バカな!? 太陽光は浴びてる筈だろ」
「はい。でも違うんです。光合成が行われないとか、枯れてしまったとか、そういう事ではないんです。つまり、細胞の成長がないんです。止まったままなんです」
「・・・・・・まさか」
「いえ、本当です。月には時間の経過がないんです。それから、先程、政府から連絡命令が入りました。月面開発を中止しろと——」
「なんだと!?」
「それと、彼女を月に送れと——」
目の前に現れた彼女は、華奢な背中に、大きな黒い翼を持っていた。
泣き腫らした瞳で脅えている。
「彼女は?」
「さぁ。政府からは何も」
いつもそうだ。
政府は事実を述べず、下を都合のいいように扱う。しかし、それに反発さえできないでいる自分が一番イヤなのだ。
「私、私・・・・・・1999ERから来たんです」
「え?」
ERというのが、すぐに年号だとは気が付かなかった。
しかも、未来の——。
「私、帰りたいんです。待ってるのが死でも、終わりでも、帰りたいんです」
彼女の、そのセリフ、そして、背中の黒い翼。
この星の未来に何かが起こっている事は確かだろう。
我々は彼女を月へ送る計画を始めた。
極秘で行われる為、期間も一週間と短い。
彼女は未来の事も、自分の事も、何一つ話さず、毎日、ぼんやりしていた。
そんな彼女に、俺は恋をしてしまった。
それは科学者として、彼女を興味深く見るのではなく、只、彼女が笑ってくれるだけでいい、彼女の笑顔を見たいと願う事だった——。
「明日、キミを月に送る。コールドスリープより、完璧な時間停止だから、キミは今のまま、未来に戻れるよ」
彼女はコクリと頷いた。
「でも何もない所で、今から何千年、キミの精神は耐えれるだろうか。それに、何千年待っても、キミが戻りたいという時間が来て、誰がキミを迎えに行くのかな。これは極秘計画だから誰も知らないし、政府も何千年も先の未来、覚えてないだろう。いや、正直に言おう、政府は、キミを未来に送る為とか言っているが、月面開発が中止になった今、キミは月に封印されるようなものなんだ」
幸か、不幸か、俺が喋る言語と彼女がいた未来の言語は、略、一致する為、彼女に悲しい言葉を浴びせてしまった事を理解される。
彼女は俯いてしまった。
「——行かなきゃいい。行くなよ。未来の事なんか忘れろよ。キミの、その黒い翼も、俺なら、何も気にはしない」
思わず、彼女の手を握ってしまった。驚く事に彼女は手を握り返してきた。
しかし、返事は返って来なかった。只——
「似てる」
「え?」
「あなたは、私の大好きな人に似てる。きっと、迎えにきてくれる人に、似てるから」
彼女は笑顔を見せてくれた。
そして彼女は月(未来)へ旅立った。
俺に出来る事。それは、彼女が月で待ってる事を、未来の人間に伝える事。
しかし、極秘の計画は記録として残せない。
何か、いい方法はないだろうか——。
これがバイブルの続きとなる出来事であった。
政府は人類の混乱の為か、もしくは、己の可愛さか、彼女を月に封印した。
しかし、それがバイブルの続きとなるとは、政府も知るよしもない。
2500AD、その時代、神は存在した。
黒い翼を背に持つ彼女は、その時代の者には神の使いに見えたであろう。
彼女を殺す事は出来なかったのだ。
彼女を一切傷付けず、彼女の言う通り未来に帰す。
そして、自分達の住む星から消えてもらうには、月が最適だった。
『おーい、待ってよー、お話、待ってよ—ぅ!』
『遅いよぉ。もう御爺ちゃんのお話、始まっちゃってるぞぉ!』
『だってぇ、シンちゃんが遅いんだよ。ね、シンちゃん? シンちゃん——・・・・・・』
「・・・・・・——シンちゃん、シンちゃん、シンちゃんってば!」
ハッと目を覚ますと、ラテがいる。
ホッとして、見慣れた天井に気付く。
「——ここは、俺の部屋?」
「そう、シンの部屋の筈だけど、僕がシンを運んで来たら、ラテの服とかあるし、しかも、ただいまぁとか言って、ラテが帰ってくるし、その辺の説明を聞きたいなぁ、僕としては——」
エノツは眼鏡を上げ、横になっているシンバを睨んでいる。
「あれぇ? さっきちゃんと話したじゃない? エノッチ、私の話、信じないの?」
「ラテの事は信じてるよ。そうじゃなくて、僕が聞きたいのは、シンは僕の気持ちを知ってて、何故ラテを泊めるかって事だよ」
「エノッチの気持ちって?」
「え!? あ、いや、だから、ソレは、なに、ほら、アレだよ!」
「アレって?」
ラテはエノツに顔を近付ける。エノツの顔が段々と赤くなり、それを隠そうと、プイッと横を向いて、
「ラテには関係ない話だよ」
精一杯、意地悪な口調で言い放った。それを聞いたラテの頬がプゥッと膨れて、
「いーーもんッ! いっつもそうやって私ばっかり仲間外れにするんだからッ!」
と、拗ねて、キッチンの方へ行ってしまった。
「何だよ、僕の方が仲間外れの回数、多いんだぞ・・・・・・」
エノツが、そう独り言をぼやいた後、シンバは額を押さえながら、ゆっくりと起き上がった。
「エノッチ・・・・・・俺・・・・・・どうしたんだっけ・・・・・・?」
「え? 覚えてないの?」
「覚えてるけど・・・・・・あんまりよくは・・・・・・」
「そっか。でも僕もよくわからない。窓から見てただけだから。シンが、凄く大きな剣を持って走って来て、車を真っ二つにして、ポリスマンに後ろから頭を打っ叩かれて、気絶しちゃって・・・・・・」
「車を・・・・・・? 夢じゃなかったのか・・・・・・」
シンバは手の中にしっかりと握られている、あのオーパーツに気付き、ソレを見つめる。
『アポストロス・・・・・・
アイオーンネフェシュ・・・・・・
ハレルヤ・・・・・・ ハレルヤ・・・・・・
ハレルヤ・・・・・・』
あの時、頭の中で繰り返し響いた声。
——どういう意味だろう。
何もわからないが、只、彼女を助けなければと思った。その理由もわからない。
「シンちゃん、車、真っ二つにしたの?」
話が聞こえていたのだろう、ラテはキッチンから出てきた。そして、運んで来たトレイの上の3つ、色違いだが、お揃いのマグカップをテーブルに置き、シンバとエノツを見る。
カップの中身はココア。ホットチョコレートの甘い香りが漂う。
シンバは隠すように、オーパーツをポケットに入れた。そして俯く。
エノツはグリーンのカップに手を伸ばす。ラテはブルーのカップを持ち、シンバに差し出すが、俯いたままのシンバは受け取ろうとはしない。ラテはブルーのカップをテーブルに置き、今度はレッドのカップを手に持ち、コクンと一口、口をつけると、又、ソレをテーブルに置いた。そして、俯いているシンバを見る。
「シンちゃん、すごいね。いつの間に剣なんて扱えるようになったの?」
「そう、問題はそこ。僕が一番の疑問に思ったトコなんだ。だってさ、シンはラテみたいに弓とか習ってた訳じゃないだろ、なのに、すごい剣術が身に着いてたみたいでさ、しかも、あんな大きな剣、普通に剣道とかフェンシングとか、そういうの習ってる奴だって、扱えるのは、ちょっと難しいんじゃないかな? それに僕が駆け付けた時には、その剣、何処にも見当たらなくてさ。おかしいんだよね、大体、真剣なんて、美術館で飾られて——、うん? なに?」
エノツはラテに袖を引っ張られて、話を途中でやめ、ラテを見ると、ラテの視線はシンバに向いていて、エノツもシンバを見ると、シンバは脅えを隠せぬままに震えていた。
ガタガタと音を出して、振るえているシンバに、余りにも軽率にベラベラと喋りすぎたと、エノツは、ラテを見て、ラテもエノツを見て、二人、シンバを見る。
「お、おれ、れ、俺、お、俺——」
シンバはうまく喋れない。歯がガチガチと鳴り、血の気が引いて、身体が冷たくなってゆく。
震えて止まらないシンバの手を、今、ラテがソッと触れた。
ラテの温もりと——・・・・・・
「シンちゃん、大丈夫だよ、傍にいるよ? ね?」
ラテの優しい声と微笑み・・・・・・。
シンバの気持ちが、ゆっくりと落ち着いてゆく。
「・・・・・・俺、わからないんだ。本当に何も。耳鳴りがして、身体の自由が奪われていく様に、勝手に体が動いて、知らない声が聞こえて・・・・・・あんなの俺じゃない。俺じゃないよ・・・・・・」
シンバは、まだ少し震えた手で、ラテの手を握り締める。ラテも握り返し、頷きながら、笑顔を作っているが、本当はラテ自身、不安で、重い空気に潰されそうでいた。エノツは、ラテの笑顔が作り物だとわかっている。ラテの淹れた飲み物が珈琲でも紅茶でもなく、ココアだった事、そしてラテは常にシンバを見ている事。だから、エノツは、
「なぁんだ、そういう事かぁ」
と、この場に相応しくない、あっけらかんとした声を出した。シンバとラテはエノツを見る。
「そういう事って?」
ラテは首を傾げ、エノツに尋ねた。
「そんなの、よくある事の一つじゃないか。考えてる事よりも行動が先にでる事なんて、よくあるし、知らない声なら街中に溢れてる、耳鳴りなら、僕もよくある。それに扱った事がなくても扱える物もよくある。そして偶然が重なる事だって、割りとよくある事!」
「そっか、そうだよね、よくある事だよね」
「そうそう、よくある事。ホント、偶然、よくある事が重なったんだよ、悩む必要なんて全くないって、シン」
——違う。
シンバはまだ俯いたまま、自分に脅えている。
——あれは簡単に説明がつく事じゃない。
「シンちゃん? らしくないよ? いつまでも伏せてるなんて。ほら、笑ってぇ?」
ラテはシンバの顔を無理矢理、上にあげ、頬をウニーっと引っ張る。その妙な顔にエノツとラテはゲラゲラと笑い出す。
——そうだな・・・・・・
——笑ってしまおう。
——俺を想ってくれる、この笑い声に流されてしまおう。
「やめろよ、ラテ。俺にそういう事して、覚悟は出来てんだろうなぁ? ラテぇ?」
「きゃーーーーー!! ごめんなさぁい、やめてぇぇぇぇぇぇ!」
シンバはラテをベッドに引きずり込み、擽り始めた。
「俺が謝れば許す男だと思ってんのかぁ? エノッチ、足、足押さえろ!」
「あははははは、やめてってばぁぁぁぁ! 降参!! 降参するからぁぁぁぁ!!」
暴れるラテの両足をエノツが押さえるが、蹴飛ばされそうになる。
狭いベッドの上で、3人は子供の頃に戻っていた。
脅え、難しい事を考える事もなく、不安に不安を重ねる事もなく、変に相手を思いやる事もなく、只、笑い転げた。いつまでも、この時間が続けばいい・・・・・・——。
そして、まるで何事もなかったような、日々が続く。
大学に通い、研究に没頭し、バイトに明け暮れる、そんな何も変わらない日々。
そんな日々の中、あの刑務所に行ってしまった女が、近い内、死刑になると言う噂を耳にした——。
「ウィルティス君? 今日、なにかあったの? バイトに身が入ってなかったよ? ボーっとしてばかりで」
「別に」
「別にって感じしないよ? ふられちゃったとかでしょう?」
「まさか」
「失恋したんじゃないの? 隠さないでいいのよ、私が慰めてあげるからぁ」
彼女はバイト仲間。
長い髪を掻き上げる仕草にそそるものがある。
「・・・・・・うちに来る?」
「え? ウィルティス君の家?」
「一人暮らしなんだ。だから誰もいないんだよね」
「ふぅん・・・・・・いいよ、行っても」
バイト帰り、バイト仲間の彼女と同じ方向へ帰る。名前も覚えてない、興味もない、そんな彼女と——。
これも変わらぬ日常。
「聞いてよ、シンちゃん、親父ったらねぇッ!」
「またかよ」
「あっ、また女連れ込んだでしょー!?」
ラテとも、変わらず同じ日々を過ごしている。
これが平穏とでも言うのだろうか?
「あ、シン」
「なんだ、エノッチか」
「なんだはないだろ。珍しいな、シンが図書館で勉強なんてさ」
「あぁ、進級試験、近いしな。取り合えず、進級しといて損はないだろ」
「そうだね。それより、シン、今日もミーティング、出席しなかったね」
「ミーティング? ああ、あのプロジェクトチームのか」
「チーム名、ピースって決まったんだよ」
「ピース? ははッ、何? 戦隊ヒーローにでもなる気かよ。全くガキのお遊びだな」
エノツはシンバの隣の席に座る。
「その内、ヴァイス君の方から連絡が来るよ。シンがするべき調査内容やら、ミーティングでのまとめやら、色々話しにさ」
「わざわざ話に来るのか?」
「だって、シンのコンピューター、いつもオフラインで繋がんないじゃん」
「俺はガキの遊びに付き合ってる暇はないの!」
「ヴァイス君、言ってたよ。サボり、遅刻、早退、ガキの無責任な行動を取る奴に付き合ってる程、暇はないって」
「なんだとぉ!?」
「僕じゃないよ、ヴァイス君が言ってたんだよ。それに、シンの事を言ってるんだろうけど、シンの直接的な名前なんかは言ってないからね」
「くそぉ、ヴィイスのヤロウ、いつか殺す!」
「でもその通りだと思うよ?」
「お前はどっちの味方なんだよ!!」
「シンの味方だから、言ってあげてるんだよ。ちゃんとやる事はやらないと! シンだってピースのメンバーなんだし。まぁ、とりあえず、今は試験勉強しようよ。僕もそのつもりで図書館に来た訳だし」
とは言うものの、2人一緒になると勉強など、進みやしない。
本に載ってる偉大人物写真に落書きが始まる。
「クックックッ・・・・・・鼻毛はヤバいって」
「何言ってんの、鼻毛は必要だって」
エノツの持っているペンが鼻毛を書いた時、
「コォラァ! 本は大事に扱いなさい!」
背後から、そう怒鳴られ、2人は落書きしていた教材をバッと隠したが、怒鳴った相手がラテだと知ると、気が抜けた。
「なんだぁ、ラテかぁ。驚かすなよ」
エノツがホッとした声を出した。
「何やってんの!? 大人しいと思ったら、こんな落書きして遊んでるなんて! 子供じゃないんだからね! しかも図書館の本でしょ、それ!!」
「ラテ、バイトはもう終わったのか?」
シンバが、そう尋ねると、ラテは頷いた。
「うん、貸し出した本がね、一週間レンタルなのに、それ以上過ぎちゃってるのがあって、早く返せぇって書いた葉書を、帰りにポストに入れて、今日のバイト終了! ね? シンちゃんとエノッチは? まだ帰らないの? 帰るなら駅まで一緒しよ?」
シンバとエノツは、ろくに進まなかった試験勉強を終え、テーブルの上を片付ける。
ノートコンピューターに、資料データーなどを保存し、教材やペンなどを、適当に鞄に入れ、図書館の本は、落書きを消して、キチンと棚に戻し、
「おまたせ」
2人は声を揃え、ラテにそう言った。
3人、図書館を後にする——。
自転車に乗るエノツ。足はペダルを漕がずに、アスファルトを歩いている。その自転車の後ろには、後ろ向きで跨って座っているラテ。その後ろを歩いて来るシンバ——。
歩行者専用の道路を、トロトロと行く3人。
「ねぇ、明日、暇?」
「ソレ、どっちに聞いてんの?」
エノツがハンドルに体重を置き、前屈みで、後ろのラテに聞いた。
「2人」
「なんで?」
今度はシンバが、ラテを見ながら聞いた。
「私ねぇ、明日、エスプテサプラに行かなくちゃいけないの」
「エスプテサプラ? ソレどこ?」
エノツが振り返ってラテを見る。しかし、後ろ向きに乗っているラテの後ろ髪と背を見ただけで、ラテの顔までは見れない。
「天文学で有名な大学がある所だろ? ほら、リンドミラーユニバーシティがある町だ」
「ああ、聞いた事はあるけど、僕、あんまり、他の大学の事は知らないし」
「リンドミラーを知らないなんて、エノッチ、お前、それは知らなすぎ」
「え、私も知らなかった」
ラテがそう言うと、シンバは額を押さえ、頭が痛くなって来たという風に俯いた。
「あのなぁ、リンドミラーはADの頃からあるんだぞ。最も、ADの頃は研究所だったらしいが、その科学と天文学の知識は凄かったらしい。まぁ、今となっては三流となってるがな。町そのものが田舎だしな」
「シン、詳しいねぇ。なんでそんな事、知ってんの?」
「バーカ、常識だよ、常識」
シンバは、ぶっきらぼうに、そう言うが、少し得意そうにも聞こえる。
「で? ラテはエスプテサプラに何の用で行くんだ?」
シンバがラテに尋ねると、ラテはシンバを見た。
「あのね、図書館に本を寄付してくれる人がいて、取りに来て欲しいって言われてて、私が行く事になったの。でも、行った事ない場所だから、ちょっと、一人で行くのが怖いの」
「何言ってんだよ、ラテの弓道の腕前知ってるから、怖いと言われても納得できねぇ」
「何よぅ、弓は持ち歩かないもん!」
「はいはい、そうですね。ですから、お供しましょう」
「本当? シンちゃん」
「シン、進級試験、近いんだよ? いいの?」
「俺は元から顔も頭もいいし、何もしなくても進級してやるって。まぁ、エノッチは勉強頑張って進級してくれよ」
「何言ってんの。顔はいいかどうかは別として、試験が良くても、シンの場合、問題は出席日数だろ? 足りてんの? ラテには真面目で優等生の僕が連いて行くよ」
「本当? エノッチも来てくれるの?」
ラテはピョンっと自転車から飛び降りる。そして、ソコにあるポストに葉書を入れた。
「ねぇ? じゃあさ、明日、駅前で待ち合わせしよ? AM8:00。2人共、いい?」
2人、ラテに頷く。
「そんじゃ、又、明日!」
エノツは、そこからペダルを漕いで、自転車で走って行ってしまった。
シンバとラテはホームが違うので、駅の中で別れる。
「シンちゃん、明日、寝坊するなよ!」
「あぁ」
ラテはクレマチスに着く電車へ——。
シンバはジギスタンに着く地下鉄へ——。
手を入れたポケットの中に、あの石がある。
——オーパーツ。
気付けば、いつも大事に持っている。
シンバは、ふぅっと深い溜め息を吐いた。
——次の日の朝、AM8:12
カナリ—グラスの駅から、3人は電車に乗った。その時間帯、通勤や通学で電車の中は混雑していたが、途中から透き始める。エスプテサプラ迄行く人は少ないらしい。
2時間半後、無人の駅に着いた。
「エスプテサプラって無人駅だったんだ? すっごい田舎町だね」
エノツが驚いている。
「でも自動改札は何処も同じだねぇ」
ラテは切符を改札口に入れる。
「さて。ラテ、どこへ行くんだ?」
シンバがラテを見ると、ラテは手提げのバッグから、メモ用紙を取り出して見た。
「うんとねぇ、キュール市場行きのバスに乗って、リンドミラーユニバース前って所で下りるの。バス停行こっか」
「ええ!? まだ着かないの?」
エノツは疲れたという表情と声を出す。
バス停はすぐそこにあったが——。
「嘘。一日三本しか走ってないぜ」
バスの時刻表を見て、シンバが驚く。
「——しかも一本目、行ったばっかり」
これにはシンバもグッタリと疲れた。
3人、バス停のベンチに座る。
「・・・・・・ごめんねぇ」
何となく落ち込んで謝るラテ。
「何謝ってんの? ラテらしくもない」
「俺達は好きで来たんだから」
「でも2人共、大学を休んで迄来てくれたのに・・・・・・バス来ないんだもん」
「バスが来ないのはラテのせいじゃないよ」
エノツが、そう言った時、エノツの小さめのリュックの中から、ピロピロと妙な音が鳴った。
「ごめん、着信音だ。同じクラスの奴にね、授業内容をファイルにして転送してって頼んだから、多分ソレ」
エノツはそう言うと、リュックの中から、ノートコンピューターを出した。
「便利だよね、ウィルアーナの人なら、みんな持ってるんでしょ?」
ラテがシンバを見ながら聞く。
「あぁ。でも、かなり昔は誰でも持ってたみたいだ、ノートコンピューターみたいなの。それどころか、もっと小さな奴で、電話もできるし、写真も撮れたり、ゲームや映像なんかも観れたりするような奴があったらしい。世界中の人と繋がれて、情報を共有してたとか。しかも財布にもなって、電子マネーで払えたり。そうなると、楽でいいよな、いちいち並ばなくて済むし、会計も人の手がなく、スムーズに行くし。オンラインショッピングとかで、家にいて、買い物ができたり」
言いながら、そういう機能は今の時代に残して欲しかったと、シンバは思う。
「そうなの? そんなのがあったの!? SFみたい!」
「あぁ、まぁ、でも、残骸みたいなもので、多分そうだったって話で、実際はどうだったか、わからないけどな。記録にもないから」
「なんで記録に残さない事があるんだろうね?」
「リセットってそういう事だから」
「リセット? でも、その頃の記録がちゃんとあれば、今頃、もっと便利な世の中になってたかもしれないのに?」
「進化だけが必ずしも未来じゃないんだ、退化する事で未来になる場合もあるから」
「どういう事?」
「例えば、あのノートコンピューター。あれは便利なだけじゃないんだ。便利だからこそ犯罪にも使える。そして人と人が会わなくても、モニターで会えてしまう。それに慣れると、リアルさが薄れるのか、平気で人を傷付け合うようになる・・・・・・と言う結果が出ている。まぁ、政府や上の者の都合って奴だろ。みんなにノートコンピューターを配ってみたが、管理しきれないのが事実って奴なんじゃないの? それにさ、何の資格もなくて、無知な奴が、そういうの扱うのって、俺にしたら怖いけどね。平気でハッキングとかしそうな奴が現れそうで。ウィルスとか送りつけて来る奴もいるだろうし」
「ハッキング??? ウィルス???」
「だからさ、実験だよ。みんなにノートコンピューターを持たせた結果、あんまり良くなかったので、ノートコンピューターはみんなに持たせない事にしたって事。世の中の便利なもの、全部、便利だけに終わらず、人と人が争う事もあるから、一旦、回収し、なかった事にしたって事。わかる?」
「よくわからないけど・・・・・・争うのは嫌だな・・・・・・」
ラテはそう言って俯くから、またやってしまったと、何もよくわからない昔の事を出してきて、夢のない話をする必要はないのにと、
「また便利さを求め、みんなが人工知能を搭載したコンピューターを使えるような、そんな昔のような時代が来るかもしれない。一度は失敗して、リセットされたけど、次はうまく行くかもしれないから。その時、俺達が生きてたら、毎晩、夜寝る時まで、モニターで会えるよ。例え、遠くにいても一緒にいられる」
と、絶対に、自分が生きてる間に、そんな時代は来ないと思うが、そう言って、シンバは、ラテに笑顔を向ける。
「毎晩? 楽しそう!」
と、顔を上げて笑顔になるラテにホッとする
「それよりさ、スカート短すぎねぇ? しかも生足だろ? 何も履いてないよな!? 」
「え? そう? 短い? ていうか、スカートの下に何か履いた方が良かった?」
「そういうのは俺と2人の時で、エノッチもいる時は——」
「僕もいる時は? なに? シン!」
「・・・・・・あ、もう、終わった? 結構早かったな、エノッチ」
会話に入って来たエノツにシンバは苦笑い。
3時間後、2本目のバスが来た。バスに乗ったのは3人だけ。貸し切り状態でリンドミラーユニバース前まで来た。バスから降りると、ラテはメモ用紙を見る。シンバとエノツはリンドミラーユニバーシティを見上げていた。田舎町の中で三流とはいえ、立派な大学である。殆どの生徒は学生寮があるのだろう。でなければ、通うだけで一苦労で、勉強どころではない。
「あっ、ここだよ、ここ。バス降りて、直ぐって本当。Y、H、W、H——。ね?」
——YHWH?
シンバはラテが指差す表札を見る。確かにYHWHと書かれている。
「ソレってセカンドかな? 何て発音するんだろう? ヤ、ヤ? ハゥェ? ウェ?」
と、エノツが考え込み始めた。
「妙な声だすなよ、エノッチ。これ、発音出来ないだろ。でもこれ、セカンドなんだろうな。その下にファーストが書かれてるし」
シンバはそう言いながら気付いた。
YHWH ・
JESEPH(ジョセフ)
MARY(ミリアム)
JESUS(ヤソ)
「ここ、あのHA91の患者の家だ」
シンバが、そう呟いた時、ドアが開いて、中からミリアムが出てきた。玄関の前に立っていたシンバ達にミリアムは驚くが、シンバとエノツが頭を下げると、ミリアムは、あっ、と微に声を上げた。
「あのぅ、図書館の者でぇす・・・・・・」
ラテは自分だけが場違いのような気がして、しかし、自分がメインなのだと存在をアピールする。
「ああ、遅いから心配してました」
ミリアムは笑顔で、そう言うと紙袋一杯の本を出して来た。
「わぁ、こんなに沢山、寄付してくれるんですかぁ? 有難う御座います!」
「ええ、電話でヤソの様子を聞いたら、元気に図書館に行ったりしてると聞いたものですから。これはヤソが読んでた本ですから、図書館にあると、あの子も喜ぶだろうって思ったんです。きっと図書館にもない本でしょうから」
——図書館にもない本?
「ここって・・・・・・もしかして、ヤソ君のうちなんですか? って事はヤソ君のママ?」
ラテは、今、気が付いたみたいだ。
「あの、あなたは図書館の方なんですよね? ヤソを知ってるって事は、ヤソの相手をして下さってるんですか?」
「え? あ、どっちかと言うと、私が相手をされてるって言うか・・・・・・あははははは」
ラテは笑って誤魔化す。
「あの、YHWHって、何て読むんですか? セカンドですよね」
笑っているラテはほっておいて、シンバが、そう尋ねた。
「読めません。それに発音はないんです」
当然のように、ミリアムは答える。
——読めないセカンド?
——そんなのあるのか?
——しかし、余り聞くと失礼だろうか。
「あの、失礼ですが——」
——おっと、エノッチが聞いてくれるのか。
「どうして本を取りに来てくれと?」
——はぁ!? エノッチ、何聞いてんだ?
「ヤソ君の面会の時に持ってくればいい事なのに、どうしてですか? それに本を寄付だなんて、ヤソ君が帰って来た時の為に置いておいたらどうですか?」
——それもそうだな。
エノツの質問に、シンバも今、納得をする。
「あんまり、面会に行くのは・・・・・・控えようと思ってるんです・・・・・・実はヤソはジョセフの子じゃないんです。ですから、ジョセフの事を考えると・・・・・・」
そんな突然の告白に、シンバ達は黙り込むしか出来ない。
「ジョセフは私の言う事を信じてくれてます。でも、ジョセフ以外の人は私を信じてくれません。皆、私を頭の狂った女だと思ってるに違いありません。私は構いません。でも、まわりから変な目で見られるジョセフが可哀想で。だから、一度、ヤソとは距離をあけ、ジョセフの事を考えようって思うんです。今迄、私はヤソの事ばかりでした。これからは私の事を信じ、考えてくれてるジョセフの事を考えようって思うんです」
——どういう事だろう?
——ヤソの事は今後どうするつもりなんだろう?
ミリアムは真顔で、
「私は処女なんです」
そう言った。そして、驚いた3人の気持ちを読むように、再び、話出す。
「私も驚いた事です。でも私は本当に誰とも・・・・・・でもヤソを身篭りました」
冗談ではなさそうだ。
「あ、ごめんなさい、こんな話。本、お願いします。それじゃあ・・・・・・」
ミリアムは何度も頭を下げながら、ドアを閉めた。穴があったら隠れたいという風に、そそくさと身を隠したようだった。
「誰ともエッチなしで、そんな事ある?」
ラテがどちらに聞くともなく、呟いた。その呟きに返したのがシンバだった。
「記憶がないって事だろ。恐らく、彼女は強姦か何かを受け、その乱暴な行為を忘れたくて忘れた。だけど妊娠してしまった。彼女のセリフに疑問に思うものがあった。なんて言うのかな、これからはジョセフの事を考えて、みたいな? ヤソはこれからはいらないのかって思うようなセリフだった。彼女、記憶を戻しつつあるんじゃないのかな?」
——まるで、もうこれ以上、ヤソを育てる事はないみたいだった。
——でも、全く愛情がなくなった訳でもなさそうだ。
——わからないな、その癖、悲観してはなかったように思える。
シンバの中で、わからない疑問がグルグル回る。そして、ジョセフを初めて見た時の疑問、自分の息子が大変な時に、随分と落ち着いて見え、まるで他人事のように冷静だったジョセフには答えを見つけていた。あの人は自分の子ではないから、落ち着いていたんだろうと——。
「ヤソ君、可哀相・・・・・・」
ラテが俯いて、小さな声で囁いた。
「なぁ、次のバス迄、時間あるだろ、リンドミラーユニバース、見学しようぜ?」
バス停で大人しく座っていると、考え過ぎて頭がパンクしそうなのと、ラテが余計に俯きそうなので、シンバの気の利いたセリフでもあった。しかし、本の入った紙袋をさりげなく持ってやるという、そういう自然な優しさを出すエノツのような事はできなかった。
リンドミラーユニバースシティは、それなりの設備が整っていて、最近、校舎も新しくしたのか、綺麗で広い。中庭に出ると大きなレーダースコープが設置されてるのが目につく。
「流石、天文学は一流か?」
シンバが、からかったような口調で呟く。
「ウィルアーナには負けるでしょう?」
その声に振り向くと紺のスーツの女性が、微笑みながら、シンバ達に近づいて来る。
「君達、ここの生徒じゃないわね。見学? しても面白くないでしょ? こんな三流大学。でも一流のウィルアーナは関係者以外、立ち入る事が禁止されてるものね。ウィルアーナを見学できたら楽しいかもねぇ。ここは神像がある位で、面白味もない大学よ」
——神像? 神がいる? この時代に?
「見せてあげるわ、神を! こっちよ」
彼女に連いて行く事にした。
ADの頃、宗教は終わりを告げた。人々から神々の存在が消えた。ありとあらゆる神像が、この世界から失せた。人は神の力などなくても、生きていけると、終わらない道(エンドレスロード)を歩きだした。
ENDLESS ROAD、ER。神のいない時代の始まり——。
「うわぁ、すっごぉーい!」
ラテは声が出たが、エノツは唖然とするばかりで、パカンと口を開け、少し下に落ちた眼鏡がコマヌケに見える。
大きな銅像は何かの人形のように、アクリルケースの中にあった。
弓を引く、勇ましい姿に、大きな翼を背に、人の姿が美しい。正に女神君臨——。
「月の女神よ、どう?」
「どうと言われても、素晴らし過ぎて。これ、人の手で作ってあるんですよね? 芸術に触れた事もない僕でも、身震いする程です」
「あなた、面白い事言うのね」
紺のスーツの女性は、エノツを見て笑う。
「この神像が壊されなかったのは、月の一枚岩で出来てるかららしいわ。値打ちが付けれない神像は沢山あっただろうけど、この神像だけは何故か特別みたい。美し過ぎるって事かしらね。知ってる? 昔の月面開発の話。人は月には手を出せないのよ」
彼女はそう言うと、
「ゆっくり見学して行って?」
と、部屋から出て行った。
彼女がいなくなった後も、暫く、神像を魅入る3人。
「ラテに似てる」
エノツがポツリと呟いた。
「私に? 私、あんなに胸でかくないよ? 弓持ってるから?」
ラテは照れながら、そう言った。
——俺はというと・・・・・・
——俺はというと、わからない逸る気持ちと戦っていた。
——この神像を目にした瞬間から、何かをしなければと気持ちが逸る。
——でも何をすればいいのか、全く思い出せない。
——とても大事な事のような気がする・・・・・・。
「シン、そろそろ、バスが来る時間だ」
「あぁ・・・・・・」
シンバは頷きながら、女神を見つめ続ける。
今にも羽ばたきそうな翼。
神のいない時代に、唯一、存在のある神。
勇ましく、美しく、女神は誰に弓を引く——?
3人がカナリ—グラスに戻って来たのは、日もすっかり落ちた夜だった。
——PM9:02
駅の近くのコンビニに立ち寄った。
「すいませーん、レジお願いしまーす」
ラテの声が店の中に通るが誰も来ない。
「もうっ! なんなのよ! もういいっ!」
怒って、店を出るラテに、シンバとエノツは顔を見合わせる。2人、口に出さないが、言いたい事はわかる。
——おかしくないか?
——24時間営業の、しかも駅前の店に誰もいない。盗みに入ってくれってもんだよねぇ?
——気付いてるか? 駅下りた時から、ずっとだ。
——うん、僕達・・・・・・
「シンちゃん、エノッチ、何してるの?」
店の入り口で、不機嫌な口調で言うラテに2人は店を出る。
誰もいなくなった店に流れる微かなBGMと水の音——。
関係者専用のドアの下から溢れて流れる水は赤。床を美しく染めていく——。
「すっかり遅くなっちゃったね。本を図書館に置いてくれば、任務完了だからね」
シグナルが赤にも関わらず、ラテは行こうとして、すぐに気付き、2、3歩、後ろに戻る。そして、シグナルが青に変わり、ラテは再び、軽快に歩き出す。
——おかしい。ここの信号は青になっても左右確認しないと危険な位、車の通りがいい。
——車が一台も通らないね。シンはどう思う? やっぱり何か変だよね。
「お腹空かない? 私、もうペコペコ。折角、お菓子買おうと思ったのにさ。あのコンビニ、二度と行ってやんない。ねぇ、どっかで何か食べてく?」
——コンビニだけじゃないんだ。
それはカナリ—グラスの駅に着いた時から気付いてた事だった。
——誰もいない。
駅員の姿もなく、店に入れば、店員もいない。無論、カナリ—グラスで下りたのはシンバ達だけではない。だから、全く人影を見ていない訳ではないが、駅から出て、タクシー乗り場の行列とバス停に集まる人に妙な違和感を感じた。バスもタクシーも、何時位から通ってないのだろうと——。
まるでカナリ—グラスにいた者が消えたみたいだ・・・・・・。
その時、
「きゃーーーーーーーーーーッ」
遠くで人の悲鳴が聞こえた。駅の方だ。
ラテは動きを止め、全身を硬直させる。
「なに? 今の・・・・・・悲鳴?」
「猫だろ」
シンバがそう答えるとラテは力を抜いた。
——悲鳴だよ。
シンバとエノツは瞳で、そう会話する。
——何かがおかしい。
——何かが起こってる。
——遠く微かに聴こえるサイレンが移動せずに鳴り続けている。
——兎に角、今は無事にラテを家に送り届ける事!
「・・・・・・なんか静か過ぎない? いつも賑やかなのに、ね? そう思わない?」
ラテもやっと気が付いたようだ。しかし、
「こんなもんだよ」
不安にさせたくないと、エノツはそう答える。だが、その心遣いも無駄となる。
図書館の前、ラテが呟いた。
「——雪・・・・・・?」
今はそんな季節ではない。しかし、ラテの手の中にフワフワと落ちる白いもの——。
フワフワと、フワフワと、沢山、舞い降りてくる。
明日は積もるだろう——。
フワフワと降りてくる、それは白い羽。
夜空を覆う、穢れのない完璧な純白である翼。
恐るべき者達は美しく、光に満ちている。
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