〈居場所なんてない〉第4話

 テレビの映りが悪い。中古で買った安物だからだろうか? 天気が荒れると途端に映りが滅茶苦茶になる。

 台風が近付いているらしいとはスマホで得た情報だ。この数日間、何とか本の通りに設定をして、「必須!」と書かれたアプリと呼ばれるソフトウェアをダウンロードし、天気予報やニュースが届くようにできた。雨雲レーダーも見れるようで、それによるとこのままでは台風の直撃は免れないようだった。

 豪雨の中、雨漏りの激しい屋根に掛けるためのブルーシートを買い求めに都会へ出たが、どのホームセンターでもすっかり売り切れだった。この天気では、次の入荷の目処は立たないという。

 せっかく車で一時間も掛けて出掛けたのに、何も収穫のないまま、取り敢えず食料だけを調達してまた一時間掛けて帰宅する。車を下りて玄関に駆け込んだ時には、すっかりびしょ濡れになっていた。買った荷物を土間に置き、シャツを脱いでタオルで拭いた。

 遠くで雷が鳴っている。本当に台風は直撃するのだろうか。そうなると交通網は麻痺し、インフラも──というのは東京での話で、こんな田舎ではさほどたいした被害はないのではないか。徳次はそう考えてみる。

 しかし、既に豪雨で田んぼがズブズブになっているのが視界に入ると、直撃だけはやめてくれと祈りたい気持ちだった。

 ザーザーと砂嵐だけを映し続けるテレビの調整に嫌気が差して、とうとうコンセントごと抜いてしまう。どうせ見れないのなら、根っこから抜いてやる。そう思った。

 自分で変えられない天気のことばかりを考えて気を揉んでも仕方がないので、スマホを取り出してゲームを初めた。これは本に載っていたオススメアプリの一つで、シンプルなパズルながらも手が止まらないという、脳を刺激してくれそうなものだった。

 もともと徳次はゲームになど無関心だし、そんなことをする余裕もなかった。その反動だろうか、今は時間を忘れるほどにのめり込んでしまう。次でやめるぞ、次こそは、と思いながらも深追いしてしまう。結局老眼が疲れてきてやめたが、そうなるともうすることがなかった。

 テレビもラジオも役に立たない。スマホは長時間見ていると疲れる。やはり今度は画面の大きいタブレットも買い足そうと考えた。今の時代、タブレットでテレビや映画も見れると知り、先日の店員は何故それも教えてくれなかったのかと恨んだ。

 東京にいた時は、台風の中、電車が止まるかどうかという時間まで会社にいた。上の連中から帰っていくのだが、係長が仕事が終わらず、なかなか帰ってくれなかった時があった。勇気ある平社員の若者は「電車なくなるんで帰っていいですか?」と聞いて快諾されていたが、徳次はこのまま電車がなくなって会社に泊まれればいいと思った。帰っても家族に邪険にされるだけだし──いや、家族など徳次にはいない。両親は既にどちらも死んだ。それなら何故あの時、帰宅したくなかったのか。

 とにかく係長が帰るまで付き合う気でいた徳次を残し、他の社員は全員帰ってしまった。係長は年下だが、仕事は完璧に仕上げるタイプだ。そんなものに付き合わされてはたまらない、という他の社員の考えは正しかった。結局ラジオで交通網が全停止したことを知り、当然ながら空車のタクシーなどいつまで待っても来ないだろう。

 それなら会社に泊まればいいと思って自席で眠れるように整えていたら、係長から「帰るぞ」と声が掛かった。

「え? しかし電車は止まっているとか……」

 語尾を濁して徳次は返した。すると係長は当然のように言い放つ。

「嫁さんが迎えに来てくれるんだよ。取り敢えず鍵を掛けないといけないから、一緒に出てください」

「あ、はい……」

 そんな、と思ったが、自分は会社の鍵を預かれる立場の人間ではない。しかし、運が良ければ係長の妻の車で送ってもらえるかも知れないと、淡い期待を抱いた。そして、その淡い期待は儚くも消えた。

 エントランスまで降りるとハザードランプを光らせたジープが停まっていた。運転席には薄っすらと誰かのいる様子が窺える程度だが、無人ではない。

 係長は軽く手を挙げると、クラクションが帰ってきた。そして彼は言った。

「じゃあ、俺はここで」

「あ、はい。お気を付けて……」

 まさかの置いてきぼりだった、鍵の掛かった会社の玄関の外で。ジープが走り去った後、ダメ元で徳次はタクシーを待った。何台か走り去っていったが、どれも空車ではなかった。旧式の古い携帯電話を握りしめるが、アンテナが一本しか立たず、安定しない。タクシー会社に電話を掛けたかったが、その前にそれを調べる術がない。番号案内は何番だったかという、たった三桁の数字も思い出せない。

 徳次に迎えに来てくれる家族はいない。友人もこんな台風の中をわざわざ来てくれるほどに付き合いの深い相手はいなかった。背中がふっと暗くなる。会社の電気も消されたのだ。こんなところに立っていても、横殴りの暴風雨からは守られないし、明かりもないのでタクシーにも見つけてもらえない。

 仕方なく徳次は駅まで歩く。駅舎に入ればせめて雨風は防げると思ったからだ。しかし甘かった。シャッターが下ろされていて、改札の外どころか駅の敷地内にすら入れなかった。随分前に職員は帰ったようで、駅名を照らす電灯だけが無駄に明るかった。

 ──つまらないことだ。

 そこまで考えてから、どうしてあんな日のことをいつまでも覚えいるのかと情けなくなった。係長の車で送ってもらえるかも知れないと期待したのは浅はかだった。しかし、明らかに帰宅手段のない部下を放って帰れるものだろうか? こちらは係長の顔を立てて仕事が終わるのを待っていたのに。

 もちろん、自分で早く帰ると言うこともできたし、会社に泊まるので鍵を貸してくれるように交渉することもできたかも知れない。しかし、徳次はどちらもしなかった。勝手にいいように考えて、アクションを起こさなかった結果があれだ。

 別に自分では控えめだとか引っ込み思案だとかで悩んだことはない。ただ、自分が良かれと思ってやったことはことごとく裏目に出るし、時には他人に迷惑を掛けた。だから受け身になることが多く、その結果しょっちゅう貧乏くじを引く。

 突然スマホがけたたましい音を立てた。聞いたことのないアラート音に驚いて画面を見ると、台風の最新進路が更新されて、この地域を巻き込んで上陸するということだった。そんなことを大きな音で知らされても、こちらとしてはどうしようもない。そうか、という感情しかなかった。

 稲はどうなるだろう。ビニールハウスは?

 しかし考えたところでどうなるわけでもない。徳次は長年の間に身に付いてしまった、目を逸らすという処世術で問題を意識から外す。どうようもないものはどうしようもないのだ。それは東京だろうと田舎の集落だろうと関係ない。台風が来ると気象庁が言うのなら来るのだろう。

 雨漏りが激しくなってきた平屋のあちこちのバケツから水を捨てる。雨戸を閉めた窓には何かがガンガン当たる音がするし、玄関の鍵も心許ない音を立てていた。こんな日に泥棒に入る人間はいないだろうし、入られたところで命以外に失うものもなかった。

 その夜は何度もバケツの水を捨てなければならず、家が壊れそうなほどの軋み音が気になって、ほとんど眠れなかった。


 朝になってもまだ雨は降っていたが、昨夜に比べれば何ということはない。ごく普通の雨の日と同じくらいだった。徳次は雨戸を開け、水の溜まったバケツを空にする。すると、玄関からガンガンと音がした。何かが当たっているのかと思ったが、どうやらチャイムのないこの家の玄関をノックする音のようだった。

「はいよはいよ」

 面倒臭いと思いながら、役場の人間が保障にでも来てくれたのかと思い、いそいそと鍵を開ける。すると、近所の農家の家の者たちが束になって押しかけて来ていた。何事かと思わず仰け反ってしまう。

「ああ、おはようございます」

 こんな形で対面することは初めてだったので、徳次は今度こそきちんと返事が返ってくることを期待して挨拶をした。しかし、それは怒声で別の言葉に置き換えられた。

「何のんびりしてやんでぇ! てめえ、他の家にどんだけ迷惑掛けたかわかっとんのか!」

 この地域特有のイントネーションで胡麻塩頭の男性が吠える。

「あんたんとこのゴミがあっちこっちに飛んで、えらいことになってんだぁよ!」

 ほっかむりをした老婆もキイキイと猿のように歯を見せて言葉を足す。

 どうやら古びた徳次の家の瓦や壁の木材などが風で飛び、周囲の家や田んぼに飛び散らかっているらしかった。これはひとまず謝るに限る。皆で集まっていることで、彼らは気性が荒ぶっているから、いったん落ち着いてもらおう。

「そりゃあすみません。片付けますんで、被害に遭ったところを教えていただけますか?」

 なるべく穏やかな声で言ったつもりだった。そののんびりとした、現状をまったく把握していない話し方に、彼らはかえって腹を立てたようだ。

「何にもわかっとらんな、てめぇは! いっぺん外に出て見てみぃ!」

 無理やり玄関から引きずり出されそうになり、どうにかサンダルを引っ掛けることができた。何て荒っぽい連中だ。こちらは下手に出ているのに。

 そんな不満も、外の有様を見た途端、青ざめた。働いていた頃、長年の付き合いだった大手企業の仕事で取り返しのつかないヘマをやらかしてしまった時と同じ感覚だった。

 まず気になって自分の田んぼとビニールハウスを見る。田んぼには自分の家のものと思われる屋根瓦がいくつも落ち、稲穂はべったりと水に浸っていた。ビニールハウスは跡形もなくどこかに行ってしまったようで、育てていた野菜は何だかわからないような形に絡まっていた。

 隣の家の田んぼにも、自分の家の屋根瓦がいくつか落ちている。しかし稲穂はきちんと上を向いていた。その隣の家屋にはビニールハウスの一部と見られるパイプが屋根に刺さっている。

 視線を上げてもう少し遠くを見ると、他の家々にもビニールハウスのパーツが何らかの形で迷惑を掛けており、大きなビニールは農協の偉い人の広大な田んぼの半分近くを覆って稲を台無しにしてしまっていた。

「……うわぁ……」

 思わず口を突いて出た言葉を、住民は聞き逃さない。

「何を他人事みたいに! こりゃあぜーんぶあんたんとこから来たゴミだろうて!」

「お前が来てから嫌な予感はしてたんだよ。挨拶ばっかり必死でしてくるくせに、農業のいろはも訊きやしねぇ。余程慣れてんのかと思やぁ、プラスチックでビニールハウスなんか建ててやがる」

 確かにあのビニールハウスはホームセンターで買ったものだ。みんなそうだと思っていた。

「こんのド素人がよぉ! わしらの収穫はどうしてくれんじゃ!」

「うちの家も直してもらいたいわ!」

「落とし前はつけてもらうぞ!」

 口々に住民たちから罵声を浴びせられるが、徳次には何も言えなかった。

 確かに農業のいろはは知っているつもりになって、わからないところは本屋で立ち読みしたり、ホームセンターの店員に聞いたりしてやった。おかげで稲も野菜もうまく育っていたので安心していた。

 聞けば、毎年台風の直撃を受けやすいこの地域では、きちんと業者を呼んで深くまで芯を埋め込んでビニールハウスを作ってもらうのだそうだ。確かに他のビニールハウスは、破れたりしている部分はあるが、根っこから外れているようなものは一つもない。

「おいおい、あんたどっから手ぇ付けてくれるんだ? 業者でも呼んでくれるのか?」

 業者など、どこにもつてはない。探せば見つかるのだろうが、相場もわからない。

「あの、お、お金なら出しますので……」

「金出すのは当たり前だろうが! 何を譲ってやったみてぇなこと言ってやがる! 自分が何をやらかしたのか、まったくわかっとらんのか?」

 もはや怒りを通り越して呆れられてきたようだ。

 職場でもこんなふうだったな、と徳次はふと思い出す。

 酷く皆に迷惑を掛けてしまっているのに、それが何故起こったのか、どうすれば防げたのか、この後自分はどう振る舞えば謝罪になるのかがわからず、ただひたすらに「申し訳ありません」とペコペコ頭を下げ続けた結果、「もういいよ」と気の抜けたような呆れ声で言われ、どんどん仕事が減った。

 会社に属するサラリーマンなので、仕事が減ろうと給料はそう減らない。目に見えて減ったのがわかったのは残業代くらいだったし、毎年の昇給がなかったのも自分だけだったのか、会社の業績上、誰もが同じだったのかも知らない。

 そういうことには無関心で、とてつもなく無知だった。知ろうという気もなければ、むしろ個人情報がどうのとうるさく言われている時代だったので、他人のことまで詳しく知りたくなかった。

 やがて社内でも雑談すらする相手がいなくなった。徳次は煙草を吸わないので喫煙室での交流もなく、むしろそこで話題に上っているくらいだった。

「あいつホント使えないよな」

「給料泥棒もいいところだぜ」

「まぁ、さすがにたいした額はもらってないって話だけどな」

「そりゃそうだろ。そうでなきゃ社内デモが起こるって」

「ははは、デモ起こすか」

 若いが目上に当たる社員たちは喫煙室でそんな話をしていた。喫煙所に関わらず、各個人の家庭だったり、社外の友人と会った時の愚痴だったり、本人の知らない間に「うちの職場に仕事ができないだけじゃなくて、空気も読めない無能のオヤジがいてさー」とあらゆるところで会話のダシや酒の肴になっていたことを、当然徳次は知らない。

 しかし、社内にいる時の居心地の悪さはさすがに感じていた。いつもの癖で、その理由を考えまいと棚上げしていただけだ。

「何をボサッとしてんのよ! あんたの話をしてんのよ!」

 耳がキンキンするような老婆の声が徳次を現実に引き戻す。

「どうもすみません」

「謝るのはもういいって言ってるでしょ。うちらの田んぼや家や傷付いたビニールハウスをどうしてくれるんだって言ってるんだよ」

「そりゃあ金は出してもらうのは当然としてな。どうせ素人だ、業者の呼び方も知らんだろ。わしらで勝手に修繕させてもらうが、あんたは口出しせんでくれよ。出すのは金だけでいい」

「請求書は全部ここに持って来てもらうからねぇ」

「あ、はい……」

 金の準備だけで済むならまだラッキーだ、と思った。下手な業者を呼んでぼったくられても困るし、彼らの馴染みの業者なら安心だろうと思ったのだ。

 そして手配された業者が、天候が良くなってから出入りし初めた

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