11 ささやかな仕返し
※爬虫類が出て来ます※軽いベッドシーンも有り※
「前祝い……?」と、わたしは目をぱちくりさせる。
「あぁ! すっげぇ面白いことを思いついた! マギーを虚仮にした仕返しに、王太子の部屋に大量に魔物を送ってやろうぜ!!」
彼の提案した「前祝い」とは、王太子殿下にいたずらをしてやろう――と、いう酷く子供じみたものだった。
水魔法は鏡の代用としても利用できる。
水面に「映す」ことが出来るからだ。
以前ドラゴンが水を伝って現れたように、水魔法使いは水を鏡のように自在に操れるのだ。
もっとも、とてつもなく魔力を必要とするので、並大抵の魔法使いでは不可能なのだけれど。
「それは面白そ――」言いかけて、わたしは首を横に振る。「駄目だわ」
「なんで?」と、彼は微かに眉を曇らせた。
「トマ――王太子殿下に嫌がらせをするのは大賛成だけど、そんなことをしたら辺境の立場が……あなたの権威が傷付くかもしれないわ。王都を守れなかった、って」
「なんだぁ~、そんなことか!」今度は彼の顔がパッと明るくなる。「目的を達成したらすぐに引っ込めるから大丈夫だよ。バレないって。それに、魔物はだな……」
彼は再びわたしの耳元で、
「ごにょごにょごにょ……」
とっても悪い顔をした。
「それなら……良いでしょう」
釣られて、わたしもふっと顔を歪めた。
◇
「あぁっ……! トマス様っ!」
「リリー……!」
豪奢な王太子の寝室に、重なる吐息と艷やかな声が響いていた。
王太子トマス・マークスと伯爵令嬢リリアン・キャロットは、マーガレットを追放した後、目出度く婚約を果たしたのだった。
国王は最初は激怒したものの、伯爵令嬢が聖なる力に目覚めたと知ると、掌を返したように二人を祝福した。
……その聖なる力は、王太子と配下の水魔法使いが捏造していたのだが。
ともかく、晴れて婚約者同士となった二人は、まだ式も決まっていないのに婚前交渉に励んでいたのだった。
そろそろ仲良く絶頂に達そうとした折も折、
――カッ!
突如、シルクの布で覆っている姿見の鏡から閃光が走った。
一瞬の光は、部屋中を昼間のように照らして、すぐに暗闇を取り戻す。
せっせと腰を振っていた二人は、突然の光に驚いてピタリと動きを止めた。
刹那、鏡の中から切り裂くような突風が吹く。
それはシルクの布を吹き飛ばして、嵐みたいに部屋中をぐちゃぐちゃと乱した。
「きゃあっ!」
「な、なんだっ!?」
二人は必死に重い木材のベッドにしがみつく。いつの間にか結合部分も離れてしまった。
ややあって風邪が晴れたかと安堵したら――、
――わらわらわらわらっ!!
鏡の中から、七色に輝く大きなカメレオンの群れがどっと湧いてきた。
それらは、二人が叫び声を上げる前にベタベタベタッと、むき出しになっている肉体に張り付いていく。
「ひぃぃぃぃっ!!」
「な、なんだっ、これはっ!?」
二人とも大声で叫んだつもりが、スペクタルカメレオンたちの壁に阻まれて、掻き消された。
そしてカメレオンの群れは、粘着性のある唾液を垂れ流しながら、ベロベロと愛し合う者たちを舐め始める。
「ぎゃあぁぁぁぁぁっつ!!」
「イヤあぁぁぁぁぁっつ!!」
ひんやりとした長い舌は、絡み付くように舐め回した。べちょべちょと豪華な絨毯に濡れた染みが広がる。
余ったカメレオンは、王太子の寝室をとにかく舐めてぐしゃぐしゃにした。
同時に、デニスが送った別部隊が、隣の部屋で伯爵令嬢のドレスや私物を舐めて遊んでいた。
「殿下っ! どうされました――ひえぇぇぇっ!!」
いち早く異変に気付いた近衛兵は、あまりの惨状に悲鳴を上げる。
部屋じゅうに跋扈する七色のカメレオン、そしてべちゃべちゃ。彼は驚きのあまり、しばらくのあいだ唖然としてその光景を眺めていた。
少ししてはっと我に返ってから、
「そ……そうだっ! リリアン様っ! どうか、聖女のお力でこの魔物たちを払ってくださいっ!!」
自力ではどうすることも出来ずに、自称聖女の伯爵令嬢に頼み込んだ。
「えぇっ……!? そ、そんなこと言われたって……」
彼女には聖なる力なんて、これっぽっちも宿っていない。
何も知らない近衛兵は聖女様に懇願を続ける。
「くそっ……! 水だっ! 水魔法使いを呼んで来いっ!」
業を煮やした王太子ががなり立てる。近衛兵は慌てて魔法使いの住む宮に飛んで行った。
その間も、スペクタルカメレオンの攻撃は止まなかった。
『よしっ! お前ら、戻れっ!!』
鏡の中から声が聞こえる。するとカメレオンの群れは、波が引くように鏡の中に引っ込んで行った。
再び、夜の静寂が訪れる。
全身を粘膜で覆われた王太子と伯爵令嬢は、血の気が引いて、ただ茫然自失と抱き合っていた。
――翌日、国王は魔物の侵入の原因より、伯爵令嬢が聖なる力を使わなかった理由を二人に詰問するのだった。
◇
わたしとデニス様は、鏡を通してスペクタルカメレオンが向こうへ行ってからの一連の様子を眺めていた。
王太子と伯爵令嬢の慌てふためく姿、べちゃべちゃの部屋、そして聖女の力を発せないことに訝しがる近衛兵の様子を、この目でしっかりと見たのだ。
「ぎゃははははっ!! おい、見たか? アイツらの間抜け顔!」
デニス様は、隣でゲラゲラと腹を抱えていた。
わたしも、笑ってはいけないと思いつつも、自然と顔が緩む。これで少しは溜飲が下がったわ。
そう言えば、自分は元より王太子のことなんて特に好きではなかった。
なのに、なんであんなに婚約者の座に固執していたのだろう。……ま、きっと貴族として義務を果たすのに必死だったのね。今となっては、もうどうでもいいことよ。
「ありがとう。お陰で吹っ切れたわ。これで過去の自分と決別が出来そう」
わたしはデニス様に改めて礼を述べた。
今日のいたずらは彼の優しさなのだと思う。彼はわたしの代わりに復讐をしてくれた。下手をすれば自分に嫌疑が向くかも知れないのに、リスクを負ってまで。
……いいえ、彼は初対面の時からわたしに優しさをくれたわ。
今日まで、もう、ずっと。
「そうか。それは良かった」と、彼は目を細める。
「えぇ。これで、前に進めるわ。……もう、鏡の前で縛られていた立派な公爵令嬢は、おしまいっ!」
わたしは、思いっ切りくしゃりと表情筋を動かして笑った。
ずっと封印していた、心からの笑顔だ。
令嬢が片えくぼなんてはしたないって、お母様から禁止されていた笑顔。
王太子の婚約者になって、これまで我慢していた。
例外として、あの夜会の日に王宮でデニス様と会話をした時に見せただけ。それ以降は王都ではポーカーフェイスを貫いた。
でも、今日でおしまいなのだ。
ここでは、目一杯笑っていいし、社交も……今は嫌ではない。
自立した新しいマーガレットは、これからなのだ。
「デニス様……?」
不意に、違和感を覚えて隣にいるデニス様を見る。ついさっきまであんなにうるさく騒いでいたのに、今は闇夜に溶け込んだみたいに静まり返っていて、不自然に感じたのだ。
「どうかなさいましたの?」
呆然としている彼に、もう一度声を掛ける。
「あ……いや……」彼は数拍黙ってから「その、片えくぼは……」
「これ? 令嬢として品がないって、お母様からずっと禁止されていたんだけど、もう我慢しなくてもいいんじゃないかって思ったの。もしかして……覚えてくれていたの?」
「あ、あぁ。昔、王宮で。とても印象的だったから、な……」と、言いながらも彼は視線を泳がせる。
「あの時は、あなたとの会話が本当に楽しくて、夢中で笑っちゃったわ。でも、あの夜以来ずっと封じていたの。だから……わたしたちだけの秘密よ」
急激に顔が熱くなった。二人だけの秘密なんて、ちょっと恥ずかしいことを言ってしまったわ。
「そう、だな……」
そう言って頷いたきり、彼は押し黙った。みるみる気まずい雰囲気が広がって、自分も無言になる。
やっぱり、令嬢がえくぼを見せるのは不味かったかしら?
あの頃はまだ子供だったから彼も許してくれたのかもしれないけど、今はもう辺境伯夫人となる身。立場を弁えないといけないわよね。
「…………」
少しだけ、胸が痛んだ。
デニス様なら、この欠点のえくぼも受け入れてくれると思ったから。
ちょっと……残念かも。
その後は、静かな空気のままわたしたちは別れた。
その日以来、デニス様と顔を合わせることが少なくなった。
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