第27話 涙と共にお別れをー2

 もう随分昔の気がする。


「お兄ちゃん! 今日ホームラン打って!」

「任せろ。全打席スタンドINだ。お前のために打ってやる」

「できない約束すんな。愛ちゃん、このバカの代わりに俺が打ってやるよ」


「ふふ、じゃあ二人とも打ってね」


 私は中学生の頃を思い出していた。

 それほど経ってないのに随分昔に感じる。

 

 お父さんもお母さんも生きていて、兄も元気に野球をやっていた頃。

 本当に幸せだった頃。


 私はお兄ちゃんが野球をしてる姿が大好きだった。

 龍さんと最高のコンビで、次々と強敵を倒していき、ものすごい速度で駆けあがっていく姿が大好きだった。


 マネージャーのようなことをして、毎日のようにクラブに足を運んだ。

 兄の夢も私の夢だった。

 

 そして迎えた全国中学生野球大会決勝、3-2の接戦。

 

「あと一球、あと一球、頑張れ、頑張れ……」


 私はぎゅっと両手を握って兄の最後のマウンドを祈るようにベンチで見ていた。

 緊張して吐きそうになる。

 

 なのに当の本人達は、見たことないほどに笑っていた。

 まるでこの極限の勝負を楽しんでいるように。

 それがあまりにも眩しくて、輝いていて、ただ憧れた。


 兄は笑う。

 本当にギリギリの戦いのとき笑うんだ。


 そして笑ったときは。


『ストライク!! バッタアウト!! ゲームセット!!』


 絶対に勝つ。


「きゃぁぁぁぁ!! おにいちゃーーーん!!」


 私はスタンドから叫んだ。

 約束通り、兄と龍さんはお互い一本ずつホームランを叩きだし、そして9回裏は三球三振三打席。

 うちのクラブと長年争った強豪を下し、中学二年生にしてお兄ちゃんは日本一に輝いた。


 あの日ほど嬉しかったことはない。

 でも二人の夢はまだ始まったばかり。


「次は甲子園だな。最優秀選手に選ばれた未来が見えるぞ」

「アホ、まずは連覇だろうが、まだ俺達中2だぞ。それに昨日、前半ひどかった。反省しろ」

「愛理よ、なぜ兄は全国優勝したのに反省させられているんだ?」

「ふふ、私が褒めてあげる。お兄ちゃんすごかったよ」


 優勝したのに次の日には、練習をする。

 野球ジャンキーの二人は、いつも一緒の最高のコンビ。


 そしてこの練習終わりの河川敷で笑いながらのんびりストレッチする。

 私はこの時間が大好きだった。

 

 いつまでも続いて欲しかった。


 二人の夢を一緒に追いかけたかった。


 そしていつか頂点の景色を二人の後ろで、背中越しに見たかった。


 本当に見たかったんだ。


 私のヒーローを、ずっとずっとそばで。


 なのに。


 

 ――私が全てを奪った。



 燃える天井、私の体は動かなくなった。

 火事だった。

 怖くて震えて、でもどうしよもできなくて。


「愛理!!」


 でも私のヒーローは来てくれた。

 私をぎゅっと抱きしめて、そして……お兄ちゃんは、利き腕を失った。

 野球なんてとてもできるようなものではなく、お兄ちゃんの夢は終わった。


 私が奪ったんだ。

 私がいなければ、兄は野球は続けられたはずなんだ。


 ずっと応援してたのに。

 その夢のためならなんでもできると思ってたのに。


 私が奪った。


 あの日から兄は暗くなった。

 私も自殺したくなるほど辛かった。

 でも私がせめて支えないといけない。


 私が人生すべてを捧げてでも兄を助けないと。


「お兄ちゃん、このゲーム一緒にしたいんだけど」

「……あぁ」


 私は必死に兄を元気づけようとあれこれと世話を焼いた。

 龍さんもたくさん助けてくれて、気づけば兄は。


「ははは、俺の勝ちだな! 100連勝!」


 笑顔を取り戻していた。


 兄はゲームという新しい目標を手に入れた。

 前に比べてどちらかというと俗物的だが、楽しんでくれるならそれでいい。

 家のことは全部私がやるから、お兄ちゃんは笑っていて欲しい。

 

 でも欲を言えばまた何かを目指してほしい。

 私はゲームのことはよくわからないが、お兄ちゃんは相当に強いらしい。

 龍さんも野球をやめてプロゲーマーになっているが、きっとお兄ちゃんと一緒に出来る道を探した結果なのだろう。


 龍さんはお兄ちゃんが大好きだから。

 いつも憎まれ口をたたいているが、私にはわかる。

 お兄ちゃんのことが好きで好きでたまらないんだ。


 だからこそ龍さんは、あの日私よりもずっとショックを受けていた。

 約束されたプロ野球という成功の道を自ら捨てるほどに。


 でも二人は新しい道を見つけた。


 ゲームという世界で、夢を。


「お兄ちゃん、ゲーム大好きだもんね。きっといつか超有名人になるんだろうな」


 私は誰もいない橋の上で風を浴びながら眼下の川を見つめていた。

 高さは100メートル以上、ここから落ちたら間違いなく助からないだろう。

 誰にも迷惑かけずに死ねるだろうか、でも死体が浮いたりするのかな。

 

 でもそれでいい。

 人知れず死んで行方不明になったなら兄はきっと探し続けてしまうから。

 

 でも私の死体を見たら兄はどう思うだろうか。

 悲しんでしまうだろうか。

 それは嫌だな、お兄ちゃんは笑ってるときが最強なんだから。


 でもこうするしかなかった。


「お兄ちゃん……ごめんね。一人にして……でも龍さんがいるし大丈夫だよね。洗濯……できるかな、料理はカップ麺ばっかりじゃダメだよ。心配だな……」

  

 できることならずっと世話を焼いてあげたい。

 でも私にはできない。


 不治の病、石化病。

 もし私が生きていると兄は人生の全てを私の介護に使うことになる。

 それは嫌だ。

 でもお兄ちゃんは絶対してしまうだろう。


 じゃあどうすればいい? 


 私が取れる手段はたった一つしかなかった。


 そして私は手すりを超えて向こう側に立つ。

 下を見れば怖くて震える。

 あと一歩前に行くだけで私は死ぬことになる。

 この手すりから手を放せばすべてが終わる。


 怖い。死にたくない。死ぬのは嫌だ。


 でも……。


 お兄ちゃんを苦しめるのはもっと嫌だ。


 だから。


「お兄ちゃん……元気でね。それとごめんね」


 そして私はその手を放し、橋から落ちた。






「蒼汰!! 死ぬ気で決めろぉぉ!!」

「わかってる!」


 ドリフトをかます龍一は急速度のまま急ブレーキ。

 ヘルメットを脱いだ俺は慣性に任せてバイクから飛ぶ。

 こんな曲芸、成功したらそれこそ神業だろう。 


 でも龍一のリードはいつだって完璧だ。

 なら俺がミスしなければ絶対に成功する。 


 失敗したら死ぬかもしれない。

 でも絶対成功させる。


 右手は手すりを掴むだけ、左手は愛理を抱きしめるだけ。


 縛りもないこんなヌルゲー。


「お、お兄ちゃん!?」


 ミスったら半裸の勇者の名が廃る。

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