未来への架け橋から転落




 「あそう言えば総入れ歯にしなきゃな」


 ある朝、起きるとムラオナミツルはそう呟いた。隣りを見た。布団は敷いてあるが嫁がいなかった。中身が無いおにぎりのようだと思った。わざわざめくって確かめてみた。


 「あいつもう起きたのか」


 ムラオナは起き上がると雨戸を開けた。その過程で脳の血管が何本か切れた。ぷちぷちぷちっ。建て付けがおかしいのだ。年々、悪くなる。おれと同じだとムラオナは思った。


 外はまだ暗かった。暗いと言うか闇そのものだった。ムラオナは途方に暮れた。てっきりそこにあると思った景色がそこに無かった。


 「どうしてこんなに朝が暗いんだ?」


 最近、道理に合わないことばかりが起こる。テレビを点けてもその中で何が起こっているのか全く理解、出来なかった。


 ムラオナは台所まで歩いて行った。嫁がいると思ったから。案の定、台所には大好物のクッキーが置かれていた。早速ムラオナはそれを手掴みした。噛み砕こうと思ったが唾液を浸透させることから始めなくてはならない。


 「そう言えば総入れ歯にしなきゃな」


 半笑いになった。


 そして便所へ行って排尿した。じょぼぼ。もしかしたらそこは冷蔵庫の前なのかもしれなかった。


 寒気がしたので暖房を入れた。


 「ヘイ、アレクサ! ダンボープリーズ!」


 もわわっと暖気で部屋を満たした。ムラオナは国立大学名誉教授だった。それは遠い昔の話しだ。前世の話しと混同しているのかもしれなかった。一瞬アレクサに嫁の居場所を訊こうかとも思ったが、やめた。人間には人間だけで解決しなくてはならない問題があるのだ。


 「ヘイ、アレクサ! マイワイフ、プリーズ!」


 アレクサのしもべと化したルンバがぶいんっと早速、起動した。そしてムラオナの足元を素早く周回し転ばせ脳震盪を起こそうと画策した。全てお見通しである。まだまだジョブズに負けるわけにはいかないのだ。


 ムラオナはもう思い出すことが出来なかった。


 そして自分が何を思い出せないのかも思い出せなくなっていた。壁に掛けられている時計を見た。深夜二時。


 ムラオナは電話を掛けた。もちろんアレクサに掛けさせた。


 「………はい」


 電話の向こうの声は不機嫌だった。あんただれ? ムラオナは言いたかった。だがその言葉をぐっと飲み込んだ。


 ぷつん。切れた。


 ムラオナは呆然とした。


 まだ何も喋っていなかったからだ。それなのに勝手に電話が切れた。超常現象だ。もう一度、同じ番号へと掛けさせた。


 「おれ………」ムラオナだけど。その続きを言おうとして黙り込んだ。おれって本当にムラオナなのだろうか? かなりいい線までいってるのは間違いなかった。ムラオ………そこまでは確実に合っている気がする。だがそこから先がいまいち確信が持てない。


 「お父さん?」


 電話の向こうの声が言った。ああそう言うやつもあるのか。お父さんなら知っている。間違いない。


 「ああ、お父さんだ」


 「どうしたのこんな時間に?」そいつは疲れ切っていた。可哀想に。きっと悩みがあるのだろう、飼っていた小鳥が逃げたとか。


 「あのさあ、ちょっとおかしなことが最近、起こってるんだよ」


 「うん」そいつは言った「わかるよ」


 まぢかよ。


 おれは嬉しくなった。そのせいで少しだけ漏れた。じゅわわ。そして電話を切った。


 「さてもういっかい寝るか」


 何故か濡れていた下着を屑籠へと叩き込み布団へと潜り込んだ。仏壇に奇妙な写真が飾ってあるのを発見した。それは見たこともないとんでもないばばあだった。


 「………誰だよあいつ?」


 いつもより更に大きく布団を被った。不気味すぎる。明日になったら確実に捨てるべき写真だとおれは思った。









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