第32話 現の興起
たった一日半、王城を離れて村でユリィと過ごしただけだったが、ジェイクは随分長く濃い時間を過ごした気がした。
ユリィの側を離れるのは辛いが、「もう大丈夫だから」という彼女に背中を押されて村を出た。目覚めたくない夢を見ていた気分だ。
朝焼けの空を、宙を翔ける馬に乗って移動する。道すがら眺める木立には紫の影が伸びていた。ユリィの村、ヴィース村と王都を繋ぐまっすぐな街道の両端には人が立ち入らない原生林が広がっている。
ジェイクはふと思い付いた。この未開拓の土地に、ユリィが所長を務める王立動植物研究所を建てよう。
ここなら王城に務めるジェイクからも、ヴィース村で牧場を営むユリィからも交通の便が良い。お互いに忙しくても会う時間を確保出来そうだと、ジェイクはひとり、口元を綻ばせた。
王都の中心にある王城に着き、衛兵に挨拶をして、城の裏門をくぐったあたりでがっしりとしたカストの姿を見つける。エミリアーノ王の近衛兵で、いつもジェイクと共にあった彼は、まだ朝早いというのに出迎えに来てくれたらしい。厳つい顔を更にしかめて立っていた。
「カストさん、おはようございます。朝の散歩ですか?」
「うむ、たまにはな。するとたまたま、ジェイクも戻ってきたのが見えたから足を止めていたのだ。決して待っていた訳ではない」
「ええ、存じています」
カストは30代半ばといい歳で、ジェイクと同じくらいの歳の娘までいるのだが、照れ屋だった。ジェイクは可笑しいのを堪えた。王城にいると人間性がひねくれてしまうのだろうか。
「ジェイクの顔を見る限り、万事上手くいったようだな?ユリアレス嬢は息災か?」
「ユリィは命に別状ありませんが、しばらくは力が弱まるようです。でも戻る可能性もありそう、と本人が言っていました」
「何と。それは良い知らせだ。陛下もお喜びになるだろう」
カストと廊下を歩きながら、ジェイクは嘘の報告をした。本当は、ユリィの力は既に完全に戻っている。本人の希望によりしばらくは戻っていないと言って回らなければならない。カストはともかく、嘘に鋭いエミリアーノ王をうまく騙せるか少し心配だった。
ジェイクの言葉を信じきっているカストから報告してくれると助かるなと、上背のがっしりした彼を見上げる。するとカストはやけに親しげに笑い、肩を叩いてきた。
「どうした?何か私に頼みでもあるのか?」
「はい、その通りです」
「当ててみせよう。ユリアレス嬢のことだろう」
「まあ、そうですね」
カストが得意そうに視線を強めるので、ジェイクは苦笑した。この流れなら誰もがそう思う。単に嘘がばれないようにエミリアーノ王への諸々の報告をカストからして欲しいだけなのだが、それをはっきり言っては台無しだ。ジェイクは唇を引き締めた。
「わかっている。皆まで言うな。君が不在の間に陛下と話をしたよ。ユリアレス嬢との婚約について、気苦労があるのだろう。ジェイクには身元保証人もいないからな……陛下のお気に入りとはいえ……父君も亡くしているしな」
「はい?」
「それでだ。私の養子にならないか?ジェイク」
考えていたのとは違う方向の話になっていてジェイクはまばたきを繰り返した。カストはぼりぼりと頭を掻きながら続けた。
「ユリアレス嬢はグラソー子爵の養女だからな、平民の君と結婚するとなると、子爵はいい顔をしないだろう。それに君は今後、更に責任ある立場になる。書類にサインするにも、今の便宜上の、ヴィース村のジェイクでは格好がつかない……」
そういえばカストは名家出身の騎士であったなとジェイクは思った。カストがそれで良いというので気楽に接しているが、本当はミネルヴィーノ卿だ。
「どうかね。ジェイク・ミネルヴィーノとしてこの国の歴史に名を残すのだ。悪くない話だろう?ただ、申し訳ないが家督や財産は娘婿にやるつもりなのだ。そうでなければ、娘に良い結婚相手が見つからないからな」
言いづらそうにカストは立派な鼻の横に皺を作った。別にジェイクは家督や財産に全く興味がなかったのでそこは構わなかった。ユリィとの結婚や、仕事の上で動きやすくなるという点が魅力的だった。
「ありがとうございます、喜んでそのお話をお受けします。条件についてはカストさんの希望に沿って、きちんと誓約書を書きます」
「そ、そうか!」
ジェイクが了承の意を述べると、カストは安心したのか、無駄に大きな声を出して遮った。朝日に照らされ、唾が飛んだのすら見えたのでジェイクはちょっと肩をすくめる。
「……これからはカストさんを何とお呼びしたらいいですか?」
「うん?仕事中にお父さんというのも変だろう。今まで通りで良い。しかし私は息子が出来なかったから、妙な気分だな」
カストに横から肩を抱かれた。更に上腕の筋肉を揉まれた。くすぐったさにジェイクは身を捩る。父とまでは思えないが、悪い気はしなかった。若き王、エミリアーノ王の身辺は、最高権力者だというのにまだ磐石とはいえない。養子縁組でも何でもして結束するのも良いと思われた。
「なあジェイク、空き時間をどうにか作って剣術の稽古をやるか?ミネルヴィーノを名乗るならそれはやってくれると助かる」
「いいんですか?何から何までありがとうございます」
鍛え上げられたカストに比べると頼りない体つきのジェイクは、いい機会だと感謝した。以前は村の農作物を運んでいたので非力ではないが、きちんと剣術を習ってみたいと思っていた。いつまでもユリィのお守りにばかり頼りたくない。
「別に、ジェイクの為ではない。私の為だ。何もかも私の家名を上げる欲目だからな」
「はい、わかっています」
照れて肩をそびやかすカストに対して、ジェイクは真面目な顔を作るのに苦心した。
その後、もうひとりの近衛騎士、ネイにも熱烈に出迎えられた。ネイとはラウラリア王妃の一件から、いくらか話すようになった。
そうしてエミリアーノ王に一連の報告を済ませる。興奮しているカストが大半を担ってくれたので、嘘は見抜かれなかった。
ジェイクは人類の始祖エズリについては、詳細に話した。謁見を求めていること、多くの人々と対話できる場を求めていることなど。
「そんな伝説の存在をユリアレスが起こしたのか……。流石というほかないな。対話の場として、神殿のようなものを建設するべきか?」
エミリアーノ王は費用や期間の心配をして眉を寄せる。一度会えばそんな現実的な存在ではないと解るだろうが、とジェイクは昨日のエズリの諸行を思い出した。さっと手を振るだけで湖の水を凍らせて、巨大な神殿を建てていた。しかしジェイクが見たことのない、古風な建築様式だった。
「いえ、エズリは魔法で何でも出来ますから、そういうのはいらないと思います。でも」
「でも?」
「陛下と面会を希望していますが、こちらで服を用意する必要はあります。今風の服がわからないと悩んでいました」
「そんなもの、仕立て師に言っておけ」
エミリアーノ王は近くにいた侍女に手を振る。侍女は仕立て師を呼びに急いで部屋を出ていった。エミリアーノ王の現実感のある力であった。
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