第27話 数えられないもの
「もっとこちらへ」
ラウラリア王妃は、ジェイクに向かって手招きした。彼女の椅子の背もたれには大きな宝石が埋まっていて、蝋燭の火に合わせて赤く光を返す。悪い予感しかしないが拒否も出来ない。蛇に呑まれそうな気持ちでジェイクは歩み寄り、跪く。
「やっぱりお肌が若いわ……陛下はこういうのがいいのかしら」
重いものなど持ったことがないだろう、冷たく細い指先がジェイクの頬に触れる。間近で見るラウラリア王妃は、遠目から見た愛らしさとは違う、大人の女性の雰囲気があった。エミリアーノ王の5歳上とは知っている。そもそも、夭逝した兄王子の婚約者であったからだ。
「いえ、僕の肌など、王妃陛下の真珠のような肌と比べるまでもありません。陛下はラウラリア王妃陛下を本心では求めていらっしゃいます。僕のことは、ご存知かと思いますが噂話に過ぎません」
どう答えるべきかは無意識にわかっていた。いつかこのような日が来ると予感していたからだ。ラウラリア王妃は微かに頷いた。
「そうですわね。けれど、王家の血筋を絶やさぬよう陛下に働きかけるのも侍従の役目ではありませんか?なぜ、毎夜陛下を独占しているのです?それを聞きたくてあなたを呼びました」
目的はわかったが、そんな侍従の役目は聞いたことがないなとジェイクは思った。脳内で法律や典範をお浚いしてもない。しかし、ラウラリア王妃の言葉を否定は出来ない。
「王妃陛下のお気持ちはごもっともでございます。なれど、陛下のお気持ちもまた大変繊細でございます。如何に言葉を尽くそうと、心の絡まりをほどくのは容易なことではありません。私は只今、及ばずながらも解消に向けて努力は致しております」
夜伽がないのはエミリアーノ王の精神的な問題で、自分に出来ることはあまりないと、遠回しに言った。
「そうですわね、陛下のお心は繊細……でも、私だってずっとこんな状態で、傷つかない訳ではないのよ……」
さめざめとラウラリア王妃は泣き出した。傍らの侍女が、ハンカチを差し出す。しかしジェイクの心は少しも揺るがなかった。それどころか面倒だな、という感想しかない。何故なら、あまりにもその姿が堂に入っていて、完璧なものだったからだ。
泣こうとして泣き、泣いている自分に酔っているように思えた。この人はそう簡単には傷つかない。基礎から大切に、頑丈に育て上げられた人だと感じた。
「恐れながら申し上げます。王妃陛下はお強い方とお見受けします」
「ま、まあ。それはどういう意味かしら?」
半分は嘘泣きだろうというジェイクの指摘に、ラウラリア王妃は改めよと語気を強めた。
「会食の際に、エミリアーノ陛下にどれ程冷たくされても折れない王妃陛下の強さに私は感服しておりました」
それは毎日眺める光景であった。エミリアーノ王は、ラウラリア王妃に話しかけられても殆ど答えない。
「強くなどありませんわ。陛下の心に寄り添うのが王妃の役割ですから、そのように努めるだけです。ですから、私の元へ全くいらして下さらないのは、陛下の職務放棄でもありますし、私の魅力が足りないと言われているようで……」
「王妃陛下は大輪の花のようにお美しく魅力的でございます。私などいつも心を奪われてしまいます」
世辞を述べろとラウラリア王妃に言外に示されたので、ジェイクは思ってもいない、歯が浮くような台詞を並べた。普段とは違う気を遣う相手だなと思った。
「あらそう?あなたも陛下も、野生の花にご執心されているのではなくて?」
ラウラリア王妃は冷たく目を細め、小さな顎を上げた。野生の花とはユリィのことだろうとすぐに思い当たる。ユリィを攻撃対象にはされたくない。
「とんでもございません。陛下は王妃陛下の美しさに強く惹かれ、恋焦がれているからこそ、自身が傷つけてしまうことを恐れ、遠ざけてしまうのです」
嘘から出た真というか、言っていて説得力があるようにジェイクは感じた。
「……素敵なご意見ですわね。でも、それならどうしたら良いと言うの?私にもっと庶民的になれとおっしゃるのかしら?」
段々と恋愛相談のようになってきて、そんなこと知るかとジェイクは思った。恋愛などユリィ以外に経験がないし、あまりまともには進んでいない。そもそもこんな若い男に聞いても仕方がないだろう――と頭の片隅で考えながらも、何か答えようとする。しかし、口から飛び出たのは腹立ち紛れのものだった。
「いいえ。王妃陛下は今のままで十分すぎる程でございます。私は陛下に対して、速効性の治療を思いつきました。明日の夜には、陛下はこちらにいらっしゃるでしょう」
「お約束出来て?」
「王妃陛下にも、ご協力頂ければ……」
ジェイクはどうにでもなれと考案した計画をラウラリア王妃に告げた。国政はともかく、夫婦のいざこざなどに睡眠時間を奪われたくなかったのである。
「そんな恐ろしいことして下さるの。胸が高鳴りますわ。でも、良いのかしら」
「お任せ下さい」
さて、どうなるかとジェイクも少しばかり緊張しつつ、ラウラリア王妃の部屋を辞した。
翌日は何事もなかったようにエミリアーノ王と政務に取り組んだ。全てを知っているネイも知らん顔をしている。ただ、近衛騎士のカストにだけ密かに話を通した。
夜になり、エミリアーノ王の寝処に、ジェイクとカストの3人きりになった。多少くだけても良いとされている場だ。
「陛下、僕からお話があります」
「何だ?」
エミリアーノ王はまだ何も知らず寛いだ笑みを見せる。今から怒らせるのかと思うと、罪悪感もあったが妙な高揚感があった。
「昨夜、僕は陛下の部屋を出た後に秘密裏にラウラリア王妃陛下に呼ばれました」
「は?」
「もちろん、僕は断れる立場にありませんから、行って王妃陛下をお慰めしてきました」
「それはどういう冗談だ……」
焦燥がエミリアーノ王の顔にはっきりと現れていた。良い流れだとジェイクは続ける。
「冗談ではありません。王妃陛下は今まで誰にも見せていない深奥を僕に明かし、更に女性の懐の温かさを教えて下さいました」
「お前は何を言っているんだ?!」
胸ぐらを掴もうとしたエミリアーノ王だったが、互いに身に付けているお守りの効果により、反発し合い一定以上近づけない。楽しいなとジェイクは思った。まだ出会ってからの月日は浅いが、馴れ合いよりも言葉での殴り合いこそ自分達らしいとどこかで思っている。
「ご安心下さい」
ジェイクは安心させるつもりはなかったが、笑みを作った。エミリアーノ王の強い眼光がジェイクに降り注いだ。彼はその繊細さと臆病な気質により、他人の嘘に敏感であった。だからこそ、一切の嘘はつけない。
「僕は高貴な王妃陛下には指一本触れておりません。ですが王妃陛下が僕に触れる分には、その光栄に浴するばかりです。陛下に長く放置されて寂しいのでしょうね」
「ジェイク……お前……」
エミリアーノ王の胸元で握られた拳が震えていた。ジェイクには手に取るように、エミリアーノ王の今の感情がわかる。腹の底が燃え、身体中からかつてない力が込み上げてくるのだ。
過去の失敗など忘れ、感情のままに動けばいい。ジェイクは睨み付けた。
「カスト!ついてこい」
エミリアーノ王は部屋の隅に控えていたカストに命を下す。カストは部屋の扉を素早く開けた。エミリアーノ王は、床を低く踏み鳴らして出ていく。向かうはラウラリア王妃の寝処と思われる。
激情に駆られて赴けば、あのラウラリア王妃なら簡単に絡め取れるだろう。ジェイクは男女の睦事は知らないが、それくらいは直感でわかった。殊更に弱く振る舞う必要はないのではと、それだけを彼女に助言した。ラウラリア王妃も教育係に偏屈な考えを刷り込まれていたが、いつまでも縛られている必要はない。
エミリアーノ王の部屋を出ると、ネイにそっと肩を叩かれた。
「お疲れ様。ずっと壁越しに聞いてたけど、ジェイクってほんと、勇気ありますね。私怖くて震えてしまいました。首をはねられる可能性もあったのに」
「陛下は聡明な方ですから」
ジェイクは肩をすくめる。もし罪を問われる行為があったなら、わざわざ言わない。だから何もなかったとエミリアーノ王は理解している。だが、嫉妬の感情は理屈ではない。
ジェイクがエミリアーノ王にあげられるものは、決して美しくもなく、喜ばしいものではない。そういう関係でいいと思った。
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