第22話 告白

「しばらく、このままでいい?何も言わないで」


 胸に顔を埋めてユリィはそう言った。答えを無言のうちにジェイクは済ませる。何も言わないでと言われたからだ。


 文句はない。甘えるように胸に密着してくるユリィを心からかわいいと思う。ユリィの部屋、ユリィのベッド。この記憶だけでしばらく何も食べなくても生きていけそうだった。


 邪な感情を消すのに苦心するが、このくらいで彼女の心を慰めれられるならとジェイクは文字通り胸を貸す。きっと今日のモンスターとの戦いは熾烈だったのだろう。


 余計な想像をしないようにジェイクは、頭の中で600の位まで友愛数を探す。約数を探し合計する単純な作業だ。


 そうしているうちに少し落ち着いて、外で鳴く鳥や虫の声に耳を傾ける余裕すら出てきた。王都に比べて、緑が多いヴィース村の夕暮れは涼しい。開け放たれた窓からは風が吹き込んだ。


 しばらくすると、胸に濡れたような感覚があった。


「ユリィ泣いてるの?」

「……」


 ユリィは答えなかったが、すん、と鼻が詰まった呼吸音がした。


「何で泣いてるの?今日モンスターたくさん倒すのはつらかった?」


 ひどい情緒不安定なんだなと、慰めたくてユリィの華奢な背中を撫でる。


「違う……寂しいの」

「寂しい?どうして?」

「わかんない、でもこうしてても寂しい……」


 ユリィは顔を上げないまま、最後の方は掠れ声になって嗚咽を漏らす。


「僕じゃ頼りない?ごめん」


 違うことを考えているのがばれたんだろうかと焦ってしまう。寄り添いが足りなかったかもしれない。


「そうじゃない。ジェイクは王陛下に引き立てられて、立派になって、私からどんどん離れていっちゃうから……」

「離れてないよ。一緒にいられる時間は減っても、僕はいつもユリィのこと考えてるよ」

「……」


 ユリィは胸に擦りつけるように小さく頭を振る。納得していないようだ。ジェイクは、ユリィが嫌なら仕事を辞めてもいいと言いかけた。ユリィの為と思ってやっているだけで、名誉なんていらない。前の仕事にいつ戻ってもいい。


 だが、やめた。そんなことを言えば、優しいユリィは間違いなく我が儘だったと自分を恥じる。そうして感情を吐露してくれることもなくなって、溝が深まる未来までが簡単に予想できた。


 執着心、独占欲、嫉妬心といった言葉がジェイクの胸に浮かぶ。おそらくそれが自分に向けられた感情。ジェイクは嬉しいが、彼女は泣くほど苦しんでいる。放り出せもせず、かといってぶつけることも出来ず、震えている。


 それらの感情をひっくるめて、きれいな言葉で定義するのは簡単なことだ。だが迷いがある。ユリィが決める前に勝手に名付けて、誘導していいのか。利己的ではないのか。


「うっ……」


 嗚咽に震えるユリィの肩はかわいそうで仕方ないものだった。優しくさすってみるが、逆効果な気すらする。


 もうとっくに、選択の余地がないところに来たんだと決断した。


「……僕のこと好き?」


 ユリィの震えていた肩が一段と跳ね上がる。


「ユリィ、顔を上げて」


 ゆっくりとユリィは涙に濡れた顔を上げる。顔中涙にまみれて、いつも涼しげに上がった眉も歪み赤らんでいる。ジェイクも身を起こして向き合った。


 初めてまともにユリィの泣き顔を見た。ひとりで泣かないでいてくれるのは有り難いが、胸が切られたように痛い。


「僕を好きだからそんなに苦しくて、寂しいんだよ。幼馴染とか、友達じゃない、特別な好きってそういうもの。僕もずっと同じ気持ちだったから」


 ユリィは涙に濡れた睫毛をぱちぱちと上下させて何か迷っている。


「好きってはっきり言って欲しいな。……そうしたら、楽になる方法があるよ」


 こんなに好きなのにどうして卑怯な言い方しか出来ないのか、ジェイクは自問自答しながらユリィの温かい涙を拭った。余計な知恵のない、美しく純粋な子供時代に戻りたくも思う。どこで間違ったのか、想像していた甘い未来とは違うところにたどり着いていた。


「好き……」


 潤んだ瞳を揺らしてユリィは言った。今までのものとは違う。姉や母のように、確信に満ちて返答を求めない愛情の発露ではない。愛を乞う響きがあった。


「い、今まで、ちゃんと言えなくてごめんなさい……」


 溺れそうに息継ぎをしてユリィは続ける。


「好き……ずっと逃げててごめんね、私は本当はかなり前からジェイクを好きだったのに」


 ジェイクは覚悟を決めた。大変な戦いをして感情がぐちゃぐちゃの彼女を誘導して、追い込んだ罪はあとで償えばいい。何かが違う気がするが、突き進むしかなかった。


「僕もユリィが好き。本当に好きなんだ。じゃあ、これからどうするか言うよ。その前にちょっと体勢変えていい?」

「う、うん……」


 指示を出してユリィにベッドの端に座ってもらう。自身は床に片膝をついた。片方の手を優しく取る。雰囲気というものを重視するユリィの為に、背中がムズムズするが格好をつけた。


「え、ジェイク?」


 見上げたユリィの赤い瞳は涙によって洗い上げたようにきらきらと美しく光を反射していた。


「ユリィ、あなたに僕の全てを捧げると誓います。結婚して下さい」


 ユリィは小さく口を開けた。


「あ、安心するには結婚して周りを固めるのが一番だと思うから……」


 釈明するようにジェイクは言葉を続ける。離れてしまうのではとか、ほかの人にとられるのではと不安を解消するには、猜疑心がある限りどれだけ言葉を紡いでも無理だから。単純で子供っぽい解決策だと馬鹿にしないで欲しい。


「はい」


 ジェイクが耳を疑う返答があった。ユリィは新しい涙を流して、深呼吸をしてから微笑んだ。


「ありがとう……嬉しい」

「ほ、ほんとに?いいの?」


 流石に緊張したジェイクは安堵で力が抜ける。もっと色々反対意見を言われるかと思って対案を100個は用意していた。でも、結婚さえしてしまえばこっちのものだ。


「でも、いくつか心配なことが」

「うん、言って」


 ああやっぱりあるのかともう一度気力を取り戻そうとする。それぞれの親はあまり反対しないだろうが、成人はしてるもののまだ若いとか、ユリィは子爵家の養女なのでそちらの家の問題もある。


「もし、私に何の力もなくなっても好きでいてくれる?」

「もちろん。ユリィが危険なことしなくなって、嬉しいくらいだよ」


 予想していた反対意見とは違ったが、ユリィの不安を取り除くべく心から真摯に答える。宝石なんて、魔力なんて、なくなってもユリィの魅力には全く傷がつかない。


「私、ジェイクよりすごい歳上だけど大丈夫?」

「ん?同い歳でしょ?」


 これは予想外の懸念事項だった。幼少の頃から一緒に育ったし、誕生日なども祝ってきた。あり得ない話だ。


「それは、えっと。幻想みたいなことで、信じてもらえるかわからないけど。私、今とは全然違う世界の、25年分の人生の記憶があるの……それで、赤ちゃんの頃から大人みたいな意識もあった……なのにジェイクを好きになるっていう変態で本当にこんな、どうしよう」


 ユリィはかなりの勇気を消費して告白しているらしく、必死の表情で耳を赤く染めて説明をした。軽く繋いでいる手に汗までかいている。


「別にそんなの大したことじゃないよ。全部含めてユリィだし、違う人生の記憶も含めて好きだから」


 そういう幻想小説は読んだことがあった。ただ、ユリィが事実だと言うのなら事実としてジェイクは受け止める。今までのユリィの出所不明の知識や発想も、それで全て合点がいく。秘密を話してくれたことが嬉しかった。


「そ、そう……?良かった……」

「あとは?」

「私、すごく重いけどジェイクは大丈夫?」

「さっきは軽かったよ?」


 ふふっと弾けるようにユリィは笑った。こんなにかわいい人がこれから結婚してくれるのかと思うと喜びで胸がいっぱいになる。


「体重じゃなくて、精神的に!」

「ああ、僕もそうだから大丈夫だよ」


 胸を張ってジェイクは言った。目を合わせて二人揃って笑う。


「じゃあ……お父さんと、ハンナさんにとりあえず報告する?」

「そうだね、母さんは絶対喜んでくれると思う」

「お父さんも私のやることには何でも賛成してくれるから」


 ユリィの父、アウグスとジェイクの母、ハンナは階下の部屋にいる筈だ。10年前にそれぞれ片親を亡くしている。二人して階段を降りた。

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