第21話 ユリィの部屋
「何だ? 異常があったのか?」
エミリアーノ王は口ごもる騎士に苛立って質問をする。
「異常という程ではないかもしれませんが……」
「早く言え」
「こ、今年はユリアレス様は、防衛隊の力を一切借りず、おひとりで黒嵐竜の贄となるモンスターを狩ると宣言されました。そしてその言葉通り、集まった
部屋中の者が息を呑む。ジェイクは
「ユリアレス様の戦う姿を私は初めて拝見しましたが、この世のものとは思えない強さでした。雨で煙った中に、彼女の赤い瞳が流星のように尾を引いて光ったかと思えば、獰翼竜が何体も断末魔を上げて屠られ、地面に墜ちていくのです。いくつもの武器を操り、血煙から飛び上がる姿はまるで悪魔かと……。陛下がユリアレス様と友好な関係で良かったと心から思います」
普段のユリィの印象とはまるで違う報告にジェイクは胸を痛めた。ユリィだってやりたくてやってる訳じゃない。本当はすごく優しくて、繊細なのに。
「あっ、ただですね。黒嵐竜に贄を捧げた後、防衛隊による慰労会のようなものが開かれたのですが、そのときのお姿は普通のご令嬢というか、少女でした。流石にお疲れなのか途中で具合が悪くなって早くお帰りになりましたが」
「ユリィの具合が悪いんですか?」
たまらずにジェイクは騎士に問いかける。
「ええ、気持ち悪いとおっしゃったようです。兵士が介助して、今頃はヴィース村の御自宅かと」
ジェイクは懇願せずには居られなかった。
「陛下、恐れいりますがユリィの具合を見に行ってもよろしいでしょうか?ユリィは体調が悪かったことなんて、一度もないんです」
「ああ、行ってやれ」
エミリアーノ王が二つ返事で許可を出すので、ジェイクは部屋を飛び出した。
早馬を借りることが出来たので、思ったよりは早く、日が沈む前にヴィース村に着くことが出来た。懐かしさすらある村の雰囲気を味わう余裕もなくユリィの住む大きな邸のドアノッカーを叩く。
「はーい?」
出てきたのは、ジェイクの母親のハンナであった。ジェイクが王城に寝泊まりするようになって『女性の一人暮らしは危ないし不便だから』とユリィが進んで自宅に誘い、今では一緒に暮らしているのだった。
「母さん、久しぶり……ユリィは?」
忙しくて、顔を合わせるのは3ヶ月ぶりだったが、ハンナは見るからに健康そうな肌つやで心配いらなそうだった。なぜか以前より若々しく感じるくらいだ。
「ユリィちゃんはお部屋にいるわよ。ジェイク、あなたは元気なの?」
「うん、元気だよ」
奥から足の悪いユリィの父親、アウグスもゆっくりと出てきた。
「おお、ジェイク! 久しぶりだな! えらく格好良くなったじゃないか」
「アウグスさん……こんにちは」
慌てて来たので、城の文官服のままだった。アウグスはジェイクの全身を眺めてうんうんと喜んでいる。ユリィの具合が悪いという話だったのに、のんきな二人にどう対応したらいいか戸惑っていると、軽快な足音がした。ジェイクは玄関ホールから階段を見上げる。
「ジェイクどうしたの? お仕事は?」
ナイトドレスのユリィが素早く降りてきて少し恥ずかしそうに微笑んだ。寝ていたところを、騒がしくして起こしてしまったのかとジェイクは胸を詰まらせる。
「ごめん、具合が悪いらしいって聞いたから、来ちゃった。大丈夫そうだね」
「私の具合? そんな話もジェイクのところに行くの? もう大丈夫だけど、折角だからちょっと寄っていって」
ね、と誘うユリィに反対意見はかけらも持ち合わせない。ジェイクは、大きな邸になってから初めてユリィの部屋に連れられた。子供の頃のユリィの素朴な家はともかく、今の邸宅は2階建で部屋数も多く、話をするにもリビングやティールームで事足りてしまっていた。
「どうぞ」
ユリィに勧められて、広い私室の大きなソファに腰かける。室内は甘い匂いが漂っていたが、二人きりではなかった。ユリィの愛犬――
「う、うん。ユリィ寝てたよね? ごめん」
「寝てないよ。雨と血で汚れたのをお風呂で洗い流したあと、これ着ちゃっただけ」
「体調本当に悪くない? 気持ち悪くなったって聞いたけど」
騎士の報告では儀式の際に悪魔のようだったと言われていたが、とジェイクはユリィを見つめる。白いナイトドレスを着て、洗い立ての髪がふわふわしているユリィは天の使いのようにかわいらしく、つい押し倒してしまう幻想を浮かべてかき消した。
「それは……防衛隊の人が宴に用意してくれた食事を勧められて、食べ過ぎただけだから。それより、ジェイクの首尾はどうだったの?」
照れ笑いを浮かべて監査の結果を尋ねるユリィに、ジェイクはかいつまんで今日の報告をした。財務大臣らに品位のないことを色々と言われたが、そこを省く。ユリィに心配をかけたくないからだ。エミリアーノ王に財務特別補佐官の役職をもらったことはやや誇らしく伝えた。
「……そっか、すごいね」
「みんなユリィのおかげだよ」
「違うよ、ジェイクががんばったから」
いつものように頭を撫でられてジェイクは目を瞑る。歓喜が全身を巡った。
「ねえ、ジェイク。ちょっとベッドの所にある本を持って来てくれない? やっぱりだるくて……」
「え?うん。大丈夫?」
ユリィのやけに沈んだ声の調子に戸惑ったが、言われた通りにジェイクは大きなベッドに歩み寄る。愛犬ミルと一緒に寝るためか、エミリアーノ王のベッドより広かった。
「本ってどこにあるの?」
整えられたベッドやベッド周りには本など見当たらなかった。振り返ると気配もなく、ユリィがすぐ後ろに立っていた。いつの間に移動したのかと驚いてしまう。
「びっくりした……」
「枕の下かな? 調べて」
「あ、うん」
指示されたまま、ジェイクが4つある枕のうちのひとつを手に取ろうとしたとき――
「隙ありっ!」
ユリィの腕が伸びてきたかと思った瞬間に足を払われ、半回転して勢い良くベッドに倒れこんだ。
何が何だかわからないうちにジェイクの上にユリィが乗った。特注のベッドは軋みもせず、二人分の体重を柔らかく支えている。
「ユリィ?」
「あはは……びっくりした?」
「うん、流石だよね」
見上げたユリィの顔は、興奮しているのか赤みがさしていた。激しく戦ったあとの戦士は興奮して、眠れないという話をジェイクは思い出した。もしやユリィもそうなんだろうか。
ジェイクの胴の辺りにユリィは座る形になっていた。脇から上腕にかけて、おさえつけるようにユリィの曲げた膝が乗って、重くはないが上体は全く自由が効かない。しかし、密着できて嬉しいという感情が勝っていた。ただこの室内にはユリィの愛犬や愛鳥もいるし、部屋に入るところをそれぞれの親が見ている。
まさかこのままという訳はないだろうが、興奮と期待が出ないようにユリィに問う。
「これって……女性にだけ伝わる本に書いてある技?」
「また変なこと言う。こういうの嫌?」
「嫌じゃないけど、嬉しいけど……」
嫌?とは何のことか。この体勢は嫌ではない。ジェイクは興奮に呑み込まれそうになり、頭の中で新しい友愛数を探した。一方の数が他方の数の約数の和になるもの。220と284のほかに、ほかに。
「動かないで、じっとしてて」
ユリィの口調は有無を言わせない強いものだったが、言われなくてもジェイクは動けない。ユリィは今度はジェイクの太腿の辺りに座る。体重をかけないようにしているのか、小動物のような軽さだった。体を倒し、ジェイクの胸に自身の頭を乗せてぴったりと密着する。
「ジェイクすごいどきどきしてるね」
「そうなるよ……」
冷静でいるにはかなりの精神力が必要だったが、ジェイクは表面的には成功した。ただ、心臓の鼓動だけは誤魔化せない。
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