第20話 監査と儀式

 数日後、連日の猛暑が一転してバーフレム国は巨大な雨雲に覆われた。嵐を呼ぶモンスター、黒嵐竜ヌウアルピリの襲来であった。


 ジェイクは城の窓から灰色の空を見た。ユリィは今頃、王都の南にある荒れ地にいるはずだ。


 黒嵐竜の襲来に同期して、なぜか国中で大型モンスターが荒れ狂う。それらを集め、贄として黒嵐竜に捧げるのが8年前から毎年の儀式となっている。


 ユリィは「今年も楽勝」などと笑っていたが、本当はやめさせたいとジェイクはいつも思う。ただ、ユリィが儀式を行う以前は、黒嵐竜はあちこちに暴風域を作り、田畑や家屋に甚大な被害を与えていた。農業、特に食糧の安定供給にこだわるユリィにとっては放置できない問題であった。


「ジェイク、何を呆けている。行くぞ」


 エミリアーノ王が声をかけてきた。財務部への監査の日を儀式の日とぶつけようと決めたのはエミリアーノ王だ。外部の人が少なく、噂が広まりにくい日が良いという考えであった。


「はい、陛下」


 ジェイクが城に来た初日に、嫌がらせ半分に見せた過去10年分の財政を記した帳簿。そこから、各領主への巨額の水増し請求が見つかったのである。エミリアーノ王の政権が落ち着くのを待ちながら、準備を進めてきた。


 国王は、領主から年一回、領地に応じた貢納を受けとる。そのほかに、城や港、街道の工事や補修費を請求出来るがそこに大幅な不正があった。


 ジェイクはエミリアーノ王の右後ろに並んで歩く。もうすっかり慣れた位置だ。左後ろにはカスト、後ろには女性騎士のネイが従う。その後ろには5名の、エミリアーノ王を心から尊敬する文官が続く。


 財務部に通じるマホガニーの扉は分厚く、秤の意匠が浮き彫りに刻まれていた。


 カストとネイが扉を開けておさえ、エミリアーノ王が入室する。


「皆のもの、手を止めよ。一切動くな。これから私の権限により監査を行う」


 エミリアーノ王のよく通る声によって、財務部にいた数十人が凍りつくように動きを止めた。唯一、最奥の大きな椅子に座るゼローラ財務大臣が素早く立ち上がった。


「エミリアーノ国王陛下! こんなむさ苦しい場所にお越し頂かなくても、御用とあらばいつでも私が駆けつけましたのに」

「私はお前ではなくこの場所に用がある」


 じりじりとエミリアーノ王に寄ろうとする財務大臣の目線をジェイクは観察する。細長い窓の下、壁沿いに延々と設置された書棚を気にしている。


 ジェイクがそちらへ歩を進めると、近くで突然に転んだ者があった。服の下にある、お守りのペンダントが熱くなっていてその効果だとわかる。


「こ、小僧! 陛下のご寵愛を傘に着て勝手な行動をするな!」


 転んだ中年の文官が憎々しげに怒鳴った。特に何も言う必要がないのでジェイクは無視して書棚を調べ始める。


「財務大臣、ジェイクの隣に立て」


 にやっとエミリアーノ王は口端を歪めて指示をした。


「は、しかし……」

「吹き飛ばされない程度で良い。早くしろ」


 およそほとんどの者が見たことがない程のろのろと遅い歩みで、財務大臣はジェイクに近付いた。部屋中の人間の視線が集まっている。


 財務大臣は鼻に皺を寄せて不愉快そうにジェイクの隣に立った。お守りは仄かに熱を放った。ジェイクが書棚に収められた記録帳を手に取ろうとすると、その熱は増した。


 ジェイクは棚に並ぶ全て記録帳を次々と触ってみて、反応を確めようとした。しかしどれを触っても変わらない。


 ――まあ、表には普通に置かないか。


 一冊抜いた隙間に手を突っ込んでみると、お守りが急に熱くなった。わざとらしく背板をコンコンと叩く。一般的な書棚の背板を叩いた音など知らないが、不自然に籠った音に聞こえた。


「やめろ!」


 財務大臣がジェイクに勢い近づいて、見えない力に押され激しく尻餅をつく。


「ぐっ……!」

「この奥ですね?裏帳簿があるのは」


 ジェイクの冷静な声は財務大臣の神経を逆撫でした。


「この、平民風情が!!」


 殴りかかろうと迫るが、お守りが放つ見えない力によりあっけなく後ろに吹き飛ばされる。副財務大臣が駆け寄り、腰をさすり出した。「もうやめましょう」などと声をかける。そして副財務大臣は哀れな様子でエミリアーノ王に跪く。


「エミリアーノ王陛下、我々は先王陛下のご命令に従ったのみです。どうか寛大な処置を」

「確かにそうだな。だが、先王だけに罪を着せるのか?その機に乗じて貴様らも私腹を肥やしたのであろう?」

「滅相もございません」


 エミリアーノ王は冷徹な表情を向ける。


「国中の宝石を商う店との取引記録を調べた。それから、輸入業者もだ。それでもまだ言うか?」


 エミリアーノ王とジェイクは、この調査もあって夜な夜なエミリアーノ王の寝処で夜更かしをしたのだった。ジェイクは、ユリィが石ころから『発掘』した宝石をポンの商会を通じて売りさばく手伝いをしていたので宝石商に顔がきく。ポンの助力もあり、両名が財務部の給料だけでは100年かかっても買えないような装飾品を購入した証拠を手に入れていた。


 財務大臣と副財務大臣はうつむいたまま汗を滲ませた。


「皆のもの、よく覚えておけ」


 よく通る声を更に張り上げ、エミリアーノ王はびりびりと部屋中の空気を震わせる。


「私が王位にある限り不正や腐敗は許さぬ。そのような金の滞りは国の発展を阻害するからだ。心に留めて職務に励むように」


 部屋中の者は身を正して返事をした。丁度そのとき、黒嵐竜が呼ぶ雨雲が去ったのか、窓から日が差し始め明るく部屋中を照らす。また、いくつもの柱が陰影をくっきりと刻んだ。ジェイクは遠くにいるユリィの無事を願った。


 その後、裏帳簿を中心とした監査を終えて処分は追って出すこととなった。





「疲れたな」


 執務室に戻り、砂糖を大量に入れた紅茶を飲みながらエミリアーノ王は嘆息をつく。見せしめとして今回は動いたが、不正に得た金は宝石商に渡り、その宝石類はどこかの貴婦人のものとなっている。領主に返却する資金を考えると頭が痛くなるのだった。


「そうですね」


 ジェイクは疲れてはいなかったが当たり障りなく相づちを打った。


「父上も財務大臣らも、あちこちの婦人に手をつけてねだられるまま宝石を渡したようだな。愚の骨頂だ。回収も出来ん」

「ええ、回収出来ないのはつらいですね」


 吐き捨てるようにエミリアーノ王は言うが、淡々とジェイクは答えた。エミリアーノ王は紅茶をもう一口飲んで、ジェイクをやぶ睨みにした。


「ジェイクは前から思っていたが信じられぬ図太さだ。一日中私の側で平気でいられるのがまずおかしい。それに、先程も財務大臣らにあんな言い方をされても顔色ひとつ変えなかったな」

「気になりません。慣れました」


 何を今更、とジェイクは思った。エミリアーノ王が見ていないところであちこちから絡まれ蔑まれている。


「……今回の褒美として役職を与えよう。財務特別補佐官だ」

「今までにない役職ですね」

「そうだ。権限についてはジェイクが法改正の草案を書いておけ」


 好きに決めて見せてみろとエミリアーノ王は言う。


「ありがとうございます」


 あと数年、または数十年かかるかもと思っていたことが可能になりそうでジェイクは嬉しくなった。ポンにもお礼が出来るだろう。ユリィにも更に援助が出来る。


 そのとき、扉をノックする音があった。カストの配下の騎士で、ユリィの黒嵐竜に対する儀式の査察を頼んでいた者だ。その報告にやって来た。


「ご報告申し上げます。ユリアレス様は今年も無事、黒嵐竜を退けました。ユリアレス様並びに、防衛隊に負傷ありません。田畑及び家屋も被害ありません」


 ジェイクは安心感に胸を撫で下ろす。儀式の場は「危ないので来ないで」と言われ、現地には毎年行けないのだが心配で仕方がない。


「例年通りか?」


 エミリアーノ王の質問に、若い騎士はどう言うべきか迷いを見せた。

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