第23話 夕闇に煙は白く

 夕餉の匂いが漂うキッチンに、ジェイクの母ハンナとユリィの父アウグスは揃っていた。さてどこから切り出そうかとジェイクは喉を詰まらせる。


「ジェイク、こっちでご飯食べていくでしょ? 久しぶりなんだし、ちゃんと多めに作ったから」


 ジェイクに向かい、ハンナは竈の扉を開けて当然のことのように笑う。何を困っているのかと勘違いしているようだ。真っ赤に燃える竈の中から、軽く焦げ目のついたパン粉のかかった肉が取り出された。奥では、ユリィの父、アウグスが自家用畑のハーブを洗っていた。


「あ、えーっと、僕……」

「夕飯、ジェイクがたくさん食べてね。私はまだ、あんまり食べられないから」


 ユリィは皿を取り出し、ハンナを手伝いながら言った。


「あら、ユリィちゃんまだ体調悪いの?」

「うん、ちょっと……。ところで、ジェイク、私が言っていいの?ジェイクが言う?」


 ユリィはにこにこと嬉しそうだ。ジェイクは、ここで迷いを見せては後に響くだろうと感じた。結婚に憧れる女性は多いと言うが、ユリィもその一人だったらしい。


「何のお話かしら?」


 ハンナは気楽に首を傾げた。


「母さん、それから、アウグスさん。ちょっと手を止めて聞いて下さい」


 知らない間にエミリアーノ王陛下の影響を受けているなと自覚しつつ、ジェイクはしっかりと声を張り上げる。ハンナとアウグスの驚きに見開いた目線が、突き刺さるようにジェイクに向いた。緊張で汗が滲む。


「僕とユリィは色々話し合った結果、結婚するとお互いに決めました。……祝ってもらえますか?」


 法律上成人しているので、結婚自体に親の了承はいらない。だがきちんと許可と祝福を得たいとほとんどの人間が思うし、ジェイクもそうだった。ユリィもそうだろう。


 どちらの親も、二人の長年の親密さを知っている。特にジェイクの母親であるハンナは、息子がユリィを好きで好きで仕方がないと知っている。


 ただ、アウグスがどう思っているかジェイクは不安だった。彼はどちらかというと豪快な人物だ。いつもジェイクに好意的に声をかけてくるが、娘の結婚相手としては役不足と言われるかもしれない。


「そうか……ついにそうなったか。お前たちが良いなら俺は祝福するよ。子爵家には俺からも頼むから、心配するな」

「良かったわね、ジェイク。ありがとうね、ユリィちゃん」


 アウグスは少し切なそうながらくしゃっと笑った。ユリィが縁組をしている子爵家に対しても、あてはないが助力してくれるという。ハンナは涙ぐんで、ユリィの両手を取って握った。同性であるハンナから見ると、ユリィが押し切られた形に見えるのかと若干傷付く。


「今夜はお祝いね。夕飯、もっと豪華なものにしたら良かったかしら。最近ユリィちゃんが食欲あまりなくてあっさりしたものに……あら?」


 ハンナはふと何かに思い当たったように、動きを止める。


「母さん?」

「……ジェイク、あなたまさか……私の言いつけを破ってないわよね?」


 ジェイクが受け継いだ、ハンナの優しげな栗色の目が疑惑に細められている。言いつけを思い出してジェイクは顔が熱くなった。


「そうなの?! ジェイク!」

「ち、違うよ。僕は言いつけを守ってる。本当に」


 言いつけとは、『どんなにユリィちゃんが好きでも、それなりの年齢になって結婚して環境を整えてからじゃないと子供が出来る行為をしちゃいけません。女の子の方が体に負担があるんだから。それにユリィちゃんは立場とか、ユリィちゃんにしか出来ないこととかあるから、ダメよ、絶対』というものであった。ジェイクが12歳の頃に言われたものである。


 ハンナは父親が亡くなって、女手ひとつながらジェイクをきちんと育てようと必死であった。ユリィの腕力であれば押し倒されることはないだろうが、賢すぎる息子が口八丁手八丁でやらかす可能性があった。


「で、でもこんな急に結婚なんて良く考えたらおかしいわ。ジェイク、どうして……」

「勘違いだし、おかしくないよ!合意の上の結婚だし、準備期間を入れたら丁度いいよ!」

「あの……」


 親子喧嘩の内容を察したユリィが声をかける。


「ハンナさん、私の体調不良はその、そういうのじゃないの。これは私の体質の問題で、もう少しで終わるから、安心して」


 意味ありげな言い方に、ジェイクとハンナは、ばらばらにどういうことかと問いかけた。アウグスは怪訝な表情のまま固まっている。


「えっと……最近、魔力が溜まりすぎて気持ち悪いの。何だかこうしてても空気から魔力が吸収されちゃって。だから今日、消費できないかとひとりでモンスター倒してみたけどダメだった。だから、全部譲ってしまうつもり」

「誰に? どうやって?」


 どうして今まで教えてくれなかったのかと責めたい気持ちを堪えてジェイクは聞いた。いつからそうだったのか?ジェイクの記憶は膨大で、精査に時間がかかる。大体譲るなんてことが出来るのかも、魔力など一切持たないジェイクにはわからない。ユリィ以外ではモンスターしか魔力を持っていない。


「春頃に知り合ったモンスター。ごめん、怒らないで」


 怒っている雰囲気にユリィは気まずそうに眉を下げた。そうされるとジェイクはもう絶対に怒れない。ユリィは男性には興味を持たないが、モンスターにはいつも興味津々だったなと、彼女の愛犬や愛鳥を思い浮かべた。大半のモンスターは目が合えば襲いかかってくるが、そうでなければ途端に彼女の愛情の対象となる。


「怒ってないよ。でも今度からは早めに話して。僕たち……結婚するんだし」

「うん。これからは何でも話すし、付き合ってもらう。近いうちに時間作ってくれる? 一緒にそのモンスターのところに行こう」

「わかった」


 ユリィの父親、ユリィの養父が越えなければいけない障壁だと思っていたが見知らぬモンスターまでいたのかとジェイクは内心恐れ入る。


「……良くわからないけど大丈夫なのね? じゃあ、あとのお話はご飯を食べながらにしましょ」


 ハンナが気を取り直して微笑んだ。久しぶりの母の作った食事にジェイクは言い様のない空腹感を覚えていた。結婚したら、やっぱり王城から時間がかかっても帰ってくるべきだろうか、毎日、この4人で食卓を囲めたらとそんな想像まで膨らむ。





 賑やかな夕食の時間を過ごし、ジェイクは王城に戻るべく邸の玄関を出た。見送りにユリィもついて出る。


「ジェイクが泊まれたら良かったけど……」

「母さんが目を光らせてるしね」


 くすくすと二人で笑い合う。別れがたく、ジェイクはユリィと手を繋いだ。それなりの距離を離れると思うとどこか空虚なものがある。ユリィが寂しがるのもわかる気がした。


 それでもまだ婚約状態とはいえ、親の了承まで取ったことでユリィはずっと気が楽になったようだ。向けられる信頼しきった笑顔は、ジェイクに更なる感情を呼び寄せた。――愛してる、守りたい。以前からこれ以上はないくらいに好きだったが、その上があったんだなと愛しい存在を抱き寄せた。


「ユリィは明日、お城に来る?体調悪かったら無理しないでいいよ」

「明日はお茶の時間に行くね。陛下にも渡すものがあるし」

「何を?」


 微かな嫉妬心でジェイクは体を離してユリィの顔を見た。


「妬かないで。力が無くなる前に、陛下にもジェイクに上げたのと同じようなお守りを渡そうと思って。今日たくさんモンスター倒して、材料も取れたし」


 苦笑しながらユリィは弁明する。ユリィがモンスターを倒すと、不思議な力を持つ石が『発掘』出来る。それを彼女の魔力で練り直し、創り上げたものが今ジェイクが首にかけ、服の下に隠し持っているお守りであった。あらゆる毒を防ぎ、悪意ある者から身を守り、体力を回復する。


「そう、なんだ……」


 効果はもちろんだが、ジェイクはお守りの輝きを心底気に入って、大事にしていた。ユリィの赤い瞳に酷似しているからだ。それを陛下に渡すのかと思うと止めたくなる。


「色は前と違う……陛下らしいものになったら、明日見てね」


 ユリィの笑みに、もう出来ているのかとジェイクは驚く。

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