第18話 夏は陽炎
「グレープフルーツレアプリンと桃のコンポートとアイスクリームです」
冷却効果がある、青い氷鳥の鱗が貼り付けられたバッグから次々と冷たい菓子が出てくるのは、胸が踊る瞬間だった。
「ユリィ、いつもありがとう」
「その服装暑そうだしね……」
ユリィはジェイクの着ている濃紺の文官服を見ながら苦笑した。首元はクラバットを締めて通気性が悪く、織りの厚いベストを重ねている。ブラウスは長袖だ。エミリアーノ王も、ジェイクより更に華美で暑そうな格好をしている。それでも許される一番の薄着らしい。
「ユリィは何でいつも暑くないの?」
ユリィはバブルスリーブのドレスで腕だけは出しているものの、汗ひとつかかず涼しい顔をしている。
「何だか最近魔力が強くなっちゃって、暑さも感じないの」
「それはそれで心配だね……水分はちゃんと摂って」
それ以外には対処法もなく、ジェイクはゴブレットに水を注いで渡した。ジェイクは城で働くようになってから、役人に金をばらまいてユリィのような特異体質がほかにいないか私的に探した。だが、結局国内では見つからなかった。
「大丈夫だから……」
ユリィは作り笑顔とわかる表情を作り、城で用意している皿に果物を添えてカスタード色のアイスクリームを盛った。
「ユリアレスに医者を手配するか?」
エミリアーノ王は、冷たい紅茶のカップを傾けながら思案する。ユリィの毎日の陣中見舞いによって少しずつ健康的に肉がつき、それは美貌と威厳として確定しつつあった。
「い……いえ、本当に大丈夫です。私は体調を崩したことなどありません」
「だが、疲れているようだな。明日は休んだらどうだ」
エミリアーノ王は皿を持って近付いたユリィの、目の下にあるうっすらとした陰を見逃さなかった。自身に長らくあったものが移ったようで心を痛め、常ならざる優しい声を出した。ジェイクを始め、カストや侍女たちが驚きに目を丸くする。ユリィだけは気付かない。
「ああ、そうですね。数日後には黒嵐竜が来ますので、その日は私は儀式でお休みします」
「それはもちろん休むべきだが……いや……」
「私を誰だとお思いですか? このくらいは問題ありません……ふふ……あは、あはは」
そう言って徐々に笑いをトーンアップするユリィに、ジェイクとエミリアーノ王は何も言えなくなってしまった。
ユリィが帰る時間になり、いつものようにジェイクは彼女を送るために城内を並んで歩いた。この僅かなひとときが、二人きりになれる貴重なものといえる。夏はユリィの農業に関わる仕事が忙しいので夜の訪問もめっきりなくなった。
「帰ったら早く休んでね。ユリィはやっぱり疲れてるんだよ。あっ……待って」
ジェイクは胸元に隠し持っているお守りが熱くなるのを感じて足を止めた。長い廊下の先に、亜麻色の髪をした侍女の姿を認める。まだ遠いのだが、近寄りたくない。
「どうしたの?」
「ごめん、こっちに来て」
怪訝な表情をするユリィの手を引き、今来た廊下を戻り、角を曲がった。祝宴用の大量の食器を置いてある部屋を見つけ、今は誰も用事がないはずだとそっと中に入る。
「……あの人がどうかしたの?」
扉が閉まってから、ユリィはジェイクに目を合わせずに聞いた。もしや、もう城内の女性と面倒な関係になったのかと想像が膨らんでしまっていた。王城には、女性はかなり多い。しかも有能というか、やり手の女性ばかりだ。そうでなければここに勤められない。そして亜麻色の髪の女性は、美人だが気の強そうな顔をしていた。ユリィの中では、ああいう強気な人はジェイクのようなかわいい系が好きだと相場が決まっている。
「あの人はラウラリア王妃陛下の侍女だよ。僕は王妃陛下側の人達に嫌われてて……」
「何で王妃陛下側にジェイクが嫌われるの?陛下の大事な臣下なのに」
「えっと……」
ジェイクはこめかみをおさえた。世の中にこんなに説明が難しいことがあるとは知らずにいた。
大好きなユリィ相手に、自分とエミリアーノ王陛下は怪しい仲だと噂されているとはあまり言いたくなかった。その噂によって、ラウラリア王妃の侍女達に嫌われている。
王妃自身がどう思っているかは伝わってこないが、侍女たちはジェイクを見つけるといつも詰め寄ってくるのだった。王とは何もない、あるはずがないと言っても、『じゃあ王妃陛下の寝処に行くよう進言してください、ラウラリア王妃陛下がおかわいそう』などと責められる。
「……と、とにかく嫌われてるんだ。そういう人に近付かれて、このお守りの効果で転ばしたり、吹き飛ばしたりしちゃったら悪いし」
ユリィからもらったお守りのある胸元を触りながらジェイクは言う。一度詰め寄られて、危なくなったことがあった。鍛えている騎士ならともかく、普通の女性に痛い思いをさせたくはない。
「ふうん?……ごめんね、強すぎたかな?お守りの効力」
明らかに納得していない顔でユリィは俯く。ジェイクはエミリアーノ王を恨んだ。何故エミリアーノ王とラウラリア王妃が、夫婦として上手くいっていない問題で飛び火してユリィと気まずくならなければならないのか。
ジェイクも何度か説得は試みた。しかし、エミリアーノ王は、『私が男の方が好みだという噂が広まれば、ラウラに魅力が足りないせいではないと思ってもらえるしな』などと、ひどい軽口を叩いていた件も怒りを増長させる。
「もういいかな?私、帰らないと……」
ドアに向かいかけたユリィの進路を塞ぐように立ちはだかり、壁に手をつく。
「待って。お願い」
「え……」
ユリィに対して怒っていた訳ではないが、ジェイクの声は怒気を孕んでしまっていた。動揺したユリィは、不安そうに瞬きをする。
「ごめん、怒ってないから。話を聞いてくれる?」
「う、うん」
ジェイクは悪知恵だとは思ったが、この場を解決するひとつの方法を見出だしていた。
「ユリィ、実は僕と陛下は……特別な仲だと噂されてるんだ」
「えっ……」
突然何を言い出したのかとユリィは、幼馴染の見慣れた栗色の瞳を覗き込む。ユリィの方でもグラソー子爵家と縁のあるメイドから独自に情報は集めていたが、そんな話はなかった。もっとも、余計な噂を吹き込んでも仕方ないと配慮された結果であった。
「もちろん違う。だけど毎晩陛下の寝処に呼ばれているのを、ここの噂好きの人達に誤解されて、王妃陛下側から憎まれてる。まあ昼間に残った仕事をしてるだけなんだけど」
ここまでは事実であるので、ジェイクはまっすぐにユリィを見つめ、落ち着いて語った。
「誤解なら、その辺りをちゃんと王妃陛下側に伝えればいいんじゃないの?」
ユリィはまともな指摘をした。ただしそう言われるのもジェイクの予想通りだった。
「いや、王妃陛下には悪いけど、敵を騙すには味方から、だよ。ユリィは今、陛下の体を気遣って毎日ここに通って、陛下と謁見してるでしょ?不自然だよ。ユリィは未婚の令嬢なんだから。万が一にも不倫の仲だなんて周囲に誤解されないよう、僕が目立つようにしてるんだ」
「ジェイク……」
ユリィは開きかけた口を片手で隠し、相当感激しているようだった。
「そこまで考えてくれてたなんて……ありがとう。でも私だってそのくらいの噂が立ってもいいのに」
「良くないよ。ユリィは有名人だから、国民全員にまで広がっちゃうよ」
罪悪感で胸がちくちくしたが、ジェイクはこの嘘を生涯つき通すと決めた。後で陛下にも口裏合わせを頼もうと予定する。
「ごめんね、嫌だよね。お城で女の子にもてなくなっちゃうし」
「そんなのどうでもいいよ。僕は本当に、ユリィしか見えてないし。一生、ユリィしか好きな女の子はいない」
小さく息を吸い、ユリィは激しく赤面した。
「ねえ……」
軽く両腕を広げたユリィが瞳で語る。
「僕、すごい汗かいてるけど」
「私もなんか汗かいちゃったから」
「じゃ、じゃあ……」
ジェイクはぎこちなく腕を回し、仲直りとして抱擁をする。部屋が暑いのもあるが、更に体温が上がってしまう。ユリィの体から甘い匂いが立ち昇っていた。脱水症状で倒れるまでこうしていたいとジェイクは願った。
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